緑坂 3

2005年01月12日

「緑色の坂の道」vol.3596

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2006年01月05日

「緑色の坂の道」vol.3586

 
       一月の雨。
 
 
 
■ 年が明けている。
 一年を振り返るとか、今年は何をしようとかいうことを書く気になれないで、緑坂はいつもの通りであろうか。
 ランキング等に参加するようになったら、やめたほうがマシだという気もしている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3587

 
       一月の雨 2.
 
 
 
■ 盆や正月というのは、薄いかさぶたのようなものがいっとき剥がれてゆく狭間であるような気もしている。
 自分が何処から来たのか、何をしていたのか、本当に好きな食べ物は何なのか。
 というようなことが目の前に突きつけられたような錯覚に陥る。
 であるから、若い頃は少し恥ずかしいものだった。今もその気配は残る。
 おふくろの作った雑煮の味が、身体の中に染み込んでいる。
 三角の握り飯を作るのが下手で、いつも丸いそれだったりした。
 懐かしさというのは、時間である。
 あるいはその時に見た、単なる風景であったりもした。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3588

 
       一月の雨 3.
 
 
 
■ 師走の歌姫。
 という緑坂を書こうと思ってしまい忘れた。
 地下二階にある駐車場から車を出す。
 昨日まで一面に散らかっていた銀杏の枯葉が片付けられている。
 青い制服を着た、掃除の方々が掃いてくれたのだと分かる。
 仕事とはいえ申し訳ない気分が残るのは、私も昔、ゴルフ場の掃除をしたことがあったからで、遠くに見えるプレイヤーと隣の女性が別の世界にいるように思えた。
 はいつくばって芝生の手入れをする。
 何時かそうした立場になりたいと思うこともなく、その仕事で得た金で単車の部品を買っていた。あるいはガス代である。
 それで何処を走ったかというと、実は覚えていないのだった。
 
 
 

2006年01月09日

「緑色の坂の道」vol.3589

 
       古い革靴。
 
 
 
■ ボサノバは冬のためにあるのよ、と誰だかが言っていた。
 今、そんなことは誰も口にしない。
 中古になったCDが二枚でいくら。ポイントカードはお持ちですか。
 位があがると、名札のところに色がつくのだ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3590

 
       ゆるやかに傾く。
 
 
 
 
■ 実は私もいい歳になったので、それほどのことでは驚かなくなっている。
 昨日夜半、仕事をしながら薄く窓を開けていると、六発の銃声のようなものが聴こえた。高いその音ではなく、消音器を付けた38口径程のものである。
 もしかすると、青い外ナンバーの方々があれこれあったのかも知れず、暫く放っておくとサイレンの音はしない。
 屋上にある日本庭園にも人影はなかった。
 
 
 
■ そこは流れで、次ゆこう。
 というのが緑坂のひとつのテーゼである。
 消音器と思ったものは、金属バットを壁に数回殴りつけたものかも知れず、銃声との判別はなかなかつかないでいる。
 小さな地震のようなものがトレーラの爆発であったりしたことも、数年前にはあった。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3591

 
       寒椿。
 
 
 
 
■ 一体に表現をするということは、怖いものだという気がしている。
 写真であれ文章であれ、例えばデザインにしても、その本人の個性というものが滲み出ているものだからだ。
 個性というのは様々な要素の複合体であるが、元々あったものにそれから付けたし、あるいは一定の部分を削り、ひとつの方向に持ってゆこうとする。
 ひとつの方向とは狭いものではなく、一定の幅があるものだが、いずれにしても表現の背後にはその本人の実態そのものがあると思うようになった。
 
 
 
■ 植え込みのところに赤い色がある。
 それが椿であることに気づいて、それから坂道を下る。
 この道では煙草が吸えない。
 
  

2006年01月11日

「緑色の坂の道」vol.3592

 
       手を伸ばしたら湿っていた闇。
 
 
 
 
■ 私は風邪がうつり、連休には熱を出していた。
 仕上げねばならない仕事がひとつふたつあって、明け方もそもそと資料をめくる。
 つまんねえなあこんなこと。
 でもこれを片付けないとなにがしか、片がつかない。
 赤いラベルの酒を嘗め、それをタウリンで割っていた。
 
 
 
■ どうでもいいことではあるのだが、ITの会社やネットの世界の一部には、カルト的な空気が薄く漂っているかのように思えることがあった。
 カルトとは何か、というと前に書いた緑坂があるので検索していただきたい。簡単に言えば、非合理的なカリスマや絶対的な存在を求める心理的な状態である。
 つまり、疑い続けることができないでいる。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3593

 
       手を伸ばしたら湿っていた闇 2.
 
 
 
 
■ 矩形のスペースに突っ伏して、枕の傍に置いた携帯が鳴り、気が付くとそれが放り投げられてあった。
 ごめんね、と言いながら拾い寝癖を直す。
 洗面台の顔は無様にむくんでいる。
 さわやかに笑うことなど、ここ十年くらいやっていないのではなかろうか。
 ま、いいんですけどね。
 
 
 
■ 緑坂というのは、状態のことなのよ。
 とか抜かした妙齢中程がいた。
 中程、ということにしておく。
 こいつ昔からしゃらくさいことを言っていたが、暫く考えてから言っているんだろうなあ。カレーパン食べながら。
 緑坂がそうなら、おまえさんはなんだろうね。
 わたし。
 わたしは毛を焼かれた狐みたいなもの。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3594

 
       手を伸ばしたら湿っていた闇 3.
 
 
 
 
■ 闇には匂いのようなものがあって、あるときそれをごまかすためにお香を焚いてみたりする。
 香の道は、聞くというらしいのだが、なに耳で分かるわけでもない。
 感覚を曖昧にすることで分かってくる世界がある、という前提で成り立っている。
 
 
 

2006年01月12日

「緑色の坂の道」vol.3595

 
       手を伸ばしたら湿っていた闇 4.
 
 
 
 
■ 東京の冬は乾いている。
 そうでないところが、大雪であるにも関わらず。
 一月の初めまで時折舞っていた銀杏の枯葉も粉になり、深夜、不思議なタイアを回転させる黄色の清掃車が片付けていった。
 私が今履いている靴の底は磨り減っていて、雨の日の黒い大理石の上では滑る。
 かといって並木通りで買おうかなという気にもなれず、一月に潰そうと考えた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3597

 
       枯れ枝の色たち。
 
 
 
 
■ モデムでないと繋がらないメールサーバーがあって、そのために古いカード型モデムを設定していた。56の季節が懐かしい。
 技術というのは相対的なもので、画像やデザイン以外のアプリならば、石(CPUのことです)は数年前のもので十分である。それよりもメモリを余計に積んだ方がいい。
 などと、生意気なことを言えるようになったのは何時からだったろう。
 夜通しWSを分解していた穴蔵のような仕事場。
 それをアトリエと書いたのはEPSONの妙齢デザイナであった。
 
 
 
■ 庭が白みかけてきて、遠くにある薄い高層マンションにはまだ灯りがついている。
 山一証券の元会長はバブルの頃、40階建てのウォーター・フロントの最上階にいたと、読売新聞のノンフィクションで読んだ。雪印の崩壊に関しては、北海道新聞が力作を出していて、最近はそのような本を眺めていた。同じ記者という職業であるが微妙に文体が違う。それは風土なのかデスクの個性なのか。
 読売の社食は古き昭和の匂いがする。
 私は、写真家と呼ばれることがたまにあって、その場合「先生」とついてくる。
 他に呼びようがないものだから、「センセ」とカタカナなのだろうと考えてもいる。
 とりあえず立てておけば間違いはないだろうという側面と、また、使い捨てである者を昔から先生と呼んだ、と山本夏彦さんは書いていた。
 世は商売。
 
 
 
■ 一月の街路樹は灰白色をしている。
 薄く茶が混ざってもいるのだが、それは僅かだ。
 
 

2006年01月14日

「緑色の坂の道」vol.3598

 
       そこにいるだけのあいだ。
 
 
 
 
■ ご存知、「甘く苦い島」のコピーである。
 原型は、NYのブロードウェイ近くの交差点、急ぎ足で通勤してくるニューヨーカーを壁にへばりついて撮影したものである。
 面倒なので直接のリンクは貼らない。上部にある「甘く苦い島」take.1 41枚 をクリックするとその中にある。
 
 
 
■ 撮影時、私はリコーのコンパクトカメラを使った。マニアなら分かるだろう。GRレンズの付いたそれである。絞り優先。若干の露出補正をかけることもあるが、ほとんどカメラの露出のままでいける。
 後にライカのM6が手に入り、28ミリということでこのレンズを捜した。
 ライカ用のマウントである。元々はそのために作られたからである。
 新橋や銀座の中古カメラ屋でも、なかなか置いておらず、なんということだろうか、スーパー・アンギュロンなどよりも場合によっては高価であると言われた。
 となると、GRを複数台持っていた方が何かと実用的なのであるが、カメラの世界はそういうものでもなく、暫く悩んだ覚えがある。
 
 
 
■ ガッコの頃の大先輩に、当時このレンズを作った辺りにおられた方がいて、何時だったか写真を見ていただいた。
 読売新聞での仕事「列島いにしえ探訪」である。
「北澤、これをリコーにもってゆけ。これはいい。風を感じる」
 とか言われたのであるが、うーん、そういうのってなあ、とか思いながら今日に至っている。
 奈良原さんや、そうそうたる方々が作例を載せておられたからということもあるが、恐らくは私の個人的資質なのだろう。
 どうもね、そういう商売は苦手である。
「いにしえ探訪」の当該作品はニコンの24ミリで撮影している。
 大先輩は海外でゴルフをされたりして壮健なのであるが、会合で顔を会わせると最近は撮っているのかとハッパをかけられる。
 はあ、お注ぎします。
 などと日本酒を注いだりして、男の世界も線路は続くよどこまでも。
 ローレンローレン、ローハイド。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3599

 
       そこにいるだけのあいだ ツー。
 
 
 
 
■ GRのレンズは適当にウェットである。
 エルマーのそれ程でもなく、僅か100年と少しで近代化とその果てに辿り着いた我が国に相応しい、合理主義と大正期べス単の味を隠し味のように描写に忍ばせていた。
 とか書くと、毎月カメラやレンズの構造と歴史を褒めなければならない、大手新聞社のカメラ雑誌のライターさんのようである。
 ま、仕事ですからねえ。
 作例がつまらないからといって、取材費が出なかったりする訳だからいたしかたないところもある。
 
 
 
■ 結局、GRレンズのライカマウントは買えなかった。
 M6でリバーサルを使うことは滅多になく、コードバンのストラップをつけて喜んでいた。中にはどう転んでもともかく写るトライXなどを入れている。
 モノクロというところがマニアなのだ。
 一度、金属製のレンズのフードを転がしたことがあって、おお2万数千円と思いながら赤になった信号のあたりでクラクションを鳴らされた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3600

 
       女郎の足抜け。
 
 
 
■ のようなことを、この正月明けにやっていた。
 つまりまあ、夜逃げの手伝いのようなものだが、そのために私は豚のような自分の車を洗わず出した。洗うと目立つ、というよりも雨が降る。
 何年か前にもそのようなことがあり、深夜都心のオフィス街で荷物を積み込んで首都高速を飛ばした。
 当時、謝礼はカレーライスである。
 
 
 
■ もういいだろうというところで道に迷った。
 抜けてきた女郎は隣の席で、風邪をこじらせた咳をしている。
 それは見事に私にうつり、今でも身体から抜けない。
 どうしてくれるのさ、とここで言う。
 川があり、細い月が映り、それでいて冬の空は抜けていた。
 やつれた彼女は普段より五歳ばかり老けてみえる。
 時々、思い出話をしては同じところを廻っている。
 数日、酒ばかりを飲んでいたのだという。
 ワインだと言ったが、なくなったら紙に入った日本酒であろうかとおもわれた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3601

 
       続・女郎の足抜け。
 
 
 
■ アニさん、わたし。
 なんでえ。
 これからどうしたらいいかえ。
 
 
 
■ 東海道の品川宿、そこにある神社は六月に祭りがある。
 急な階段を登ってゆくと途中に小山のようなものがあり、模擬的なお遍路の道になっている。
 そこには大きな石碑があって「道行」と楷書体で書かれていた。
 品川の宿場女郎、飯盛女達が祭られているものである。
 
 
 
■ さて。
 傷ついてるんだから、回復には時間がかかる。
 すぐにがんばろうと思うんじゃねえぜ。おめえはそれがわりい癖だ。
 とか、煙管はないので紙巻で、ゆるゆる車を走らせた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3602

 
       ぞくぞく、女郎の足抜け。
 
 
 
 
■ 彼女はいわゆる中産階級のひとり娘である。
 郊外に家があり、教育を受け、途中ではぐれ、何か夢のように絶対的なものを求めた。 思い立ったらすぐ旅に出てしまうような、わたしはボスボラス海峡が好きなのよ、とか80年代中頃には多分言っていたのだろう。
 恋をするが、その恋には現実味がない。
 破滅であるとか「スパゲテツティ・コナチーズ・カケテクレンチョ」の伊達男に弱かった。ツが大文字であるところに注意。
 
 
 
■ でへでへでへ。
 と、本当は泣くところだ。
 女の泣き顔には育ちが出るというが、ほぼ鼻水を垂らしてもいい段階ではあったように思われる。
 ここでいい、というのは建前で、本当はその角を曲がって茶を一杯。
 
 
 
■ 送り届けた後、私はコンビニで暖かいお茶と肉まんを買った。
 郊外のコンビニは、小学校のグランド半分くらいの駐車場がある。
 若い女の店員は、お釣りの小銭を投げてよこすようなこともなかった。
 それからまた道に迷い、いくつもの通りを抜けて、小林旭と美空ひばりのCDを聴きながらずるずる都心に戻ってきたのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3603

 
       女の入り口恐山。
 
 
 
 
■ 仕事に疲れた女たちは北へ向かうのだという。
 いつだったか郵便受けの中に霊場ツアーの広告が入っていて、暫く眺めて捨てた。
 全国各地にある霊場というか、神のいる山やそうした箇所を訪れる旅行社のパンフである。
 添乗員達は皆なにがしかの師範代であったりした。顔写真も出ている。
 ある意味では、眼鏡をかけたネズミ男であろうかと思われた。
 
 
 
■ かつて「銀座ラプソディ」で樋口修吉さんが、大手商社に勤めながら博打癖が治らず、終いには百科事典の販売員になっていった自伝的経緯を書かれていた。
 私は博打はやらないが、不思議に身につまされた。
 本作は、昭和30年代後半から40年代半ばにかけての銀座・赤坂、あるいは六本木界隈の風情を驚くべき記憶と細部の描写で、あたかも散文詩のように留められている。
 普段本は読み捨てることにしているのだが、この本だけは捨てきれず、「銀座百店」や「洋酒天国」のダイジェスト版と共に書棚の中に紛れている。
 樋口さんは作家になられた。味のある随筆を、寡作であるが綴られている
 ところで、今も癌の特効薬だというカタカナの薬というかなんというかを売っているひとたちもいた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3604

 
       家へ帰らないか。
 
 
 
 
■ わたし、恐山にいこうと思ってね。
 ふむ。
 そこで仲居でもしているわ。暫くしたら来てね。
 おめーは何をいっているんだか。
 だってさ。
 いい男を捜して、子供ができるように抱いてもらいな。
 知的衒学、足抜け女郎は、そこでくしゃみと咳をした。
 
 

2006年01月22日

「緑色の坂の道」vol.3605

 
       ドリームランド 5.
 
