2007年08月20日

「緑色の坂の道」vol.3773

Photo Design / kitazawa-office
This file is created by kitazawa-office
No reproduction or republication without written permission

■パーソナルアドカード 「甘く苦い島 - Insula Dulcamara 」

「緑色の坂の道」vol.3772

 
     ごろごろする。
 
 
 
■ 簾があるとする。
 すだれ、と読む。
 午後なのだが、風を待っている。
 小さな子供がいて、台所で何かを茹でている。熱気が流れると暑い。
 
 来年は違うかたちになっているだろうか。
 同じことを繰り返して、蝉が鳴く。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3771

 
     西瓜。
 
 
 
■ スーパーで西瓜が切られたものを見る。
 これが砂地にあるものだと、そこでは知る由もない。
 
 
■ すると見知ったモデルが低い靴でやってきて、そのひとつを買っていった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3770

 
     タイプ E-4.
 
 
 
■ Eタイプについては、「夜の魚 外灘」で使った。
 フェラーリの456とバトルをするシーンがあって、まだ空いている上海の高速で250まで出す。で、ベルトが切れる訳である。
 確かこれは初出が94-5年だったと記憶している。
 今の上海では、そんなに飛ばすことは非現実的だった。
 大体高速に大きな穴が開いていて、いつ突っ込むか分からないのだ。
 
 
 
■ 上海には何度か行っているが、このところはカメラを持たない。
 せいぜいが小型のデジカメで記録するだけである。
 夕方から夜にかけ、旧租界の辺りで席を取っている。
 タワーと、その向こうに見える煙突の群れを眺めるのだが、ちょっと前の日本も似たようなところがあった。
 
――――
 
一 外灘(バンド)

 対岸に背の高い塔がみえている。
 手前の低い森は次第に暗くなってきて、塔とその背後に直立している幾つもの高層ビルに灯りが点き始めた。
 全部にではない。未完成のものも随分あるからだ。
 低い日が翳った。雲が流れ、すこし風が吹いてきた。茶褐色の黄浦江はところどころ斑に色を変えている。
 埠頭のこちら側を眺めると、灰色に曇った旧租界地帯の建物が並んでいる。建物の高さはそれほどでもない。柱に飾りがあり、照明を浴びるとそれが複雑な影をつくっている。その隙間に赤や紫のネオンが増え始めた。
 私は船のデッキに立っていた。思ったよりも船体は小さく、混雑している印象はなかった。貨客船なのだろう、忙しくコンテナが積み込まれている。
(夜の魚 外灘)
 
 

「緑色の坂の道」vol.3769

 
     タイプ E-3.
 
 
 
■ ややマニアな車になると、オイル代が一回について3~4である。
 メーカーが提唱する15000キロ毎の交換なんてもなあ、新車で購入されて数年で売却される方用のコスト計算で、実際はかなりシビアなものだった。
 例えば欧州車の場合、熱を持つからである。
 
 
 
■ これは大体、酒場でシングル・モルトのボトルを一本入れるのと同じくらいなのだが、畢竟、飲みに行く回数は減る。勿論、ゴルフのコースも廻れない。
 そうは言っても、デザイナや写真家、あるいはあれこれの職種の方々で、週末に打ちっぱなしに通うのが大好きだという方がいれば、それは又違う理由からだとは思う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3768

 
     タイプ E-2.
 
 
 
■ ところが外苑西通り辺りで、シリーズⅠの4.2、そのオープンを時々みかける。
 半ばレストアをしたかのような程度である。
 少しやり過ぎかなという感じもあるが、幌の色は濃紺で、こういった組み合わせというのは案外に趣味がいい。
 その隣にゴルフのカブリオレ、その初期型が何時も停まっていたりした。
 私はてくてく歩いてきた打ち合わせの後、ドーナッツを買って帰ったりする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3767

     タイプ E。
 
 
 
■ Eタイプというのは、ジャガーのことである。
 伊丹さんは「ヨーロッパ退屈日記」の中で、ジャグヮーとか書いていた。
 薄っすらと埃を被ったロータスなどという話も出てくる。
 
