2005年08月31日

「緑色の坂の道」vol.3319

 
        プラネット 4.
 
 
 
 
■ 私は97年の6月にこんな緑坂を書いている。
「プラネット」という題である。
 
―――――――――――――――――――――――――
 
 
■ 夜が近づいてくるような気がする。
 もういちど、深い闇のなかに入ってゆく予感がある。
 それは空っぽの空洞とも違う、焼跡や廃虚の街とも異なる、人間が人間としてばらばらに解体された新しい世界である。
 かつて、大人も子どもも、互いに隣に居ることすら気づかないまま地平に立ち尽くしている姿を想像したことがあった。
 地平の向こうには新しいビルが建ち、視界の隅の方からゆっくりと暗闇がひろがってゆく。
 
 
 
■ 曲がり角の水銀灯のあたりで低い声がする。
 それは長く続き、外は小雨になった。
 じゃあね、という声だけがはっきりしている。
 携帯電話をしまい部屋に戻ってゆく。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3318

 
        プラネット 3.
 
 
 
 
■ クルセーダースのテープを聴きながら、狩場線の辺りから乗る。
 最近の車はMDがついているのだが、私の豚セダンはカセットとCDである。車自体そろそろ換え時かとも思うのだが、これでいいではないかという気もしてならない。
 多分、本当に欲しいものが見当たらず、こう見えて廻りのことも考えているからだろうか。
 今いるマンションの地下には、不思議に英国車の棲息率が高く、XJが数台XJRも一台、隣は一つ前のポルシェである。911君はまだ若い彼が乗っている。最近まっすぐに停めているところをみると、慣れたのかも知れない。
 フィルムを貼ったEの500やA6は当たり前として、水色のロールスも外国ナンバーのトヨタの隣にいたりする。そのひとはたまに犬を連れている。
 一台、W124のツインカムのクーペがいて、これは大変にマニアな車種である。
 CGの小林彰太郎さんがかつて手放しで誉めてもいた。恐らくは新車から、10数年棲息しているものに違いない。
 
 
 
■ いきつけの美容院のチーフとは20年近い付き合いであるが、彼もW124を買って時々店に乗り付ける。彼は大阪、南の方の出身で、S30や130のZの時代を知っていた。
 シーマとかをローダウン(シャコタンともいう)してどうやろなあ、と髪を切りながら話す時代が数年続いた後の快挙である。
 何故124かというと、やっぱバブルの頃に憧れたじゃないですか、という。
 確かにあの後部絶壁の装甲車みたいな車体には、とうてい手が届かないものだとこちらは2リッターで意地になっていた。
 高輪界隈にある美容院には面白い客もきて、元アイドル事務所に所属していたという彼も髪を切っていた。声が大きいのですぐに分かる。今は何をしているのか、周辺部にいるのかも知れない。ホストになるには、やや背が足りないだろうか。三の線という手もある。
 
 
 
■ 首都高速の側壁をちらりと眺める。
 号線によって風情が微妙に違うのだが、これは東京という都市の成り立ちと今に関係しているのだろう。
 霞ヶ関トンネルの合流、例えばここを120でいったからといって、それは車の性能だろう。目の前にヘルを被ったPCがいて、それはマニュアルのセドの3リッターだが、ふたつギアを落として加速した。60の制限のところ、瞬間的に倍は出ていた。私は流してゆくと、いつものことだがフイルムを貼ったメルセデスが捕まっていた。
 覆面でなく、交機にパクられるのはダサくねえか。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3317


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        プラネット 2.
 
