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2009年05月13日

「緑色の坂の道」vol.4335

 
     運河沿いの道で。
 
 
 
■ 羽田から首都高へ抜ける道が好きで、意味なく走ることがある。
 多摩川とモノレールの陸橋にはさまれ、視界が開ける。
 何度ここへ車を停め、カメラを持ち出そうと考えたか分からない。
 残念ながら駐停車は禁止でそのまま先へ流す。
 どの国の空港とも同じ、殺風景で、雨の夜に独りで歩いていたらほとんど泣きそうになるだろう風景である。
 たまに空が赤い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4336

 
     羽田トンネル。
 
 
 
■ 暫くモノレールと併走した。
 車体は昇ったり降りたりして、雨に汚れた銀色である。
 左手に運河が見え、白い小型の船が係留されていた。
 急な坂道を昇ったとたんにトンネルである。
 黄色のタイルがところどころ剥げ落ちている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4337

 
     フォア。
 
 
 
■ 何時だったか芝の辺りの渋滞で、耳慣れた音がした。
 ズゥゥン、という低い四発の排気音である。
 ちらりと見ると、青色のホンダCB750 Four そのK2辺りだった。
 
 
 
■ 私は今日2つ目のMTG、打ち合わせに出かけるところで、なんとはなしにくたびれていた。いわゆるバブルの頃に学生だった彼らが中堅になり、本腰を入れてゴルフ自慢などを始めていたからで、その話を聞いているのが億劫だった。多分顔に出ていただろう。
 暫く遠巻きにしていると、厳しい淘汰の話も聞こえる。
 
 
 
■ テール・ランプのブラケットがK2だった。
 が、音それ自体はOHする手前のクリアランスの広がったピストンと、音量の大きなK0用マフラーではないかと思われた。
 タンデムである。
 後部座席にはジーンズと短いブーツを履いた細い男か女がまたがっていて、タクシーの脇をすり抜けて見えなくなった。
 程度はかなりいい。メッキの辺りが半ばオーバー・レストアのようでもある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4338

 
     フォア 2.
 
 
 
■ シルバーとゴールドのK2には間をあけて暫く乗った。
 事故ったのもそれだ。
 キャブの調整がなかなか難しく、全開で160から先がじりじりと進まない。
 メーターで180を超えたかどうか、その辺りで直線が終わるのである。
 
 
 
■ 乗りやすいといえば乗りやすく、シングルのディスクは暫く空走してからどうにか効いたことを覚えている。
 当時の大型バイクはリア・ブレーキの使い方がある種、要だった。
 今のプラグやエステル系オイルなどを入れれば、もうちょっと廻るだろうか。
 廻ったからどうだということもなく、CBナナハンは音である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4339

 
     フォア 3.
 
 
 
■ 羽田トンネルの辺りを通ると、昭和のことを思い出す。
 横羽に今ほどLH式レーダーが埋まってなかった頃、時折綺麗なS30のZや、510の1800SSSなんかとすれ違った。
 いい気になって中華街に停めておくと、タイアに穴を開けられたりアンテナを折られたことも何度かあって、女を口説くつもりが高くついた。
 
 
 
■ 季節はめぐる。
 怖くて入れなかったような店がどうってことないことを知り、ダビドフの財布が半額になっていても欲しいと思わなくなってしまう。
 薄く訳アリがひとつふたつ。
 たまにでいいと思う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4340

 
     手前で億劫。
 
 
 
■ あるとき、駐車場に男が立っている。
 小太りの背の低い彼である。
 すると帽子を被った女性がエレベーターから降りてきて、こちらを見ては逃げるようにメルセデスのCLに乗り込んだ。
 AMGではないはずなのに排気音が大きい。
 なんだマネージャーか、と思うとつまらないもので、私は携帯以外でTVを見ない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4341

 
     ゆっくりした芸風。
 
 
 
■ 六月が近くなって、棚の中からミルト・ジャクソンを取り出して流した。
 窓の辺りから薄い月が見え、まだ雨には至らない。
 MJQもいいのだが、すこし整然としすぎたところもあって、私はどちらかといえばカラヤンは苦手である。
 
 

2009年05月21日

「緑色の坂の道」vol.4342

 
     柘榴。
 
 
 
■ 割り切れない気分で会合やMTGが終わるとする。
 またはパーティのようなものである。
 生臭いな、と思ってみたり、少し貧乏くさいと感じてみたり、そこは浮世の義理でイタシカタない。
 うんうんそうなんだ俺忙しいんだ、と携帯を耳に当てている背広姿の年配の方がいる。 そこで仁王立ちにならなくても宜しいんじゃないでしょうか、と思うのだが口にしない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4343

 
     柘榴 2.
 
 
 
■ 明日はとうきょうに出て行くからは
 なにがなんでも勝たねばならぬ
 
 
 
■ とかいう歌が昭和の半ばに流行った。
 気持は大変分かるのだが、これでは年中生理前のようでこころ休まる暇がなかろう。
 踵が磨り減っていたりもするのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4344

 
     柘榴 3.
 
