「夜の魚」二部 外灘 1

2005年08月04日

「夜の魚 外灘」 vol.51

 
 
 
 
■「日本が一番影響をうけたんだ」
 吉川が言う。
「当時の一部野党議員が訪中すると、語録の一節を書いた黒板を毎日胸にぶらさげて忠誠ぶりを示したりした」
「三角帽子を被らされて、反省のポーズを取らされている写真をみたことがあるわ」
 
 ジェット式というのだ。
 当時、中国各地にシェルターがつくられ経済の軍事化がすすんだ。
 世界各国の武装闘争を煽る動きがみられ、日本にもその資金が入ってくる。
「おれも語録は持っていたよ。つきあっていた女がくれたんだ。林彪が序文を書いていた」
 吉川は丸いグラスを揺らしている。太い指でグラスの脚はみえない。
 昨年の横浜港での事件には、フィリピン共産党の新人民軍NPAが絡んでいた。NPAは毛沢東思想を至上とし、武装組織CPPを有している。トカレフが搬入され、武器資金獲得の名目で覚醒剤が密輸される。
 慰安婦問題をめぐるボランティア団体に彼等は接近し、その元締めが北沢だったのだ。
 緊縛されたまま、葉子は冬の横浜港に落下した。
 
 酸素マスクをした冴の顔が浮かぶ。
 粗悪な覚醒剤を打たれ、H市の病院に入っている。
 黒くて深い海の底に、冴の躯が沈んでゆくような錯覚を私は覚えた。
 
 
○「夜の魚 外灘」A-了
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.50

 
 
 
 
■ 毛は実権を奪還しようとする。
 六五年秋、姚文元(ヤオ・ウエンユアン)による「海端免官を評す」が上海の新聞に掲載され、それが文革ののろしとなった。
「社会主義の中でも階級は存在する、ってのがその頃の毛思想だった。〈連続革命・継続革命論〉っていってな」
「走資派、っていうのよね」
「そうだ、指導部が変質して資本主義化する。それを倒さねばならないというのが文革の大義名分だった」
 〈まず破壊せよ、建設はそこから生まれる(破字当頭、立在其中)〉という毛の言葉がそれを端的に示している。
 指導部に規制されない個人的な命令系統が企図される。
 紅衛兵が組織された。
 彼等は批判力のない十代の少年・少女だった。どうにでも解釈される毛主席語録を暗記・記憶し、自分たちが革命の前衛であると、旧来の指導者や知識人を糾弾し、文化財を破壊した。ナチス以来の大規模な焚書も行われる。
 文革派の拠点である上海では六七年一月、「造反派」による「武闘」が成功する。ここで中心的働きをしたのが毛沢東の妻、江青(チァン・チン)ら「文革四人組」であった。 
 毛沢東の復権は成功する。
 全国に暴力と無政府主義的混乱がひろがった。公式に発表されただけでも、三万四千八百人が殺害され、八十万近い人々が迫害を受けたとされている。
 文革は七六年九月、毛沢東の死亡によって唐突に終わる。
 四人組が捕えられ裁判にかけられた。
 この期間に中国が失ったものは、今日でも正確に計測することのできない種類と規模のものだったと言われている。党への信頼の崩壊、文化財の損失、さらに人的資源の枯渇、崩壊寸前に至った経済的混乱など、その影響は今日でも続いていると指摘されている。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.49

 
       十九 ジェット式
 
 
 
 
■「おまえいつから上海にゆくんだ」
 ブランデーを嘗めている吉川が私に尋ねた。
「明後日くらいかな」
 思いつき、私は吉川に尋ねてみた。
「文化大革命ってなんだったんだ」
 こんな質問を自分がすること自体不思議だった。吉川は曖昧な頬をみせた。唇のあたりがすこし動き、言葉を捜している。
「そうだな、子どもを使った権力闘争か。すこし違うな」
 
 一九六六年から七六年までの一○年間、中華人民共和国は未曾有の大混乱にみまわれた。「動乱の十年」といわれる「プロレタリア文化大革命」である。
 文革は毛沢東時代の特徴をもっとも顕著に示している事件だった。というよりも、長期にわたる政治過程そのものである。
「魂をゆさぶる真の革命、世紀の大実験、とか言われたもんだ。おれもわくわくしたんだけどな」
 吉川はノンセクトの過激派学生だった。六七年、わが国の首相によるアジア諸国訪問が企図される。それを阻止するため、多くの学生が羽田周辺に集結し機動隊と衝突した。いわゆる「羽田闘争」である。そのさなか、京大の学生が機動隊の車に轢かれ死亡する。
 吉川は都内の高校生で逃げ遅れたところを逮捕された。その時始めて、葉子の父に助けて貰ったのだという。
 当時、毛沢東は「大躍進」政策の完全な失敗によって実権も権威も失いかけていた。国内では「調整政策」を推進する劉少奇が政治的論争と経済を分離し、国内の風紀の乱れを「四清」運動などによって浄化しようとしていた。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.48

 
 
 
 
■ 我々は二杯か三杯の酒を飲み、明白に酔うでもなくお互いの話を聞いていた。
 私はほとんどの場合聞き役に廻った。もっとも時には質問をすることもあった。興味があるというよりも、そこに居るのだということをわかってもらいたかったのだろう。
 吉川が上海の歴史について話した。
 上海は、第一回の中国共産党大会が開かれた場所であり、文革も発端は上海だった。中国近代の縮図のような都市だとも言った。
 晃子は「大災害」の原因となった「大躍進政策」について説明した。何処で調べてくるのか、話の流れが明晰であり私にもよくわかった。
 
 毛沢東は夢想的な性格をしていた。
 五七年、旧ソ連でスプートニクという人工衛星が打ち上げられる。東西冷戦構造盛りの頃だ。アメリカは蒼くなる。
 毛は「今だ」と思う。しかしスターリン批判と同時に対米平和共存を目指すフルシチョフに冷たくあしらわれ、激高する。結果、毛は独自の世界革命路線を進める決意を抱く。十五年以内に鉄鋼その他の工業製品生産量で、中国が英国を追い越すという目標が掲げられた。
 五十八年までに九八パーセントの農家が人民公社に組織される。
 人民公社とはパリ・コミューンをモデルにした地域住民の自治組織である。二千戸という大規模な農家が結集され、農業・商業・教育から民兵までを組み込んだ集団農場が全国に二万六千以上つくられた。
 生産計画の倍増や繰り上げが日常的に行われ、農家は生産物のほとんどを納入した。反面、全国から五千万ともいわれる労働力が鉄鋼生産のために動員された。「土法高炉」という極めて小さな製鉄用炉が全国に設置され、鉄の増産が目論まれた。結果として経済のボトルネックが露呈してゆく。
 
「本当のことが伝わらないと、みんな妄想を信じるようになるのよ」
 晃子がそう言った。どの国も同じだ。
 人口構成比のグラフをみると、少なくとも二千万人が餓死したことがわかる。公式には記録されていないが、人食が公然と行われていたとも言う。
 私は冴の話を思い出していた。私はウィスキーをそのまま嘗めていた。ものを思う時、氷の入らない酒の方が良い。
 霞町のビルの下にあるこの店は、若い客がほとんどいなかった。
 酒の味は何処でも似たようなものだ。そう言えば昔ほど酒を飲みに出かけなくなっていることに気付いた。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.47

 
 
 
 
