2005年11月30日

「緑色の坂の道」vol.3533

 
      - BREAKFAST AT TIFFANY'S -
       ホリー・ゴライトリー、トラベリング。
 
 
 
 
■「ティファニーで朝食を」の映画が封切られた1961年は、J・Fケネディが大統領に就任した年である。
 映画にも小説にも直接関係はないが、どんな時代だったをすこし書いてみる。
 61年4月、CIAが組織した亡命武装ゲリラ1400名がキューバのビックス湾に上陸。
 首都ハバナから90マイルのところにある入江である。
 そこからゲリラ戦を行いカストロ政権を転覆しようとするが、失敗。
 三日で鎮圧される。
 当時ケネディは、キューバに侵攻する計画をマスコミの協力の下、国民には知らせていなかった。
 東西冷戦最大の危機、全面核戦争の手前までいった、いわゆる「キューバ危機」は翌62年10月。このビックス湾事件は、その前哨戦としての位置づけになる。
 
 
 
■ 話は飛ぶが、ヒッチコックの「北北西へ進路を取れ」も、冷戦構造を前提とした映画であった。ヒッチコックにはダブル・スパイのブロンド美人という設定が多い。
 しかも敵方の情婦であるという、いささか屈折した役柄が与えられ、大人というのは一筋縄ではいかないと私などは思っていたが、後から考えるにこれは、ヒッチコック特有の資質、ないしは嗜虐であるともいえる。
 今微妙に思い出すのは、個室付の寝台特急で、ケーリー・グラントがヒロイン、エバァ・マリー・セイントの鞄を点検する。
 すると無駄毛の手入れ用の小さな剃刀が出てきて、グラントがふむふむと唸る。
 場面が展開して、翌朝グラントがそれで髭を剃っているという按配。
 駅の洗面台で、周りの男たちに白い目で見られるというところがあった。
 ユーモアと言えばそうなのだが、どうも底意地の悪いところもある。
 
 
 
■ ところで、映画の中のオードリーは、ジヴァンシーがデザインした衣装を効果的に着こなす。
 ブロードウェイ五番街にあるテイファニー本店の前で、クロワッサンを朝食にするシーンでは、長い手袋と大きめのサングラス。そして黒いイブニングドレスである。
 髪はアップに上げている。
 確か冒頭のシーンなのだが、この意表をついた洒脱さは、さすがに「ピンク・パンサー」で手馴れた感触であり、NYの朝の気配を微妙に映し出していた。
 意外に思われるかも知れないが、NYというのは静かな街である。
 ブロードウェイの喧騒はすさまじいものがあるけれども、そこからブロックをひとつ隔てると、誰もいない空間があったりする。そこに立っていると、ふっと背中を撫でられたような気がすることがあって、振り向いても誰もいない。
 明け方のブロードウェイを歩いたことがあるが、これで薄い霧が出ていると、ほぼこの映画の通りであった。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3532

 
      - BREAKFAST AT TIFFANY'S -
       トイレで50ドル。
 
 
 
 
■「ティファニーで朝食を」のヒロイン、ホリーは高級娼婦である。
 マリリン・モンローのエージェントが当初その役を断ったのは、そのせいであるという話もある。
 確か当時のモンローは、今までのセクシーな役柄から脱皮しようと暗中模索の段階だったと記憶している。正確な年数はすぐ出てこないが、アクターズ・スタジオで演技の勉強を始めたりしていた。
 
 
 
■ 数年前だったろうか。マリリンの始めの頃の夫が撮影したという写真の版権をどうにかしたいという話が私のところにきた。
 浮世の付き合い、麻布界隈の事務所に出向き話を聞いた。
 結局、エージェントのまたエージェント、その営業の打診という意味合いが強かったのだが、その後で広尾界隈を歩く。
 マリリンには女性のファンが少ないよね。比べてヘプバーンは、どういう訳か女性に好かれる。
 そんな話を、国際交流基金とキャリア組の官舎がある路地を歩きながらした覚えがある。
 白金にできるだろう高層マンション、その工事中の壁面にも若い日のヘプバーンの写真が使われていて、「麗しのサブリナ」の頃のスチールだっただろうか。
 眉毛の形が濃く、すこし太めにカットされているものだった。
 
 
 
■ アメリカのトイレはチップ制のところがあり、女の子がゆこうとすると同伴の紳士は小銭を渡す。
 
 そのくらいのお金だったら、お化粧室に行けばできるからね。ちょっとシックな殿方だったら、50ドル札くらい出してくれるわ。それにわたしはいつもタクシー代も請求するのよ。それであとの50ドルができるし(前掲:40頁)。
 
 ホリーはそういう。
 映画の中でもそんな台詞があったが、ジヴァンシーの黒いドレスに紛れ、あるいは長いシガレットパイプの優雅さに惑わされ、意味するものを考える暇もなくお伽話に飲み込まれてゆく。
 ヘプバーンのすこし頬骨の張った、どちらかといえばセクシーさとは無縁のストイックな体躯が、老人の世話をして対価を貰うなどということの具体性を忘れさせてしまう。
 監督はブレーク・エドワーズ。
「ピンク・パンサー」のシリーズを手かけた、都会的な感性の職人である。
 
 
 

2005年11月29日

「緑色の坂の道」vol.3531

 
      - BREAKFAST AT TIFFANY'S -
       太陽に暖められた石。
 
 
 