 
 
 
■ 自分のスタイルをつくるのに、大体10年はかかる。
 その間、潰れなければである。
 支払ってきた代償は、というと、指折り数えて外で虫が鳴いている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3316

 
       プラネット。
 
 
 
 
■ 昨夜、意味なく首都高速を流していた。
 何度か下に降りる。
 横浜「国際埠頭」には鉄のフェンスがつき、中に入ることはできなくなっていた。
 炎上した車が放置されていたりしたのだから、当たり前かも知れない。
「夜の魚 一部」で葉子が対岸の炎を撃つ真似をしたところである。
 それは変わるさ、と思いながら図体のでかい車をターンさせる。
 
 
 
■ あなたはうろつくのが仕事でしょう。
 と、言われたことがある。
 果たしてそうなのか。MTGやPCの前に座っている時間の方が圧倒的に長いのだが。
 昨夜、シャッターは一度も押さなかった。
 
 
 

2005年08月30日

「緑色の坂の道」vol.3315

 
       長い旅を続けていると、何処なのかを忘れる。
       夢も古びてくる 3.
 
 
 
 
■ 車や単車のことを書くと止まらなくなる、とか昔からの緑坂読者には言われる。
 ま、携帯電話の型番にこだわるよりは、ややましだろうという気もしているが、本質的には変わりがない。
 これを幼児性とみるか、仕事の糧とみるか、立場によって様々だが、例えば吉行さんも二台目がフォルクスワーゲン、その後がBMWの2002である。
 当時の02といったらああた、なかなかのものなのだが、吉行さんは夜の厄介を複数こなすために車が必需品であった。人工水晶体を入れた辺りから運転をやめられている。
 
 
 
■ と、このように書いているのは、私自身、身体の何処かが乾いていることを自覚しているからだろう。
 酒でもなく女でもなく。かといって、これをすれば儲かるとか名が出るとか、そういった昼間の厄介その他でもなく、なんとなく飢える(かつえる、と読む)ような状態があちこちにあって、それを飼いならすのに苦労している。
 思えば、そんなことばかりだ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3314

 
       長い旅を続けていると、何処なのかを忘れる。
       夢も古びてくる 2.
 
 
 
 
■ この車はボルボのP1800である。
 ネオクラシックともいうべき、2+2のクーペだが、エンジンは達磨のような4気筒で、アマゾンなどと基本的には同一だった。
 テールフィンが立っているのは、アメリカ向けに開発されたものだったからだろう。
 この後期、ボディの背後を伸ばし、ガラスハッチを付けたワゴンが出された。
 ボッシュの燃料噴射が付けられ、そこそこの馬力も出ていたが、ギアは前後屈伸運動を強いられるボルボ特有のものであった。つまりストロークが長い。
 
 
 
■ 私は30近い頃、このワゴンを捜していたことがあった。
 相当に高価だったので泣く泣く諦めた覚えがある。男の60回ローンなどという荒業を使う発想はなかった。今も原則としてない。
 というよりも、マニュアルしかなかったのが、既に都市部の夜を這いずり回っていた自分のスタイルに合わなくなっていたからかも知れない。根性がなかったのだ。
 
 
 
■ この車を始めて知ったのは、実は前にも書いた宮谷一彦さんの劇画からである。
 宮谷さんは当時、車や単車を描かせたら相当なものだった。
 80年代バブル期の「西風」さんなどの空白の絵柄とはまた違い、車自体に重さと、すこし血の匂いの混ざった湿り気があった。
 大藪春彦さん、一時期の五木寛之さん、そしてCGのエディターであった小林彰太郎さん。
 一見脈絡がなさそうに思えるのだが、彼らにとって車とは、ただ移動する手段だけのものでもなく、自らの精神の一部を仮託する道具であったようにも思える。
 それは、全てをブランド性だけで計る最近のなにものかでもなく、一方でMGBのキャブのジェットの番号をバーのカウンターで語り合う、スノビッシュなお遊びでもなく、多分精神が、その車とその向こうの世界を欲して乾いていたのではないかという気がしている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3313

 
       長い旅を続けていると、何処なのかを忘れる。
       夢も古びてくる。
 
 
 