 
 
 
■ 2005年の3月、私は「ドリームランド」という題の緑坂を書いた。
「オウム」というキーワードで、本ブログで検索していただきたい。
 その前後である。あるいは緑坂 3048.
 
 
 
■「政治的宗教」あるいは「カルト的経済」。
 いくつもの単語で今の世界は語ることができる。単語というのは概念を圧縮したものだが、その背後に幾層にもたたまれた構造があることに注意しなければならない。
 薄い予感のようなものがあって、このところ私は、立花隆さんの田中角栄のシリーズを壊れかけたソファの上で読み返していた。
 金権体質というのがこの国に伝統的にあるのだとして、本件もその延長線上にあるものだという気がしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3606

 
       漠然とぼんやりする能力。
 
 
 
 
■ この17日前後というのは、短いタームではあるけれど、歴史のひとつの曲がり角であったという気がしている。
 ニコンが銀塩カメラを縮小。
 それからヒルズの事件で、その後にはコニカミノルタがカメラやフィルム事業からの完全撤退を発表した。
 考えてみれば私もコニカミノルタで「甘く苦い島」を販売していたのだから大騒ぎの筈である。
 
 
 
■ 守秘義務という訳ではなく、とりあえず仁義というものがあると私は勝手に思っている。よって、今の段階で仔細は書かないことにしよう。
 それよりも、彼や彼女はどうするのだろうとお人よしのことを考えた。
 
 
 
■ 麻雀放浪記の作者、別名、色川武大さんに「うらおもて人生録」(角川文庫)という本がある。緑坂にも何度も出てくる。
 子供のいなかった色川さんが、50歳を過ぎて若いひとたちに分かりやすく語ろうと試みた、読み返すとなかなかコクのある随筆集である。
 私は色川さんと等しく、どこか列の外にいた不良だったので、書かれていたことは身に染みた。
 大事な時にチャランポランになること。という一節があって、この按配はよく分かる。 突っ込み過ぎない、更に追い討ちをかけないという説明があるのだが、ま、そこは流れで。

 
 

「緑色の坂の道」vol.3607

 
       東京の印象。
 
 
 
 
■ 雪はとりあえず一日で過ぎた。
 私の今いるところは、大きな庭に面しているので雪が降り落ちるのをカーテンを開け、暫く漠然と眺めていた。
 新雪は桜の開花にも似ている。
 けれども一方で、三メートルを超す積雪の中でじっとしていなければならない人たちもいて、受け取り方は存在に依拠する。
 近くにあるホテルの窓には、雪を眺めようとする家族連れや同伴の人たちもいて、彼らは何時までもカーテンを閉めなかった。
 チャリチャリ、と坂道を、金属のチェーンをつけたトラックが昇ってゆく音もする。
 
 

2006年01月23日

「緑色の坂の道」vol.3608

 
       緊縮小唄。
 
 
 
 
■ 咲いた花でも しぼまにゃならぬ ソジャナイカ
 ここが財布の ソオヨ ダンゼン あけた財布の締めどころ
(時世時節じゃ 手をとって
  ハ 緊縮しょや 緊縮しょ)(以下囃子同じ)
 
 他人の金なら よそ見て済もが ソジャナイカ
 借りた五十億は ソオヨ ダンゼン 借りた五十億は頭割り
 
(西条八十作詞:中山晋平作曲:藤本二三吉唄「緊縮小唄」ビクターレコード:昭和4年)
 
 
■「公私経済緊縮運動」というものが昭和の始めにあった。
 その時のPRソングのひとつである。西条八十など、当時最高のメンバーによる制作である。二三吉さんは江戸前の芸者。「祇園小唄」などで有名である。
 確か、祇園恋しや だらりの帯よ とかいうものだったと記憶している。
 当時のメディアと言えば、ラジオよりも蓄音機が普及していた。もちろんテレビなどはない。
 時は「金解禁前」、そのために緊縮財政を国民に訴えることが目的である。
 大量のビラ、講演会・映画制作などなど、国を挙げての国策運動の一環である。
 初の政権放送も宰相・浜口雄吉によって、レコードに吹き込まれている。
 関東大震災の後、その復興のために膨大な金がかかる。その融資のためには金本位制を採用しなければならない。第一次大戦の好況から一転して、巷には不景気風が吹き始めていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3609

 
       まあ考えてごらんなさいませ。
 
 
 
 
■ 当時の蔵相・井上準之助は全国に遊説行脚を行う。
 家庭の主婦向けに、「まあ、考えてごらんなさいませ」「‥じゃございませんか」などのソフトムードで国民とその台所に訴えたという。
 
 
 
■ ところで「ソウヨ ダンゼン」というような言い方は何処かで聞いたことがある。
 昭和30年代の日活映画、裕次郎の相手役がよく使っていたような記憶があった。
 石坂洋次郎の純文学路線のそれである。
「断然」をカタカナで口にする。口にした時は漢字であるかカタカナであるか、はっきりしないのであるが、この場合には当然後者であろうかと思われる。
 何故なら、西条八十の作詞もそうなっていたからだ。すこし力んで言う。
 昭和4年と言えば、大正デモクラシーの名残もあり、また巷にはエログロ・ナンセンスの風潮も次第に蔓延していた頃合である。
 
「なーにがなんだか ワッカラナイノヨ」
 これは、後年クレイジー・キャッツが替え歌で歌ったものだが、元唄はこの頃であった。元週刊朝日の編集長、扇谷さんが就職試験の後、この歌を歌って帰ったという記載をご本人の随筆で読んだ覚えがある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3610

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「緑色の坂の道」vol.3611

 
       Black Thursday.
 
 
 
 
■ 日本が金解禁を模索していた当時、アメリカの株価はゆるゆると上昇していた。
 日本で金融恐慌がおこる1927年(昭和2)、NY株式市場では株式投機が加速。
 ダウ平均381.17ドルと、その後長く破られなかったピークをつける。
 公定歩合が引き上げられたものの、株の投機的ブームは収まらない。
 歴史学者の中村政則氏は「昭和の恐慌」(小学館)の中で次のように言う。

「銀行、投資信託会社、株式取引所に対する政府の規制はずさんで、野放図な株価操作、投機が横行していた。一攫千金を夢みた投機師が跳梁し、みせかけの繁栄を作り出していたのである。
異常な株価騰貴につられて、ホテルのボーイやレストランのウェイトレスまでが株に手を出す始末であった」
 
 
 
■ 1929年(昭和4)年、10月24日木曜。
 NY株式市場は空前のパニックに陥る。いわゆる「暗黒の木曜日」(Black Thursday)である。
 休日空けの28日、29日と更に続落し、11月13日、主力株・花形株が底なしの最安値をつけ、平均株価は198.69ドルと、9月3日ピーク時の半分になっていった。値下がり総額は約300億ドル。その年のアメリカのGNPの三割に達する損失であったとされる。
 例えば「アメリカ電信電話」が、9月3日に304ドル。
 奈落の底と言われた、同年11月13日に197.5ドル。
 更に、1932年の最安値が70.25ドル。(日銀調査月報」昭和37年2月版より)
 
 
 
■ ここから先のことは、緑坂の読者であれば先刻ご承知の通りだろう。
 NYのクライスラー・ビル、エンパイア・ステートビルなど、代表的な摩天楼のいくつかはその時代に建てられている。三つ揃いのスーツを着て、街頭でりんごを売る天才投資家。
 この恐慌は、当初一過性のものとして受け取られていた。
 が、実際はそうではなく、日本で4年、アメリカで11年の長きに渡って国民を苦しめる。ニューディール政策から第二次大戦までの流れは、大筋でこの時に決まったと言っても過言ではない。
 俳優の原田芳雄さんは優れたブルース歌手でもあるが、その持ち歌の中に、夢を求めて世界を点々とする男の歌がある。NYからメキシコ、ジャマイカあたりへ流れる。
「一攫千金 宝石さがし ただのガラス球」
 確か作詞は阿木葉子さんではなかったろうか(未確認)。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3612

 
       ドサ健、追証地獄。
 
 
 
 
■ 名作「麻雀放浪記」(阿佐田哲也)にはいくつもシリーズがあるが、追証については触れられていない。
 この小説の一番のコクは、博打の技を極めてゆくことで、何か人間の一番大事なものを壊してゆくといった、成長が荒廃に通じる世界もあることを示唆したところであった。
 ロマンとは言っても、肌のカサついた、相当に殺伐とした風景なのである。
 そのことは、東京地方裁判所の喫煙ルームにいってみると分かる。
 ブランド物を着た男や女たちが、何故かは知らぬがせかせかと煙草をふかし、呼ばれる順番を待っているのだが、不思議に誰も「東スポ」は持っていなかった。「世界」もである。
 
 
 
■ 西新宿のファミリーレストランへゆくと、今そのビルの上で説明会を受けたかのような若い男が、こうすれば必ず儲かるという話を聞いている。喋っているのは、昔モデルをしていたと称する妙齢中ほどから後半である。その時の宣材などを広げたりしていた。
 最近はそれをノートPCで行う。
 いわゆるこれがネズミ講、つまりはマルチ商法であるかのと感心したのだが、ファミレスでは舞台としていかがなものかという気もした。
 これでクルーザーを買ったとかいう話も聞こえてきた。
 若者はうつむいている。
 彼の脇には、使い込まれたディ・パックがある。
 自分もそうなれるだろうかと、思っていても口にしない。
 
 

2006年01月26日

「緑色の坂の道」vol.3613

 
       浅い夢。
 
 
 
 
■ 緑坂を再掲する。2005年3月8日掲載分。
 
_____________________________________________
「緑色の坂の道」vol.3048
 
       ドリームランド 4.
 
 
 
■ 手元に「ナチ・ドイツと言語」(宮田光雄著:岩波新書)という本がある。
 やや長いが引用させていただく。

 ナチ・ドイツの『第三帝国』は、ヴィマール共和国の政治的・経済的な失敗から生まれたというだけではない。むしろ、敗北と苦難の中から、ふたたび人々に名誉感情と自己意識とを回復してくれる『救済者』にたいする民衆的待望から生まれてきたのであった。そこでは『救済』は、古い腐敗した世界が没落し、腐敗をもたらした『悪い敵』が絶滅させられることによってのみ可能になる、と信じられた。このような危機は世界的であり、事を決する最終的な時は目前に迫っている、という漠然とした予感が広がっていった。
人々の待望した未来像には、ある種の擬似宗教的なイメージがまとわりついていたことは否定できない(前掲:5頁)。
 
 
 
■ 既に1933年、ウィーンの政治学者エリック・フェーゲリンはその著書「政治的宗教」の中で、政治の世界におけるメシアニズムを指摘している。簡単に言えば英雄待望論、カリスマを待つ社会的な心情、その空気である。
 ナチの思想の背景には、弱肉強食を是とした社会的ダーウィニズムがあった。
 全てを野放図な市場原理にまかせ、勝者だけが生存に値するというそれは、水面下で畢竟過剰な民族意識につながってゆく。
 
 
 
■ 私は今の日本は、ある種の戦前ではないかという疑いを持っている。
 あれから60数年経っているのだから、個々の顕れ方や段階は違っているが、大雑把にいって社会に漂うある種の閉塞感の総量は、いかばかりだろうと考える。
 伝統的な体制から零れ落ちたかのようにみえる、無数のひとたちがいる。
 それはフリーターであったり派遣の立場だったり、あるいは煩雑な立場の変更と再編成に右往左往せざるを得ない組織人であったりする。
 いつの間にか明白な階層が生まれていて、これ以上はいけないということがはっきりと分かる。果たしてこの上というものが何なのか、それも不分明になった。足元が崩れる。
 フェーゲリンの「政治的宗教」を、仮に経済に置き換えて読み解くことが可能だとすれば、経済活動のある部分が、擬似宗教の匂いを放つようになって実は久しいのではないか。
 加えれば、そこには常に投機的なものが常駐していて、多くのひとは自らの閉塞感と空洞から惹かれてゆく。
 ネットの世界の擬似平等感が拍車をかける。
 
 

2006年02月03日

「緑色の坂の道」vol.3614

 
       二月の宵闇。
 
 
 
■ 春めく。
 それは風からなのだが、私は歯が痛く、薬を貰うとそのまま眠りたかった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3615

 
       二月の宵闇 2.
 
 
 
■ となると、首にマフラーを今流行の結び方で巻いていることが億劫にみえる。
 そこまでして、ひとつの方向に走らなくてもいいではないかという気になる。
 銀座の交詢社ビルにあるショップでは、宝石が五割引と書いてあって、それだと有り難味も薄れるだろうなと階段を昇った。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3616

 
       ややや、のはなし。
 
 
 
■ もしかして緑坂氏は、フランク永井さんの曲を聴いているのではないだろうか。
 と考えた読者は慧眼である。
 暫く雨だったので、ついそのようにしていた。
 
 
 
■ 雨の中を、所要あって浦安方面へ急ぐ。
 港が見える辺りで、一度上昇しそれから右にそれる。
 そのまま直進すれば横浜で、横羽というのは私の世代にとってはある種深夜のテストコースでもあった。
 そちらにゆかず、橋を渡って千葉界隈へ急ぐ。
 急いだからといってどうということもないのだが。
 
 
 
■ 一歩二歩、突っ込んだ場合、暫く様子を眺めるようにしている。
 動かない時は動かないものだし、ここで張っても掛け金がどうなるという計算も腹の下あたりから流れてくる。
 例えばこの1月16、17日あたりからネットの世界では風が変わっているが、そう感じられる人間がどれくらいいるかというといささか心もとない。
 始めて手にした武器が何時までも有効であって欲しいと願っているかのようだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3617

 
       ややや、のはなし 2.
 