■ カポーティの「ティファニーで朝食を」(新潮文庫版:龍口直太郎訳)を、ぱらぱらと読み返している。
 確か17くらいの頃、サガンか何かと並んで一度読み、それ以来忘れていた。
 大人ぶっていたとしても、思春期の少年にはまだ早かったのかも知れない。
 映画を観たのは劇場ではなくて、深夜のテレビだった。
 なすすべもなく週末を送る、20代後半の夜だったような覚えもある。
 
 1943年10月のあの月曜日。鳥の軽々と舞うにも似た美しい日。皮切りに、私たちはジョー・ベルの店でマンハッタンを飲んだ。それからジョー・ベルは私の幸運を聞かされるとシャンパンをおごってくれた(前掲:78頁)。
 
 
 
■ こう書き写していても、リズムがあり分かりやすく、情景が浮かぶかのような文章である。つまり、いい訳だということなのだが、これは主人公の売れない作家の原稿が、始めて活字になった際、ホリーとお祝いのデートをする場面である。
 映画は、ホリー・ゴライトリーに、オードリー・ヘップバーン。
 小説の「私」こと作家の卵、ポール・バージャックに、ジョージ・ペパード。
 1961年、オードリーが32歳の時の作品であった。
 
 
 
■ 実をいうと、ここで映画を軸に語るべきか原作の小説にすべきか、私は少し迷うところがある。というのは、カポーティの原作は結構ハードで、苦いものを含んでもいるからだった。
 通常の仕事であると、ここで映画のビデオやDVDなどを入手し目を通すものであろう。
 なぜだか分からないが、今回それをする気にはなれず、漠然とした記憶だけで書こうと思っている。
 つまりそれは、この作品がある種の古典になっているからかも知れず、オードリーも既にこの世の人ではない。
 原作の設定は第二次大戦の最中。
 映画自体も、当初マリリン・モンローにホリーの役がきて、モンローのエージェントがそれを断ったという経緯があるくらいだから、指折るとほぼ半世紀近く前の、そしてNYが舞台なのである。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3530

 
       続、風の吹く町 3.
 
 
 
■ 続、夕陽のガンマン。
 みたいな感じになってきたのでそろそろやめにする。
 例えばイーストウッドとレオン・ラッセルというのは、個人的には裏と表のような存在で、ただ見渡す限りのとうもろこし畑と地平線が風土だったのだろうと思う。
 和辻哲郎に「風土」という名著があったと記憶しているが、全てを読んだのは18歳の時で、その頃は一切理解できなかった。
 いい歳になったから分かるかと、何度か買いなおしているが、日々の厄介に追われ、ぱらぱらとしか読み返せないでいる。
「風土」にファンタジーの要素を加味すると「遠野物語」(柳田国男)になり、理性的な要素を入れたかにみえて情緒的なのが「大和古事風物詩」(亀井勝一郎)だと、いい加減なことを言って酒場でクダを巻く。ホンキにしないように。
 
 
 
■ ただ、日本文化がどうしたこうしたという時に、リトマスのように避けて通れないものが、いわゆる「日本浪漫派」の方々で、例えば伊藤静男の詩の数々は、青年期の私には分かりやすい角度であったのだが、分かりやすいが故にそちらに向かえば楽だったのだなと思い出したりもしている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3529

 
       続、風の吹く町 2.
 
 
 
■ 奥まったところにホテルがあり、ロビー横にはビリヤードが置いてあった。
 ついこないだまでの、横浜バンド・ホテルに暫く似ている。
 仕方ないじゃないか、植民地だったんだから。
 私は、不思議そうにしている連れに言った。
 
 
 
■ ヨコスカ好きだって言っていたけど 外人相手じゃ
 という歌詞を、阿木曜子さんが書いている。
 港にはヨーコという名前が似合って、それはまるで「開け開けチューリップ」という歌か映画に出てくる低血圧の性格のいい狐にも似ていた。
 仕方ないわね、こっちにいらっしゃい。
 と、手ほどきをしてくれる。
 彼女が案外に薄い胸だということを知るのは、彼が場数を踏んでからだ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3528

 
       続、風の吹く町。
 
 
 
■ 今時分、横須賀のドブ板通りにゆく。
 黄色やピンクやその他のネオンが侘しく光るその一角に、ふらりと入るには結構な年季が必要だった。
 隣にミネソタのGIがいて、話しかけてくるのだが訛があってわかんねえよ。
 スカジャン、ナンバーワン。などと言ってごまかす。
 
 
 
■ 私は車なので、ホッピー、ストレートなどと頼む。
 アルコールが1%未満であるからだ。
 ある訳ないじゃない、ここをどこだと思ってんの、という白い眼に耐えて、どうなってもいいやと開き直る。
 ドユ・ノー・サーヤ?
 ふむふむ、などと葉巻を咥える。
 
 
 
■ 大藪春彦さんの小説にはドブ板通りが何度も出てきた。
 エンプラ阻止、などという時代の風物としてである。
 エンプラというのは、原子力空母エンタープライズで、ベトナム戦争まっさかりの頃であった。確か今は退役になっていたと記憶しているが定かではない。
 エンプラのデッキには、F4-Fファントムが係留されていて、マグダネルの戦闘機に幽霊の名を借りるシリーズは暫く続いた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3527

 
       風の吹く町 6.
 