 
■ 緑坂3311を撮影したのは、夏のオスロだった。
 というのは嘘で、ナンバーが日本のものである。
 青山か外苑近くか、西通り辺りではなかったか。
 どうでもいいことだが。
 
 
 
■ 青瓶でも使ったこのコピーは、元々
 
「長い旅のようなものを続けていると、何処なのかを忘れる。夢も古びてくる」
 
 というものであった。
 どちらがいいのかと言えば、文芸的には入っていた方がいい。
 自分のしていることを「旅」と言い切ってしまう感性は、一般的かもしれないが、ある意味で恥ずかしいことだからである。
 逆説的に、それがコピーだとするならば、そうした自意識のやりとりを省くことも出てくる。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3312

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2005年08月28日

「緑色の坂の道」vol.3311

 
       IT社長ブログ。
 
 
 
 
■ カメラマンが良いのだろうが、実物よりも数段上にみえる。
 マイバッハなどの後部座席でMTGなどをしていたりする。
 かといって仕事で銭屋などイタリヤ系を着る訳にもゆかず、ではドーメルなのかというと肩の線が微細に違う。
 つまりこれは、アウディTTの世界であって、形から入る先端なのだろう。
 実態は伴わない。全てはバーチャルなイメージである。
 
 
 
■ その意味で、ネットを語るには「出会い系」という底辺を眺めていないと私は難しいのではないかという気がしている。
 サクラと呼ばれるメール・レディは、その半分以上が男達で、ツボを掴んだ誘い文句を短い時間に連射してくる。付随した画像は、広告の世界で言えばイメージ写真である。
 画像は売買され、また画像処理ソフトによって合成・修正され、マクロを組んで配信される。男達の願望の脊髄的な反射であるともいえる。
 では、他人からの紹介がないと入れないというソーシャルネットワークなどはどうかというと、これも女性に優しい広義の出会い系に近いという印象を私は持っている。
 が、これら全てが悪いかというと、この評価は難しく、例えば60年代後半にはデモで仲良くなったりもした。10.21の後にカップルがいくつもできたりもしていたのだ。
 
 
 
■ 街に祭が乏しくなった現在、ひとは自分の居場所をどこにつくるのだろう。
 いつだったか南の島から立候補した候補の応援で、選挙ボランティアの若者がこういっていた。場所は赤坂のホテルの壇上である。
「居場所をつくってくれてありがとう」
 候補は音楽を鳴らし、街角で若者とともに踊り、それから当選を果たした。
 
 
 

2005年08月27日

「緑色の坂の道」vol.3310

 
       ブラック日課。
 
 
 
 
■ スコッチがなくなったので、そういうものにする。
 妙齢の読者はご存知ないかも知れないが、ジンやウィスキには度数というものがあって、39や40度と、例えば47度とでは酒の味も酔い方も違う。
 ジンというのは、茶色の紙袋に入れてそのまま飲むのが粋とされているが、そういうことを赤坂陸橋の下でやりたい訳ではない。
 
 
 
■ 虎ノ門にあるホテルのバーでは、葉巻用のシングルモルトがある。
 どこにでもあるのだが、例えばである。
 かつて緑坂にシングルモルトを薦めるバーは二流であると私は書いて、世の数人から非難を浴びた。
 普段嘗める酒にはくれぐれもご用心。
 これは「配偶者と酒」というテーマにも通じるが、選挙戦の間でもあるので自粛する。 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3309

 
       キタザワ反応。
 
 
 
 
■ 古くからの読者に、そういうものがあるのだと指摘された。
 それはナンダと尋ねても、なかなか教えてはくれない。
 つまり、世の中が曲がり角にさしかかるだろうすこし手前、私は機嫌が悪くなり、薄い欝になり、それからおもむろに野蛮になってゆく様を指すのだという。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3308

 
       きみの足もと。
 
 
 
 
■ はじめると膨大に作業があって、いいかげんにしろよなと思った。
 酒を嘗めはじめる。
 ここでクロスリンクが出ることはないだろう。出るんだが。
 これからというときに、時間がきて放り出されるラブホのようである。
 まだ履いてないよ。
 あたふた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3307

 
       風のあと 3.
 