 
 
■ 一度所有してみたいもんだよなあ、と思って20年近くが経つ。
 国産のあれこれを買うよりは遥かに安価なのだが、要は踏ん切りと覚悟がないのである。
 ゼニス・ストロンバーグ、のキャブ。
 と書けば、12気筒の対米仕様で、恐らくはそのままでは実速200程度だろうか。
 スタイリッシュなのはシリーズⅠと呼ばれた直6の方だが、これはMTしかなく、都心で足にするにはやや厳しい。
 足にしようとすること自体間違っているのだが。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3766

 
     海沿いの雲 2.
 
 
 
■ 友人には車好きな奴らがいて、坂道を下った辺りにある店で時々顔を見る。
 皆かなりの大人なものだから、一週間交換しようぜということも、時々はある。
 ほとんど単車のノリなのだが、相手のことがよく分からないと、例えばバイク、単車というものは跨らせるだけでも嫌なものだった。
 
 
 
■ 彼の会社のハイエースなどは助かった。
 返す段になってガスを入れると、オイルが半分も入ってないですよ、とか言われる。
 それじゃ足しといて、と、2リッター入れてもらった覚えもあった。
 彼の会社は上海辺りと貿易をしている。
 埠頭にある倉庫前コンテナの傍で、握り飯とペット・ボトルの茶を飲んで海を見ていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3765

 
     海沿いの雲。
 
 
 
■ 八月というのに海にゆけない。
 サンダルを履いていない。
 何時だったか地下鉄で眠り込んでしまい、三崎口の辺りに着いたことがある。
 あれは秋の終わりだったか、そのまま暫く歩いた。
 案外に寒い。
 
 
 
■ MTGの後、買い物をして、それから外のカフェで茶を飲んだ。
 煙草が吸えるのは一番端だけである。
 子供が遊んでいるのだが、よそゆきの服だ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3764

 
     色の決め方。
 
 
 
■ 今、スタジオというか仕事場には複数台の液晶モニターが並んでいる。
 色の出具合から言えばCRTが好みなのだが、暫く前に生産中止になって、致し方なく導入した。いわゆるプロ用のそれである。
 厳密には二週間に一回、専用のソフトを用いて色合わせをしなければならない。
 スタッフに頼むこともあるのだが、最後のところは自分で行う。
 同時期に買った同じ型番のモニターでも微細に色目が違い、どの辺りまでを誤差とするかは曖昧である。数値表示されるソフトを使ってもである。
 
 ただそれよりも。この色かな、という決断は数値とは違うところからくるようで、それを掴む方が厄介なような気もする。
 昨日だったか、夕方の空がきれいだった。
 

「緑色の坂の道」vol.3763

     ドウシタラヨカロー。
 
 
 
■ 語尾を延ばすようになったのは、伝染した方々がメールや会話で使い始めてからである。
 それが妙齢にもうつる。
 赤坂もしくは青山の裏手、場合によっては大手町界隈を歩きながら、あ、終電ねえや、ドウシタラヨカロー。
 Tバックずれちゃった、ドーシタラヨカロ。
 など、活用形が生まれた。
 ほとんど知ったことではない世界である。
 
 私は別名フケの北澤と呼ばれているので、そういう気配を察すると、ちょっと煙草買ってくらあ、と路地を曲がってそそくさと去るのである。
 
 

2007年08月09日

「緑色の坂の道」vol.3762

 
     ドウシタラヨカロ。
 
 
 
■ この台詞は随分と流行った。
 元は吉行さんなのだが、ある意味で落語の演題に似たところがあって、初版とその後のものでは表現が違う。
 つまり無駄が省かれてゆくのだが、概ねコピーやネーミングの精製過程にも似ているだろうか。
 
 
 
■ 昔、あるところでセンセをしていたことがあったのだが、そこはネットを用いるところだったものだから、畢竟ここに書いているような按配になった。
「按配」とは正確には塩梅ではないのカ。
 いやいや、按排が正しい。
 などという議論がなされる。
 正解はいかに。
 
