緑坂 5

2009年01月20日

「緑色の坂の道」vol.4238

 
     湿った空。
 
 
 
■ 雨というのは億劫なものだが、どこか救いになるようなところもあった。
 いわゆる年末から、北へいったり南へ出たり、これが西か東とならないところが不思議なのだが、日常に浸かりきったり離脱したりしていた。
 全般に気分は晴れない。
 なんだかこんなものか、というような気もする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4240

 
     乾いた空。
 
 
 
■ それはつまり、更年期ってことじゃないですか。
 と、わかいものが言う。
 んー、ともいえるな。
 起きて半畳、というようなことを先達の方は言われたが、干物は天日に限る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4241

 
     乾いた空 2.
 
 
 
■ 不倫していたんです。
 とか、妙齢に言われた。
 別にドキリとしないところが退屈である。
 まあ、この乾き方はそうだろうな、と思ったりする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4242

 
     それから濡れた藁。
 
 
 
■ あるとき、港町を歩いていた。
 思ったほどの雪はなく、暫く経つと霰になった。
 私はタクシーを拾い、帽子を被った運転手さんに盛り場と街の神社を尋ねた。
 それにしても、どうしてこんなに眠いのだろう。
 時差というほどのこともなかったのだが。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4243

 
     蛸足と日本酒。
 
 
 
■ 角の辺りを曲がって、どうしようか考えた。
 暖簾を一瞥し、この辺りならとおでん屋に入る。
 いいですか。
 と、声をかけながらである。
 
 
 
■ その町には都合二日いた。
 二日目の夕方もそこで一杯を飲み、それが私には珍しく日本酒である。
 一合が300円。蛸の足が300円。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4244

 
     蛸足と日本酒 2.
 
 
 
■ 慌しく買い物をして、あちらこちらに送ってもらう。
 持っていったカメラはホテルから宅急便である。
 たいして撮らなかったのだが、コンパクトフラッシュとポジだけは胸ポケットに入れた。
 これで眠れるのだろうか。
 冬の列車、窓際は寒い。
 
 

2009年01月22日

「緑色の坂の道」vol.4245

 
     357号のブルース。
 
 
 
■ 薄い頭痛がする。
 小雨の中をすこし歩いたのだ。
 首都圏で車に乗っている方ならお分かりだろう。軽く流すというと、どうしても国道357、通称「東京湾岸道路」の辺りをうろうろすることになる。
 千葉の辺りから、遠くは横須賀方面まで。途中、首都高速に乗ったり降りたり、あるいはあの店でパサついたハンバーガーを頬張ったり、脇道に抜けて古くからある洋食屋に入ったりする。
 
 
 
■ 暫く東京を離れると、全体に身体が馴染むまでに時間がかかるものである。
 復帰の仕方は人それぞれだろうが、私の場合には無駄にひとつふたつ走ることと、無駄に酒場でぼんやりすることがそれに該たる。
 酒場は先日、いつものところで漠然としていた。
 最近、コヒバが好きになって、そればかりを頼んでいる。
 珍しくネクタイをしていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4246

 
     南本牧の角。
 
 
 
■ の辺りで雨になった。
 洗ってもらったばかりだというのに、人生とはこんなものだが、車体の上を水滴が流れるのも、少しばかり自意識をくすぐる。
 すこし古い車はできれば綺麗な状態で保っておきたい。
 と最近私は思うようになった。
 かつてのように、半年も放ったらかしで、小学生に指で悪戯書きをされるようなことはまずない。確か鯨の絵だったが、描いたのは男の子か、結構うまいものだった。
 
 
 
■ 空冷の930や964。もちろんナローのそれでもいいが、この辺りが綺麗に乗っているとああ、いいなと思う。
 メルセデスのW126や124の初期型でも、金をかけるべきところにかけ、ゆるゆると走っているのは、半分は趣味の世界で私は好きである。
 趣味なんて、と言われるのかもしれないが、実用性ということから言えば1.3リッターの小型車でほとんどは足りる。
 まれにナンバープレート辺りの照明を真っ白なLEDに変えているものもみかけるが、そこまでいくと別物で、ナンバーを眺めると足立だった。
 川崎と横浜、または横須賀が違うように、東京とはいっても場所によって車体の落ち方とタイアの銘柄が違っているのだった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4247

 
     南本牧の角 2.
 
 
 
■ その日は打合せをすませ、都心部の地下駐車場から車を出したところだった。
 微妙な時間帯で、空が灰色に抜けている。
 手近なところのランプから首都高に乗ると、思いのほか空いていて、浜崎橋のJCTから海が見えた。
 
 
 
■ 今から10数年前、私は「夜の魚」という小説を書いた。
 そこではこんな風に出てくる。
 
「蒼白い塔が左手にみえている。
 近づいてゆくと、夢をみているような錯覚に陥る。夏のタワーだ。
 ちらりと海がみえ、高速一号線に入る。
 鈴が森で事故があった。
 赤い発煙灯が何本も落ちている。白い煙が低く広がっている。
 遠くまで見通せない。
 そう思うと雨に入った」
 
 

「緑色の坂の道」vol.4248

 
     クラブ・サンド。
 
 
 
■ 浜崎橋JCTから右に折れる。
 ギャップがあって、濡れていれば少し尻を振る。
 そこから左に加速するとレインボー・ブリッジの方角で、時代だったとはいえもう少し恥ずかしくない名前を付けて欲しかった。
 
 
 
■ ギアをひとつ落とし踏んでいく。
 速い大型トラックがいて、三桁をプラス10程度で走っている。
 ここは時々覆面のPCがいるので周囲を確認しながら広いところで抜いた。
 いつまでこんなことをやってるんだ。
 と、片隅に浮かぶ。
 
 

2009年01月28日

「緑色の坂の道」vol.4249     - 月光 -

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「緑色の坂の道」vol.4250     - 月光 -

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2009年02月03日

「緑色の坂の道」vol.4251

 
     牛のキンタマ丸焼ケダ。
 
 
 
■ 緑坂の番号をつけまちがえていて、先ほど直した。
 忙しかったので、スタッフに更新を頼んでいたのである。
 しかし、私もよくやることで、スペルのミスなどはしょっちゅうである。
 
 
 
■ ま、それはそれとして。
 書棚の辺りを探っていたら、新潮文庫が一冊落ちてきた。
 伊藤信吉さんの編集になる「現代名詩選」である。
 なすすべもなく企画などにつまり、壊れかけたソファに転がっていた夜更け、それをぱらぱらと眺めた。
 中に会田綱雄さんの作品があり、この年齢になると直裁に染みる。
 
「いまでもわたしは毎朝
淡路町のフォームを幽霊のように通り抜けて
 いく
銭がないこと
天女からわたしが盗みとった羽衣のこと
木曾の蓮華の花やわらびのこと
ひらめていてはきえていく脳天に
うすい毛をはやして
家事ハドコダ
牛込ダ
牛のキンタマ丸焼ケダ」(trash より:前掲264頁)
 
 

「緑色の坂の道」vol.4252

 
     丸焼ケに串。
 
 
 
■ こんがりと焼けたものに串を挿し、それを齧ったりして毎日が過ぎていく。
 この辺りの事情を文学的に昇華したものが東海林さだおさんの「まる齧りシリーズ」である。
 あそこに出ているイラストの、歯茎やスダレのような髪の毛というのは身も蓋もないもので、たるんだ首の皺などもリアルに引いてあった。
 
 
 
■ かつて「太陽」という総合誌があった。
 そこに東海林さんが連載をされている。
 まだお若い頃、70年代半ばくらいだったろうか。
 お手前がどうの、と言っているお師匠様の傍に東海林さんがおられ、つまり取材をしているのだが、文章をよく読んでいくとただ畏れ入っているダケではないことが分かる。
 観察しちゃうんですね。
 
 

2009年02月04日

「緑色の坂の道」vol.4253

 
     月光。
 
 
 
■ 先日、ライカを修理に出した。
 視野のフレームの部分が切り替わらず、広角をつけたときにちょっと困るからである。
 修理に出すところはすこし迷ったのだが、いわゆる正規ディーラーにとりあえずはしてみた。この辺りの事情は車の場合と同じである。
 
 
 
■ 学校のすぐ傍に店舗はあって、黒い服を着たマネージャーらしき男性が金色の腕時計などをしている。
 元ジャガーかBMWのセールスをしていたかのような雰囲気である。
 もちろんここは定価販売なので、最新のデジタルは一年落ちの小型車と同じ価格をしていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4254

 
     月光 2.
 
 
 
■ ほぼ一月が経って修理完了との知らせがくる。
 つまり他にカメラを持っていなければその間は撮影できない訳だが、大体ライカというカメラ自体が半ば実用品ではないのだから、それはそれ。
 かつて極めて取り回しのいい道具だった時代もあったが、それも伝説の中のお話になっている。
 
 
 
■ 白衣を着た男性から修理したボディを受け取る。
 夕方だったもので、車を停めるスペースがなく、ハザードをつけて店の前に置いた。
 ちらちら、そちらの方が気になるのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4255

 
     月光 3.
 
 
 
■ レンズのオーバーホールが3万台円から。
 ボディがM6の場合、やや程度の悪い中古が買えるほど。
 この辺りをどう捉えるか、なのだが、大体今の時代に銀塩で撮ろうとすること自体、考えてみれば道楽である。
 あの手間暇と一枚辺りのコスト。
 加えてそれを例えばデジタル化する厄介さなどは、黎明期からこの世界をうろうろしている方には痛いほどお分かりになるだろう。
 
 
 
■ 写真というのは基本的に道具に依拠する芸術である。
 芸術、と私はここで書いたが、そういう側面もあるということで、クレヨンで描いた絵画が場合によっては芸術と呼ばれることもあるように、内容とその受容の仕方で大筋が規定される。
 と、あまりここでこういう話をしても野暮なのでやめにする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4256

 
     月光 4.
 
 
 
■ 私のM6がなぜ壊れたかというと、こころあたりがあった。
 普段使っているカメラバックは、内側が真っ赤な赤線(今は風俗というらしい)の待合室みたいなそれだが、とりあえず銀座で買った。
 後からみてみると新宿にも売っていて、それはそのとおりである。
 
 
 
■ 普段そこに無造作にデジタル一眼を入れている。
 その横のレンズを格納する辺りに時々M6を入れ、撮る機会を待っているのだが、24枚撮りのモノクロフィルムが半年経ってもなくならない。
 どういうことか、と言えば、それだけの対象に巡り会わないことと、そうしたところに出向かない私が悪い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4257

 
     月光 5.
 
 
 
■ あるとき、カメラバックを後部座席に放り込んでおいた。
 ブレーキをかける。
 ATE社のブレーキは結構利く。
 グニュ、という按配で同時にシートベルトがロックされる。
 ゴロンと転がり落ちたのがM6だったのだ。
 
 
 
■ なんだか調べてみると、シートにおいたライカが落ちて壊れたと泣かれている方は結構いるようで、ご同輩、ワカリマスというところである。
 これでボトル一本分なのだから、二日くらい欝になった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4258

 
     月光 6.
 
 
 
■ 三日目にたちあがり、修理を決意する。
 チャンドラーならこうした時、気の利いたことをマーロウに言わせるのだろう。
 今更ハードボイルドでもないので、あらゆる理屈をつけ洗面台の自らの姿に言い聞かせていた。
 歯を磨く。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4259

 
     月光 7.
 
 
 
■ 事務所でわかいものに訪かれる。
 何故ライカなんですか。
 んー、いい質問だ。
 
 
 
■ ここで全然話は飛ぶが、私は東京會舘のケーキが好きである。
 あの辺りで打合せをしなければならない時、その喫茶室を使い、漠然と内堀、外堀通りの辺りを眺めていることが多い。
 これは昔からだった。
 
 
 
■ それでいて、車に戻ると萩原健一さん歌う「大阪で生まれた女」を流していた。
 これで青春も終わりかと呟いて、というフレーズに薄く泣くわけである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4260

 
     月光 8.
 
 
 
■ おそらく、ではあるけれども。
 これから先、私はライカのカメラを使っていくだろう。
 多分、使い倒すところまでいくのかも知れない。
 レンズは多分二本か三本。
 露出計、別になくてもいいんじゃないかというような気もする。
 
 

2009年02月09日

「緑色の坂の道」vol.4261

 
     月の光に。
 
 
 
■ 与太はこの辺りにして。
「緑色の坂の道」では新しいシリーズを作ることにした。
 -月光- Monochrome-Flash である。
 
 
 
■ 画像をクリックすれば大体のことは分かると思う。
 Flashを使った表現。かなりの高解像度で見せている。
 暫定で一定の大きさで別ウィンドウが開くようになっている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4262

 
     夜間戦闘機、月光。
 
 
 
■ 緑坂に何度か書いているが、私は「丸」という雑誌が好きである。
 古本屋でみつけては適当に買い、大体隅から隅まで読んで役目を終える。
 ヤクト・パンツァーの前部装甲が何ミリであっても、いまの仕事や生活に一切関わりはないのだが、成程と思って漠然と眺めている。
 奇妙な精神論と、持たざるが故の寂しさと。へにこそしなめ。
 
 
 
■ 巻末にある当時の体験記が面白い。
「麦と兵隊」や大岡さんの「野火」とはまた違う角度、半ば民俗学的見地からの実態と、それを現在語れるだけの距離、いささかの余裕とが毎号繰り返されていた。
 つまり死んだ者は語れないのである。
 
 
 
■ 本土防衛が絶望的になりかかる頃合、斜め銃を装備した夜間戦闘機が配備される。
 双発の中島製エンジンを積んだ「月光」である。
 B29が巡回する高度一万メートルまで昇れる戦闘機は皆無だった。
 
 

2009年02月12日

「緑色の坂の道」vol.4263

 
     はやい桜と。
 
 
 
■ あるとき、都心にあるホテルへ出かける。
 ひとりである。
 坂道を昇ってしばらくいくと、警邏の警官が立っていた。
 
 
 
■ ロビーに薄桃色の桜がある。
 しばらくぼんやりしながらそれを眺めている。
 大振りだが派手ということもなく、そこに野がある気配がする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4264

 
     はやい桜と 2.
 
 
 
■ 私はブルゾンで、片手だけ腕まくりしていた。
 単なる癖で、外は結構寒い。
 上へあがり、AVOの短いのとマンハッタンを嘗める。
 いやなことたくさんあるけどさ、ま、こんなものだろう。
 ちらりと見ただけのもの。
 
 

2009年03月11日

「緑色の坂の道」vol.4265

 
     風売り。
 
 
 
■ しばらく旅に出ていて、こちらの方を留守にしていた。
 旅というのは北だったり南だったりするわけだが、そこにいくつもの話があって、それを全部書き記そうとするのは野暮である。
 濾過されるの待とうとして、軒下に誰のものか、風車がある。
 
 

2009年03月16日

「緑色の坂の道」vol.4266

 
     オーキイ、アナポーコ。
 
 
 
■ ぼろぼろに仕事が詰まっているのだが、何もやる気がせず、漠然と古い映画などを眺めていた。
「七変化狸御殿」(1954年松竹:監督/大曽根辰夫)である。
 美空ひばり主演。
 粗筋その他については、ここで書かなくてもいいだろうと割愛する。
 どうってことない正月映画なのだが、15分くらいすると中座できなくなった。
 
 
 
■ ナカサキプギョー、ハラキリサムラーイ。
 コノオンナノコ、ローヤニイレナサーイ(註:ひばりのこと)。
 バンジュンこと伴淳三郎が映画の中で口にする台詞である。
 ガリガリ博士みたいな役柄であった。
 こちら、オーキイ、アナポーコ。
 あちら、チーチャイ、アナポーコ。
 
 
 
■ そういうところばかりを覚えていて、これでいいのかという気もするのだが、ま、春である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4267

 
     ノーテン、ファイラー。
 
 
 
■ アイヤー、脳袋壊了。
 というのが正式らしいのだが、この当時の流行語のひとつらしい。
 先の「七変化狸御殿」は昭和29年。終戦後9年目の作品である。
 ちなみに今から9年前というと、あらまドウシタラヨカロという按配で、たったそれだけしか経っていない。
 劇中、農地解放みたいな台詞も飛び出したりして、世相であった。
 
 
 
■ 若いフランキー堺さんが、狸の役をしてドラムを叩く。
 その隣で、美空ひばりがすさまじく太い二の腕で、背中に蝶の羽をつけてJAZZを歌う。
 楽しいクリスマスという代わりに、楽しいお正月、なところがわが国である。
 歌はとんでもなく旨い。
 向こうだったら、エラ・フイッツジェラルドの若い頃、と言っても通ったかもしれない。
 この時ひばりはいくつだったか。思春期半ばというところ。
 正面から撮っていると、やはり狸にも似ている訳である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4268

 
     水の入らねえそのうちに。
 
 
 
■ 広沢虎造が、森の石松の幽霊の役で出てきたりした。
 浪花節、そのさわりを聴かせるのだが、いかにも正月映画らしい観客サービスである。 ひばりが七変化で渡世人の格好をする。
 仁義を切って話が済んだところで、それじゃぁ水の入らねえそのうちに、と口上述べる場面もあって、ひばりこの時15歳。
 結局は芸事の世界だったのだ。
 
 

2009年03月18日

「緑色の坂の道」vol.4269

 
     春の領分。
 
 
 
■ 街がそわそわと落ち着かない。
 風だからである。
 たらの芽を買って帰る。
 
 

2009年03月24日

「緑色の坂の道」vol.4270

 
     春の領分 2.
 