 
 
 
■ 冷房を強くする。
 昨日まではなんだったのだと思い出す。
 ひともその空も。
 
 
 

2005年08月26日

「緑色の坂の道」vol.3306

 
       風のあと 2.
 
 
 
 
■ 大体何かを作っているときというのは、不機嫌になる。
 世界と自分との関係にうんざりしているからだが、これが昼間の厄介の一部、あまり本質的に考えなくていい仕事だとまた違う場合もある。
 どの辺りに着地するかという、編集あるいはマーケティング的な考えが強い。
 これはこれで、かなり胡散臭いものなのだが。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3305

 
       風のあと。
 
 
 
 
■ 昨夜、おかしな熱が出て矩形のスペースにつっぷしていた。
 気圧が変わるためだ、とは分かっている。
 いくつか夢を視て、それはあまり楽しいものではない。
 シャツがびっしり濡れていた。
 私はランドリーにゆき、横開きの洗濯機にそれを入れ、ガスの乾燥機を廻した。
 カラカラと音がしている。
 ライターでも入れ忘れたか。
 ディスカウントで買った時々火のでない奴だ。
 
 
 

2005年08月25日

「緑色の坂の道」vol.3304

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「緑色の坂の道」vol.3303

 
       blue sorrow 2.
 
 
 
 
■ 今であれば、フォントの種類とサイズを微細に変えるだろう。
 元はPDFであるから、DTPソフトで作っている。緑坂 3301.
 考えてみれば無謀である。
 
 
 
■ さてこの辺りから「甘く苦い島」のいくつかへ移行する。
 その前に、台風でもあるし、海鳴りの画像を。
 そこは流れで。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3302

 
       blue sorrow.
 
 
 
 
■ 台風が近づく。
 私は昼間の厄介で、無精髭である。
 深緑に変わった庭を見下ろしていると、次にくるものがなんなのか、漠然とみえてくるような錯覚に陥る。
 ここは吹き抜けになっているので、風の音が煩い。
 
 
 
■ こうして97年や99年の作品を再掲していると、何少しも変わっていないじゃないかという気がしてうんざりした。
 デザインの原型も、またその言葉もである。
 山本夏彦さんに「命ながければ恥多し」というコラムがある。
 そこではどんな人間でも盛りは五年であるという。負けて十年。
 芸術家は長いと言われるが、処女作を超えられない。
 全盛期があればあとは欠けるばかりである。
 そこで山本さんは、全盛期を作るなと別のコラムで書いている。
 壇の上で手をぐるぐるさせて話すのは、もっての他ということになろうか。
 ひとつひとつ胸に刺さる言葉ではあるが、一方、阿佐田哲也さんこと色川武大さんは、セオリーを持てとも言う。
 勝負事で、この型にはまれば強いという、少なくても六割の確立で有利に立てるスタイルを作ってしまうことが肝であるとも書かれていた。
 いわば寝技のようなものだが、これは切れ味というよりも別のものに近い。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3301

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「緑色の坂の道」vol.3300

 
       渚にて。
 
 
 
 
■ 79年のジョー・サンプルのアルバムである。
 だからどうしたということはないが、これを妙齢に贈った彼がいたとして、それは恐らく旨く結実しなかっただろう。
 抑えるという概念が、こちらとは異なっている。
 
 
 
■ 私は、雨の湾岸を海の方角に走った。
 浦安があり、幕張もあり、その度に具体的な横顔や住んでいた部屋の玄関などが浮かんでくる。停めていた駐車場の看板なども。
 彼女の下腹は思ったより広大で、谷に続く道では樹木が渦巻いていた。
 青森から先の、冬の昆布漁のようである。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3299

 
       手は打つ腹一杯。
 
 
 