 
 
■ 自分のいるべきところを捜すのが旅であると古来言われている。
 広義では、男性遍歴もそうだろう。
 ふたけたの純情というのはまれにあるものだが、旅をしすぎると微妙な垢のようなものがついて、いきあしが遅くなる(海軍用語)。
 船底に貝殻が付着するようなものだ。
 と言うと、覗き込んだ妙齢前半がいて、馬鹿だなと笑った。
 ミョウバンで色がとまるんだ。うそ。嘘だよ。
 
 
 
■ いわゆるネットの世界というのは、ある種の荒野なのではなかろうか。
 何のためかというと、自分を確認するためのものである。
 緑坂は飛躍が多くて理解しがたいという苦情がときどき届くが、さておき。
 携帯を握り締めている若い女は、少し前の「たまごっち」を思い出させる。
 男たちも、実生活そのものよりも例えばネットやブログの世界で「俺は」などと言ってみる。オレ様になったりする。
 あるとき無頼の風か。
 いやそうではなく、あるとき何ものかに自らを仮託しているという気がしてならない。 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3526

 
       風の吹く町 5.
 
 
 
■ 私は白菜を助手席に置いて、港の方角に出た。
 波が打ち寄せている。
 堤防のようなものがあって、しゃがみこんだ人影があり、もしかすると岩海苔を採っているのかも知れない。
 まだ昼だというのに、細い月が出ている。
 海岸からふりむくと、低く山のようなものがくすんだ紫色で、そこまでは大分あるようだった。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3525

 
       風の吹く町 4.
 
 
 
■ 宿代は結構なものである。
 半ばプライドがそうさせているのだという気もする。
 味噌汁は薄く、干物である鯵も、体調が悪ければ蕁麻疹が出ていたかも知れない。
 土産に白菜を貰った。
 何故かは知らないが、採れたのだと言う。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3524

 
       風の吹く町 3.
 
 
 
■ そこは、細い街道がある通りで、その中の商人宿に近いところであるようだった。
 布団は湿っていたが、欄間があって、その飾りをなすこともなく三脚を立てて数枚撮った。
 古い雑誌が置いてあり、中に水着のグラビアがある。
 ぴくりともしない訳だが、果たして彼女は今いくつになっているのだろうと考えた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3523

 
       風の吹く町 2.
 
 
 
■ サングラスをかけた男の一人旅は怪しい。
 東京からかと聞かれたのは、品川ナンバーを見てのことだろうか。
 私はカメラバックを持っていて、古いキャノンと似たような年式のニコンであった。
 同じ系列にしなかったのは、当時レンズがまだ揃ってなかったからである。
 広角の時はこちら、と首から二台ぶらさげる。
 何故かは知らぬが、二台一眼レフを持っていると世間はカメラマンであると認識してくれるらしく、小学生が手を振る。
 一輪車を押した千鳥格子の割烹着を着たおばさんが微妙にうつむく。
 おじさん、○○新報のひとか。いつ載るんだ。
 と、半ズボンの上級生が代表で聞きにきたこともあった。
 彼からみると、おじさんなのだなと納得をする。
 この県では、○○新報がデフォルトであるらしい。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3522

 
       風の吹く町。
 
 
 
■ 街と書くのと、町とではニュアンスが違う。
 どう違うのかと言われると、上弦と下弦の月のようである。
 随分と昔、殺風景な港町に泊まった。
 夜汽車でというロマンチックなものではなく、高速を降りて暫く走っていてうんざりしたからである。腹も減る。
 駅前に定食屋があり、そこで親子丼を食べた。
 旅に出たら、親子丼が無難であると読んだ覚えがあったからだ。
 卵が水っぽいのはどうしてなのかと考えたが、つまりは出汁のせいで、これなら鶏肉でなくて魚肉ソーセージの方がいいだろうと思った。
 
 
 
■ カツ丼の大盛りとビール。
 という頼み方をすると、今出てきたばかりかと間違われるのだという。
 確かにそういう地域もあって、注意深く眺めていると警察署の近くにはひっそりと営業している食堂がある。長い塀の続く一見工場のような場所も同じである。
 何時だったか女子大生と車で走っていて、あ、ここは三億円の場所だな、と呟くと、え、なにソレ、わたし生まれてないとか言いやがった。
 そりゃ君、就職のため日経しか読まないからさ。
 意味わかんない。分かるわけない。
 
 
 
■ 風の吹く港町で、一晩を過ごした。
 定食屋で、泊まれるところはないかと聞いた上でのことである。
 兄さん、東京からかね。と、土地の訛で尋ねられる。
 仕事は何をしているのかね。
 なんと説明していいものか迷ったのだが、当時関わっていた雑誌の本社の名前を出して曖昧に答えてみた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3521

 
       一日エバンス。
 
 
 
 
■ 甘いかと言えば確かにそうなのだが、休日の午後、仕事をしながら漠然と聴いていた。
 庭に見えるのは紅葉だろうか、紅さを増してきている。
 最も安いと言われるシガリロを咥え、時々は唾液でよたよたにしながら、なかなか火を点けないでいる。
 サイトの修正や、残された原稿などを仕上げていると夜になった。
 休日の仕事とはそう悪いものでもなく、では仕事中毒かと言えば確かにそうである。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3520

 
       エバンスは甘いわね。
 
 
 
 
■ と書くと、色々と異論があった。
 地方都市のJAZZ喫茶のマスターなどは、時折顔を出すといまだにいう。
 ほぼ、からむと言っても良いのだが、世話になったこともあって私は暫く付き合っている。なに、どうでもいい議論をしたいだけなのだ。
 