 
 
■ 仕事のできない男たち。
 という緑坂を書いて、没にした。
 男だけではないからである。
 
 
 
■ しばらくたつと、雪のように花が降る。
 枝先に、緑が膨らんできている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4271

 
     ゆっくりした夜の道。
 
 
 
■ 東から風が吹いて、一晩荒れた。
 枕をかかえ腹ばいになっている。
 
 

2009年03月25日

「緑色の坂の道」vol.4272

 
     犬の目。
 
 
 
■ 時々ではあるが、小津安二郎監督の映画をみかえす。
 粗筋ではなく、その場面をである。
 早送りをしながら目に付いたところを静止させ、その構図などを眺めていた。
 
 
 
■ 小津監督再認識のきっかけになったとされるドナルド・リチー著「小津安二郎の美学」(山本喜久男訳:フィルムアート社刊)が今手元にある。
 中に、カメラマンの宮川一夫が、山中貞夫もロー・アングルを多用し、それを「犬の見た目」と評したと書かれていた。
 身も蓋もない言い方であるが、子供の視線などと呼ぶよりは好みである。
 浮世絵、特に人物を描いたそれなどにしても、比較的低い位置からその構図を決めていることが多く、一瞬止まっているかのようにも見える。
 
 
 
■ 今奥付を捲っていたら、前掲書の発行は1978年とあった。
 独特の色調の装丁は栗津潔さんである。
 当事、DVDなどはまだなく、挿入されているシークエンスなどは相当苦労したようにもおもえた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4273

 
     犬の目 2.
 
 
 
■ 省くことというのは、ある種の美学だという。
 茶とか花、桂など数奇屋の世界にも通じるところがあって、例えば「天地人」という言葉は元々華道の世界からきていると聞いた。
 それがどういう意味であるかは割愛する。
 面白いのは、それを発見するのが外部の人間、この場合はオハイオ生まれで永く日本に住んで映画評を書いていたリチー氏だったというところである。
 一般に外人向け日本美の紹介というと、ある種独特の癖のようなものがあることが多いのだが、不思議なことにこの本にはその印象は薄かった。
 こう括っていいかは不明なのだが。
 
 
 
■ 私は難解な映画評というのは苦手である。
 今まで最後まで読み通したものは、色川武大さんと田中小実昌さんのものくらいだったろうか。何故かといえば、博打の負け方と弁当の喰い方が好きだからだった。
 
 

2009年03月27日

「緑色の坂の道」vol.4274

 
     犬の目 3.
 
 
 
■ 酒場でホステスが犬の話をしていた。
 生まれつき少し障害のある犬で、それを飼っている。
 隣にいた友人がとりあえず医師なので、話半分に聞いている。
 そういえば君、生理重いだろうと尋ねると、どうしてわかるの、動けなくなるくらいと答える。薬の名前も。
 そのとき犬は、部屋の隅からみあげている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4275

 
     犬の目 4.
 
 
 
■ で、犬の話からどうにかするかといえばそういうことはない。
 ここ数年、億劫なのである。
 出された酒を静かに飲み、並んだゴージャスな乾きものを少しつまみ、そのうちのいくつかをポケットに入れ、黙って金を払って戻る。
 そうか、障害があると安いのか。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4276

 
     犬の目 5.
 
 
 
■ 彼女は資格を取ろうとしている。
 その相談を友人にしている。
 医療や介護や、それから写真に興味があって、私の知らない外国の写真家の名前をいくつか挙げた。
 惚れた男と半年住んで、それから別れ、週に何度かはヘルプで入る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4277

 
     犬の目 6.
 
 
 
■ かつて吉行さんに「ホステスを別の世界の人間だと思わないこと」という名言があった。酒場でモテルにはドウシタラヨカローという切実な問いに対してである。

 
 
 
■ 吉行さんのそれは、トーマス・マン以来の古典的芸術論、いわゆる市民社会が確固として存在する世界の中での表現者の立場である。
 分かりやすく言えば、なにがしかの欠落を自覚せざるを得なかった人間が、いたしかたなく表現の立場に追い込まれてくるという構造である。
 つまりは不良であると。
 あるいは多感すぎてもいけない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4278

 
     犬の目 7.
 
 
 
■ 写真家などというものは、基本的に犬の目なのである。
 これを綺麗に写そうとだけ思うと、いつか下卑てくる。
 綺麗に、というところを別の言葉に置き換えても同じである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4279

 
     味について。
 
 
 
■ このところ、小型車ばかりに乗っていた。
 そういう仕事とまた日常だったからである。
 小型車それ一台ということになれば、例えばランチア・イプシロンの適宜やれた奴などがいいのだろうが、シートの手入れがどうにもならない。
 まあ、滅びていく風情を楽しむという境地に達すればいいのかも知れないが。
 とりあえず色気のようなものは水のように残る。
 
 
 
■ 久しぶりにエンジンをかけ、暖気する。
 3秒ほど手前、ガスを送ってからである。
 煩いな、という音がして目覚めるのだが、こうした場面の書き方は、大藪晴彦さんが一番旨かったような記憶がある。半ば愚直と言ってもいい。
 その後80年代に入ると車や単車は文化的様相を呈し、ポストモダンの波の中に相対化されていったのだが、その流れは実をいうと今でもある。
 
 
 
■ 桑原坂を下り、近くのスタンドで洗車をした。
 ここはガソリンの質がそう悪くない。
 線路の向こう側で、例えば数円安い看板にひかれ入れてみると、リッター4しか走っていないことがあって、貧乏性は損をする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4280

 
     味について 2.
 
 
 
■ フロントの空気圧を足してもらう。
 まだ冷えているから、規定プラスにはしなかった。
 オイルの量はMaxよりやや下である。
 
 
 
■ 低いギアで暫く走った。デフが暖まった頃合、高速に乗る。
 別にどうということもないのだが、軽く流していく。
 少し雑味が混じっているような気もするのだが、まだ2000キロ走ったかという程なので、多分こちらの馴染みなのだろう。後で0.1リッター程、オイルを足すことにする。
 速いトヨタに先を譲り、オービスのないところでシフトダウンしてみた。
 
 

2009年03月31日

「緑色の坂の道」vol.4281

 
     桜とるひと。
 
 
 
■ この季節、曖昧なもので、体調ものぼりおりする。
 今年は桜も遅いようだが、せんだって英国大使館の辺りで渋滞になった。
 三脚を立て、花弁に近づいている人がいた。
 マクロなのだろうか、誰しもが撮ろうと試みる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4282

 
     花曇。
 
 
 
■ 空が曇っていると、花の色はそこに透けてしまう。
 薄い桃色と灰の区別をつけねばならない、ということもないので、そのまま見上げる。
 こうした風土の条件というのは、自分にはどうにもならないもので、またどうにかしなくてもいいんじゃないかというような気になって長い。
 
 
 
■「ワイルダーならどうする?」という映画の本を眺めていた。
 キャメロン・クロウという映画監督が、91歳のビリー・ワイルダーに長いインタビューをしたものである(キネマ旬報社刊:宮本高晴訳:2001年)。
 装丁は和田誠さん。ワイルダーといえばこの方しかいない。
 50年代のハリウッド全盛期、モンローやゲーブル、ジャック・レモンなどのエピソードが語られていた。
「アパートの鍵貸します」「麗しのサブリナ」「七年目の浮気」に「昼下がりの情事」と並べていくと、なんといったらいいのか、ちょっと胸が一杯になる。
 
 
 
■ 壊れかけたソファの上でそれを捲っていると、不思議なことに次第に機嫌が悪くなる。
 廻りに当たったりして、大人気ないのは何時ものことだが、それが何処からきているのかが不思議だった。
 

「緑色の坂の道」vol.4283

 
     阿呆面のお前たちとどこかでばったり出会っても
     そしらぬ顔でいような。
 
 
 
■ ワイルダーは、ユダヤ系であった。
 ポーランドに生まれている。
 緑坂を読まれている方には、半分はそれで通じるところがあると思ってもいるのだが、アンジェイェフスキの小説「灰とダイアモンド」の舞台もまたポーランドであった。
 ワイダ監督の元、映画化されている。
 私が不機嫌になっていったことが、そのことと関係があるのかどうか。
 そんなことは知らないが、ヘップバーンにしてもディートリッヒにしても、少し辿っていけばどうしたってあの時の戦争、ナチとの関わりが水面下に沈んでいるかのようである。
 ハリウッドに関わらず、映画という存在そのものがそうしたものではあるのだけれども。
 
 
 
■ ワイルダーの皮肉やウィットは、非常に洗練されていた。
 いくつかの作品でケイリー・グラントを使いたかったと、その感じはよく分かる。
「サブリナ」ではグラントの代役がボガートで、そのためボガートは最後までワイルダーとぶつかったというエピソードは有名である。「昼下がりの情事」でもグラントの代わりにクーパーが演じた。
 が、今いくつかの作品を思い出してみると、ここでグラントが演じていたら半ば出来すぎになってしまうところだったような気がしないでもない。
 チャンドラーも、フィリップ・マーロウを演じるのはグラントがいいと言っていたらしいが、その辺りもワイルダーと一脈通じる感じがある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4284

 
     阿呆面のお前たちとどこかでばったり出会っても
     そしらぬ顔でいような 2.
 
 
 
■ ワイルダーに子供はいなかった。
 いたのであるが、遠く離れたところにいた。
 そのことが作品に微妙に影響しているという指摘もある。
 都会の独身者の御伽噺。
 例えば「アパートの鍵貸します」という作品は「他人の情事のぬくもりが残るベットに一人もぐる男の物語」である。
 この辺り、具体的に想像していただくと結構神経に堪えるところがある。
 リンダ・ローリングが去った後、枕に残った長い髪の毛を一本を拾い上げて名台詞を呟くマーロウ、なんていうロマンチックなものではない。
 
 
 
■ ジャック・レモン演じる主人公はその間、バーでマティニを飲む。
 時間の推移が、オリーブを挿してある爪楊枝が並んでいくことで表現される。
 飲まずにいられるかという按配で、ほぼジンそのもの。ノエリー・プラットが数滴。
 後にウォッカを使うようになったと、ワイルダーの二度目の配偶者、オードリーは言っていた。
 
 

2009年04月01日

「緑色の坂の道」vol.4285

 
     阿呆面のお前たちとどこかでばったり出会っても
     そしらぬ顔でいような 3.
 
 
 
■ 粋とか野暮という概念は、都市化の流れからである。
 誰もいない山里で青いシャツを着ていれば、エノケンの歌そのものになる。
 俺は村中で一番モボだと言わた男で、親父は村長でエライと。
 
 
 
■ 前に緑坂「甘く苦い島」でオードリー・ヘップバーンのことを書いたことがあった。
 映画、「ティファニーで朝食を」の中にNYのバス・ストップで、昔の旦那とあれこれする場面があり、垢抜けたオードリーに比べ最初の旦那はいかにも野暮ったく描写されていた。
 実はこれもかなり苦い場面なのであって、似たようなシーンはモンローの映画にも繰り返し使われている。アメリカの長距離バスに私は乗ったことがないが、ある種文化と階層の交差点になっているという声もあって、それはその通りなのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4286

 
     阿呆面のお前たちとどこかでばったり出会っても
     そしらぬ顔でいような 4.
 
 
 
■ この緑坂の題名は、ウィリアム・ホールデンの台詞である。
「第17捕虜収容所」あたりから。
 収容所ものの映画というのは男たちに人気がある。
 抑圧と抵抗、諧謔とユーモアが集約されたかたちで顕れるからかも知れない。負けたことのない男などいないからだ。
 
 
 
■ ビリー・ワイルダーの風貌は、全盛期の山口瞳さんによく似ていた。
 眼鏡と輪郭がそうだ。若い頃、不安定で少しばかり無頼の世界に片足を突っ込んでいたところもそうである。「サンセット大通り」の試写会で、社の役員に、べらんめえと啖呵を切る辺りも、山口さんが時の首相に「男性自身」の中で噛み付いたことを思い出させる(「卑怯者の弁」)。
 ただワイルダーは社交の術に長けていた。自分の価値を知っていて、それを映画とはまた別の世界でも密かにしかも十分に活かした。
 ハリウッドという実態のありそうでない世界で生き延びていくには、つかず離れずの間合いと冷酷さ、それを包むジョークやウィットが必要だった、と言いかえることもできようか。
 
 
 
■ どうも。この辺りの屈折と厄介さが、私を不機嫌にさせているのではないかと思われた。水面下にあるだろうものである。
 ワイルダーは、常に「ワイルダーならどうする?」と問いかけられていたような気がしている。他人にも、自分にもである。
 
 

2009年04月02日

「緑色の坂の道」vol.4287

 
     オール・ザ・シングス・ユゥ・アー。
 
 
 
■ 雨である。
 久しぶりに一杯を嘗め、雨の庭を眺めている。
 チェイサーは中国の茶で、それでもいいのかと思われた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4288

 
     オール・ザ・シングス・ユゥ・アー 2.
 
 
 
■ 雨の中、車を走らせるのは嫌いじゃない。
 嫌いなのは、手に蝙蝠傘を持つことで、少しくらいの雨ならと粋がってその後で風邪をひく。
 生理痛の薬くれ、と時の妙齢にねだっていたものだった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4289

 
     タイプEは雨に汚れる。
 
 
 
■ 先日、壊れかけたソファに寝転んで古いCGの別冊を眺めていた。
 XJ40辺りまでのジャガーの特集である。
 これはこの世界の古典か教科書みたいなもので、若かりし頃の小林エディターが村山のテストコースでタイプEを駆る。
 600メートルしかない直線で105mhp.168kmを出していたのが1962。
 1962年と言えば、東京タワーが建って4年しか経っていない。
 
 
 
■ タイプEの話をすると長くなる。
「夜の魚 外灘」で12発のそれが出てきて、出来たばかりの上海の高速をフェラリと競う場面がある。ま、御伽噺なのだが、それを書いていた10数年前から個人的にはセツボーしていたというところなのだろう。
 この場合はカタカナなのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4290

 
     タイプEは雨に汚れる 2.
 
