緑坂 1

2004年05月23日

「緑色の坂の道」vol.2510

 
       しばらく坂道。
 
 
 
■ 特別、花見というものをしない。
 何故かというと、埃っぽいのが神経にこたえるからだが、春というのはざらついているものである。
 昨晩雨が降って、風がとても冷たかった。
 開花はまだだろうと思っていると、曲がり角を過ぎて白い靄のような塊が広がった。横目で眺め、その先を急いでゆく。
 暫く坂道が続く。
 
 
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04_03_27

2004年05月24日

「緑色の坂の道」vol.2511

 
       きみの濡れた日。
 
 
 
 
■ 花冷えという言葉がある。
 女の下腹のようなつめたさ。
 生ぬるい雨。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_03_27

「緑色の坂の道」vol.2512

 
       常緑樹の下で。
 
 
 
 
■ ゆっくりと風の湿るのを待っている。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_04_19

「緑色の坂の道」vol.2513

 
       濃い紫色の花。
 
 
 
 
■ が、好きだという女。
 肉のない背中。
 
 
 
■ 雲が低くなってきた。
 東から雨が近づく。
 常緑樹はふたつの風に揺れていて、眺めていると身もだえをしている。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_04_19

2004年05月28日

「緑色の坂の道」vol.2514

 
       ひとつ湿った夜。
 
 
 
 
■ 坂道を下っていると見知らぬひとに声をかけられた。
 失礼ですがこのあたりで。
 前フリをつけて話すひとに会ったのはひさしぶりだ。
 
 
 
■ 私は足元を眺めた。
 夜にサンダルを履き、爪がすこし削れている。
 明日は雨になるのだろう。
 月の影が丸い。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_05_28_01

「緑色の坂の道」vol.2515

 
       All of you.
 
 
 
 
■ 緑坂を再開した。
「ぶっきらぼうの街並みを」と書いたのは、つげ忠男さんだったか、まあそうではなかったとは思う。
 しばし、群れるのに飽きた。
 
 
 
■ 二週続けて江ノ島海岸にいった。
 もちろん深夜である。砂浜に下りたのは一度だけで、砂を手にとると微妙に黒くて重い。
 砂鉄が残りそうだ。
 どうってことはないよな、と思いながら134号線を流してゆく。
 一番の都会が横浜で、その先にはどうしてもゆけない。
 そんな地元車が何台か集まっている。
 
 
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04_05_28_02

「緑色の坂の道」vol.2516

 
       君の胸の先の音。
 
 
 
 
■ というコピーを、昔書いたことがある。
 確か、荒れた海の画像をモノクロにした。
 
 
 
■ 今時分、こころは内側に畳まれる。
 夢枕に、女の指が数本立っていることもある。
 私はといえば、安いウィスキーをストレトで嘗め、黒い庭を眺め降ろしている。
 この辺りはただ、武蔵野だったのだともいう。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_05_28_03

「緑色の坂の道」vol.2517

 
       ブルースについて。
 
 
 
 
■ ブルースっていいよな、というひとを私はあまり信用していない。
 何故なら、いいもわるいも、独りで聞く歌だからだ。
 
 
 
■ かく言いながら、旧い車のCDチェンジゃーには原田芳雄さんのアルバムが数枚入っている。
 どちらかといえば新宿系統で、切れのいい歌詞はと言えば「バカにしないでよ」の阿木曜子さんであったりした。
 打ち合わせの帰り、B4にある駐車場から車を出す。
 煙草をワンカートンと少し買ってあるので、一時間は無料だ。
 来たときに隣でエンジンをかけっぱなしにして眠っていたカローラのバンは既にいない。
 
 
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04_05_28_05

「緑色の坂の道」vol.2518

 
       ブルースについて 2.
 
 
 
 
■ 年齢について考えることが時折ある。
 すこし眼も悪くなってきたからだが、悪いところは他にもいくつかあって、大体は性格なのだという。
 
 
 
■ ひとつのコーナーを速く廻ることは誰にでもできる。
 問題はそれを続けてゆくことで、それには時々死んだフリをしていたりもする。
 ピクリの部分。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_05_28_06

「緑色の坂の道」vol.2519

 
       濡れたブラウス。
 
 
 
 
■ ロマンチックというものがもしあるのだとして、それは声を落とすところから始まる。
 雨がそろそろあがる。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_05_29_01

2004年05月29日

「緑色の坂の道」vol.2520

 
       白い風。
 
 
 
 
■ 夏の気配に。
 私は新しい石鹸をおろした。
 
 
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04_05_29_02

「緑色の坂の道」vol.2521

 
       豆ゆでる。
 
 
 
 
■ 歩いていて植え込みの葉を一枚ちぎる。
 口に含んでその端だけを噛む。
 豆のサラダ。透明な薄い酒。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_05_29_03

2004年05月30日

「緑色の坂の道」vol.2522

 
       皐月尽。
 
 
 
 
■ 緑坂Weblogを始めて数日が経った。
 このデザインテンプレートは、某社に勤めるY氏の構造化によるものである。Y氏とは以前仕事で一緒に動いたことがあり、彼の技はXMLやCSSの面では多分今一番信用ができる。
 不思議なもので、あいつ生意気だな、とか変なオヤジだなと、互いにガンを飛ばしていた時期があった方が、時を経ても記憶に残るのだろうか。あるMLで、結構なバトルをくりひろげたこともあった。
 カスタマイズは大胆不敵に行なっているつもりなのだが、なんといってもああた、専用のソフトがある訳でもないので、四苦八苦である。
 かつてhtmlを手書きで書いていた頃とほぼ同じ按配になっている。完成までの道はトオイ。
 
 
 
■ 本来こうした裏話は「青い瓶の話」に書くべきものだが、そのうちそうなるだろう。
 右上にある緑坂のロゴは95年とか6年の夏の頃合いに作ったもの。当時メモリが高価で、メモリの増設は16MBなどをつぎはぎしながら行なっていた。
 おかげで、肝心な時にOSが落ちる。多分Windows3.1で作成し、95でFTPをしていた。これではどうにもならないということで秋口辺り、Pentium Pro のPCを入れ、WindowsNT 4.0で組んだ覚えがある。
 NTは安定していたが、設定はやや難物だった。
 読売新聞のyominet、その文芸フォーラムが始まる頃合いである。
 
 
 
■ yominetは、当時数億円したかという強力なイントラネットの一部で、デフォルトのブラウザはNN、ネットスケープの3.0を想定していた。まだWebオーサリング・ツールというものが市販されておらず、htmlは全て手書きで行なった。
 エディタで雛型を作成し、そこに流し込んでゆくのだが、膨大な手間がかかったように記憶している。
 ただ問題はその中身であって、今読み返してどれだけ通用するかというと、その何割かには薄い自負がある。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_05_30_01

「緑色の坂の道」vol.2523

 
       夢の日。
 
 
 
 
■ 葉がゆれている。空は白い。
 髭を剃らず、煙草をくわえ、なるべく遠くをみようとする。
 すこし退屈だ。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_05_30_02

2004年05月31日

「緑色の坂の道」vol.2524

 
       残夢三昧。
 
 
 
 
■ という本が内田百門「砲△襦が まだ全部は読んでいない。
 通読していると、こちらに戻ってこれなくなるからだが、それにしても旨い題名だとは思う。
 
 
 
■ 中に「土手」という小品があった。
 何時だったか千葉方面に走っていって荒川の土手沿いの道を走った。
 雨は降っていなかったが、なるほどここがある種の境目であるのかと感じた。
 土手は長く黒く、盛り上がって続いていた。
 深夜営業のファミレスに入る。
 そこで働いている女性は、おそらく地元の人である。
 
 
 
■ するすると十年が過ぎた。
 あのときからでも五年は経っている。
 今自分はどこにいるのかというと、おぼつかなく、かといって留まっているともいえない。
 ファミレスから出ると、低いところに夜の雲が見えた。風の向きまでは分からないでいる。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_05_31_01

2004年06月01日

「緑色の坂の道」vol.2525

  
      地下鉄小町。
 
 
 
 
■ 席の向こうに腕を組んで眠る女がいた。
 足元に、黒塗りの下駄を履いている。
 ジーンズに黒いシャツ。
 二の腕はまだ細い。
 
 
 
■ 果たして何処で降りるのだろうとしていると、港区の坂の多い街で降りていった。
 新しく、高層マンションが建っている辺りだ。
 彼女は地下三階から、赤い鼻緒の下駄で地上に出てゆく。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_06_01_01

「緑色の坂の道」vol.2526

 
       残夢三昧 2.
 
 
 
 
■ 山口瞳さんの「礼儀作法入門」という本を古本屋で買った。
 同じ本を、これで何冊目かになるのだが、そういう気分のときというのはある。まだ御存命の頃合い、つまり私が若造だった頃に、なるほど大人とはこうしたものかと思いながら読んだ記憶がある。
 
 
 
■ かつて偏愛した作家の本を、一定の年齢を重ねてから読み返すのは、ある意味で辛い。
 その方の年齢と、またその時代とを再確認させられるからだが、そのようなこともあって多くは小説や文芸というジャンルからひとは離れてもゆくのかも知れない。
 実際、このひとの書いたものならば全て目を通す、というようなことが無くなって久しい。
 
 
 
■ 山口さんの遺作である「男性自身:江分利満氏の優雅なサヨナラ」には、入院中、先輩作家である吉行さんの死去を知る部分がある。山口さんの「男性自身」には、梶山季之、向田邦子さんなど、親しかったひとについて書いたものに名文が多いが、この吉行さんについての連作もそうであり、またある意味で痛切であった。
 
 看護婦が吉行さんという作家を知らない。「夕暮れまで」というベストセラーをも覚えていない。
 山口さんはその事実にショックを受ける。
 それは、文芸という世界がいかに狭いものだったのかということの裏返しなのだが、活字やその他のものがなくても生きてゆける世間。
 というよりも、全てのものが平らに見られてしまう世界。
 つまりそれは、大手古本チェーン店で、旧くなった本が一律 105円と値付けられていることと同じことなのだと、決め付けてしまいたくなるような、些か思い上がった気分に私はなってしまってもいる。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_06_01_02

2004年06月02日

「緑色の坂の道」vol.2527

 
       水の祭の雨は白いよ。
 
 
 
 
■ 随分と前、品川宿の祭を取材したことがある。
 今眺めてみると、97年のyominet その緑坂に作品を載せていた。そのひとつ。
 
―――――
 
       菱の花。
 
 
 
■ 東海道の宿場だった町の祭りにでかけた。
 歩きながら、二日酔いの足取り重く近づいてゆくのだが、暫らくするとその熱気の中に飲まれてもゆく。
 何処か覚めたような、これ以上栄えることはないと知ったような、町並みを歩いていると子どもたちが先を急いでいる。
 
―――――
 
 
■ 元の作品は、画像付きのhtmlである。
 今その画像を再掲しようと思ったが、めんどうなのでやめにする。
 小さな姉妹が、浴衣を着て夜店の前に立っている。
 薄荷パイプの店だ。
 ピントが合っているのは、バンザイをしたキューピーの人形が付いた笛であり、黒目がちな女の子の顔はすこしボケてしまっている。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_06_02_01

「緑色の坂の道」vol.2528

 
       水の祭の雨は白いよ 2.
 
 
 
 
■ どうして菱の花なのか、というと、多分それが売られていたからなのだろう。
 水槽に入れて部屋の中に置くのが流行っているともいうが、水草というのは少し汚れている方が正しいような気もする。
 すこし再掲してみる。この緑坂は「河童」。
 
――――――――――――――――――――――――
 
      河童。
 
 
 
■ 品川南の天王祭その前夜、通りに面した櫓のなかではお囃子の最後の調子あわせが行われていた。
 五月の田植え月に続く六月は、水無月と呼ばれる。
 水の欠乏はひとびとの生活に直接の影響を与えた。
 一般に六月の祭は一日および七・八日あたりからその手続きが始まり、満月の十五日に至るとされていた。
十五日になると、各地の天王祭や祇園祭とむすびついてくる。
 そういえば北の天王祭、品川神社の境内の水飲み場には小さな河童の鋳物があって、ここでも水にまつわる信仰の流れがあるようだった。
 
 
 
■ 河童といい、カワゴといい、エンコやウソなどとも呼ばれているそれは、端的には水の精の変化であろう。水とはいっても淡水のそれであって、海とはまた違っている。
 この十五日が過ぎるまでは川に入ってはならない、というシキタリが残っている地方も多く、河童やカワゴが騒ぐからであるとされている。
 漫画家・水木しげるさんに「河童膏」という作品があるが、たいへんに面白い。
 河童と狐の恋であるとか、田に水を満たすため河童に娘を嫁にやるとか、糞尿に弱い河童と人間の戦争であるとか、なんだかよく説明できないが、ひとは河童を怖れながら共存してきたようであった。伝承のなかの河童は妙に義理堅い。
 
 
 
■ この夜、町の世話人が集まって明日の祭の支度をしている。
 踊るように飛び廻り、あちこちに声をかけている男のひとがいる。
 お囃子のなかには娘さんが入っていて、男たちの叩く太鼓に調子をあわせている。
 
 
――――――――――――――――――――――――
04_06_02_02

「緑色の坂の道」vol.2529

 
       水の祭の雨は白いよ 3.
 
 
 
■ 当時私は、伊皿子の坂の界隈に事務所を持っていた。眠るところはまた別にあり、歩いてゆききをしていたのだが、ま、こういう仕事ですから、仕事場に泊まることも多かった。奥の、寝床というか資料置き場という部屋からは、東京タワーがまだ見えていた。
 
 
 
■ 二台の古い一眼レフにネガのフィルムを積め、なんとはなしに祭を撮りにゆく。
 当時の読売文芸フォーラムの助手・甘木君は、中古カメラ屋の親父に騙され、全てがマニュアルのマミアなどを使っていた。露出計が動かないんすよ、とラーメン屋で語り合った記憶がある。
 私はといえば、新橋の釣り道具屋で買ったベストを羽織り、サングラスをかけ、被写体につっこんでいった。
 夢中になると廻りが見えなくなるのである。
 
 
 
■ だが、この「カメラマンごっこ用チョッキ」というのはなかなか便利なもので、本来は釣りのルアーなどを入れるところにフィルム(ネガ)を詰め、しかも二台のカメラを首からぶら下げていると、子供たちが尊敬する。
 年寄りも納得をしてくれる。
 なんという神社だったか忘れたが、夜店の裏側で煙草を吸っている十代の若者達に、撮ってくれとせがまれて仕方なく缶コーヒーを奢った覚えもある。
 
――――――――――――――――――――――――
04_06_02_03

「緑色の坂の道」vol.2530

 
       水の祭の雨は白いよ 4.
 
 
 
■ 再び再掲してみる。
 
――――――――――――――――――――――――
 
■ 品川、南の天王祭のクライマックスは海中渡御・御輿洗いである。
 この画像は、「江戸名所図絵」の一部分、それに加工と彩色を加えた。
 ファイルサイズの関係で輪郭が出ない。また、前掲書には「御輿」の表記がなされている。
 文献によれば、洲崎の漁師たちが天王の神輿をかつぎ、その年の魚漁を祈って海中を通過さしむとある。
 由来は諸説あって定かではない。
 いずれにせよ、御神面のお里がえりという意味があるという。
 この御神面には、「肉付きの面」、つまり付けてみたら取れなくなり品川神社にお参りすると肉が付いたままとれたとか、他に持っていったら疫病が流行ったので、これはイケナイと戻しにきたとか、いくつもの説話があるという。
 江戸の時分は六月六日に行われた。明治になってから八日にかわる。
 ナンタアといえばサアイと答え、ヨイヤヨイヤ、エンヤエンヤなどとその掛け声に特徴があった。随分威勢が良く、宿場には沢山のひとが集まった。
 
 
■ 神輿を海中に入れてゆくところがなくなり、近年は場所を転々としながら行われている。
 四方に旗を立てた御座船と、お迎え船多数が洲崎橋のたもとから船を出す。
 洲崎橋とは、品川駅のすぐ近く、屋形船などが並んでいるところである。
 今年は満ち潮の関係で日曜の午前八時半近く、そうでないと神輿を乗せた御座船が橋の下を通過することができない。と、髪の毛を後ろで縛った祭の世話人が話していた。
 今年の海中渡御の場所は聞きそびれた。肝心なことを忘れる。
「夕方戻ってくるんですけどね、途中で甘酒をふるまうんです」
 神輿の担ぎ手は、腹に荒縄を巻きつけるのが習いだという。
 
――――――――――――――――――――――――
04_06_02_04

「緑色の坂の道」vol.2531

 
       水の祭の雨は白いよ 5.
 
 
 
■ と、いう按配で。
 このとき撮影したものの中には、今見ても成程とおもえるものがいくつかある。
 腕と同期していないフラッシュのせいで、ぶれている画像も多いが、写真の雰囲気とはただそれだけでもない。
 その後、あるプリンター等の総合メーカーの広告写真に転用しようという話もあったが、さすがに女の子の画像はやめておこうということになった。
 肖像権というよりも、脆いものを広いところに晒すのが躊躇われたからだろうと思っている。
 
――――――――――――――――――――――――
04_06_02_05

「緑色の坂の道」vol.2531

 
       水の祭の雨は白いよ 5.
 
 
 
■ と、いう按配で。
 このとき撮影したものの中には、今見ても成程とおもえるものがいくつかある。
 腕と同期していないフラッシュのせいで、ぶれている画像も多いが、写真の雰囲気とはただそれだけでもない。
 その後、あるプリンター等の総合メーカーの広告写真に転用しようという話もあったが、さすがに女の子の画像はやめておこうということになった。
 肖像権というよりも、脆いものを広いところに晒すのが躊躇われたからだろうと思っている。
 
――――――――――――――――――――――――
04_06_02_05

「緑色の坂の道」vol.2532

 
       出船。
 
 
 
■ 空が白みかけてきた。
 仕事場のガラス窓からは、遠く品川プリンスの常夜灯がみえている。
 避雷針の下、赤く定期的に点滅しているのだが、あるときには少し気ぜわしい。
 
 
 
■ 喉をやられる風邪にかかって十日ほどになった。
 時折、深い咳がでている。
 その他は単に背中が痛いだけで、昨日は打ち合わせ(MTG)がなかったので事務的な用事を済ませ、あとはぼんやりしていた。
 夕刻近く、車を出し、いくつかの所要を済ます。
 それから大井町、ゼームス坂上界隈の定食屋へ入ってみた。
 
 
 
■ 実をいうと、品川の祭がこのあいだの週末だと知ったのは、その商店街でである。
 随分と様変わりしていて、五八年続いたという衣料品専門の安売り屋が閉店セールをしている。
 ところが特別安くもないんだな。
 すぐ隣では、本来は肉屋であった店が発泡酒を並べ、焼き鳥などを販売していた。
 つまりは立ち飲みである。
 男たちがほぼ二十人ほど、ロング缶と櫛をほおばっている。中には折れ曲がった背広姿の男たちもいる。
 私は車できたことを後悔しながら、定食屋で二ヶ月遅れの漫画を左に、秋刀魚定食ともう一品、生姜焼きなどを食べていたりした。
 
―――――――――――――――――――――――
04_06_02_06

2004年06月03日

「緑色の坂の道」vol.2533

 
       江戸の坂東京の坂。
 
 
 
■ 特別湿度がある訳でもないが、空気が重い。
 いたしかたなく、仕事を続けていたりする。
 せんだって、私は銀座から有楽町、東京駅の界隈をひとり歩いた。
 夜もしばらく更けた頃合い、薄い雨が降っていた。
 かつて丸ビルがあった辺りに入る。
 入り口に案内のようなものがあり、そこに「暗闇坂・店名」と書いてあった。
 
 
 
■ なるほど、坂の名前がひとつのブランドになっているのだな、とプロデュースした方のセンスに感心したのだが、暗闇坂というのは何処にあるのか。
 実は、東京には十数個の「暗闇坂」があるという。
 というのは、「江戸の坂東京の坂」からの受け売りである。
 
 かつて、yominet の緑坂で、私はこんなことを書いていた。97年の頃合い。
 
---
坂とは、山や岡に上ったり下ったりする道のことで、言い換えれば、低いところから高いところに上って行く道路、または、反対に高いところから低いところへ下る道路のことをいうのである。
しかし、いまここにとり上げているのは、その坂が名前を持っている場合であって、無名の坂、またはまだその名前がわかっていないものについては、それに触れることはしない。
 
(横関英一:「江戸の坂 東京の坂」中公文庫:9頁)
 
---
 
■ 実を言うと、「祝」の画像の代わりに文庫本の表紙をスキャンさせていただこうと思っていた。
 白井晟一さんによる表紙扉には、尾形月耕「江戸見坂」の絵が使われている。
 出版社に問い合わせ、その許可を貰えば良いのだろうが、忙しさにかまけ今日まで果たせなかった。暫くしたらお願いをしてみようと思っている。
 本のデザインというのはそれ自体が既に作品で、本の内容をニョジツに顕わしていることもあるようだ。
 