 
 
■ この台詞は、「夜の魚 一部」の中の晃子が言った台詞である。
 30代の背中を伸ばそうとしている妙齢中ほどは、ベットの中はいざ知らず、ほぼ無理をしてヒールを履いている。
 例え化粧をしなくても、廻りに対する評価は厳しい。
 ひとりふたりそうした友人がいると、例えば作品の出来などで辛辣な声も聞けるのだが、一度にとなると、それはまたそれで厄介である。
 
 
 
■ そうね、大分一人前になったみたい。
 いや、相かわらず。男のおばさんみたいだわよ。
 まあデザインはいいけれど、この色使いだと蒲田駅前商店街のモールだわね。
 彼女たちに悪意はない。毒を吐いているという自覚もない。
 何があるかというと、わたしはこれが好きなのという生理的な断定である。
 ま、それが全てなんですけどね。
 
 
 

2005年11月27日

「緑色の坂の道」vol.3519

 
       風来 2.
 
 
 
 
■「にんげんだもの」と最後につける詩人というかなんというかの方がいて、大衆的にすさまじい人気である。
 ま、いいのだけれども、こういうものを素直に受け入れてしまうと世の中を生きてゆくのが楽になるだろうと常々思う。
「にんげんだもの茶碗」であるとか、「にんげんだもの湯のみ」
 ある種自己肯定の塊なのだが、脈々とそういう文化はあって、地方都市のやや寂れたカウンターでおでんなどを食べているとそういう会話になる。
 汚いから安価なのかと思っていると案外にいい値段がして、庶民を嘗めてはいけない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3518

 
       風来。
 
 
 
 
■ こころに風の吹く状態をそのようにいう。
 だったら、女もそうね。
 女のこころは腹にある。
 あなた、そういうこと言っているから。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3517

 
       夜太。
 
 
 
 
■ 夜の犬の声をきかない。
 月に吼えることもない。
 新潮文庫に朔太郎のそれがあって、私は10代の終わりに読んで分からなかった。
 今はどうかというと、一二枚をめくって棚に戻している。
 
 
 

2005年11月25日

「緑色の坂の道」vol.3516

 
       誰にでもなく。
 
 
 
■パーソナルアドカードとは、自分自身の広告です。
 
ここで使われている作品の多くは、いくつもの企業広告に転用されています。
また、美術ギャラリー等で展示され、作品集としてまとめられています。
初出は読売新聞社。
テーマはNY.
「甘く苦い島」- Insula Dulcamara -
 
 
世界がまだこのようになる以前のNY。
写真家が撮影し、コピーライターがコピーをつけます。
そしてデザイナーが端正に仕上げた作品が、今度はカードになりました。
 
ネーム/アドレスを入れる。
メッセージを付け加える。ご自分でコピーを考えることも。
あなただけの、極めて私的なアドカードが仕上がります。
プリントはコニカミノルタの写真品質。
 
・クリスマスカード
・年賀状
・誕生日
・転居・転出の挨拶
・店舗開設のお知らせ
・あるいは名刺代わりに
・使い方はあなたのセンス次第。
 
 
誰のためでもなくあなた自身と。
誰にでもなく、わかるひとのために。
 
 
――――――――――――――――――――――――
 
■ というコピーを書いた。「甘く苦い島」商用版、そのイントロダクションである。
 緑坂の読者なら、にやりと笑うであろうか。
 半ば呆れるのも正しい反応である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3515

 
        これから、どこへゆこう 4.
 
 
 
■ 都市というのは、ブロックひとつ隔てただけでがらりと印象を変える。
 面というよりも点でしか認識しない癖がついているのだと思う。
 ある程度うろついた後、私は仕事場に戻り、昼間の厄介の資料などをめくる。
 ひとつが小型車一台分の機械式時計であったり、ここまで修正するかねと呆れる化粧品の広告などを、いくばくかはうんざりしながら点検する。
 活字を眺めるには、また切り替えが必要だ。
 読者は、編集者が皆すばらしい暮らしをしていると思っているが、それは嘘であり、一部を除くと必需の友達はコンビニである。
 それらを知った上で、仮想の物語をつむいでゆくのだが、つまりひとは、現実そのものだけでも生きるのが難しいということかも知れない。
 ここから文芸や写真の世界で過去にあった、リアリズム論争などに遡ったりはしない。
 
 
 
■ 世の中は、またもうすこし傾いてゆくのだろうと思っている。
 97年や8年頃、「PLANET」という題で緑坂を書いていたが、その通りの世界になってきたのだなという感触がある。
 誰もが携帯を持ち、あるいはブログを開き、そこから何かが生まれるかも知れないと期待したりしなかったり。
 それは表層のひとつであって、水面下ではこの国はふたつに分かれてゆく。
 つまりその中で何を作るかということを、私は考えていた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3514

 
        これから、どこへゆこう 3.
 