 
 
■ 若い頃、川口の辺りで赤いEタイプをみかけたことがある。
 近場に住む、今の私くらいの年齢の方が乗られていた。
 建築か工場か、そういった会社のオーナーだと聞いた覚えがあった。
 単に私は若造で、その時の値段だけに驚いてもいた。
 知人のフィアット乗り、X1-9をシャコタンにしていた彼に子供ができたというので、なんとなく集まったのである。
 
 
 
■ それから暫く経って、大崎の辺りでレストア中のそれを見せてもらったことがある。 ベージュというか初期型の6発。ジャガーのフレームというものに私は初めて見て触ったことになる。
 入り口にモーガンのスリー・ホイラーと、ボルボのグラス・ハッチの奴が並んでいた。スポーツ・ワゴンと称するそれである。前後屈伸運動を強いられるシフトさえ我慢すれば、実を言えば今でも欲しい。
 
 
 
■ 入り組んだ路地の奥のガレージで、その先輩筋の方はこう言った。
 水道と電気代が高いんだ。
 娘がいるんだが、ここ5年会わせてくれない。
 
 

2009年04月03日

「緑色の坂の道」vol.4291

     花狐。
 
 
 
■ 満開の下で化粧を直している。
 すこし曇ってきた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4292

 
     東京の桜。
 
 
 
■ 先日、北へ出向いた。
 橋を渡る手前、境目のあたりである。
 右へ左へとそれると上に高架がある細い道がある。金網が貼ってあって、その中に一本の桜の木が咲いていた。モルタルなのか、灰色の建物の前で、そこだけが薄明るい。
 子供が飛び出してきたり、青シートを抱えた家のない男たちがのろのろと歩いている。 学校がありスーパーがあり、商店街が短く続いて、それから線路があった。
 
 
 
■ 東京の桜といえば上野だという。
 もともと吉野あたりから植樹されたものが広まったということだが、満開の頃、出向いたことはない。
 広重に「上野清水堂忍ノ池」という作品があるが、どちらかと言えば凡庸な構図で広重らしさはあまり感じられなかった。それよりも「王子音無川」に配された青がよく見えてくるのだから不思議である。青と緑と花色の対比、と言えばいいか。
 広重には夜が似合う。あるいは雨や雪である。
 
 
 
■ あるとき花というのは俗っぽさの象徴である。
 俗を拒絶しようと思ってもできないのが生身の人間なので、例えば西行の歌などには案外に生臭いところが残る。
 だからどうした、ということはないが、線路沿いの団子屋によるべきかを考えていたら、携帯に催促が入った。
 
 

2009年04月06日

「緑色の坂の道」vol.4293

 
     ペッパー・リターンズ。
 
 
 
■ 戻ってから仕事をし、ライトアップされた花を眺めていた。
 色男のアート・ペッパーが復帰した後の奴を聴きかえす。
 適宜に枯れていていいのかも知れない。ボリュームを絞る。
 
 
 
■ ペッパーは麻薬に溺れた。
 当事のJAZZメンはおおかたそうである。
 が、先のワイルダーの本などでも、れっきとした医師が注射針の先にコカインの粉を溶かしたものをつけ、ハリウッドのスターに処方していたというのだから仕方がない。
 ケイリー・グラントがLSD中毒だったこと。モンローの死因が麻薬の過剰摂取によるものだと言われていること。
 知らなくてもいいようなことを知って、また見返したりする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4294

 
     花の影。
 
 
 
■ 花もそうなのだが、日ごとに緑の量がふえていく。
 北の方では、一気にという按配らしい。
 どなたかの本で、ただ蝦夷と呼ばれた国では庭先に桜の樹を植えることは忌み嫌われたという話を読んだことがある。桜を植えると家が滅びると。
 これは縄文と弥生文化の相克というところからきているらしいが、確かなことはわからない。桜は西の花だ。南でもない。
 
 
 
■ 私個人は、満開の桜というのがどうも苦手だった。
 そのくせ、緑坂の確かvol.1だったかに桜のことを書いているのだから不思議なもので、うんざりしながら春なのである。
 
 

2009年04月07日

「緑色の坂の道」vol.4295

     うたかた。
 
 
 
■ 詰めた仕事をしていて、背中が痛む。
 ちょっとばかり適した椅子は使っているつもりなのだが、長い時間であるとどうしても猫背になってしまう。
 先日、車のフロアマットを交換した。
 定番の麻の奴にしようかと迷ったのだが、いわゆる純正のものにする。
 ロゴが入っていて恥ずかしい。
 しかし、入っていなければ何処のものだかは分からない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4296

 
     PATRICIA.
 
 
 
■ 私は車に関しては、あまり浮気しないタイプである。
 というよりも、2年や3年ではよく分からないというのが本当のところで、しぶといというか結局はマニアの入り口辺りをうろうろしている、というところなのだろう。
 昔、ゼンギなどはしない、とうそぶいていたことがあったが、車の暖気はしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4297

 
     ランチアの彼。
 
 
 
■ これでいいや、というところと変に凝るところと。
 何時だったか、バッテリーからのマイナスの端子を新品に換えてみる。
 部品は芝浦から取った。在庫がなくて、取り寄せになる。
 確かとんかつの並くらい。
 
 
 
■ そのままトランクに入れて数ヶ月経つ。
 西の方に打ち合わせに出かけ、思い出し、いきつけの電装屋に寄る。
 自分でもできないことはないのだが、バッテリーのバックアップ電源がなかったのだ。 時間は5分。工賃うなぎの蒲焼。国産である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4298

 
     モンテカルロの靴下。
 
 
 
■ そういう話をしているのではなかった。
 ランチアにモンテカルロという2シーターのクーペがある。
 私はそれが好きで時々捜すのだが、ほとんど出廻っていない。
 排気量は2000.カタログでは190とあるが、イタリア式なので実際は160とかその程度だろうか。
 全長はかなり短く、X1-9よりも寸足らずである。
 当事のランチアの常で錆に極めて弱く、雨の後は1500ワットのドライヤーをかけねばならない。
 
 
 
■ 何時だったか、葉山の方角に車を走らせていた。
 ちらりと見えたのが銀色のモンテカルロで、フロントグリル周辺の黒い帯で分かった。 絶妙の面積である。
 一体にイタリアのその手の車というのは、フロントグリルが妙に端正で、例えばマセラティの角ばったそれなどもフロントとリアの造形で決まる。他は外しているのにである。
 銀のモンテカルロは時々朱色に見えた。
 スロープを登り、黒い林の方に消えていく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4299

 
     モンテカルロの靴下 2.
 
 
 
■ モンテはマニュアルである。
 例えばこいつを、妙齢中程や本格派が簡単に転がしていたら出来過ぎである。
 エキパイの辺りが錆びていて、それを気にしない。
 これがストッキングだとそうもいかないわけだった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4300

 
     モンテカルロの靴下 3.
 
 
 
■ 元はフィアットであるから、ざわついた音である。
 その分タフで、この感じは117クーペやその後継の奴にも似ている。
 ターボのついた後期を横羽で流したことがあったが、180で尻が跳ねた。
 峠ならどうだったのか。ステアリングはそれ程クイックでなかった覚えもあって、ずるずるいけば私ではまにあわない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4301

 
     色気について。
 
 
 
■ あるとき妙齢と無駄話をしていた。
 所用あって会っていたのだが、そこから流れ、どうでもいいことを話す。
 ところで、立ち入って悪いのだけれども君はどの辺りに住んでいるの。
 辺り、というところに気づいてくれるひとは稀である。
 
 

2009年04月08日

「緑色の坂の道」vol.4302

 
     Danny Boy.
 
 
 
■ 誰の演奏か古いアイルランド民謡が流れる。
 それを聴きながら、霞町の交差点は混んでいた。
 両列にタクシーの群れが並び車線はふさがっている。
 ここで待っていても仕方ないことは知っていて、行くところがないのだろう。
 
 
 
■ 軽に煽られる。
 こんな時間まで仕事だと苛だった運転である。
 その気持は分かる。
 先にいかせ、墓地の坂道へと曲がった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4303

 
     Danny Boy 2.
 
 
 
■ 桜という花には、どこか禍々しいところがある。
 買ったばかりの煙草の銀紙を小指の爪で開け、ぼんやりしていた。
 足許には踏まれた花弁が散っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4304

 
     Danny Boy 3.
 
 
 
■ 少女がひとり、手をかざしている。
 落ちてくる花弁を手にしようとしている。
 春信の絵柄に似たまだ細い手足である。
 その隣を、杖をついた老婆が歩き、黒い樹の角を曲がって消える。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4305

 
     水辺夜桜単衣。
 
 
 
■ 清少納言は、絵にかき劣りするもののひとつに桜をあげている。
 これは全くその通りだと思う。
 桜の写実絵、または写真というのはかなり難しい。
 定番の銘木と言われるものの前に並んでも、いつか誰かが撮ったようなものになって、その先に落ちていかないことが多いような気がしている。
 桜の花弁ひとつひとつは小さく可憐である。それが無数に群生して全体としての豪奢に繋がっている。それを視覚的にどう表現するかと言えば、幾重にもフィルターをかけ別のものに昇華してしまう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4306

 
     水辺夜桜単衣 2.
 
 
 
■ 淡い墨色の地に、霞に桜。
 桜と波と白鷺。金の糸による弦月。
 全体を眺めていくと夜桜だと分かる。
 江戸時代、御所関係の夏衣だという。
 つまり後の月という。
 
 

2009年04月09日

「緑色の坂の道」vol.4307

 
     うたかた 2.
 
 
 
■ 美意識というのは場合によっては半ば病んでいるようなところもあって、戻ってくるのに難儀する。
 若い頃、英泉の浮世絵が気になって、その仔細な睫の描写や紫を加えた紅の辺りに惹かれた。いわゆる退廃美である。
 いい歳になってくると、英泉もやっぱりお坊ちゃんだったのだろうかという感想が混じってくる。退廃は少し脇に置いてという按配である。
 退廃的ということと本物の退廃とは別のものだからだ。
 なんにせよ、表現するには一度こちらの世界に戻ってこなければならない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4308

 
     うたかた 3.
 
 
 
■ 旅から戻った頃だろうか、私は車のブレーキ・パッドを換えた。
 小型車ではない方の奴である。
 フェロードにDS2500という定番のセミ・レーシングパットがあってよく効くのだが、暫く乗っているとホイルが真っ黒になる。迷った末、別の製品にした。歳だし、そう飛ばさないし、と言うと店の担当者から虚しい笑いが帰ってきた。
 ローターの交換はしなくて済んだ。ローターはちょっといい値段なのである。外してみると綺麗に減っていて、研磨の必要もなかったようだ。
 
 
 
■ 一昔前は、パッドの焼き入れというのをしたものだが、最近はそういうこともなく、当りがつくまでSRのドラムブレーキに乗っているつもりでいればいいという。
 CB750 Four のディスクみたいなものか。K0高い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4309

 
     うたかた 4.
 
 
 
■ その話がなぜ「うたかた」かというと、愛はいつもつかのま。
 車もカメラも、別になんでもいいじゃないかと思う。
 3000回転を超えてからの加速が、開放でのボケ方が、と細かく述べる男に限っていざとなると下手だったりするらしいが、その感じは分からないでもない。
 何時だったか、そろそろ中ほどになろうかという狸みたいな目張りをした妙齢と話した。
 男なんてみな同じよ。
 それはそうだけどなあ。
 通い同棲をしていた彼と別れて半年になる頃だった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4310

 
     霞かな。
 
 
 
■ 菜の花畑に入日薄れ
 で始まる歌がある。作詞は高野辰之。
 誰もが知っているあの唱歌である。
 
 
 
■ 春霞というのは山の輪郭を曖昧にしていた。
 秋口だとこうはならない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4311

 
     夕月。
 
 
 
■ 春の月というのは、だいたいオボロであるという。
 じきに満月なのだが、まだ見上げていない。
 窓を薄く開けておくと、夜になればひやりとする。
 茶碗を取り出して、滅多に飲むことのない日本酒を取り出した。
 そういえば、拾ってきた花があったとおもう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4312

 
     鳥の声。
 
 
 
■ せんだって、雀だろうか、鳥が桜の花弁の中に顔を突っ込んでいるのをみた。
 何をしているのか、訳があるのだろうが、そんなものを眺めている私にはたいした理由もなく、蛍光色のベストを着た区の見回りの方々とすれ違った。
 おかしな人が多いからね。
 うかうかできねえ。
 
 
 
■ 男同士であまり話題にはならないのだが、例えば40を過ぎると妙に鼻毛が伸びてくる。もっと具体的に言えば、耳の辺りにも数本不思議なものが生えてくる。
 この手入れを、紳士の皆さんはどのようにしているのか。
 鰯雲 ひとに告ぐべきことにあらず
 
 

「緑色の坂の道」vol.4313

 
     おぼろ月夜。
 
 
 
■ 深夜、茶碗酒を嘗める。
 拾ってきて数時間経った桜の花弁は、酒に浮かべておくと皺が伸び、色があるかないかに白い。
 私は、そのあたりにある大きめの茶碗を使った。
 萩とか備前という感じでもない。
 これが白磁だと、パジャマの前をはだけていると叱られそうである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4314

 
     西行の皺。
 
 
 
■ 確か国立博物館あたりに収められていると思うのだが、西行が半分口をあけ、満開の桜を眺めている硯箱がある。
 いわゆる花見西行である。
 江戸時代のものか、仔細な細工が施されていて見事なものだが、この時の西行は既に老僧姿であった。
 
 
 
■ 酒を飲んだのかどうか。
 普段何を食べていたのか。
 金玉の裏側には白髪があったのかまだ恋をしていたのかなど、考えていけば謎は深まる。
 
 

2009年04月10日

「緑色の坂の道」vol.4315

 
     日の移ろい。
 
 
 
■ 島尾敏雄さんの日記文学の傑作である。
 緑坂には何度も書いた。今、結構な厚みのあるその本がどの辺りにあったかと書棚を眺めたが、眺めただけである。
 このタイトルも非常に優れたものだ。
 例えばこの季節、何度か口にしてみるとゆっくり滲んでくるものがある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4316

 
     日の移ろい 2.
 
 
 
■ 春というのは薄い気鬱を含んでいるものだ。
 若いときは若いなりに。40手前は少し気負って。
 どうにかやり過ごしてここまで来ている、としよう。
 よく生き延びられたものだ、と思う瞬間が何度もあって、これを対外的にはハクヒョーを踏む思いとかいう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4317

 
     残花。
 
 
 
■ 洗面台で白髪を一本みつけた。
 前の方である。なんのせいか、私は白髪が少なく量自体も全盛期からそれ程変わっていない。全盛期ってのが厄介だが。
 毛抜きというものがあったので、それを使って抜いてみる。
 酒のせいか、顔がかさかさしている。何塗ればいいんだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4318

 
     残花三昧。
 
 
 
■ なんにでも三昧や物語をつけるのが流行ったことがある。
 しばらくすると「私のなんとか物語」である。
 私の不倫物語。または、私の育児物語。主人公は同一である。
 また明日もこの時間にね、と廻りに聞こえる声で美術館の庭辺りで遊ばせている。
 ここは有料であるが、お菓子などは持ち込みである。
 私は性格が悪いので、ライカを見せびらかした。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4319

 
     道に敷く花吹雪とはなりにけり。
 
 
 
■ 緑坂の短いものは、2-3分で書いている。
 数打てばいいってことですか。
 いやそうでもなくて、一応は印刷などもして後で直したりもする。没にするのもいくつかあって、そうなると番号がとっちらかる。
 掲載は、私がやることもあればスタッフに頼むこともあった。
 いい迷惑かも知れない。
 
 

2009年04月15日

「緑色の坂の道」vol.4320

 
     女人返し。
 
 
 
■ いろは坂の辺りで夕方になった。
 馬返しと書かれた立て札があり、昔はここから先には牛馬と女人は登れなかったのだという。
 すこしひやりとする。
 山肌が殺伐としていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4321

 
     女人返し 2.
 
 
 
■ 北へ向かう山はどことなく黒い。
 空も、時々置かれている薄桃色の山桜も、ここは違う国だったのだよと言っているかのようである。
 神様が違う。
 春の匂いもそうである。
 
 

2009年04月16日

「緑色の坂の道」vol.4322

 
     女人返し 3.
 
 
 
■ 春先の獏とした風景にはライカのレンズは合わない。
 印刷ならそれも出るのだが、ほぼ液晶で眺めているWebの世界では尚である。
 イエローかオレンジ、またはPLを付ければコントラストは上がるものの、暫く眺めていると飽きてくる。
 私は峠の途中で数カット撮った。
 ポジはカメラの出した露出で、もう一枚は僅かにアンダーで。
 デジタル一眼の場合には-2近くまで落としてみる。
 
 

2009年04月20日

「緑色の坂の道」vol.4323

 
     知りもしないで。
 
 
 
■ 壊れかけたソファの上に寝転んでいた。
 空が見えたりもするのだが、別に感慨はない。
 私は〆切に詰まるとここへきて、一行か二行のために不貞腐れる。
 つまんねえな。
「飽きたんだ」
 
 
 
■ この台詞は「赤い波止場」で裕次郎が吐き出すように使った。
 真っ白な背広を着て大股で歩いて、ほとんど銀座四丁目のチンピラなのだが、その舞台は神戸である。
 中華街はまだ南京街と呼ばれていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4324

 
     知りもしないで 2.
 
 
 
■ ローレン・バコールの低音というのは作られたものである。
 ハワード・ホークスにそう言われ、まだ20そこそこだったバコールは裏山で声を潰す練習をした。
 1944年の映画「脱出」でバコールはボガートと共演し恋に落ちたが、どちらが粉をかけたかと言えば、乗ったのはボガートである。
 目線でそれが知れる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4325

 
     用があったら口笛を吹いてよ。
 
 
 
■ ハード・ボイルドを齧った方ならご存知の、いわゆるあの台詞である。
 原作はヘミングウェイ。
 映画はその骨子だけを使ったもので、ホークスの仕事である。
 ハワード・ホークスのカメラの位置は立位置が多く、小津安二郎のように低くはない。またクレーンを使った俯瞰なども滅多に使わなかった。これはと思うところだけ、ロングで撮る。
 粋な照明の使い方もしていて、例えばバコールがくわえる煙草にボガートが火を点ける場面など、愛煙家には困ったものだった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4326

 
     用があったら口笛を吹いてよ 2.
 
 
 
■ それから夜になり、仕事場へ戻って郵便の点検をする。
 スタッフが分けておいてはくれるのだが、中を開け、シュレッダーと未決に閉じる。
 オープナーは誰かに貰ったものだが、電池が切れ、面倒なのでそのままにしてある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4327

 
     用があったら口笛を吹いてよ 3.
 
 
 
■「脱出」当時、ボガートは40代半ば。
「カサブランカ」など、結構な作品に出演していた頃である。
 バコールとの年齢差は一廻り以上。定番といえば定番の、男と女の厄介である。
 ただ、いわゆるハード・ボイルドと呼ばれる小説もその映画も、男だけでは成り立たない世界であって、必ず補助線としての女性、妙齢がいる。
 主人公が困った時に助けてくれるのは大体がワケありの妙齢で、つまり今や先は知らないが、昔一度か二度は寝たことがある間柄、またはその手前である。
 そうでなければオフクロだけだった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4328

 
     用があったら口笛を吹いてよ 4.
 