 
 
■ ところで、引用した文はこの本の冒頭にある。
 声を出して読んでみると、なかなか味があるような気がする。
 あたりまえのことを真面目に書いてゆくところから全ては始まって、著者の語り口は次第に歯切れの良いものになってゆく
 
―――――――――――――――――――――――
04_06_03_01

「緑色の坂の道」vol.2534

 
       化粧坂。
 
 
 
■ 再掲する。
 
---
化粧坂(けわいさか)と呼ぶ坂があった。江戸に少なく地方に多い坂名である。江戸では、浅草の千束町から吉原土手に上る坂を化粧坂と言った。これひとつだけである。しかも、吉原土手がなくなったとき、同時にこの坂も消えてしまった。
 
(横関英一:「江戸の坂 東京の坂」中公文庫 163頁)
---
 
 
■ 横関さんのこの本は、昭和四十五年一月に有峰書店から刊行されている。
 なかに随分と写真が載っていて、ご本人の撮影による。
 昭和三十五年から数年間の東京の町と坂の写真をぱらぱら捲っていると、時間がとまっているかのような錯覚に襲われる。
 坂のむこうにトラックが駐まっている。
 確か、裕次郎がでていた日活映画の喧嘩のシーンで、こうしたボンネット型のトラックが背景としてあったことを覚えている。
 坂に人通りはすくない。
 
 
 
■ 化粧坂というのはなんとも粉っぽい呼び方で、祭りの日の小さな女の子の紅の色や女郎衆のそれ、または旅役者の壁のような白色までを思い出す。
「化粧師」「帯師」などという職業が確かにあったと描いていたのは上村一夫さんだった。
 歳末の頃、私は東京の下町の繁華街にいって、高いんだか安いんだかよくわからない瀬戸茶碗を手に取っていた。
 せめて新年には新しい味噌汁の椀を使おうと思ったのだ。
 花魁の格好をしたすこし太ったおんなのひとのポスターが貼ってある。
 よくみると男性なのだが、スタンプを集めるとその公演にゆけるという。
「夢芝居」とはいつもそうなんだろう。
 その日は寒かったけれども、歳末のゆるやかな坂を降りて戻った。
 
―――――――――――――――――――――――
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「緑色の坂の道」vol.2535

 
       神楽坂下。
 
 
 
■ 確か救世軍のアパートがあって、感心して眺めているとむこうからひとが歩いてくる。
 私は所用あってこの路地に紛れ込んでいた。
 タオルとビニールの鞄をもったその若い娘は、娘というには訳がありそうで、すこしこちらを向いている。
 夏のなかほど七月の午後。
 白いTシャツの下は薄い胸が透けている。
 八重歯。
 
 
 
■ 目的の場所を尋ねてみると、人なつっこい顔つきでわからないと首を振る。
「洗濯してから稽古なんです。きたばかりで」
 関西なのか何処なのか、言葉も肌もこちらでもない。
 礼を言って暫く歩いた。
 振り返ると、その半玉は踊るように急な坂道を降りてゆく。
 
―――――――――――――――――――――――
04_06_03_03

「緑色の坂の道」vol.2536

 
       暗闇坂。
 
 
 
■ 所用の電話をいくつか済ませ、漠然としている。
 〆切もあるのだが、なかなか最初の一文にとりかかれないでいた。
 東京という街は案外に坂が多い。
 港区界隈には、坂の途中に表札のようなものが立っていて、坂の名前とその由来が記してある。
 設置されてから暫く時間が経ったのだろう。毛筆で書かれた文字は木の色に溶け込んでしまっているところもあった。
 
 
 
■ 横関さんの前掲書を眺めると、「暗闇坂」というのはまずは新宿にある。後は文京区、元の教育大の傍の
坂をそういう。大田区山王にもあるし、本郷七丁目界隈、つまりは東大の脇の道をもそう呼ぶ。
 元麻布界隈、オーストリア大使館前の坂も「暗闇坂」と呼ばれた。
 いくつかには別名もあって、芥坂、乞食坂、宮村坂など、ところどころでその呼び方は異なっている。
 
 
 
■ 真っ暗な坂道であったから「暗闇坂」と呼ばれたのだけれども、なんとはなしにここで発想は飛ぶ。
 まず紋が大きく現れる。それが黒い着流しの背中であることに気づいて、これが映画のオープニングであった。
 確か「眠狂四郎」の何作目だったか。
 眠とは、転びバテレンの子、虚無的な浪人者である。
 大映映画では、市川雷蔵が演じた。
 あまり映画をビデオに収録しておくという趣味のない私だが、年に数度、ぼんやりと見返したりしている。
 
―――――――――――――――――――――――
04_06_03_04

2004年06月04日

「緑色の坂の道」vol.2537

 
       動く満月。
 
 
 
■ カーテンの隙間から月がみえる。
 どうも満月であるのか、曖昧なところも残る。
 その割に、夜は明るくもない。
 
―――――――――――――――――――――――
04_06_04_01

「緑色の坂の道」vol.2538

 
       都市の梟。
 
 
 
■ このどこかに、眼をおおきく見開いた梟がいるような気がする。
 例えば、コンクリで固められた小学校の屋上に。
 
―――――――――――――――――――――――
04_06_04_02

「緑色の坂の道」vol.2539

 
       暗闇坂 2.
 
 
 
■ 若い頃、柴田錬三郎氏の「眠狂四郎」のシリーズを暫くのあいだ読んだ。
 することもなく、もてあましていたからだが、今思い出すとその内容のほとんどは忘れてしまっている。
 円月殺法という定番の技があるのだが、原文ではただの二行程度。
 狂四郎の剣が丸く円を描き終わらないうちに相手方の侍は地に倒れていた。
 その後に月が出ていたり、風が吹いていたりする。
 
 
 
■ 柴田さんという方は、もちろん会ったことはないが、どこか古典的なボードレリアンの系譜だったという気がする。作家にとって、何処で産まれ育ったのかという要因は案外に大事なものだけれども、つまりそれは柄とか品とかに繋がるもので、こればかりはいかんともし難い。
 若い頃の柴田さんの作品を眺めていると、相当に貧乏もしていた。
 貧乏をしながらそうでもないと痩せ我慢をすることは某かの作品を作る際の最低限度の資質ではあるが、問題はその方向である。
 
 
 
■ 私は比較的永い間、高輪界隈に住んでいた。
 建築の分野で、割と有名だという高輪消防署に昇ってゆく坂道があり、その途中に柴田さんのお屋敷がある。
 そこへ集まることを、「高輪詣」と、吉行さんが書いていたこともあった。
 吉行さんが、初めて週刊誌の連載を持ったとき、柴田さんのご指導を仰いだというかたちになっている。
 この辺りは説明をすると長くなるのだが、いわゆる新しいメディアである週刊誌が続々と発刊されたのが昭和三十年代前半。
 朝鮮戦争が終わり、世の中が次第に片付いてきたかという頃合いであった。
 柴田さんの「眠狂四郎」シリーズは、その頃に生まれてもいる。
 
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04_06_04_03

2004年06月06日

「緑色の坂の道」vol.2540

 
       お局坂。
 
 
 
■ えー、坂の由来は割愛。
 ドーナッテモ知らないよ。
 
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04_06_06_01

2004年06月07日

「緑色の坂の道」vol.2541

 
       暗闇坂 3.
 
 
 
■ 夜の散歩をこころがけた。
 白金台から広尾まで、有栖川公園に住むカモは暗くなると石垣の上に寝ていた。
 猫の尻は太かった。
 時々、中年女性にガンを飛ばされるのだが、それはいたしかたのないことである。
 
 
 
■ 元麻布界隈は、静かな住宅街が続く。
 坂の上と下とではこれほど風情が違うものか、と驚くのが世の常だが、例えば横浜の山手から坂道を下ってゆくときなどもそのようである。洗濯干場が見えるからなのかも知れない。
 昔、文学館の隣には車が停められて、夜中に煙草を吹かしにいったことがあったが、今はそうもゆかなくなっている。
 
 
 
■ 元麻布の教会の脇を通ってゆくと、いわゆるタワー型の高級マンションが建っている。ここはホテルのようにして使うところなのだけれども、その前の植え込みで一休みをした。
 ボトルの水を飲んだりする。
 東京は梅雨になりかかる手前、低いところにすこし欠けた月が赤かった。
 タワーを見上げていると、蛍光灯と白熱灯の灯りが混在している。おかしな生活感が滲んでいて、普段食べているものは誰もがそう変りはないのだろうと思われた。
 昨年秋頃、この奥の不動産を夜中に見にきて、花束を左手に持った若い女性が、すこし踊るように歩いているのを見かけた。肩を出したまま、ふくらはぎが綺麗だった。

 その先、古い狐の尾のように分岐した道があり、その中のひとつが暗闇坂である。街灯の届かぬところに、木の案内が立っている。
 かなり急な勾配と、片方が石垣。
 まだ夜は遅くなかったので、一組の老夫婦とすれ違った。下ると駐車場があり、馴染んだ麻布十番温泉の看板もみえる。
 
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04_06_07_01

「緑色の坂の道」vol.2542

 
       少年と筋雲。
 
 
 
■ 遠くのビルのガラスが銀色に光っている。
 低いところを、固まった雲が海の方角へ流れる。
 自転車のスポークがきらりとした。
 
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04_06_07_02

「緑色の坂の道」vol.2543

 
       暗闇坂 4.
 
 
 
■ 吉行さんが、柴田錬三郎氏の「眠狂四郎無頼控」を始めとする作品群を評したものから引用してみる。
 
 これらの作品の主人公に共通していることは、彼らは全て社会のワクに入りきれぬ、世間と馴れ合ってゆけぬ性状の持ち主であることだ。彼らは潔癖でデリケートでやさしい魂の持主である。それがあまりに過度であるために、生きてゆくうちにそれらの美徳は一層彼らを傷つける因となってしまう。彼らは、自分を傷つける存在に対して、絶えず復讐の念を招き始める。復讐の相手は、彼らの外部の人間でもあり、同時に彼らの内部にある美徳でもある。そのような方法によらなければ、彼らは生き続けてゆくことができないわけだ。そういう操作の結果、主人公は冷酷なサディスティックな外貌を示しはじめる。
- 略 -
 加虐すなわち被虐という主人公の姿勢がはっきり読み取れる作品である。
(吉行淳之介「年齢について」潮出版社:54頁)
 
 
 
■ この初稿は昭和三十三年、日本読書新聞の書評として書かれている。
 いささか青春の香りもする書き方であって、吉行さんも確かに若いのだが、大筋のところで今も当てはまる部分もある、という気はする。
 柴田氏が創出した「眠狂四郎」という異端児は、当時一世を風靡した。
 転びバテレンの子、という設定がまずは絶妙である。
 それは、ついこの間まで八紘一宇を唱えていた知識階級が、一夜にして思想的礼節を喪い、民主主義を声高に語り始めるという「流行」への、生理的な拒絶反応が根底にはある。
 例えば学生時代に読んだマルクスを捨て、背広に細いネクタイを締めて、満員の電車に揺られ通勤をしていた当時のホワイトカラー層に、些かの自嘲をこめて受け入れられた。
 
 
 
■ 吉行さんは、柴田氏から眠狂四郎のモチーフを聞いた時、その成功を少しも疑わなかったと書いている。
 柴田氏の心情が狂四郎にあざやかに乗り移っていたからだが、その作業は柴田氏にとって「アクロバット」と自称するべきものでもあった。
 逆立ちをしてみせる胸を病んだ娼婦が登場する「さかだち」という作品は、もちろん虚構ではあるのだけれども、その辺りの事情を伝え哀切である。
 
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04_06_07_03

2004年06月08日

「緑色の坂の道」vol.2544

 
        群雲。
 
 
 
■ 空が明るくなったり、暗くなったりした。
 月が隠れているからだ。
 雲の速度がはやい。
 私はマイルスの「Quiet Nights」を繰り返しかけていた。
 
 
 
■ 加虐がすなわち被虐の構造になる。
 というカラクリは多分よく分かる。
 自分にもそういう時期が永いことあったからだが、一歩間違えるとそれは安易な劣等感に繋がっていることもあって、その処理に苦労した。
 だとすれば、ツマラナイからでもある。
 
 
 
■ それにしても、この月の動きを長いレンズで捉えていれば面白いものができるだろうに。
 と、考えて、そういえば私は写真家だったのだと思い出してもいる。
 
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04_06_08_01

「緑色の坂の道」vol.2545

 
       Once Upon A Summertime.
 
 
 
■ マイルス、と書くと、英国人作家、キングスレー・エイミスに叱られる。
 気安く呼ぶなよ、ということなのだが、それはそれ。
 ディヴィスと正しく言うには、舌の根が和風なのだ。
 
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「緑色の坂の道」vol.2546

 
       Once Upon A Summertime 2.
 
 
 
■ マイルスのトランペットは、例えばシナトラのそれに似ている。
 投げ出すように、ほとんどぶっきらぼうに吹いているのだが、その本質は極めて男性的な音色であろうかと思っている。
 
 
 
■ 例えば孤独というのが仮にあるのだとして、それは全て自分の責任である。
 みっともないことも、時折はそうではないことも、誰のせいでもありゃしない、みんなオイラが悪いのさ、という前提の元での、一息、二息にもみえる。
 
 
 
■ 歯切れの悪さ、脇道への入り方。
 自分を捜すなどという、いい歳をしての甘ったれた言い分。誠実でありたいと真顔でいうJAZZメンがいたら、グラスに煙草の吸殻を捨て、そのまま席を立たれても文句は言えまい。
 
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04_06_08_03

2004年06月09日

「緑色の坂の道」vol.2547

 
       コモエスタ、アカサカ。
 
 
 
■ 小雨降る赤坂を歩いた。
 舗道が濡れていて、ビニールキャップを被った警官が立っている。信号が赤。
「おまわりさん」
 と呼ぶと、彼はふりかえる。
 
 
 
■ 彼はまだ若い。
 ここが首相官邸ですね、と尋ねると、そうですと答える。故郷はどこだろうか。いくつになったのだろうか。
 個人タクシーが並ぶ時間になっている。
 
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04_06_09_01

「緑色の坂の道」vol.2548

 
       夜の使い方。
 
 
 
■ 都市を歩くように、例えば夜の中を歩く。
 街が安全だからだが、ここで何をしているのだろうという気は僅かに残る。
 

「緑色の坂の道」vol.2549

 
       彼女の硬い椅子。
 
 
 
■ 屋根のついたバス停に、ビニールを束ねた車が置いてある。
 誰かが座りながら頭を下にして眠っている。
 梅雨時期だというのに、キャメル色のセーターを着ていた。
 白髪を束ねていて、多分女性であろうかと思われた。
 
 
 
■ 特別な感慨はなく、どうしてもその横を通り過ぎる。
 昔は綺麗だったという家のないひとを何人かみたことがあった。
 

「緑色の坂の道」vol.2550

 
       傘をもたない。
 
 
 
■ 昔、蝙蝠傘が嫌いだった。
 なるべく、手になにものかを持ちたくはなかった。
 多分、ポケットに手を突っ込むことができなくなるからだったのかも知れない。
 
 
 
■ 一定の年齢になり、そうもゆかないということに気がつく。
 雨の日の単車乗りを私は尊敬しているが、自分だけならばともかく、誰かのことを考えるとただのセダンになる。できれば運転などしたくはない、という風にも思う。
 これが堕落なのかどうなのか。
 自分が決めることでもないような気もしている。
 

「緑色の坂の道」vol.2551

 
       愚痴っぽい文章。
 
 
 
■ かつて、吉行さんが山口さんの小説について、やや愚痴っぽい部分があると評したことがある。
 どの作品を指したのか、今すぐに手元にないので判然とはしないが、例えば代表作「人殺し」などを今再読すると、そういう気配はない訳でもない。
 
「人殺し」という作品は、中年にさしかかった主人公が銀座の女給との間で恋愛のようなものをする粗筋になっている。
 仕事、家庭、そして恋愛との間で板ばさみになり、身動きができなくなるという、誰もが通るべき道筋を、端正で勢いのある文章で長編にまとめた。
 
 
 
■ 私にも覚えがあるが、男が一定の年齢になると、妙に精神的になり、ある特定の女の中に某か無垢なものを捜そうとする傾向がある。
 ロマンチックを無理して捜すような按配である。
 たいていは裏切られ、ムゴーイ目に合うのが常だが、男というものは懲りない部分もあって、反射的に言えばそれだから女は救われているという側面もある。
 
 
 
■ 例えばそう評した吉行さん自身も、実生活の上ではそう明白に割り切れないまま、没後にある意味での暴露本を出されてしまったりもした。
 作家の私生活というのは、一部マニア以外にはそれほど意味のあるものではない。
 それを踏まえた上で、作家がどう自分の情報をコントロールするかということは、世間に対するひとつの姿勢、もうすこし突っ込んで言えば、営業方針であることには変りがない。
 

「緑色の坂の道」vol.2552

 
       愚痴っぽい文章 2.
 
 
 
■ 何故こういうことを書いているかというと、最近ネットで散見する大人の文章の多くが、吉田拓郎の名曲、「今日までそして明日から」とそっくりの念仏式になっていることが多いからである。
 
 
 
■ これでよかったんだということを誰も言ってくれない。だから自分で言う。
 あの時はこうした夢はあったけれども、やむを得ない事情があってこのように選択をした。
 けれども、別の生き方があったのではないかと、独りPCの前に座っているときだけは、ふと思える。
 思うのは自由なのだが、現実は極めて明白である。
 一定の組織の中にいて、その中で護られ、そしてその制約を受けてもいる。
 決して列の外側にはみ出ることはない。
 
 
 
■ ギャンブルに限らず、一定のリスクがあるのが、世の常だが、暫く前、タクシーに乗っていると英語のナレーションの入ったJAZZ演奏が聴こえたことがあった。
 聞いてみると、インターネットラジオを録音したものだという。彼はMBAを持っていて、二年前まで米国IBMに勤めてもいた。白髪が混じっていたから、私よりも少し上の世代なのかも知れない。
「辞めたわけですね」
「ええ、辞めたわけです」
 ネットの安い時間帯を使って、テープに録音をしているのだという。
 私は、釣銭を渡すべきかと少し迷ったが、そうはせず、領収書を貰って車を降りた。
 

2004年06月11日

「緑色の坂の道」vol.2553

 
       愛と勇気の二日酔。
 
 
 
■ 偉そうなことを言うと全て自分に還ってくる。
 これは世の常でして、酒を朝まで飲むのが続くとその後がチンボツである。
 男のチンボツというのは結構みっともないもので、胃薬とタウリンと今の季節であれば麦茶の一リットルくらいが人生の友だったりした。
 小学生の女の子には見せられないよなあ。
 
 
 
■ ま、いいんですけれども。
 緑坂Movabletypeの、デザインが一新された。
 これは影の青瓶デスク軍団が完全に仕切っている。
 私は、言うとおりにしますダ、と完全にお任せをしている。
 ここがこの色、でもまあいいか。
 ゆるやかに柳青める 北上の河の岸辺に。
 

「緑色の坂の道」vol.2554

 
       夜の寝覚。
 
 
 
■ 緑坂というのはどこか性格の悪さが滲んでいるところがある。
 これは、そうしたくて書いているのではなく、自ずとそうなってしまうものであるからイタシカタがない。
 文章であっても、そうでなくても、某かの表現を試みることを課したひとというのは、おそらくはどこかでシニカルに対象と自らを眺めている部分があるような気もする。
 
 
 
■ すこし斜に構えることが格好いいと思われていた時代があった。
 多くは60年代後半からの流れを汲んでいる訳だが、反体制のポーズをとりながら、その影で大きなものに擦り寄る。
 擦り寄るのは、処世術として一向に構わない。
 一定の場なり立場がなければどうにもならないのが世の常だからである。
 問題はそれをどこまで自覚というか対象化しているかということで、例えばここを読んでいる方々というのは、少なくともネットに繋いでいる時間は、先ほど入ったコンビニのレジのおねーさんよりも幾ばくかは長い。
 もしくは、その使い方が異なっているだろうとも推察される。
 

「緑色の坂の道」vol.2555

 
       メンフィス。
 
 
 
■ テールフィンを立てた58年あたりのキャデラック。
 今の大統領は、エルビスを聴かない。
 

「緑色の坂の道」vol.2556

 
      湿度と緑。
 
 
 
■ 杉並の方にある大きな公園で、夜になると制服の警官がその入り口に待っている。
 自転車に乗った少年をつかまえるためだ。
 
 
 
■ 少年の腕はまだ細い。
 始めて自分の才覚で木綿のシャツを買ったのだと思われる。
 Tシャツよりは、ここはバスケのそれだ。
 
 
 
■ 私はすこし音のするエアコンの温度調節をいじりながら信号を待っていた。
 そんなことでめげるな。
 今降っている雨の向こうに、ただの重たい夏が待っている。
 

「緑色の坂の道」vol.2557

 
      赤い傘。
 
 
 
■ 坂の上の交差点で、蛇の目をさしているカワウソと並んだ。
 長いスカートをはいている。
 側溝に雨が注がれてゆく。
 水の匂い。
 

2004年06月13日

「緑色の坂の道」vol.2558

 
      菜種梅雨。
 
 
 
■ しばらく東京を離れていない。
 広い場所を眺めていない。
 脇道にそれて、カメラを持っていた。
 農作業をしているおじさんにレンズを向けると、彼は帽子を被りなおした。
 私はそういう人が好きである。
 

「緑色の坂の道」vol.2560

 
      菜種梅雨 3.
 