 
 
■「ややや」というのは、相撲の休場の印である。
 吉行さんに「やややの話」という名随筆があって、やる気があるのかないのかの虚実をやや投げやりにしかも緻密に、日常の中で作品化していた。
 
 
 
■ 年がら年中あれこれするというのも、どうも品のない話で、車なんて少しくらい汚れていた方がいいんだという説に私は組するものである。
 精一杯がんばってしまうと後が続かないものだが、この辺りのメリハリは何度か恥ずかしい思いをして習得するようなところがあって、つまりはまあ、よく使い込まれた道具の世界であろうか。
 なんのことやら。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3618

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■パーソナルアドカード 「甘く苦い島 - Insula Dulcamara 」

「緑色の坂の道」vol.3619

 
       浅い夢 2.
 
 
 
 
■ 中間層が痩せてゆく、という時代になって久しい。
 例えばヒルズ界隈で働く妙齢や三十代、あるいはその上の世代は、ほとんど全て中途採用である。どういった雇用形態なのか、ほぼ年間契約に近いものだが、そのうちの八割は何時の間にか社に出てこなくなってしまうという。
 携帯電話を変える、というのはこうした時で、今までの人間関係をリセットしようと試みる。
 
 
 
■ あるとき、そうした彼らと酒を嘗めることがあった。
 話すことは内輪のことだけで、SNSやその他が不可欠のツールである。
「いじられキャラ」などと口にする。
 アクセスの稼げるカリスマをどうやって捜してくるか、などと半ば本気で言うところもあって、なるほどその文法の中にいるのかと納得をした。
 広告の世界、特に制作の現場では、ある日突然いなくなるということは半ば日常的なことである。修行して一人前になる、などという徒弟制度の伝統があるからかも知れない。職人の世界ではそれもまた理解できることだろう。
 ITの世界もそれに近い。
 が、根本的に違うのは、そこで修行をするというような発想がないことで、簡単に言えば使い捨てであることを本人も廻りも薄く自覚している。
 それが若者だけではなく、三十代にも及んでいるのが今という時ではなかろうか。
 そして、例えば名の通ったメーカーやその他でも、基本的にそういった流れは通低してる。大体、持株会社になって以来、帰るところがない。
 
 
 
■ その中で何をすべきかというと、次第にスタンド・プレーが目立つようになる。
 例えばブログを積極的に書いているひとの何割かは、個人の広告塔の役を果たしており、それはそれで問題はない筈なのだが、眺めていると次第に論がオクターブ高くなってゆくのが分かる。
 ほとんど調べもせず、短期的な時間の中だけで何かを言おうとすれば、畢竟分かりやすい二極論にならざるを得ず、それは一定の支持を受ける。
 ブログから本になる、あるいは何処かのサイトに記事を書く。
 これらは、ほぼ人脈でなされるものだが、勉強会やセミナーという名の下で煩雑な名刺交換が繰り返されてゆく。その名刺は一年ほどが有効期間である。来年、彼も彼女もそこにいるかどうかが分からない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3620

 
       浅い夢 3.
 
 
 
 
■ だって100人も採るのよ、使い捨てよ。
 と、言った若い女がいた。
 では君はどうなんだ、と尋ねようとしたが、それは酷というものだろう。
 
 
 
■ ひとつのことを長い時間かけて、などということが、なかなか許されない時代になって久しい。という考え方もある。
 対人関係にそれは波及し、相手も変わってゆくのだが、次第に澱のようなものが溜まり、口元が濁っていたりする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3621

 
       浅い夢 4.
 
 
 
 
■ 男の人生というのは、半ば夢から醒めることで始まるようなところがある。
 なるほど、そんなものか。
 と、分かったような思い上がった気分になる。
 ところが物語には先があって、そこからをどうしのぐか。
 ペルノーの水割りと辛いシガー。
 適当に喋るソムリエ。すぐに消えるマッチ。
 ドウシタラヨカローと06年。

 
 

2006年02月06日

「緑色の坂の道」vol.3622

 
       ひとり、ふたり、夜の凪。
 
 
 
 
■ というコピーの「列島いにしえ探訪」の作品があった。
 最近、小林旭のCDを車の中に入れっぱなしにしていて、一月にはよく聴いた。
 名もない港に 桃の花は咲けど という出だしの奴である。
 男、夢敗れて北へ流れる。
 というのは旭の歌のひとつのモチーフであるが、これが四国であったり大阪でないところに、独特の綾のようなものがある。
 ふりむくと雲があったり、そこで故郷を思い出したり、好きなのだけれども君のためにさよならを言ったりする。
 ワルサーをポケットに、甲高い声でわおーん、と吠えているような曲もある。
 
 
 
■ 昭和30年代の半ば、都会は大卒のサラリーマンと集団就職で上京してきた多くの若者で構成されていた。
 時は高度成長の入り口、農村は解体されつつあった。
 ここには圧倒的な格差というか立場の違いのようなものがあり、例えば中産階級の家には大抵「勝手口」というのがあって、そこでお手伝いさんと御用聞きがふたことみこと言葉を交わしていた。そこから恋に落ちたという話もある。
 昭和天皇の弟だった高松宮邸の近くには、比較的古いマンションがあって何時だったかその間取りを見せてもらった時、入り口傍に四畳半程の部屋があり、そこに古い形式のインターホンが付属していたことを覚えている。
 尋ねると、そこは昔でいう女中部屋、お手伝いさんの住むところだったのだという。
 いわゆる住み込みであろうか。
 そういえば書生という言葉も使われない。
 
 
 
■ 是非はともかく、僅かの間に世間というのは変わる。
 何、アメリカだとて1950年代にはまだ公民権運動の手前であり、「夜の大捜査線」のシドニー・ポアチエが南部で苦労するに違和感はなかった。
 ラストでの列車の俯瞰。レイ・チャールズが歌うテーマ曲には感動した覚えがある。
 そこで何が言いたいかというと、ま、小林旭の曲を聴きながら、千葉の先あたりの名もない港で漠然としてくるのもいいのかな、という按配である。
 これが伊豆だとまた違うものになる。
 
 

2006年02月08日

「緑色の坂の道」vol.3623

 
       海に降る雪。
 
 
 
 
■ 一日、無精髭を生やしながら仕事をしていた。
 終わらないのである。
 しかも、メインのWSのブートがおかしく、クローンを取っていた別のHDDが認識しないでいる。意味ないじゃないか。
 ま、人生とはそんなものだと、一方で修復をかけながら4台ばかりを立ち上げていた。
 もうじき新聞がくる。
 
 
 
■ 東京は雪になるかという予報だった。
 空気が湿っていたので、確かに降ったことは降ったかのようだ。
 セントラルのダイヤルはバイメタルで、湿度によって設定温度が変わる。
 それもいいかなと、緩い方向に流れていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3624

 
       彼女の足音。
 
 
 
 
■ だが、そんなロマンチックなものじゃない。
 空気の湿った夜、踵の辺りから近づいてくる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3625

 
       男影。
 
 
 
■ が指している、という言い方が少し前にあったという。
 今は使われない。
 それより、何か色が混ざったかのような印象が残ってゆく。
 恋のかたちと、その清算が、自分のためだけだったからだろうが。
 わからないひとには縁のないことだった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3626

 
       彼のする恋。
 
 
 
 
■ 夕方のカフェに入った。
 隣の席に若い男がいて、経済新聞を読んでいる。
 足を組み煙草を吸い、新聞は三誌ほど折りたたまれていた。
 200円のコーヒーで、それら全てを網羅するらしい。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3627

 
       冬烏。
 
 
 
 
■ 明け方近くまで、システムの再構築をしている。
 マニアしか知らないソフトを数種類使い、どうにか回復しようと試みていた。
 実際は、一から構築しなおした方が圧倒的に速いのであるが、もう駄目だろうと思えるところまでじたばたとする。
 私が中年だからという訳ではなく、リセットするのは最後でいいだろうという気分が何処かに残る。
 ある種の恋と同じで、最後まで付き合わなければ分からないものというのはあるのだと思っている。
 いいかげんにした方がいいんだよな。
 
 
 
■ 庭に見える銀杏の樹が、クリスマスのケーキのような粉を葺いていた。
 雪である。
 綺麗かといえばそうなのだろう。
 時折、冬烏が鳴く。
 
 

2006年02月09日

「緑色の坂の道」vol.3628

 
       ファイル レコード セグメント。
 
 
 
 
■ 11425 を削除します。
 
 というメッセージが黒い画面に並んだ。
 半分は詩ではないかという気がしている。
 
 

2006年02月11日

「緑色の坂の道」vol.3629

 
       すれすれ銀座。
 
 
 
 
■ 夕方は同伴で一杯で、あるいは独りだけでタクシーから降りてゆこうとする。
 女の特徴は、停まってから財布を捜すことであり、後ろにいると厄介である。
 仕方ないな、と思いながら、一分ばかりは待つことになる。
 ところがそこで、ドアを開けながら携帯を耳にあてている妙齢というかなんというかがいて、私は短くクラクションを鳴らした。
 睨まれてもいいんだもんね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3630

 
       夜の庭。
 
 
 
 
■ 50度あるというウィスキィを嘗めた。
 そう旨いものでもない。
 私は事務所の拭き掃除をして、窓をあけていた。
 黒い茂みに誰かがいるような気がして、池に月の光がある。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3631

 
       ロウレベル・フォーマット。
 
 
 
 
■ だって幸せになりたいんだもん。
 と、書いてきた妙齢が何人かいた。
 一人は専業主婦が夢であり、だってうちのお母さんもそうだったじゃない、と言った。 やや年カサを微かな姐さんは、あれとこれの資格をとってすこし郊外で。
 さっさと子供を作るのよ、と書いていた。
 
 
 
■ そんな男はどこにいるの。
 私は一方のPCを立ち上げ、筐体からコードを伸ばし、フロッピーからHDDを平らにしている。
 気立てのよしあし。
 そう酒を飲むな。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3632

 
       使いすぎた時に出る印。
 
 
 
 
■ 赤い玉。
 
 というのは男の場合である。
 そこには何かが書いてあるという説があって、それは何だということが話題になった。 膨らませないと読めない。ともいう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3633

 
       使いすぎた時に出るシルシ。
 
 
 
 
■ 風が吹いてもぴくりともしない。
 というのが正しい大人のあり方であると、英国の作家が書いていた。
 そういうものを見せられても困るんだよな、という按配であろうか。
 10何年かぶりに数人目を御懐妊であるという権田原方面の方がいて、祝砲を撃つべきだと思うのだが、だとすれば九段の坂からであるに違いない。
 やることやってんだなあ、と、暫く遠い目をしていた男たちが新橋界隈に7人いたという話が流れてきたが、街宣の車の音でかきけされていた。
 
 

2006年02月13日

「緑色の坂の道」vol.3634

 
       実務について。
 
 
 
 
■ 緑坂ばかりを読んでいると、いけない大人になるのだと10数年前に言われた。
「人生ブラザーズ」とかいう言い方もあって、これは当時学生だった甘木君のことであるという。
 彼は日本で一番長いという商店街の傍に住んでいたが、電子的に会話している最中に不意に腹が減り、自転車で近くにあるファミレスに出かけるのが常だった。
 三回に二回は職質にあう。
 誰もが問い正したい、深夜の後姿であろうか。
 
 
 
■ 青春とは愚かなものであるが、30を過ぎ、40の声を聞いても基本になるところは変わらない。
 変わるのは外側だけであって、例えば商業文の書き方が旨くなる。
 ハアハアナルホド、サヨデッカ。
 など、相槌が打てるようにもなってゆく。
 直球を投げる程若くもないし、この試合だけに全力を使い果たす訳にはゆかない。
 いわゆる夜の厄介でのペース配分にも似たような社会生活を営むことになってゆく。
 手抜きという声もあるが、人生は楽ありゃ苦もあるんではなかろうか。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3635

 
       実務について 2.
 
 
 
 
■ 例えばとある電化製品のマニュアルを書いているとする。
 私は元々がコピーライターなので、そういった仕事はうんざりする程並べていて、いかにして個性をなくして入り込むかというのが勝負であった。
 ただ問題は、日本語の読解力をどの程度に見積もるべきかということで、想定しているユーザと、実際とが異なっていることが度々あった。
 
 
 
■「厄介」と「按配」
 そして、「ま、そこは流れで」
 というのが、緑坂を貫くテーマのひとつであろうか。
 基本的な姿勢は、1993年以降変わっていないつもりである。
 例えばライブドア事件に関しても、読む人が読めば分かるだろうが、検索エンジンにはひっかからないような書き方をしていた。
 省いたものが随分とあって、それをいちいち説明してゆくのは野暮であったりもする。 
 

「緑色の坂の道」vol.3636

 
       実務について 3.
 
