2006年08月22日

「緑色の坂の道」vol.3745

 
       ブルースウェイ。
 
 
 
■ ある日のことである。
 ボルボのV70 ですこし遠出をした。
 V70 というのは2.5リッターのワゴン。内装は革ではないが、大降りのシートは疲れなかった。
 運転はというと単にFF、あるいはFWD形式の普通の車である。タイアだけがピレリのP600を履いていて、当たりは柔らかいがそれ以上でもない。
 後部シートを半分だけ倒し、あれこれ荷物を積んでみたのだが、それが高さのあるものならばともかく、大型セダンとそれ程の差異はなかった。
 
 
 
■ 後部に棚を付け、三脚の脚を伸ばしたまま数本放り投げ、撮影をしていたという高名な風景写真家の方がいる。ボルボの前はスバルで、最も初期の頃はサニーだったというからにやりとしてしまう。ここで本格的な四輪駆動にいかなかったところが、この方のスタンスを示しているのだが、この辺りになると厄介な話になるので割愛しよう。
 当時の撮影機材も、AE-1,F-1.T-90 などが並んでいて時代なのだが、決してこのレンズの描写がなどという方向には流れなかった。ツァイスがどうだ、などとは言わない。
 基本はズーム複数本。
 撮影に速度感を導入したというのが、この方の新規性だったように思う。決して何日も同じところで粘ったりしない。取材にいけば、必ず成果を持って戻られる。
 
 
 
■ ボルボで峠を越えようとして、どうも気が進まず戻ることにした。
 エンジンの音はベーベーと煩い。踏んでも回転だけが上がって速度が伴わず、詰まらないのでTRC(トラクションコントロール)をOFFにしてみたが、後ろに荷物があることを忘れ、尻は流れなかった。
 この型番は外から眺めると、結構知的で格好よく見えるものである。
 世田谷や杉並などの山の手に、新車から生息しているかのように思える。
 実際そういう車が多く、数年前、深沢の辺りに240のほとんど走っていないものがあって、買わないかという話もあった。
 やや迷ったのだが、私は機材を積み込んで走るタイプの写真家ではないので止めにした。それよりも、その240のバリ物が赤だったのが気恥ずかしかったのかも知れない。
 あれ160も出ないだろうな、と思ったりする。
 
 

2006年08月21日

「緑色の坂の道」vol.3744

 
       15 の 夏。
 
 
 
■ 昔、玩具という源氏名の芸者がいたと、誰かの花柳小説に書いてあった。
 なかなかのネーミングである。
 私はと言えば、地下に降り、AMGのエアクリーナーを交換していた。
 ボンネットを直角に近くあげ、備え付けのライトで照らしながらである。
 自分からエンジンの整備をするのは久しぶりで、汗が滝のように流れるのも苦にならない。
 整備の時にエアを吹いたというが、捲ってみると虫の死骸などが挟まっている。
 雑巾を絞り、内部を繰り返し拭いていた。
 
 
 
■ 0-30Wとかのオイルを入れると吹けはよくなるけど、メタルが持たないよ。
 と言ったのは麻布の裏手にある自動車屋の親父である。
 面白いし速いけど、金かかるよこれ。
 と、ニコリともしないで脅かす。
 隣ではレクサスの新しい奴のボンネットを開け、整備工二人が、手が入んないねえこれ、カバー外さないと、などと言っている。
 メタルというのは、コンロッドの辺りを指すのだろう。
 かつてOHV二気筒の単車で、何度かここを焼きつかせたことがあった。
 
 
 
■ 夕方からの打ち合わせが夜になって、その後、流すことにした。
 エアクリーナーを換えてすぐはアイドルが若干高くなるのだが、暫くするとCPUが認識して500prm 辺りに落ち着く。確かに車は軽くなった。
 普段、決して汗をかくこともない私だが、撮影のときと車の時だけは別である。
 まだガキだった頃、50のバイクがガス欠で、炎天下半日押して帰ったことを覚えている。リザーブになっていることを知らなかった私は、15だった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3743

 
       残夏ジダラク。
 
 
 
■ カタカナで書くと、なにか別のものになる。
 ような気がするのは一部マニアだけで、そういえば炭酸を買ってこないとハイ・ボールが飲めない。
 
 

2006年08月18日

「緑色の坂の道」vol.3742

 
       雨夜風鈴。
 
 
 
■ その頃通っていた女のところは、窓に茶色のブラインドがあって、その横に風鈴がぶらさがっていた。
 誰と買ったものか、そういうことは聞かなかった。
 湿った空気の中で窓を薄く開ける。
 煙草の煙が逃げてゆく。
 