 
 
■ もちろん、被写体にはならなかった。
 とりあえずプロなので、これがどう使われるかという出口を考えてシャッターを押す。
 もちろん、それだけではツマラナイのであるが。
 
 
 
■ 東京から何をしにきたかということを、地元の言葉で聞かれる。
 いや、ま、なんとなく。
 取材などと答えるのはしゃらくさい。
 五分ばかり話しただろうか。
 私は道を聞いて、車に戻った。
 

「緑色の坂の道」vol.2561

  
      菜種梅雨 4.
 
 
 
■ 東京という街は、部分的にはある種NYのようなものだ。
 シカゴともLAとも違っている。
 それでいて、その成り立ちはNYとはまるきり違っている。
 それは日本という国の近代化の過程が、そのようなものだったからだと解釈をしている。
 
 
 
■ 日吉坂の辺りをうろうろしていると、妙にガンを飛ばされる。
 寝癖を立て、折り目のない綿パンで煙草を買いにゆこうとしているからだろうが、そう睨まなくたっていいじゃないか、と時折は思う。
 多分、あなたはこの辺りに相応しくない、ということを暗黙に示唆しているのだろう。
 安い狐のような顔をして、歩きながら携帯を頬にあてていた。
 

「緑色の坂の道」vol.2562

 
      縦に降る雨。
 
 
 
■ あたりまえのことだが、雨は空から落ちてくる。
 一面に灰色が広がり、緑はすこしくすんでみえる。
 20階以上のビルでは、雨の音がしない。
 という話を誰かから聞いた。
 低く、冷房が唸っている。
 

「緑色の坂の道」vol.2563

 
      ホテル・ニュー京浜。
 
 
 
■ 横浜新道を下ってゆくと、いつもの看板がみえる。
 以前より、すこし派手になったかも知れない。
「夜の魚」一部で、主人公のコピーライターが、四つ目だった頃のランクルに追われる道である。
 下り坂。
 ディーゼルでも速度は乗る。
 
 
 
■ 私は眺めるだけで、まだ入ったことはなかった。
 入るには到達していないというべきか、もうすこし先を急ごうという気配の頃だからだ。
 かつては料金所がとぎれていた横浜新道も、いくつかに分かれたETCの看板が目立つ。
 

「緑色の坂の道」vol.2564

 
      32のR。
 
 
 
■ 第三京浜を流していると、追い越し車線を100キロ代の後半で飛んでゆく車があった。
 いわゆるドイツのそれで、嬉しくてインチ・アップしたホイルの感触を確かめていたのだろう。
 路肩から黒い影が出る。
 三車線を一気にパスし、暫く追尾し、それから赤灯をつける。
 神奈川県警の交通機動隊、32のRだ。
 
 
 
■ 窓を閉め、メセニーを聴いていたので、その時のタイヤの音は聞こえなかった。
 現役を離れた走り屋がスカウトされるというのは、どの県も同じ。
 私はなんとはなしに、笑ってしまう。
 当時、450psは出ていたという話を聴いたこともある。

2004年06月14日

「緑色の坂の道」vol.2565

 
      シナトラのカツラ。
 
 
 
■ シカゴ・トリビューン誌のコラムニスト、マイク・ロイコの作品集「男のコラム」(河出文庫)を一気に読んだ。
 ロイコは、1932年シカゴに生まれる。高校中退。
 
 
 
■「男のコラム」という題名がなんとも、ではあるのだが、この毒舌とユーモアのセンスは、アメリカの最も良質な庶民の目線である。
 NYに対する子供じみた憎悪。それはシカゴのひとたちは皆同じだと。
 社会運動を熱心にやっていた頃のジェーン・フォンダへの揶揄。
 そして、シナトラがロイコのコラムに対して圧力をかけてきたことへの返答が、例えば以下の如し。

○もし君が自分のまわりにはチンピラがひとりもいないというのであれば私はその言葉を素直に信じて遺憾の意を表明したい。もちろんあの手紙を運んできたチンピラにも同じように遺憾の意を表明する。
(「男のコラム」マイク・ロイコ:井上一馬訳:河出文庫:83頁)

 つまりまあ、シナトラがロイコに対して記事の訂正を求め、カツラじゃないよ訂正したまえと言ってきた訳である。もし髪をひっぱっても動かなかったら、10万ドル出せよな、コラ。
 それに対してロイコは、問題はもし髪が動いてしまったらどうするかと提案する。
 
○10万ドルのことは忘れてもらって構わない。その代わりに君の蝶ネクタイをひとつと「ブルースの誕生」のレコード原版を貰いたい。いまでも私は、あれが君の最高の曲だと思っている。
(前掲:85頁)
 
 
 
■ エバァ・ガードナーとの恋に疲れていた頃のシナトラは、男の色気があった。ロイコはそれを言っているのである。当時、皆シナトラの格好を真似していた。
 一派をなし、ある意味でボスになってしまったシナトラに対し、一歩も引かないで自分の分野で勝負をかけている。
 シカゴという街。そこで生まれたひとつの文化。
 これは、雑誌「ニューヨーカー」と並べて眺めるとまた違った味がでてくる。
 

「緑色の坂の道」vol.2566

 
       犬の心得。
 
 
 
■ 最近、野良犬をみない。
 みるのは、服を着せられた座敷犬か、メルセデスのワゴンの後部から顔を出している大きな灰色の塊である。
 隣にあるホテルのテラスには、犬用の水飲み場があって、ロココ調の偽大理石に蛇口がついている。
 
 
 
■ 人間よりいいものを喰ってやがる。
 そう思ったのはバブル中頃。
 こちらは、週に一二度は紅生姜を山盛りにした牛丼を常食にしていた。
 
 
 
■ 昨夜、ふと思いついて港の方角へ車を走らせた。
 駐車場のシャッターがゆっくり上がる。
 ベルトをロックし、豚のようなセダンのアイドルが安定するのを待った。
 ここは川崎か鶴見か。
 見知った通りを曲がってゆくと、すこしばかりの埋立地がある。
 時々、海鳥がその先の突堤に休んでいる。
 彼らを起こさないように、離れたところに車を停め、煙草一本だけを吸う。
 地べたは湿っていて、ところどころ油のようなものが浮いている。
 

2004年06月16日

「緑色の坂の道」vol.2567

 
       犬の心得 2.
 
 
 
■ 暫く、枕もとに鬱の熊が座り込んでいた。
 あるいは、土豚にヘソを嘗められる夢を視た。
 
 
 
■ 理由はいくつもあるが、おおむねうんざりとしていた。
 何がといえば、放っておくと入り込んでくる一定の方々の神経の在り方と、その背後に見え隠れするある種サモシイ心根にでもある。
 
 
 
■ 世代論を口にするのは下品なことであるが、いわゆるダンカイと呼ばれる方々との付き合いはとても難しい。
 オレのことを知らないのはモグリだ。
 と、ご本人が真面目に考えている節がある。
 ご本人はその当時、真面目に反体制を貫いていたかというとそうでもない。
 そういった方々は地に潜り、長く苦しい青年後期と中年期を過ごした。
 周辺にいた方々。
 何もリスクを負わず、そのときそのときのものになびいてゆく。
 定年後のことをお考えになっておられる。
 

「緑色の坂の道」vol.2568

 
       大人になると誰もいってくれない。
 
 
 
■ 食事中に携帯のメールを打っている若者がいた。
 彼は25である。
 私は何も言わなかった。
 
 
 
■ 詳しい趣旨の説明も電話もなしに、公の場ですこし話せというメールがきたことがある。
 公であれば、原稿を用意するのが常である。
 原稿を書くと、私の場合対価が発生する。
 彼は、メールというのは万能であるかと思っている。
 ただのインフラでしかないのだが。
 
 
 
■ 大人になると誰も言ってくれない。
 イヤハヤナルホド、サヨデッカ。
 そこは流れで、次ゆこう。
 

「緑色の坂の道」vol.2569

 
       群雲。
 
 
 
■ 湾岸から都心へ入り込む首都高のパーキングに、時々でかける。
 何をすることもなく、缶コーヒーを飲むためだ。
 
 
 
■ 梅雨の晴間のことだった。
 半袖ではまだ寒く、東京タワーが玩具のように小さい。
 その上に、斑になった雲が薄くかかっていた。
 

「緑色の坂の道」vol.2570

 
       群雲 2.
 
 
 
■ それは都会というものの怖さだ。
 美しく見えるその下で、時給二割増で朝まで働く若い女性がいる。
 いつかはそうしてやろうと、コンビニでレジを打つ若者もいる。
 私はどうかというと、たかだかは誤差だ。
 誤差が全てなのだろうという気もどこかでする。
 どちらかに傾けば楽なのだろうということも、十六の時から分かってもいる。
 

「緑色の坂の道」vol.2571

 
       お局とオボツネ。
 
 
 
■ の違いを述べよ。
 ああたね、月夜の晩ばかりではないのよ。
 へい。
 

2004年06月21日

「緑色の坂の道」vol.2572

 
       いつかの湿り気。
 
 
 
■ 上着を洗う。
 ビニールから取り出す。
 新しい靴下を履く。
 ネクタイピンがここ半年みあたらない。
 夜になって風が吹いてきた。
 台風が近いのだという。
 すこし揺れる背の高い樹の影。
 

「緑色の坂の道」vol.2573

 
       濾過の程度。
 
 
 
■ 物語というのは、世界と自分との関係を規定したものだ。
 と、誰だかが言っていた。
 
 
 
■ パーティの後ですこし歩いた。
 どこにも電話はしなかった。
 戻ってきて仕事をする。一本の線と色を決める。
 これが長く使う原型の一部になるからだが、普遍的なものを捜すのは難しい。
 それは自分の色でもあるからだ。
 

2004年06月22日

「緑色の坂の道」vol.2574

 
       常緑樹がゆれる。
 
 
 
■ 夜に鳥が飛び立った。
 厚い雲が広がってきている。
 そうこうしていると雨になった。
 
 
 
■ いくつものものを捨ててもいいのではないかという気がしている。
 そうした段階は過ぎたのだと、誰だかがいう。
 浅く繋がること。すこしばかりは心配をすること。
 世間はもうすこし広く、決して一部だけのものではないということ。
 

「緑色の坂の道」vol.2575

 
       風のいたらなさ。
 
 
 
■ 除湿機が唸っている。
 一台はまだ新しく、もう一台はすこしだけ。
 私は仕事場から暗い庭を眺めていた。
 カーテンを空けている窓がある。机に誰かの影がみえる。
 ここは確か、開高健さんが常宿にしていた部屋ではなかったか。
 葉山から出てきて、このホテルの同じ部屋に泊まっていた。
 あの方も、ひとつの時代と舞台というものの中で、綱渡りをされていたのだと分かる。 作家の家族の顛末をどこかで知ると、何故だろう、胸が痛むことが多い。
 
 
 
■ 書くということは、どこかで毒を含んでいる。
 書くだけではなく、全ての表現にはそういう側面があると私は考えている。
 一方で戦争をしながら、こちらではCSSのことなどを考え、コンビニで釣銭を募金したりもする。どう使われているのか、概要すら知らない。
 そういった時代の表現とは何か、ということを考えるのが一方で現代美術のひとつの流れでもあったのだけれども、それも余裕があるからできるのだと言われた。
 

「緑色の坂の道」vol.2576

 
       浅い夢。
 
 
 
■ 吉行さんの作品にそういう題のものがある。
 週刊誌に連載されていたもので、いわゆるエンターティメント、時代の風俗を切り取りながら読者サービスを試みたものだった。
 意図的に薄められているとはいえ、注意深く読んでゆくとどこかに反骨の気配は漂っている。
 昭和30年代後半、あるいは40年代初め。
 いわゆる高度成長と呼ばれた時代の、大人のための物語である。
 その当時、例えば女性にモテルとはなんぞや、というテーマで読者の興味を惹きながら、次第に精神のありかたにニジりよってゆく。
 
 
 
■ 同じく吉行さんの短編に「流行」というものがある。
 昨日まで国体護持を叫んでいた知識人(ええと、学士とか修士にあらず)が、一夜にして民主主義を語る。赤旗を振る。
 それに対しての拒絶反応を示したのが、例えば坂口安吾であり、文藝春秋の池島さんであった。これはほぼ生理的なものに近い。
 吉行さんの「流行」という短編は、その時その時に主流を占めている思想やファッションや新しい生き方などに、ただ乗ってゆくことで自分を飾っていた女性との付き合いを、すこし遠くから眺めたものであった。
 彼女も次第に老いてゆく。
 
 
 
■ 今であればなんであるか。
 ネットの世界ではどうなのか。
 勝った犬も負けた犬も、あるいはやや負けつつある犬も。
 どうでもいいという気はしている。
 

「緑色の坂の道」vol.2577

 
       夏服とニガリ。
 
 
 
■ せんだって同級の友人と飲んだ。
 〆切と二日酔でタクシーを飛ばしてゆくと、彼は既にホテルの喫茶室で待っていた。
「もうダメ、トマトジュース」
「それなら、これいれろ」
 と、彼はバックから石垣島産の「にがり」を取り出した。
 
 
 
■「あいつが持ち歩けっていっていたんだ」
 あいつとは、地元で病院を経営している友人である。
「医者が言っているんだからいいんだろう」
「それは信用ならないなあ」
 と言いつつ、やや多めに入れてもらう。
 その日、私は彼ともう一人と夜更けまで一緒だった。
 グラスを持つ度に「にがり」を分けてもらった。
 最後のウーロン・ハイまで、15回くらいはそうだったかも知れない。
 途中から「にがり」のボトルは、奴の上着のポケットに入っていた。
 友達が良いというものは、とりあえずいいのだ。
 

2004年06月28日

「緑色の坂の道」vol.2578

 
       同質の声。
 
 
 
■ 緑坂というのは、93年の3月の頃合いに始まっている。
 かなり恥ずかしいところもあるが、第一作目を書き写してみる。
 
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「緑色の坂の道」vol.1
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       同質の声。
 
 
 

■ とある日本の写真家が、肖像写真を撮っていて、「気力は眼に出る」ということを、何処かに書いていた。
 それに答えたのか、ある小説家が「知性は声に出る」などと書いていて、そういうものか、と記憶に残った。
 見知らぬひとと電話で話していて、ああ、この人は自分と同じような感覚をしているのではないかと思うことがある。
 高かろうが低かろうが、そして時折ひび割れることがあっても、その背後にある漠然とした気配のようなものを感じることもある。
 
 
 
■ もともと、個性というのは実に厄介な人間のさまざまな要素の複合体である。
人間が成長するにつれて、ある部分を抑制し、ある部分を育成することによって、微妙なバランスが生まれる。
 その前提として、自分を点検する作業があるのだが、となると、年齢によって、抑制する部分や育成しようとする部分が少しずつ異なってくることになる。
 人の声というのも、そうした微妙なバランスの上に成り立っているような気がする。
 もともとあったものに、何が付け加えられ何が削られたのか。そしてそれは、その人の裡でどのように均衡を保っているのか。
 見知らぬひとからの電話の後で、そのように思うこともある。
 
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■ このかぎ括弧モドキというか半角の記号は、当時使っていたものである。
 なくても別にいいのだが、ひとつのデザインとして入れていた。
 MS-DOSの時代だったから、一画面のテキストの長さは大体全角で40文字程度。
 そこから必要なあれこれを引いて、おおむね全角36文字くらいになる。
 もちろん画面は背景が黒色で、文字の色が白色。他の選択はほぼできない。
 この辺り、「媒体と文章の関係性」ということで思うところもあるのだが、煩雑なので割愛する。
 

「緑色の坂の道」vol.2579

 
       半月。
 
 
 
■ ここから、かつての緑坂の話にもってゆこうかとしたが、やめにした。
 このところ、PCというかWSのメンテナンスをしなければならず、それに忙殺されていた。
 今見上げると、高いところにやや太った月がいる。
 月も無精髭を生やしているのか。
 まあね、そんなことはないです。
 あなたと夜とタウリンと。
 

2004年06月30日

「緑色の坂の道」vol.2580

 
       白南風。
 
 
 
■ 蝉の声がする。
 せっかちだとは、いえない気分だ。
 出窓から外を覗くと、緑の色が濃くて濁っている。
 
 
 
■ 人生に正面からぶつかるべき時期というのがあって、男の場合、それは四十歳前ではなかったかという気がする。
 これでいいのだと根拠もなく思いながら、何日も徹夜をくりかえす。
 もういちどやれ、と言われれば勘弁してくださいと言いたくもなるが、なんのためにそれをやっていたかも、半ばは忘れてしまっている。
 南から風が入ってきた。
 
 

2004年07月01日

「緑色の坂の道」vol.2581

 
       水の下で動く指。
 
 
 
 
■ 夜をさぐるのではなく。
 七月。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2582

 
       東京階層社会。
 
 
 
■ コンビニの脇で、座り込んで食事をしている女がいた。
 同時に携帯メールを打っている。
 背後には、高層マンションの影が黒い。
 最上階は、確か十数億で販売されるのだという。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2583

 
      かえらないで。
 
 
 
■ 寝顔をみながら口の中で小さくいう。
 でも、いつかはかえって。
 
 

2004年07月02日

「緑色の坂の道」vol.2584

 
       恋文。
 
 
 
■ ともあれ、するすると二ヶ月が過ぎた。
 夏だった頃の焦らされるような思いは消えて、ススキの原を通り、何もない、遠くまで見通せる冬が近づいている。
 空は高くなり、空気が次第に尖り始め、街路樹に残る葉の数もそうしたものになってゆく。
 枯れ葉は一度に落ちる。
 その音を知っていますか。
 風が吹く度に、例えば窓を開けていると、ばさばさとその音は聞こえてくる。
 
 
 
■ 先日、上野に行って、夜の路地を歩いた。
「ジュウマイ、センエン」
 と、偽のカードが売られていた。
 彼らはズルイ眼をしているけれど、彼の地に生まれれば、私もそのようにしていたかも知れない。
 
――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 
■ せんだって、ある読者から、この緑坂がいいという声をもらった。
 いつ頃書いたものか、今は思い出せない。
 

「緑色の坂の道」vol.2585

 
       ゆるい満月。
 
 
 
■ 薄い頭痛がする。
 過酷な月末をやりすごし、ある仕事のため、画像を選択していた。
 言葉がふわりと浮かばない。
 つまりそれは、編集にキレがないことを意味している。
 
 
 
■ 昨夜は満月だった。
 六本木ヒルズの界隈で深夜、ウイスキーを一本買った。
 二十四時間営業のそのスーパーには、昨日まで管理部門にいただろうと思われる中年男性がレジを打っている。
 彼は朝までの仕事だ。
 転籍の時、配偶者にそのことは説明していなかったのだろうと思える。
 

2004年07月03日

「緑色の坂の道」vol.2586

 
       自己憐憫について。
 
 
 
■ 柳ジョージの歌が好きで、二年に一度くらいは聴く。
 昔、東横線沿線に女がいて、彼女がカセットでかけていたからだろう。
 ブルーのシャドウが流行った。
 ニュー・グランドの二階は、若僧にはまだ無理だった。
 
 
 
■ 横浜新道からゆるやかに降りてゆく時、この声だからこの歌詞も許されるのだと気づいた。
 本牧に寄ろうという気もおきない。
 確かなものは、排骨炒飯の味くらいなものか。
 そういうと、これも裏返しになる。

「緑色の坂の道」vol.2587

 
       簡単にいえばそう時間がある訳でもない。
 
 
 
■ チャンドラーの言葉にこんなものがあるという。
「おやすみ、さよなら。おれは死んでもおまえにはなりたくないね」
 
 
 
■ おれを私と訳すべきか、原文がどうなっているのか知らない。
 アルコール中毒で死んだ作家にふさわしい、身も蓋もない台詞である。
 わが国にはチャンドラリアンと呼ばれる信奉者がいて、いわゆるハードボイルドと言えば彼の作品を指すことになっているのだが、さておき。
 自己憐憫とプライドのバランスが崩れたとき、男はどうするのだと考えた。
 

「緑色の坂の道」vol.2588

 
       人生は二行だ。
 
 
 
■ PCの画面上で文章を読む機会が増えた。
 ぱらぱらと捲る、という感覚で斜め読みをする。
 目に付いた一行、二行を読み、これからどこへゆこう。
 マウスが動いている。
 
 
 