 
 
■ なんとなく嫌になったので、いつもの坂道を昇った。
 どちらからいきましょうか、と聞かれたのだが、あそこの裏手と答えた。
 歩いてもいい距離なのだが、この辺りの傾きがわからない。
 
 
 
■ 入り口からひとつ開けた血膿色のスツールに座る。
 なんとなく定位置になっていて、ショルダーをそこにかけ、それから葉巻が並んでいる部屋というかなんというかに入る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4345

 
     柘榴 4.
 
 
 
■ 分からないことはソムリエに尋ねるべきである。
 彼はまだ若いのだが、朝まで仕事をした後はとぼとぼアパートまで戻るというのだが、自腹切って確かめているだけあって、微細な味についての解説は的確である。
 ちょっと言う通りにした。
 ラム、安いのくださいと頼んだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4346

 
     柘榴 5.
 
 
 
■ ここまで書いてきて、なぜ「柘榴」なのか分からないでいる。
 酒というのは、高いか安いかということではなく、それが旨いかどうかだとは思うのだが、それも一度か二度、高いんじゃないかなというものを嘗めてからのお話だと先輩筋の方に聞いた。
 葉巻には案外甘い酒が合う。
 葡萄を酒に漬けたものが出てきて、その作り方を聞いたのだが、正確なところは忘れてしまった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4347

 
     伊豆カブ。
 
 
 
■ 先輩筋の方がギンザ界隈にお勤めになっていた。
 ガッコというかその後というか、訳のわからない間柄である。
 よくあることだが一度離婚され、養育費を払い、岡惚れをして実らず、何故かは知らねども巫女さん方面と同居されていたという。
 年賀にはびっしりと時の政治を憂う文面が並んでいて、先輩らしいなとご健在を喜んだ覚えがある。
 
 
 
■ 何時だったか機会があってお会いした時、最近は伊豆方面へ足を伸ばしていると言われる。
 小田急すか。
 馬鹿言えおめえ、毎週だともたねえ。各駅だ。
 そっスね。
 尋ねると伊豆半島も随分先、無料の露天風呂が道端にいくつもあるその辺りを散策されているという。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4348

 
     伊豆カブ 2.
 
 
 
■ 白壁の飾りが見事な職人がいた。
 狩野派ほど洗練されてはいないのだが、確かにその流れを汲んでいるかのようで、文化の伝播というのは面白いものだ。
 高台に土蔵があり、その倉というか小振りの蔵にも飾りがある。
 
 
 
■ そこを貸してくれてさ。
 はぁ。
 定年したらいこうかと思ってるんだが、おめぇ土地買わねぇか。
 いやいや先輩、カブ買いましょう。75か90。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4349

 
     伊豆カブ 3.
 
 
 
■ 私は馬鹿なので、カブにモチュール300Vを入れたらどうなるかと思った。
 ついタコメーターを付けたくなって、ハングオンで岬の外れを廻る。
 誰も誉めてくれないんじゃないか。
 エンジンを切ったらとたんに寂しくなって、夜になると漁火が綺麗だ。
 
 

2009年05月28日

「緑色の坂の道」vol.4350

 
     なれのはて。
 
 
 
■ 雨である。
 先日から薄い風邪が躯に入ったようで、億劫で仕方がない。
 若かった日々はもうかえってこない、と「日の移ろい」の島尾さんの台詞が浮かぶ。
 前からそうだったようなところもあって、まあなあ、そういうもんだよなと思い直している。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4351

 
     冷た優しい。
 
 
 
■ 緑坂に仕事の話を書くのは野暮である。
 このところ外苑西通りには、駐車違反の取締りの方が薄い緑の制服であらわれる。
 ランチや茶を飲んでいる間、つい時計を見てしまう。
 この辺も混んできたよね。
 陸の孤島とか呼ばれた頃合、私はたまにチョコを買いにきた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4352

 
     かげが光る。
 
 
 
■ ある程度不幸な方が仕事がしやすい。
 と、考えていた時期があった。
 40代始めまでは確かにそうである。
 半ばを過ぎ、大台に乗るようになると、また別の考えも出てきて、実はあらかじめ決まった場所に片足を突っ込んでいなければ仕方がないと思うようなところもある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4353

 
     かげが光る 2.
 
 
 
■ 濫読の時期というのが周期的にあって、積み上げては捨てる。
 メモを取ることも取らないこともあるが、いずれにしても一定の量が溜まり、それがじたじたと発酵するのを待っている。
 日が暮れら。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4354

 
     複雑なボール。
 
 
 
■ アトリエというか仕事場というか、あちこちの蛍光灯を取り替えた。
 私は電球色のそれが好きで使っているが、まだ寿命ではない時期なのに替えてみると随分明るさが違う。これで同じ消費電力だったのかと思うとそういうものである。
 メーカー毎に微妙に色温度が違うので、同じメーカーのものにしなければならない。
 ポジを確認するライトボックスがあって、こちらもそろそろ交換時期。
 うっすら埃が被っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4355

 
     堅気のマセラティ。
 
 
 
■ どうもセダンが好きで、指折り数えるとその割合が多い。
 いくらチューンしても骨格そのものから違うのだが、それでもドアの4枚ある箱が好きだった。
 ヨーロッパフォードにモンディオのST220という車があるのだが、これがどうもよく出来た箱らしく、やりすぎないB4といった按配らしい。
 バッチを外せばふたつ前のトヨタかヒュンダイかというスタイルなのだが、こういうのが好きな人達というのはいるもので、時折集まられてはその屈折の度合いを自慢されているという。
 30代後半-40くらいだったらそうしてたな確実に。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4356

 
     堅気のマセラティ 2.
 
