2008年04月27日
「緑色の坂の道」vol.4021
同じセビロ。
■ 最近、会合の時、大体同じ背広を着ていく。
本来は三着作るものらしいが、そこまで余裕はないので二着である。
色は黒っぽいもの。または紺。
革のベルトの時計をしようとすると、大体電池が切れている。
■ 昔からどうも堅気には見えないらしく、それで困ったことが何度かあった。
かといってその筋の方々と厄介になったことは一度もなく、あいつは別だと匂いで分るのだろうか。あれはあっちだからと。
一時期、豚のような逆輸入車を洗いもせず乗り廻していたのは半ばその反省とも言え、なるべく目立たないようにしようかな、と思うところもある。
今もその気分は濃厚だが、いい歳になったのである程度はどうでもいいやというところもある。
2008年04月21日
「緑色の坂の道」vol.4019
「緑色の坂の道」vol.4012
駒沢の912.
■ 桜の頃合、駒沢公園の辺りで一服をした。
路肩に車を停め、階段の辺りまでいって座るのである。
向こう側に背の高いマンションが建っていて、当時色々と物議をかもしたと聞いたことがある。確かに空は狭まったろうか。
■ サックスを吹いている若者がいる。
こちらではダンスの練習をしているのか、10代の少女たちが集まって、その廻りに少年達がいた。
私はブルゾンの腕まくりをしていた。
今時珍しいひとだよね、と言われたことがあって、そういえばジャケットでも右手だけはついひっぱってしまう。
月は見えない。
それほど寒くもない。
2008年04月17日
「緑色の坂の道」vol.4010
「緑色の坂の道」vol.4008
Dewar's 4.
■ 速さというのは相対的なものである。
リミッターが効いて250だという車があったとして、新幹線のようにコンスタントにそれを維持できる訳では勿論ない。
例えば雨の日のサーキットで、F1がタイトコーナーを曲がる映像を見た方は多いだろう。
信じられないくらい速度を落としている。
そこからの立ち上がり、加速の仕方が並ではないのだけれども。
■ 小さな子供が通学している路地で0-100キロを競う奴がいたら愚かであって、何故こんなことを書いているかというと、表現の世界にも似たようなことが言えるような気がしているからだった。
「緑色の坂の道」vol.4004
FUCHS TITAN SUPERSYN SL.
■ 車の世界は、ある一定のラインを超えると、ほとんど単車乗りの世界と変わらなくなる。
BASのゴールドスターなど、まず見ることはないが、もしそれが首都高の一号線、羽田トンネルの辺りを下っていたら、私は窓を開けてその排気音を聞くだろう。
暫く付いていくかもしれない。
川崎のW1Sも同じことで、今走っている個体はヘッドを無鉛対応に換えたそれである。振動でエア・クリーナーが落ちないよう、特殊な接着剤を塗っていても不思議ではない。
■ 今の化学合成のオイルは相当よくなっていて、0W-50とか5W-50を使うとエンジンが軽くなる。エステル系だと尚のことだが、その分耐久性は落ちてしまう。せいぜい3000が寿命だということも多い。
また、乗っても乗らなくても、6ヶ月に一回はオイルを交換した方が車には良いものだとされていた。メーカー指定が例え1.5万キロだとしてもである。
道楽で乗っている場合、実際は季節ごとということになるわけだが。
■ 私は湾岸の外れから海の方角を目指した。
ちょっと確かめるようにアクセルを踏む。
2008年04月12日
「緑色の坂の道」vol.4002
草競馬流浪記 2.