 
 
■ 帰り際、小銭が足りなくて、女からもらった。
 コイン駐車場まで歩くと、珍しく瓶の牛乳が玄関先に配られている。
 十年前なら一本盗んだところか、と思いながら雨上がりの道を歩いた。
 
 

2006年08月17日

「緑色の坂の道」vol.3741

 
       海に降る雨。
 
 
 
■ 人気のない駐車場の横にとめる。
 チェーンが貼られ、中には入れなくなっている。
 そこに猫がいたりして、お、と思った。まだ子猫だ。
 
 
■ 私たちは浜辺の方角へ歩く。
 今年は何をしたっけ。なにもしてないね。
 それでもいいじゃないか、という気になっている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3740

 
       夢の日。
 
 
 
■ なにもしない。
 ガラスに残る雨の粒をみている。
 
 

2006年08月16日

「緑色の坂の道」vol.3739

 
       角のポケット。
 
 
 
■ 調べ物などをしながら、緑坂を書いている。
 夜になってすこし体内電池が復活し、机の中に潜んでいた角のポケットを取り出している。
 夏にクルセーダーズは暑苦しいが、ジョー・サンプルだけだとそれ程でもない。
 プラスッチックのコップをなくしたので、瓶の口に唇を近づけて嘗める。
 生理痛の薬飲んでいて、いいのかこれで。よく分からない。
 
 
 
■ 緑坂というのは、原則としてコメントもTBもつけていない。
 ブログではないじゃないか、という声が一般的だろうが、そういう意味では確かにそうである。だが、ブログというのは元々システム的に出来上がったCMSを基本にしていて、どういう使い方をしても問題はない。RSSなどは付随機能である。例えば携帯電話には様々な機能が付いているが、その全部を使っているのは中学生くらいなものだろう。それと類する。機能はあっても使わない。それで十分なのである。
 暫くネット上で旅をしているあいだ、そのためのブログを適当に作成した。
 無料のそれは五分もあれば出来る。満足はゆかないもののいくつかのデザインも選べた。ある面では Movable Type よりも便利なところもある。そして致命的に不便なところもあるのだが、それは商売である。
 今やネットでブログを作成し、あちこちとやり取りすることは最も安価な娯楽になっている。
 
 
 
■ アクセスを稼ぐこともある程度は簡単であった。
 TBと取り上げる題材、それからその書き方によるのだ。
 例えば主要各紙の社説に対して、毎日コメントをつけてゆくようなやり方もあって、一定の年齢層からするとそれもやや知的にはみえる。書評も同じである。
「ブログ界にとって」という定形の言い方もあるが、どうも私には最後の処で馴染まなかった。無意識の文壇ごっこにしか見えない。
 
 基本的に文章を書くということは孤独な作業である。
 友好的なコメントがあるから励まされるというものでもなく、アクセスがあるから優れているとも限らない。
 そのことを忘れると、いずれどこかで本質から逸れてゆく。
 例えばの話、アダルト系のアクセスは一桁違うのだが、それがどうしたと男達は済んだ後からおもうはずだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3738

 
       上着手に持つ。
 
 
 
■ 髪が伸びたことで時間が過ぎたことを知る。
 数本白髪もある訳だが、まあよく保っている方だということにしておこう。
 夏のセールの頃、綿の上着を一枚買おうかと思ったことがあった。
 元町に本店がある、ある洋服屋の代物である。
 色は紺で、三つボタンなのが残念だった。私は二つボタンが好きである。
 紺は色が褪せるだろうね。
 それは仕方ないですね、気にいったらどうしても洗濯繰り返しますから。
 五十代の店員は、そういってにやりと笑う。
 これ中国製? いや日本製。
 
 
 
■ そんなやり取りをして頭を下げ、別れたのだが、今も少しばかり気になる。
 買っておけば良かったかな。
 で、その後銀座で、半額になっているという赤いブルゾンをふらふら仕入れたのだから仕方がない。一日着ただけで、それから夏だ。
 なんとなく後部座席に放り投げていて、振り向くと黒に朱色である。
 若作りしたいのかしらと、そのたびに思う。
 
 

2006年08月15日

「緑色の坂の道」vol.3737

 
       すこし湿った空 4.
 
