2010年9月 Archive

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列島いにしえ探訪 -恐山-. デザイン写真ポスターby kitazawa-office

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     上野地下道 4.
 
 
 
■「ドサ健博打地獄」という阿佐田さんの作品がある。
 放浪記の番外編であるが、ま、カムイ外伝みたいなものです。
 
 
 
■ 今をサルことひと昔。
 yominetに、田園調布に実家があるという彼がいた。
 麻雀放浪記はその1巻につきる。とか、生意気なことを言う。
 旧帝国陸軍の軍装、またdosや当時のプログラム言語にも詳しかった。
 いつぞや、手書きのhtmlで作成されたサイトを作り、画像などを載せる。
 ベランダというか、物干しで猫を抱いている本人の姿である。
 我々はおまえ40万画素のコダック買ったのか、こんど貸せと騒いだ。

 
     上野地下道 3.
 
 
 
■ 地下道を昇って、アメ横を歩く。
 高いのか安いのか分からない品物が並んでいる。
 実は高いことがほとんどで、例えばとんかつ定食の値段をミタマエ。
 いわゆる出稼ぎに来た人たちが、故郷に帰る道すがら。
 その名残を色濃く留めていた。

 
     上野地下道 2.
 
 
 
■ せんだって、じきに40になろうという知人がモバイルを持っていた。
 袱紗から取り出す。
 お、いいじゃないか。それどこで買ったんだい。
 北澤さん、こういう場合は紫なんですか。

 
     上野地下道。
 
 
 
■ 随分と前のことだが、上野駅の中に競馬競輪の案内版が立っていた。
 いつ開催されるかというそれである。
 ネガフィルムで1枚を撮った覚えがある。
 湿った階段を降りると飯屋があり、ホッピーが普通だった。
 電気ブランをみかけたことはない。
 
 
 
■ 浦和でもどこでも。
 鳥打帽を被って男たちは出かける。
 薄毛というか禿にとって、帽子とは下着のようなものだ。
 30代勤め人が、携帯とモバイルを誇示しながら歩くことにも似ている。

 
     草競馬流浪記 2.
 
 
 
■ 巻末に必勝法のようなものが書いてあった。
 まずは馬券を買わないこと。と、されている。
 この諧謔が分かるには、随分とモトデをかけなければならず、何をしにいくかと言えば、負けるために出かけるのである。
 
 
 
■ 川崎の界隈に、いわく言いがたい風情の競馬場がある。
 山口さんの「草競馬流浪記」にもそこは描かれているが、数年前も似たり寄ったりの空気だった。すぐ前が確か工場。
 私は何をしにいったのか。
 なんということもなく、途方に暮れていたのである。

 
     草競馬流浪記。
 
 
 
■ 山口瞳さんにそうした名著がある。
 まだ身体をそれ程壊されていない頃合だろうか、文章に山口節ともいうべき歯切れの良さと、そこはかとない不良の匂いが濃厚である。
 何度か緑坂に書いたけれども、いわゆる「いかがわしさ」というものへの親和性というか、自分は所詮すこしはみ出たところにいるのだという自覚がその根底にあるように思える。
 
 
 
■ 私は競馬や競輪をやらない。
 これでもバランスを採っているつもりだからである。
 学生時代、芝の公園でテニスをしていたという知人がいて、極めてお堅い仕事についているのだが、彼は隠れ競馬ファンであった。
 IBMのソフトで競馬に関するサイトを作っていたこともある。

列島いにしえ探訪 -恐山-. デザイン写真ポスターby kitazawa-office

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     湯治場に篭もる。
 
 
 
■ 島尾さんは書いている。
 一夏か一冬、湯治場のような温泉に篭もり「大菩薩峠」全18巻を読みふけりたいものだと。
 
 
 
■ この気分は痛いほど分かる。
 それができるのは、青年期から中年壮年にさしかかった時のナカヤスミのような頃合で、例えば致命的ではない外傷や痔の手術などで、暫く入っているような時だろうか。
 西成の階段にいた彼らが時代小説を手にしていたという話は聞かない。

 
     島尾さんの恐山。
 
 
 
■ 島尾さんが、大菩薩峠の9巻だったかに解説を書かれている。
(九)流転の巻。
 時代小説文庫。カバーは横尾忠則さんである。
 
 
 
■ 島尾さんのそれは、数頁程の短い文章なのだが、もう10年ほど前古本で見つけ、時折捲っては記憶の隅にあった。
 
「うまく言えないが、『大菩薩峠』は私にとって幕末の日本を手がかりにした日本人論の百貨辞典のようなものだ(略)。私は青年期に『大菩薩峠』を読むことによって自分の中の日本人のさまざまな淵をのぞいてきたように思う(前掲:410頁)」
 
 
 
■ ここでひっかかったのは「淵」という表現である。

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