■ 私たちは黴臭い階段を昇り、二階のゲームセンターに入った。十代の少年達で混んでいる。射撃の腕前を吉川と競う。画面に現れる一般人を撃つと減点である。吉川は出てくるもの全てを撃つ。旨いのだが死亡率も高い。
 晃子は車をドライブするゲームに座っていた。忙しくアクセルとブレーキを踏んでいる。真剣だ。ヒールの踵が折れるのではないかと思われた。
 蝋人形館の中で写真を撮った。晃子が使い捨てのカメラを買ったのだ。私も吉川も口をあけ、後ろに並んだ光沢のある人形と同じポーズをとった。晃子はモンローの真似をしている。その前に口紅を直している。若いカップルがなにかを言いたそうに私たちを眺めている。
 
 その上にある展望台に昇った。
 黒くなりかかった空にオレンジ色の雲が斑になっている。海の方角から細い月が昇ってきて、配下にある無数のビルには全て灯りが点いていた。
 テーブルに座り、ビールを頼んだ。
「土産物を買ったのか」
 吉川が言う。
「絵葉書とキーホルダーは買った。小さな電球の点くタワーの模型がほしいんだ」
「田舎もんだ」
「ベットの傍でちかちか点滅してるのって泣けるじゃないか」
「吉川さんは、娘の写真を置いてあるのよ」
 吉川の別れた妻は、晃子にそっくりだという。娘がひとり神奈川にいるらしい。二十歳近くになっているだろうか。
 廻りが暗くなってきた。子ども連れや年寄りが消え、残るのは背中にバックを背負った若い男女だけになった。
 
「タワーって、年増の厚化粧みたいだわね」
 私たちはタワーを降りた。車を拾い、霞町の小さなバーに入った。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.46

 
       十八 蝋人形
 
 
 
 
■ 私は上海にゆくことにした。
 葉子とは連絡がとれていない。
 私は数日を忙しく過ごした。コピーをいくつかと付随する資料をまとめ、担当者と打ち合わせを繰り返した。
 結局、上海にある電視塔の写真は使わなかった。砂紋がはっきり写る砂漠の写真を借り、横書きで文章を置いてゆく。余白を大きく取り、ボディコピーと商品である容器の写真を幾つか並べた。
〈水をくるむもの〉という言葉を途中に混ぜる。そうしたシリーズで続けようという下心だ。どうなるかはわからない。とりあえずは無難なものから始めることにする。
 
 週末の夕方、私は晃子と吉川に会うことになった。芝のタワーの傍にあるボーリング場、そこのロビーで落ち合うことにした。
 グラウンドがあり、ガソリンスタンドがあり、プラタナスの街路樹があった。エンジンをかけたままのタクシーが並んでいる。運転手が仮眠をとっている。ボーリング場の階段に立っていると、バックを持った中年の男や若い女が入ってゆく。靴と自前の玉を持参しているのだろう。そうした情熱はどこからくるのか、人事ながら不思議に思った。
 
 吉川が汗をかきながら歩いてきた。麻の上下を着ている。とりあえず誉めると、イタリアで買ったものだと自慢する。太る前だったらしい。
 タクシーで晃子が着いた。せっかくだからタワーにゆこうと言う。私たちは坂を裏手から昇り、タワーの足元に建っている古いビルの通用口から中に入った。
 並んだ土産物屋の奥に、コーヒースタンドがあった。私たちはカウンターに肘をついてコーヒーを頼んだ。私と吉川はケチャップの沢山ついたホットドックを食べた。
 観光バスのガイドが隣に立っている。店の人間と話しながら煙草を吸っている。定期的に来ているのだろう。蓮っ葉な雰囲気が良かった。制服の腰を振り、向こうに歩いていった。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.45

 
 
 
 
■ ドアのところに紙袋がぶら下がっていた。洗濯屋がきたのだ。
 私はズボンを脱ぎ、ハンガーにかけた。するすると落ちる。
 ソファに横になり、小さく躯をまるめた。
 暫くして起きあがり、冷蔵庫から氷を取り出して酒をつくった。
 レモンなどというものはない。ライムは坂下のスーパーに売っている。
 ジンを炭酸で割り、泡立つのを眺めていた。
 
 芝浦のバーで冴が飲んでいたのは、赤いビターだった。白い肌によく合っていた。塗り直した口紅の色のようでもある。
 酔いが廻ってゆく。躯が重くなる。
 しかし、それでもまだ足りないかのように私には思えている。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.44

 
       十七 そこにある黒
 
 
 
 
■ 外に出ると湿気がひどかった。
 一度に汗が出る。私はそのまま歩いた。病院の裏手の路地を自動販売機が並んでいる一角まで歩き、そこで立ち止まった。
 側溝がある。コンクリの蓋がしてあり、隙間から黒い水がみえている。
 病練からの廃液が流れているのだろう。首をかしげるとギラリと水が光った。
 背後から車が追ってきた。私を迎えに来た男が車から降り、私を呼び止めた。
「送ります」
 彼も汗をかいていた。私は車に乗ることにした。幾つかの角を曲がり、高速に乗ろうとする。
「あなたも麻取なんですか」
 私は男に聞いた。
「いえ、わたしは水上警察の警邏です。あなたのことは、昨年署内でおみかけしました」
 エアコンの温度を操作しながら男が言う。
「神奈川県警がどうして出張るんだろう」
「本庁から連絡があって、わたしが行くよう指示されています」
「いつもは水色のシャツを着ているんだね」
「時々、自転車にも乗りますよ」
 男は慎重に車を運転していた。時折、かなりの速度差で脇を抜かれる。その度に彼の中で何かが沸き、静まるのが私にはわかった。
 赤坂の交差点近くで降ろしてもらう。
 男は私に携帯電話を持ってゆくように言った。
「そのように言われているんです」
「いや、いらない」
 彼は人を撃ったことがあるだろうか。撃たれたことも。
 私は夕方に近い赤坂の街を通りの方向に歩いた。背の高いホテルの一番上に昇り、黒ビールを頼んでぼんやりした。駅近くの食堂で夕食をとり、地下鉄で自分の部屋に戻った。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.43

 
 
 
 
■「こんなもので失礼ですが」
 車で私を迎えにきた三十程の男が背後に立った。自動販売機で買ったのだろう、缶のお茶を持っている。
 私はそれを受け取り、プルトップを開け一口飲んだ。
「ウーロン茶の密輸ならいいんですけどね」
 真壁も一口を飲んで顔をしかめている。不味いのだ。
「まあ、それはわかった。しかしどうして閣僚が絡んでくるんだ」
「ええ、簡単に言えば圧力がかかるのです。我々は役人ですから、バッジからの横やりで捜査そのものが潰れることは何度もあります」
「あなたは麻取ではないはずだが」
「そうです、昨年の横浜港の事件が旨く行っていれば、ここにある議員の何人かは逮捕することができた。けれども、名前の入ったフロッピーだけではいかんともし難い」
 真壁は巧妙に話をそらせている。私は背後に何か別の機関があるのではないかと思った。
「公安か、また別口かだな」
 私は思いついたことを言ってみた。電話の男は公安に近いのだと言っていた。真壁は指先で眼鏡を直す。
「そうです。一般に公安とは、公安警察官と公安調査官とに分かれている。彼等もまた犬猿の仲だ。しかし、ここまで大規模で複雑な様相を呈しているとそんな縄張り意識だけではどうにもならない」
「内部事情を聞いても仕方ないな」
 真壁は唇を歪めた。笑っているつもりらしい。
 