 
 
■ 自分の今いるところを眺めるには、短い旅に出ることだと先人は言う。
「旅行中」
 とドアにぶら下げていたのは、カポーティ原作「テイファニーで」の主人公ホリーだった。
 舞台は1943年である。
 
 
 
■ 私は煮詰まると、東京を半分だけうろつく。
 量はあるけれども、とんでもなく不味いタンメンを食べたり、カメラを隠して路地裏に入り込んだりする。
 このままここで暮らしたらどうなるのだろう、と、つげ義春さんに似たようなことを考える。実際どうもならないのであるが、暗くなりかかった堤防の土手の上をてくてく歩いていると、うらぶれこの身に吹く風悲し、と昭和初期の歌が口をつく。
 昭和維新の夜だから、冷たい眼でみないで。
 と、停めてあった車に戻り、ファミレスで泥のようなドリンクバーのコーヒーを飲むのだ。自分で取りにゆくのがなんだか侘しい。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3513

 
        これから、どこへゆこう 2.
 
 
 
■ 随分昔、甘木君が大手町の地下にある珈琲屋で、こんなことを言う。
「こーいちさん、俺、一歩間違えるとこういうところにいたんですよね」
 つまり、堅気になって丸の内界隈に通っていたかも知れない、という意味である。
 馬鹿だな、可能性と必然っていう言葉を知らないのか。
 と、私は忙しくシステム手帳に何物かを書いている妙齢OLの隣の席で、偉そうにした。
 
 
 
■ つげ義春さんに「池袋百点会」という作品がある。
 仔細は省くが、昭和30年代の北池袋界隈を題材にした小品で、具体的にそういう暮らしがあったよなと懐かい。現実に知っている訳ではないのだが。
 つげ論を書くととんでもないことになるので、そそくさとやめにする。
 そういえば、下北沢界隈にも美大生の綺麗なウェイトレスがいた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3512

 
        これから、どこへゆこう。
 
 
 
■ 夜は冷える。
 冬だからだが、私のような仕事をしていると、いつコートを着るべきか少し迷う。
 仮にカシミヤを作ったとして、年に一二回羽織るのがせいぜいで、後は丈の短いハーフで済んでしまう。それでも車に乗るときは裾の辺りが邪魔になる。
 毎年、ブルゾンというのか、同じような色と素材のものにフラフラ吸い寄せられ、お、安いなと5分程考える。
 考えて止めるのであるから、外に出ているレストランのメニューと変わらない。
 ふーん、などと曖昧な言葉を発してゆく。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3511

 
        ランチ撮る。
 
 
 
■ 大きな新聞社の相当に偉い方からたまにメールをいただく。
 本日の昼飯、というのがテーマである。
 神田界隈の蕎麦屋であったり、鮪の旨そうな鉄火丼だったりする。
 携帯のカメラではなく、大井町に工場のある光学メーカーの800万画素。
 レンズの先になにものかをつけると、随分と広角になる。
 かといって、ホワイトバランスが若干室内よりだ。
 
 
 
■ ま、こういう緑坂は落ちがないのであって、そういえばそうですよね。
 今も充電器を持たれたまま、ご出張されているのだろうか。
 我が青春のニコマート。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3510

 
        線路沿い。
 
 
 
 
■ 三鷹だったと覚えている。
 長い長い鉄橋のようなものがあって、少し喘ぎながら昇っていった。
 路地の向こうに女のアパートがあって、壁は薄い。
 コートを買おうと思うのだが、赤いカードを知らなかった。
 
 
 

2005年11月24日

「緑色の坂の道」vol.3509

 
        東京場末気分 フォー。
 
 
 
 
■ フィリップ・マーロウが普段何処で買い物をしていたのか、確かチャンドラーは書いていなかった。
「チャンドラー人物辞典」を見ても、酒とスクランブルの卵については載っていたが、スーパーというか市場については記載されていなかったような気がする。
 アクターズ・スタジオで学んだポール・ニューマンは、ロスマグの原作になる「動く標的」の中でコーヒーを入れる。
 一度使ったものを、流しから取り出し、まだ色が出るかなというような按配である。
 ニューマンは結構な反逆児で、ヒッチコックの映画でも監督とかなりぶつかったという話だった。
 
 
 
■ ダウンタウンにゆけば全て物価が安い、というのは嘘である。
 安いのはせいぜいが青物というか野菜などが少し、一般に売られている日用品などはほぼ同じか、やや高いくらいになっている。
 一例が酒とかコーヒー豆であろうか。
 安定して安いのは有楽町にある大手量販店で、ここは夕方になると缶ビールひとつだけを買う男性や妙齢後半などがいて、さて何処で飲むのだろうと不思議だった。
 丸の内OLだって立って飲む。
 
 
 
■この肉、変色しているが、まだ売っている訳だな、と思いながら商店街を歩く。
 六本木ヒルズが出来たばかりの頃、近くにある24時間スーパーは高級品ばかりを売っていた。深夜そこへゆき、やや高いレタスを買った覚えがある。
 一年ほど経つと、そうもいっていられなくなって、母体である大手スーパーの日常的なものが顔を出す。フライパンが安い。私はふたつ買う。
 そこには、外で今買ったものを食べることができるスペースもあるのだが、あるとき、真夜中に半額になった弁当を食べているカップルがいて、もう冬だぜと驚いた。
 が、銀座のコンビニの前にはカップ・ラーメンをすする10代の少女たちがいるのだから、どうということもない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3508

 
        東京場末気分 3.
 
 
 
 
■ 定食屋の壁にこんな風に書いてある。
 忘れ物ベスト3.
 お勘定。
 子供。
 お年寄り。
 
 
 
■ 店のものを持ち帰らない。
 という但書きもあった。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3507

 
        東京場末気分 2.
 