 
 
 
■ 文章は、PCの上ではエディタで書く訳だが、つまりそれは横書きの原稿用紙にも似ていて、例えばキーボードはかつての万年筆に変わるものかも知れない。
 自分だけの原稿用紙を作るモノカキがいたが、今はそれぞれエディタであったり日本語変換ソフト、更にはマウスなどを含めた入力装置にこだわりを見せたりもする。
 
 
 
■ なんにせよ、48手の半分でもこなしてみないと、基本の良さというものが分かりづらい。
 私はここ10年近く、数字を入力するところが右端についていないキーボードを使っている。
 それは机の廻りにあれこれと資料を置くことが多いからだと気がついた。
 横を見ると、桜材の机が別にあって、そこにも余白がない。
 灰皿と煙草。吸いかけの葉巻とライターが四つ。記録メディアが積んであって、ウィスキーの瓶の横には、濡れたおしぼりというか、とあるホテルから盗んできたタオルが置いてある。
 掃除をするつもりでいるらしい。
 埋もれたところに、マウスとキーボードがあって、今これを書くのに使っている訳ではない液晶のディスプレイのひとつは、どういう訳か絨毯の上で空を見上げていた。
 
 

2006年02月14日

「緑色の坂の道」vol.3639

 
       ロッキード、オウム、ライブドア。
 
 
 
 
■ こう並べてゆくと、何処と何処が似ていて、またその構造が違っているのかが薄く分かったような気になってゆく。
 例えば「無罪推定」という論を張った人たちがオウム・地下鉄サリン事件の時にもいたが、そのことごとくは論破されていた。
 今ネットでその記録の一部は読むことができる。
 確かロッキード事件の際も同じだった。阿諛する。
 先日私は「夜と女と毛沢東」(吉本隆明:辺見庸:文春文庫)という本を、壊れかけたソファの上でめくっていたのだが、なんだかとても困った印象が残ったことを覚えている。飲む酒がなくなって、安いフランス製のグラスにラムを入れて嘗めていた。
 
 
 
■ ライブドア的な心性というのが、私は世の中に蔓延していると思っている。
 それは、例えばゲームの裏技を知っているともてはやされる小学生の世界にも似ていて、何処かに現実味がない。
 カルト経済の一変形だということもできるが、背後にはグローバリズムという時には大きな暴力を伴う世界の構造があって、ゆきつもどりつしながら歴史は動いているように思える。
 
 

2006年02月16日

「緑色の坂の道」vol.3670

 
       二月の海辺で。
 
 
 
 
■ 長い時間、車を運転した。
 時々高速だったが、神奈川の細い道を、左手に広い野原のようなものを見ながら走った。
 海へ出る。
 すると砂紋があって、昨日満月だった月が高いところにあった。
 なんてことはない、海岸沿いの不良たち。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3671

 
       朝比奈峠で。
 
 
 
 
■ 後ろから新しいホンダに煽られた。
 背のやや低いミニバンのひとつである。色は白。
 私はセカンドに落とし、ハンドルを抱え込むようにした。
 豚のようなセダンだが、ミニバンには負けられない。
 
 
 
■ 血が騒ぐというような歳でもないが、こんな時、ウッドのナルディに戻しておけば良かったかなと考える。
 すると保険料が変わることを思い出したりした。
 下り坂でもタイアは泣かない。トラクション・コントロールもONにしたままだ。
 道幅は尻を振るには狭すぎて、たったバトルの六割くらい、つまらないプライドと暫く遊んだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3672

 
       ゆるく老いる。
 
 
 
 
■ 雨が降っているな、とおもうことがある。
 今日の月はすこし綺麗だ。
 その下の君も。
 
 

2006年02月23日

「緑色の坂の道」vol.3673

 
       風花。
 
 
 
 
■ 午後、海の傍で、アスファルトを眺めていた。
 空は晴れているのだが、雪だと気づくにしばらくかかる。
 すこし海鳴り。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3674

 
       月に風花。
 
 
 
 
■ 月が黄色にみえる。
 彼は左をむいている。
 私はといえば、昼間の厄介をひとつ終え、ゆるく続いてゆくのだなと何時もあたり。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3675

 
       サルにもワかる緑坂。
 
 
 
 
■ これってあたしのことっ、とかきいてくる妙齢がいた。
 すこし嫉妬もしたアルヨ。
 まあなあ。
 と、棒読みで返事をしていた。
 
 
 
■ 一体に、緑坂の意味が分からないという問い合わせが時折ある。
 これはどうしたことだろう、と読んでしまうのよねえ、とか言いやがる。
 つまり、男は皆マザコンであるけれども、その反対もしかりということで、鞍馬天狗のおいちゃんの役柄をするには寝癖があった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3676

 
       浅い夢。
 
 
 
 
■ タクシーから足首が降りる。
 そっと立ってゆく訳だが、私は長いこと後ろで待たされていた。
 停まってから財布を捜すのは女の常だ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3677

 
       ヒアシンス。
 
 
 
 
■ サブというか仕事机の傍にあるPCのスピーカーを、どうにかできないものかと考えていた。
 動画の仕事もあるので、WSにはいわゆるモニタースピーカーを付けている。スタジオで使われるものの、比較的手軽なものだろうか。
 原音に忠実なのは良いが、長く聴き続けると疲れてしまう。
 寝起きの妙齢の素顔のようなもので、私は眼鏡をかけていないから耐えられているのだろうが、ええと、そういう話ではなかった。
 
 

2006年02月25日

「緑色の坂の道」vol.3678

 
       紋切り型について。
 
 
 
■ 緑坂は、歯切れがいいとか悪いとか、時々言われることがある。
 確かにそういう部分もなきにしもあらず。
 ではあるけれども、考えていただきたい。
 男が40を過ぎて、白なのか黒なのかはっきりと明言できることがどれだけあるだろうか。
 35くらいからそのように傾いていたような覚えもある。
 
 
 
■ 反権威であるとか夢はあきらめないとか。
 あるいは民主主義とかを簡単に口にする男も女も、実際のところはそう信用できるものでないということが知らず知らずに分かってくる。
 あるいは六月の花嫁が幸せになるという言説にも似ているのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3679

 
       そういうわたしを許してね。
 
 
 
■ と、置手紙があった。
 次の男にいったのだという。
 なかなかそれは正しいのだけれども、洗濯物は畳んでもいいんじゃないかという気がした。
 だって、それどころじゃないんだもん。
 まあなあ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3680

 
       上天丼もテイネンまでか。
 
 
 
■ 相当にお世話になった、また今もなりつつある大先輩がそのように書かれていた。
 ブログを始められたらしい。
 控えめに、とりあえずのパスワードなどをかけておられる。
 でもさあ、それって、江戸っ子なら分かる奴っすよね。
 
 
 
■ 遠くから時々眺めては、日本橋の寿司屋や神田の蕎麦屋を思い出している。
 夜でもサングラスをかけているような仕方のない者を(緑坂)、色々ご配慮いただいて、誠に遺憾に存じます。用語が違うなと。
 何が言いたいかというと、男の世界というのは出たガッコや出身は違っていても、脈々と流れているものがあって、別にいいんだ浪花節。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3681

 
       さわやか馬鹿。
 
 
 
■ 高い腕時計をしている体育会系の不動産屋とあれこれしたことがある。
 君さ、ここはこうした方がいいんでないかい。
 はい、それはその通りで。
 ほれ、メモしないでいいのかい。
 国土交通省の基準に従うっていうけど、そのソースは具体的には何処なの。
 それはですね、国が定めた基準のひとつで。わかりません。
 
 
 
■ ヒルズ近くの、わりかし有名な不動産屋さんの受付には、アイドルになりそこねたという妙齢半ばくらいの方が二三人たむろしていた。
 彼女達は車と背広で客を値踏みした。
 うちの会社はプロダクションもあるんですよ。
 ナルホド、サヨデッカ。
 と、互いに缶コーヒーを裏手の駐車場で飲んだのが数年前だ。
 彼は新しい天地を求めると言って転職をした。
 北澤さん、辞める時には連絡をしろと約束したんで、今電話してます。
 と、彼の携帯からあったのが数ヶ月前だった。
 落ち着いたら飲みにゆこうぜ、と言うと、営業だった彼はありがとうございますと言ってそのまま姿を消した。
 爽やかにはなりきれなかったが、バブルの頃の20代よりは心に残る。
 その時計でさ、スーツ3着買えるよな。
 と、ずっと思っていたが口にしなかった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3682

 
       暑苦しさについて。
 
 
 
■ ニュースを眺めていると、その典型の方が病院に隠れていた。
 坊ちゃん、おボッチャンを知る。
 という按配で、前に後ろに引いた長老がその肩を持っていた。
 何がわるいんすか。
 それは、顔の相かもしれない。
 オレがオレが。
 
 
 
■ 緑坂は品があるなしなので書いてみるが、つまりはゴムを三枚重ねてやっているみたいなもので、最後のところで野蛮ではないのだ。
 
 

2006年03月08日

「緑色の坂の道」vol.3683

 
       新月と二月尽。
 
 
 
■ 短い旅のようなものを続けていて、昨日戻ってきた。
 身体は泥でできたように重くなっている。
 ぎしぎしと背中も鳴る。
 途中約束していた会に出席できず、担当者にお詫びの電話を入れた。
 数日、使い物になりそうにないのだが、〆切はすぐ傍にあったりする。
 
 
 
■ 緑坂というのは私生活を書く日記ではないので、背後でどのようなことがあったとしても直接の形で記することはしない。
 例えばひとの生き死にとか病とか、いわゆる文士と呼ばれていた方々はかなりの頻度でテーマにしてきたが、それはこの国にとって家族というものが近代化への過程の中で大きな問題だったからでもあった。
 極めて狭い範囲での私小説が、公共性を持っていた時代もあったのだと思っている。
 今はどうかというと、ここで仔細に分析するまでもない。
 ここからあちこちに論が分かれるのだが、この辺りでやめておく。
 
 
 
■ いずれにしても季節は廻って、街角に花の姿を見るようになっている。
 花を眺めながら、思うこともあるのだが、そうした時に浮かんだ言葉が本当かどうかは時間が経たないと分からないところもある。
 
 

2006年03月10日

「緑色の坂の道」vol.3684

 
       三月。
 
 
 
■ 夜の打ち合わせに外苑西通りを急いだ。
 青山墓地界隈を昇る。
 一台のSUVが、バックをして道をふさいでいた。
 女を降ろしているらしい。
 
 
 
■ 私はボッシュのクラクションを鳴らす。
 基本的に、クラクションを鳴らすことは下品であると認識している。
 SUVの彼は、隣に並んだ私を眺めている。
 私はサイドのウィンドゥを薄く明け、とろとろしてんじゃないよ、と唇の形で言った。
 彼らはヒルズ帰りなのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3685

 
       花曇り。
 
 
 
■ 旅の後遺症なのか、身体の奥がだるい。
 眠れない日が続いたからかもしれない。
 ひとのために眠れないというのは、滅多にあることではなく、そういうことを口にすると、いかに勝手な今までだったかとも言われる。
 
 
 
■ 落ち着いて文章を書くことができなかった。
 コンビニで珍しくエロ本を買ってみたが、どうしてくれるんだこれは、というような方ばかりでトホーに暮れた。脇についているコピーも甘い。
 人生は膨大な無駄のあいだに、すこし意味あることが挟まっている。
 
 

2006年03月18日

「緑色の坂の道」vol.3686

 
       夜の海で。
 
 
 
■ また、短い旅に出ていた。
 重くてすこし密度がある。
 48時間ばかり続けて座っていると、こんどは尻のあたりが不調になる。
 途中いくつか仮想のバトルを眺めていた。
 すると実は相手が屈指の業師であることが分かってくる。騙されたり騙したり、他人を操作する術は一定部分で成功したが、それがあまりに性急なので、知らずに糸がほころんでくる。
 
 
 
■ 一体に、緻密な計算というものは、そのひとつの前提が崩れると後が続かないものである。旧日本軍の参謀には、そうしたタイプの男がいたと何処かで読んだことがある。
 筋書が狂うのはたいてい中心にいる女からで、今まで重要な役を果たしていたものが突然裏返る。
 彼女にとっては自然な流れなのだが、その自然さが理解できない。
 
 
 
■ 何時だったかの夜、私は車を流して東金にいった。
 海を眺めにである。
 時間が早かったので、浪打際の有料道路には係員がいて、小銭を払って窓をあけた。
 ふと思うのだが、例えば近くに住んでいて、そこに自転車で通い、窓口で帽子を被っている男達の昔はどうだったのだろう。
 
  

2006年03月21日

「緑色の坂の道」vol.3687

 
       センノーいまだ解けず。
 
 
 
■ 男は教義を信じるが、女は信じた自分を信じる。
 という台詞があるのだと聞いた。
 つまりはまあ、そういったことで、そうよわたしはそういう女。
 でも誠実に生きているんだからいいじゃない。昔のことに触れるなんて、あなた男らしくないわよ、ということなんだろうか。
 はあ、ゴモットモなことでゴンス。
 
 
 
■ こういう場合には何を言っても仕方がないので、古来、そこは流れで次にゆくことにしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3688

 
       夜の梅。
 
 
 
■ 急ぎ足で歩いていて、花が咲いているなと思うことがある。
 例えば交差点で停まっている車の右側である。
 洗車をしても、ガラスの端までは綺麗にならない。
 
 
 
■ あの色は梅だろうか。
 などと思いながら、先を急ぐ。
 毎年春は薄いとりこぼしをしていて、そういえば昨日シャツを買った。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3689

 
       あと千回の晩飯。
 
 
 
■ 山田風太郎さんの名随筆である。
 結構コクがあるので、時折数ページをめくるだけにしている。
 男の場合、後何回できるかというカウンターがついていることもあって、最後に赤い玉がポンと出る。
 ううむ、ここで使うのはもったいないぞ。
 と考え込んでいる先輩がおられた。
 その気持は、やや分かる。
 
 
 
■ 後一年だから、今のうちに上天丼を。
 と、毎日昼飯を掲載されている我が青春のニコマートの方もおられた。
 急がないで、その前にマクロ撮影のボタンを押してくださいよ、とか遠くから思っている。
 
 

2006年03月24日

「緑色の坂の道」vol.3690

 
       諸君。
 
 
 
■ という言葉を久しぶりにテレビで聞いた。
 誰が、というのは野暮なのでやめておこう。
 山口瞳さんの時代だな、と私は懐かしく思った。
 毎年、成人式の頃合に、諸君と呼びかける洋酒の新聞広告があったのだ。
 
 
 
■ 諸君を英語でいうと何というか。
 恐らくは、チャーチルが英国兵士に呼びかける原文を当たれば良い。
 ヤローども、よくやったぜ。それをもうすこし上品に言いかえればよろしい。
 山口瞳さんの「男性自身」には、気に入った靴下を深夜、ホテルの風呂場で洗う男の姿が出てくる。
 だって気に入らないものを履くのは嫌じゃないですか。
 と、彼は言う。この彼が、先日テレビでみた男性であった。
 こうしたことがお洒落だと、私は若い頃に感じ入った。
 靴下などは、気に入ったものが二足あればいいのだと考えた。
 
 
 