 
■ 簡単に言うと、それほど沢山の女を知らず、薄ら笑いを浮かべ、今の現状をどこかで正当化したい男がいたとして、彼は空論に走る。
 女は逃げてゆくのだが、逃げたという意識も持たず、自分の中にある更年期手前の揺れ戻しに忠実であろうとする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3298

 
       犬のように。
 
 
 
 
■ 誰もいない、放課後の小学校の校庭を歩く。
 落ちているボール。
 手袋。
 水道の蛇口。
 
 
 
■ 阿佐田哲也さんが棲んでいた高輪のマンションを眺めにいったことがあった。
 今の事務所、白金台に越そうかと考えている頃で、当時私は伊皿子の辺りにいたから、なるべく近い方がいいと思ったのである。
 高輪は東京に長いひとは知っているものの、全国的にはそう知られた地名ではない。
 味のある名前がついた坂道がいくつもあって、蛇坂というのも近辺にある。
 阿佐田さんのいただろうそのビルは、当時はモダンだった風情が残り、駐車場には形の古い派手目な外車が並んでいた。
 
 
 
■ 犬のように女を扱うのは、ある意味で正しいことであるかと思われる。
 どうせ最後は、その犬がものを言い、飼い主を支配し、それから好きなようにしてゆくからである。ドサ健も、女衒の達も、それから坊や哲にしたって、ゆくゆくは腹が出て眼がかすみ、案外に孫の子守をしていたりする。
 それが悪いのかというとそうではなく、本当は犬に飼われるのも捨てたものではないと、梅毒で死んだ西洋の哲学者が書いていた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3297

 
       浮浪者の溜まり場。
 
 
 
 
■ という歌が、確かディランだったかバンドにあって、当時私は、そのような資料を暇があれば集めていた。
 多分「夜の魚」の三部に、浮浪者が出てきたからだろう。
 今、ここで公開しているのは二部までだが、実は未完になっている三部・南春 という作品があって、こんどはバイクに乗った少年のような女子高校生が出てくる。
 彼女は川崎の工場地帯に一人暮らしをしていて、主人公の零細コピーライターのドアを叩くのだ。
 
 
 
■ さておき、前の緑坂でいう97年の秋というものが今は思い出せないでいる。
 その時に何があったのか、当時の緑坂や、青瓶を捜せば出てくるのだろうか。
 そんなことはあるまい。
 つまり、社会が決定的に二極分化し、中産階級はぼろぼろと崩れてゆく。
 その中であがきながら、次の道を模索しようとする姿勢が、ここで「麻雀放浪記」を取り上げさせたのだと言えば教科書的である。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3296

 
       あばよ、こんなものさ。
 
 
 
 
■ 当時、文芸の助手をしていた甘木君は、この緑坂を読み電話をかけてきた。
 だ、だいじょぶなんスか、こんなの掲げて。
 そんときはそんときだ。
 それにしても、こーいちさん、無茶しますね。
 ともいえるな。
 
 
 
■ つまり、新聞紙面をそのままスキャンするという荒業だったからだろう。
 マッカーサーの顔というところが怖ろしい。
 文字をコラージュして二次著作物としたとしても、まあなあ。
 文芸フォーラムが読売の内部にあったから黙認されたもので、叱られたらシュンとして謝るつもりでもいた。
 幸いというかなんというか、そのような声は届かず、当時の担当責任者に後日酒をご馳走になった際、よく捜してきましたね、と麻雀の話に移った。
 その寿司屋は日本橋にあるのだが、酢の按配が独特である。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3295


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        女衒の達。
 
 
 
 
■ 画像がやや重いのでそのまま使うことにする。
 加工もメンドウである。キャッシュに入れば、続けて読むのに楽かも知れない。
 今表示されている画像の裏、昭和二十二年一月一日の「読売新聞」朝刊の二面にはこのようにある。
 