 
 
■ 秋の気配がする。
 それは夜の空の色でわかる。
 サンルーフを開け、適当に流していると、遠くにある筈の灯りが昨日より近づいていて、上の方では風が強いのだと気がつく。
 ナット・アダレィのアルバムの中に「Summertime」があって、マイルスばりにミュートで吹いていた。ミュートは陰影を付けるに適しているが、自意識の奥深さが鬱陶しく感じる時にはこれくらいでもいいのだろう。
 水で薄めて聴く。
 
 
 
■ 最初の一口は水割りで、ということを時々やる。
 旨いと思ったり、やや酔って身体が軽くなったりするとショットに替えてゆくのだが、そうなるとこんどは煙草もきついものが欲しくなって困る。
 銀座に菊水という古くからの喫煙道具などを売る店があるが、私はそこで1200円くらいのライターを買っては使っている。ガスを入れることができて、火が葉巻やパイプ用に斜めに出るものだ。
 今まで五つか六つ買った筈なのだが、今捜してみるとひとつも見当たらない。
 酔って置いてきたのか、壊れかけたソファの下辺りに転がっているのかとも思う。
 これがダンヒル辺りだと、勿体無くて決して無くすようなことはしない。
 とは思うのだが、時計を無くしたこともあるので、そうもゆかない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3736

 
       すこし湿った空 3.
 
 
 
■ 電池が切れるとどうなるかというと、ぐったりする。
 薄く頭まで痛くなってきて、生理痛のそれをコーヒーで飲む。
 40代もいいところまでゆくと、あれこれガタがくるものだけれども、頭踏んでも死なない北澤という言い方が一部ではされていて、負けたフリしてしぶといところもある。
 ま、それは、若いうちにムゴーイ目にあってきたからだよ、とうそぶくのだが、人生の早い時期になんにせよピークを迎えるというのはその後が辛い。
 
 
 
■ かつて山本夏彦さんが、自らが主催している雑誌について、よく潰れないですね、と聞かれ「それは全盛期がなかったからである」と答えていた事を覚えている。
 聞くほうも聞く方だが、男なら殴られるところだが、虎ノ門辺りに生息する、育ちはいいが何処か野暮ったい妙齢が相手だったのだろうと思われる。
 全て満ちたものは欠ける。
 美人の寿命は短い。
 お供えの油揚げと同じくらいである。
 
 
 
■ 話が逸れた。
 美人というのはそのあいだになんとかするものだからそれでいいのだが、こと男の場合はそうもゆかない。
 長期戦で臨むことになる。
 その時その時に策略というのは、あるようなないような。
 ビジネス書を山のように読んでも、どうにかなるものでもないということにも似ている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3735

 
       すこし湿った空 2.
 
 
 
■ ならばオタクなAMGなどにしなければいいのに、レンズ買えるでしょう。
 というのが真っ当な世間の声というものだが、新型でないところで勘弁していただきたい。と、誰にともなく言う。
 91年頃のCG(カーグラフィック)を捜して読んでいると、そこにE500というメルセデスのインプレッションが載っていた。
 書かれているのは、熊倉さんである。
 確かこの方は95年位にCGの編集長を辞め、フリーになられた。
 最近は銀座方面にある情報産業の雑誌などにも、とんでもない格好をされて出ておられるが、私はなんとなくこの人のファンであった。
 スノッブになり切れないところがいい。
 
 
 
■ 何時だったか、ホンダ・シティターボ2の記事の中で、これで女子大生のアパートに乗り付けることを夢見る、などと書かれていたこともあって、80年代でしたかねえ。
 アルピーヌのA110 についても、フランス映画の薀蓄を噛ませたりして、つまりは何処か夢見がちなお人柄を忍ばせていた。
 もっと若いときには、単車に凝っていて、バイアルスの125で走ったりもしている。
 それにしても、マスコミ関係者に一時トライアルのブームがあったりして、こんどは200のそれで階段を昇り降りしている30男も友人にいた。
 
 
 
■ ハンドルがアップであれば、階段くらいは登れる。
 カブの90でもウィリーはできるので、私は斜めに見ていたが、つまりそれはその後のアウトドア・ブームに繋がる嘘臭さを感じていたからかもしれない。
 単に車の他に新車のバイク、トライアル車を買えなかったからという説もあるのだが、男の嫉妬は屈折しているのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3734

 
       すこし湿った空。
 
 
 
■ 朝から動いていたら、午後になって電池が切れた。
 靴下を履かなかったからかもしれない。
 ランチを食べようとしたら、普段のメニューしかなく、世間はお盆の後半である。
 
 
 