 
 
 
■ あんたどこいってたのさ。
 と、妙齢末期二乗のおばさんが近づく。
 私かと思うと、ふたつ置いたところに座っている男性に向けてで、彼は立ち上がり懐かしそうに話をしている。
 病院に入っていてもさ、どうしようもないからさ、出てきたんだよ。
 あんた、顔出さないから心配していたよ。
 黄色いナイロンのブルゾンを着た男性は、随分と体格がいい。
 だが、酒なのだろうか肌が焼け、彼もサンダルに裸足であった。
 
 
 
■ 少年の連れが近づく。
 笑いながら、踊るように階段を上ってくる。
 これ手に入ったんだよ、と、ブランド物のジャージの下を仲間に見せている。
 おいおい、ここで履き替えるなって。
 私は思ったが、口にすることはなかった。
 ひとりの少年がこちらをちらりと眺めるので、私は唇で笑い、顎で交番の横にあるトイレを指していた。
 少年四人組は、再び踊るようにトイレのある方へと急ぐ。
 
 
 
■ どの土地へいっても、駅前ロータリーに暫くいるといくつかのことが分かったような気になる。
 あるいは近くにあるファミレスか、ハンバーガー屋界隈である。
 だからどうした、ということもないのだが、ロータリーの界隈で私は何枚か写真を撮った。MFに切り替え、絞ってからパンを狙う。いちいち構えてはいられない。
 こんなこと、NYのダウンタウンでもやっていたか、夜は怖かったが。
 等と思い出し、定食を食べてから車に戻った。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3506

 
        東京場末気分。
 
 
 
 
■ どの土地もそうだが、この東京にも土地柄のようなものがある。
 表向き口にすることはないが、例えば目の前のタクシーがウィンカーを出さずに左右に揺さぶって運転していると、大体が足立ナンバーだったりする。
 三年に一回は窓を開け怒鳴ったりもする。
 この季節、怖いのは青山墓地から下ってゆくT字路で、ヒルズ方面へ左折する車が、黄色は進めであると上海風に考えるからであった。
 ABSが効いて尻を振ったが、よほどドアを開けて降りようと思った。
 
 
 
■ 先日、東京の外れ、河沿いの土地に所要あってでかけた。
 八王子ナンバーのクラウンに若い奴らが数人乗っている。同じコイン・パークに停める。
「総長が駅にきているって」
「義理がさ」
 この土地に集まる、プチ愚連隊の集団であるのかと分かる。集会があるらしい。
 義理とは上納金のことで、収める金額によって組織の中の位が決まる。
 どの世界も搾取されてゆくのだな、とまだ二十歳になったかならない彼らの横顔を眺めた。
 
 
 
■ 所要はすぐに終わり、私はカメラを持って商店街と裏手路地を歩く。
 兎を飼っている煙草屋があった。兎小屋の周辺にはゴミが集まっていて、何時の間にかそういうことにされたらしい。
 フェイク・ファーを着た若い娘とすれ違う。隣にはあっさりした顔の男が腕を組んでいる。家財道具を買いにきたのだろう、カーテン売り場のある方向に曲がってゆく。
 駅前のロータリーには男たちがいる。
 何をしているかというと、ワンカップを飲んでいるのだが、11月も終わりだというのに皆サンダル履きである。足を眺めると、何処からがサンダルなのか一見分からない色をしていた。
 ロータリーのベンチに座って、暫く煙草を吸う。
 ここは禁煙なのだが、誰も守っていない。
 14,5の少年が私の隣にいる。彼はメンソールのようだった。
 
 
 

2005年11月22日

「緑色の坂の道」vol.3505

 
        いつのまにかそこにいて。
 
 
 
 
■ 冬鳥が枝にとまっている。
 私は〆切前の原稿を漠然と眺めている。
 夜にはすこし撮影にゆかねばならない。
 カメラバックの整理がまだだ。
 
 
 
■ 一定の年齢までそのやり方できて、それが次第に旨くゆかなくなるということがある。
 身近にいくつかそういうものを眺めていると、歳月とは残酷なものだなと考える。
 例えば、ミニスカートの似合わない女性経営者に会うことがあるが、ひとつの価値観にまっすぐに従って居心地のいい場所を作ってきたのだろうと考える。
 日吉坂の界隈には、そのような方が集まるサロンのようなものがあり、誘われるのだが果たしていない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3504

 
        思うようにならない馬。
 
 
 
 
■ このコピーには、性的な要素が含まれている。
 そういうことを言いたいのではなく。
 
 
 
■「北澤さんってしぶといですよね」
 と、やや呆れ顔で言われることが時々ある。
 関係によって、それが「こーいちさん」であったり「ああた」であったりする。
 んん、ともいえるな。
 と答えるのだが、端的に言えばシツコイということで、何はともあれ諦めるということが少ない。
 何故かというと、多くを諦めてきたからだ。
 
 
 
■ なんでこんなことやっているんだろうなあ、と思うことは日常である。
 が、それを半ば自慢するようになると安いもので、その状態に酔うことになる。
 踵の磨り減った靴で、坂道を上り下りする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3503

 
        グリズリーのブルース。
 
 
 
■ 十二月が近づく。
 聖歌を流しながら仕事をしている。
 一方でそうしたものがあって、プラタナスの街路樹がまだ青い。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3502

 
        感情にまかせる。
 
 
 