「近代文学を語る」(対談:正宗白鳥・宇野浩二・青野季吉)
 梅原龍三郎画伯の「裸婦デッサン」
「ことしを飾る花々―
「アメリカ映画でこれこそ1947年の第一線スタァと目されている三つ星―
 エヴェリン・ローズ
 ドロシー・マグワイヤー
 ジューン・アリソン」
 
 妖艶な美人が三人、モノクロで並んでいる。
 なかなか雰囲気があって、大変に宜しい。既にしてこの時分、こうした写真と話題は人々の強く求めるものだったようだ。
 その下には、「愛の宣言」という東宝映画の広告がある。イラストも善いのだが、その文案を引用してみる。
 
「新年おめでとう御座居ます あなたの新しき門出の為に真紅に燃える三つの青春をささげます」
「かつてない上原謙の美しさ。彼をめぐって命をかける清純、官能、愛欲の三人の女性の恋愛合戦」
 
 なかなか凄そうなものだけれども、実をいうと、ここまでくるのにたった二年しか経っていない。「神風まさに吹かん」「手は打つ腹一杯」からである。
 ここは文芸であるから、当時の代表的作家、坂口安吾、織田作之助などのことにも触れるべきだろうが、今回は見送る。
 話を戻す。「麻雀放浪記 青春編」にである。
 
―――――――――――――――――――――――――――
 
 
■ この作品については、既に多くの方が文章を書かれている。
 熱烈なファンであった和田勉さんの監督で映画にもなった。
 加賀マリコさんが、オックスクラブのママ役をやる。
 ママは、旧制の中学を出たばかりの主人公、「坊や」が、一人前の男として独り立ちしてゆく過程で出会う、重要なキャラクターのひとりである。続編にも登場する彼女は、男にとっての定点観測のような存在でもあった。
 麻雀放浪記には、一体に記憶に残る台詞が多い。
 それは、書こうと思って書けるものでもなく、蓄積された生活と気持の密度から滲むものが、ある条件下で水滴となって滴るさまに似ている。
 
 
「僕は、所属するのは好かないな」
「そうね、あンたはそうらしわ。あンたはきっと、誰とでも五分に対しなければならないと思っているんでしょう。あンたは小さくても独立国でいたいのね。そうなりたくて、博打なんかに興味を持ったんでしょ。つまり、悪いけど、子供っぽいのよ」
「――――」
「でもこの世界の人間関係には、ボスと、奴隷と、敵と、この三つしかないのよ」
(阿佐田哲也著:「麻雀放浪記 青春編」:角川文庫版:54頁)
 
 
 この憎々しさを画面で表現できるのは、昭和がまだ半ば過ぎの頃、六本木の「野獣会」などで鳴らした加賀さん以外にはないだろう。
「子供っぽいのよ」
 と、忘れずに付け加えるところに、阿佐田さんの大人の目を感じる。今も随分の無頼小説はあるけれども、今一つ読み応えなく感じてしまうのは、こうした苦い視線に欠けるところがあるからかも知れない。
 麻雀放浪記の面白さは、生命力が原始的なかたちで顕れているところである。
 勝負のこと。男と女の関係。市民社会とそうでないものとの対比などが、これほどくっきり描かれた時代も小説もない。
 麻雀のことは一切わからなくても、そこにあるドラマを読み進めるに従って、自分がどこかに忘れてきた牙や喪失感のようなものを思い出す。
 しぶとく生き延びるための本能的な何ものかを、読者は、「博打打ち」という悪漢の世界に身を置くことによってかりそめに会得しようとする。
 
 
 
■ ところで、私は、どうしてこの年末の押しつまった時にこのようなものを書いているのか。
 薄々は分かっているのだが、それを無理矢理言葉にしてみる。
 1998年という年は、今進んでいる世の中の構造的な変化が、随分と加速するような気がしてならない。
 それがはっきりしたのは、97年の秋頃だと思う。何処かで無意識に頼っていた航空母艦が沈んだ。時代の臓物が誰の目にもはっきりしつつある。
「麻雀放浪記」にはこんな台詞がある。
 ドサ健が博打に負ける。自分の女を売り飛ばそうとクダを巻く。居酒屋の親父に毒づく場面である。
 