「ところで、今の中国では賄賂が全盛だそうですね。〈走後門〉というのですか、病院ひとつ入るにも給料の二ヶ月分の保証金が必要だそうで、こういうのを〈向銭看(シアンチエンカン)〉と言うんですか」
「ああ」
「腐敗はうつるんですよ。バブルの後始末を覚醒剤のアガリで行おうとする者がいても不思議ではない。勿論、合法的な金に替えてゆく訳ですけれどもね」
 真壁はそこまでを言うと、一枚の写真を出した。
 ボンネットの吹っ飛んだベンツの新型だ。背後には割れたガラスが散乱している。場所はモダンなビルの入り口のようだった。
「葉子さんの父親のものです。幸い命は助かったようだ。運転手は死にましたけどね。これも同じ日のことだ」
「プラスチック爆弾か」
「そうです、品質に優れた米軍のものだと鑑定されました。上海ではこうした爆破事件がこのところ何度も起きている」
 私は暫く考えていた。六十を過ぎた葉子の父親のことを思った。何度か会い食事をしたが、仕事以外のことはほとんど話さなかった。
「近々、上海に渡るんですよね」
 真壁が断定する。調べがついているのだろう。
「それで、どうしろっていうんだ」
「今の段階ではわかりません。今日のところはこれでお引き取り願います」
 真壁が書類を片づける。勝手なものだと思った。
 私は立ち上がり、部屋を出ようとした。ドアを開けると地下の廊下から湿った空気が入る。
 
「それはそうと、冴さんの陰部にはアルファベットでKと読める痕跡がありました。ナイフで抉られているようです」
 事務的な真壁の声を後ろに私はドアを閉めた。廊下を歩く。すでに匂いには慣れていた。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.42

 
 
 
 
■「これをみて貰いたい」
 真壁がスチールの机の引き出しから、一束になった書類を取り出した。そのうちの一枚を手に取り、私の傍に近づいて渡す。
 私はそれを眺めた。そこには何人かの氏名と肩書きが並んでいた。
「議員のリストです。地方レベルのものは割愛してある。後ろに書いてあるのは所属している政党名です。もっとも、離合集散しますから明日はどうなっているかわかりませんがね」
 真壁の眼鏡に蛍光灯が映っている。表情が読めない。
「対中貿易に異常な程積極的な人物ばかりです。政党を問わない。ご存じのように我が国でも大規模な国際金融都市計画がありましたが、現在暗礁に乗り上げています。中国も国力を挙げ、幾つもの経済特別区政策を進めているがその前途はそう簡単なものではない」
 私は頷いた。私の傍から真壁が離れ、椅子に座った。
「こちらへどうぞ」
 私に椅子を勧める。私は折り畳みのパイプ椅子を引き寄せ、その上に座った。
 
「経済レベルで連携しているうちはいいのです。問題はそうした巨額の金が動くところには必ず裏の世界が付随し、時としてそれが表に出てくることです」
「覚醒剤のルートがあるんだな」
「そうです。それも、いまだかって経験したことのない規模のものが予想されます。ご存じかどうか、こうした覚醒剤には薬紋と言われる人間でいうところの指紋のようなものがあります。薬物指紋といいますが、このところ中国からのものと思われるものが急速に浮上してきた。今回冴さんから検出されたものもそうでした」
「台湾じゃないのか」
「ええ、日本に運び込まれる覚醒剤は、一九八○年前後まで韓国製のものが主流でした。我々と韓国側の努力によってそれらはほとんど撲滅されています。近年、中南米や香港・台湾からのものが目立ってきていたのですが、今回のものはそれとは明白に薬紋が異なっている。さらに、台湾ルートの中にも同じ薬紋のあるものが増えつつあるのです」
「それがどういう意味を持つんだ」
 私は真壁に尋ねた。
 
「おそらく、中国本土で大量のメサンフェタミンが製造されている。場所は特定できませんが、それが直接ないしは香港・台湾に流れ、日本に流出してきているのだと推測されます」
 梅雨の残りか、地下室の空気は湿っていた。
 私は両腕のだるさを感じながら何か別のことを思い出そうとしていた。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.41

 
 
 
 
■ そこは病院の倉庫として使われていたような部屋だった。
 壁際に幾つもの箱がある。薬の空き箱なのか、開封されていないものも混ざっている。
 スチールの机の前に黒縁の眼鏡をした四十代の男がいた。
「真壁です。名刺はかんべんしてください」
 男は厚生省のものだと言った。いわば本庁にあたる。初老の男とは声が異なっている。おそらくは部下にあたるのだろう。

「奥山君には残念なことをした。彼は神奈川でも優秀な捜査官だったのに」
 私は真壁という男の口元を眺めていた。本当に残念だと思っている訳でもない。
「直属の部下でもないでしょう」
「皮肉を言わないでください。確かに麻薬捜査官は厚生省直属ではない。各麻薬取締官事務所で採用され勤務する。彼等は危険な業務に身体を張って立ち向かい、その存在すら一般には認知されない」
 私は黙っていた。一般論を聞いていても仕方ない。気配が伝わったのか、真壁は話題を変えてきた。
「情報提供者、我々はSと呼んでいますが、Sは通常覚醒剤の仲買人を転ばせてつくることが多いのです。しかし彼女の場合には違っていたようだ」
「どういう意味です」
「いや、奥山君はSを使うことが嫌いだったようだ。危険な目に逢うことも多いからね。どうして冴さんをSにしていたのか」
 私は苛だたしい気分を押さえることができなくなった。
 
「いいかげんにしてくれ、そんなことを愚痴りにここまで私を呼んだのか。用がなければ帰るぜ」
 私は振り向いてドアを開けようとした。
「待ってください」
 真壁が呼び止める。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.40

 
        十六 遠花火
 
 
 
 
■ 冴はまだ死んでいなかった。
 酸素マスクで顔は隠れている。ホースが壁のノズルに繋がり、その脇には幾つもの医療器具があった。電源が入り微かにうなっている。
 ベットの横にある棚の上に、片づけ忘れたガーゼが一枚丸まっていた。ガーゼには茶色の染みが広がっている。
 
 私にはさっきから漂っている匂いの正体がわかったような気がした。
 それは古くなった血の匂いだ。
 体液や壊れた漿液に混ざって、行き場を遮られた人間の思いが流れずにとどまっている。上海から長崎へ向かう船の中、夜の二等船室で嗅いだ匂いにも似ていた。船室のむせるような人いきれの中には、微かな血の匂いが混ざっていた。
 
 私はベットの傍に寄った。冴の顔を覗き込んだ。透けるような肌色に眉毛が薄い。ベットの脇に不透明なビニール袋がぶら下がっている。半分ほど液体が入っている。カテーテルが膀胱に差し込まれているのだろう。
 私は十日ほど前の夜のことを思い出した。
 あの夜私は冴に会い、話をきくことになった。自分を買ってくれと言われ、そのまま買う。冴は天安門事件の後上海に逃れ、野鶏になった。できないんだからいいの、と彼女は言った。避妊の必要はないと言う。
 細い骨の廻りをしなやかな筋肉がくるんでいるような躯だった。十分に湿っているところと、乾いているところとが交互にあった。同じ夜、二度目に入ったとき、冴は「アイヤー」と耳元で何度か繰り返した。
 やりきれない気分が背中から昇ってきて両腕がだるくなった。
 ドアが開き、男が合図する。
「電話が入っています」
 私は廊下に出て携帯電話を受け取った。
「いや、どうも。どうにか命は取り留めたようです」
 初老の男の声だ。
「ふざけるな」
 私は腹が立っていた。言葉がみつからない。
「担当に説明をさせます。また後で」
 プツリと電話が切れた。私は左手の携帯電話を暫く眺めていた。アンテナを右手の掌で叩き収納すると、同行してきた男に返した。
「担当って誰だよ」
「こちらへどうぞ」
 廊下をうんざりする程歩かされ、地下の狭い部屋に私は案内された。
 
 
 

2005年08月03日

「夜の魚 外灘」 vol.39

 
 
 
 