 
 
■ 胸元にひらひらをつけた女がいる。
 うふふと薄く笑う。
 立派なそれかといえばそうでもなく、ただ胸元が開いている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4329

 
     用があったら口笛を吹いてよ 5.
 
 
 
■ いいファンデだね。どこの。
 と、尋ねる訳にもいかない。
 
 
 
■「脱出」の中のバコールはやや背伸びをしていた。
 照明の関係で獏連にみえる瞬間もあり、実際それはそうだったのかも知れない。
 
 

2009年04月24日

「緑色の坂の道」vol.4330

 
     微妙な按配。
 
 
 
■ 退屈な車の話である。
 先日、芝浦のディーラーでLLCとブレーキフールドの交換をした。
 今乗っている古い方の奴の場合、冷却水は1年に1回が基本である。夏場はかなり熱くなるので、高速を飛ばしてきて駐車場に入れた後などはボンネットを薄く開けておくこともあった。雨の後などは、白いものが立ち上る。屋外だとそうもいかないが、駐めてあるところは部外者は一切入れない仕組みになっているので、1日2日ならそのままでも問題はない。
 夏場、ボンネットを薄く開けているのは私だけではなく、車名は書かないが御同輩というか諸先輩方も近場に複数おられる。アバルトじゃないよ。
 
 
 
■ LLC、クーラントの交換は機械を使って一気にという店もあるが、ホースやサーモに負担がかかる。時間をかけゆっくりと全量交換する方が望ましい。朝入れて夕方できるかというようなところだろう。
 昨年はFUCKSを入れたが今年は純正である。
 面白いなと思うのは、いわゆる量販店とディーラーで工賃が1000円しか違わないということだった。町場のショップと同じか、または安いかも知れない。パーツの持込も可能である。工賃は同一。
 
 
 
■ 今回入れたブレーキフールドはATE社のブルーレーシングというものである。
 ダストが出にくいセミレーシングにパットを換えてから、初期制動がやや甘く、どうしたもんかいなあと遊んでいたら、フールドを換えてみるといいという話があって、それに従った。ブレーキホースは前からステンレスなので、どうにかするとなればそこしかないのである。
 車に乗ってみると、確かにその通りである。敏感でしかもダイレクトな感じ。ローター面の微妙な凹凸まで足の裏に伝わるかのようだった。
 新油効果かも知れないが、前に換えてから一年は経っていない。
 こんなに違うものかな。
 これならブレーキ残したままちょっと傾けるかな、と思ったりもする。
 荷重移動ですね、詳しく言えば。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4331

 
     乗りたい車がない場合。
 
 
 
■ どうでもいいといえばどうでもいいことなのだが、例えばニコンでプロ登録されている方々は、シャッターボタンの感度を改造したりする。風が吹いても落ちるようにしている方もいる。チタンがどうしたというのも同じような理由からである。
 一般に何処に金をかけるかというのは、その男や女のあり方に薄く繋がっていて、世の中というのは面白いなと思うのだった。
 
 
 
■ いつだったか仕事で川口の辺りに出かけ、脇道から濃い色の964が出てきた。
 助手席に派手な外観の妙齢が乗っている。
 運転しているのは、それに相応しい地元の二枚目である。
 ちょっと車高が下がりすぎていて、80キロ以上で動作するというリアのスポイラーがあがっていた。
 964も一時買いやすくなったので、荒れた車が多いという。
 ジャガーXJの308なども手入れされないままだとかなり寂しく、いわゆるVIPカーの仕様になっていたりすると、あちこち光物だらけである。
 それもまあデモクラシーなのだが、窓から煙草もった手をひらひらさせるのは古い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4332

 
     乗りたい車がない場合 2.
 
 
 
■ 考えてみると、クーラントの交換などは以前は自分でやっていた。
 国産も外車もである。
 オイル交換もかつては自分でやったものだが、今は廃油処理の手間からまかせるようになっているだけで、オートバイ、単車に乗っていた奴なら簡単な整備は自分でやるものである。
 歳をとったのか暇がないのか堕落したか、その全てなのだが、それはそれとして、正直なところこの人にならというような職人が少なくなったような気もしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4333

 
     乗りたい車がない場合 3.
 
 
 
■ 芝浦は車好きの半分聖地みたいなところがあって、たまに細かなパーツを買いにいく度、これはと思うような車をみかける。
 300SLの本物とかノーマルの500E。信じられないくらい程度のいい126のロングや280SLなど、せんだっては外ナンバーのAMGのSLがいた。リアの様子をみると7.2リッターのそれかとも思うが、その割りにタイアがダンロップのそうグリップする訳でもない奴だったので不思議だった。
 尻滑らせるのが好きなのかも知れない。
 
 
 
■ 首都高でも第三京浜のS字でもいいのだが、湿った雨の夜などにテールを流しながら外国ナンバーのAMGが斜めになってきたらちょっと怖い。
 治外法権である。
 
 

2009年05月13日

「緑色の坂の道」vol.4335

 
     運河沿いの道で。
 
 
 
■ 羽田から首都高へ抜ける道が好きで、意味なく走ることがある。
 多摩川とモノレールの陸橋にはさまれ、視界が開ける。
 何度ここへ車を停め、カメラを持ち出そうと考えたか分からない。
 残念ながら駐停車は禁止でそのまま先へ流す。
 どの国の空港とも同じ、殺風景で、雨の夜に独りで歩いていたらほとんど泣きそうになるだろう風景である。
 たまに空が赤い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4336

 
     羽田トンネル。
 
 
 
■ 暫くモノレールと併走した。
 車体は昇ったり降りたりして、雨に汚れた銀色である。
 左手に運河が見え、白い小型の船が係留されていた。
 急な坂道を昇ったとたんにトンネルである。
 黄色のタイルがところどころ剥げ落ちている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4337

 
     フォア。
 
 
 
■ 何時だったか芝の辺りの渋滞で、耳慣れた音がした。
 ズゥゥン、という低い四発の排気音である。
 ちらりと見ると、青色のホンダCB750 Four そのK2辺りだった。
 
 
 
■ 私は今日2つ目のMTG、打ち合わせに出かけるところで、なんとはなしにくたびれていた。いわゆるバブルの頃に学生だった彼らが中堅になり、本腰を入れてゴルフ自慢などを始めていたからで、その話を聞いているのが億劫だった。多分顔に出ていただろう。
 暫く遠巻きにしていると、厳しい淘汰の話も聞こえる。
 
 
 
■ テール・ランプのブラケットがK2だった。
 が、音それ自体はOHする手前のクリアランスの広がったピストンと、音量の大きなK0用マフラーではないかと思われた。
 タンデムである。
 後部座席にはジーンズと短いブーツを履いた細い男か女がまたがっていて、タクシーの脇をすり抜けて見えなくなった。
 程度はかなりいい。メッキの辺りが半ばオーバー・レストアのようでもある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4338

 
     フォア 2.
 
 
 
■ シルバーとゴールドのK2には間をあけて暫く乗った。
 事故ったのもそれだ。
 キャブの調整がなかなか難しく、全開で160から先がじりじりと進まない。
 メーターで180を超えたかどうか、その辺りで直線が終わるのである。
 
 
 
■ 乗りやすいといえば乗りやすく、シングルのディスクは暫く空走してからどうにか効いたことを覚えている。
 当時の大型バイクはリア・ブレーキの使い方がある種、要だった。
 今のプラグやエステル系オイルなどを入れれば、もうちょっと廻るだろうか。
 廻ったからどうだということもなく、CBナナハンは音である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4339

 
     フォア 3.
 
 
 
■ 羽田トンネルの辺りを通ると、昭和のことを思い出す。
 横羽に今ほどLH式レーダーが埋まってなかった頃、時折綺麗なS30のZや、510の1800SSSなんかとすれ違った。
 いい気になって中華街に停めておくと、タイアに穴を開けられたりアンテナを折られたことも何度かあって、女を口説くつもりが高くついた。
 
 
 
■ 季節はめぐる。
 怖くて入れなかったような店がどうってことないことを知り、ダビドフの財布が半額になっていても欲しいと思わなくなってしまう。
 薄く訳アリがひとつふたつ。
 たまにでいいと思う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4340

 
     手前で億劫。
 
 
 
■ あるとき、駐車場に男が立っている。
 小太りの背の低い彼である。
 すると帽子を被った女性がエレベーターから降りてきて、こちらを見ては逃げるようにメルセデスのCLに乗り込んだ。
 AMGではないはずなのに排気音が大きい。
 なんだマネージャーか、と思うとつまらないもので、私は携帯以外でTVを見ない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4341

 
     ゆっくりした芸風。
 
 
 
■ 六月が近くなって、棚の中からミルト・ジャクソンを取り出して流した。
 窓の辺りから薄い月が見え、まだ雨には至らない。
 MJQもいいのだが、すこし整然としすぎたところもあって、私はどちらかといえばカラヤンは苦手である。
 
 

2009年05月21日

「緑色の坂の道」vol.4342

 
     柘榴。
 
 
 
■ 割り切れない気分で会合やMTGが終わるとする。
 またはパーティのようなものである。
 生臭いな、と思ってみたり、少し貧乏くさいと感じてみたり、そこは浮世の義理でイタシカタない。
 うんうんそうなんだ俺忙しいんだ、と携帯を耳に当てている背広姿の年配の方がいる。 そこで仁王立ちにならなくても宜しいんじゃないでしょうか、と思うのだが口にしない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4343

 
     柘榴 2.
 
 
 
■ 明日はとうきょうに出て行くからは
 なにがなんでも勝たねばならぬ
 
 
 
■ とかいう歌が昭和の半ばに流行った。
 気持は大変分かるのだが、これでは年中生理前のようでこころ休まる暇がなかろう。
 踵が磨り減っていたりもするのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4344

 
     柘榴 3.
 
 
 
■ なんとなく嫌になったので、いつもの坂道を昇った。
 どちらからいきましょうか、と聞かれたのだが、あそこの裏手と答えた。
 歩いてもいい距離なのだが、この辺りの傾きがわからない。
 
 
 
■ 入り口からひとつ開けた血膿色のスツールに座る。
 なんとなく定位置になっていて、ショルダーをそこにかけ、それから葉巻が並んでいる部屋というかなんというかに入る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4345

 
     柘榴 4.
 
 
 
■ 分からないことはソムリエに尋ねるべきである。
 彼はまだ若いのだが、朝まで仕事をした後はとぼとぼアパートまで戻るというのだが、自腹切って確かめているだけあって、微細な味についての解説は的確である。
 ちょっと言う通りにした。
 ラム、安いのくださいと頼んだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4346

 
     柘榴 5.
 
 
 
■ ここまで書いてきて、なぜ「柘榴」なのか分からないでいる。
 酒というのは、高いか安いかということではなく、それが旨いかどうかだとは思うのだが、それも一度か二度、高いんじゃないかなというものを嘗めてからのお話だと先輩筋の方に聞いた。
 葉巻には案外甘い酒が合う。
 葡萄を酒に漬けたものが出てきて、その作り方を聞いたのだが、正確なところは忘れてしまった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4347

 
     伊豆カブ。
 
 
 
■ 先輩筋の方がギンザ界隈にお勤めになっていた。
 ガッコというかその後というか、訳のわからない間柄である。
 よくあることだが一度離婚され、養育費を払い、岡惚れをして実らず、何故かは知らねども巫女さん方面と同居されていたという。
 年賀にはびっしりと時の政治を憂う文面が並んでいて、先輩らしいなとご健在を喜んだ覚えがある。
 
 
 
■ 何時だったか機会があってお会いした時、最近は伊豆方面へ足を伸ばしていると言われる。
 小田急すか。
 馬鹿言えおめえ、毎週だともたねえ。各駅だ。
 そっスね。
 尋ねると伊豆半島も随分先、無料の露天風呂が道端にいくつもあるその辺りを散策されているという。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4348

 
     伊豆カブ 2.
 
 
 
■ 白壁の飾りが見事な職人がいた。
 狩野派ほど洗練されてはいないのだが、確かにその流れを汲んでいるかのようで、文化の伝播というのは面白いものだ。
 高台に土蔵があり、その倉というか小振りの蔵にも飾りがある。
 
 
 
■ そこを貸してくれてさ。
 はぁ。
 定年したらいこうかと思ってるんだが、おめぇ土地買わねぇか。
 いやいや先輩、カブ買いましょう。75か90。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4349

 
     伊豆カブ 3.
 
 
 
■ 私は馬鹿なので、カブにモチュール300Vを入れたらどうなるかと思った。
 ついタコメーターを付けたくなって、ハングオンで岬の外れを廻る。
 誰も誉めてくれないんじゃないか。
 エンジンを切ったらとたんに寂しくなって、夜になると漁火が綺麗だ。
 
 

2009年05月28日

「緑色の坂の道」vol.4350

 
     なれのはて。
 
 
 
■ 雨である。
 先日から薄い風邪が躯に入ったようで、億劫で仕方がない。
 若かった日々はもうかえってこない、と「日の移ろい」の島尾さんの台詞が浮かぶ。
 前からそうだったようなところもあって、まあなあ、そういうもんだよなと思い直している。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4351

 
     冷た優しい。
 
 
 
■ 緑坂に仕事の話を書くのは野暮である。
 このところ外苑西通りには、駐車違反の取締りの方が薄い緑の制服であらわれる。
 ランチや茶を飲んでいる間、つい時計を見てしまう。
 この辺も混んできたよね。
 陸の孤島とか呼ばれた頃合、私はたまにチョコを買いにきた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4352

 
     かげが光る。
 
 
 
■ ある程度不幸な方が仕事がしやすい。
 と、考えていた時期があった。
 40代始めまでは確かにそうである。
 半ばを過ぎ、大台に乗るようになると、また別の考えも出てきて、実はあらかじめ決まった場所に片足を突っ込んでいなければ仕方がないと思うようなところもある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4353

 
     かげが光る 2.
 
 
 
■ 濫読の時期というのが周期的にあって、積み上げては捨てる。
 メモを取ることも取らないこともあるが、いずれにしても一定の量が溜まり、それがじたじたと発酵するのを待っている。
 日が暮れら。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4354

 
     複雑なボール。
 
 
 
■ アトリエというか仕事場というか、あちこちの蛍光灯を取り替えた。
 私は電球色のそれが好きで使っているが、まだ寿命ではない時期なのに替えてみると随分明るさが違う。これで同じ消費電力だったのかと思うとそういうものである。
 メーカー毎に微妙に色温度が違うので、同じメーカーのものにしなければならない。
 ポジを確認するライトボックスがあって、こちらもそろそろ交換時期。
 うっすら埃が被っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4355

 
     堅気のマセラティ。
 
 
 
■ どうもセダンが好きで、指折り数えるとその割合が多い。
 いくらチューンしても骨格そのものから違うのだが、それでもドアの4枚ある箱が好きだった。
 ヨーロッパフォードにモンディオのST220という車があるのだが、これがどうもよく出来た箱らしく、やりすぎないB4といった按配らしい。
 バッチを外せばふたつ前のトヨタかヒュンダイかというスタイルなのだが、こういうのが好きな人達というのはいるもので、時折集まられてはその屈折の度合いを自慢されているという。
 30代後半-40くらいだったらそうしてたな確実に。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4356

 
     堅気のマセラティ 2.
 
 
 
■ ST220はゲトラグの6MT。
 3リッターで220の0-100が7秒ほど。
 適宜な性能の割りに、ゲトラグときているところが困ったものである。
 
 
 
■ ヨーロッパフォードには、名の知れたチューナーというかプロデューサーがいて、最後の最後までセッティングを詰めるという。
 飛ばしはしないのだが、いつもの道を曲がったり止まったり。
 それを勤めるのはイングランド出身の元F1レーサーである。
 チューニングはたった5%の割合でしかないのだが、その出来不出来で車そのものの仕上がりが全く違うという。
 この辺り、デザインにも写真にも、または文章の世界にも通じるところ。
 もちろん、プログラムの世界にもである。
 
 

2009年05月29日

「緑色の坂の道」vol.4357

 
     堅気のマセラティ 3.
 
 
 
■ とあるハードボイルド作家がマセラティに乗っていた。
 ビトゥルボから始まって、あれこれであるが、当時の私は少しにやにやしながら眺めていた。
 一度も浮気をしたことのない男が女について語る時、どうしてもオクターブ高くなる。
 いわゆる中年デビューである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4358

 
     雨上がりのマセラティ。
 
 
 
■ ライトが四角い頃のクアトロポルテが、坂の途中に顔を出す。
 乗っているのは30代後半程の妙齢である。この場合、本格派を省いた。
 ところが、実際にはプラス10からなのであって、見た目の若さについては一定の場所と時間によっては特定できないことがある。
 顔付きは狐系とは限らない。
 するりと流れに乗るとき、そのひとは軽く会釈をしていた。
 
 

2009年05月31日

「緑色の坂の道」vol.4359

 
     小津の50.
 