「手前っちは、家つき食つき保険つきの一生を人生だと思っていやがるんだろうが、その保険のおかげで、この世が手前のものか他人のものか、この女が自分の女か他人の女か、すべてはっきりしなくなってるんだろう。手前等にできることは長生きだけだ。ざまァみやがれ、この生まれぞこない野郎」
 (前掲:298頁)
 
 今、本質的な保険などというものはない。
 
 
▼註・画像は昭和二十二年一月一日の読売新聞一面。文字をコラージュ。
 
―――――――――――――――――――――――――――

○昔坂
 初出は読売新聞社 yominet 文芸フォーラム「緑色の坂の道」
 97年12月27日。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3294

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       麻雀放浪記 青春編。
 
 
 
 
■ 昭和二十年一月一日の、「読売報知」の一面には、御前会議の写真が掲載されていた。
「B29に必中弾」「天皇陛下 最高戦争指導会議に親臨」「一億特攻・戦局進展のこの一年」
 紙面の中ほどには郵政省、「弾丸切手」の広告がある。
「我らの弾丸切手 いま凶敵を撃滅中」
 その裏手、二面をめくると以下のようになっている。
「神風まさに吹かん(八木技術院総裁)異常な決意、科学技術陣」
「美し皇土・断じて護持」「今年の食生活 島田農商相に聴く 手は打つ腹一杯」
 
 
 
■ 神風は吹かず、腹一杯にもならず、八月十五日をむかえる。
 
 もはやお忘れであろう。或いは、ごくありきたりの常識としてしかご存知ない方も多かろうが、試みに東京の舗装道路を、どこといわず掘ってみれば、確実に、ドス黒い焼土がすぐさま現れてくる筈である。
 つい二十年あまり前、東京が見渡す限りの焼野原と化したことがあった。当時、上野の山に立って東を見ると、国際劇場がありありと見えたし、南を見れば都心のビル街の外殻が手にとるように望めた。つまり、その間にはほとんど建物がなかったのだ。
 人々は、地面と同じように丸裸だった。食う物も着る物も、住むところもない。にもかかわらず、ぎらぎらと照りつける太陽の下を、誰彼なしに実によく歩いた(略)。
 毎日、どこかの路上には行き倒れが転がっていた。
 そうして人々は、その姿にもまったく無感動で、石ころを眺めるように通りすぎていった。
 昭和二十年十月――。

(阿佐田哲也著:「麻雀放浪記 青春編」:角川文庫版:5~6頁)
 
 
 
■「麻雀放浪記」は、言うまでもなく、掛け値なしの名作である。
 角川文庫版の解説は、畑正憲さんが書かれている。この解説も、背後にある色々を考えると随分と重い。この重さは、近い世代の作家の方々とも繋がっていて、例えば大藪晴彦さんの膨大な山脈を理解できるかの試金石にもなっている。五木寛之さんの、「青春の門」で描かれなかったある部分とも。
 畑さんは、満州から引き揚げてこられた。向こうの小学校時代の同級生は誰一人生き延びていないという。同胞の手によって処分されたと、せんだってある雑誌のインタビューに答えていた。
 時折、激しい鬱になる。
 阿佐田さんと等しく、畑さんもそのように言われていた。
 自分はなんのために生きているのか。
 
 
 
■ 師走も押しつまったある日、私は本棚の中に手を突っ込み、この文庫をみつけた。新聞を眺めると、三船敏郎さんが亡くなっている。
 暗くなってから外に出ると、携帯電話を頬に当てた若者が自転車で信号無視をしていった。くわえ煙草で歩いてくる若い女とすれ違う。女に緊張感などない。
 何も考えず、坂道を降りる。
 戦局はこの秋に決定した。
 何物も持たないところに戻らざるを得ない時が、そう遠くない明るい午後にやってくるようにも思う。
 はじめてで。
 こわくても。
 