■ 少し広いところで、雲を見ていた。
 低いところにあって、忙しく流れ、これを200ミリのズームで撮ったら私が普段使うデジタル一眼だと1.4倍くらいになるのだったかしら、と思った。
 ずっとデジタルを否定していた知人のカメラマンが、何時だったか新式のそれを持っていて、おいおいと思ったこともある。二時間酒場で、アナログ万歳を聞いていたからだった。こんどはPCの方が大変だろう。
 2000年になろうとする頃合、私はカラーマネジメントの世界に首を突っ込んでいた。
 いわゆるICCプロファイルなどによる色管理の技術である。
 そんなことを思い出して、いずれ技術は平坦化されてゆく。
 便利になったと思う部分もあるが、では面白くなったかというとそうでもない。
 
 
 
■ マニュアルフォーカスのキャノンを一式、学生に貸してしまったので、リズミカルに巻き上げながら街をスナップするということができなくなった。
 広角の28ミリ程度で絞ったまま、被写体深度を利用して撮る。
 つまり、置きピンにしておくという手法である。
「甘く苦い島」などの1/3はそれで撮っている。時にはファインダーを覗かないこともあった。
 これをライカでやりたいと思っているのだが、28mm エルマリートなどは今すぐに手が出ない。程度の良いものは結構気合の必要な価格なのだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3733

 
       青い花たち。
 
 
 
■ 埠頭の辺りで一二枚を撮る。
 短い三脚を忘れたので、カメラごとアスファルトに置いた。
 ISOが変わらないように設定をして、マニュアルでピントを合わせる。
 若い頃に比べやや眼が悪くなっているので、この辺りも半分は勘である。
 補正をひとつふたつ。
 面倒なので、レリーズは使わない。
 
 
 
■ 私の仕事は、無駄なものを形にすることか、と思うところがある。
 スーパーの店先に、竜胆の花が売っていて、それを三本求めた。
 カメラバックに刺して、革のシートの上に置く。
 ニ割引のハムカツも買う。
 
 

2006年08月14日

「緑色の坂の道」vol.3732

 
       蒼にまわる雲。
 
 
 
■ 夜の空の色にすこし紫が入って、しかも透けている。
 風をみると、もう温くはなく、すでに秋が近いのだ。
 私は港の方角を窓を開けて流していた。
 水路がいくつもあって、その上に橋がかかる。
 陸橋の色も普段は緑なのだが、そこに蒼が加わる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3731

 
       片蔭ラムネ。
 
 
 
■ 日盛り、とぼとぼ歩く。
 犬と並んで歩く。
 遠くに乳母車があって、そちらは涼しそう。
 おばちゃん、ラムネ頂戴。
 と言ってみたいが店はない。
 
 

2006年08月13日

「緑色の坂の道」vol.3730

 
       水の旅。
 
 
 
■ 蝉の声が小さくなって薄暗くなる。
 随分はやくなった。
 遠く花火の音がして、夏が去ってゆく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3729

 
       水の旅。
 
 
 
■ 結局、文章というのはそれだけで自律しているものだという気がする。
 消費されてゆく人も言葉もあれこれも、繋がることを前提にしているからサモシクもなってゆく。
 俺に構うな、とするポーズは裏返しでしかないが、なにそれだって時には言ってみる価値もある。
 
 

2006年08月12日

「緑色の坂の道」vol.3728

 
       月夜の汐路 3.
 
 
 
■ いい歳をして馬鹿じゃないだろうか、と思いながら車で遊ぶ。
 そして、外れたところの堤防によじ昇って、波を眺めている。
 ライトを持てば砂浜に降りられる。
 でも、そこまではしない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3727

 
       月夜の汐路 2.
 
 
 
■ 横横を飛ばして葉山界隈へゆく。
 地元車のトヨタの小型車がとても速く、多分床まで踏んで130を保っている。
 案外にそういうのは嫌いじゃないので、その後を付いていった。
 
 
 
■ 古いメルセデスではセカンドから発進していたが、途中からローに切り替わった。
 今でもSとWがあって、Wはセカンド発進である。
 そのせいでもない、私のAMGは出足の5メートルほどが案外に遅く、タクシーにも置いてゆかれる。1500や2000回転になると、カムに乗るのか一気に吹け上がり、駐車場から出た日吉坂で80とか100近くになるのだからいささか品がない。
 とはいうものの、決して後輪がリバースするようなことはなく、極めて弱いアンダーを保ったまま高速コーナーを抜けてゆく。
 車なんてものは自己満足と見栄の世界なのだが、深夜の湾岸からC2へ曲がる辺りで、決めたラインをなぞることができると、すこしばかりにやりとする。
 Rとか三菱やスバルのラリー用の車に抜かれても、それはそれ。次元が違うのだから、先にいってもらう。
 ちょっと熱くなるのはポルシェのボクスターや、カレラSではない911の水冷で、短い直線とコーナーで遊んだこともあった。
 すぐにループコイルが埋まっている場所が近づくので、それ以上のことはない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3726