■ 私は子育て日記を公開している三十男を信用していない。
 コドモがいい迷惑だろうと思う。
 それでいて、配偶者がフリメで相反する日記を書いていたりもする。

「緑色の坂の道」vol.2589

 
       バンド。
 
 
 
■ 水の古くなった匂いがする横浜が好きだった。
 車を駐めておくと、綺麗にアンテナが盗まれたりした。
 海岸通り、シュラのワックスをかけたばかりの紺色のセダンで、ちょっとばかり粋がっていると、五分の間にタイヤをやられた。
 ナンバーが気に入らなかったんだと今は分かる。
 
 
 
■ 排他的であることで何かを護ろうとする。
 それはブランド戦略の基本である。
 けれども、足元から崩されるのも常であって、かつて進駐軍のサージェント・クラスが女連れで泊まったというバンド・ホテルは、チェーンのディスカウントに替わった。
 同じ頃、ニュー・グランドの喫茶室が、ファミレスと変わりがなくなってもいる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2590

 
       国際埠頭。
 
 
 
■ バンド、というのは運河のことを意味する。
 我が国ハードボイルド・団塊世代作品の傑作「事件屋稼業」(原作:関川夏央・絵師:谷口ジロー)には、くりかえし本牧界隈の濁ったクリークが登場する。
 水は重い。
 午後の光の下では、鉛色の表に時折虹色の帯が入ってもいた。
 
 
_____________________________________________
 
       序
 
 
 
■ 本牧の外れの引込線から右に曲がるとその先は行き止まりだ。
 背の高いコンクリの壁をよじ登ると、黒く粘る海が見える。
 海とはいっても実感はない。薄い雨に雲が浮かんでいた。
 壁の横にぽつりぽつりと車が駐まり、車高を落とした白いセダンのボンネットの上に若い男が座っている。光るものを持っていて、近づくと、釣り竿を照らす電灯のようだ。伸びかかったパーマの頭を斜めに、バンパーに右足をのせ、考える格好で竿の先を照らしている。
 標識が半分取れかかっていて、「国際埠頭」と書いてある。
 
_____________________________________________
 
 
■「夜の魚」一部の書き出しである。
「夜の魚」は、当初緑坂として始まった。
 これはそのまま小説の出だしではないかと指摘するヒネタ読者がいて、そういうものかと暫く寝かせていた。
 プロットなど特別用意することもなく、書き始めたのが第一部である。
 いずれにしても、港とか引き込み線とか、その頃好きだった風景が背後にはある。
 
 

2004年07月04日

「緑色の坂の道」vol.2591

 
        十年。
 
 
_____________________________________________
 
      イット・ハド・トゥ・ビー・ユゥ。
 
 
 
■ あなたと別れていろいろあったけど、
 やっぱりあなたじゃなければダメだって、やっとわかったわ
 
 
 
■ ダイナ・ショワ、シナトラなんかが歌っている。
 そう言われたことがタマにあって、どうしたもんかなと思ったが、つまるところタマの問題であるということに気付いた。
 向こうも一緒なのだが。
 
_____________________________________________
 
 
■ 二日酔いである。
 なにもしたくない。
 と言いながら、仕事場でDVDを焼き、よそゆきの格好をしたひとたちがテラスで茶を飲んでいるのを遠くから眺めている。
 この緑坂は94年。
 なんてことだろうね。
 

「緑色の坂の道」vol.2592

 
       月のそばにある星。
 
 
 
■ 満月である。
 すくなくともそのように視える。
 あの話はなんの意味があるのだろう、と片隅で考え、眺めると傍に明るい星が出ている。
 
_____________________________________________
 
 
■ 確か昨日は満月に近かった。
「甘く苦い島」の画像から100近くを選択してもらい、その選別に追われていた。
 500枚ほどもあると、保存していた筈のものがひとつふたつ欠けてもいる。
 作成した時期が異なるので、ファイル名の型番が違っているものもある。
 いずれ、生理じゃね、整理しながら二重に保存しておく必要があると、その手間を考えてうんざりした。
 
 
 
■ 十年前ほどの緑坂を読み返す。
 なんてことを書いているのか、あきれる部分もある。
 だが、読み返すことができるのは、いささか不思議でもあった。
 もういちど同じことを書けるか、と言えば、まさかそんなことはない。
 

2004年07月05日

「緑色の坂の道」vol.2593

 
       ピメンタ。
 
 
 
■ だってわたしはわるくない。
 みんなあんたのせいだかんね。
 
 
 
■ という定番の技があって、まあ、そういうことなんでありますが、それはそれで本当にそう思っているかというと、いささか疑わしいところも残る。
 わるくなる役のひとがいないと困るだろうからだ。
 

「緑色の坂の道」vol.2594

 
       無敵の三十、そろそろ以下略。
 
 
 
■ という企画はどうか、とボソリと呟いたら、一斉にこちらを見た。
 仕事場で、本当のことを言ってはいけないものである。
 
 
 
■ 男は押さえた。仕事もそこそこ。
 私生活では単車に乗り、あるいは一眼レフなどをぶらさげたりする。
 化粧はしない。
 髪だけは染めてみる。
 自分が女だということを忘れられたらいいのに。
 だって我慢してきたのだから。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2595

 
       世間を狭くする緑坂。
 
 
 
■ ちょっとこっちいらっしゃい。
 へい。
 
 
 
■ というようなことを、十数年前からくりかえしている。
 ああたね。と始まったものだが、後悔と反省は異なる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2596

 
       水辺にて。
 
 
 
■ うつる空色。
 しばらく見ていると、雲も動く。
 
 

2004年07月06日

「緑色の坂の道」vol.2597

 
       水がめ。
 
 
 
■ きみは派遣なんだから。
 といわれた。
 部屋に戻り、誰かに話したかった。
 知らずに鼻水が出る。
 わたしの水瓶がゆれている。
 

2004年07月07日

「緑色の坂の道」vol.2598

 
       湿る風。
 
 
 
■ 駐車場に降りてゆくと、とたんにサングラスが白くなった。
 指先で拭く。
 英国系アメリカ人だろうか、帽子を被ったご老人がエレベーターの前に立っている。
 私は日本式に頭を下げ、脇に動いた。
 車までの湿り気。
 床にある結露。
 なるほど、こんな風に夏を待っていたことがあったと思い出した。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2599

 
        ビミョー。
 
 
 
■ 漢字で書くと微妙である。
 妙齢前半が言うと、否定的なニュアンスを含んだ社交辞令である。
 傾いていることを指す。
 またの機会に。


■「北澤さん、どうして大事なときに酒を頼んだりするんですか」
「だって、微妙」
 こっぱずかしくて、人生や文芸について語っていられるか。
 ということをボディ・ランゲージしたのだった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2600

 
       やさぐれてやる。
 
 
 
■ と、いう気分で地下に降りてゆく。
 煙草がないのだ。
 サイレンのようなものが鳴っていて、ロータリーから赤いサーブが降りてきた。
 その三十代か、眼の大きな女性と顔が会う。
 サーブはタイアを鳴らす。
 
 
 
■ 自分は金がないが、ある一定のカラクリを視てしまったのかも知れない。
 と、すこし錯覚をした。
 例えば「薔薇の原価」のようなものである。
 

「緑色の坂の道」vol.2601

 
       VAT69.
 
 
 
■ 地方都市にはまだしっかりしたバーがあって、時折はそこへゆく。
 チェックのベストを着たバーテンダーが、客の顔を眺めながらジンの銘柄を決めたりもする。
 
 
 
■ けれども、酒というのはほとんどが混ぜ物なのであって、混ぜ方の違いで微細な味を出している。
 カクテルというのはその極みかも知れない。
 モルト全部。
 という酒を嘗めたところで、では毎日どうすればいいのかという気になってゆく。
 

「緑色の坂の道」vol.2602

 
       荷風好きの芸者。
 
 
 
■ という小品を、青瓶に書いたことがあった。
 五年くらい前だろうか。
 そのあと、イッテン・坂下氏が、その芸者を紹介してくれと言ってきた。
 イッテン・坂下氏は、かつて読売新聞社の文芸フォーラムに、いささか難解なものを寄稿してくれた方である。当時三十代半ば。
 その後、いくつか翻訳の本なども出版されている。
 
 
 
■ あるとき、奥様が図書館でバウハウスの資料をお読みになった。
 そこに、ヨハネス・イッテンという色彩学の大家がいて、その風貌が坂下氏にそっくりだと気づいた。
 イッテンはグロピウス校長と並び、バウハウス初期の名物教授である。
「イッテン服」と呼ばれるすこし前まで芸術家がよくパーティで着ていた積め襟を発案し、ドイツ観念主義そのままに精神世界を放浪されていた。
 だって、作品を作る前に体操したりするんだぜ。
 思いつめた横顔は、旧日本軍の高級参謀のようでもあり、これはたいへんだわという按配で、私はおつかれさまですと思った。
 奥様は、イッテンの写真を眺め、大笑いされたという。
 あなたそっくり。
 坂下氏は、私に憮然とそれを告げ、夏だというのに帽子を被った毛のない頭をすこしだけ掻いていた。
 ある大手企業のデザイン・センターでの打ち合わせの時である。
 坂下氏は、何故かは知らないが、荷風の全集を買ったのだという。
 いつか貸してくれ。
 梅雨の頃合。
 

「緑色の坂の道」vol.2603

 
       荷風好きの芸者 2.
 
 
 
■ あるとき、イッテン坂下氏が暗い顔をして私にいう。
 日記がみつかったんですよ。
 で、うちのが出て行ってしまったんです。
 
 
 
■ しばらく聞いていると、その日記とは荷風のそれ「断腸亭日常」を模したものであったと分かる。
 模したもの。つまり、全てはフィクションの世界であって、荷風が遊んだかの如く自分もそのようなことをしてみたいかも知れない、多分そうなんだ。でもできないから国文出身の自分としては日記に書いてみる、という習作であった。
 具体的な名前が出ていたのが不味かったんでしょうか。
 いや、まあ、そういうことではなくてね。
 私は奥様に電話しようかと思ったが、前述の如く一緒に仕事をしていた仲なので暫くの遠慮をした。
 
 
 
■ ところで、荷風好きの芸者というのは実在する。
 馬場方面の高校教師と、口角泡を飛ばして荷風論を戦わせていた。
 彼は荷風研究では五本の指に入る。
 日本で荷風研究者が五人いるからだ、と定番の冗談をまじめな顔をして繰り返してもいた。
 私はその横にいたのだが、どちらかというと細面の小柄な芸者に話を流し、彼女のうなじをコンタックスの小型カメラに収めた。
 彼女も三十を過ぎただろうか。
 いつぞや、とある雑誌で寸詰まりなお稲荷さんのような顔と再会した。
 

「緑色の坂の道」vol.2604

 
       明け方の半月。
 
 
 
■ こういうことをしている場合ではないが、している。
 コピーの〆切をひとつ終え、いわゆる画像の〆切のためにWSの整備をしていた。
 チェックディスクをしてください。
 という声が何度も出て、その度にまた二時間かとその声に従う。
 昔からあるデパートの、エスカレーターに乗るときのご注意みたいな、従うべきトーンであろうかと思われた。
 
 
 
■ 取材で暫く留守にしなければならない。
 が、なんの用意もしていない。
 いい年になった段階での取材というのは、半分は酒の会であって、各種先輩にはたかり、頭を下げ、各種後輩には奢らねばならない。
 120円の手帳にお世話になった方々の住所などを写す。
 送料の方が高くなっても、気持だけは伝えなければならないからだ。
 二日酔いでなければできる筈だと考える。
 
 
 
■ 若い頃、クラブという程のことはないが、あちこちのママさんにお世話になった。
 学割で飲ませてもらったんだと、今にして分かる。
 ついてらっしゃい。
 と、言われ、ついていってラーメンを喰う。
 確か奢ってもらった覚えがある。
 この子、頼むわね。
 と、大盛を食べたホステスさんをあてがわれ、仕方なくもう一軒の酒を飲んだ覚えもあった。
 私は半ズボンを履いていた男だったのかも知れない。
 今、お礼をしたくても、その店が見つからないでいる。
 

「緑色の坂の道」vol.2605

 
        長い旅を続けていると、何処なのかを忘れる。
        夢も古びてくる。
 
 
 
 
■ ご存知、青瓶のキャッチである。
 もともと、これは緑坂として作った。
 車を運転していて、小雨である。
 信号で停まっていると、前にボルボのP1800がいて、そのテールが赤かった。
 私は助手席から古いキャノンのMFを取り出して、一枚を撮っている。
 フィルムはネガを詰めていた。
 
 
 
■ 緑坂は、次第に写真とデザイン、それにコピーを融合したものとして推移してゆく。
 高性能のフィルムスキャナがない当時、これはA4サイズのPDFとして作品化された。
 PDFも、当時はフォントの埋め込みができず、やむを得ずMSなどを使ったりしていた。
 いくつかのものは、商用利用される。シリーズで連作も作った。
 もう一度見たいという声もあるのだが、私のクレジット部分が今とは違っているので、再作成をしなければならず、その余裕がまだない。
 それでもいいではないか、という気持もあるのだけれども。
 
 
 
■ 年齢とともに作風はかわる。少なくとも表向きは。
 ネットというインフラが、多くのひとのものになってきた、という社会的な背景も大きい。ネットは、既にしてライフラインのひとつになってしまっている。
 情報格差という言葉が、前ほど言われなくなってきたのは、格差は単に情報だけではない時代に入ってしまったから、という指摘も可能だろうか。
 大きな声では言えないが、明白な階層社会になって久しい。
 生活も、そこから生まれる文化もである。

 使う道具が変わったとしても、それを創る人間はひとりである。
 文章も写真もデザインも、色濃くその個性が滲み出ているもので、その個性とは背後にある社会との関わり方や存在に、基盤では規定されている。
 私は、煙草を吸いすぎた後のような、ざらついた気分になることが時々ある。
 薄い闇のようなものが、緩やかに広がって、そこでは皆考えることをやめてしまう。
 次にみる夢はなんなのか。
 深夜、北や南に向かう高速の上で、行き先が分かっているのにその向こう側を考える。 
 

2004年07月15日

「緑色の坂の道」vol.2606

 
        月のない峠。
 
 
 
■ で、湧き水を汲んだ。
 
 

2004年07月16日

「緑色の坂の道」vol.2607

 
        密度について。
 
 
 
■ 暫く東京を離れていた。
 戻るのは大体、深夜である。
 首都高速に入ったとたん、情報の密度が異なっていることに気づく。
 真面目に次のコーナーを見据えねばならない。
 
 
 
■ 今更。
 と、いう気もする。
 今まではしたことのない、運転をしながらの電話なども試みたりもした。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2608

 
        周辺から。
 
 
 
■ 周辺から中心に向かうとき、概要というのは一番はっきりするのだと思う。
 例えばマンハッタンを眺めるには、一度郊外に出なければならない。
 このことは、ある種文化の層やあり方に、微細に影響を与えてもいる。
 つまり、事実とはすこし違っているのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2609

 
        夢の日。
 
 
 
■ なにもしない。
 南天の葉を、裏から眺めている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2610

 
        夢の日 2.
 
 
 
■ 緑色が変わると、雲が横切ったのだとわかる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2611

 
       女の間合。
 
 
 
■ 酒はまあヤマザキだとして。
 差し出すライターは最近は安いものだ。
 前は東京にいたのだ、という妙齢がひとりふたりいる。
 どこだったの、と聞くと、三鷹の方面だったという。
 明日休みだから、携帯に電話しちゃおうかな。と妙齢がいう。
 はあ。
 はあ、って何よ。
 
 
 
■ すこし若い子がそれを眺めている。
 こちらは、お姐さんの担当だという風にちらはら間合いを計っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2612

 
       かなかな。
 
 
 
■ 四十をすこし過ぎた男が一曲歌った。
 青いワイシャツに赤系統のタイを締め、彫りの深い顔立ちをしている。
 若い頃、それなりであっただろうと思われる。
 頭がまだらに薄く、短く刈り上げてもいた。
 
 
 
■ 彼は証券から外資系にいって、その外資はあっという間に日本を撤退した。
 その頃、離婚をして子供を取り合った。
 今、地元で五十人ばかりの企業で営業をしている。
 暫く隣で話していたが、大学はどこだったかなどということは話題にはならない。
 自分は今、そうなんですよね、と何度か繰り返している。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2613

 
       ライフデザイナ。
 
 
 
■ と肩書きのある名刺をもらった。
 随分と前のことだ。
 生保の仕事の一環なのだが、仕方なくそう書いてあるのだと思う。
 
 
 
■ ある男が、トイレに追いかけてきて、こういう。
「アメリカでは、医師と弁護士に並ぶ地位ですからね」
「へえ、アメリカみたいになるといいね」
「いや、もうじきですよ」
 米国の司法制度をご存知ない。
 
 
 
■ 偏差値と実社会の相関関係について、ある種の錯覚と断層がある。
 こんな筈ではと思いながら、彼もまたこころ細い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2614

 
       遠雷。
 
 
 
■ 今光った。
 隣を、古いハーレのXLCRが抜いてゆく。
 新車から乗っているのか。
 だとすればライダーは50を過ぎている。
 二度ばかり稲妻が降りてきて、そのうち土砂降りになった。
 
 

2004年07月18日

「緑色の坂の道」vol.2615

 
       冬のそーなった。
 
 
 
■ 記憶をなくしてしまったのだ。
 けっ。
 と、大井競馬場あたりを遠ざかってゆく。
 
 

2004年07月20日

「緑色の坂の道」vol.2616

 
       サマー。
 
 
 
■ 夏は暴力を含んでいる。
 まだ浅い夏の闇。
 すれちがう女の流し目。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2617

 
       街灯の下あたりで。
 
 
 
■ 男の連れと暫く歩いた。
 別れてから、カメラバックのライカにフィルムを通す。
 裏蓋を落とさないよう、指にはさみながら。街灯の下あたりで。
 露出計を持たないので、ポジは使えない。
 使ったとしても、この暗さでは息をとめるのがむつかしい。
 
 
 
■ 若者の街と言われるところを歩くと、私は既に現役ではないのだという気がした。
 だが、それが寂しいとは感じない。
 交差点で警官が、無線で応援を呼んでいた。
 その隣で、国産の大型ワンボックスが、TVをつけていた。
 青山で地下に降り、一杯を嘗める。
 バーテンは若い。酒の薀蓄を語ろうとする。
 

「緑色の坂の道」vol.2618

 
       ライカのお作法。
 
 
 
■ 桑原坂のあたりを、多分結婚式帰りなのだろう、数人が歩いている。
 髪の長い若い男が、赤い皮を張ったM6限定板を持っていた。
 なるほど、皆を撮るためにもってきたんだな、と思いながら私は交差点を右折した。
 
 
 
■ カメラというのは誰にということもなく、見栄のための道具である。
 ほぼ、茶器というかなんというか。
 江戸時代のご隠居が、離れを作って詫び寂びごっこをするのとあまり変わらない。
 ライカのシャッター音は、確かに心休まるものではあるが、かといって枕もとに置いて眠る前に聞いてみる、というのは三日で飽きた。
 
 
 
■ 昨日、ホテルのバスを待つためにロビーで涼んでいた。
 革張りのソファがあって、そこに座る。
 私は500円で買ったニコンのカメラバックに、ズミルックスをつけたM6を入れ、本日は自慢してやろうと紫の絹の布、つまり呉服の端布から取り出していた。
 向かいに30手前だろう妙齢が座り、このサングラス男は何をするんだろうという具合にちらちらと眺めている。
 デジカメであればこうはゆかない。
 フィルムを入れてなかったので、空シャッターを何度か切る。
 露出とピントを合わせるのに、あれこれをする。
 で、電池が切れているのに気づいた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2619

 
       ライカのお作法 2.
 
 
 
■ ロビーでカメラを取り出していたから見咎められたのかも知れず、私にはよくわからないのだが、ともあれバスがきた。
 バスに乗ると高い位置から見えるので、隣に並んだ車の運転席がよく分かる。
 トヨタの、小さな高級車というべき車種であった。
 50代後半だろうか、ご婦人がルームミラーを眺め、髪を何度か直している。
 それから思い立ってベルトをしていた。
 サイドミラーが畳まれたままになっている。
 あのですね、ミラーが。と指さしてみたところでご婦人が私を見上げる筈もない。
 信号が変わり、先にいってしまわれた。
 
 
 
■ ライカに入れるくらいだから、特殊な電池なのだろうか。
 と、私は入手先を心配した。
 そういうものでもなく、ごく普通のコンビニに常備してあるものが二つである。
 フィルムも国産。
 持っているひとも国産で、ズボンは中国製を履いていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2620

 
       ライカのお作法 3.
 