 
■ あ、これは後で長いこと腹が立つだろうな、と思えるようなことがあって、そうしたとき最近は怒ることにしている。
 今、感情のバルブを開いているのだなと、半ば自覚しながらである。
 意外なことだが、どうも一方でそれを抑える癖のようなものがあって、相手にも立場があるのだろうからと畳み込みやすい。
 晩秋の霞町交差点は、ほぼ無法地帯だった。
 車線をふさいで客待ちをしたり、真ん中の車線でひとを降ろしたりしている。
 だが、こうした時には、季節だなと思うだけであった。
 
 
 

2005年11月21日

「緑色の坂の道」vol.3501

 
        踊り子。
 
 
 
 
■ 下田逸郎さんに「踊り子」という名曲がある。
 下田さんにはかつて、渋谷の「ジャンジャン」で取材させていただいたことがあるが、随分とご無沙汰してしまった。
 下田さんと同年輩のTV局の方が、奴はねと裏話を聞かせてくれた。
 
 
 
■ さておき、私は、ネットというのは現実のある種投影でしかないと思っている。
 このことはくりかえし緑坂に書いた。
 普段何を食べているか、どんなところに棲んでいるか。
 年齢も性別も、社会的な属性も。
 すこし古い言葉で言えば、下部構造に対する上部構造のひとつではないかという気がしてならない。
 注意深く読んでいると、背後にある生活が透けて見えることがあって、だからどうしたということもないのだが、成程彼は勤め人なのだなと納得することも、ままあった。
 何か別のものになろうとすることは人間の本能なのか、そう簡単にくくって良いとは思えないが「存在が意識を決定する」というテーゼは、ネット時代にもう一度振り返ってみてもいい概念ではなかろうか。
 
 
 
■ 表現には必ずリスクが伴う。
 ある程度まで突っ込んでいった場合、必ず今あるなにものかのものと対峙することになって、ある種自分の存在を脅かす。
 分かりやすく言えば、勤め人であれば会社という組織であろうし、自営業であればクライアントであろうか。
 そこを泳ぎきることは結構な難事で、どこで折り合いをつけてゆくかを知るために酒があったりもする。
 誰もがネットに参加し何物かを送り出すことは可能だが、踊り続けることはまた別の次元の話だと思っている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3500

 
        顔なき市民。
 
 
 
 
■ カポーティとヘミングウェイを古本で買ってきた。
 どうも、新しいものでなくていいという気がしている。
 だがその前に、岩波文庫の「マッカーシズム」を読み耽ったりして、晩秋の壊れかけたソファと天井であった。
 
 
 
■ なにもしなくていいのなら、なにもしないでいる。
 最近、という訳でもないが、ネットの世界ではプロとアマの境界が曖昧であると言われて久しい。
 それで対価を得ているかどうか、という即物的な話もあるが、つまりそれは、皆が顔のない「市民」になってしまったからではないかという気がする。
 例えばブロガーという呼び方があるが、なんのことはない、パソ通時代の草の根BBSが無数に増殖した状態とも言え、使う道具はともかく、やっていることは本質的に変わりがない。BBSの代わりに、無数の小惑星が繋がっている。
 ただ10数年前のパソ通の時代には、ネットというものは、ほぼマニア・一部の人間だけの自虐と裏腹の特権的な楽しみや、仕事のツールであった。
 原稿のやりとりを行うに、名刺に大手プロバイダのIDを書いたりした。
 98の画面はただ黒色で、コンフィグの書き方次第でメモリの箱庭は構築される。
 
 
 
■ 今まで社会の背後に隠れていたものが、インフラとして表通りに出てくる。
 そこには功罪があり、発達の過程のようなものがあり、そこからまた分岐する。
 例えばブログバブルは一山を超えたが、かつてのオフ会のように、実際に会ったり酒を嘗めたりする動きも出始める。
 そこで、文章と書いている本人とのギャップに驚き、こんな風に仮想しているのだとPCの前にいる時間を想像したりもする。
 ネットは原則として匿名である。
 ハンドルネームというバーチャルな人格を作ることもあるが、現実には実生活の一断面を開示しているに過ぎない。
 やる気になれば、いくつもの人格を想定し、切り替えて遊ぶことすらできる。
 古くはパソ通の時代にも、複数台のPCでそれを行っていたひとがいた。
 ここから、「統合と拡散」などという心理学の概念に流れていってもいいのだが、つまりは一個人の発達や退行の過程の物語が、そのまま社会の表舞台に滲んでいる側面も否定しがたく思う。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3499

 
        青い瓶の話。
 
 
 
 
■ 飲むものがなくなったので、青い瓶を振ってみた。
 裏返すと、スピリッツと書いてある。
 ぬるいのは、旨くはないのだが仕方なく嘗めている。
 躯の中に、薄い澱のようなものが溜まってゆくのが分かる。
 しばし、それを眺めている。
 
 
○昔坂 vol.883 94年5月
 
 

「緑色の坂の道」vol.3498

 
        アキラ 16_3.
 
 
 
 
■ このまま横須賀へゆこうかと考えたが、月曜からの仕事のことを考えてやめにした。 半分しかうろつかない。
 それが今の私なのだろうと気がついて、だけどおまえ、半分も残っているなんてどうかしてるぜ。
 と、何時だかの同級生が横を向いたような気もした。
 右を向けよ、左を向いて。
 それに逆らってきたつもりなのだが、実は大差がない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3497

 
        アキラ 16_2.
 