■ 上海の葉子に電話をした。
 想像される居場所全部にかけたが不在だった。晃子に連絡をする。まだ帰っていないようだ。留守番電話に簡単に吹き込んでおく。
 私は氷を取り出し酒を飲むことにした。あまり味がしない。
 ベットに横になり、眠りがくるのを待った。
 午後になり、電話が鳴った。迎えにきたという。
 交差点のところまで歩いてゆくと男が立っている。みるからに役人という格好で、半袖のワイシャツに地味なネクタイを締めている。三十すこしというところか。
 路肩に駐めてあった国産の小型車に乗った。
「禁煙じゃないんだろう」
 私は煙草を吸った。灰皿の辺りには細かな機械がいくつもついてる。ボリュームは絞ってあるが、時折女の声で指示が入っている。
「これ、デジタルなんだって」
「そうです」
「高いのかな」
「さあ、ボーナスくらいでは買えないでしょうね」
 
 車は首都高速を慎重に走り、レインボー・ブリッジにかかった。対岸に奇妙なかたちをしたビルが幾つもみえてくる。臨海副都心だ。
「香港返還を当て込んだのにね」
 私は男に話しかけてみた。私は雄弁になっていることに気付いている。
 一九九七年の香港の中国本土返還を前に、世界のどの都市が国際金融市場の指導的立場を握るのか、国家的規模で大問題とみなされていた時代があった。国有地は次々に民営化され、売りに出された。空前の土地騰貴ブームが始まり、架空の好況が花火のように打ち上げられ消えた。さなかにあるときはそれが永遠に続くものだと思われる。
 私は昔「遠花火」というコピーを書いたことを思い出した。あれは何の商品だったか。 
 これから夏が始まろうというのに気持は重い。
 鏡を多用した建築中のビルの横を通るとき、車の影が一瞬映る。
 白い布のようなものがそれに続いて、私は冴のことを思った。
 インターを左に逸れH市に入った。低い階層の病院の棟が近づく。車はその裏手へ廻り、守衛が鉄の柵を開けるのを待った。
「こちらです」
 ドアが開かれ、私は搬入口から病院の廊下に続く階段を昇った。
 匂いがする。記憶にある病院の匂いとはすこし違っている。リノリュウムの廊下はワックスをかけたのだろう、部分的に光り、外からの太陽光をところどころ反射して鈍い。
 何度か廊下を曲がり、人気のない一角に近づく。突き当たったところに灰白色のドアがありその前で立ち止まった。
 私は同行してきた男の顔をみた。彼はうなづく。
 ドアを開け、中に入った。
 
 
 

2005年08月02日

「夜の魚 外灘」 vol.38

 
 
 
 
■ 関東で梅雨が明けたというニュースが流れていた。
 私は自分の部屋でビールを飲んでいた。電話が鳴る。男の声だ。
 
「冴さん、中国名葵さんが襲われました。千葉県H市の病院に入っています。数人に暴行され大量の覚醒剤を打たれている」
 声に覚えがあった。横浜の黄金町、奥山が隠れていた部屋で私はこの男の電話を受けた。彼は私に協力を求めた。
「いつですか」
「昨夜です。彼女は勤め先の店が終わり、部屋に戻るところを拉致された。臨海公園があるでしょう、あそこの植え込みに倒れているのを今朝発見されたんです」
「どんな様子なんですか」
「かなり悪い。覚醒剤と言っても粗悪品を使っているらしく、時々心臓がとまったりしています」
「わかった、これからゆく」
「いや、結構です。病院の廻りは網を張っていますから、あなたに今来て貰うと困る」
 男の声は事務的だった。
「それはそうと、葉子さんのお父さんの車が爆破されたことをあなたは知っていますか」
 私の酔いは醒めた。
「あなたの所属はどこなんだ。警察か厚生省か、それとも公安なのか」
「最後のところに近いですね。明日の午後、迎えを廻します」
 電話が切れた。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.37

 
 
 
 
■ 途中、上海の葉子から電話がきた。
 近い内にまた上海にゆかねばならない。党の偉いさんを相手に、プレゼンテーションをするのだという。なるべくモダンな方向で組み立てるよう注文された。
 仕事をしている時の葉子は勤めて冷静だった。控えめでソツがなく、発音の綺麗な英語で私の通訳をしてくれた。
 上海での私の生活は、ほとんど事務所と宿泊先である上海大厦、ブロードウェイマンションを往復するだけだった。時折街へ出ることもあったが、本当の路地や下町を歩く訳ではない。
 
 電話口の葉子の声に翳があった。
「親父さんは元気か」
 と尋ねると、僅かに言い淀む。
「もちろん、元気よ」
 と、葉子は明るく答えた。
 その時に気付くべきだったのかも知れない。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.36

 
       十五 夏日
 
 
 
 
■ 十日程過ぎた。
 江菫が東京に来ている。
 吉川を騙して呼び出し、暫く安全に働けるような店を紹介させたのだ。
「うちの社も上海にはビルがある。友好のためには仕方ないな」
 何をするにも大義名分が必要な世代である。
 新橋と銀座の境、小さなバーに江菫は働くことになった。
 一度顔を出してみたが「野郎ども地獄へゆけ」といった案配のママが、ひらひらした服でだみ声を出していた。私は意味なく怒られた。
 引退間近の役員などが主な客層で、彼等がポケットマネーで飲みにきているようだった。
 白金にある木造のアパートに江菫は住むことになった。だみ声のママが家主で、扇風機しかないという。家賃は天引きされる。
 吉川は毎晩顔をみせているようだった。護衛のつもりなのだろう。
「晃子さんには言うなよ」
 と私を脅すが、晃子には喋った。
「どいつもこいつも」
 晃子は貫禄が出てきている。
 
 
 

2005年08月01日

「夜の魚 外灘」 vol.35

 
       十四 民主少一点
         (ミンヂューシアオイーデイエン)
 
 
 
■ ビールを飲みながら冴は話し始めた。
 一九八九年六月四日、いわゆる天安門「血の日曜日」当時、冴は彼女の夫とともに広場に座り込んでいた。彼女は中央美術学院に籍があり、夫は北京大学の研究生だった。夫は「北京・大学自治連合会」に関与していて、学生の総リーダー、ウルカイシが五月末に罷免されるまで共に指導的立場にあった。
 
「六月四日にあそこでどんなことがあったかは、説明しなくてもわかるでしょ。わたしは軍の戦車が学生のテントに突っ込むのをみたし、子どもが撃たれ、顔の全部が無くなるのもすぐ隣でみていたわ。その子の母親は軍警の銃剣で胸を刺された」
「どうにか逃げた後、広場は封鎖されたわ。死体を集めガソリンをかけて焼くのよ。ヘリが来て死体とその粉を運び、広場は清掃されたの」
 どれくらいの人間が殺されたのか、はっきりした数字は出ていない。七千とも、失踪者を含めるとその数倍とも言われる。
「その後ね、密告が奨励されたの、文革の時のように。わたしは家を捨てて逃げ回ったわ」
 私は冴に尋ねてみた。
「家族はどうなったんだ」
「どうかしら。一本頂戴」
 冴は煙草を抜き取り火を点けた。
「まあ、彼がわたしを売ったのよ」
 唇をまるめ、ゆっくり煙を吐き出している。彼、というのは夫のことだろう。表情は読めなかった。
 私は冴の股に手を置き、横になるように促した。
「上海は面白い街よ、いくつもの地下組織があるの。民主の残党とアヘンや大麻にかかわる黒社会も」
 私は黙って煙草を吸っていた。冴の背中を指で撫でる。
 