 
 
■ ズミルックス、1.4/50mm というレンズは、開放で撮るとかなり線が細い。
 そして独特のボケ方をする。
 これはサービス版でも分かるくらいで、描写としてはキャノンのFD、一時期レンズの標準機と呼ばれたそれの50mmと比べても、その違いは明白である。
 
 
 
■ と、薀蓄を書いてしまったが、一体にライカのM6というカメラはほぼ停まっているものしか撮れないと考えていた方がよさそうだ。
 ピントを合わせ、露出に気を配っている間に被写体が何処かへいってしまう。
 広角レンズであれば、被写体深度を利用してのスナップにも応用が利き、ピントを合わせずとも可能なのだが、ではLマウントの名レンズ、リコーのGR28だったかを買おうと思うとそれだけで25万ほどする。
 そのレンズの元になったリコーのGR-1、あるいはSの新品同様が何台買えるか。
 両者、写りは同じであります。
 
 
 
■ だいたいプロというものは道具にあまり過剰な思い入れをしない。
 結果を出すためにもっとも合理的で安定した道具を選択する。
 極端なことを言えば、レンズとフィルムさえきちんとしていれば、どんなカメラであっても作品は撮れる。風景写真に、連写機能などは重いばかりである。
 とはいっても、人からどのように見られるか、または見られたいかという欲望は、人間が社会的動物である証しのようなものであるから、これもまた無視はできない。
 合理性ばかりで作品はできない、と言いたい部分も残るのである。
「これ、ライカで撮ったんですけどね」
 と、いつか言ってやるもんね。
 などということを、使い込むうちに艶が出るという、馬の皮、コードバンのストラップに触れながら夢想していた。
 これナイロンだったら300円なのである。
 
 

2004年07月21日

「緑色の坂の道」vol.2621

 
       昨日の新月。
 
 
 
■ 画像の選択とHDDのメンテのために、WSの電源を入れっぱなしにしている。
 数十枚あるDVDからHDDに戻し、chkdsk /r をかけ、再度デフラグをかける。
 かけたところで、もう一度DVDに焼き、以下略。
 ということを延々とくりかえしていた。
 書いていても、うんざりするんですけどね。
 
 
 
■ 昨日、日吉坂界隈でタクシーがボンネットを開けていた。
 オーバー・ヒートであるらしい。
 50をだいぶ過ぎたらしい運転手さんが、ペットボトルの水をラジエターに足している。 彼は汗をかいた河馬のように、ワイシャツで頭をぬぐっていた。
「欧州車でもないのに、理不尽なことだと思っているだろうな」
「大手町、39度あったらしいぜ」
 私は友人の運転するワンボックスに乗っていた。
 海風が入らない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2622

 
       ずみくろんの夜。
 
 
 
■ 友人にクラシックカメラに凝っていた男がいた。
 奴の仕事場にゆくと、うず高く詰まれた資料の影で、蛇腹式のカメラに触りながら電話をかけていた。
 お、これはなになにだな。と、ひとしきり話が弾む。
 で、写るか。
 たまにな。
 
 
 
■ 夜になって一席を設け、そこでもカメラの話である。
「ライカのレンズって、どうしてこう、そそる名前がついているんだろうな」
「ユンカースの爆撃機みたいなもんじゃないか」
「力を入れてレンズの名を呼ぶと、こう、岩波文庫を読み終わったみたいな気がしないか」
「しない」
「おまえは昔からそういう奴だったよ」
 そこからこんどはコンタックスの話に飛ぶ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2623

 
       サマー。
 
 
 
■ ポロ・シャツを干した。
 昔の恋のことを思った。
 
 
______________________________________________
 
 
■ 93年の6月頃書いたものだ。
 当時、読売のyominetでは、「さまー」と呟くのが流行った。
 
 

2004年07月22日

「緑色の坂の道」vol.2624

 
       夏の闇について。
 
 
 
■ 蝉の声がする。
 ほぼ一日中していて、背の高い銀杏の樹が影になっている。
 HDDにエラーがみつかり、再び chkdsk /r をかけていた。
 データのサイズが大きいもので、これはこれでやむを得ない。
 待つ間に緑坂を書く。
 
 
 
■ 先月、まだ梅雨の最中「ニューヨーカー短編集」を読んでいた。
 確か三冊あるというが、手に入ったのは一番最初のものである。
 アーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」(常盤新平訳)が、もっともそれらしく、タバコ・ロードの作者の小品などは、少しばかり異質にもみえてしまう。
 これから80年代だという不定形なその頃、NYの短編集はよく売れた。
 ブルックリン出身の作家などが、いずれその列に加わった。
 村上春樹によって、フィッツジェラルドなどが紹介されたのも確かそんな頃合いで、定かには覚えていないのだが、「僕達はもうこれ以上のところはないんだ」というような台詞が記憶に残っている。
 そして、見事にそのとおりになった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2625

 
       祇園にて。
 
 
 
■ 緑坂の上部の写真について質問があった。
 全部に答えるのは長くなるので、例えばその提灯のものについて書いてみる。
 
 
 
■ これは、ニコンのMF、50mm F1.2 というレンズを使った。
 新橋界隈の中古カメラ屋で、衝動的に買ってしまう。
 新品では手に入らないからだ。
 通常、50mmレンズは明るさが1.4というものが普通である。
 ライカのLマウントであれば、F2というものも常用される。
 これが1.2になると、つまりは暗いところでもシャッターが速く落ちる。
 ぶれない、というのが利点であるが、その代わりに、被写体深度がとても浅く、つまりピントを合わせるのがとても難しい。レンズ自体、AFは効かないからだ。
 そして、ピントの合っている範囲がかなり狭くなってしまう。
 大原の寂光院でツクバイを撮ったものもそれで、寂光院と彫られた文字が、ある部分だけしか読めなくなってしまっている。
 でも、それはそれでいいのであって、背後の柔らかいボケを作品化することになる。
 
 
 
■ 確かカメラボディはF100であった。風景ではF5までは要らないな、というのが私のスタンスで、F5に比べると特定の条件のときに明るく写るという露出の癖は、補正をかけることで解消される。
 また、デジタル化の過程で多少の露出はいかようにもなってしまう。
 AFのボディにMFのレンズをつける。
 中央部重点測光しか使えなくなるのが難だが、なにMFのボディの頃は皆中央部であって、補正の按配が違うだけである。
 いつだったか、人物を中心に撮るプロカメラマンと酒を飲んでいて、カメラの機種の話になった。
 私が伝えると、とても信じられないというような顔をしている。
 それでいいんですか、ともいう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2626

 
       祇園にて 2.
 
 
 
■ 祇園には何度か撮影にいった。
 一度は借り物のスクータに乗っていた。
 京都の街中を撮るには、車よりも機動性がいいからである。
 カメラバックを背負い、三脚を立てながら交差点で待っていると、岡持ちを持ったおじさんに声をかけられる。隣に並んだカブからである。
「えらいお荷物でんな」
 へえ。
 
 
 
■ 二言三言、言葉を交わし、「おきばりやす」と言われて別れる。
 なんの商売と思われたんだろうな。サングラスをかけた仕事師。
 その後は小型車を借りたり、あるいは徒歩だったりした。
 私の場合、夜に撮影をすることが多いので、三脚は欠かせない。
 かといって、仕上がったものを眺めると、半分程度は手持ちで撮ってもいる。
 三脚を立てられない場合も多いからだろう。
 
 
 
■ 今、祇園は伝手を頼むと内部に入れる。
 厳密な、一見さんお断りではなくなっているとも聞く。
 かといって、芸子の写真を撮りたいともあまり思わず、今はそのままになっている。
 撮るのならば、しばらく京都に住まないとならない。
 戻ってきたときには、東京にいるところがなくなってたりもする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2627

 
       祇園にて 3.
 
 
 
■ 祇園から八坂神社の脇道に入る。
 車を止め、歩いてゆくと沢山の提灯が並んでいた。
 人は誰もいない。
 
 
 
■ 私は先の50mm、F1.2 につけかえ、提灯の傍による。
 絞りは開放ではなく、いくつかクリックを廻している。
 梵字のようなものが見え、ややアンダー目に撮った。
 
 
 
■ 撮影しているときというのは不思議なもので、後からその情景を思い出すことができる。妙齢と遊ぶときはそんなこともないのに、その時の空気の湿り気や、遠くから聞こえてきた音なども確かに覚えているものだ。
 ここはコダクロームの色ではないだろうと、フィルムを取り替え、というよりもボディを換えるのだが、レンズを落とさないよう境内にしゃがんでいると、向こう側に人影が通った。
 人の影は軽く頭を下げ、それから消えていった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2628

 
       村祭り。
 
 
 
■ 先日、甘木君と恵比寿界隈を歩いた。
 若いカメラマンが、天井から吊るされたモニュメントを撮影している。
 背後に液晶がついているから、これはデジタル一眼レフである。
 三脚もやや細いものの、一応立ててあった。
 私はすこし声をかけた。
 液晶をみせてもらい、あ、このカットいいね。などと言う。
 
 
 
■ 彼はどこからきたのだろう。
 背中に大きなバックを背負い、数十万はするカメラにレンズが一本。
 廻りは休日の恋人達ばかりである。
 これ、セルフタイマーで撮っているの。
 いや、こうやって押しているだけです。
 あ、そうなの。
 名も知らぬ彼よ、次はレリーズを買いなよ。夜で三脚立てているのなら、レリーズは必需品だよ。と、思ったがもちろん言わなかった。
「これ、結構いいカメラなんで、写りがいいんですよ」
 正直な奴だなあ。
「そっか、がんばれよ」
 私と甘木君は、通りすがりのおじさん二人という按配で彼と別れた。
 
 
 
■ どの業界でもそうだが、どこかに仕掛けるひとがいて、それを助けるメディアがあって、煽ったり遅れるよと言ってみたりするモノカキがいる。
 私もその一人なのだが、明白にこれは本当のことではないと思いながら書く場合もある。
 言わないのはウソをついたことにならない。
 確か「夜の魚」にもそんなことを書いたが、この兼ね合いはその時代とともに変わってきていて、言った方が信用を得るという場合もある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2629

 
       青瓶の頃。
 
 
 
■ 影の青瓶軍団が、緑坂と青瓶を峻別してくれたのだが、私の昼間の厄介が遅々として進まず、対応しきれていない。
 今、HDDの中を眺めていたら、こんな青瓶をみつけた。
 確か、96年の12月の頃合い。
 後半、なかなか面白いことが書いてあるので転載してみる。
 厳密には緑坂ではないが、ま、そこは流れで。
 
 
_____________________________________________
 
        やどなし。
 
 
 
■ さてまあ、そういった按配で、青瓶はこちらに書くことになった。
 いずれ収まるところもできるだろうが、それまでの宿なしということか。まるでラブホテルを転々とする逃亡者のようである。ちがう。
 
--
 

■ 旧yomiの文芸は、今なかなか面白い状態になっている。
 長谷川さんの、真摯に自分の居場所を求める書き込みもあり、仕事をがんばっている若いもんの、溜まっていたものを掃き出すかのような一連のものもあり、一時期に比べるとすこしだけ密度が濃くなった。
 けれども全体としては、何処へゆくべきかが今だ定まらない状態が続いているような印象も薄く残っている。ま、人生とはそんなもんだ。
 江戸さんが面白いことを書いていた。
 何故書くのだろう。
 書けばいいってもんじゃないだろう。
 つまりはそういうことを言外に匂わせていた。
 
 
 
■ 一体に恋愛というものはそんなに綺麗なものではない。
 大人、つまりは妙齢半ば、具体的には三十歳前後からの恋愛というものはどんなに美辞麗句で飾ってみたところで、背後には生臭さがびっしりと貼り付いているものである。
 その点に無自覚な個人の書いたものは、たとえ習作の段階であっても他人から一定の評価を受ける。
 無言のこともあり、言外に匂わすこともあり、直裁に別のことを指摘されることもある。つまりそれが世間というもので、その個人の幻想の反芻に誰もつきあいはしない。
 さて、ここで振り出しにもどる。
 何故書くのだろう。
 どうして誰かに読んで貰いたくてボードに掲載するのだろう。
 一度書いたものを翌日見直してみて、どうにもアップできなかった経験が誰にもあると思う。
 書くことは誰でもできる。掲載することも。
 しかし、その両者の間には細いけれども深い溝のようなものがあって、それが文章を作品たらしめている大きな要因のひとつであるように今は思えている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2630

 
       かなかな。
 
 
 
■ 少年が下校する。
 妹のような子が、すこし離れたところを手提げを振って歩いている。
 
 

2004年07月23日

「緑色の坂の道」vol.2631

 
       北埠頭。
 
 
 
■ 昔ここで、帰化した女を待っていたことを思い出した。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2632

 
       トマトスープ。
 
 
 
■ 午後、台所でスープをつくる。
 普段は食べないトマトを炒めて入れる。
 コンソメにカレー・ルー。一昨日買ったベーコン。
 半ズボンにはきかえる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2633

 
       日暮れ坂道。
 
 
 
■ 風が吹いている。
 西の方から雲がかぶさる。
 ねえ今日はどこまでいったの。
 トンボとれずに朝帰り。
 答えずに外をみている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2634

 
       プラネット。
 
 
 
■ 夜が近づいてくるような気がする。
 もういちど、深い闇のなかに入ってゆく予感がある。
 それは空っぽの空洞とも違う、焼跡や廃虚の街とも異なる、人間が人間としてばらばらに解体された新しい世界である。
 かつて、大人も子どもも、互いに隣に居ることすら気づかないまま地平に立ち尽くしている姿を想像したことがあった。
 地平の向こうには新しいビルが建ち、視界の隅の方からゆっくりと暗闇がひろがってゆく。
 
 
 
■ 開高さんは「ベトナム戦記」の中で、ベトナム兵はどんなに傷を負っても泣き言やうめき声を出さず、バッタか何かのように無表情に死んでゆく、と書かれていた。
 その黒い瞳を眺めていて、いつかそれにも慣れた、と。
 
 
 
■ 曲がり角の水銀灯のあたりで低い声がする。
 それは長く続き、外は小雨になった。
 じゃあね、という声だけがはっきりしている。
 携帯電話をしまい部屋に戻ってゆく。
 
 
_____________________________________________


■ 97年の6月。
 インターネット化なった頃のyominet に載せていた。
 これには画像がついていて、臨海副都心に向かう車の中から、格子状に囲まれたトンネルがこちらに向かってくるのを撮っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2635

 
       プラネット 2.
 
 
 
■ 予感、ということではないけれども。
 今、昼間の厄介のデータを整理しながら、昔書いたものを適当に眺めていた。
 結局同じことを考えていたんだな、と思うようになっている。
 
 
 
■ 緑坂や青瓶では、いわゆる政治のことを書かない。
 社会のカラクリとして、根底では全て繋がっていることは事実なのだが「紅旗征戎非吾事」という、些か斜に構えた気分が濃い。
 
 

2004年07月24日

「緑色の坂の道」vol.2636

 
       御休息。
 
 
 
■ くだらない話を書く。
 下北沢の線路沿い、大きなスーパーの裏あたりに、昔ながらの同伴旅館があった。たしか「かたばみ」とか「うわばみ」とか言う名で、マサコというジャズ喫茶にゆく途中、そこを通る。先日久しぶりに通り掛かると、そこが今風のシティ・ホテルに替わっていた。シティ・ホテルとは言っても、することは同じで、外側が変わったに過ぎない。渋谷あたりの流行が下北にも押し寄せてきたといった按配である。
 
 
 
■ ところで、その手のホテルでの勘定支払いの時、電話で、「済みました」
 とうっかり言って、恥をかいた男がいる(私ではない)。
 もっと酷いのになると、車のエンジンがどうにも掛からず、JAFを呼んだという奴がいる。その間、ふたりで待っていたらしい。
 ま、先の場合、何と言えばいいかというと、「帰ります」とか「会計を頼みます」と言うのが妥当か。
 すると、フロントは「冷蔵庫は何をお使いになりましたか」と聞いてくる。
この場合、「赤まむし一本」と答えるのが、どうにも恥ずかしい。
かといって、「二本」という訳にもゆかない。
 ホテルによっても違うが、冷蔵庫には大抵、ビール、ウイスキイのミニボトル、赤まむしドリンクやら、カップラーメンなどが置いてある。
カップラーメンというのも渋いが、時には、鮭缶が入っていることもあって、
「コレハ、ナンダ」
 と考えたことがある。

■ すこし前まで、浅草や鴬谷周辺にゆくと、昔ながらのそうした旅館があった。大抵は和室である。畳の部屋と、襖を隔てて赤い布団を引いた部屋がある。窓を開けると、隣の家の台所や屋根瓦が見えたりする。
 雨のシトシト降って何もやる気のしない午後など、そういう処へシケ込んで、一日中ぐずらぐずらとしていられたらいいだろうなあ、と思うことがあるが、そこまで出かけるのが億劫でこまる。
 
 
 
■ 以前、……以下自粛……
 
 
 
■ ともあれ、この手のホテルですることと言えば、人間のイトナミの最たるものである。イトナミの中にはグロテスクなもの、なんだか滑稽なものが混じっている。
 私の友人に、その手のところに、風呂に入りにゆくという奴がいて、その際、ビールと温泉の入浴剤を買ってゆく。草津の湯とか別府の湯とかいう奴である。
 ビデオを眺め、ゆっくりと広い風呂に入り、あとはぐうぐう寝てしまうのだそうだ。
 連れがどうしているのか、それは聞きそびれた。
 
 
_____________________________________________


・ま、とてもクダラナイ、緑坂のvol.2 である。
 93年だったかしら。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2637

 
       御休息 2.
 
 
 
■ 昔、いわゆるホテル代というのは男が払うことになっていて、それが続くとかなり困った。
 週の半分を牛丼と立ち食い蕎麦で済ませた記憶もある。
 一般に、食欲の方が先にくるものなのだけれども、長い人生の一時期には、切迫した頃合いというのもあって、これには皆、ムゴーイ目にあっている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2638

 
       余所者。
 
 
 
■ 文章であれなんであれ、何か表現をしようとする人間は、端的に言って列の外側にいるのだろうと思う。
 それしか生きようがないんだと。
 いずれその場所に追い込まれてきてしまう。
 
 
 
■ 列の外の哀しみ。あるいは列の外からの「知」
 と言ったとたん、それは自己憐憫になる。
 にやついてくる。
 赤坂界隈のトンネルで、まだ若い浮浪者がふてくされた風情で横になっていた。
 おまえじゃまだよ、と私は思った。
 
 

2004年07月25日

「緑色の坂の道」vol.2639

 
       冬でも半袖サイバ君。
 
 
 
○青瓶がMovabletypeとして復活している。
http://WWW.kitazawa-office.com/ao/
 コピーあるいは、ブックマークをどうぞ。
 
 
■ 昔、秋葉には(秋葉原の略)、冬でも半袖サイバ君という奴がいて、PCのパーツを売ることが心の底から楽しそうであった。
 当時、23歳くらいだったろうか。
 真冬でもTシャツ一枚なので、寒くないのかというと、クロック・アップしているから発熱量がすごいんですと答えていた。つまり気合いである。
 当時私は、デュアルCPUのPCを自作し、NT.4.0を入れ、300A(これで分かる人には分かる)を450で動作させていた。450×2ですから、900と言いたいところだが、実際は1.4倍程度、単発機から双発に乗り換えたみたいなものである。
 当時、yominet のシステムを見ていた小森さん(仮名)は、同じマシンで家庭内サーバを組んでおり、彼は安定性重視でクロック・アップには慎重であった。
 オンラインで情報交換と、自慢をしあったことを覚えている。
 小森さんは、まだかなり高価だったデジタルカメラでPCを撮っていた。娘さんも写っている。
 一年ほど経ってまた秋葉の当該店にゆく。
 サイバ君はどうした、と尋ねると、なんだか勉強したいんでアメリカへゆくとか言ってましたけど、と別の店員が答えた。
 半袖でか。半袖でです。
 彼は千葉からアメリカにいった。ことになっている。
 それから数年して、その店は倒産してしまう。
 
 
 
■ どんな世界でも、技に走る一定の時期というものがある。
 ゼンギや体位に凝るようなものである。
 ある程度極めると、ま、こんなものかと飽きてくるのだが、その過程で覚えた技というのは忘れない。技というよりも、失敗の蓄積である。
 いわくメモリの増設はバルクを使ってはならない。
 HDDはいずれ壊れる。一部でも壊れた場合、データは皆読めなくなる。復旧は理論的には可能だが、試みにそれがいくらするかを調べると泣けてくる。
 RAIDは、小さなファイルサイズには適するが、一定の大きさ以上のファイルの場合、旨くゆかない。
 同様に、ダイナミック・ディスクは、煩雑にHDDを交換する場合には使わない。
 例えばこのダイナミック・ディスクという形式は、読者諸氏のPCでもかなりの確率で入っているもので、簡易RAIDのことなんです。
 
 
 
■ だからどうした、ということはないけれども。
 パソコンが安価になり、誰でも使える携帯電話に近いものになってゆく。
 それはネットがライフライン化してゆく過程とも重なるのだが、受け手と作り手は本質的にはどこかで立場が異なっている。
 作り手は、往々にしてマニアです。
 隠しているけれども、道具には凝っているもんなんですね。
 
 

2004年07月26日

「緑色の坂の道」vol.2640

 
       うすなさけ。
 
 
 
■ 東のそら色。
 髪を指先で拾う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2641

 
       あたしどこへゆくのか。
 
 
 
■ 自分の汗の匂いが気になった。
 誰にともなく。
 
 
 
■ まだ恋ははじまらない。
 夏もわたしも緩んでいる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2642

 
      夏烏。
 
 
 
■ 薄い雨のあと、烏が枝で休んでいる。
 奴は首を振っているのだが、どの窓もカーテンが閉まったままだ。
 
 

2004年07月27日

「緑色の坂の道」vol.2643

 
       後からの水。
 
 
 
■ ボッサが白くなると、マリガンの音のようになるのだろうか。
 今時分の情事の後、シャワーの水はけだるい。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2644

 
       緑坂的免税中心。
 
 
 
■ 一回三錠。一日三回。
 善良な市民の方々には副作用があります。
 モニター募集、謝礼なし。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2645

 
       緑坂的免税中心 2.
 