 
 
■ というネット上でのやりとりがあって、私はすこしばかりうんざりして腹が減ったことを覚えている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3761

 
     そういった按配で。
 
 
 
■ 何故そういうことを思い出したかというと、メールが来たからである。
 そこに書いてあった。
 緑坂というのはコアなファンがいたらしく、あの雑誌にコラム書いていたのは北澤さんでしょっ、とか言われることが何度かあった。
 覚えがないのだが、ま、そういうことにしておく。
 
 
 
■ この「ま、」というのは吉行さんの影響である。
 句読点まで括弧に入れておく。
 通常は「まあ」などと書く場合が多い。微妙にニュアンスが異なる。
 吉行さんというと「砂の上の植物群」や「夕暮れまで」など、純文学が有名であるが、その真骨頂は随筆・エッセイ、あるいは対談の妙味などにある。
 それから、いわゆる風俗小説の一群だろうか。
 夢もチボーもない青春後期、ベランダで小さなトマトと桔梗に水をやりながら、繰り返し読んだもののひとつがそれであった。
 意味を理解するのは暫く経ってからで、今手元に「軽薄のすすめ」(角川文庫版)があるのだが、解説は山口瞳さんである。
 
 
 
■ この本の愁眉は「戦中少数派の発言」だろう。
 何度か書いたので、書き写す気にはなれない。
 皆が右を向いているとき、自分独りだけがそれを拒否する。
 それはイデオロギーとか思想の問題ではなく、生理的な拒絶なのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3760

 
     なんだろな。
 
 
 
■ なんだかな。
 いってみようか。
 そうしよか。
 
 
 
■ 何時だったか読売のYominetにこんな緑坂を掲げたことがある。
 写真は二匹の猫。
 猫がくるりと後ろを向く。
 どこだったかな、確か海近くの坂道で撮った。
 
 

2007年08月07日

「緑色の坂の道」vol.3759

 
     遠花火。
 
 
 
■ 夏が終わる。
 遅れて音がする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3758

 
     すこし風の日 5.
 
 
 
■ ICレコーダーに録音したものを、メールでスタッフに送る。
 いわゆるボディの部分の下書きをしてください。
 ということなのだが、冗長なので最終的には手を入れねばならない。
 
 
 
■ コピーやネーミングを出す場合、いくつかデザインの雛形がある。
 そこに流し込んでもらうのだが、ポイント数とフォント、それからカーニングの指示を付与する。位置は大体この辺り。
 この場合には黄金分割などではないよ。
 pdfに落とすのだが、セキュリティは先様の都合がいいように。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3757

 
     すこし風の日 4.
 
 
 
■ 携帯というのは、簡単に言えば指先である。
 爪先を塗れるひともいれば、そうでない立場のひともいる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3756

 
     すこし風の日 3.
 
 
 
■ 明け方になって私は戻った。
 高速を200に少し欠けるくらい走ったことになるだろうか。
 24Hのハンバーガー屋で飲み物と小さいパンを買い、車の中で食べる。
 そういえばそこに居た彼女は、始発で帰るのだろう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3755

 
     すこし風の日 2.
 
 
 
■ それは携帯電話に関わるものだった。
 ターゲットを想定し、夢をみて、そこから余分なものを削ぎ落とす。
 言葉は浮かぶのだが、今度はそれを理論的に説明する作業が待っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3754

 
     すこし風の日。
 
 
 
■ ネーミングの仕事をいくつかしていた。
 この季節、突然入ってくるものもあって、それは八月だからである。
 組織の個人は、かわりばんこに休みに入る。
 
 
 
■ 見知った担当者から添付があって、ここ一日二日でという。
 メールを確認したのが午前の頃で、それからファイルをいくつかに変換。
 車に乗って風の吹く海沿いに出かける。
 湾岸は風速が17メートル。120出すと振られる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3753

 
     水の祭の雨は白いよ。
 
 
 
■ 七月が尽きる。
 けれども、どうも夏だという気がしない。
 窓を開け、月を眺めていた。
 高いところにある。