「わたしは叫ぶのをやめたの。無駄だもの。第一泣き方を忘れたわ」
「忘れるものかな」
「ええ」
 天安門事件の後、北京中央テレビは繰り返し密告用の電話を流した。文革当時のそれに比べれば、密告数は微々たるものだと言われている。しかし、学生や市民の首班であった者の多くは軍警に逮捕され、密かに処刑された。香港や台湾に逃れた者もいたという。
 冴の夫は知識人であったのだろう。研究生というのは大学院に学ぶ者を意味する。逮捕され、尋問を受ける中で若い妻の居所を話してしまったとしても不思議ではない。
「血債血還(シユエヂヤイシユエフアン)」
 冴が口にする。〈血で購え〉という意味か。
 躯の向きを変え、冴が首に手を廻してくる。
「時間はあるわ」
 私は、冴の醒めた水のような声がどこから出てくるのかわかったような気がした。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.34 

 
 
 
 
■ 触れるべきなのかどうか、俄にはわからない。
 冴が尻を向け、横にすわった。枕元のスイッチを廻し僅かに灯りをつける。
 
「買ったおんなのことを考えても仕方ないわ」
 それはそうだ。冴が横になっている私の足元に顔を寄せた。膝頭から始まって踵に遊び、足の指先がぬるくなった。それが上にあがる。細かな舌だ。
 私は冴の腰のあたりに手を置いた。
 どれくらい経ったのだろう、あらかじめ緩いものに入ってゆく。途中で一度細くなり、その上には僅かな空洞とざらついた感触がある。
 冴はほとんど声を出さなかった。醒めている訳でもない。しかし、沸いてくるものの密度に薄い空白があるような気がした。
 細い腰は奥の方に弾力があり、ふたつに折れて開かれる。
 
「いいの、そのまま」
 耳元ではっきりした声を聞いた。私は彼女の足首を掴み、深いところを探ろうとした。
 躯を離すと一度に汗が出た。
 
 冴が腰を屈め、奥からのものを始末している。
 私は上海で女を買わなかった。歩いているだけで声をかけられることもあるのだが、迂闊に乗ると公安が控えている。あらかじめ繋がっている場合もあるという。どれくらいの罪になるのか、日本人の場合、他の事情も絡むのだと聞いた。
「野鶏(ヤーチー)か」
「そう、わたしは野鶏なの。満足して貰えたかしら」
「久しぶりなんだろう」
「あら、わかるの」
 冴が笑って起きあがった。黒いバックから小銭入れを出し、硬貨を冷蔵庫に入れてゆく。新しいビールを抜きグラスに注いだ。
「北京から上海に逃げてね、一度地下に潜ったの。売れるものは女しかないわ。日本にくる旅費もね」
「うん」
「なんだかおかしいわね、こんな話をして。でも、あなたってどことなく裏街道の匂いがするのよ。寝てみてはっきりしたわ」
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.33

 
       十三 仇夜
 
 
 
 
■ 駅前の通りをすこし離れたところにホテルが何軒かあった。
「三万円、前金でね」
 部屋に入って冴はそう言う。
 私は財布から紙幣を取り出して彼女に渡した。彼女は黒いバックにそれを仕舞い、浴室のドアを開けて準備をした。お湯を貼る音がする。
「ぬるめがいいのかしら」
「ああ」
 私はビールを飲んでいた。冷えすぎていて旨くない。
「入って」
 彼女が促すに従い、私は下着を脱いだ。彼女は裸でどこも隠そうとはしていない。髪を上で縛っている。いつ塗ったのか、口紅を直していた。
 私は浴槽に一度つかり、それから椅子に座った。タオルにボディソープをつけ、彼女は私の躯中を念入りに洗った。時には指先も使う。泡立てるようにして爪を立てる。
 
「上海風呂にはいきましたか」
「いや、ゆかなかったよ」
「店を選ばないとね、日本人はすこしびっくりするかも知れないわね」
 衛生面の事を言っているのだろう。指が前に廻った。お湯がかけられ、唇が近づいた。暫くそうしていると膝をついた背中が逆さまにみえた。背中は丸くなり、ふたつに割れた尻の間にお湯が流れている。
 歯ブラシを渡され、もう一度浴槽に入った。冴は一度外に出てコップに水を入れて持ってくる。
「むこうでね」
 バスタオルを二枚使い、立っている私の躯から水気を取っている。
 短い浴衣のようなものを羽織り私はベットに横になった。
 冴と名乗る彼女と寝る必然性はどこにもない。私はインタビューをし、送るように言われ、自分を買うよう頼まれた。断ることもできるのだが、かといってそれが紳士であるとも思えない。〈紳士〉などという言葉が頭に浮かぶのが不思議だった。
 煙草を吸いながら待っていた。冴は躯を洗っているようだ。有線のチャンネルを廻すと、香港の流行歌が流れた。暫くそれを聴き、ジャズのピアノに替えた。浴室のドアが開き、冴が出てくる。
「灯り、消すわね」
 暗がりになった。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.32

 
 
 
 
■ どこをどう歩いたのかよく覚えていない。
 オレンジ色に光る東京タワーが大きくみえるところまでゆくと雨になった。
「悪いけど、送ってくださらない」
 私たちは傘を持たなかった。冴の髪が濡れ、生成のワンピースが貼りついている。タクシーを拾う。冴を連れ、私は自分の部屋の前まで戻った。濡れた髪だけでもと促すのだが、彼女は私の部屋に入ろうとはしない。仕方なく私は駐車場からサンクを引っぱり出した。
 酔いは醒めたつもりだった。天現寺まで廻り首都高速に乗った。
 レインボー・ブリッジを渡り、臨海副都心の辺りに出た。そこで前が詰まる。周囲にはいくつもの建築共同体の看板があり、組み上げられた鉄骨に小さな灯りが点いている。奥山が撃たれたのはこの奥の埠頭なのだと思った。
「上海の浦東に暫くいたんだ」
 私は冴に話しかけてみた。
 
「わたしはダスカの裏手で働いていたわ。野鶏(ヤーチー)って知ってるかしら」
 野鶏は上海の夜の女だ。路上に立ち客を曳く。
 上海の西蔵南路にある〈大世界〉は一九一七年に黄楚九によって作られた。ダスカと呼ばれている。長いこと上海の裏の世界を象徴する一種の魔窟になっていた。売春、アヘン、賭博、ありとあらゆるものが見せ物とされ、金さえあればどのような快楽も求め売ることができた。解放後、何度か名前は変わり今では健全な見せ物小屋になっている。子ども連れでゆくところになったのだという。
 その裏手を何本かゆくと入り組んだ路地に迷い込む。決して一人で入ってはいけないと、上海に滞在している間、葉子にも広告の二人の助手にも注意されていたことを私は思い出した。冴はそこにいたのか。
「知ってるよ」
「そう」
 湾岸を公園のある辺りで降りた。
 左に曲がり、何処までゆくのかを尋ねた。
 
「ううん、わたしを買ってよ」
 冴が言った。
 雨は小降りになってきている。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.31

 
 
 
 
■「〈大災害〉って聞いたことありますか」
 冴が私に言った。私は知らないと答える。
「わたしが生まれるすこし前、祖母のいる村は大飢饉に襲われたんです。中国本土全体で二千万とも三千万とも言われる農民が餓死しました。原因は毛主席の夢想的な〈大躍進〉政策と、それに反対する者を〈右傾的偏向反対〉として一斉に排除したことです」
「大躍進、ですか」
「そうです。その頃中国は鉄を作るために労働力を強制的に集中させました。その結果、農村の生産力は極端に低下します。さらに、当時の地方幹部の特権の横行や官僚主義によって、食料が公平に分配されなかったことが飢餓を拡大させてゆきます。その時養祖母が死にました」
「いつのことですか」
「一九五九年から六一年にかけてのことです。当時の中国は六億六千万程の人口がありましたが、その三パーセントが飢餓によって死んだのです」
 冴と名乗る彼女は淡々と話した。
「わたしは六十七年に生まれました。文革で北京から下放してきた父と母が知り合い、恋に落ちたのです。母は農場で働いていました。わたしが生まれてから、母が日本人であることが判明します。わたしだけが北京に引き取られ、父の実家で育ちます。父の実家は幹部党員だったのです」
 私には事情がよく飲み込めなかった。
 