■ この本は、名作「世相講談」の随分後に書かれたものである。
内田百閒の「阿呆列車」シリーズを下敷きにした道中記なのだが、山口さんは内田さんの半ば弟子のようなものだったから、流れとしては自然である。
馬の名前を漢字に置き換えたりしているところは、すなわちそうだ。
「世相講談」というのは山口さん初期の傑作で、向田邦子さんが「わたしはそれ以外認めない」と、言ったとか言わないとか。
仲の良い者同士のじゃれ合いのようなものだが、奇妙に納得もしてしまう。
実を言うと私もこれほどコクのある、つまり元手がかかっている短編は、そう多くないだろうと思っていた。
■「草競馬流浪記」も「世相講談」も、一晩で読み通すには辛い。
思い出したようにぱらぱらと捲るという性質のものである。
「世相講談」と確か同時期に、開高健さんの「ずばり東京」という傑作ルポがあったが、これもかなりのモトデがかかっていて、緑坂で何度か書かせていただいた覚えがある。
■ そういう話をしているのではなくて、ええと。
つまり
「いかがわしいという感じが好きだ。それから、何事によらず一生懸命というのが好きだ。むろん祭りが好きだ。
この競馬場、それが渾然一体となって充満している。
僕は有頂天になり、ほとんど狂喜した」(前掲:17頁)
いかがわしさ、というものについてなのである。
「緑色の坂の道」vol.4001
草競馬流浪記。
■ 春霖もすっかりあがる。
緑の彩度が高く、これが五月まで続くのだと思われた。
緑坂の回数がいつのまにか4000になっていたが、特別の感慨はない。
山口瞳さんの「草競馬流浪記」をぱらぱらと捲る。
■ 私個人はギャンブル一般というものをほとんどやらない。
麻雀パイの読み方も実は詳しくは知らず、廻りから意外に思われることが度々あった。
その理由は自分なりに分ったつもりになっているが、果たしていかがなものだろう。
山口瞳さんはこう書いている。
「僕は、こう思う。飲む・打つ、買うというのは人間の本能である。これをおさえると結果はよくないし、第一、そんなことは不可能である。しかし、飲む・打つ・買うの三つを同時に行うと人間は破滅するとも思っている」(新潮文庫:22頁)
■ 至極当たり前のことを端的に書く。
山口節の基本であるのだが、読者は山口さんの句点の使い方に注意していただきたい。これがひとつのリズムを生んでいる。
2008年04月10日
「緑色の坂の道」vol.4000
2008年04月09日
「緑色の坂の道」vol.3997
2008年04月04日
「緑色の坂の道」vol.3995
2008年04月03日
「緑色の坂の道」vol.3993
覚めても胸の騒ぐなりけり。
■ 今、私のいるところから一群の桜の枝がみえる。
散策しているひとたちもいて、そこへ入ればいいのにとも思うが至らない。
ここ数日のあいだなのだが、桜の白や桃色よりも、周辺にある緑の色と分量が、次第に多くなってきていることに気づく。
枯れ枝だった大きな欅の先の辺りが、薄く煙ったようになって、次第に上を覆うのである。
表参道の辺りを車で行き来すれば、もう空は半分しかない。
■ この浮き足立った感情を抑えるのにすこしばかり苦労する。
このまま吉野へいこうとか、嵐山界隈でぼんやりしようとか。
または海沿いにある桜の樹を捜しにいきたい、などと考える。
いったら最後、暫くは風来である。
悔しまぎれに、ソメイヨシノはどうも埃っぽくていけない。
など、知ったようなことを言って、乾いた寿司を摘まむのである。
「緑色の坂の道」vol.3990
湯女絵図 2.
■ 湯女というのは江戸の頃生まれた一種の遊女である。
ここから微細な薀蓄に流れてもいいのだが、緑坂の読者には野暮なことだろうからやめにする。
そういうサービスのようなものがあったということで。
どこかで江戸の町の独身率を調べた文献があったような気もするが、今、捜すだけの気力はない。
■ 風呂あがりにさくらを眺める、というのは思い切りベタである。
俗の極みのようなものだが、それはそれ、昔の銭湯の背景に富士山があったり桜の絵柄が描かれていたことと相通じるところもあるだろう。
一般に、市井の人たちが花見をするようになったのは、秀吉の頃からと言われる。
吉野の花見、醍醐の花見など、残る絵巻には人物よりも桜の方が大きく描かれていた。