■ 山口さんは一方で、そこいらにあるものを適当に着て、それでいて似合ってしまうという男のことも書いている。こちらは吉行さんの着物姿である。
 どことなく、下にパジャマを着ているような風情だったのだろう。
 あてがわれたものを着て、それでいいじゃないかと考えるのは、またそう見えてしまうのは、先ほどの靴下を洗う男とは正反対にみえながら、裏と表の姿かもしれない。
 随筆の冒頭で「諸君」と呼びかけていたのは、俳優の殿山さんも同じである。
 殿山さんについては、昔緑坂でいくつか書いた。
 えと、どこにあったか、あとでね。

 
 

「緑色の坂の道」vol.3691

 
       若いってすばらしい。
 
 
 
■ 男なら大抵そうだと思うのだが、自分の若い時の写真を見るのが嫌である。
「なんて生意気な奴だろう」
「何もワカランくせに、どうしてこんな顔をしているんだろう」
 等と、声にはしないが、胸の中で苦々しくおもう。
 
 
 
■ じゃあ、今の方がいいかというと、そこは微妙で、失われた髪の毛や肌のハリや、回復力などについて惜しむ気持ちは強い。
 それとはまた別の次元で、
「あの時こうしなければ、いまはこうなっていたカモシレナイ」
 と、配偶者を眺めてみたりする午後もある。
 役者の、故・殿山さんは「、傍におられた女性のことを「側近の女」と呼んだり書いたりしていたが、時々の対談でそこに触れると、終いには泣きだしてくるのが常であった。 なんでああ、コワクなるかね。
 何処からあの自信はくるのかね。
 植民地ニッポンの男性諸君。
 いけね、独立国だった。
 
 
 
■ わからないが、話が逸れてゆく。
 ともかくコワイのであるが、何も分からない裡、つまり若いあいだは、そのコワサの質が違っていたように私には思える。
 
_____________________________________________
○「緑色の坂の道」vol 794
94/05/01
 

「緑色の坂の道」vol.3692

 
       殿山泰司さん。
 
 
 
■ そもそもオレは女ギライである。オレはスケベェであるが、女ギライである。そこのところが女どもには分かっていない。だから女はキライなんだ。まったくパンティをヒッペがして、塩でもぶちかましてやりてえな。マアヒドイオ下劣、アンタとは絶好ヨ。
 まったく、この世の中で、オンナくらいウルサクてイヤラシイものは居ない。どうして、あんなモノが、ノウノウと存在しているのが、オレにはサッパリ判らない。それも、ニッポンだけじゃなくて、世界中に存在してるってんだから、全く不思議なことである。
 オレの友達に、スケベエは沢山いるけど、オンナを人間と思ってる奴は、一人も居ない。もし居たとすれば、それはオレの友達ではないぞ。
みんなオンナのためには、口に出して言えない程苦労しているのである。泣いているのである。死ぬ程の思いもしているのである。唯々、夜イヤ昼間でもいいけれど、オンナとオネンネするのが大好きなために、じっと辛抱しているだけのハナシである。オレは友達諸兄の健闘を心から祈ってやまない。
 頑張って下さいよ。
 

------------------------------
 
 
■ これは、俳優、故・殿山泰司さんの文章である。
「漫画読本」というセンスの良い雑誌に、昭和三十七、八年頃連載されていたもので、確か題名は「三文役者の無責任放談」とかいうものだった。
 実におもしろい。
 内容もおもしろいけれども、まず、語り口がいい。
 なにものかをブラ下げていることに対するある種の覚悟と、好きでブラ下げてんじゃねえや、とでも言うべき裏腹の哀愁が、ソコハカとなく滲みでている名文である。
 殿山さんは、飲む、打つ、買う、三道楽の大ベテランとして、つとに勇名をはせられた。
 女性にモテルことでも有名であった。
 沈鬱な顔で人生について語るより、愛だの恋だの蜂の頭だの並べるよりも、こちらの方がなんぼか宜しい。第一、根性が座っている。
 あんた、馬鹿ね。と言いながら、女性もそこで笑っているのだった。
 
_____________________________________________
○「緑色の坂の道」vol 5
93年あたり
 

「緑色の坂の道」vol.3693

 
       塩まぶす。
 
 
 
■ などと口にしようものなら、今日では、ドーナッテモシラナイヨの世界である。
 いつだったか妙齢中ほどに、ミョウバンでも使えば、と言ってどうしてと聞かれ、色止め、と答えたら灰皿が飛んできた。
 なに、安い方である。
 バカラはしまってあるそうだ。
 
 

2006年04月02日

「緑色の坂の道」vol.3694

 
       花曇。
 
 
 
■ 〆切がいくつか重なって漠然としていた。
 窓からは桜の花がいくつかの塊になってみえている。
 遠くで赤子の泣き声と笑い声がして、空耳なのだが、花の下に赤ん坊が置いてあったという話がどこかにあった。
 
 

2006年04月04日

「緑色の坂の道」vol.3695

 
       紅子。
 
 
 
■ 何年か前、千鳥ガ淵の桜を眺めにいったことがある。
 もちろん夜だった。それもほとんど明け方に近い。
 その時間帯でなければこの季節、そうしたところをうろつく訳にもゆかず、勤め人でないことは半ば無益だと知るばかりだった。
 一本煙草を吸う。
 水を飲んだりする。
 向こう岸には、ライトを消された後の薄桃色の塊が重なっていて、それは握り拳がいくつも連なっているかのようにも見える。
 仮に砂漠の国に、一本の桜があったとしたらそれはそれで不思議なもので、砂を握りしめその花を眺めてもどうということもない。
 
 
 
■ その先を歩いてゆくと、靖国がある。
 桜花という稚拙なロケットに若い兵士を乗せ、一式陸行の下にぶら下げられていた時代が少し前にあった。沖縄の海の傍でである。
 一式陸行は防弾装備を持たず、弾が当たると簡単に火を噴いた。
 辿りつく前にほとんどが燃えてゆく。
 
 
 
■ 桜の樹の下に、ひとりの女が立っていることがある。
 薄く笑ったり、腕を曲げていることもあるが、大抵はすこし若い。
 若くありたいと願うからだろう。
 着物は大抵赤色で、名を紅子というのだと聞いた。
 
 

2006年04月05日

「緑色の坂の道」vol.3696

 
       鳥、雲に入る。
 
 
 
■ あるとき、都心にある都営アパートの裏手に入った。
 公園があり、よじ登る枠組みがあり、いくつものベンチがある。
 ベンチには団塊の世代よりも少し上、万博の頃に社会人だったろう男達が座っていた。 桜の下に若い母親達が集まっている。
 廻りには子供もいて、そこで昼間の宴会をしているらしい。
 花見には竹輪がいいと何処かのスーパーに張り紙がしてあったことを思い出したが、さすがに傍による訳にもゆかない。
 ひとり、まだ一歳に満たない子供が庇の下で仰向けになっていた。
 
 
 
■ 私は空を見上げる。
 空には雲があり、それは桜の色と似通ってもいる。
 薄眼になれば、どこからが花なのか、俄かに判別はできない。
 横切るものがいくつかあって、ただの影なのだが、鳥のようにもみえる。
 鳥は集まっては離れ、それから急速に上向きになっていった。
 この先は路地である。
 池田先生と代々木方面のポスターが一軒置きに貼ってある。
 改革と書かれたものも隣にあって、つまりは付き合いということなのかもしれない。
 昔だったら、ここに眉毛の濃い方が殺虫剤を片手に持っていたところだ。
 
 
 
■ 100円で缶コーヒーを買う。
 20円安いのは随分なような気がする。
 公園の横に保育園があって、砂場には誰もいなかった。
 すこし古くなった桃色のカーテンの後ろが給食室で、頭に頭巾を被った妙齢中程と前半が、首を傾けて何かを作っているようなのだが、粘土をこねていただけかとも思う。
 
 

2006年04月13日

「緑色の坂の道」vol.3697

 
       花影。
 
 
 
■ このところ、ゆっくり眠れない日が続いている。
 そのくせこの時間までPCを眺めているのだから、いたしかたない。
 〆切があれこれあって、それを送った後だからだ。
 正月に飲もうと思っていたウィスキィを暫く前に開け、三杯ばかり嘗めていると45%だった。
 
 
 
■ ネットという世界では、例えば全人格的なものが滲み出る。
 それは文章の柄の悪さと品のよしあし、であったり、Webカメラの音声からくる向こう側の印象だったりする。
 声について言えば、これはこちら側のひとの声。
 それは向こう側のひとの声。
 というのが、始めてかかってきた電話などで俄かに伝わってくることがある。
 ではネットで散見する文章はどうかというと、ひとつの定型の中に入った安い物語であることも多い。つまりは同じことなのだ。
 
 
 
■ まともに桜の下に立たず、今年も終わった。
 それで良かったのかも知れない。
 立っているとどうにかしたい気になるのだが、何処からくるのかが分からないでいる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3698

 
       同質の声。
 
 
 
■ 昔坂を再掲する。
 
「緑色の坂の道」vol 1
--------------------
 
       同質の声。
 
 
 
■ とある日本の写真家が、肖像写真を撮っていて、「気力は眼に出る」ということを、何処かに書いていた。
 それに答えたのか、ある小説家が「知性は声に出る」などと書いていて、そういうものか、と記憶に残った。
 見知らぬひとと電話で話していて、ああ、この人は自分と同じような感覚をしているのではないかと思うことがある。
 高かろうが低かろうが、そして時折ひび割れることがあっても、その背後にある漠然とした気配のようなものを感じることもある。
 
 
 
■ もともと、個性というのは実に厄介な人間のさまざまな要素の複合体である。
人間が成長するにつれて、ある部分を抑制し、ある部分を育成するこ とによって、微妙なバランスが生まれる。
 その前提として、自分を点検する作業があるのだが、となると、年齢によって、抑制する部分や育成しようとする部分が少しずつ異なってくることになる。
 人の声というのも、そうした微妙なバランスの上に成り立っているような気がする。
 もともとあったものに、何が付け加えられ何が削られたのか。そしそれは、その人の裡でどのように均衡を保っているのか。
 見知らぬひとからの電話の後で、そのように思うこともある。
 
 
_____________________________________________
 
 
■ 確か93年頃のものだったと思う。
 元寝た、じゃね、モトネタは吉行さんの随筆の中の一節だった。
 ここから教訓的なことを導くのは、後から考えると薄く下品なのでやめておく。
 
 

2006年05月10日

「緑色の坂の道」vol.3699

 
       さてさて道の地蔵さん。
 
 
 
■ ひと月のあいだ、旅に出ていた。
 何をしていたかというと、差しさわりがあるので言わない。
 10社コンペで話したり、どうにか通ったり、その後徹夜したり熱出したり、仕事に傾きうろついていたというのが実態である。
 人生はタウリンとウィスキーだが、まあどうでもいいや、と思う局面は何度かあった。 
 
 
■ すると薄い雨である。
 窓を開けていると、庭の緑がかなり凶暴になっていて、Webカメラでそれを補足していた。何処へ送るでもない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3700

 
       緑のうちがわ。
 
 
 
■ 水が流れていて、それは血管のようでもあるという。
 薄い熱がある私は、どうもグロテスクだなと感じる。
 だがそれをこなしてゆかないと、君もどうにもならない。
 
 

2006年05月30日

「緑色の坂の道」vol.3701

 
       旅の果て。
 
 
 
■ しばらくの間、旅に出ていた。
 どこであるかは言わない。
 出てくる人物像がとても興味深く、しばらく眺めてからうんざりしていた。
 何、山手線の中にいるひとたちが皆、文章を書いているものだと考えると、それはそれ、薄く気味も悪い。
 

2006年07月04日

「緑色の坂の道」vol.3702

 
       緑坂ふたたび。
 
 
 
■ 夏が近い。
 かといって空は低く、きつい服を着込むと僅かに食い込んだ。
 暫くのあいだ、旅のようなものをしていて、そろそろいいだろうという気になっている。
 大体の結果が出たからであって、そこもまた巧妙に仕組まれてはいるものの、遡れば素朴な現世利益の世界であった。
 
 
 
■ 途中、車が壊れ、代替のために動いていた。
 私がいるところの駐車場にはジャガーの生息率が比較的高く、中には黒いXJRなどもいる。XJRはご存知 375ps。AMG E55 と並ぶ快速セダンである。270は楽に出る。
 型番はひとつ前のものである。
 時折、50代の紳士が小さな女の子を二人乗せ、日吉坂の方面に曲がってゆくのをみかけたことがあった。
 程度のいいものを捜していたのだが、そう旨くはゆかない。
 手の届きそうなものは、西ドイツから平行輸入されたもので、実に何キロ走っているかが定かではない。内装は黒で、こちらの方が良いのであるが。
 昔はどの店にいたのだろうといぶかしい、ロレックスをはめた狐顔の妙齢中ほどに薦められる。車屋というのは面白いもので、サイトの造りや雑誌広告が派手なところほど、実際にいってみると別物である。
 
 
 
■ ジャガーの内装の皮、その6割はよくできた塩化ビニールである。
 身体にあたるところだけが、コノリー・レザーでできているが、その後ろなど、試みに爪を立ててみるとその皺はすぐに回復する。回復するところがフェイクであって、この辺りは元々の車の階層に準じている。英国では中産階級の車と永く定義されてきたのだ。
上層が滅びたものだから、相対的に高級に見えているだけだという話もある。
 3.2と4.0とではウッドの色と素材が異なり、例えばハンドブレーキの部分がプラになっていたりする。
 車のことを書くと「夜の魚」ではないが、とまらなくなるので続く。

2006年07月06日

「緑色の坂の道」vol.3703

 
       ホストカー。
 
 
 
■ 車のことを具体的に書くと、品がなくなりやすい。
 それは、恐らく靴や靴下とはまた違うものになっているからだろう。
 どちらかと言えば、機能以外の目的を前面に出した腕時計のようなものだ。
 
 
 
■ X308のジャガーの隣にはベントレーがいて、確か比較的安価な2ドアの方だった。
 どんな方が乗っているのか、見たことはない。
 グリーンの308は奥様が運転をされ、隣にご主人が乗られている。暑いのにネクタイを締められていた。エレベーターのボタンを押して待っていると、挨拶をしながら乗り込んできて、そういえば私はお土産の餃子をビニール袋にぶらさげていることに気づいた。
 匂わなかったかな、と考えるのだが、その時には遅い。
 それにしても、今流行のクール・ビズで紙袋を持っていると情けなくないだろうか。
 官房長官の姿をテレビで眺め、そんなことを考えていた。
 