「〈葵〉っていう名前は文革時代の名残です」
 彼女はこちらを向いてすこし笑った。
「毛主席、紅太陽の方をいつも向いている向日葵という意味です。幹部党員や知識階層が自らの子どもにそのような名前をつけることはほとんどありませんでした。それだけ忠誠を示す必要があったんです」
「それでお母さんはどうしているんですか」
 冴は薄く笑い、グラスを口につけ赤い酒を飲んだ。私は自分が無神経であったことに気付いた。
「気にしないで。母の顔は覚えていないのだから」
 私たちは店を出て外を歩くことにした。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.30

 
       一二 驟雨
 
 
 
■「あなたは何人もの人が死んでゆく姿を傍でみたことがありますか」
 彼女が私に尋ねた。
 どう答えるべきか私は迷った。
「年齢相応のものしか、私にはないです」
 私はそう答えた。彼女は背の高い赤いグラスを持ち、一口を飲む。
「信用できそうなひとだから、話すことにします」
 私は黙っていた。
 
 冴の母親は元々日本人だった。太平洋戦争が終わり、そのまま大陸に取り残された。祖父は中国東北部の開拓民であり、満州国の日本語学校の教師として東北部のとある都市に赴任していた。比較的裕福な暮らしだったという。
 戦況は悪化する。情報を得て蘇州へと南下する。その途上、冴の母親は売りに出される。足手まといとなる子供を捨てて、祖母と祖父は夜の河を渡ろうとする。金を出せば向こう岸に連れていってやるというのだ。
 小さな村の河沿いの丘で、逃げようとする日本人の乗った船に迫撃砲が当たる。人民解放軍のものか蒋介石の傘下か、今となっては定かではない。
 冴の母はその村で中国人として育った。
 中国人である養祖母は、トウモロコシの団子を実の子とわけへだてなく冴の母に与えた。冴の母は自らが日本人であることを忘れ、娘となった。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.29

 
 
 
 
■ スツールを引き、彼女は横に座った。
「後ろから眺めていたんです」
 名を冴という。彼女がそう言う。
「あなたのことはみたことがあります。冬の頃、倉庫の鍵を取りに奥山さんとスタンドにきたでしょう」
 芝浦のスタンドに勤めていた女性だ。あの時は髪を後ろに束ねていた。短い色のついたスカートを履き、タイアの空気圧を屈んで確認していた。
 彼女は中国残留二世だと聞いたことがある。私はぶしつけに尋ねることにした。
「奥山さんとはどういう関係なのですか」
「わたしは唯の連絡員です。彼のような仕事の場合、情報を仕入れるルートを幾つも持っているものでしょう」
「残留二世なのですか」
「はい、わたしの生まれは中国本土です」
 そこで彼女は言い淀んだ。私たちは酒を飲むことにした。
 
「あなたは天安門事件って知ってますか」
「ええ、八九年の今頃でしたね」
「日本にも正確には伝わってはいないようですね。わたしはあの時、広場にいたのです。わたしの夫もそこにいました。わたしは上海に逃げてそれから日本にきたのです」
 私は冴と名乗る女の横顔をみた。二重だが細長い瞳の傍に薄いシミのようなものがある。化粧は濃くはない。
 彼女はカンパリを飲んでいた。青いラベルのロッソを指さし、ソーダで割ってくれと若いバーテンに頼んでいた。
 二の腕が白い。
「奥山さんは、どうしてあなたに連絡を取るように言ったのですか」
 私は彼女に聞いた。彼女は笑う。
 
 ほとんど色のない唇が開かれ、それからこちらを向いた。
 背中が震える程の色気がそこにはあった。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.28

 
 
 
 
■ 夕方になり私は部屋を出た。JRの駅までゆっくり歩き、雑居ビルの中にあるグリルでハンバーグを食べた。昔ながらの味と言われても、昔を知らないのだから仕方がない。ガラス越しにパーティ帰りの若い女たちが横断歩道を渡ってゆくのがみえた。新館ができてから、この辺りは車が駐められない。
 
 タクシーを拾い、産業道路まで出た。すこしゆっくり流してもらう。島へゆく桟橋のある辺りで見当をつけタクシーを降りた。
 桟橋の切符を売る中年の女性に尋ねる。
 眼鏡をかけたその女性は、すこし待つように言うと奥の事務所に引っ込んだ。私は煙草を我慢しながら立っていた。ものを尋ねるときには紳士的でなければならない。
 暫くするとその女性は手に一枚のコピーを持って出てくる。
「このビルの地下だといいますよ」
 私は礼を言い、頭を下げた。振り向いて笑うべきかと考えたが、それはやりすぎだと思った。
 ビルは歩いて五分程のところにあった。
 ステンレスの看板に「シーメンズ・バー」と書いてあり、階段には模造大理石が張ってある。六本木の空気が今程濁っていない頃、つまり私が懐をそれ程気にせず飲みに出かけることができるようになった二十代の終わり、ようやく流行り始めた店の造りなのだろう。
 
 中に入るとその通りだ。ダクトが壁を這い、四隅には発泡スチロールに色を吹き付け映画のセットのようにみせた内装が目立っている。
 私はカウンターに座った。ほとんど客はいない。
 髪を伸ばした若い男が注文をきく。
 私は安いスコッチを頼むことにした。後は水だ。
 時計を眺める。七時を十五分廻っている。
 有線なのだろうか、ジュシア・レッドマンの曲が流れている。
「待ちましたか」
 背中で声がする。
 振り向くと、白い生成のワンピースを着た女が立っている。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.27

 
       十一 冴
 
 
 
 
■ 昼過ぎに起きた。
 前に勤めていた事務所をやめてから、ほとんど根無し草のようになっている。決まった時間に起きなくても誰も咎める者はいない。
 とは言うものの、だ。
 私は幾ばくかの後ろめたさを感じながらコーヒーを沸かした。シャワーを浴び髭を剃る。綿のパンツに半袖のシャツを着た。
 習慣的にパソコンの電源を入れ、壁紙をクレーの絵に変えた。「この星は謙遜を知っている」というクレー晩年の作である。実物の色合いをみたことがないので微妙なところがわからない。もっと鮮やかな蒼色に黒で線が描かれているのかも知れない。
 
 ハンガーにかかっている上着の胸ポケットから紙片を取り出す。奥山が渡したものだ。その局番は、高速湾岸線を降りて暫くいった辺り、千葉県との境のもののようだった。
 平日のこの時間ではいないかも知れないな。
 私は相手が女であることを決めてかかっている。
 五回ベルが鳴って、留守番電話が返事をした。やはり女性の声だ。自らの名前は名乗らない。都会暮らしが長いのだろう。
 私は暫く戸惑ってから名乗った。奥山から電話するよう言われたことを告げ、自室と事務所の電話番号を教えた。宜しかったら掛けてきてください、と電話を切る。
 二時間ほどぼんやりした。事務所にゆく気もしない。薄いコーヒーを何杯も飲み、仕事用の雑誌をぱらぱらと捲った。
 思いついた言葉をパソコンに入れてゆく。簡単なメモのようだ。断片的な言葉のかけらのようなものが、ある時一本の線になる。時間を置いて意味が変わることもあるし、当初面白いと思われたものが色褪せることもある。
 窓を開けると空は曇っていた。隣の部屋のひとが乾燥機を廻している。東京はまだ梅雨が明けていなかった。
 電話が鳴った。一度短く鳴ってはすぐに切れた。
 五分程経ち、もう一度ベルが鳴る。受話器を掴み、私は名乗る。
 