 
 
■ という按配で、やや旧いDVDの機器を交換していた。
 かつて5万ほどしたものが、今では1万円ほどで買える。
 秋葉原の店員は、相変わらず人によって言うことが違っていた。
 路上禁煙になったものの、路面は整理されているとは言いがたい。
 
 
 
■ 一通のところに逆方向に車を停め、短時間で目的のものを捜す。
 領収書は雛型を用意しないと、なかなか漢字が書けないでもいる。
 短いスカートを履いた女性がビラを渡す。ありがとう、と言ってふたつに折る。
 
 
 
■ 停めてあった車の傍に、リヤカーに凭れた男が立っている。
 彼はさっきもいた筈なのだ。
 帽子の下から廻りを眺め、何かを待っているのだろうと思われた。
 

「緑色の坂の道」vol.2646

 
       どうでもいい。
 
 
 
■ あるところで、そう思う。
 男でも女でも。仕事でもそうでなくても。
 君を大事にしすぎると、別のものがこわれる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2647

 
       夏の期限。
 
 
 
■ 二の腕をみていた。
 歩くときに膝が曲がる。
 彼女のサンダルは踵が減っているが、でも今年だけ保てばいいのだろう。
 来年は別のものになる。
 
 

2004年07月28日

「緑色の坂の道」vol.2648

 
       夏の斜面で。
 
 
 
■ 夏が転がってゆく。
 アスファルトの上を、質量のあるものが移動するかのように。
 真夜中、塾帰りの子供達の集団をみた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2649

 
       WHEN I NEEDED YOU.
 
 
 
■ 月が出ている。
 雲があって、それを白く照らしている。
 麻のベストを着て坂を昇った。
 次第に冷ややかなものが滲みだしている。
 
 
_____________________________________________
 
 
■ 94年8月の緑坂。
 確か12日前後だった。
 夏の暑いのも実はその頃までで、正確に言えば八月に入ったとたん、空気の中には薄い秋の気配が混じってくる。
 それまでのあいだを、どうやりすごそうか考えている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2650

 
       遠花火。
 
 
 
■ 花火が丸く見える場所。
 廻りに誰もいない農道。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2651

 
       ためしたんです。
 
 
 
■ いつだったか、そんなことを言われたことがある。
 仕事の上での関係では珍しいことだ。
 どう反応するのか、みたかったのだという。
 
 
 
■ それはいかんことだな。
 と、顔から薄く血がひく。
 どう理由をつけていても、そういう気分を向ける対象ではないと。
 水というのは流れていて、水瓶に溜まる。
 溜まったものが何処へゆくのか、本人も知らないつもりでいる。

「緑色の坂の道」vol.2652

 
       月夜見。
 
 
 
■ 薄い頭痛がする。
 明け方にかじった眠剤が残っているからだが、このキーボードは打ちづらい。
 東から風が吹いているらしく、低いところに雲がある。
 半分の月が、隠れたり出たりした。
 おまえの悩みなんて、馬鹿なことよ。
 と、女言葉で言っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2653

 
       速度について。
 
 
 
■ 最近、「緑坂」への来訪者が一日三桁になっている。
 どこでどう探したのか、不思議なことだなあ、と思う反面、「それがどうしたボクどらえもん」という気分もあって、微妙である。
 この「ビミョー」という言い方は、なかなか味があるというか、含みがあって、口にしていても実際には漢字が書けないだろうという気もする。
 ま、それはそれでいいのだけれども。
 
 
 
■ 部数とかアクセス数を誇ることは、こうした性質のサイトの場合無意味に近い。
 こうした性質とは何ぞや。と問うことは、若い男にとってエロ本とはナンダと詰め寄ることに近いものがあり、やめていただきたいものだが、あの横についているキャプションとリードは、コピーというもののある種原型であるという気もする。
 熟読すると、書き手が案外にロマンチックだったりして、面はゆい。
 
 
 
■ かつて緑坂は一日に5~10程掲載していた。
 ひとつを書くのに5~15分。
 テーマのあるものや調べなければならないものはその限りではない。
 一方で別のPCを動かしながら、エディタを開いて題名を決める。
 この題名はほとんどキャッチである。
 ネットの特性に、ひとつには速度というものがあるが、いずれにしても一定の量をこなさないことには文章も写真も、質の変化は生まれない。
 生まれなくてもいい、という考え方も、もちろんある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2654

 
       ブルックリンで、真夜中には色があった。
 
 
 
■ 月が移動した。
 私のいるところが変わったのか、窓からは見えにくくなっている。
 仕方なく、一杯を嘗めることにする。
 どこにでもある、バーボンの一種だ。
 
 
 
■ ピート・ハミルという作家は、ブルックリン出身である。
 そのことが記されているのだから、いわゆるNYの下町育ちであるということが特色になっていたのだろう。
「ニューヨーク・スケッチブック」(高見浩訳:河出文庫)は、若い頃、東横線沿線の女のアパートで読んだ覚えがある。そこには風呂がなかった。
 それから何度か本を売り、また買いなおしている。
 
 
 
■ ハミルの短編は、孤独と喪失がテーマであると言われている。
 否応なく自分で責任をとらなければならない場所というのがもしあったとして、それを承知で相手と向き合えるかというと、相手が言葉を喋る以上、なかなか難しいところもある。
 ぱらぱらと再読しては、まだ「マンハッタン・ブルース」(創元推理文庫)にとりかかれないでいた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2655

 
       ブルックリンで、真夜中には色があった 2.
 
 
 
■ 私にとって、ブルックリンといえばこの作品である。
 繰り返しポスターになったり、各種雑誌広告に使われたりした。
 不思議に男たちに人気のある作品で、すこしマニアになると、それ以外、例えばこちらを選択したりする。
 
 
 
■ 撮影している時だ。
 背の高い黒人とすれ違った。
 彼は何をしていたのか、ブルックリンからの夜景を暫く眺めていた。
 すこし痩せていたような記憶がある。
 危ない場所と時間なのだという気もしたが、私はサングラスをかけた東洋人で、持っているものは旧いMFのカメラくらいしかない。
 私は彼をちらりと眺め、念で伝える。
 似たようなものなんだぜ。
 
 

2004年07月30日

「緑色の坂の道」vol.2656

 
       いつもあたり。
 
 
 
■ 風があるのだろう、大きな樫の木が揺れている。
 時々、みもだえをしているようにもみえる。
 昨夜、強い雨が降って少し濡れた。
 車を拾うと、一昨日乗った運転手だった。
 
 
 
■ 画像編集の詰めに入っていて忙しいはずなのだが、訪ねてくるひとあり、MTGありと酒の気配が抜けないでいる。
 分類のためのコピーをいくつも並べ、手元に置いては眺めていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2657

 
       家へ帰らないか。
 
 
 
■ ジャック・ニコルソンが主演した「チャイナタウン」という映画が好きだった。
 特にその予告編がよかった。
 ポランスキー監督の作品だったと思うが、予告編は別の人の手になるものだろう。
 
 
 
■「当時、まだこんな男が生きていた」
 確かこんなテロップが入って、1930年代という時代を教える。
 戦争前、男達は太いスーツのズボンを履いて、髪が薄くてもソフトを被っている。
 暴力というものがまだ個人の手にあった頃、小さなリボルバーや鉄拳、それから飛び出しナイフというものは、ある種愚かなプライドのための道具だった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2658

 
       家へ帰らないか 2.
 
 
 
■ ニコルソンがフェイ・ダナウェイのベットから抜け出すとき、下着を付けずにズボンを履いていた。
 確か旦那か娘が戻ってきたからだと思うが、あの心もとなさはどうしたものだろう。
 
 

2004年07月31日

「緑色の坂の道」vol.2659

 
       家へ帰らないか 3.
 
 
 
■ NYのチャイナタウンで撮った写真には、いいものが少ない。
 カメラをゆっくりと構えていることが難しかったからである。
 ハングル文字の看板の前で、私は罵声を浴びせられた。
 今俺を撮っただろう。
 いや、撮ってない。看板を撮ったんだ。
 結構強めに否定しなければならない。
 9.11 のテロの後、暫くチャイナタウンへの道路が閉鎖された。
 市民のデモがあったとも聞く。
 
町のはずれ。

「緑色の坂の道」vol.2660

 
       震えて眠れ。
 
 
 
■ 橋を下からみあげている。
 本作には、このコピーが正式なのだが、かつて各種雑誌広告に使った時には、もうすこし一般的なものへと差し替えた。
 毒を薄めた訳である。
 
 

2004年08月03日

「緑色の坂の道」vol.2661

 
       赤い扉。
 
 
 
■ 女が眠っている。
 疲れて。すこし口をあけて。
 私はドアを開け、外に出る。
 夏は峠を過ぎた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2662

 
       翳ある坂道と満月。
 
 
 
■ ほんの少しのあいだ、文章を書くのが嫌になっていた。
 〆切もあるのだが、いまひとつ考えがまとまらない。
 きっかけは普段乗っている車の故障などからなのだが、それを遡り、では自分は何を選択すればいいのか、ともう一度迷った。
 
 
 
■ 緑坂も青瓶も、それからこのサイトに載っている写真もデザインも、そのベースにあるものは、自分の自意識と世界との関わりである。
 そのように世界を視ている、ということが例えば写真であって、そのトーンは「いにしえ探訪」も「甘く苦い島」も、何処か通底しているものがある。
 あまり自覚することはなかったのだが、何事かの方向を漠然と決めようとする時、さて、じたじたと頭をもたげてくる。
 個性というものはしつこい。
 半ばうんざりしながらこれを書いている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2663

 
       夜の蝉。
 
 
 
■ 常夜灯にぶつかっている。
 じぃー、ばたばた、と騒いでいる。
 君もそのうち粉になってしまうのだな、と思いながら、駐車場を下ってゆく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2664

 
       ウェイト・ティル・ユゥ・シー・ハー。
 
 
 
■ 誰かの曲名だろうか、時々私は口にする。
 そのとき何を考えているのか、覚えていない。
 今、冷房を強くした。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2665

 
       ウェイト・ティル・ユゥ・シー・ハー 2.
 
 
 
■ ボッサとJAZZが合わさると、どうせ憂鬱なんだという按配になる。
 アカルガナシイ。
 とでも言うべきか。
 ウエスト・コーストの連中は伊達男ばかりだったが、大体は不良の末路で、女にもてなくなった頃合いに音もまた、その精彩を欠いてゆく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2666

 
       眠りながら飛ぶ鳥。
 
 
 
■ いくつか夢をみる。
 覚えていないのだけれども、そのときに怒ろうとする。
 夜ははらはらしていて、生理が近いのかとも後から気がつく。
 
 

2004年08月04日

「緑色の坂の道」vol.2667

 
       つまらないことだぜ。
 
 
 
■ 月が流れている。
 のではなく、雲と自分なのだが。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2668

 
      水鳥たち。
 
 
 
■ 水平線を暫くみていない。
 薄い雲が湧きあがってきて、その色が変わる。
 水鳥が、急いで走る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2669

 
      そこにいるだけのあいだ。
 
 
 
■ データのベリファイをしながら漠然としている。
 夜になって所要があったのだが、出かけるのは無理のようだった。
 建築中の高層マンションのクレーンの先端が、赤く点滅している。
 背後に夏の雲があった。みるみる空は黒くなる。
 
 
 
■ このコピーは「甘く苦い島」のひとつのジャンルである。
 通勤途中のNYの街角に立ち、ビルの横に背中をつけて通行人を撮った。
 唇のセクシーなスペイン系の女性がフレームに入って、なるほどとシャッターを押した。
 入っていたフィルムがポジではなかったので、色が出ていない。
 モノクロに変換し、すこし色を被せ、作品とする。
 
 
 
■ 画像を眺めていると、様々なことが浮かぶ。
 それは半ば深夜の妄想のようなものなのだが、彼女が来年、同じ仕事場に通っているとは限らない。
 交差点を急ぎ足で渡ってゆく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2670

  
      そこにいるだけのあいだ 2.
 
 
 
■ なんについてもそうなのだろう。
 今、その作品は再構築されていず、このサイトの中にはない。
 急いで出そうかと思うことも時にはあるが、このコピーだけが残っていてもいいような気もしている。
 
 
 

2004年08月05日

「緑色の坂の道」vol.2671

 
      そこにいるだけのあいだ 3.
 
 
 
■ 仕事場からは月がよくみえる。
 カーテンを半分ほどはしていないので、空を眺めて暮らしているようなものだ。
 メールを何本か書き、画像を選択しなおす。
 作業途中でエラーがみつかり、破棄したDVD10枚ほどをカッターで切る。
 やりなおしなのだ。
 
 
 
■ デザイナやコピーライターなどという仕事は、あるいは写真家もそうだけれども、一見派手に見られやすい。
 だが実際はきわめて地味な日常であって、「日々すれすれ」というべきロクデモナイ夜と昼を過ごしている。
 依頼された仕事であっても作品でも、胸の中に小さな針のようなものがあって、それが細かく揺れている。
 その揺れをいかに飼いならすかに神経を尖らす。
 例えば風呂に入ることで、流れが停まってしまう。溜まっている水瓶がこぼれる。
 だから終わるまでは入らない。
 ここで笑う緑坂の読者は、三分の一程度はいるのではないか。
 あなたにも覚えがあるでしょう。
 せめて床に眠るのはやめよう。
 
 
 
■ それにしても、毎日ここを眺めにくるひとが相変わらず三桁であることに、すこしばかり呆れてもいる。
 そういえば、メールマガジンはどうしたんだっけな。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2672

 
      薔薇の原価。
 
 
 
■ 現行のメルセデスが停まった。
 交差点の真ん中である。
 さわやかバカが女を降ろし、女はコンビニに入ってゆく。
 部屋まではまだよ。ということらしい。
 男はナビを操作していた。
 トラックにクラクションを鳴らされる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2673

 
      青い瓶の話。
 
 
 
■ 青いジンの瓶が目の前にある。
 これをストレートで嘗めると、旨いのだが後が困る。
 と、思いながら切り子のショットに垂らしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2674

 
      青い瓶の話 2.
 
 
 
■ ショットとチェイサー。
 灰皿と暗がり。
 
 
 
■ そういうことが言えるカウンターは少ない。
 流れている音にしても、もうすこしボリュウムを絞ったらいかがなものか。
 ラップ聴きながら、何を嘗めろというのだろう。
 ショットで、ハウス・ウイスキー、もしくはジンを前にしているのだから、一皿数千円の中華オードブルのメニューを目の前で開かないでいただければ幸いである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2675

 
      青い瓶の話 3.
 
 
 
■ 昔、甘木君と電話で話していて、耳元でグラスの音がする。
 なんだよそれ、いいグラスだな、ホヤかササキか。
 ちっちっち。こーいちさん、バカラですよ。
 バカラだって、てめ、十年はええんだよ。
 
 
 
■ などと言うことをノベあっていたのがほぼ十年前である。
 私もあぶく銭でバカラのグラスを買ったが、酔っ払って足に落として痛かった。
 そしていつの間にか、日々の泡および屈折の中で尖った破片に変わっていった。
 あたかも青春後期の憧れのようである。
 捨てきれず、その破片をダンヒルの箱に閉まっておいたこともある。
 
 
 
■ 十年の後、甘木君は出世して、いつでもバカラを買える立場になった。
 私にしても、棚に飾ろうと思えばできないこともない。
 時間の推移というものは大変なものなのだが、それで飲む酒はというと、なんとなく普通のものがいいような気がする。
 
 

2004年08月06日

「緑色の坂の道」vol.2676

 
      夏雲。
 
 
 
■ まだ仕事が終わらない。
 鳥が飛んでいる。
 雲は油絵であるかのように、海の方からかたちを変える。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2677

 
      何処にありや去年の腹。
 
 
 
■ 上村一夫さんの代表作は、「同棲時代」であると言われる。
 今読み返すと林静一さんの「赤色エレジー」と並列で眺めるべきものであるかと、林さんの連載が載っていた「ガロ」を思い出している。
 七十年代の文化やその他については、思うことは多々あるのだけれども、残念ながら綺麗に歳をとられた先輩が思いの他少なく、ご高説を承るという按配になることが多い。
 
 
 
■ 関川夏央さん原作で、絵師が上村さんの作品に「ヘイ、マスター」というものがあった。
 私は初版で持っている。
 西巣鴨のガスタンク傍に住む、ゲイの中年マスターが主人公の探偵ものである。
 関川さんの原点、「事件屋稼業」の変奏曲のようなものだった。
 たまにぱらぱらと読み返すのだが、そこにある部分的に硬いユーモアのセンスは、偏差値とは関係なく、無駄な時間をうんざりしながら過ごさないと分からないものであるなと考えた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2678

 
      鰯雲。
 
 
 
■ 過ぎた恋のつめたさ。
 
 
 

2004年08月09日

「緑色の坂の道」vol.2679

 
       緑坂センセ。
 
 
 
■ 躯がだるくて仕事がしたくない。
 と、書いていたのは「日の移ろい」の島尾敏雄さんであった。
 私も今、気が進まないまま、とりあえず画面に向かっている。
 蝉の声がうるさいが、既にして秋の風が含まれてもいる。
 
 
 
■ 先日、とあるフィルムメーカーの担当の方と打ち合わせをした。
 私はそこで「先生」と呼ばれている。
 カタカナの「センセ」であれば、社長サンじぇんじぇん問題ないアルヨ、の世界なのだが、この場合漢字であった。
 ま、いろいろある訳なんだけれども、社会というのはそういうものであるから、それに倣うことにしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2680

 
       野火。
 
 
 
■ 99年の夏、読売の文芸フォーラムに載せた青瓶vol 2141 である。
 再掲。
 ここでお分かりのように、緑坂と青瓶とでは本質的な区別は少ない。
 
_____________________________________________
 
       野火。
 
 
 
■ 週末、大岡昇平氏の「野火」(新潮文庫版)を再読する。
 敗北が決定的になったフィリピン戦線での「人肉食い」を主軸とした小説であり、戦後戦争文学のひとつの金字塔であると評されている。
 圧倒的で抑制の効いた描写。神とはなんであるか。
 解説は、吉田健一氏。
 初出は、昭和27年。手元にあるものは平成7年度で77刷を数えている。
 
 
 
■ 一体に小説というのは読みにくいものである。誰にでも読める小説というものがもしあったとして、実をいうとそれは「文学」ではないという気がしないでもない。
 この小説の解説で吉田氏は次のように触れていた。
 
「彼が知識人であることを指摘するものがあるかも知れない。併し知識人であるということは、現代人であるということであって、人間が知識人であることを強いられるのが現代人というものの定義である」(前掲:181頁)
 
 誰かが、大岡氏の「俘虜記」だったかに触れ、「あの戦争という愚かな集団的狂信の中において、これだけの冷静な分析をしていた男がいたという事実に驚いた」というようなことを書かれていた。
 私は大岡さんの全集を読んだことがないので、これ以上のことは書けない。
 
 
 
■ やや長いが引用させていただく。
 
「私が静かに銃をさし上げるのが見える。菊の紋章が十時で消された銃を下から支えるのは、美しい私の左手である。私の肉体の中で、私が一番自負している部分である」(前掲:174頁)
 
 一旦、軍事教練に出された三八歩兵銃はその遊底部分にある菊印にバッテンが加えられた。銃と人間の不足から、それらがもう一度回収され前線に送られる。主人公はそのようにして徴収された平凡な中年男である。
 今の時代、「菊の紋章」をバッテンで消すなどという表現が、たとえそれが小説の中の必然であったとしても、果たしてどれだけの作家に可能だろう。
 作中、銃を捨て、銃を拾う。十字架があり菊の紋章がある。
 背後の水脈として大岡さんは象徴主義の手法を小説の中に結実させている。
 