 
 
■ 横浜にあるジャガー専門店にいくと、新宿ではホストが務まらないだろうというような若い男性が営業である。縞模様の背広を着ているのだが、ややキツイらしく、盛んに襟口に手をやって気合を入れている。黒系統の上下に、茶色のブーツというところがセンスである。尖ったブーツは汚れだろうか、半分にオイルの染みのようなものが付いていた。 彼が薦めたXJの4.0は、比較的革の状態がよく、ディラー物で距離も出ていなかった。
 負けろよ、と言うと20万安くなる。
 あれこれの保障も付くのだという。
 一応見積もりを書いてもらい、名乗らず、そのまま戻ったのであるが、翌日ネットで価格を調べてみると、全く同じ店の同じ車が30万値下げされていた。在庫整理であるらしい。
 書類を仔細に眺めると、税込み価格の癖に税別で計算などされている。
 そりゃないだろうねえ、と面白がって電話をしてみる。
 すると、代理店のせいにしていたりして、彼も知らなかったんだろう。経営は別だ。
 そこには、外観だけは見事に磨かれた車が何台も停まっていた。
 大きなメッキのホイールを履いている。
 ドアモールなどに触ると、多分露天駐車だったもののようである。

 

2006年07月07日

「緑色の坂の道」vol.3704

 
       無駄の効用。
 
 
 
■ 薄い頭痛がして、夏風邪をひいたようだった。
 しかし〆切があったりして、PCの前に座っている。全くやる気がしない。
 緑坂の読者はご存知だろうが、私は比較的車のマニアである。
 しかし当節流行のものではなく、一つ前か二つ前、その欧州車かアメ車が好きだという癖があった。厄介を呼び込む。それでいて短時間に乗り換えるということは滅多になく、10万キロを超えて、ああエアコンのコンプレッサーが駄目になってますね、タイミングベルトも交換かな、というところまでひっぱるのが今までの常であった。
 要は潰すのである。気にいると同じ車を二台続けたこともあった。
 
 
 
■ 今回、93年型くらいのジャガーのオープン、ドイツで改造された4人乗りというものを検討していた。XJ-Sのアーデン仕様である。これは12気筒。5.3リッターのものだった。アーデンではないオリジナルのオープンは2人乗りである。
 いつだったかの冬、外苑西通りにあるスーパーの前に、初老の男性がこのグレーを停めていて、奥様の買い物を待っている。そうしたかたちをみかけたことがあり、それ以来、心揺れていたのである。身分不相応ではあるのだが。
 無駄の塊といった12気筒。その長いボンネットと低い幌。
 都心を流す以外に使い道はないような、パーキングスペースにも簡単に入れられないかのようなところに、意味なく惹かれていた。
 価格は国産3リッターセダンの新車程度。元が1200~1400くらいしたものだから安価になったとも言えるのだが、ここには落とし穴があって、12ヶ月点検でほぼ40ほどかかるのが常である。ダイムラーのDD6同様、12気筒というのはとんでもないのである。
 これはメルセデスのS600なども同様で、すこし分かった人は240や320を選ぶのだと。
 
 
 
■ XJ-Sにも6気筒の4リッターがあり、こちらもメンテの安心感から人気がある。
 ただハーフレザーになって、この年式だと真ん中のモケットが痛んでいることが多い。 あの年式の4リッターでは、すこし遅いかも知れないな。
 そんなことを、古い車雑誌のバックナンバーを捲りながら考えているのだからマニアというのは愚かである。0-100のデータに赤ペンを入れたりする。
 
 車なんて動けばいいという説も全く正しく、ある側面ではそちらの方が粋にも見える。 夏場、80年代から90年半ばまでのジャガーがどれだけ高速脇に止まっていたことか。
 ルーカスの冷蔵庫は暖かくなる。という冗談が、冗談ではなく通用するのが暫く前までの英国車だった。燃料を送るポンプがいかれて、その交換が数年に一度。放っておくとガソリンが漏れて燃えることもある。昔の単車のキャブのようである。
 津々浦々、我にも還るのだが、かといって国産7人乗りが欲しいと思えないのが困ったところだった。
 この辺り、自分の気持や状態がどちらを向いていたかが薄く分かってくる。
 

「緑色の坂の道」vol.3705

 
       これから、何処へゆこう。
 
 
 
■ というコピーを書いたことがある。
 EPSONの仕事だったと記憶している。
 元々は緑坂で、その意味で緑坂とは仕事の引き出しになっていることもあった。
 残高と相談しながら、これから数年、自分が何に乗ろうかと考えたりする。
 私が雪国に住んでいるとするならば、容赦なく4WDだろう。
 スバルの3リッター水平対向の6気筒は、そのデザインさえ我慢すれば、比較的いい選択だと思われた。だが都心では、雨の高速くらいしかその恩恵に預かれない。
 
 
 
■ 途中、E28型のBMWを見に行った。
 私は四角いセダンが好きで、80年代のBMWの5シリーズは、02と同じ程度に好きである。 M535。86年式。3.5リッター。最高速度は210。
 となると、かろうじて現代でも使えそうな車である。車自体は安価なのだが、外装を仕上げて50.内装を張り替えて同じく。
 これがアルピナのB9辺りになると、200から必要になる。整備や維持に100.
 こちらはEU仕様の、外側が大きなヘッドライトに交換されている。
 それもいいのだが、サーブ900の3ドア、ターボの160馬力というのにも心惹かれた。
 色は黒ではなく、深いグリーン。
「夜の魚」一部で、敵役がこれに乗り、カマロとバトルを繰り広げる。
 調べていると、走行が3万台のそれが100の前半で出ていたのである。
 これも最終型の93年。多分残存する最も程度のいい一台だろう。
 割と安く仕上げられるかな、と思いながら、書棚からサーブ関係の資料をあさる。
 この年式のサーブはGMのプラットフォームを使っていない。サーブらしさが最後に残るモデルだとも言われている。ATが3速。当時はそれが普通だった。
 ただ、160も出すとフロアがぶるぶる震えるという欠点があった。
 出してはいけない、と言われればその通りなのだが、これは100でも微妙に生じる現象なのだから、つまりフロアの剛性である。下り坂ではやや怖い。
 
 
 
■ それらはさておき。
 こうした古い車の場合、その後どの店に持ち込んで修理・メンテナンスをするかが問題になる。まずはそれを捜すことである。
 サーブの場合、川崎にそれがあるのだが、私はついにそこに顔を出すことはしなかった。
 不思議なのだが、今この車に乗るのはまずいかな、という気分が働いたのである。
 車そのものは好きなのだけれども、ちょっと待てと。
 この辺りのバランスについては、どの辺りで線を引くか、やめるかというデザインや文章のそれに似ているところもある。
 要は自分とは何か、主観的な意識と、外から見てどうなっているかのということのせめぎあいである。
 

2006年07月08日

「緑色の坂の道」vol.3706

 
       新橋のクーペ。
 
 
 
■ XJ-Sのメンテが非現実的だということになって、現行ジャガーのXK8のクーペを捜した。セダンは駐車場に指折り駐まっているからというのが、最も大きな理由だった。
 XJは中が狭いのであるが、どうせ狭いのならクーペにしてしまえ。
 正確にはこの7月に新しいものが出て、ほぼ9年近く生産されたXK8は旧型になっている。
 手が届きそうなのは、00年以前の初期型。4リッターのそれである。
 スーパーチャージャーの付かない素のエンジン。どちらかというと鰻犬のような形をしているが、Eタイプもそんなものだから致し方ない。
 
 
 
■ 関東のジャガー認定の店にいい出物があったのだが、ドウシタラヨカロとびびっていたら売れてしまった。
 自分に似合うだろうかと自問したり、残高を眺めて途方に暮れていたら時期を逸した。この辺り、男女の関係にも似ている。
 その後、その店の社長が下取りの1.1万キロというのを見つけてきて、予算と按配を尋ねてきた。年式はやや古いものの、車庫保管の極上であるらしかった。
 が、交渉中、オーナーの方がより高い方へと流れてこの話は破談になる。
 どうしても、と粘れば良かったのだろうが、熱くなると車の場合大抵はしくじる。
 私は大体この辺りで見切りをつけてしまった。
 それよりも、ここで無理をするとなんとはなしにムゴーイ目に会うような予感もしたのだ。
 
 
 
■ 白金台のスタンドで、このクーペのグレーを見かけたことがある。
 こちらはスーパーチャージャーのついたXKRの方で、タイアもやや大きい。
 このスタンドは、とんでもない車が時々来る場所なのだが、店員は気さくである。ポイントのスタンプが溜まる。
 グレーのクーペには50代後半の紳士が乗っていた。
 彼はトランク(ゴルフバックがふたつしか入らない。が、私はゴルフはしない)からスーツケースを取り出し、それから横断歩道の階段を登ってゆく。
 給油と洗車を頼んで、所用を済ませにゆくらしい。眺めていると、手洗洗車の方である。ジャガーは塗装が弱く、機械式ではすぐにスクラッチが出る。そのためかと思われた。
 その方は太っていたが、髪はやや長く、勤め人ではなさそうである。普通の社長でもあるまい。
 時折、大抵は午後だが、天現寺から曲がる辺りで、ブリティッシュ・レーシング・グリーンのXKクラシックも見かけることがある。
 後ろから眺めるとやや腰高で、だから18インチのホイールを履いて車高をすこし下げるのが定番になっているのだろう。このシャーシではドタバタしてしまうのだが。
 何時だったか、新橋から銀座に向かう時、渋滞の中で黒いこのクーペと並んだことも思い出した。
 髪を後ろになでつけた壮年の男が運転していて、隣だったから見えたのだが、腕時計がピアジェだった。ハンドルが左だから、平行物だったかも知れない。
 ピアジェかあ、と思った記憶がある。
 車に罪はないが、そのように乗られては変わったメルセデスのSになってしまう。
 つまり、私にはまだ手に余るところがあったのかも知れない。
 価格ということを抜きにしてもである。
 

「緑色の坂の道」vol.3707

 
       ひとつ前のAMG.
 
 
 
■ と、長々と書いてきたのだが、結局はメルセデスを選ぶことになった。
 ひとつ前のAMG。その最終型である。
 型番などは書くのを止めておく。排気量もである。
 
 
 
■ 北澤がメルセデスというのは、私自身も不思議である。
 最も似合わないと自らも自覚し、また廻りからも言われていたからだ。
 ここで90年代のAMGの歴史について語らねばならないのだが、まあ、エンジンとシャーシの最もバランスが取れた型番。その3万キロ余のものが見つかったのである。
 相場よりも随分だったが、この辺りの車は年式よりもその程度だという。
 BMWのアルピナのように敏感にハンドルが廻るというものではなく、定番の安定志向のものであるのは、30分走っただけで分かった。50キロ程度では脚が硬い。
 調整式のビルシュタインが組まれている。強化されたブッシュも入っている。
 これは横浜にあるその世界では知られたところで組まれたもので、私は別のメルセデスを見にその店にいったことがあった。
 ビルシュは一番柔らかいところから詰めてゆくことになるだろう。ホイルは新しい型番のものに交換されていた。あの年式のAMGホイルの塗装は弱く、細かなひび割れが例外なく生じている。
 この型番はライトが暗いのだが、キセノンが入っていたので後からいじる必要はなさそうである。夜でも薄いサングラスの私には、ライトは命なのだ。
 
 
 
■ 元々、ジャガーが欲しくてあれこれと動いていた。
 それが何時の間にか、最も嫌いだったメルセデスに変わる。
 今でもあのグリル、どうにかして欲しいものだと思っているが、考えてみると主に乗っている人たちが嫌いなだけで、車自体にはそう罪はない。
 それを証拠に、W124の形式の300CE、またはそのカブリオレなどは今でも大層魅力的である。
 300CEというのは3リッター、ツインカム。AMGがそのエンジンを手がけたと言われる。
 カブリオレも元の価格が1100.
 今では随分安くもなっているが、メンテナンスに同じだけ費やす必要もある。今回捜してもみたが、なかなか良い程度のものはなかった。
 いわゆる車好きの間では、メルセデスは、ひとつ前のものをシレっと乗るのが良いとされていた。
 シレっというのは二日酔いとは違う。
 寝癖を、空けたサンルーフの風でなびかせる程度だと理解すればいいともいえるが、果たしていかがなものだろう。
 

「緑色の坂の道」vol.3708

 
       見栄と車と知恵熱と。
 
 
 
■ 身体がだるく、夏風邪をひいたらしい。
 ま、車に関してマニアをしてしまったからだとおもわれる。
 知恵熱ですな。
 馬鹿ですな。
 

「緑色の坂の道」vol.3709

 
       自動車ショー歌。
 
 
 
■ 小林旭を聴きながら、第三京浜を流していた。
 ノー天気さが夏にふさわしい。
 ところが作詞が確か星野さんで、御大というかカミサマみたいな方である。
 隣を新しいメルセデスが飛ばしてゆく。
 まだ時間が早いので、覆面がいることもあって、私は都筑でトイレに入った。
 夏はうろつくことになる。
 

2006年07月10日

「緑色の坂の道」vol.3710

 
       飽きる。
 
 
 
■ 仕事でもなんでも、何か新しいことをしようとするとき、資料を眺める。
 膨大に積み上げて、そこから何枚かを切り取り、後は捨ててしまう。
 何かひっかかってくるものがあればよし、そうでなければそれが見つかるまで。
 今捜しているのは、古いAMGのメンテの記事である。
 なんのことはない、一眼レフカメラの場合とそう変わりはないようだった。
 
 
 
■ ここで告白すると、私には純粋に趣味と呼べるものがない。
 スポーツ観戦もゴルフも、ほとんど興味がなく、酒にしても普段手に入るものの中で一番旨いものが基本になっている。
 複数台のカメラを持っているが、そしてその中には普段滅多に使わないライカなども含まれているものの、これは半分が仕事なのでイタシカタがない。
 仕事は結果が全てであるから、触っていて質感の乏しいデジタル一眼なども使う。
 ここだけは、というような時、それは滅多にないことだけれども、コダクロームを入れたニコンを持ち出してレリーズを切ったりしていた。
 が、総じて私は機材にはそれほど拘らない方だと思っている。
 
 
 
■ 簡単に言えば、つまらないのである。
 何かに飽きたのである。
 酒も女も、偉そうに何を書いているのか分からないが、例えばこれからやろうとする仕事にしても、なんだこんなものかという予感と気分が抜けてゆかない。
 7人とか8人乗れる車があったとして、本当はそれが一番いいことなんだろうが、後部座席を外して畳を引いたら一番だろうとも思うのだが、最後のところで割り切れない。
 別にこんな仕事をしていなくてもいいじゃないか、とも思う。
 かといって、他にすることも、できることもない。
 

「緑色の坂の道」vol.3711

 
       飽きる 2.
 