 
 
 
■ 伊勢崎の辺りで、タクシーがたむろしている。
 隣の公園には、ホームレスが袋をかかえ、今戻ってきたところだった。
 微妙と微糖は似ている、と、愚にもつかないことを考えた。
 缶のコーヒーは不味い。
 が、生まれてこの方、道端でそればかりを買っていたような気もする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3496

 
        アキラ 16.
 
 
 
 
■ 深夜、思い立って首都高速に乗った。
 これから、どこへゆこう。
 大体港の方向へ流れる。
 日曜の午前2時となると、中華街は大体閉まっていた。
 一軒だけ空いている店を覗くと、威勢のいい兄さんたちが酒盛りをしていた。
 あんたのくるところではないよ、と振り向かれたので戻ることにする。
 
 
 

2005年11月18日

「緑色の坂の道」vol.3495

 
        I wonder as I wonder.
 
 
 
 
■ 漠然とするときに思い出すことは、故郷のランドスケープではない。
 ゆるい下腹でも、離れていったときの横顔でもなく、どうして私はここにいるのだろうというような、ある種とりとめのない感情である。
 
 
 
■ これをやらなければ次にゆけない、と思いながら、十二月の仕事場で、一日中WSの画面に向かっていたことが何度かあった。
 次というのがなんなのか、自分にしか分からないのだが、例えば作品というのはそのようにしてできる。
 古くは読売から業務委託を受け、新年よりyominet の文芸が始まろうというとき。
 HTMLをこつこつと書いて、確か正月はなかったような覚えがある。
 タグは全てエディターで書いた。
 オーサリングソフトが開発されていないからである。
 大崎に遅くまでやっているスーパーがあり、そこで大分干からびた御節を買った。
 都会の深夜スーパーというのは独特の風情がある。
 そして、言いにくいことだが、確かに土地柄もあるようだった。
 
 
 
■ そんなことを何度か繰り返している。
 写真家であれデザイナであれ、ものを書く立場の人間であれ、つまり「屋」ではなく、「家」が後につく立場のひとは、半ば誰にともなく内側に篭る。
 作家の内側というのは、外側に繋がっているものだが、それを旨く翻訳してゆく作業があって、半分はジャーナリスティックな感覚が必要にもなってゆく。
 眼をつぶって没頭しているものの、片方だけ薄目を開けている、というような按配だろうか。
 そういう相方はすこし困るものだが、さておき。
 まだコートを着るほどでもない11月の夜、都心の隠れたようなホテルのバーで、一杯6000円などのビンテージ・ワインを傾けている方の端で、そう高くもないラムを嘗める。
 川崎の外れに「夜光」という土地があるのだが、産業道路沿いに定食屋というか、韓国の店があって、そこで温い酒を一本嘗めているのと、漠然の質という意味ではそう変わりがないようにも思えている。
 
 
 

2005年11月17日

「緑色の坂の道」vol.3494

 
        うろつきながら、わたしは不思議に思う。
 
 
 
 
■ 英国の古い歌に、それに似た題名のものがある。
 さすらう、などと正直に書くと、この国では別のものになってしまう。
 第一、恥ずかしいような気がする。
 
 
 
■ 冬のペルノーというのは、これがもし三十代の頃であったら、しゃらくさいものだったかも知れない。
 だが、こちらは風邪を引き、顔が白く、布団があって妙齢が笑っていたら、もそもそと潜り込みたい気分だったのでどうでもよかった。
 布団の中でパジャマに着替える、というような按配である。
 ソムリエが、こないだのはどうでしたと言うので、んん、いまひとつだったと答えると彼は笑い、グリフィンズの短いものにする。
 これは先が細くなっていて、母性本能をくすぐるかたちをしているのだが、どうも自分でカットをするに忍びない。
 痛いんじゃないかと考えてしまうからだった。
 彼にしてもらい、できあがったものに火をつけて漠然とする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3493

 
        羊たちを見張っていると。
 
 
 
 
■ 疲れたときの緑坂には、間違いが多い。
「ガーリックパン、というのはどういうものでしょうか」というような問い合わせがメールで届く。
 コッペパンになんか塗ってある奴じゃん、とか思うのだが、返事をする気力がなかった。
 先日、やや不思議な打ち合わせにヒルズ界隈へゆく。
 その後六本木で黒人に「センパイ、いい子いますよ」と声をかけられる。
 黒人に後輩はいないのだが、と思いながら車を拾った。
 ニッポンサムイ。
 
 
 
■ 下ですこし酒を嘗めてから上にあがる。
 何処かでみたことのあるような顔がソファで携帯をかけていて、あれはもしかすると保守党の政調会長さんではあるまいか。
 そういうこともあるだろうな、とカウンターの隅でペルノーのロックを嘗めていた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3492

 
        ヒルズの屑篭。
 
 
 
 
■ このところ、根を詰める仕事ばかりでくたびれた。
 わたしはなんにもしたくない。
 と、歌いながら通り過ぎてゆきたい気分である。
 だが、夜のプラチナ通りには人影がなく、寒いものだから途中でひっかかる。
 コーヒーとガーリックパン、つまみに。
 いつものですね。
 いつもではないつもりだ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3491

 
        月のそばにある星。
 
 
 
 
■ 満月である。
 すくなくともそのように視える。
 あの話はなんの意味があるのだろう、と片隅で考え、眺めると傍に明るい星が出ている。
 
 
○昔坂 vol.774 94年4月
 
 

2005年11月11日