 
 
■ 原田雄春さんのインタビューを蓮實重彦さんがまとめた本を読んでいた。
「小津安二郎物語」(1989:筑摩書房刊)である。
 原田さんは松竹での小津監督のキャメラ担当。「戸田家の兄弟」以来、コンビを組んでキャメラを廻した。
 活動屋ってのは基本的にヤクザなもので、その底には道化と反骨の気概があるのだが、そうしたことを伺わせるに足る、渋味溢れる一冊だった。
 
 
 
■「あいつはワーナー・ブラーザースだよ」
 その心は当時流行っていた映画「名犬リンチンチン」
 説明は不要、であるとか。
 「ワン・ナイン」という隠語が出てきてにやりとする。
 F1.9のレンズが出始めた頃で、絞り開放という女性相手の軽口である。
 ったくどうしようもないなあ、という世界のやりとりだが、撮影所の雰囲気というのは基本的にこんな感じだったのだろう。
 
 
 
 
■ 独特のローアングルでは、ほとんど広角を使わなかったという。
 50ミリだと。
 広角特有の歪みが出る事を嫌ったからだが、成程と思わせる逸話だった。
 晩年、松竹と一年一作の契約を結んでからは、ほぼ一月以上をロケハンに歩くと。大体が真夏で、皆汗だくになる。
 その写真を見ると、小津監督だけがカラーの大きな白いシャツを着ている。
 顔の大きな小津監督は、そうしたシャツだけを好んで作らせていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4360

 
     顔の大きな佐分利信。
 
 
 
■ 例えばビール瓶を出すという。
 始めは大瓶を使い、その後のカットでは小瓶に置き換えたりする。
 大瓶のままだと、画面上で目障りに成り過ぎるからだが、考えてみれば小細工なんてものじゃない。ほとんど広告写真の世界である。
 同様に、ある女優を2.5メートルで撮って、その後佐分利信に切り替わるとき、すっと3メートルまで引く。
 同じ位置とレンズでは画面に大きく写りすぎるからだという。
 
 
 
■ 今ならズームか、というとまたそうでもなくて、微妙に背後のボケ方が変ってしまう。
 基本は50で、そしてゴザの上に置いた「蟹」と呼ばれた三脚というか台座で、這いずりながら構図やカットを決めていく。
 動画と静止画というのはまた別の文法だが、確かにこれ一本で撮ると決めた時の方が実は良いものが出来たりもするものである。
 
 
 
■ 撮影後の小津組のスナップを見ていると、確かに佐分利信の顔は大きい。
 小津監督より一回りくらい膨らんでいるような感じもして、あれはなんという映画だったか、セットのバーにふらりと入ってくる場面を思い出した。
 田中絹代さんが奥様役のそれである。
 
 

2009年06月02日

「緑色の坂の道」vol.4361

 
     恋はみじかい夢のようなものだけど。
 
 
 
■ と歌ったのは、高田恭子さんである。
 私は山崎ハコさんの「十八番」というアルバムで知った。
 なんというか時々、低く口をついて出ることがあって、霧の出た代々木公園の辺りに車を停め、ぼんやりしていた。
 
 
 
■ 作詞は浜口庫之助さん。作曲もである。
 浜口さんは当時の若い世代などからはあれこれ言われていたようだが、いい曲を沢山作られていた。
 裕次郎の「粋な別れ」と、この「みんな夢の中」は半ば裏表のようなところもある。
 と、概説から入ると面白くはないもので、戻ってから一杯を嘗めた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4362

     みんな夢の中。
 
 
 
■ 泣かないで
 なげかないで
 と、単刀直入なところが歌の力である。
 昭和44年。東大紛争があって翌年は万博で。ウルトラセブンは前の年に終わり、三島由紀夫は中央公論に「文化防衛論」を書く。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4363

 
     どうでもいい。
 
 
 
■ 潜り込むような季節というのがある。
 〆切手前だというのに、何もせず、壊れかけたソファの上に横になっている。
 昔、下北沢界隈にカタバミとかウワバミという名前の御休息があって、金もなかった頃合、少し潜った。
 時々冷蔵庫が唸っていて、中に鮭缶が入っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4364

     粋と野暮のあいだ。
 
 
 
■ 緑坂のvol.15 が初出である。
 昔すこし馴染んだ妙齢がまだ眼張りをしていて、夢は愛育病院だという。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4365

 
     粋と野暮のあいだ 2.
 
 
 
■ 有栖川の界隈にいいマンションがあるのだが、狭い癖に高い。
 どう考えても通勤には向かない坂道と造りである。
 西巣鴨のガスタンクの近くで飲んだことがあったが、そこから電車で戻るのが億劫で困った。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4366

 
     本道と脇道。
 
 
 
■ 確かこの題名も「青い瓶の話」で使った覚えがある。
 簡単にいえば、微細なバランス感覚のようなもので、一方では突っ込み、一方ではそれを笑うというような按配である。
 ま、そこは流れで。
 という台詞は随分と流行った。
 
 
 
■ なんのせいか、手元にライカのR8があるのだが、これにフィルムを通すのが億劫である。時々眺めては、重いなとか思ってまた棚に戻す。
 辞書みたいなものだろうか。
 R8というカメラはライカの中では面白い位置付けで、半分枯れた方々が手を出すか、あるいは大企業の部長クラスの方が酒瓶と一緒に並べるものだといわれていた。
 それはそれ、メルセデスでいえばバブル後期の小錦型Sクラスみたいなものかも知れない。
 ホンキにしないように。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4367

 
     コンサル君。
 
 
 
■ 仕事柄、そういった類のこともしなければならないのだが、どうも生命保険の人生設計みたいなところがあって厄介である。
 作る立場とそれを編集する立場というのは本来別のものだが、実をいえば作る際にも一歩後ろに引いて自分の作品やその他を眺めているところがある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4368

 
     人工水晶体。
 
 
 
■ という吉行さんの名作がある。
 インテリにしか分からない諧謔と透明な世界が描かれている。
 インテリ、と書いてしまうと公論や世界の流れになってしまうのが常だが、そういった知的権威云々ではない、妙齢の背中に生えた案外に黒い毛を眺めているようなお話である。
 
 
 
■ 40代の半ばくらいから老眼になった。
 車の中で細かい地図を読む時に、見えにくいなと自覚することが何度かあって、丁度その時隣に乗っていた妙齢本格派の友人が高笑いしたことを覚えている。
 一発小突いた。
 
 
 
■ 背中の産毛というのは、本人にはわからない。
 それを口にしていいものかどうか。
 数年馴染んだ後、剃刀をあてることになる。
 
 

2009年06月15日

「緑色の坂の道」vol.4369

 
     ジェイク。
 
 
 
■ ニコルソンの「チャイナタウン」を惜しみ惜しみ見ている。
 これで何度目になるのか。
 前は確か港区の東京タワーが見える床張りの部屋で、漠然と眺めた。
 14か21インチのブラウン管を床に置いていたような記憶がある。
 ゲーム機はまだ繋がっていない。
 作りつけの棚には酒の瓶が並んでいて、金もないのにバカラのグラスに安ウィスキーを垂らしていた。
 
 
 
■ 私はこの頃のニコルソンが好きだった。
「愛の狩人」という映画があったが、その時の目つきは、例えばこの作品や後の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」あたりまで健在で、ニコルソンは一部の妙齢から不思議にセクシーだと評されていた。
 確かにそれはそう。蜥蜴のような眼で下着の中まで値踏みする。
 そのくせ何処か夢見がちなのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4370

 
     ジェイク 2.
 
 
 
■ 惜しみ惜しみ、というのは、全編を通しては見ないということである。
 物語は知っているのだし、音楽もそうだし、つまりはちょっとした断片を時々見返すというような按配である。
 
 
 
■ 指を入れてすこしひっかかるところがある。
 強く押すかそうでもないかは時と流れによるのだが、沸いて出てくることもあり、そうでないこともあって、昨日誰と寝たのかというのが分かったりもする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4371

 
     青い花。
 
 
 
■ 湾岸のあの辺りで、すこしギアを落とす。
 6000くらいまで踏んで、ちょっと我慢してそれを維持する。
 速い車と言えばPRESSと、表のプレートを空車に置き換えたタクシーが限界まで踏んでいた。
 橋の上で、ここは上海かと思える放送が耳に入る、
 ここに停車するなというアナウンスだった。
 ドップラー効果なのだろう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4372

 
     青い花 2.
 
 
 
■ 左に折れて大黒に入る。
 飛ばしはしない。アンダーが出るか出ないかのところで、リアのグリップを確かめている。
 マニア以外にはどうでもいい話なのだが、この辺りが車や単車の面白いところで、ややベタな表現ではあるが「語り合いながら遥かに」というところなのである。
 
 
 
■ このコピーは70年代初め、ホンダCBの広告に使われていた。
 ツインの250とか350。後者は実際には330と少ししかなかったのが、ただ飛ばすだけではない、そこに味を求めるという姿勢は別にCBに限ったことではなく、元々嗜好品とはそういうものである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4373

 
     青い花 3.
 
 
 
■ 駐車場でぼんやりしていると、セドグロの4枚ドア軍団が集会をしていた。
 千葉や茨城から集まってきて、互いに写真を撮り合っている。
 総数は10数台か。
 近場の青い仕事服を着た彼に声をかける。
 4枚だね。いいね。
 そうっすよ、このロングは平成14年頃まで現役だったんすよ。
 
 
 
■ ところで、どの車でこられたんですか。
 いや、向こうのボロなんだけどさ。
 はぁ、先輩はどちらから。
 
 
 
■ 先輩じゃないけどさ、私はこういう奴らが好きである。
 なんというか、日頃お世話になっている宅急便やバイク便の彼らを思い出す。
 工業や商業を出て、一足先に大人になった友人たちがいたが、彼らは仕事服の着こなしが旨かった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4374

 
     青い花 4.
 
 
 
■ メインになっている車が一台あった。セドのロングである。
 後部座席のドアを開け、矢代亜紀さんを流し、天井はLEDの配線とチカチカだらけだった。
 20歳前後のその世界ではまだ若いもんが、小さなデジカメに三脚を立て、その内部を撮ろうとしている。
 ストロボ炊くと写らないぞ、と言おうとしたが、まあ三脚を持っているだけ感心である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4375

 
     青い花 5.
 
 
 
■ 随分前の緑坂に、東北高速道脇のトラック・ターミナルのことを書いた覚えがある。 エロ本の自動販売機があり、まだ中にDVDは入っていなく、半分は砂利が敷いてあった。
 故郷に妻子を置いて、月の半分は大型トラックやトレーラーの運転席後ろで仮眠を取る男たちの物語である。
 妻子がいない場合には、当時のアイドルを飾った。
 
 
 
■ これらは、例えばWWⅡの時のB17の搭乗員にも似ている。
 戦略爆撃機のノーズに女性のヌードを描いて、高射砲やメッサーの待ち受ける空域に突入する。
 今は、と言えばETCの割引時間に左右された。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4376

     青い花 6.
 
 
 
■ 六月は青い。
 花がそうである。
 植え込みのところにそれがあって、誰も気づかない。
 襟足を剃っている。
 
 

2009年06月18日

「緑色の坂の道」vol.4377

 
     洲崎パラダイス。
 
 
 
■ 先日、川島雄三監督の「洲崎パラダイス赤信号」を斜めにみた。
 斜めというのは、時々早送りしながらということだが、モノクロームの画面にある1956年の東京は不思議に新鮮だった。
 イントロとラストに出てくる橋は、勝鬨橋。
 そこからバスに乗って今で言う東陽町の辺りまで流れるのだった。
 
 
 
■ 映画にはアーチがあって、そこには「洲パラダイス崎」とネオンがかかっている。
 埋立地から盛んにダンプトラックが出てきて、この辺り一体が再開発されているのだと知れる。
 敗戦、第二次世界大戦が終わってからまだ11年。赤線廃止は映画の2年後である。
 
 
 
■ ぐずらぐずらとした男女関係というのはいつの時代にもあるものだが、単に性的な繋がりだけでなし、先へゆこうとするでなし。
 生活力のない男と少し蓮っ葉な狐顔の女というのは、ちょっとばかし絵になっていた。 
 

「緑色の坂の道」vol.4378

 
     洲崎パラダイス 2.
 
 
 
■ 川島監督といえば、ダンディで紗に構えたインテリヤクザの風貌である。
 少し大きめの背広が似合うというか困ったもので、女泣かせだったこともあったのだろう。
 友人にこうしたタイプの奴がいて、結構モテたが時々煮詰まって自爆した。
 今は相変わらず痩躯で、会うと娘自慢をしている。
 
 
 
■ 私はどちらかというと、旧赤線地帯にあったような御休息が好きだった。
 なにもせず、二階の窓から雨どいに流れる水をみているのだが、そういえばこの浴衣は随分薄いものだなと思う。
 今も時々それに近いところに逃げ出す訳だが、小型のPCを持っていかねばならないこともあって、俗世である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4379

 
     洲崎パラダイス 3.
 
 
 
■ なにを言問う、言問い通り。
 東京というのは不思議なところで、通り一本隔てて、住む人たちの職業や階層やその文化までもが異なる。
 都市化の故なのだが、NYで言えばブロックのようなものだろうか。
 
 
 
■ 暫く前、いわゆる花街についてあれこれを読んだことがあった。
 皆さんそれぞれに格式を競い、差別化を図っておられる。
 それはそれ、地方都市の観光誘致としては有効なのだろう。
 あるいは温泉場だろうか。
 そうしたパンフレットを一同に並べてみると、ここは何処なのか分からなくなる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4380

 
     洲崎パラダイス 4.
 
 
 
■ 川島監督の代表作と言われている「幕末太陽伝」は品川の宿場町が舞台だった。
 旧東海道、ここから先は江戸ではないと言われた界隈。
 花魁とは呼べない、宿場の飯盛女とのやりとりがリアルに描かれている。
 裕次郎とフランキー堺が出演するのだが、芸達者なのはフランキーさんの方である。
 裕次郎演ずるところの大義名分を揶揄しながら見事に人を喰っていた。
 が、基調はどちらも似たりよったりである。
 
 
 
■ 土地というものは境目のようなものがあって、例えば品川宿なら八ツ山の橋である。 その傍に教会があって、川崎方面に流れる時、十字架が嫌でも目に入る。
 垂れ幕のようなものが下がっていて「青年は幻を見、老人は夢をみる」とか書かれている。
 私は、少しうんざりしながら馴染みのとんかつ屋か蕎麦屋に向かうのだった。
 

「緑色の坂の道」vol.4381

 
     低い雲。
 
 
 
■ コンビニの前に男がいる。
 大型スクーターの上で何かを食べている。
 携帯を耳にした若い女が、くわえ煙草で歩いてくる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4382

 
     ドライジン。
 
 
 
■ うんざりする仕事をひとつふたつ終え、半日さぼった。
 芝浦のディーラーで、デフオイルを換えてもらう。
 オイルはレッドラインの上が140まである奴で、紙袋に入れて持ち込んだ。
 まだ当分いけるのだが、そこは流れというか、換えると微妙に滑らかになるのだ。
 作業のあいだ、パーツの顔見知りの方のところへいって、これってどうなんですかと尋ねたりする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4383

     ドライジン 2.
 
 
 
■ 一杯25000という酒を嘗めたことがある。
 内緒ですよ、と黒服の奢りで、つまりはティスティングみたいな感じなのだが、HOYAかササキの足の付いたグラスに指二本ばかり。
 誰が飲んでんだろうね、こんなの。
 それがですね、IT系の金融の40代くらいの女性なんですよ。
 へえ、それもいいかもだね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4384

 
     ドライジン 3.
 
 
 
■ なにがいいのかはわからない。
 味はといえば、複雑で奥行きのあるそれである。
 ちょっといいシガーがあれば、後はぼーっとしているという。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4385

 
     ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン。
 
 
 
■「あ、雨が突然降ってきた」
「暫くすると、こちらにくるな」
「どうして雨なの」
「ま、大人だからじゃないか」
 
 
 
■「いくつから大人なの」
「ひとによるよな」
 そこで、毎朝小便をするに困らなくなった頃からなにかが始まると説明したかったのであるが、割愛した。
 
 
初稿:「緑色の坂の道」vol.871

「緑色の坂の道」vol.4386

 
     風景と男と。
 
 
 
■ 外に出て食事をすることがある。
 昼時である。
 私の場合、車で出ていることが半分ほどなので、畢竟駐車場のあるところに落ち着く。 廻りを眺めると、ランチ時の奥様方や、背広が着崩れたタクシーの運転手さんが目立つ。
 
 
■ よお、なにちゃん。
 そう言って入ってくる彼がいる。
 白髪なのだが、腕時計だけが派手である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4387

 
     切れていない油揚。
 
 
 
■ 隣のテーブルでは修士までいったとか言っていた。
 前髪の長い、形状記憶のシャツを着た30代である。
 私はと言えば、野菜カレーに付いていた味噌汁を飲んでいる。
 トマトは残した。
 
 

2009年06月24日

「緑色の坂の道」vol.4388

 
     風景と男と 2.
 