 
 
■ ST220はゲトラグの6MT。
 3リッターで220の0-100が7秒ほど。
 適宜な性能の割りに、ゲトラグときているところが困ったものである。
 
 
 
■ ヨーロッパフォードには、名の知れたチューナーというかプロデューサーがいて、最後の最後までセッティングを詰めるという。
 飛ばしはしないのだが、いつもの道を曲がったり止まったり。
 それを勤めるのはイングランド出身の元F1レーサーである。
 チューニングはたった5%の割合でしかないのだが、その出来不出来で車そのものの仕上がりが全く違うという。
 この辺り、デザインにも写真にも、または文章の世界にも通じるところ。
 もちろん、プログラムの世界にもである。
 
 

2009年05月29日

「緑色の坂の道」vol.4357

 
     堅気のマセラティ 3.
 
 
 
■ とあるハードボイルド作家がマセラティに乗っていた。
 ビトゥルボから始まって、あれこれであるが、当時の私は少しにやにやしながら眺めていた。
 一度も浮気をしたことのない男が女について語る時、どうしてもオクターブ高くなる。
 いわゆる中年デビューである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4358

 
     雨上がりのマセラティ。
 
 
 
■ ライトが四角い頃のクアトロポルテが、坂の途中に顔を出す。
 乗っているのは30代後半程の妙齢である。この場合、本格派を省いた。
 ところが、実際にはプラス10からなのであって、見た目の若さについては一定の場所と時間によっては特定できないことがある。
 顔付きは狐系とは限らない。
 するりと流れに乗るとき、そのひとは軽く会釈をしていた。
 
 

2009年05月31日

「緑色の坂の道」vol.4359

 
     小津の50.
 
 
 
■ 原田雄春さんのインタビューを蓮實重彦さんがまとめた本を読んでいた。
「小津安二郎物語」(1989:筑摩書房刊)である。
 原田さんは松竹での小津監督のキャメラ担当。「戸田家の兄弟」以来、コンビを組んでキャメラを廻した。
 活動屋ってのは基本的にヤクザなもので、その底には道化と反骨の気概があるのだが、そうしたことを伺わせるに足る、渋味溢れる一冊だった。
 
 
 
■「あいつはワーナー・ブラーザースだよ」
 その心は当時流行っていた映画「名犬リンチンチン」
 説明は不要、であるとか。
 「ワン・ナイン」という隠語が出てきてにやりとする。
 F1.9のレンズが出始めた頃で、絞り開放という女性相手の軽口である。
 ったくどうしようもないなあ、という世界のやりとりだが、撮影所の雰囲気というのは基本的にこんな感じだったのだろう。
 
 
 
 
■ 独特のローアングルでは、ほとんど広角を使わなかったという。
 50ミリだと。
 広角特有の歪みが出る事を嫌ったからだが、成程と思わせる逸話だった。
 晩年、松竹と一年一作の契約を結んでからは、ほぼ一月以上をロケハンに歩くと。大体が真夏で、皆汗だくになる。
 その写真を見ると、小津監督だけがカラーの大きな白いシャツを着ている。
 顔の大きな小津監督は、そうしたシャツだけを好んで作らせていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.4360

 
     顔の大きな佐分利信。
 
 
 
■ 例えばビール瓶を出すという。
 始めは大瓶を使い、その後のカットでは小瓶に置き換えたりする。
 大瓶のままだと、画面上で目障りに成り過ぎるからだが、考えてみれば小細工なんてものじゃない。ほとんど広告写真の世界である。
 同様に、ある女優を2.5メートルで撮って、その後佐分利信に切り替わるとき、すっと3メートルまで引く。
 同じ位置とレンズでは画面に大きく写りすぎるからだという。
 
 
 
■ 今ならズームか、というとまたそうでもなくて、微妙に背後のボケ方が変ってしまう。
 基本は50で、そしてゴザの上に置いた「蟹」と呼ばれた三脚というか台座で、這いずりながら構図やカットを決めていく。
 動画と静止画というのはまた別の文法だが、確かにこれ一本で撮ると決めた時の方が実は良いものが出来たりもするものである。
 
 
 
■ 撮影後の小津組のスナップを見ていると、確かに佐分利信の顔は大きい。
 小津監督より一回りくらい膨らんでいるような感じもして、あれはなんという映画だったか、セットのバーにふらりと入ってくる場面を思い出した。
 田中絹代さんが奥様役のそれである。