__
 
「これが猿であった。私はそれを予期していた(略)。
 足首ばかりではなかった。その他人間の肢体の中で、食用の見地から不用な、あらゆる部分が切って棄てられていた。陽にあぶられ、雨に浸されて、思う存分変形した物体の累積を、叙述する筆を私は持たない」(前掲:155頁)
 

「後で炸裂音が起こった。破片が遅れた私の肩から、一片の肉をもぎ取った。私は地に落ちたその肉の泥を払い、すぐに口に入れた。
 私の肉を私が食べるのは、明らかに私の自由であった」(前掲:159頁)
 
「現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に欺されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の山中で遇ったような目に遇うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である」(前掲:165頁)
 
__
 

■ 暗闇の中で、山の稜線にちらちらと野火が見える。
 そこは人の住むところであり、ある種観念の、あるいはその反対物の幻のようなものである。
 平凡な主人公は戦後狂人として扱われる。些か長いこのフェイド・アウトが作品の構造を静かで確かなものにしていた。
 文学作品から教訓めいたことを導くのは愚かなことであるが、近代の終焉などというわかったようなことを言うのは、まだ相当に早いという気がする。
 
 
 

2004年08月10日

「緑色の坂の道」vol.2681

 
       わが復員。
 
 
 
■ 先の「野火」は、青瓶MM No.48 号(2003年9月26日号)に掲載したものである。
 この後、「わが復員」と題した青瓶が続く。
 バックナンバーを辿ってみてください。
 
 
 
■ 先の青瓶に「文学や小説はある程度難解である」と書いたが、これについて、青瓶の常連投稿者の方から異論が出たことを覚えている。
 氏のいわんとすることもモットモなので、そうだよねと答えたが、ここで考えが遠方に及ぶ。
 つまり、吉田健一氏が指摘するように、知識人というものが果たして現代、その言葉通りに定義されるものだろうかということである。
 この辺り、書き始めると長くなるので割愛。
 
 
 
■ 最強伝説「黒岩」という漫画がある。
「アカギ」とか「天」を描いた方の手になる。
 黒岩の第一巻、そのイントロを読んだとき、これは優れた小説の出だしではないかと、少なからず驚いたことを覚えている。
 何ものを生み出すこともなく、ただ歳を重ねた中年独身男。
 土木建設作業員。
 黙々と安全棒を振る「太郎」という人形。
 漫画というメディアの故か、読者層を想定してのことか、かなりモノローグがくどいことが気になるものの、主人公は過剰とも言える自意識を持ち、廻りと自分とを相対化しようとしていた。
 その間での「齟齬と脱出の物語」がおそらくはテーマになっている。
 ここで何が言いたいかというと、つまり上に書いたことのネガであろうか。
 
 

2004年08月11日

「緑色の坂の道」vol.2682

 
       汐留アジアの日。
 
 
 
■ 車を車検に出したもので、代わりの車を借りている。
 国産の、バブル後期に作られたものだろう。
 車種は知っているがここでは割愛。
 12万キロ程度でオイルが下がっているのはいただけないが、ともかく走るので、都内を這いずり廻っていた。
 さすがに夜の首都高速だけは使わない。
 
 
 
■ 汐留界隈で人を待っていると、廻りに黒塗り二台が近寄ってきた。
 一台は新しいセンチュリー。一台は後ろの長いマジェスタである。
 運転手は二人とも若い。紳士服のハルヤマで買ったような、ぴらぴらした背広を着て、車道の上で胸を張り、煙草を吹かしている。誰か写真を撮ってくれという顔をして。
 彼らも誰かを待っているのであろう。だが妙齢ではなさそうだ。
 
 
 
■ 私は白煙をはきながら、新橋方面へと左折した。
 ここもアジアであろうかと思われる。
 時々、白煙が室内に篭もっている。
 カセットは陽水にしてみた。
 

2004年08月12日

「緑色の坂の道」vol.2683

 
       マイナースィング。
 
 
 
■ ジャンゴ・ラインハルトという、ジプシーのギター弾きがいる。
 秋になると、LPから録音したそのカセットを持って車に乗る。
 テープはそれほど伸びてもいない。
 
 
■ このままどこかへゆければいいのだが。
 深夜の東名が二車線になる頃、次第に霧が出てきた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2684

 
       ジャンゴロジー。
 
 
 
■ アラン・ドロンの映画に「ル・ジタン」というものがあった。
 ジプシーに匿ってもらうアウトローを英雄視した映画であるが、BMWの水平対向と、カワサキの三気筒の750が出てくる。もちろん2ストだ。
 十代の頃か、私はその時の皮ジャケットに憧れ、それに似たものを買った。
 オフクロの財布から、いくばくかを盗んだ。
 
 
 
■ 若い友人に津軽三味線を演奏するプロがいる。
 京都の私大を出て大手企業に勤める。数年して、どうしても会社にゆくのが苦痛になり、母親が三味のお師匠さんだった流れから、なんとはなしに三味を手に取る。
 そこから没頭して、数枚のCDを出した。
 腕は旨い。
 
 
 
■ 私は彼に聞いたことがある。
 どうして津軽なんだろうか。彼は漠然とした答えだった。
 辺境からの音楽が、もてはやされすぎているような気がしてならない。
 そこには差別もあり、恨みもあり、それでしか生きてこれなかったひとが持つ、屈託もコクというものもある。
 すぐに売れるのは、すぐに忘れられる。中央に顔を向けるのはやめようぜ。
 と、彼に私は言ってみた。
 いい気なものだと思われはしないかと、二日ばかり後悔していた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2685

 
       新しい石鹸。
 
 
 
■ NYのマンホールから、白い蒸気の出ている画像である。
 今、〆切のために再度作り直していた。
 
 
 
■ この画像とコピーは、数年前、いくつかのイベントのポスターとして使われた。
 会場にゆくと、受付があり、プロ写真家と一般用とに別れている。
 一般用であると、少なからずの入場料が必要であるらしい。
 私はどちらにいったらいいのか分からず、受付の妙齢に尋ねる。
 そこのブースの、あの写真撮った者なんですけれども。
 
 
 
■ 若い方の妙齢がやや先輩妙齢に問い合わせ、一分ほど待たされ、それから二人に案内をしてもらった。
 胸に「プロ写真家」というタグをつけられる。
 確か池袋の背の高いビルだったと思うのだが、この世の中、あまり遠慮していても分かりにくいことになるのかとも考えた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2686

 
       新しい石鹸 2.
 
 
 
■ いや、遠慮と節度というのは、没落する中産階級の師弟には欠かせない特質であろうか。
 それはさておき、その仕事の際に私は接待を受けている。
 営業畑の真面目な部長さんなのだが、その時も私は先生と呼ばれた。
 
 
 
■ 二軒目だったろうか。
 北澤先生、いい店があるんです。と、タクシーに押し込まれ、部長はさっさと前の席に乗る。ついたところは、地方都市によくあるような女の子が数人、カラオケがあってボックスが並んでいるスナックである。
 女の子は昼間眺めると美人ではないが、二軒目だからまあよしとすべきだ。
 ボトルを出してくれ、と私達は水割りを飲んでいる。
 
 
 
■ この写真を見ていてですね、どうしてマンホールが「新しい石鹸」なんだろうと悩んだですよ。
 そして、写真が泣いている。と思った訳です。
 酔いのせいだろうか、普段朴訥な部長がそのように言う。
 私はとてもありがたいと思った。
 理由は言わなくても分かるだろう。
 私は「錆びたナイフ」を歌い、部長は高倉健さんの「唐獅子牡丹」を怒鳴った。
 不忍池へ、歩いて五分の路地であった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2687

 
       新しい石鹸 3.
 
 
 
■「唐獅子牡丹」という歌は、ほぼトイレで力むようにして歌う。
 それでいいのであって、その店はウリナラの方々が多かったように記憶しているが、何処からも文句は出なかった。
 兄ちゃん、裕次郎これ歌え。
 と、指導を受けたりもした。
 私はサングラスを夜でもかけている軟弱な不良で、分かりましたと「赤いハンカチ」に流れた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2688

 
       新しい石鹸 4.
 
 
 
■ その後、部長は本来籍のある社に戻られた。
 年賀などのやりとりをしているが、近くを通っても、あえて遊びにゆこうという気にはならない。どう対応されるか、恐縮するからである。
 まだお若いのであるが、メールが苦手で、何を書いたらいいのか分からないのだと言われる。
 部下の某氏はJAZZが好きで、自前で楽器の学校に通ったりしていた。
 叱られるのは、可愛がられているからなのだろうと分かる。
 

「緑色の坂の道」vol.2689

 
       新しい石鹸 5.
 
 
 
■ こうした仕事をしていると、誰かに作品を誉められるということが、かなりの励みになっている。
 同業者ではなく、編集者でもなく、ごく普通の方々。
 いわゆる市民社会というものが仮にあったとして、そこに根を降ろしている方々。
 その人たちに、個人としての感想を漏らされるのが一番心に残るものである。
 
 
 
■ ああ、でもやっぱり「新しい石鹸」なんだな。
 と、思った訳ですよ。
 と、部長(当時)は言っていた。
 男だけに分かる文法というものがあるのだとして、それは斜に構えたハード・ボイルドもどきとは異なっている。
 背後には厄介で面妖な、組織というものがあるからだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2690

 
       俺たちだけがしょんぼりみてた。
 
 
 
■ 北国の春の泥というのは、今、想像しがたい。
 その青い空に雲がぽっかり浮かんでいて、向かいの山々は白紫の霞のようなものに覆われている。
 裕次郎の歌には不思議なローカリズムがあって、それはオリンピックを契機として何かが本格的に曲がろうとしていた時代の不安と懐かしさに通じている。
 本人にその自覚がないところが天恵なのだが、「しょんぼり」しながら遠い浮雲を眺めているという構図は、なかなか良いものだと私は思う。
 しょんぼりしている。
 などということを歌えるだけで、当時の彼はスターであった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2691

 
       水をくるむもの。
 
 
 
■ 指先の色。
 
 
 

2004年08月14日

「緑色の坂の道」vol.2692

 
       ill wind.
 
 
 
■ 薄い風邪が躯に入った。
 夜はべったり汗ばんで、風が止んでいる。

 

「緑色の坂の道」vol.2693

 
       ill wind 2.
 
 
 
■ コール・ポーターの曲を聴きながら、ジプシーについて書かれた本を読んでいた。
 定住と放浪ということを考える。
 だが今の日本では、放浪も安全なお遊びでしかない。
 
 

2004年08月16日

「緑色の坂の道」vol.2694

 
       文化銀座。
 
 
 
 
■ 随分と前、島にでかけたことがある。
 そこは周辺と比べ、文化的程度が高いと自称される土地で、確かに土着の薪能や太鼓など、夏になると沢山のイベントが行われていた。私はそのときはカメラを持たず、半ばオブザーバーのような形で出入りした。
 芸術家村のような一団に会ったこともある。
 彼らの多くは美術関係の学校出身で、配偶者なのか、環境問題に詳しい低血圧の巫女のような女性を連れていた。潮風に吹かれ、見事に錆びたホンダに乗っていた。
 廃屋のような一軒家を借りる。
 当時、確か一年で五万円程度ではなかったかという記憶がある。
 電気はきているの、と聞いたが、電信柱はある、という返事しか覚えていない。
 実際はもう少し高いのだろうとも思われる。
 
 
 
■ 彼らが一様に言うには、ここから文化を発信するのだということであった。
 どこそこから世界へ。
 というのがある種のスローガンでもあり、我々はアジアやヨーロッパに眼を向けると声を揃えた。確かにそれは、一定の時期成功していたかのようでもある。
 ただつまり聴いていると、京都の流れもあり、シルクロードの接点でもあり、要は暖流と寒流の適当な位置にある地勢的な条件とそれに基づく歴史を根拠にしている。
 地方紙の記者は、木戸御免で何処にでも入ってゆく。
 同行のアナウンサーは、裏返った声でおばあちゃんと呼びかけていた。
 
 
 
■ 夏になると、あちこちでイベントが行われる。
 JAZZであったりレゲエであったり、最近はヒップ・ホップであったりもする。
 町ぐるみでそれを取り上げるのは、次の選挙に有利なときだけだが、多くは中央から芸人を呼んでくる。中央とは、大抵は東京であるけれども、それが逆輸入されてゆく。
 これは明治以後の近代化の流れでもあって、いたしかたのないものでもあろうか。
 彼らは今どうしているかというと、元々地元に生まれたひとだけが残っている。
 あの時の記者も、女性アナウンサーも、あるいは髪を伸ばして自然を語っていた芸術家の方々も、今その町には住んではいない。通ってもいない。
 文化を語りつくすと、違うところにいってしまったかのようである。
 ただ私が思うのは、あのときの海岸で、流された巫女のような顔をしていた眼の細い女性の一群は、今どこにいるのだろうかということであった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2695

 
       南国土佐を後にして。
 
 
 
■ と、歌ったのはペギー・葉山さんだったが、鯨の腹からでるような歌声には希望があった。
 時は高度成長手前。
 集団就職で都会に出てくるひとたちが、上野であれどこであれ、方言を仲間内だけで話していた頃合いである。
 上野はノガミと呼ばれていた。
 今も徒町界隈を歩いていると、ここのタンメンは美味しかったのよと教えてくれたおばさんのことを思い出す。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2696

 
       脱力、ラスタマン。
 
 
 
■ 私は簡単に「文化」という人たちをあまり信用していない。
 町おこしであれ、デジタルの平面であれ、いわゆるかぎ括弧のついた文化というのは、何処かに嘘があるような気がしてならない。
 山口瞳さんだったと思うが、「自分は即物的な人間なので、例えば人が自殺したりする場合には、畢竟金か女の問題ではないかと疑う癖がついている」という趣旨のことを言われていたように記憶している。三島氏が自決した時のことだ。
 
 
 
■ 民俗学や社会学をすこしかじった方々にはお分かりだと思うが、例えば「未開の地」という概念は既にして差別であると言われる。
 手塚治虫さんなどはその辺りで一部から批判を浴びているけれども、歴史的にはそのようなものであって、後から批判することは容易い。
 例えば台湾の、日本人の集落を襲った事件などというものもあって、現実問題として首を狩る生活や文化というものは存在していた。
 
 
 
■ 今は夏であるから、例えば「まったりと」「脱力して」、その場をしのいでゆくというような店があちこちに散見する。
 都心で言えば恵比寿や代官山、あるいは六本木にあるアジアン・テイストのクラブみたいなものだろうか。
 そういう店はビールが高い。
 加えて、接客がトモダチに接するような姿勢である。
 トモダチから金を取るのは仁義に反するので、私は友達ごっこだと思うのだが、そこにいるラスタマン達は、脱力しながら避妊もしていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2697

 
       夏のすこし重い雨。
 
 
 
■ 借りものの車のエアコンが匂った。
 ちょっとばかりアクセルを踏んで、タイアを鳴らした。
 つまらない。
 雨あがり、窓を開けた腕の辺りが寒い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2698

 
       戻る日。
 
 
 
■ 七月に送り火をする土地がある。
 それから、今自分、花を買う土地もあった。
 私はといえば、女の下腹を眺め、素性の知れぬご先祖のことを思って片付けた。
 
 

2004年08月17日

「緑色の坂の道」vol.2699

 
        bluesleeves.
 
 
 
■ ショットでウィスキィを嘗め、タウリンをチェイサーにしている。
 〆切が近いからだが、なかなか大局的に眺めることができないでいた。
 キャッチコピーは例えば五秒で書ける。
 それ以前の時間が膨大で、全体が有機的に繋がるのを待っているのがほぼ全てでもある。
 これって愚痴だよね。
 ま、そこは流れで。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2670

 
        bluesleeves 2.
 
 
 
■ 中途半端に都会、というのはあると思う。
 これが一番手におえない。
 優越感とその裏返しとに揺れているからでもある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2701

 
        bluesleeves 3.
 
 
 
■ 赤坂の界隈で、有名な文化人の秘書の方と酒を飲んだことがある。
 有名と書いたのは、例えば国営放送などに出演されているからでもあるが、その方はそれを志向されてもいるのだから、余所者が口を挟むことはない。
 その時は、複雑に絡まった案件の事後処理のような按配で、一席を設けて戴いた。
 最近赤坂はどうですか。
 終わってますよ、この街は。
 彼女は自らの社がある土地をそのように言う。
 子供のような横顔に、すこしだけソバカスがある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2702

 
        bluesleeves 4.
 
 
 
■ こういった仕事の集約は、ベタに言葉や画像を並べてゆくことではなく、あるときにフワリと浮かぶ一節を捜してくることである。
 ベタということで思い出す。
 五反田にある大手電気メーカーのインダストリアル・デザイナーの方と一緒に仕事をして、メールのやりとりがあった。
 北澤さん、それってベタじゃないですか。
 
 
 
■ とはいっても、用意されたものがこれだけで、しかもその中にあれもこれも入れてくれと彼の上司は言う。
 そうなるとさあ、事例を羅列するしかないじゃん。
 と、私は心の中で叫んだりもしたのだが、当時メールは記録として残されていたものだから、書くことはできなかった。
 
 
 
■ 先端をゆかれている立場の方であったが、一連の仕事の後、何回か私信のやりとりをした。
 カメラ談義になって、コニカのヘキサーというレンジ・ファインダーを買ったんですよと嬉しそうでもあった。
 交換レンズ高いよね。
 そうなんですよね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2703

 
        恋の終わりと青い袖。
 
 
 
 
■ 夏が過ぎる。
 雲のように。
 あのひとはあのとき、青いシャツを着ていた。
 
 

2004年08月18日

「緑色の坂の道」vol.2704

 
        夏の去る音。
 
 
 
■ 明け方、蝉が鳴いている。
 雲は低いところにある。
 誰かが砂利道を歩いていて、壁に反射している。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2705

 
       雲みる日。
 
 
 
■ 海沿いの土地では、ことあるごとに空を眺める。
 そこに雲があれば、少年の日を思う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2706

 
       ghost of a chance.
 
 
 
■ 午後のためのデータを焼きながら、これを書いている。
 昨日は床で寝ていた。
 寝室のベットの横に、なんとなくゴザをひいているのだが、顔に跡が残っていた。
 唸りながら洗面所へ入る。
 インスタント・コーヒーを入れてから、煙草を買いに外に出た。
 寝癖があるので、一番近いホテルの売店にはゆかないでいる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2707

 
       ghost of a chance 2.
 
 
 
■ 〆切の後のクール・ダウンは厄介である。
 かつては女が欲しくなったものだが、後が更に厄介になって、ムゴーイ目にあうことがくれぐれも分かったので自粛している。
 ま、いいんですけどね。
 
 
 
■ ようやく決まった「甘く苦い島」の分類が以下。
 これは、一定の枚数を元に、編集を加えたものである。
 
_____________________________________________
 
01
 ブルックリンで、真夜中には色があった。
 
02
 あなたなしで。
 
03
 甘く苦い島。
 
04
 新しい石鹸。
 
05
 きのう、夢をみたよ。
 
06
 いつもあたり。
 
07
 そこにいるだけのあいだ。
 
08 縦
 bluesleeves.
 
09 縦
 Heaven.
 
_____________________________________________

 さて、画像が想像できるだろうか。
 と、無理なことを言ってはいけない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2708

 
       今年恋をしたかい。
 
 
 
 
■ 寝る訳じゃなくて、そうでもなくて。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2709

 
       夢にでてやる。
 
 
 
■ 幽体離脱。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2710

 
       西からの風。
 
 
 
■ 脳が煮えることをノーニエというが、最近あちこちがそのようである。
 甘木君は、時折「駄洒落はやめてください」と指摘する。
 だってオヤジなんだから仕方ないじゃないか。
 と、わたくしは、ぼそぼそ言う。
 高齢化社会なんだ。
 
 
 
■ しかし、緑坂というのは一体何なのであろうか。
 こういうことを書いていて、仕事の上では損をしないのだろうか。
 損をしていることもあり、そうでないこともあり、詳しくは訳がわからない。
 MTGが終わり、いくつか電話をかけ、それから安いスコッチを嘗め始めた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2711

 
       鶏頭。
 
 
 
■ 夏が終わるというのに、向日葵も鶏頭も見ていないことに気づいた。
 神社の境内で、汗をぬぐう。
 首からタオルをぶら下げて、携帯灰皿を持って一服をした。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2712

 
       物語について。
 
 
 
■ 結構いい短歌も書いている、青瓶影の軍団「仮面の忍者屈折」が、いつぞやメールをよこした。
 短い緑坂は素敵だ。
 じゃ、長いのは何なんだよ。
 と、今度会ったら苛めるつもりだが、実は読売時代から世間の評価というのはそのようである。
 
 
 
■「短いのがいいのよっ」
 と、言っていたのは喫茶店の名前のような妙齢本格派であり、私は彼女に新宿二丁目で奢ってもらった。
 手持ちが少なくて、電車がなくなる。
 彼女はフィルムのケースに入った五百円玉の数センチを私によこし、これをやるからもう少し飲めという。
 で、飲んだ訳ですが、そういえば私は返したんだったかしら。
 お礼に緑色のまくわうり、じゃね、枕カバーをお送りしたことは覚えている。
 もうひとかた、ゴージャスな妙齢、BALLさんともども、大変お世話になりました。
「あいつさ、缶蹴りながら港区方面に帰ったんだぜ」
 みてきたような、そのとおりのことを言う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2713

 
       物語について 2.
 