 
       月夜の汐路。
 
 
 
■ 短い間に2000キロ程走った。
 所用あって出かけたのが一度。後は首都圏の深夜が主である。
 ETCの請求が怖いが、ま、それはそれとして、短期間に負荷をかけ、悪いところを全部出してしまうのがこうした場合のセオリーになっている。
 実際、ヘッドライトワイパーがひとつ動作しなくなってクレームで治すことになった。近いところ、麻布界隈の工場を紹介してもらう。
 あの辺りは昔から町工場が多く、麻布十番などに対する世間のイメージとはすこし逸れてもいる。坂道の上には屋敷があり、その下側には商店などが広がっているというのが、昔からの東京界隈の風情だった。
 横浜なども同じだ。山手から下ってゆく坂道の途中に、FOR RENT と看板が出ている洋館があって、少しだけ気になって一年になる。
 
 

2006年08月11日

「緑色の坂の道」vol.3725

 
       水菓子。
 
 
 
■ が揺れている。
 光に透かすと、記憶のようでもある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3724

 
       無駄な夏。
 
 
 
■ を過ごさないと、秋からの実りがない。
 と、誰かが言っていたような気がする。
 それは、青春についてだろうか。
 わからないが、その頃には金はなく、明白な目的もなく、あるいはうろついて、高い空を捜していたような気もする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3723

 
       とんかつ喰いたい。
 
 
 
■ という題の随筆が、東海林さだおさんにあって、正確には「とンんンかンつン、くンいンたンいン」である。
 ある日突然そうなるのであって、いてもたってもいられず、上野界隈に出陣してゆくのだが、ま、それは秋になってからのことにしておこう。
 
 
 
■ 大体、洗車をするととんかつ定食の「上」が食べられる。
 考えてみれば鰻もいけるのであって、吸い物も付く。
 洗車って高いなあ。
 いやみなさま、東京というのはそういうところで、自宅の庭先でホースから水という訳にはゆかないのですね。
 駐車場だって酷いしよぉ、と泣いても仕方ないのであるが、地方都市にゆくと案外に新車や外車に友人や後輩たちが乗っているというのは、そういう理由もあるのである。
 人生をそこに注ぎ込める瞬間というのが数年続くのであった。
 大体、配偶者を捜している間ではあるのだが。
 
 
 
■ 洗車もせず、シレっと乗っているのも格好いいものではあるのだが、以前、銀座裏に停めていて、埃だらけの車体に鯨の絵を描かれたことがあった。
 それで妙齢を待っていたのだが、あら、これどうしたの、と笑われた。
 たまには洗いなさいよね、と言われたが、だってとんかつ喰えるんだもん、と口の中でぶつぶつ言う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3722

 
       台風の前。
 
 
 
■ 34度という気温で、電動ファンは廻りっぱなしだった。
 これじゃあ冷却水もオイルも、持たない筈だと思う。ドイツの車は冬には強いが夏場には停まることも多いのである。
 翌日、2000程度でオイルを交換する。バルボリンというメーカーの、やや硬いものである。8リッター入って、財布は領収書だけになってしまう。
 
 
 
■ 私は滅多に昼間の都心をうろつくことはない。
 時たま首都高速の渋滞に嵌まることもあり、その時の外気温は多分50度に近くなっているだろう。エアコンを止める訳にもゆかないので、じっと我慢をする。ATのセレクターの辺りが熱くなってきて、東京の夏というのは過酷であった。
 
 
 
■ 空いた道で、半分ほど踏む。
 2000回転くらいからカムに乗って、廻ってゆこうとするのだが、昼日中、100近く出していると暴走族なのでやめにする。
 新しいC55が並んで、庭園美術館の前を過ぎていった。
 85ミリノーマルより鼻先が長いのだが、どう曲がるのか知りたくもなった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3721


       遠花火。
 
 
 
■ 海のかなたにふと消えぬ。
 という俳句があるという。
 それもそうだろう、という気もして、西湘バイパスの辺りを走っていた。
 海面に月が映っている。