 
 
■ スロープをメルセデスのW124/E500が下ってきた。
 初期型だろうと思う。グリルが大きく、垢抜けてはいない。
 見事に手入れされていて、ドライバーは初老の紳士である。顔は見えなかった。
 私はといえば、チャックの部分が壊れた黒いバックを持っていた。
 中には資料の山が入っている。普段使っているカメラバックを型に、カーボンの三脚を片方の手で握っていた。
 すこし腹が減っている。
 
 
 
■ グレーの500Eの後部座席には、細い姿が影になっている。
 少女であるかもしれない。ふたりいる。
 タイルの上をスキール音をさせずに曲がり、向こう側にいく。
 別になんでもいいのだが、こうした風情は好きである。
 半ば痩せ我慢のような気もする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4389

 
     風景と男と 3.
 
 
 
■ 後期型の500Eには暫く乗った。
 始めにEがついている方が初期型だとか聞いた覚えもあるが、ま、そこは流れで。
 もちろん借り物だったが、アクセルを床まで踏んだ時の水平移動の感覚が忘れがたい。
 氷の上で金庫を滑らせているかのような、止まる時も僅かに甘い感じは残っていた。
 くるくると廻るステアリング。ボール・ナットの精度。
 右から左へ移動する。燃費がどうという世界とは無縁なのだが、これはまだ私ごときでは飼いならせないなと思った覚えがあった。
 
 
 
■ 性能のことを言っているのではない。
 例えば今のスカイラインの3.7リッターは0-100が5秒台である。
 同じエンジンを積んだ個人タクシーは夜になるととたんに繁殖し、急な坂道を結構なペースで流していく。
 500Eの加速はそれにはとうてい及ばないのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4390

 
     風景と男と 4.
 
 
 
■ 及ばなくていいのである。
 十代かその辺りの頃、ヌカ六とかすったもんだを耳にした。
 すげえなあ、と思ったものだが、さて相方はどうだったのかというと、とても聞けるような段階ではない。
 あんないい女とロクかよ。
 
 
 
■ その後、あれこれあったとする。
 あんないい女としみじみする機会があるとする。
 あのね、瞬間風速なの。
 は。
 で、先輩はどうされているんですか。
 知らないけどね、新宿から十番にいって今は房総らしいわよ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4391

 
     風景と男と 5.
 
 
 
■ 一気に格調が下がるのが緑坂である。
 500Eに話を戻すと、この車は維持するだけで小型車一台が買えると言われている。
 年50程度。
 大体ロールスかベントレーの少し前と同じだ。
 年間5000ばかり走ったとしてである。
 
 
 
■ 男の世界には無駄があって、酒や煙草や賭け事や、例えば新刊を買ったり買わなかったり。今時新刊一冊を買えば、とんかつ定食の並みか場所によっては上が喰える。
 喰えるのになあ、と思いながら牛丼屋のカウンターで文庫を読んでいる男というのはそう悪いものじゃない。
 

「緑色の坂の道」vol.4392

 
     風景と男と 6.
 
 
 
■ 例えば維持できず、相場が底値に近づきつつある500Eを、今現在そ知らぬ顔をして乗っているというのはダンディズムだろうか。
 そんなことは気にならず、ただ好きなだけなのだが。
 
 
 
■ マーチの12SRに乗っている若い者も半分はそれに似ている。
 都筑PAで走りこんだ彼がいて、ボンネットを開けてくれた。
 そうこうしていると彼女が手洗いから戻ってきて、いい娘だよなと小声で言った。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4393

 
     風景と男と 7.
 
 
 
■ いつだったか、高倉健さんが煙草を口にくわえているポスターが街に溢れた。
 飯倉の交差点へ曲がる時、何時もそれが眼に入る。
 高倉健さんはその時還暦を超えておられたとおもう。
 私はいくつだったか、酒は何を飲んでいたか。
 車は女は、と数えてみてもおぼつかない。
 
 
 
■ 上等じゃねえか。
 と、火の点いてない煙草を唇の脇に、ポケットに手を突っ込んでつっ立っている。
 着ているスーツは生地のいいもので、モノクロであるものだから光り方が目立つ。
 簡単に言えばライティングその他、プロ中のプロの方々が参加されたCMだったのだろうと思う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4394

 
     風景と男と 8.
 
 
 
■ 勝新太郎さんと高倉さんが初めて共演した映画があった。
 なんという題名の映画だったか、確か「宿無し」というタイトルで、健さんが東映を辞めフリーになったんばかりの作品だと記憶している。
 ラストで二人ともあっけなく死んでしまうのだが、仁侠映画の英雄に飽き飽きしていた時期だったからかも知れない。
 
 
 
■ それはそれとして。
 その映画の中でも、高倉さんはことある毎に「上等じゃねえか」の眼つきをする。
 また出たよ。と、私はにやりとしながら眺めていた。
 ベースがそれなのである。
 別にいいじゃねえか。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4395


     風景と男と 9.
 
 
 
■ たった独りで立っていた時。
 あるいは座ってびくびくしながら煙草を吸っていた時。
 男たちというのはどんな顔をしていたのだろう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4396

 
     水の底で。
 
 
 
■ 向こう側に森のようなものがある。
 窓を開けようと手を伸ばすと、小さな蜘蛛が昇ろうとしている。
 私はぺたぺたと廊下を歩き、自動販売機でビールのようなものを買った。
 
 

2009年06月28日

「緑色の坂の道」vol.4397

 
     水の底で 2.
 
 
 
■ 伊豆で風呂に入ったのはいつだったか。
 深夜、ちゃぽんと浸かっていた。
 姿は河童である。洗うのめんどくさい。
 なんでこんなところにいるのか、一向に定かではないのだが、雨の頃合、この辺りをうろうろすることは多い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4398

 
     水の底で 3.
 
 
 
■ 誰かが亡くなるとかそうでもないとか。
 そうしたことを書くのはどこか品がないような気がしている。
 私は「花影」という大岡さんの作品が好きで、緑坂に何度も書いた。
 この作品にはモデルがあるのだが、それを知ったり書いたりしても仕方ないだろうという気になっている。
 表現には一定の節度のようなものがあって、これをやればこう流れると思いながらそうしない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4399


     水の底で 4.
 
 
 
■ 私は小型車に乗ってきていた。
 なんのせいか、といえば流れである。
 セカンドに落として峠を昇るのだが、時々横っ飛びして倒した後部シートの辺りがごとごと言う。
 何時オイルを換えたか忘れたが、その時ディーラーにWAKO'Sが置いてあって、少ししか入らないからこれでいいだろうと選んだ覚えがある。その時はカメラバックを積んでいて、チーフだと思われる方が傍へ寄り、暫くその話になった。
 
 
 
■ 小型車で床まで踏むのは楽しい。
 三人乗って坂道にさしかかり、エアコンが入っていると40まで下がる。
 罵りながら窓を開け、コンプレッサーを切ったりして無駄なことをする。
 それでいて平坦では170まで出たりするのだから充分以上で、強いて言えば下りのブレーキだろうか。
 と、適合するパッドを捜したりすると何時もの脇道である。
 
 

2009年07月06日

「緑色の坂の道」vol.4400

 
     六月尽。
 
 
 
■ 坂道のところで、薄い月がみえた。
 雲のあいだにある。
 私はといえば、やっぱり仕事が億劫である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4401

 
     港の女。
 
 
 
■ すえたような匂いが薄くして、何かと思えば、魚のそれと鉄鉱所からの煙が潮風に混ざっていた。
 口は悪いが、性格は古典的で、車なんて買わないで貯金しろと怒られたこともある。
 堅い肌をしていて、バス・タオルをほとんど使わなくても良かった。
 
 
「緑色の坂の道」vol 968
94/06/24
 

「緑色の坂の道」vol.4402

 
     六月尽 2.
 
 
 
■ スタッフが戻った後、もそもそと片づけをしていた。
 叱られたからである。
 湿り気があると音の変るアンプに灯を入れ、傍にあるものを入れると「黄色いさくらんぼ」である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4403

 
     東京の女。
 
 
 
■ 青山通りを赤坂に上っている。
 ランダムにかけていると、ピーナッツである。
 年中生理前であるかのような、恋のバカンス系のものは時々くたびれるのだが、あら、あれは気持いいのよ、と加賀まり子さんが寸詰まりになったような妙齢が言った。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4404

 
     東京の女 2.
 
 
 
■ ま、それはそうですけどね。
 いわゆる、ホルモンのなせる業なのだろう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4405

 
     東京の女 3.
 
 
 
■ 私はどうするかというと、少しだけ顔を出して後はフケル。
 戻る時、銀座の路地に入り、シュークリームをいくつか買う。
 
 

2009年07月07日

「緑色の坂の道」vol.4406

 
     水の月。
 
 
 
■ 七夕である。
 窓から外を眺めると、黒い森の上に丸い月がみえた。
 満月は昨日だったか、暦を確かめる気にはならず、黒ビールを持ってきて嘗め始める。 
 

「緑色の坂の道」vol.4407

 
     風が泣いている。
 
 
 
■ 街は浮かれているようにも、またその底におかしな諦めがあるようにも視えた。
 西の方から雨がきて、夜のとおりを渡っていく。
 
 

2009年07月08日

「緑色の坂の道」vol.4408

 
     ゴゴゴー、風が泣いている。
 
 
 
■ ゴゴゴ。
 など、低く歌った。
 浮島JCTを降りて、発電所がある辺りへいき、空を見上げると思ったよりも明るい月と雲である。
 この辺り、夜釣りをしている人たち相手にラーメンの屋台が出ていたものだ。
 今、その灯りはない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4409

 
     風が叫んでる、ゴーゴーゴー。
 
 
 
■ 浜口庫之助さんの作詞作曲である。
 1967年、スパイダース。
 今聴くと、エレキの音が割れて録音されているのだが、そんなことはどうでもいい。
 ぶっきらぼうでロマンチックだった。
 
 
 
■ 私は、うんざりした打ち合わせの後だった。
 バブル期に中途入社した男がいて、伸びたり縮んだり。
 上からは長い眼でみてくれないかと頼まれているので端的にもできない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4410

 
     早く忘れた方がいいぜ。
 
 
 
■ コンビナートの辺りを産業道路の方角へ向かう。
 脇道に入ると、今でも釣りができるスポットがあって、地元の男たちが休日の夕方などにぼんやりしている。
 少し前のマジェスタのトランクに、道具一式入れっぱなしなのだ。
 
 
 
■ モーテル奥の焼肉屋に入る。
 カルビとロースともやしのスープを頼んで、飯を貰った。
 オイキムチだけ別に包んでもらう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4411

 
     夜更けのゴーゴー。
 
 
 
■ 若造だったスパイダースの面々が、ゴーゴーゴーと歌っているのは、考えてみると鬱陶しい。
 67年と言えば私は半ズボンである、
 シャボン玉ホリデーは日曜の夕方、スターダストのメロディと共に親父達の定番だったし、車で言えばべレットがまだ丸目2灯の頃だったろうか。
 
 
 
■ 梅雨の明けはじめるこの季節、南から風が吹く。
 月はぼんやりしていると角度を変え、そこにあった雲は海の上だ。
 
 

2009年07月09日

「緑色の坂の道」vol.4412

 
     ミンクのてざわり。
 
 
 
■ なんのせいか、私はケーリー・グラントが好きである。
 どちらかと言えば、第二次大戦後の作品。
 ヒッチコックの「泥棒成金」辺りから、グラントは別物に化けたような感じもある。
 
 
 
■ ドリス・ディと共演した「ミンクの手ざわり」は1962年。
 グラントは半分白髪だが、NY五番街の高層ビルからドリス・ディを追いかけ、腰にバスタオルを巻いたまま真剣な表情で出てくる場面は忘れがたい。
 ハリウッド特製二枚目半。と評したのは、我が国映画評論の大先達の方だが、言いえて妙な指摘だった。
 
 
 
■ 今も昔もそうなのだが、NYという街は貧富の差が圧倒的だった。
 ブロックひとつ隔てると、例えば肌の色が異なり、路上に置いてあるフォードかシボレーの凹み具合が違っている。
 イエロー・キャブ、その運転手の言葉が片言だった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4413

 
     ミンクのてざわり 2.
 
 
 
■ 例えばこの映画は、「ティファニーで朝食を」の変奏曲である。
 裏表と言ってもいい。
 NYの高層ビルにオフィスのある独身男性グラント。
 最近流行りの言葉で言えばセレブということになるのか。
 どうも退屈な表現だが、さておき。
 映画のイントロで田舎から出てきたドリス・ディに、車で水をかけてしまう。
 そこから恋が始まっていきつもどりつ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4414

 
     ミンクのてざわり 3.
 
 
 
■ グラントの18番と言えば、クサッた時の表情である。
 んん。なんでこんなことしてんダロウ。
 でも真面目にやらなくちゃ。
 
 
 
■ この辺りの按配は、「北北西に進路を取れ」の中で、エバー・マリー・セイントの使っていた剃刀を使う場面にも顕れていた。
 小さな女ものの剃刀。
 それで駅か何かの公衆トイレで髭を剃るグラント。
 あんた、何やってんの。
 と、隣に立ったブルー・カラーの彼が眺める。
 
 

2009年07月10日

「緑色の坂の道」vol.4415

 
     水ホテル。
 
 
 
■ 何故だかわからないが、喉が痛くなった。
 これはくるかな、と思いながら漠然としている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4416

 
     待っていた小人。
 
 
 
■ もう一度言ってね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4417

 
     北北西に進路を取れ。
 
 
 
■ 原題は「North by Northwest」
 1959年。ヒッチコック全盛期の作品である。
 冷戦真っ盛り、そういったスパイ映画の範疇とも言えた。
 
 
 
■ 見所はいくつもあるのだが、バスを待っているグラントのもたもたした按配が私は好きだった。
 手を握ったり離したり。
 それだけでじりじりとした時間の推移が分かったりする。
 グラントは大根だと言われたこともあったが、どうなんだろう。
 この場面をどうにかできるのは、少し老けたクーパーくらいしか思いつかない。スチュワートだと、線が細いだろうか。
 真面目で二枚目で、どこか抜けているという。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4418

 
     北北西に進路を取れ 2.
 
 
 
■ 相手役のセイントは、ブロンドの美人である。
 当時35歳。
 酸いも甘いも、不倫や愛人や結婚などをくぐり抜けてきたという設定である。
 一般に30代の独身妙齢というのは、背中のラインに気を配る。
 たいしたことはなくても、胸元の開いたものを買おうか躊躇する。
 後先を考えずそこへいくのは、こんなところに何時までもいられないと思っているからなのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4419

 
     ざらりとした緑坂。
 
 
 
■ 棄景、という言葉がある。
 いわゆるナレノハテなのだが、元を辿っていくと「棄民」という概念の演繹である。
 我が国の歴史をさかのぼると、満州であったり南米であったり、積極的に余剰人口を外に出そうという動きが確かにあった。
 王道楽土、または楽園と呼ばれ、何時か自作農にと夢を語ったものだが、その2世3世は時々戻ってきて、ある種コミュニティを形成する。
 
 

2009年07月13日

「緑色の坂の道」vol.4420

 
     白南風の頃。
 
 
 
■ 梅雨明けの頃、南から湿った風が吹く。
 私は微熱が残っている。
 
 

2009年07月14日

「緑色の坂の道」vol.4421

 
     白南風のころ。
 
 
 
■ 微熱なのであるが、アイロンのかかった綿パンを履いた。
 車はちょっとまずいので、よたよた坂道を昇り降りして医者へいく。
 顔で選んでいたこともあっただろうと思われる受付の方に、どうされましたぁ、と聞かれる。
 いつものことで。
 
 
 
■ 先生はメルセデスのGに乗っている。
 待合室には、Eのついた車雑誌がある。
 Nのついた雑誌でないところが賢明で、ホリデー・オートが置いてある開業医というのは少ない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4422

 
     白南風のころ 2.
 
 
 
■ 診察は5分で済んだ。
 まだ若い先生はあたりがやわらかく、けれどもセンスはシビアで、おそらく奥様も美人である。
 私はといえば、会計をすませ、お大事にぃ、というリエゾンを後に外へ出た。
 これから薬剤師さんに会わねばならない。
 その前にイップク。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4423

 
     白南風のころ 3.
 
