2008年7月 Archive

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     ヴェルマ。
 
 
 
■ セントラル街には、黒人だけが住んでいるのではなかった。白人もまだ住んでいた。私は椅子が三つしかない理髪店から出てきたところだった。職業紹介所からまわされたデォミトリオス・アレイディスという理髪職人がそこで働いているはずなのだった。小さな事件だったが、その細君が良人を連れ戻してきてくれたら、お礼をするといったのだ。
 男はその店にいなかった。結局、私はアレイディス夫人から一文も金をもらえなかった。
 その日は、三月の終わりの暖かい日だった。
(「さらば愛しき女よ」レイモンド・チャンドラー著 清水俊二訳 早川書房 5頁)
 
 
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■ 御存知、チャンドラーの長編、代表作の書き出しである。
「全編に溢れるリリシズムとスリルと非情な眼」と、裏表紙には書いてある。
 今読むと、些か甘い処もあるのだけれども、ひとを「酔わせる」という点では、チャンドラーにかなうハードボイルド作家はいないのではないかと個人的には思っている。
 フィリップ・マーロウという魅力的な主人公を設定したこと。
 当時のロスアンジェルスの風景を、見事なくらい切り取ったこと。
 黄色く変色した文庫本をぱらぱらめくり酒を嘗めていたのであるが、ニコルソンの「チャイナ・タウン」という映画を思い出した。
 確か、映画の宣伝に
「その頃、そうした男はそう珍しくなかった。まだ残っていた」
 などという台詞が字幕に流れていたような記憶がある。
 
 
 
■ いい小説の書き出しには味がある。
 これから何が始まるのか、その空気が数行の中に含まれている。
 晴れているのか曇るのか、曇ってはいてもその密度はどうなのか、一杯目の酒のように、無愛想にひとを試しているのだ。
 
「緑色の坂の道」vol.1578
95年3月

 
     場末にいすぎた 3.
 
 
 
■ 路肩の白線の中に停め、右側のスモールだけを点けて歩いた。
 遅くまでやっている書店に、資料を眺めにきたのである。
 咥え煙草の男や女たちとすれ違う。
 下水の匂いが足元から昇ってきて、うねるようにタクシーが並んでいる。

 
     場末にいすぎた 2.
 
 
 
■ ふたつみつ過ぎると、美人が降りていく。
 地下鉄というのは残酷で、路線とその駅の界隈で人の背丈もサンダルの皮も違う。
 男たちは細いパンツを履いて、先の長い靴が折れ曲がっている。

 
     場末にいすぎた。
 
 
 
■ あるとき、妙にタイミングが合わないことがあった。
 言葉や動作や判断がひっかかり、すっと伸びていかないのである。
 安くて詰まらないものを買う。
 それで得をしたと思う。

 
     夜に鳴く蝉。
 
 
 
■ 都会の蝉は夜に鳴くのだという。
 哀れか、といえばそうでもない。
 遠くで工事の音がする。
 アスファルトを剥がしては塗っている。

 
     グリス 2.
 
 
 
■ それは写真や言葉にも言えることで、例えばどのフィルムを使うのか、乳剤は現像は、と言っていたのが昨日のことのようである。
 今はどのデジタルカメラの特性が自分の好みか。その後処理をどうするかという世界である。トータルでPCのハードとソフトの範疇になる。
 レンズの特性も露出方式もその補正ももちろんそこに含まれて、一体何を基準にすればいいのかがすぐには分からない。
 分からなくていいのだと思われる。
 
 
 
■ 言葉の世界で言えば、何処で句点を打つべきかということに今でも悩む。
 一定の基準はあるのだが、それはその世界でのお話だったりして、実務の中ではまた少し違っていることも多い。

 
     グリス。
 
 
 
■ 車のハブを替えた。
 フロントのみである。
 何時だったかリフトアップした時に左右に揺さぶると、僅かにガタがある。
 調整でもいけるのだが、この際だからと分解してもらった。
 で、どうかというと、ステアリングが重くなる。
 誤差というか、5パーセント程の違いでしかないのかも知れないが、交差点を曲がると直にそれがくる。
 詰まらないことだとは思うが、微細な単位の違いでデザインしている立場からすると身につまされて困るのである。

 
     水の近くで_2.
 
 
 
■ 海から帰った男女が赤い肌をしている。
 彼女はすこし外またで、踊りながら歩いていく。

 
     水の近くで。
 
 
 
■ 酒を嘗めた。
 透明にゆれている。

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