 
 
■ 前の緑坂に一文を付け加えるのを忘れた。
「と、思い上がった気分になってしまっていた」
 を最後に付与。
 ま、そう甘いもんじゃないよね。
 

2006年07月12日

「緑色の坂の道」vol.3712

 
       いつも無駄の効用。
 
 
 
■ 夏風邪が長引いていて、そのせいか酒を嘗めていない。
 珍しいことでもあるが、考えてみるとそろそろと酒の量は減っているようである。
 数年前までは、一晩にボトル半分くらいのことが、ままあった。
 で、翌日チンボツしているのだから仕方がない。
 
 
 
■ 夏の手前というのは、毎年自分の中に潜っていたような記憶がある。
 今年はそれが車の選択として表に出て、なんてこったい、思春期に友人とバイク雑誌を眺めてはああでもないと言いあっていたことと変わりがない。
 あのとき俺たちは、バイクの排気音を全て口で言えた。
 ローギァに入った時の、ホンダとカワサキの違いまでも再現していた十代の馬鹿。
 
 
 
■ 潮見坂を曲がって、銀色のジャガーのクーペが曲がってくる。XK8である。
 後姿を眺めていると、やや腰が高い。
 やはりすこし落とさないと駄目かね、などと、その内装のことを思い出している。
 使い物にならないナビや、案外に質感のないシフトカバーの辺り。
 ちょっぴり緩いダンディズムだと思っていたことが長いことあったのだろう。
 そっちにゆかず、こちらへゆく。
 今度何にしたの、うん、ヤンキー車だよ、と最近答えているが、気分は緩い。
 

「緑色の坂の道」vol.3713

 
       梅雨時のひばり。
 
 
 
■ 昭和23年、美空ひばりは「星の流れに」を歌って舞台にデビューする。
 場所は浅草。
 時に煙草をもつしぐさ、時に涙ぐむ姿。
 この時ひばりはいくつだったのか。
 
 
 
■ そんなことを漠然と思い出しながら、CDを聴いていた。
 今年の梅雨はすこし変わっていて、東京は雨が少ない。
 海の傍もそうであろうとおもわれる。
 

「緑色の坂の道」vol.3714

 
       月夜の汐路のむこうから。
 
 
 
■ 口笛が 聞こえる港町
 と、続く。
 作詞は猪俣良さん。
 
 
 
■ この曲には何度か「兄貴」という言葉が出てきて、兄貴は二人の幸せを祈りながら旅に出たことになっている。
 私はリピートをかけながら、窓ガラスに雨のしずくが斜めに走るのを見ていた。
 夜になって風が出る。
 
 
 
■ ひとつ前のAMGは、ディーラーで整備をしているところである。
 芝浦でもない。ふたつあったエクボの修復は終わったと電話があった。
 メルセデスには70年代に280SLというとても綺麗な車があって、後からクーラーも付けることができた。ハードトップの天井が僅かに窪んでいる縦目のそれである。
 かつて仕事で一緒になった某氏が、顔に似合わず好き者で、若い頃それに乗っていたという。私は呆れて尋ねたのだが、所帯を持つ時にそれが資金になったと言って笑っていた。彼はMBAを持っているが、その反面、埠頭の辺りを斜めになって走り回るのが好きだと聞いて、馬鹿だねえと思った。
 裕次郎の歌からどうして車の話になるのか不明だが、あの頃の歌謡曲の歌詞にも、時折はっとする言葉が混じっているのである。
 

2006年07月14日

「緑色の坂の道」vol.3715

 
       エバンスの月。
 
 
 
■ 打ち合わせが終わって、髪を切りにいった。
 今度は予約をしてからゆく。駐車場が空くのが何時ごろだから、その頃でいいですかと言われ、そうだねと食事をする。
 今時、1000円で髪は切れるのだが、何故5倍も8倍も出すのかが分からない。
 そう考えると、私のデザインもコピーも、成り立たなくなる訳である。
 
 
 
■ 夜になって雲が出た。
 時折、白い月が見え隠れしている。
 雲への反射だろうか、周辺の色が不思議だ。
 私はエバンスをかけた。
 

2006年07月20日

「緑色の坂の道」vol.3716

 
       水際で。
 
 
 
■ 車がきたので、夜になるとテストしていたりした。
 雨上がりなので、尻が流れる。
 純正はポテンザなのだが、これがピレリのP0辺りだとどうなのか。
 ステアリング・ダンパーはまだいけているのか。
 横浜、水上警察の前に「薬物・拳銃を水際で防ぐ月間」とある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3717

 
       マニアなバランス。
 
 
 
■ もっと馬力のある奴はあるだろうな。
 と思いながら首都高速のコーナーに入る。
 今までFFのセダンだったものだから、ついタックインを想定してしまう。
 これは違うよ、その前の感じだよ。
 と、アクセルを踏んだりするのだが、小ぶりなので車線が広く感じる。
 トン、トンとブレーキを踏んで、昔乗った空冷911のそれとよく似ていた。
 革シートからカメラバックが下に落ちる。
 こうやってローターが削れていくんだよな、と思いながら、パーキングで缶コーヒーを飲んで戻る。
 何をしているのか。
 何もしていない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3718

 
       雨のちブルーノート。
 
 
 
■ 曲名などいちいち覚えていないが、チェンバースのベースだ。
 なんで小林旭の後にこれが流れるのか、設定だからだが、バブルの頃のストーンズよりはいいかも知れない。
 ボクスターが一台いて、途中で並んだ。
 加速では同じ程度なのだが、私は気が乗らなかった。アクセルを緩める。
 五秒後に赤いランプが近寄る。
 奴ら、ライトを消していた。
 抜いたばかりのトレーラーの影にいたのだ。
 川崎で降りて、不味い牛丼を食べる。
 
 

2006年07月27日

「緑色の坂の道」vol.3719

 
       ル・マンのヘッド。
 
 
 
■ 新橋から銀座にかけてのガード下に、赤いモトグッチが停まっていた。
 70年代後半の、ル・マンの850である。
 だから銀座は怖いよね、と思いながら暫く眺めた。
 V型2気筒のヘッドからオイルが滲んでいて、本気で廻すとパンツが汚れる。
 スイング・アームに錆があって、そのままにしてある。
 

2006年08月11日

「緑色の坂の道」vol.3721


       遠花火。
 
 
 
■ 海のかなたにふと消えぬ。
 という俳句があるという。
 それもそうだろう、という気もして、西湘バイパスの辺りを走っていた。
 海面に月が映っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3722

 
       台風の前。
 
 
 
■ 34度という気温で、電動ファンは廻りっぱなしだった。
 これじゃあ冷却水もオイルも、持たない筈だと思う。ドイツの車は冬には強いが夏場には停まることも多いのである。
 翌日、2000程度でオイルを交換する。バルボリンというメーカーの、やや硬いものである。8リッター入って、財布は領収書だけになってしまう。
 
 
 
■ 私は滅多に昼間の都心をうろつくことはない。
 時たま首都高速の渋滞に嵌まることもあり、その時の外気温は多分50度に近くなっているだろう。エアコンを止める訳にもゆかないので、じっと我慢をする。ATのセレクターの辺りが熱くなってきて、東京の夏というのは過酷であった。
 
 
 
■ 空いた道で、半分ほど踏む。
 2000回転くらいからカムに乗って、廻ってゆこうとするのだが、昼日中、100近く出していると暴走族なのでやめにする。
 新しいC55が並んで、庭園美術館の前を過ぎていった。
 85ミリノーマルより鼻先が長いのだが、どう曲がるのか知りたくもなった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3723

 
       とんかつ喰いたい。
 
 
 
■ という題の随筆が、東海林さだおさんにあって、正確には「とンんンかンつン、くンいンたンいン」である。
 ある日突然そうなるのであって、いてもたってもいられず、上野界隈に出陣してゆくのだが、ま、それは秋になってからのことにしておこう。
 
 
 
■ 大体、洗車をするととんかつ定食の「上」が食べられる。
 考えてみれば鰻もいけるのであって、吸い物も付く。
 洗車って高いなあ。
 いやみなさま、東京というのはそういうところで、自宅の庭先でホースから水という訳にはゆかないのですね。
 駐車場だって酷いしよぉ、と泣いても仕方ないのであるが、地方都市にゆくと案外に新車や外車に友人や後輩たちが乗っているというのは、そういう理由もあるのである。
 人生をそこに注ぎ込める瞬間というのが数年続くのであった。
 大体、配偶者を捜している間ではあるのだが。
 
 
 
■ 洗車もせず、シレっと乗っているのも格好いいものではあるのだが、以前、銀座裏に停めていて、埃だらけの車体に鯨の絵を描かれたことがあった。
 それで妙齢を待っていたのだが、あら、これどうしたの、と笑われた。
 たまには洗いなさいよね、と言われたが、だってとんかつ喰えるんだもん、と口の中でぶつぶつ言う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3724

 
       無駄な夏。
 
 
 
■ を過ごさないと、秋からの実りがない。
 と、誰かが言っていたような気がする。
 それは、青春についてだろうか。
 わからないが、その頃には金はなく、明白な目的もなく、あるいはうろついて、高い空を捜していたような気もする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3725

 
       水菓子。
 
 
 
■ が揺れている。
 光に透かすと、記憶のようでもある。
 
 

2006年08月12日

「緑色の坂の道」vol.3726

 
       月夜の汐路。
 
 
 
■ 短い間に2000キロ程走った。
 所用あって出かけたのが一度。後は首都圏の深夜が主である。
 ETCの請求が怖いが、ま、それはそれとして、短期間に負荷をかけ、悪いところを全部出してしまうのがこうした場合のセオリーになっている。
 実際、ヘッドライトワイパーがひとつ動作しなくなってクレームで治すことになった。近いところ、麻布界隈の工場を紹介してもらう。
 あの辺りは昔から町工場が多く、麻布十番などに対する世間のイメージとはすこし逸れてもいる。坂道の上には屋敷があり、その下側には商店などが広がっているというのが、昔からの東京界隈の風情だった。
 横浜なども同じだ。山手から下ってゆく坂道の途中に、FOR RENT と看板が出ている洋館があって、少しだけ気になって一年になる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3727

 
       月夜の汐路 2.
 
 
 
■ 横横を飛ばして葉山界隈へゆく。
 地元車のトヨタの小型車がとても速く、多分床まで踏んで130を保っている。
 案外にそういうのは嫌いじゃないので、その後を付いていった。
 
 
 
■ 古いメルセデスではセカンドから発進していたが、途中からローに切り替わった。
 今でもSとWがあって、Wはセカンド発進である。
 そのせいでもない、私のAMGは出足の5メートルほどが案外に遅く、タクシーにも置いてゆかれる。1500や2000回転になると、カムに乗るのか一気に吹け上がり、駐車場から出た日吉坂で80とか100近くになるのだからいささか品がない。
 とはいうものの、決して後輪がリバースするようなことはなく、極めて弱いアンダーを保ったまま高速コーナーを抜けてゆく。
 車なんてものは自己満足と見栄の世界なのだが、深夜の湾岸からC2へ曲がる辺りで、決めたラインをなぞることができると、すこしばかりにやりとする。
 Rとか三菱やスバルのラリー用の車に抜かれても、それはそれ。次元が違うのだから、先にいってもらう。
 ちょっと熱くなるのはポルシェのボクスターや、カレラSではない911の水冷で、短い直線とコーナーで遊んだこともあった。
 すぐにループコイルが埋まっている場所が近づくので、それ以上のことはない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3728

 
       月夜の汐路 3.
 
 
 
■ いい歳をして馬鹿じゃないだろうか、と思いながら車で遊ぶ。
 そして、外れたところの堤防によじ昇って、波を眺めている。
 ライトを持てば砂浜に降りられる。
 でも、そこまではしない。
 
 

2006年08月13日

「緑色の坂の道」vol.3729

 
       水の旅。
 
 
 
■ 結局、文章というのはそれだけで自律しているものだという気がする。
 消費されてゆく人も言葉もあれこれも、繋がることを前提にしているからサモシクもなってゆく。
 俺に構うな、とするポーズは裏返しでしかないが、なにそれだって時には言ってみる価値もある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3730

 
       水の旅。
 
 
 
■ 蝉の声が小さくなって薄暗くなる。
 随分はやくなった。
 遠く花火の音がして、夏が去ってゆく。
 
 

2006年08月14日

「緑色の坂の道」vol.3731

 
       片蔭ラムネ。
 
 
 
■ 日盛り、とぼとぼ歩く。
 犬と並んで歩く。
 遠くに乳母車があって、そちらは涼しそう。
 おばちゃん、ラムネ頂戴。
 と言ってみたいが店はない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3732

 
       蒼にまわる雲。
 
 
 
■ 夜の空の色にすこし紫が入って、しかも透けている。
 風をみると、もう温くはなく、すでに秋が近いのだ。
 私は港の方角を窓を開けて流していた。
 水路がいくつもあって、その上に橋がかかる。
 陸橋の色も普段は緑なのだが、そこに蒼が加わる。
 
 

2006年08月15日

「緑色の坂の道」vol.3733

 
       青い花たち。
 
 
 
■ 埠頭の辺りで一二枚を撮る。
 短い三脚を忘れたので、カメラごとアスファルトに置いた。
 ISOが変わらないように設定をして、マニュアルでピントを合わせる。
 若い頃に比べやや眼が悪くなっているので、この辺りも半分は勘である。
 補正をひとつふたつ。
 面倒なので、レリーズは使わない。
 
 
 
■ 私の仕事は、無駄なものを形にすることか、と思うところがある。
 スーパーの店先に、竜胆の花が売っていて、それを三本求めた。
 カメラバックに刺して、革のシートの上に置く。
 ニ割引のハムカツも買う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3734

 
       すこし湿った空。
 
 
 
■ 朝から動いていたら、午後になって電池が切れた。
 靴下を履かなかったからかもしれない。
 ランチを食べようとしたら、普段のメニューしかなく、世間はお盆の後半である。
 
 
 
■ 少し広いところで、雲を見ていた。
 低いところにあって、忙しく流れ、これを200ミリのズームで撮ったら私が普段使うデジタル一眼だと1.4倍くらいになるのだったかしら、と思った。
 ずっとデジタルを否定していた知人のカメラマンが、何時だったか新式のそれを持っていて、おいおいと思ったこともある。二時間酒場で、アナログ万歳を聞いていたからだった。こんどはPCの方が大変だろう。
 2000年になろうとする頃合、私はカラーマネジメントの世界に首を突っ込んでいた。
 いわゆるICCプロファイルなどによる色管理の技術である。
 そんなことを思い出して、いずれ技術は平坦化されてゆく。
 便利になったと思う部分もあるが、では面白くなったかというとそうでもない。
 
 
 
■ マニュアルフォーカスのキャノンを一式、学生に貸してしまったので、リズミカルに巻き上げながら街をスナップするということができなくなった。
 広角の28ミリ程度で絞ったまま、被写体深度を利用して撮る。
 つまり、置きピンにしておくという手法である。
「甘く苦い島」などの1/3はそれで撮っている。時にはファインダーを覗かないこともあった。
 これをライカでやりたいと思っているのだが、28mm エルマリートなどは今すぐに手が出ない。程度の良いものは結構気合の必要な価格なのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3735

 
       すこし湿った空 2.
 