 
 
■ ゼロハリの携帯灰皿(限定)を持っていた。
 内部に精密なGPSが付いているそれである。#
 ところがライターを忘れ、ドウシタラヨカロ。
 向こうから、サンダルを履いて妊婦用のカーテンみたいな布を羽織った妙齢が咥え煙草で歩いてくる。
 
 
# ホンキにしないように。

「緑色の坂の道」vol.4424

 
     白南風のころ 4.
 
 
 
■ お嬢さんと呼びかけるか、オネーチャンとすべきかは客単価によって決まる。
 殿山さんが出てくる映画では大体後者である。
 本来であれば、火を借りるのは失礼なことなのだが、ええとそういう話をしているのではなかった。
 
 
 
■ 私は薬剤師さんのところへいっておとなしくしていた。
 先客もあり、粉の調合があるというので、すこしだけ歩き、階段を昇ったところのカフェで漠然とする。その間禁煙した。
 
 

2009年07月15日

「緑色の坂の道」vol.4425

     よせばいいのに。
 
 
 
■ 一杯目の酒を嘗めはじめた。
 ちょっと詰んだ仕事があって、前を忘れるのに苦労する。
 グリーンピースが上にのった、小麦粉だらけのカレーが食べたいとおもう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4426

 
     河原で飯炊く。
 
 
 
■ どこか手頃な川の傍にいき、鍋で米を炊く。
 こうすれば便利だというような道具はあるのだが、そうもいかないので持っていくのは水だけである。
 地べたの虫を見ている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4427

 
     屋上にて。
 
 
 
■ 下にコンビニの入った高層ビル。
 いくつかエレベーターを抜けていくと、誰もいない屋上庭園がある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4428

 
     屋上にて 2.
 
 
 
■ 誰が手入れしているのだろう。
 なんのためだろう。
 ここには東洋系ベビーシッターもあがってこない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4429

 
     屋上にて 3.
 
 
 
■ 私は麦茶を飲んでいた。
 小さな蜉蝣が近くにきて、水は何処にあるのかといぶかしかった。
 
 

2009年07月16日

「緑色の坂の道」vol.4431

 
     鳥の夢。
 
 
 
■ 寝苦しい満月の夜、花が咲いては明け方までにしぼむ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4432

 
     戦中派不戦日記。
 
 
 
■ 資料を捜していたら、棚から落ちてきた。
 何時買ったものか、山田風太郎さんの若かりし頃の日記である。講談社文庫。
 表紙を裏返しにして、後輩というかなんというかから貰ったというかよく分からない鞄の中に突っ込んでいた。
 
 
 
■ 多分こうした本は、三崎の外れあたりまで電車に乗り、そのあいだ中捲っていればいいのだとおもう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4433

 
     いまだすべてを信ぜず。
 
 
 
■「日本は亡国として存在す。われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず」
(山田風太郎著:講談社文庫:1994年第5刷:528頁)
 
 
 
■ 緑坂には若い読者もいるので、その終末だけを引用してみた。
 若書きだとか饒舌だとか、そんなことは瑣末である。
 私はすこしうんざりしながら、時代の外側にひっかかっていた若い男の自我を考えていた。
 
 

2009年07月22日

「緑色の坂の道」vol.4434

 
     眠る男たち。
 
 
 
■ 植え込みのところで男が寝ていた。
 短パンを履き、サンダルを片方だけ脱いでいる。
 昔は色男だったのだろう、髪はまだ短く顎の線もすっきりしている。
 パックの日本酒がふたつみっつ転がっていた。
 外気は33度だという。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4435

 
     オアシス・オブ・ギンザ。
 
 
 
■ 銀座裏で所用を済ませ、デパートの紳士服売り場に入った。
 ここはかつて進駐軍に接収されていて、地下にはダンスホールがあったという。
 特殊慰安施設協会(RAA)である。
 内務省主導の、いわゆる性の防波堤ということだったのだが、中身については割愛する。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4436

 
     服屋のバー。
 
 
 
■ 黒か紺色のポロが欲しくて、漠然と眺めていた。
 定番のものというのは季節でも安くはならず、別に何時求めてもいいことになっているようだった。靴なども同じである。
 馬具の小物から発展した洋服屋でシャツを選ぶ。ライターで高名なそこである。
 映画「地下室のメロディ」で、偽貴族の師弟に扮したアラン・ドロンが、いかにもという風情でそれを見せびらかす場面があった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4437

 
     服屋のバー 2.
 
 
 
■ 2Fは禁煙である。
 3Fだけにソファがあって、そこは吸ってもいいことになっている。
 昔、この銘柄のシガーやパイプがあったことを知る店員もいないのだろう。
 別にいいんだそんなこた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4438

 
     襟立男。
 
 
 
■ 結局、長袖を二枚買った。
 同じものである。
 いつだったか数千円で買った綿パンの上に羽織ってみたら、まあいいかなと思えたのだ。
 40過ぎた辺りから、着るものとか煙草とか、あるいは毎日食べるものにしても少しずつ嗜好が変る。どうでもいいといえばそうだし、やっぱりこれかなと思えばそれだけである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4439

 
     金魚。
 
 
 
■ いつだったか首都高速を走っていた。
 霞ヶ関から外側に抜けるトンネルの辺りで、右に出ようとする。
 ウィンカーを2度出した。
 ちら、とミラーを見ると、AMGの白いセダンが猛然と加速してくる。
 コンプレッサーのついた定番の直線番長である。
 
 
 
■ そこで床まで踏めばいいのだが、あるいはシフトをひとつふたつ落とせばいいのだが、私は他人様を乗せていた。
 15度ハンドルを右に振り、そして戻し、戦意のないことを顕す。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4440

 
     金魚 2.
 
 
 
■ 勝つということもない。
 負けるということもない。
 これは珍しいのだと能書につられ、頼んでみたシングル・モルトや聞いたことのない銘柄の焼酎が本当に旨かった試しは少なく、実を言えばバブル期以来の記号の世界の延長なのだが、ある種分かりやすさというのは大事だとはおもう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4441

 
     金魚 3.
 
 
 
■ シャツは襟が硬く、そのことが気になった。
 一回水を通せばいいかもですね、と妙齢本格派の店員が言う。
 喫煙具や車だのとは無縁のひとが言うのだから、そういうことにした。
 
 
 
■ 裏道を車まで歩く。
 ソムリエのエプロンをしたオールバックの30男が、カップ麺のお湯をこぼさないよう摺り足で歩いてくる。
 
 

2009年07月27日

「緑色の坂の道」vol.4442

 
     不良の夜昼。
 
 
 
■ 暑いのでぐったりしていた。
 こういう天候に外でうろうろするのは、健全な中年か初老にまかせることにして、体力を温存する。
 温存してどうなる、という気もしないでもない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4443

 
     三人吉三、因果の理。
 
 
 
■ なんのせいか、時々古典と呼ばれるものを引っ張り出して捲っている。
 せんだっては河竹黙阿弥「三人吉三廓初買」
 なかなか骨の折れる本で、数頁捲っては溜息をついて元に戻す。
「浮世床」あたりだと、先達のコピーライターの方々がよくなぞらえていたもので、戯作そのものではあるのだが、黙阿弥のそれは奥にこくがありすぎる。
 
 
 
■ 双子の男女は忌み嫌われる。
 なぜなら終いに睦みあうからであると。
 そういった伝承が我が国には暫くあって、この作品もそれを下敷きにしたものではあった。
 確かどこかの国の王室関係のジャーナリストの方が、それに類することを本にされていた。
 それも困ったものなのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4444

 
     ピンクのポロ。
 
 
 
■ 今いる辺りには結構な車好きが潜んでいて。
 と、いう話は何度か書いた。
 大体都心部の奥まった辺りはそんなもので、なんでここにこんなものがあるのさ、と呆れることがままある。
 外苑西の辺りには一台のバモスホンダが棲んでいた。
 夕方、バタバタという排気音をさせて銀杏並木の下を流していく。
 
 
 
■ あまり手入れされていない、というか適当にヤレた感じのマトラもその角を曲がっていった。マトラとは仏製のスポーツカーである。仏車には過剰なレストアが似合わない。
 マトラを横から見ると、走る三角定規であった。
 オーナーとは立ち話をしたことがあって、真ん中のシート、荷物載せておくのに便利ですよと言われていた。
 マトラは3列シート。男3人だと夏場はいやかな。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4445

 
     ピンクのポロ 2.
 
 
 
■ 休暇の支度というかなんというか、車のシートを掃除した。
 革シートの場合、いろいろな方法はあるらしいのだが、私は通販だったかディスカウントで買った米国製の固形洗剤を使っている。
 絞ったタオルにそれをつけて、ただ拭くだけ。
 縫い目のところに埃がたまり、100円ショップで買ったナイロンブラシで掻き出すこともある。今回は面倒なので省いた。
 
 
 
■ 一般に革というのは高級だと言われているが、実はそういうこともなく、単に手入れが楽なだけだろうと思っている。
 元々車には屋根がなかった訳であるし、突然降ってきた雨に布シートであったとすればほぼパンツまで濡れる。半ば実用品なのである。
 
 
 
■ 2-TGとか18-RGの頃合、またはケンメリの頃、ビニールレザーのシートには通気用の穴が空いていることがあった。
 蒸れなくていいだろう、ということなのだが、その頃の車は夏場背中から足許までびっしりと汗をかき、先輩諸氏はサンバイザーに団扇を常備するのが普通だった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4446

 
     ピンクのポロ 3.
 
 
 
■ ごしごしと擦っていると、びっしりと汗をかく。
 普段私は黒か紺のポロを被っているが、ピンクだったりすると何度洗ってもあまり変り映えがしない。
 薄くなるだけである。
 
 

2009年07月28日

「緑色の坂の道」vol.4447

 
     8月の12発。
 
 
 
■ 時折尋ねるビルの地下に、一台のXJ-Sが停まっていた。
 4リッターではなく12発のそれである。
 薄っすらと埃は被っているが見事に手入れされ、BBS風のメッシュのホイルも黒ずんではいない。当時、こうしたメッシュのホイルがヨーロッパでも流行った。特にドイツでは人気だったという。
 
 
 
■ この時代のジャガーの12気筒は、エンジンにパイピングが網の目のように走っていた。
 丁度排ガス規制の頃のトヨタの2リッターにも似ている。
 どこに手を入れていいのか、俄かに判断がつかない。

 
 
■ 何時だったかどこかのPAで、こいつがボンネットを開けていた。
 オーバーヒートしている訳ではなく、少し休ませ、熱を逃がしているのである。
 周囲の視線を気にせず、そうされていたオーナーはひとりで、暫く眺めていたら奥様らしき方が飲み物を買ってきていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4448

 
     三角テール。
 
 
 
■ 維持のしやすさは別として、デザインからするとXJ-Sは初期型だろうとおもう。
 イタリアン・デザインなのだが、何故英国でそれなのかと言えば、多分この車が少しばかり非日常、またはイングランドの冬だったからではないかとおもう。
 分かりやすくてどこかあざとい。
 というのが、伝統的ジャガーの特質、簡単に言えばクラスなのだけれども。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4449

 
     NEGROS.
 
 
 
■ 新橋よりの銀座、資生堂までいかない辺りにシガー専門店があって、たまに駐車スペースが空いていると立ち寄る。
 中にいるのは三十路手前の妙齢。銀の眼鏡をかけている。
 もしかするとワザとかも知れない。
 後は、ピノキオの木靴と細身の縞柄のパンツを履いた若い男の店員で、髪の毛は染めない方がいいんじゃないかなと個人的には思っていた。どうでもいいことだが。
 
 
 
■ COHIBAの紙巻をいくつか買う。
 金と黒とオレンジ、または510ブルのサファリ・ブラウンに似た配色のパッケージである。
 結局は血膿色のシートを懐かしいと思う世界の野蛮さなのだろう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4450

 
     コウ、手前たちは知つてゑるか。
 
 
 
■ このごろたいそう安い店ができたぜ。
 と、始まり、そいつは滅法界だが、と連なる。
 勢いがあるかないかは江戸のそれ。
 そのくせ、何時死んでもいいんじゃねえか、というようなところもあって、流行りのEcoより奥が広い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4451

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2009年07月30日

「緑色の坂の道」vol.4452

 
     男の退屈、緑坂。
 
 
 
■ 暗闇坂の辺りで酒を買った。
 飲みたかったからである。
 この辺り暫くこないが、随分と雰囲気が変わり、また同じだった。
 夏でも毛糸の帽子を被った若い男がレジに並んでいる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4453

 
     驟雨。
 
 
 
■ 雨は降ったりやんだりした。
 有給をとったのよ。
 メールに返信していない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4454

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「緑色の坂の道」vol.4455

 
     夜更けの口説。
 
 
 
■ 今、デスクにライカのM6とR8のボディ、それからレンズ数本が置いてある。
 とりあえず麻のマットの上に置き、その横には文庫数冊とエタノールがある。
 何をしているかというと、途方に暮れているのだった。
 
 
 
■ 銀座というかなんというか。
 夏のなんとか会というDMが届いて、ちらりと捲るとぴかぴかである。
 ブラック・ダイアモンドの粉みたいなものを細工した指輪が40.
 これはいいなと思うデザインの時計が78.5.
 そういうものか。
 そういうものさ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4456

 
     夜更けの口説 2.
 
 
 
■ 高いといえば高い。
 けれども、Ecoという車の最も一般的なそれ、その革シート・バージョンに400近くを出すことを考えると物の価値というのは不思議である。
 自分はどこにいるのだろう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4457

 
     夜更けの口説 3.
 
 
 
■ ライカのR8は、下手をするとF2より重い。
 道具として使い倒すという感じでもないので、頼まれ仕事の時には持っていかない。
 だがそのスクリーンを覗いていると、MFというのもいいものだなと思う。
 
 
 
■ 誰に対して作品を作っているかというと、どこかに口うるさい妙齢がいるのである。
 いいものはいい。駄目なものは横向き。
 そんな男や女が向こう側にいて、あなたなにやっているの、と笑う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4458

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2009年07月31日

「緑色の坂の道」vol.4459

 
     あやめ。
 
 
 
■ トンネルを抜けると視界に赤いものが飛び込んでくる。
 焦げたような匂いがして、発炎筒がばら撒かれていると気づく。
 雨である。
 霧にも似て7月も終わろうとしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4460

 
     夏越。
 
 
 
■ いつのものか、若い女性が歌うJAZZのアルバムらしきものを流していた。
 何処へ行ってもグローバー・ワシントンが流れていた時代があったが、その時できた子は今思春期を過ぎた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4461

 
     水沢に。
 
 
 
■ 私は仕事を終え、戻るところだった。
 事務所に電話を入れ、腹が減ったのでそれから殺伐としたハンバーグを食べた。
 人造の砂を噛んでいるような味がした。テーブルがべたべたしている。
 そんなこと。
 窓から外をみると、彼が身をかがめて仕事していた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4462

 
     ニーチェの著作権。
 
 
 
■ 細かい雨というのは一番滑る。
 首都高の繋ぎ目で、フロントが曖昧になった。
 試しにややきつくブレーキを踏んでみると、ABSが動作するしないかである。勿論直線でアクセルを踏めば、イエローのEPSが点滅する。
 私はギアを落とし、白い個人タクシーと速度を合わせた。
 彼らのペースが日常深夜のほぼ限界で、これは35のRやカレラの4でも同じことだろうと思う。
 
 
 
■ 間欠か定常かを迷うような雨の中、赤白い発炎筒が車線の真ん中に並んでいる。
 視界は曇り、点滅している光の中に黄色い作業車が案外に大きく、同じ色のヘルを被った男たちがコーンの内側にいた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4463

 
     バービヤール。
 
 
 
■ 発炎筒の近くに、ごろりと死体がある。
 兵士か子供か、それを撮る陣営の素直な男がいて、住宅街のスーパーの傍で個展を開くのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4464

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2009年08月04日

「緑色の坂の道」vol.4465

 
     祭髪。
 
 
 
■ 浴衣姿が目立つ。
 夕暮れの坂道。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4466

 
      Grant's.
 