「電話が入っていたものですから。奥山さんがどうかしたのですか」
 明晰な声だ。
「彼は撃たれました」
 電話の奥で息を飲む気配がする。
「それで、容態は」
「死にはしないが良い訳でもない。私は奥山さんにあなたに連絡をするよう頼まれました。失礼ですがあなたの名前は」
 一瞬の間が空いた。どれくらいの間だったのだろう。私は左耳が痛くなっていることに気付いた。
「葵です」
「え」
「今晩七時、芝浦のシーメンズ・バーにきてください」
 そう言うと電話が切れた。
 
 
 

2005年07月31日

「夜の魚 外灘」 vol.26

 
 
 
 
■ 聞き覚えのある声と言葉だ。上海語である。
「よお、どうしたんだ。こんな時間に」
「今ね、オオサカのホテルにいるの。コウベの知り合いはみつからなかった」
 江菫の声だ。そんなことだろう、と私は思った。
 もともと、神戸・三宮界隈の南京街には、中国人をはじめとする外国人が沢山住みついていた。裏通りは「ドロボー横町」などの名称がつき、怪しげな日本語を話す外国人が夜になると露店を開いていた。南京街は神戸のカスバと呼ばれ、小高い丘の上に立つと、波止場に停泊する香港からの貨物船が何時もみえていたのだという。
 経済成長とともに地下街ができ、「タウン」などと呼ばれる。波止場はポートピアと名前を変えた。路地が消え、街全体からいかがわしい部分が急速に消え失せる。その事情はどの港町も同じだ。
 
 いかがわしさのない国際都市なんてのは、パンツを二枚履いた若い女のようだ。清潔そうにみえるが奧が臭い。
「明後日ね、トウキョウにゆくわ。よかったら電話してもいいかしら」
「君のビザは短期か」
「え、そう」
 留守番電話に吹き込む方法を教え、私は電話を切った。
 江菫がくるのか。困りもしないが、それで良いという訳でもない。
 江菫は来日の目的をはっきり言わなかった。おそらく、短期滞在ビザで働くつもりでいるのだろう。
 短期ビザは、最長百八十日までの滞在を許可している。現在の日本には、常時二万五千人余の英国領香港籍を含む中国系の人々が短期滞在していると言われる。その全てが観光であるとも思えないが、この数字を多いとみるかは微妙なところだ。
 働くつもりなら吉川に聞いてみるか。
 考えが流れ始め、私は奥山がベットの上で渡したメモのことを思い出した。メモにある番号は、おそらく女だろうと思った。
 ようやく立ち上がった画面を消し、もう一台の電源も落とすと、私は事務所を出ることにした。明日、連絡をしてみるつもりになっている。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.25

 
 
 
 
■ 午前二時を廻った。
 私はハード・ディスクにMOからデーターを移していた。
 その夜、私はとある容器メーカーのコピーを考えていた。プラスチック容器専門の会社である。その会社は、一リットルのペットボトルから、ポンプ式の様々な容器まで、およそ生活に関与するプラスチック製の容器ならそのほとんどを製造していた。上海にゆく前から、何か適当なものがあったら社内用のポスターに幾つかを考えてみてくれ、と担当者に言われていたのだ。
 素案の文面を幾つもベタ打ちし、手持ちの写真と組み合わせてイメージを作る。片一方の機械は懸命にデーターを移している。光磁気ディスクの回転音はかなり耳に触るものだ。
 
 私は上海の東方明珠広播電視塔の夜景を使うことにした。
 電視塔は高さ四百六十数メートル、二十一世紀にむけ中国開放政策の拠点となる浦東新区総合開発地域のシンボルである。
 旧租界地帯に並ぶ一九二○年代の建築物に照明があたっている。向こうに電視塔がみえている。当時の短い狂乱と今の時代とが奇妙にシンクロしているようにも思われる。
 通りには沢山の人が歩いていたが、写真には映らない。シャッターを開放して撮ってみたのだ。ピントも甘くあまり出来が良いものとは言えないが、どこか泥臭い近未来の都市の風景がそこにはあるように私には思えた。
 写真を加工するソフトで、画面の一番手前に一本のペットボトルを置いてみる。透明なボトルで、三分の二程水が入っている。これは昔スタジオで撮ったものだ。ボトルの中で水が僅かに波打っている。
 重ねてみると、光の具合が背後の写真と異なっていた。ボトルだけが浮いてしまっている。ボトルだけのデーターを取り出し、触っていたら機械が突然ハングした。メモリが不足したようだ。仕方なくリセットする。フォントを登録しすぎたのか、立ち上がるのに時間がかかる。
 私は煙草を吸うことにした。今日二箱目を開けた。
 実撮影しなければ無理なのかも知れない。どの場所で撮るべきか、私はぼんやりと記憶を辿った。
 電話が鳴る。ファクスかと思うと、そうではなかった。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.24

 
       十 梅雨寒
 
 
 
 
■ 薄い風邪が躯に入り込み、なかなか抜けなかった。
 翌々日、私はのろのろと自分の部屋を片づけ、下北沢の晃子のマンションに車をとりにいくことにした。あの夜、晃子は私だけを降ろし、吉川とともに坂を降りていったのだ。
 ぽつぽつ雨の降る午後、学生ばかりが歩く街を抜け、私は駐車場に歩いた。近頃、空き地に時間制の駐車場ができている。車は晃子のマンションから五十メートル程離れたところにあった。
 私は傘を持たなかった。頭がすこし濡れた。
 フェンダーの裏に、磁石で張り付いたキー・ボックスがある筈だ。晃子にそこに鍵を入れておくよう言った覚えがある。
 捜したが、四隅にはない。右手が泥で真っ黒になった。
 
 これだから女ってのは、と煙草を取り出し呆れることにした。
 一本を吸っていると雨が本格的になった。躯をかがめ、真剣に捜すことにした。リアのバンパーの下、マフラーが出ている鉄板の折り返しにキー・ボックスはあった。なんのつもりか、と一人で腹を立てていると、ボディと磁石の間に紙が挟んである。
「バチよ」
 と、女文字で書いてあった。
 なんのバチなのか心あたりはない。
 しかし、そう言われるとそうなのかという気分も浮かんでくる。ファンを廻し、車の中で頭を乾かした。また風邪をひくんだ。
 私は世田谷の細い道を、代々木上原の坂道にむかってのろのろ進んだ。
 表参道の終点で信号を待っていると、通りに向かい並んでお茶を飲ませる店がある。若者やそうでもない者が脚を組み、信号待ちをしている車の列を眺めている。彼らは楽しいのだろうか、よくわからない。
 私は自分の事務所に寄ることにした。同じ港区でも山手線の外側は雰囲気が全く異なる。事務所のあるマンションは古いアパートを取り壊して建てられたもので、ほとんどがワンルームである。築二年と聞いているが三分の一程が空いたままだった。
 裏手の駐車場にサンクを駐め、私は事務所に入った。溜まった郵便を整理して過ごすことにした。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.23

 
 
 
 
■ 奥山が狙撃されたのは一ヶ月ほど前のことだった。
 臨海副都心に乱立する高層ビルの工事現場で、中国ルートの覚醒剤が取引されているという情報をつかんだ。夜になると外資埠頭から小型の船が入り、外国人の乗った車が閉鎖された現場に入ってゆくのをみた者がいるという。奥山は晃子に連絡をした。なにか接触のようなものはないか、ということである。
 