 
 
■ ならばオタクなAMGなどにしなければいいのに、レンズ買えるでしょう。
 というのが真っ当な世間の声というものだが、新型でないところで勘弁していただきたい。と、誰にともなく言う。
 91年頃のCG(カーグラフィック)を捜して読んでいると、そこにE500というメルセデスのインプレッションが載っていた。
 書かれているのは、熊倉さんである。
 確かこの方は95年位にCGの編集長を辞め、フリーになられた。
 最近は銀座方面にある情報産業の雑誌などにも、とんでもない格好をされて出ておられるが、私はなんとなくこの人のファンであった。
 スノッブになり切れないところがいい。
 
 
 
■ 何時だったか、ホンダ・シティターボ2の記事の中で、これで女子大生のアパートに乗り付けることを夢見る、などと書かれていたこともあって、80年代でしたかねえ。
 アルピーヌのA110 についても、フランス映画の薀蓄を噛ませたりして、つまりは何処か夢見がちなお人柄を忍ばせていた。
 もっと若いときには、単車に凝っていて、バイアルスの125で走ったりもしている。
 それにしても、マスコミ関係者に一時トライアルのブームがあったりして、こんどは200のそれで階段を昇り降りしている30男も友人にいた。
 
 
 
■ ハンドルがアップであれば、階段くらいは登れる。
 カブの90でもウィリーはできるので、私は斜めに見ていたが、つまりそれはその後のアウトドア・ブームに繋がる嘘臭さを感じていたからかもしれない。
 単に車の他に新車のバイク、トライアル車を買えなかったからという説もあるのだが、男の嫉妬は屈折しているのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3736

 
       すこし湿った空 3.
 
 
 
■ 電池が切れるとどうなるかというと、ぐったりする。
 薄く頭まで痛くなってきて、生理痛のそれをコーヒーで飲む。
 40代もいいところまでゆくと、あれこれガタがくるものだけれども、頭踏んでも死なない北澤という言い方が一部ではされていて、負けたフリしてしぶといところもある。
 ま、それは、若いうちにムゴーイ目にあってきたからだよ、とうそぶくのだが、人生の早い時期になんにせよピークを迎えるというのはその後が辛い。
 
 
 
■ かつて山本夏彦さんが、自らが主催している雑誌について、よく潰れないですね、と聞かれ「それは全盛期がなかったからである」と答えていた事を覚えている。
 聞くほうも聞く方だが、男なら殴られるところだが、虎ノ門辺りに生息する、育ちはいいが何処か野暮ったい妙齢が相手だったのだろうと思われる。
 全て満ちたものは欠ける。
 美人の寿命は短い。
 お供えの油揚げと同じくらいである。
 
 
 
■ 話が逸れた。
 美人というのはそのあいだになんとかするものだからそれでいいのだが、こと男の場合はそうもゆかない。
 長期戦で臨むことになる。
 その時その時に策略というのは、あるようなないような。
 ビジネス書を山のように読んでも、どうにかなるものでもないということにも似ている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3737

 
       すこし湿った空 4.
 
 
 
■ 秋の気配がする。
 それは夜の空の色でわかる。
 サンルーフを開け、適当に流していると、遠くにある筈の灯りが昨日より近づいていて、上の方では風が強いのだと気がつく。
 ナット・アダレィのアルバムの中に「Summertime」があって、マイルスばりにミュートで吹いていた。ミュートは陰影を付けるに適しているが、自意識の奥深さが鬱陶しく感じる時にはこれくらいでもいいのだろう。
 水で薄めて聴く。
 
 
 
■ 最初の一口は水割りで、ということを時々やる。
 旨いと思ったり、やや酔って身体が軽くなったりするとショットに替えてゆくのだが、そうなるとこんどは煙草もきついものが欲しくなって困る。
 銀座に菊水という古くからの喫煙道具などを売る店があるが、私はそこで1200円くらいのライターを買っては使っている。ガスを入れることができて、火が葉巻やパイプ用に斜めに出るものだ。
 今まで五つか六つ買った筈なのだが、今捜してみるとひとつも見当たらない。
 酔って置いてきたのか、壊れかけたソファの下辺りに転がっているのかとも思う。
 これがダンヒル辺りだと、勿体無くて決して無くすようなことはしない。
 とは思うのだが、時計を無くしたこともあるので、そうもゆかない。
 
 

2006年08月16日

「緑色の坂の道」vol.3738

 
       上着手に持つ。
 
 
 
■ 髪が伸びたことで時間が過ぎたことを知る。
 数本白髪もある訳だが、まあよく保っている方だということにしておこう。
 夏のセールの頃、綿の上着を一枚買おうかと思ったことがあった。
 元町に本店がある、ある洋服屋の代物である。
 色は紺で、三つボタンなのが残念だった。私は二つボタンが好きである。
 紺は色が褪せるだろうね。
 それは仕方ないですね、気にいったらどうしても洗濯繰り返しますから。
 五十代の店員は、そういってにやりと笑う。
 これ中国製? いや日本製。
 
 
 
■ そんなやり取りをして頭を下げ、別れたのだが、今も少しばかり気になる。
 買っておけば良かったかな。
 で、その後銀座で、半額になっているという赤いブルゾンをふらふら仕入れたのだから仕方がない。一日着ただけで、それから夏だ。
 なんとなく後部座席に放り投げていて、振り向くと黒に朱色である。
 若作りしたいのかしらと、そのたびに思う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3739

 
       角のポケット。
 
 
 
■ 調べ物などをしながら、緑坂を書いている。
 夜になってすこし体内電池が復活し、机の中に潜んでいた角のポケットを取り出している。
 夏にクルセーダーズは暑苦しいが、ジョー・サンプルだけだとそれ程でもない。
 プラスッチックのコップをなくしたので、瓶の口に唇を近づけて嘗める。
 生理痛の薬飲んでいて、いいのかこれで。よく分からない。
 
 
 
■ 緑坂というのは、原則としてコメントもTBもつけていない。
 ブログではないじゃないか、という声が一般的だろうが、そういう意味では確かにそうである。だが、ブログというのは元々システム的に出来上がったCMSを基本にしていて、どういう使い方をしても問題はない。RSSなどは付随機能である。例えば携帯電話には様々な機能が付いているが、その全部を使っているのは中学生くらいなものだろう。それと類する。機能はあっても使わない。それで十分なのである。
 暫くネット上で旅をしているあいだ、そのためのブログを適当に作成した。
 無料のそれは五分もあれば出来る。満足はゆかないもののいくつかのデザインも選べた。ある面では Movable Type よりも便利なところもある。そして致命的に不便なところもあるのだが、それは商売である。
 今やネットでブログを作成し、あちこちとやり取りすることは最も安価な娯楽になっている。
 
 
 
■ アクセスを稼ぐこともある程度は簡単であった。
 TBと取り上げる題材、それからその書き方によるのだ。
 例えば主要各紙の社説に対して、毎日コメントをつけてゆくようなやり方もあって、一定の年齢層からするとそれもやや知的にはみえる。書評も同じである。
「ブログ界にとって」という定形の言い方もあるが、どうも私には最後の処で馴染まなかった。無意識の文壇ごっこにしか見えない。
 
 基本的に文章を書くということは孤独な作業である。
 友好的なコメントがあるから励まされるというものでもなく、アクセスがあるから優れているとも限らない。
 そのことを忘れると、いずれどこかで本質から逸れてゆく。
 例えばの話、アダルト系のアクセスは一桁違うのだが、それがどうしたと男達は済んだ後からおもうはずだ。
 
 

2006年08月17日

「緑色の坂の道」vol.3740

 
       夢の日。
 
 
 
■ なにもしない。
 ガラスに残る雨の粒をみている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3741

 
       海に降る雨。
 
 
 
■ 人気のない駐車場の横にとめる。
 チェーンが貼られ、中には入れなくなっている。
 そこに猫がいたりして、お、と思った。まだ子猫だ。
 
 
■ 私たちは浜辺の方角へ歩く。
 今年は何をしたっけ。なにもしてないね。
 それでもいいじゃないか、という気になっている。
 
 

2006年08月18日

「緑色の坂の道」vol.3742

 
       雨夜風鈴。
 
 
 
■ その頃通っていた女のところは、窓に茶色のブラインドがあって、その横に風鈴がぶらさがっていた。
 誰と買ったものか、そういうことは聞かなかった。
 湿った空気の中で窓を薄く開ける。
 煙草の煙が逃げてゆく。
 
 
 
■ 帰り際、小銭が足りなくて、女からもらった。
 コイン駐車場まで歩くと、珍しく瓶の牛乳が玄関先に配られている。
 十年前なら一本盗んだところか、と思いながら雨上がりの道を歩いた。
 
 

2006年08月21日

「緑色の坂の道」vol.3743

 
       残夏ジダラク。
 
 
 
■ カタカナで書くと、なにか別のものになる。
 ような気がするのは一部マニアだけで、そういえば炭酸を買ってこないとハイ・ボールが飲めない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3744

 
       15 の 夏。
 
 
 
■ 昔、玩具という源氏名の芸者がいたと、誰かの花柳小説に書いてあった。
 なかなかのネーミングである。
 私はと言えば、地下に降り、AMGのエアクリーナーを交換していた。
 ボンネットを直角に近くあげ、備え付けのライトで照らしながらである。
 自分からエンジンの整備をするのは久しぶりで、汗が滝のように流れるのも苦にならない。
 整備の時にエアを吹いたというが、捲ってみると虫の死骸などが挟まっている。
 雑巾を絞り、内部を繰り返し拭いていた。
 
 
 
■ 0-30Wとかのオイルを入れると吹けはよくなるけど、メタルが持たないよ。
 と言ったのは麻布の裏手にある自動車屋の親父である。
 面白いし速いけど、金かかるよこれ。
 と、ニコリともしないで脅かす。
 隣ではレクサスの新しい奴のボンネットを開け、整備工二人が、手が入んないねえこれ、カバー外さないと、などと言っている。
 メタルというのは、コンロッドの辺りを指すのだろう。
 かつてOHV二気筒の単車で、何度かここを焼きつかせたことがあった。
 
 
 
■ 夕方からの打ち合わせが夜になって、その後、流すことにした。
 エアクリーナーを換えてすぐはアイドルが若干高くなるのだが、暫くするとCPUが認識して500prm 辺りに落ち着く。確かに車は軽くなった。
 普段、決して汗をかくこともない私だが、撮影のときと車の時だけは別である。
 まだガキだった頃、50のバイクがガス欠で、炎天下半日押して帰ったことを覚えている。リザーブになっていることを知らなかった私は、15だった。
 
 

2006年08月22日

「緑色の坂の道」vol.3745

 
       ブルースウェイ。
 
 
 
■ ある日のことである。
 ボルボのV70 ですこし遠出をした。
 V70 というのは2.5リッターのワゴン。内装は革ではないが、大降りのシートは疲れなかった。
 運転はというと単にFF、あるいはFWD形式の普通の車である。タイアだけがピレリのP600を履いていて、当たりは柔らかいがそれ以上でもない。
 後部シートを半分だけ倒し、あれこれ荷物を積んでみたのだが、それが高さのあるものならばともかく、大型セダンとそれ程の差異はなかった。
 
 
 
■ 後部に棚を付け、三脚の脚を伸ばしたまま数本放り投げ、撮影をしていたという高名な風景写真家の方がいる。ボルボの前はスバルで、最も初期の頃はサニーだったというからにやりとしてしまう。ここで本格的な四輪駆動にいかなかったところが、この方のスタンスを示しているのだが、この辺りになると厄介な話になるので割愛しよう。
 当時の撮影機材も、AE-1,F-1.T-90 などが並んでいて時代なのだが、決してこのレンズの描写がなどという方向には流れなかった。ツァイスがどうだ、などとは言わない。
 基本はズーム複数本。
 撮影に速度感を導入したというのが、この方の新規性だったように思う。決して何日も同じところで粘ったりしない。取材にいけば、必ず成果を持って戻られる。
 
 
 
■ ボルボで峠を越えようとして、どうも気が進まず戻ることにした。
 エンジンの音はベーベーと煩い。踏んでも回転だけが上がって速度が伴わず、詰まらないのでTRC(トラクションコントロール)をOFFにしてみたが、後ろに荷物があることを忘れ、尻は流れなかった。
 この型番は外から眺めると、結構知的で格好よく見えるものである。
 世田谷や杉並などの山の手に、新車から生息しているかのように思える。
 実際そういう車が多く、数年前、深沢の辺りに240のほとんど走っていないものがあって、買わないかという話もあった。
 やや迷ったのだが、私は機材を積み込んで走るタイプの写真家ではないので止めにした。それよりも、その240のバリ物が赤だったのが気恥ずかしかったのかも知れない。
 あれ160も出ないだろうな、と思ったりする。
 
 

2007年02月13日

「緑色の坂の道」vol.3637

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