 
 
■ VAT69が切れ、角の43もなくなったので、久しぶりに三角のスコッチを嘗めていた。
 どうということもない、赤ラベルである。
 いつだったか仏映画を眺めていて、悪漢共がこれを飲んでいる場面があった。
 ヌーベルバークの頃か、俗悪と思われていたアメリカ車と共に、これが洒落ていると思われていた季節もあったようである。
 
 
 
■ グラスはその辺りにあった何ものかである。
 バカラはいくつか買ったが全て割った。
 みんな酒が悪いのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4467

 
      影の軍隊。
 
 
 
■ という映画があった。
 リノ・バンチュラが主役で、レジスタンス当時のあれこれを描いている。
 レジスタンス対ナチという図式は、分かりやすいのだがどうも実際的ではなさそうで、敵や味方や親ナチ政権に協力または裏切りという、いわく言いがたい大人の事情があったようである。
 この辺り同胞が互いにということを維新以後経験したことのない私たちには、肌で感じることが難しいようでもある。
 
 
 
■ バンチュラと言えば「冒険者たち」が有名である。
 けれども、なんという題名かは忘れたが、アルプスの山中をBMWのオープンでメルセデスとバトルする映画があって、30代のころなすすべもなく深夜TVで見た覚えがある。
 そのBMWは白い奴が確か我が国にも輸入されていて、70年代初めのCGでドライブされていた。
 当時のBMWはややマイナーな存在で、チャイルドシートを2つ後部座席につけ、背後がみえなくなるまでドライブスルーの紙袋を蓄え、スーパーの駐車場に傾いて停めるような類のものではなかった。
 勿論、メルセデスもアルファもである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4468

 
      コートとシトロエン。
 
 
 
■ 影の軍隊に出てくる車は、FFの初代シトロエンである。
 正式名称をなんというのか、ちょっと忘れた。
 なかなかいいデザインをしていて、それが漆黒だったりすると、アポリネールの詩でも捲ってみようかという気になる。
 
 
 
■ 先輩筋の方が、次はそれを直に輸入しようかと騒いでいるのだが、ええと。
 冬になったらぜひ乗せてください。
 ギャバジンにオイルひいたハーフ・コート着てお供します。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4469

 
      August.
 
 
 
■ 8月というのは、基本的に無駄である。
 なにもせず、蝉が近寄るのを聞く。
 デザートに白玉を食べる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4470

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「緑色の坂の道」vol.4471

 
      エルマーM F3.8/24.
 
 
 
■ あるところで、このレンズで撮った作品を見た。
 モノクロ。
 ちょっとそれはないよね、という按配である。
 若い頃、と言ってもいい歳にはなっていたのだが、私はあまりレンズの描写には拘らなかった。単に金がなかったという話もある。この辺り実は相対的なもので、本当に金がなければ別のことをしていた。
 PCその他で現像はしているのだろうな、と思いながら価格表を眺めている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4472

 
      ベルリンフィル。
 
 
 
■ どんなカメラで撮ってもいい作品は撮れる。
 技術の進歩と、作品そのものの感動などは別物なのだが、この辺り、どうしてもスペックや伝説などというものと結びつきやすい。
 いわゆるお道具というようなところだろうか。
 懲りすぎると野暮になってしまうが、全く知らないというものまた困る。
 
 
 
■ 悪友と酒の席で好きなことを言っていて、そりゃおまえスーパー・アンギュロンだろう、フルベンのモノラルみたいなもんだぜ。とか言う。
 隣の席のお姐さんが半分呆れて、酒を作りはじめる。
 いや俺はアバドの小品も嫌いじゃないな。
 お気になさらず。知っている単語、並べているだけなのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4473

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2009年08月07日

「緑色の坂の道」vol.4474

 
     エゴイスト。
 
 
 
■ 夏だというのに、シェスタコービッチを聴いていた。
 駆け込みの所用と打ち合わせが続き、あちこちの駐車場に出たり入ったりする。
 車に戻ると、今何楽章だったか、そのうち分からなくなった。
 みゆき通りの辺りでライカレンズの螺子を換えてもらい、そのあいだ色のついたグラスを買う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4475

 
    エゴイスト 2.
 
 
 
■ 編集の妙齢が置いていった雑誌がその辺りにあった。
 いわゆるお水というかアゲハというか、髪を逆立てた若い女性のお話である。
 彼は事業本部長。
 とか、こちらも髪を逆立てている。
 一時六本木の辺りでフェラリの空吹かしをしていた連中がいて、おまえそれ、厚木246でゼファー焼きつかせてただろう、と私は思った。
 すこし前なら、FXかペケジェイである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4476

 
     エゴイスト 3.
 
 
 
■ 彼女たちの好みの香水が、それだという。
 近代市民社会セーリツの果てという感じもする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4477

 
     雲の果ての秋。
 
 
 
■ 雨の多い夏だった。
 結構廻したつもりだったが、オイルは減っていず、シリンダーと相性がいいのかと思われた。
 私は半額になった紺のポロを着ている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4478

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2009年08月08日

「緑色の坂の道」vol.4479

 
     遠雷。
 
 
 
■ 夏草で踵まで埋まった。
 匂いはしない。
 夕方、西の方で光るものもある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4480

 
     マーラー10番。
 
 
 
■ 強く冷房を効かせた部屋で、続きを聴いていた。
 難解というか、すこし困った作品である。
 マーラー自体がそうなのだが、この複雑な自我は、いわゆる古典的な芸術家の規範に入るものだろう。トーマス・マンのクレーゲルなどを彷彿とさせる。
 
 
 
■ 音楽を聴くに車の中で、という人は多いだろうと思う。
 例えば深夜の高速を西や東に向かうとき、クールズ・コントロールをセットして普段聴かないCDなどを入れる。窓を閉めていれば今の車はほとんど音がしない。
 ややボリュームを上げ、最後まで聴き通すこともできた。
 夜に限る。
 同乗者がいない時である。
 
 
 
■ 私の場合、古典落語だとか文楽とか、そんなものを若い時分に聴いた。
 昭和の懐メロも好きで、カセットからMD、そして今の媒体に変わってきている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4481

 
     プルガトリオ。
 
 
 
■ バブル終わりの頃だったと思うのだが、マーラーの「大地の歌」が洋酒の宣伝に使われた。
 あそこは山口さん開高さんらが在籍していたところで、伝統的に宣伝が旨い。
 何時だったか、坂の上にあるホテルのバーにいくと、LEDで青く照らされたビールの泡注ぎが置いてあり、どうしたのこれと尋ねればそういうことである。
 ギミックと言えばそうなのだが、男の世界、例えば持ち物ひとつとってみても似たようなものである。
 
 
 
■ カウンターの定位置のすぐ隣にあったので、やや鬱陶しかった。
 仕方なくビールを貰うのだが、これもまた付き合いというものなのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4482

 
     英国風、屈折。
 
 
 
■ マーラーに関する研究というかなんというかは、英国で盛んであるという。
 文献にあたってないので不分明だが、さもありなんとおもう。
 あの国の一部には滅びる事をどこかで善しとするような風情があって、ほとんど頑固親父の世界だが、人のことは笑えない。
 
 
 
■ 先日、地下へ降りると一番新しいジャガーのセダンが前を向いていた。
 とてつもなく速い、とされる奴である。
 脱伝統というスローガンのそれは、口を開けた無国籍で、半分どうしていいのか分からないようにも思えた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4483

 
     落ちていた蝉。
 
 
 
■ 夏の終わり。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4484

 
     サンダルとシガー。
 
 
 
■ 246の辺りで煙草を買いにいった。
 奥まったところに店があり、その前には灰皿がある。
 男が一人立っていて、真面目な顔で茶色のシガーを吸っていた。
 彼はランニングで、ゆるやかなパンツを履き、夏なのでサンダル履きだった。
 真剣に寄り目になっている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4485

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2009年09月03日

「緑色の坂の道」vol.4486

 
     ポコ・ソステヌート。
 
 
 
■ 麦茶を沸かさなくなった頃、夏が本当に去るという。
 独身のあなた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4487

 
     駐車料金とアルファ。
 
 
 
■ この界隈では月極めの駐車代が高い。
 暫く前、といってもバブルの頃合だが、月額7とか8とかしていたことがあって、一体どういうことなのかとも思うのだが、世の流れである。
 今は屋根がついて5から6。スーパーに隣接したタワー式のそれだと4を下回るものがあった。
 
 
 
■ 先日そこからビスケット色をしたアルファの1600が出てきた。
 後部座席におふくろさんを乗せている。ドライバーは若く背が高い。
 GTAではなかったが、かなり手を入れられていて、程度は良かった。少なくとも外側は何度か塗りなおした模様である。
 
 
 
■ 当時のアルファは確かウェーバーである。
 SUに比べて調整が簡単だとは言うが、開けたドアからそのままキーを捻るという訳にもいかず、原則としてクーラーは付いていない。
 息子にそんなものを買ってやるなんて、おふくろさん甘いですな、と思いながら、どっちにしてもこれから苦労するのだと思った。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4488

 
     ぬるい水。
 
 
 
■ 空港で食事をするのが馴染まず、侘しい気が残る。
 何が食べたいというわけでもなく。
 私はと言えば、CFカードをいくつか持って、後はどうでもいいやという気になった。
 中身は送っているので、退屈なおまじないである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4489

 
     夏のことはもう忘れた。
 
 
 
■ そういって長袖を定価でかう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4490

 
     振り子。
 
 
 
■ ねじれながら繰り返していく。
 多分今みているものは少し前の騒ぎと同じものである。
 植民地ニッポンの労働者諸君、と書いたのは殿山さんだった。
「流行」という短編が吉行さんの作品にある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4491

 
     振り子 2.
 
 
 
■ 言葉は省くものである。
 と書いたのは、山本夏彦さんだった。
 実際、省いていたかどうかは別として、系譜に詩人がいたからだと識ったのは暫く経ってからだった。息子は父のことを語りたくない。できれば祖父のことも省きたいもので、それを得々と話す奴がいると、いい系図買ったものだなと野次が飛ぶ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4492

 
     September.
 
 
 
■ 昼間から風呂に入っていた。
 近郊である。
 会員になるとどうしたというから、サヨデッカと記入した。
 
 
 
■ 退職を大分過ぎられた方々と、何故だか分からないが本日はお休みの二の腕が太い中年というか壮年の方々が、日のあたるところで寝そべっている。
 私はといえば、薄く色のついた眼鏡をしていたものだから、失礼があってはいかんのでそれをつけたり外したりする。
 以前サウナでレンズを駄目にしたことがあった。
 
 
 
■ 様々なものをぶらぶらさせながら、目線があい、威嚇し受容し、それから空を眺めている。
 鰯雲。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4493

 
     男性一番人気。
 
 
 
■ は、カツカレーである。
 非常に分かるような気がする。
 腕に巻いたバーコードをかざすと認識される訳だが、そういえば認識論ってあったような気もした。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4494

 
     私は夏野菜のカレーを食べた。
 
 
 
■ 奥の席にはゴージャスな半袖を着たカップルがシパーッと細い煙草を吸っていて、親方、奥様綺麗ですねというところ。
 あらそんなんじゃないわよ。
 なんでもいいのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4495

 
     鰯雲。
 
 
 
■ タオルを前にかけ、長椅子から眺めた四角い空は忘れがたい。
 廻りに高いビルがないのである。
 雲は形を変え、ゆっくりと膨らんだり儚かったりした。
 PLフィルターこれくらいで、あのレンズだとどうでるかな。
 と、馬鹿なことを考える。
 ボディやフィルムによっても違うのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4496

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2009年09月07日

「緑色の坂の道」vol.4497

 
     鰯雲 2.
 
 
 
■ 風呂からあがるときっちり1キロ減っていた。
 夏用の喪服をケースに片付け、持ってきた綿パンとポロに着替えた。
 若い頃お世話になった方で、膵臓が悪いと聞いていたが、すこし早すぎないかと割り切れないのである。
 その人は勤め人だが、職種でいえば職人だった。
 ヘルメットのラインの意味を教えてもらったことを覚えている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4498

 
     月と波で。
 
 
 
■ 誰もいない浜辺を歩いたことがあるだろうか。
 私は暫くない。
 銀の音がする。それから。
 
 

2009年09月08日

「緑色の坂の道」vol.4499

 
     旅人かえらず。
 
 
 
■ 先日、待合室で「遠野物語」を読んでいた。
 柳田民俗学には様々に批判もあるが、この作品はひとつの物語として少なくとも今は読める。
 大体が結構な名文である。
 
 
 
■ 夜になると虫が鳴いていた。
 書棚の奥に西脇さんを捜している。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4500

 
     永劫の根に触れ。
 
 
 
■ 前近代と近代とのあいだを、感覚的に同時に理知的に把握し表現したのが西脇さんだったのだろう。
 いくつかの断片は今でもソラで言える。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4501

 
     少年の顔。
 
 
 
■ 男のなかには、時々少年が棲んでいて、ふとした弾みにそれが表に滲む。
 そこには質や方向というものがあって、全体として眺めるとそれに相応しいところにいたりするのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4502

 
     夜更けの虫。
 
 
 
■ 月が傾くと、さっきまでの虫は眠りにつく。
 そんなことに気づいて。
 
 

2009年09月09日

「緑色の坂の道」vol.4503

Photo,Designed by kitazawa-office.Photo,Designed by kitazawa-office.
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2009年09月10日

「緑色の坂の道」vol.4504

 
     All Across the City.
 
 
 
■ 最近高層ビルの上で酒を嘗めていない。
 だからどうしたのだろう、という気になるのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4505

 
     All Across the City 2.
 
 
 
■ ジャンゴとジム・ホールのどちらが好きか。
 などという質問をしてくるJazzファンがいた。
 地方都市のカウンターで漠然としていた頃である。
 ま、その時の都合でいいんじゃないですか。
 納得してくれない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4506

 
     All Across the City 3.
 
 
 
■ いつだったか、ロマの歴史について読んだことがある。
 インドのある地方から流れてきたとか、奴隷であったとか、実はそれよりもホロコーストの対象になって、膨大で判然としない数がヨーロッパから消えたということの方が闇だった。
 私はといえば、その後飲みにでかけ、付き合いでブルーラベルを頼んだりする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4507

 
     All Across the City 4.
 
 
 
■ この酒一杯で、第サン世界の子供たちにワクチンがグロス届くんだ。
 カタカナで書くのか。
 そう、今履いているパンツは上海の奥の工場で作られたものだ。
 水の都だったな。
 クリークが綺麗だ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4508

 
     川には河童多くすめり。
 
 
 
■ 半袖では少し寒い日だった。
 肘のあたりがすうすうする。
 男の肘とは汚いものだが、これを塗れと指示されたクリームを暫くは続けた。
 
 

2009年09月13日

「緑色の坂の道」vol.4509

 
     まぼろし。
 
 
 
■ 神経を使う仕事がおわると熱が出た。
 大体、こんなものである。
 10年前と比べると回復までの時間が長く、このようにして土が近づくのだとおもう。
 ドットハライ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4510

 
     まぼろし 2.
 
 
 
■「THE WORKING POOR」という本があって、先日寝そべっては捲っていた。
「ニューヨーカー」に寄稿したりしている、ディビット・K・シプラーというジャーナリストが書いたものである。岩波書店。
 この話題については様々な本が出ているのだが、どうも半オクターブくらい高いものが多く、最後まで読み通せなかった記憶がある。
 
 
 
■ ここで読者は、別のところにまとめてある「甘く苦い島」の文章部分を読みにいっていただきたい。億劫でしょうけれども。
 部分的に再掲。緑坂 3558.
 
―――
 
■ 第一次大戦後、アメリカは好景気の波に乗る。JAZZエイジと呼ばれるそれである。
 失業者は減ったものの所得の格差は広がり、全体の42パーセントの年収は1000ドルにも満たなかった。ブルッキンズ研究所の報告によれば、トップにいる1パーセントの更に10分の1が、底辺を形成する42パーセントと同じ収入を得ていた。
 当時のNYには貧民窟に暮らすひとびとが200万人いたとされている。
 そして1929年の大恐慌がくる。
 この恐慌については、別に何度も書かなければならないものだろう。
 30代大統領、クーリッジは得意の名言を吐く。
「人々がどんどん職場から放り出されると失業が生じる」
「この国はうまくいっていない」
 市場経済主義者というのは、外から物を言うのが得意であった。
 
 
 
■ 一方、1930年代にはオクラホマで大量に難民が発生していた。
 小作農は土地を奪われ、25万、30万人とカリフォルニアに流れこんでゆく。スタインベックの「The Grapes of Wrath」にはこの間の事情が克明に描かれている。
 小作農の中には、第一次大戦に従軍した兵士たちも多かった。
 彼らは「オーキー」と呼ばれたが、当時の白人小作農たちの生活を、ニューディール政策の下、農業安定局(FSA。1937年に再移民局より改名)に雇われた写真家たちは膨大な記録に残している。
 FSA、ストライカーの総括の下、ウォーカー・エバンス、ドロシア・ラングなど、5人の写真家が雇われた。後に画家となる、ベン・シャーンなどの名もある。
 アメリカ南西部の農民達の窮状調査。
 この活動はニューディール政策の宣伝の意味が強かったのだが、写真史の世界では「アメリカン・ドキュメント」と呼ばれ、20世紀初頭、ルイス・ハインなどによって始まった社会的ドキュメンタリーの延長線上にあった。
 FSAの活動は、第二次大戦最中まで続けられたが、のべのネガ枚数は20~27万枚に及ぶという。
 それはドキュメントというにとどまらず、ある種アメリカのイコンになっていた。
 最も有名なそれは、ドロシア・ラングの「MIGRANT MOTHER, NIPOMO,CALIFOLNIA,1936」であるかも知れない。
 が、これは誰が撮ったものだろう。
 金網に手をかけるひとりの少女の写真があって、彼女は笑っていたりもする。