「なんだか奇妙な気分がしたことを覚えているわ」
「出来過ぎているということだな、今時そういった目立つやり方で粉を入れる奴はいない」
 吉川が補足した。
 奥山は埠頭に張り込んだが、結局小型の船らしきものは入ってこなかった。朝になり、二十五歳の相棒を車において奥山が小便に立った。相棒がエンジンをかけようとすると爆発が起こった。
「駆け寄った奥山が背後から撃たれたんだ」
 張り込んでいた車はずっと見張られていたらしい。狙撃地点は七十メートル程離れたところにある四階建て倉庫の二階からだった。吸い殻とハンバーガーの包み紙が残っていたという。
「麻取も舐められたものさ、わざわざそんなものを残してゆく。だいたい、車に爆薬を仕掛けられても気付かなかったんだからな」
 
「罠か」
 私は吸っていた煙草を灰皿に捻った。
「罠だ」
 
 吉川が繰り返す。これは復讐だろう。誰の、と言えば北沢に決まっている。私は奥山の震える右手を思い出していた。
「手術はかなり難しかった。右肺が完全に潰れていたんだからな。これくらいの穴が開いていたんだとよ」
 吉川は右手の拳を握ってみせる。指は太い。
 私は胸のポケットに仕舞ったメモのことを思った。奥山が渡した奴だ。
 私は三杯、吉川は五杯、ギムレットばかりを飲んだ。奥山が好きなのかどうかは知らない。晃子はジン・リッキーを半分だけ口にし、氷の溶けるままにしている。
 店を出るとき足下がよろけた。吉川は入り口のドアにぶつかった。
 
 古いルノー・サンクで横須賀横浜道路を上る。横浜新道から第三京浜に入ろうとする。時計をみると午前一時を廻っている。夜の雲がいくつにも流れ、その後ろから細い月が時折みえては隠れた。
 私は何も考えなかった。
 晃子は黙ってハンドルを触っている。すこし窓を開け、ラジオをつけた。アルト・サックスの音がする。
 細くて明るい。ソニー・クリスだろう。「サニー」と私は口の中で言ってみた。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.22

 
 
 
 
■ 事件の後、暫くのあいだ奥山は晃子の身辺を護衛していた。
 携帯電話を一台持たせ、その短縮番号が奥山直通になっていたという。
「勿論、捜査の必要からそうしていたのよ。北沢やその仲間から、接触があるかも知れないじゃない」
 それはそうだ。しかし晃子は肝心なことを省いている。
「それだけじゃないだろう」
 私は尋ねてみた。
 
 晃子が黙る。私は吉川の顔をみた。持ち上げた彼のグラスが暫く止まった。吉川は残った酒を頭を後ろに傾け、一度に飲んだ。
「苦い酒だな」
 吉川が口にする。彼はもう一杯をバーテンに頼んだ。
「まあ、気持ちの面ではね、それ以上じゃないわ」
 晃子がぽつりと言う。なるほど、と思った。 晃子は奥山に好意を持ったのだ。
 吉川は三杯目を飲んでいる。私も続けて貰うことにした。
「奥山とは十年来のつきあいだ。大学の後輩にあたる。だが、奴は途中でやめ、別の大学の薬学部に入り直した。なんで麻取になったのか、そう言えば聞いたこともなかったな」 吉川が話し始めた。
 
 
 

2005年07月30日

「夜の魚 外灘」 vol.21

 
 
 
 
■ 晃子は高速神奈川三号狩場線に入った。
 道は比較的空いていて、晃子は時折百二十程を出した。三人乗っているとこの辺りが限界なのだろう。
 ミシュランの細いタイヤはコーナーの度に捻れ、路面からのノイズを遠慮なく室内にまき散らした。路面のワダチを越えると、メーターのあたりからミシミシと軋む音がする。ストロークの長いサスペンションは、二度ほど揺れて車体を収める。フランス車の乗り心地はなんだか不思議なものだ。頼りないくせに芯がある。
 
 晃子は横須賀の方角に曲がった。通称ドブ板通りの路地にサンクを駐め、〈北北西〉と書かれたネオンの店に入ろうとする。
「汚ねえ店だな」
 吉川がひとことを挟む。
「あら、いやなら帰ってもいいのよ」
 私たちはドアの中に入った。ほの暗い店の中にはカウンターとスツールだけがあって、酒の瓶が背後の棚に幾列も並んでいる。
 カウンターの真ん中に私たちは座った。
 ひび割れた壁に、額に入ったケーリー・グラントの写真があった。彼は真剣に走っている。その隣にはモノクロの裕次郎が酒場のカウンターの中にいる写真があった。痩せていて若い。
「俺は待ってるぜ、だな」
 吉川が説明する。飾ってある写真はそれだけだった。
「わたしはジン・リッキー。ふたりは、そうねギムレットでも貰おうかしら」
 晃子が蝶ネクタイをしたバーテンに注文する。
 煙草を一本吸っていると、グラスが目の前に置かれる。コースターに書かれた文字を読むと、〈YOKOHAMA〉とある。もともと馬車道に店があったらしい。グラスに口をつけた。甘くもない。
 私は晃子に尋ねることにした。
「随分くわしいじゃないか。何があったんだ」
「ええ」
 晃子は話し始める。
 
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.20

 
       九 サニー
 
 
 
 
■ 歩道で煙草を一本吸った。
 水銀灯の下で奥山の渡したメモを眺めた。電話番号が書いてある。ここに掛けろということか。私はメモをたたみ、胸のポケットに仕舞った。
 晃子と吉川がビルから出てくる。
「ハメただろ」
 私は晃子に言った。
「ま、そういうこと」
「説明してくれんだろうな」
 晃子はすこし笑う。サンクの鍵をじゃらつかせる。
「ドライブでもしましょうか、これで」
 指さしてドアを開け、エンジンをかける。吉川が後ろに乗り込み、私も晃子の脇に座った。シートをもっと前に出せと吉川がうるさい。
「でぶなのよ」
 晃子が言う。
「これでも三キロ痩せたんだ」
 吉川は言い訳をしている。
 
 

「夜の魚 外灘」 vol.19

 
 
 
 
■ 昨年の事件の後、私は水上警察の四階にある取り調べ室で、数十人の写真をみせられていた。この中に北沢がいるかどうか、特定することが目的である。終いには端末のある部屋に招かれ、本庁のコンピューターから送られてくる画像データーを確認することになった。画面の下半分に氏名や所属、前科の有無などが記載されていて、担当官は「失礼」と言ってからその部分を紙で隠し、セロテープでとめ、私にはみえないようにしていた。
 まる一日付き合ったが北沢の顔は残っていない。
「公安は持ってないらしいな」
 そんなことを担当官が話していたことを覚えている。
 私は電話の男に言った。
「北沢が絡んでいる訳ですね」
「そう、奴は今上海にいるという情報が入っている。あなたもこの頃むこうに渡っているらしいし、葉子さんもそうですね」
「葉子のことも調べたのですか」
「北沢は彼女に接近をはかるだろう」
 私は、この男はさすがにプロだと思った。ひとの気持の微妙な部分を巧くついてくる。それも、こちらが自発的に動くように仕向ける。
「私はただの広告屋にすぎない」
 私は反論をしてみた。電話口で男が薄く笑う気配がする。暫くの間があり、初老の男は言う。
 
「しかし、あなたは横浜港に飛び込んだではないですか」
「警察に協力をしたつもりはないんだ」
「まあ、後日再度連絡をします。ぜひ協力をして戴きたい。では」
 二秒たって電話は切れた。指先でフックを押したのだろう、音がしなかった。
 私は正面にある端末の画面をみつめた。どう考えるべきか、すこし時間が必要なのかも知れない。キー・ボードのエンターキーを押し、プロンプトをひとつ増やす。ドアを開け、奥山のいる部屋に戻った。
 晃子と吉川が私をみる。私は奥山のベットの