 
 
■「泣けるものを書いてよ」
 と言われたことがある。
 小柄で綺麗な奥様で、若いときは横浜方面で随分と遊んだ。
 随分というのは、一定のセンスを意味していて、恋も男も、少しだけプライドがある。
 
 
 
■ どうやったら書けるんだろうな、と思いながら、あれから十数年経ってしまった。
 
 

2004年08月20日

「緑色の坂の道」vol.2714

 
       風のあとで。
 
 
 
■ 夜半、風が吹いた。
 悩みごとがぶりかえされる。
 どうしてこんな風になるのだと、ことのほか思いつめる。
 あれは台風だったのだろう。
 埃が飛ばされ、空の色が遠い。
 
 

2004年08月22日

「緑色の坂の道」vol.2715

 
       鰯雲流れる。
 
 
 
■ 夜、ビルの影から雲が横切る。
 おまえはこの夏、なにをした。
 風のヤローがいいやがる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2716

 
       概念をまとめる。
 
 
 
■ ことが、例えばライターの仕事である。
 まとめ方にも色々あって、様々なところから演繹してこようとする訳だが、冷静に考えると、そこに随分の無理がある場合もある。
 それは練れてないからであって、ということは畢竟、自己規定が不足している場合が多い、と私は思っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2717

 
       ヒッピーとハンバーガー。
 
 
 
■ 元町に入った。
 停めるところを捜そうとした。
 空車のタクシーが、ぴったりとはりつく。ちょっとだけうるさい。
 カツンとブレーキを踏む。
 彼はクラクションを鳴らす根性はない。
 
 
 
■ 例えば時計であるとか宝石であるとか。
 夜になるとショー・ウィンドウから片付けられている。
 そういうものか。
 そういうものだろうな。
 あの店にあったローファーを買って、その後とても困った覚えがある。
 昼飯代に。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2718

 
       ナロー。
 
 
 
■ 暫く前、フェンダーの張り出していない911が流行った。
 今も時々週末には見かける。
 知らない人が聴けば、これはディーゼルかというような音をさせ、追い越し車線に細い尻をさらしている。
 乗り手がすぐ5速に入れるからであって、この程度の速度であればもう二つギアを落とすといい音もする。
 スティーブ・マックイーンが、映画「栄光のルマン」のオープニングで乗り付けたのが、緑色の911Sだった。
 確か2リッター程で、シンクロはまだポルシェ・タイプと呼ばれていた。
 
 
 
■ ナロー・ポルシェを、ただの国産3ナンバーが抜いてゆく。
 走るワンルームのような、3.5リッターのワン・ボックスがその脇を流す。
 絶壁のようなその尻を見ていると、子供の頃、カラーテレビに木目が貼ってあったことを思い出した。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2719

 
       概念をまとめる 2.
 
 
 
 
■ 先に書いたことは、実を言うと文章の世界だけではなく、デザインであれ写真であれ、本質的には同じことだろうと思っている。
 場合によっては、アートの世界にも近いことが言えなくもない。
「スロー・ライフ」という言葉があるが、これは高度に発展した情報資本主義社会の果てにおけるインドごっこであり、本当にスローならば媒体に発表したりはしない。
 
 
 
■ つまり、自分の生き方が心ならずもであったとして、それを裏返して評価して貰いたいという下心が見え隠れしている。
 無理した価値の逆転でもあるのだが、私はというと、すこし前の頃合「ウッディ・ライフ」という店(仮名)に心酔していた友人を思い出す。
 彼は自然保護観察員の資格を取って、スバルにしようかホンダのワゴンにするべきかを悩んでいた。
 
 

2004年08月23日

「緑色の坂の道」vol.2720

 
       かつて不良だった市民。
 
 
 
■ というのは手ごわいものである。
 それは行政を含めた組織というものを知っているからで、実社会であれネット上であれ、ひとたびバトルがあった場合には腹をククル。
 谷口ジローさんの漫画には、やや小太りの上着を着た男たちが、その配偶者と犬とともに出てくるが、それはいかにも東京よりも西の方角の町並みと意識であった。
 
 
 
■「行動は過激に、生活は堅実に。が、あたしのモットーよ」
 とか深町に言ったのは横浜に住む歯科医の女医さんである。
 活動家、インド、密教、ハッパ体験。更生して市会議員候補、自然食品。
 パターンを踏むのが好きなひとというのはいるもんである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2721

 
       かつて不良だった市民 2.
 
 
 
■ 孫文の顔が配置されたポスターを眺めながら、排骨炒飯を食べていた。
 野菜スープが旨いのだが、これは一人では多すぎる。
 見知った顔の女主人が、適宜な距離で挨拶をする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2722

 
       かつて不良だった市民 3.
 
 
 
■ 中華街の傍のマンションに住んでいたことが自慢の先輩のことを覚えている。
 先輩といっても車方面のそれで、当時彼は白いBMWの2002 AT に乗っていた。
 車屋などに昼日中、顔を出す。
 150から車体が沈んでゆくんだぜ。
 安定性はやっぱりドイツ車だよな。
 と、ダンヒルのライターで洋モクに火を点けていた。
 
 
 
■ 背が高いので、英国調のスーツが様になる。
 そのマルニイを買わないか、という話もあったのだが、相場より少し高いので躊躇っているうちに夏が過ぎた。
 暫くしてまた顔を会わす。彼は外側ヒンジのミニ1000に乗っていた。
 定番と言われるマフラーが白い。
 キャブを載せかえる。ミニの場合にはSUである。
 奥様が乗るからだと言って、仕方なくATなのだとぼやいてもいた。
 奥様は何をしているかというと、とある病院の保険の点数付けである。
 彼は、レントゲン検診の車を運転するのが仕事だった。
 
 
 
■ バブルの頃、リゾート・マンションを買ったという話を聞いた。
 そこへ、BMWの6シリーズで出かける。
 おまえもこいよ、と二度ほど誘われたが、当時私は旧いドイツ車に乗っていたのでどうしたものか迷った。
 数年たって消息を聞く。
 理由は定かではないが、運転手を辞め、彼はリゾート・マンションに引きこもっているのだという。
 教えてくれたのは、セドリックの黒塗りにセットで80万円ほどするタイヤとホイルを付けていた宅急便の若者で、私が自動販売機の前に立っているとトラックが停まったのだ。 
 

2004年08月24日

「緑色の坂の道」vol.2723

 
       BASIN STREET BLUES.
 
 
 
■ 秋刀魚が出ていた。
 まだ痩せている。
 七面鳥を焼くような大きなオーブンしかないので、これからどうしようかと考えている。
 屋上に上がれればね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2724

 
       BASIN STREET BLUES 2.
 
 
 
■ 夏の終わりは突然きて、少しばかり肌寒い。
 が、しばらくしてまた、ぶり返しもするだろう。
 幅が狭まる度、空の色が濃くなってゆく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2725

 
       BASIN STREET BLUES 3.
 
 
 
■ アメリカの歴史の本と、上海について書かれたそれを読んでいた。
 大恐慌の後、アメリカでは一人のファシスト・デマゴーグが大統領の座を狙っていた。
 南部のルイジアナで絶大な人気を得る。ヒューイ・ロング。彼は知事に就任した。
 ローズヴェルトが一番恐れたのは彼であった。
 KKKの扱いをめぐって、プロテスタントと間で二枚舌を用いる。
 
 
 
■ ロングは暗殺されたが、その後継者は反ユダヤ主義を唱える。
 1950年代まで、全国で絶大な人気があったのだという。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2726

 
       BASIN STREET BLUES 4.
 
 
 
■ ルイ・アームストロングの曲は、車の中で聴くには鈍い。
 光の落ちた庭を眺めながら、江戸切り子のグラスにウィスキィを垂らしている。
 
 
 
■ 何故漠然とするのか、考えてみたことがある。
 つまらないからだが、それを潰すために本を読んだり音を聴いたりする。
 今回、オリンピックは見ていない。
 夕方私は、ガラス張りに囲まれたカフェの喫煙室で、煙草を吸っていた。
 外の灰皿の廻りには、OL達が腕を組みながら煙草に火を点けている。
 その仕草は、なに、年季の入ったものだった。
 
 
 
■ おそらく、一部のOL達の間では、煙草はアクセサリーの段階を過ぎてもいるのだろう。それがいいのか悪いのか。
 爪先だって歩かなくてもいいのなら、化粧なんてしなくなる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2727

 
       格好わるいのよ。
 
 
 
■ 男が。
 と、お嘆きの貴女に。
 
 
 
■ ま、それは随分前から言われていたことだけれども。
 最近やっぱりそう思いますね。
 廻り見ていて。自ずから。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2728

 
       男の数はあらえば落ちる。
 
 
 
■ と、言われておりますが、さておき。
 女の数は未練に残る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2729

 
       BASIN STREET BLUES 5.
 
 
 
■ 画像作品をつくる仕事は、真夜中である。
 光線の具合があるからで、キャリブレーションしていても、なかなか旨くはゆかない。
 ただ厳密に紙にする場合であっても、最近は印刷そのもののシステムがやや不安定なのか、色校正を繰り返さないとそうはゆかないようである。
 つまり、技術は進んだものの、従来その基盤となっていた職人の方々が少なくなっているのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2730

 
       BASIN STREET BLUES 6.
 
 
 
■ 男の格好悪さというのは、つまり精神からくるもので、金があるとかないとか。
 名前が出ているか出ていないかとか。
 これは俺が紹介したんだ、と、言ってみたいことであるとか。
 
 
 
■ ただ思うのは、確かにそういう側面はあるけれども、社会というのはそういったことを抜きにしては考えられないものだけれども、その枠の中にだけいるとつまらない。
 自分がいいと思うことをやってみればいい。それを世の中に問う。
 そして、そのツケは自分で払うことになる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2731

 
       虫。
 
 
 
■ 夕方になると、庭で虫が鳴きはじめる。
 庭はビルの中ほどにもあって、敷石がひいてあるが、誰も姿を現さない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2732

 
       スタンド・バイ・ユア・マン。
 
 
 
■ ジャック・ニコルソンが若い頃の映画に「ファイブ・イージー・ピーセス」というものがある。
「イージー・ライダー」の後に撮られたもので、ニコルソンは押さえた演技をしていた。
 映画のラストで、確かタミー・ウィニットのこの曲が流れる。
 68年に大ヒットしたカントリーである。
 せんだってそれを繰り返し聴いていた。
 
 
 
■「ブルース・ブラザース」の始めの奴で、南部の酒場でこの曲が流れる。
 今は太った当時の若者の果てが、うっとりと夫婦で肩を並べ歌う。
 つまり、定番になっている訳で、彼地にカラオケがあれば入っているものだろう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2733

 
       東京の印象。
 
 
 
■ 〆切前の作業をしながら、うつらうつらとしている。
 薄い風邪が躯に入ったようで、熱っぽいのだ。
 こう書くとあちこちから「虚弱なんだからっ」と暗に批判する声が届くのだが、この場合は二日酔いではないのでご寛恕願いたい。
 
 
 
■ せんだって、甘木君とその弟分「仮面の忍者、屈折」氏と酒を嘗めた。
 二軒目くらいで、青山の地下に降りたバーへ入る。
 甘木君は、ワイングラスにやや高いウィスキーを垂らしてもらって、チェイサーと共に嘗めていた。
 黒服が氷を入れますかと尋ねる。ワイングラスに氷入れるかよ、と彼は呆れていた。
 
 
 
■ 都会とはこういうもんなんすね、と屈折氏が言う。
 別にそういうことはなくて、ただそこにあるものに乗っかっているだけである。
 地名は記号のようなもので、酒の名前もそれに近い。
 
 

2004年08月25日

「緑色の坂の道」vol.2734

 
       秋の波止場で。
 
 
 
■ 雲だけをみていることってあるだろう。
 あるわ。
 ボトルの水を飲んだ。
 海の色が映る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2735

 
       赤い波止場。
 
 
 
■ 駐車場のシャッターが昇ってゆくあいだ、ベルトを絞めていた。
 黒塗りのハイヤーが停まっていて、運転席にテレビ局の旗が置いてある。
 運転手が誰かを待っていた。
 
 
 
■ 車が戻ってきたのだが、特別感動はない。
 20年近く使っていたナルディのウッドに換えれば、鈍いハンドリングもましになるのかとも思うが、Eクラスよりも長い車体で尻を振っても仕方がない。
 結局この都心では、個人のタクシーやハイヤーに使われているような車が一番速いのである。
 
 
 
■ 裕次郎のモノクロ映画に「赤い波止場」というものがあった。
 神戸の港、そこへ流れ着いたチンピラが次第に更生してゆく物語なのだが、港が見える屋上で、裕次郎が女に言う。
「飽きたんだ」
 
 

「緑色の坂の道」vol.2736

 
       バーで値段を聞く。
 
 
 
■ という緑坂を昔書いたことがある。
 酒場のメニューというのは、新聞を読むようにして眺めていいものだが、つまりコストと味とを反芻して判断することになる。
 最近私は、12年とか18年のウィスキィを好まなくなった。
 確かに深い味もするのだが、その深さが僅かに鼻につく、と言えばお分かりだろうか。 
 
 
■ 内田百閒は、いい酒を出されると不機嫌になったそうである。
 なぜなら、普段飲んでいるものが仕方なくなるからだと。
 ま、「一等車の車掌はボイである」と名言を書かれた作家なので、偏屈は素敵だ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2737

 
       バーで値段を聞く 2.
 
 
 
■ 独り、あるいは男同士の場合にはそれでいいのであるが、万が一妙齢が側にいた場合には、そうもゆかない。
 今、そうもゆかないの手前に句読点を打ったけれども、この場合一呼吸を置いて戴きたいという趣旨である。
 甘いのか辛いのか。
 カクテルの名前で判断するような場合であるならば、バーテンさんに何で作るのかを尋ねる。
 時々、七色のカクテルなどという、ファミレスのパフェみたいなものが出てくるので、それを注意する。
 この場合には値段を尋ねてはいけない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2738

 
       バーで値段を聞く 3.
 
 
 
■ 畢竟、これは屈折したダンディズムの一部なんだろう。
 酒場というのはおかしな見栄を張るところだからである。
 それが酒の蘊蓄であったり、値段であったり、あるいはグラスの質であったりもする。
 タンカレーで作ったギブスンが本当に旨いかというとかなり怪しく、オニオンの甘さが分からなくなってはただのジンストでしかない。
 ただ、ストレートでジンを売っている店のくせに、ジンが冷えてないのは興ざめであった。グラスも鈍い。
 基本をおさえるようにね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2739

 
       オーシャン・バー。
 
 
 
■ 銀座裏にそのままの店が残っていて、いつだったか迷い込んだ。
 妙齢本格派の先輩と一緒である。
 先輩はほとんど宝塚の男役なので、黒ずくめでパンツを履いている。髪も短い。
 ストレトなどを嘗めたりする。
 二杯目の頃合い、北さん、何故わたしが今こうしているか分かるっ、と、詰問されたりした。
 
 
 
■ 私たちはテーブルに居たのであるが、私は先輩の話を聞いていた。
 手を伸ばすと届くようなところに、丸いスツール上の尻がある。
 気がつくと、カウンターで飲んでいる方々の半分は、妙齢中ほどばかりである。
 私はその尻を眺めながら、彼女スカートのチャックが少し下りているよ、と言いたかったが黙っていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2740

 
       オーシャン・バー 2.
 
 
 
■ トリス・バーと、ニッカ・バーというのは案外に知られている。
 オーシャンの場合は、すこしマニアなところがあって、それだから今でも残っていたのかも知れない。
 例えば自分の親父の世代があれこれ騒いでいた頃。
 そういった近代化の匂いがしている。
 
 
 
■ バーテンダーのひとたちは、揃いのチョッキを着ていた。
 蝶ネクタイなども、後ろ側で留めていたりする。
 みゆき通り すずらん通り 二人の銀座。
 と、私は新橋方面に歩いた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2741

 
       東京の印象 2.
 
 
 
■ 振り返ると、今ここでえらそげにあれこれ書いていられるのは、ほぼ先輩の方々の背中を眺めてきたからだろうと分かる。
 ここはこれが旨いんだ。
 せめて靴下だけは新しいものを履け。
 
 
 
■ 板前さんに生意気な口をきいてはいけない。
 客は客だけれども、金を払えばいいというものでもないのだと。
 かといって卑屈になることもなく、黙って一杯か二杯を飲み、あるいは本日一番旨いものをさっと食べ、現金で払って戻りなさい。
 旨いもので腹を一杯にする必要はないのだ。
 
 
 
■ 先輩のいた時代というのは、いわゆるその分野のプロがいた頃合いである。
 彼らはプライドを持っていた。
 であるから若造に、これをやってみろよ、と分からない程度に投げ出してくれた訳である。
 つまり、それは機会であった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2742

 
       秋口の雨。
 
 
 
■ まだ明るい。
 ぱらぱらっときては、暫くするととまる。
 驟雨のあいだ、蝙蝠傘をどうしようか迷う。
 
 

2004年08月26日

「緑色の坂の道」vol.2743

 
       ほんと。
 
 
 
■ 疲れが溜まったのか、この処シッシンが再発している。
 髭を剃った後などに、片頬が赤くただれてしまう。
 かゆいのも困るが、どうも見た目がワルイ。
「なんだか、毛を毟られた鶏みたいね」
「セイシン的なものなんだよ」
「じゃ、仕方ないわね」
 
 
 
■ どうして仕方ないのか、私は聞かなかった。
 たとえ毛を毟られても、鶏は生きてゆかねばならない。
 やだなあ。
 
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・93年11月。
昔坂。
 

2004年08月30日

「緑色の坂の道」vol.2744

 
       胸に溺れる。
 
 
 
■ そう美しいものでもなく、ありふれた、横になればそれなりに広がる胸の色をしている。
 両手でつかむと、頼りないような中に重さがあって、痛がるが、どうにでもしてくれといった按配でもある。
 胸の下には腹があって、若いくせにかなり豊かだ。
 精神のかたちは、躯に顕れているのではないか。
 これは何を意味しているのか。
 溺れるということは、最中に考えないことなのだ。
 
 
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・昔坂。
94年6月。
 

「緑色の坂の道」vol.2745

 
       なんのせいか、スリー。
 
 
 
■ 1,2 は、青瓶を参照。
 昨日、赤坂のホテルで飯を食った。
 お代わりが可能だったので、ここぞとばかりに暴食をしたのだが、少なし仁。
 台風が近い雨の中、十番の方面へと歩いた。
 
 
 
■ 次の段階に入り込んでゆこうとする時、得体の知れない弾力ある層に阻まれる。
 自家中毒を起こすかのように煩悶する。
 夢の中に、様々なものが出てくるのは茶飯事で、夜半鏡を眺めると、眼の下に隈を作った妙に老けた男が漠然と立っている。
 私だと。
 
 
 
■ こういった作業は、ほとんど無意識の部分で行われるもので、そこから意味を掬いあげてくるには時間がかかる。
 私はユングを全面的に信用している訳ではないが、表現とは向こう岸とこちらへ側への細くて頼りない橋のようなものだと思うこともあった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2746

 
       低い雲と夕暮れ。
 
 
 
■ 唐木順三の日本文化に関する本を、ぱらぱらと眺めていた。
 実存的と言われるが、日本浪漫主義との関係について、なにかひっかかるものがあった。かといって、調べてみようというところまでは至らない。
 
 
 
■ 写真を撮ることよりも、対象を調べている時間の方が長い。
 今手元に「アメリカの建築とアーバニズム」(V・スカーリ著:香山寿夫訳:鹿島出版会刊)という本があって、これはいつ買ったものか。
 中にフラット・アイアンビルの画像があったので、ウィスキィ数本分の対価を払った。
 別に資料を調べなくても写真は撮れる。
 デザインもコピーも施すことは可能だけれども、さてではその次の段階へと進んだ場合、包括的な考えが浮かばない。
 つまりコンテンツがばらばらになってしまう。
 
 
 
■ いつだったか、読売新聞大阪本社で講演会を行った。
 そのときの原稿を拙サイトに載せているけれども、検索なのだろうか、毎月根強いアクセスがある。ブランディングとか、ブランド・マネジメントの世界に興味のある方が少なからずおられるのだろう。ある種概念が独り歩きしている側面もあるのだが。
 あそこには具体的な事例や作業の顛末は書いていない。
 が、今やっていることの多くは、その延長線上にあるもので、ひとつの世界観を具体的な商品に結実してゆく作業を含んでいるのだと思う。
 
 

2004年09月02日

「緑色の坂の道」vol.2747

 
       九月。
 
 
 
■ 書くべきことがあるような気もするし、まだ早いという気も