2005年12月12日

「緑色の坂の道」vol.3556

 
      - BREAKFAST AT TIFFANY'S -
       月の河。
 
 
 
■ 美人は10年しかもたない。
 ということを誰かが書いていた。
 エリオットの詩集でもめくろうかという気にもなる。
 
 
 
■ オードリー・ヘプバーンは1993年1月20日午後7時、癌のために亡くなった。
 晩年はユニセフの国際親善大使として、アフリカ奥地で精力的に活動し、その名声を第三世界の飢餓の救済、その広報活動に費やした。
 とは言っても、いわゆる南北問題を社会・政治的な立場から語った訳ではない。
 存命の頃の映画雑誌などを見ると、オードリーは貴族の血を引いていることが強調されている。「ローマの休日」で一躍世界にデビューした彼女には、そういう物語が必要だったのかも知れない。
 が、オードリーの父は大戦中、黒シャツを着てナチズムに傾斜していた。投獄もされる。母親も親派だったという記録もあり、戦後そのことは永くタブーとされていた。
 必ずしも精神的に恵まれた少女時代ではなかったというのが一般的な見方である。
 第二次大戦から僅か8年。1953年に制作された同作は、監督のウィリアム・ワイラーをして「これからは胸のない女性の時代になる」と言わしめたが、スクリーンの上ではご存知の通り、一部でしかそれは実現しなかった。
「麗しのサブリナ」で共演した、ウィリアム・ホールデンとの恋。
 初めての結婚は54年、俳優メル・ファーラーと。スイスでの挙式は有名である。
 メル・ファーラーはある種の才人で、脚本も書けば演出もする。オードリーとは四回目の結婚だったが、その後もカトリーヌ・ドヌーブなどと浮名を流した。
 流産と何度かの恋。出産と育児。
 
 
 
■ オードリーの子供時代の写真を眺めていると、理不尽なことだが私は、「アンネフランク」を思い出してしまった。
 つまり、戦争の匂いが薄く漂うのである。
「ティファニーで朝食を」の主人公ホリーが、NYのアパートの階段で歌う。
 演じるオードリー。
 かつてバレーをやっていたというその脚は、今冷静に眺めるとやや膝が目立ち、ふりむいた時の首筋は、32歳という年齢しては筋がはっきりしている。
 映画は原作に比べお伽話に翻訳されてもいたが、やはり何処かしら苦いものは残っている。
 この小説は、誤解を恐れずに言えば一種の「花柳小説」ではなかろうか。
 我が国では荷風や川端康成が描いたそれ。
 あるいは「花影」などで大岡昇平さんがその系譜を継いだようなものに近い。
 芸子は女給になり、そしてホステスと呼ばれるようになったが、NYではまた別のかたちを取っている。