 
 「でも、早くそうして」
 「何?――」
 「わたしを犬か豚のようにって、そういったじゃないの」
 (前掲:60~61頁)
 
▼註・画像は昭和二十二年一月一日の読売新聞一面。そこに文字をコラージュ。
 
―――――――――――――――――――――――――――

○昔坂
 初出は読売新聞社 yominet 文芸フォーラム「緑色の坂の道」
 97年12月26日。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3293

 
       どうすればそれがかなうの 4.
 
 
 
 
■ 90年代後半、私はこのままゆくと社会は相当なことになるだろうか、という予感を抱いていた。漠然とした閉塞感と、足元が壊れるかのような構造的な崩壊。
 徹夜明けで〆切を送る宅急便を出しにゆくと、坂道には船井総研の本が山済みになっていて、都の収集を待っている。
 この辺りの誰かが一心に勉強したのだと分かった。
 
 
 
■ ある種、第二の敗戦なのだというひともいた。
 確かにそれはそれで、戦後と等しく、声の大きな人たちが、次はこれが流行るのだと言い始めてもいた。
 ITの世界では、これを知らないとモグリだとか囁かれ、各種のセミナーには知った顔が並び、いつの間にか取締役に就任して二年後には辞めていた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3292

 
       どうすればそれがかなうの 3.
 
 
 
 
■ 世の中が騒がしいときに、それについて語ることは簡単だと思っている。
 この状態を面白いと言ってしまうと、その次にくるものの重さが実は拡散してしまうのではないかという気もしている。
 
 
 
■ ネットの世界で、ある種論客と呼ばれている人たちのサイトを覗くと、成程このように煽ってゆくのだなと感じることが多い。
 それらは過剰に良心的であったり、ワルぶっていたり、あるいは世を憂いていたりもする。つまり言葉が半オクターブ程高い訳だが、この高さは、満員の新幹線の自由席で、ノートPCを取り出してメールを打っている30代の男の横顔にも似ていた。
 
 
 
■ そのことで思い出すのが、吉行さんの「街の底で」という小説である。
 週刊誌に連載されたいた、いわゆる中間小説というものだから、無駄な部分が多く、風俗にも流れ、世評はそれほど高くもない。
 主人公の文案屋(コピーライター)は、半ば街を放浪するかのように、女のところに入り浸り、ムゴーイ目に会い、そこから逃れるように路地裏をほっつき歩く。
 ただその視線は当時の大学卒、つまりは相対的に少数の側にいる者の、例外としての立場である。半分余所者。
 市民社会とそうでないもの、という二極構造がはっきりしていた頃の作品であるから、今の時代にそのまま通じるものでもない。
 文庫版解説のところに、確か奥野さんだったと思うが、この作品には60年安保のアの字も出てこない。それでいて、安保以後の背骨が折れたような知識人の心情をこれほど滲ませている作品も少ない、という趣旨のことを書かれていた。
 石坂洋二郎原作の日活文芸路線でも、例えば裕次郎が国会へデモにゆくシーンがあって、ほぼあらゆる作品に安保が登場する頃合である。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3291

 
       どうすればそれがかなうの 2.
 
 
 
 
■ このコピーは、例えばディズニーのミュージカルの中にあってもおかしくはない。
 もしかするとあるのかも知れないが、ミュージカルや童話というのは、仔細に見てゆくと少しばかり残酷なところもある。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3290

 
       どうすればそれがかなうの。
 
 
 
 
■ 緑坂は影があって、それに向き合うのが怖い。
 という趣旨のことを、ある妙齢が言っていたと、人を通じて暫く前に聞いた。
 確かに私の画像もコピーも、一定のトーンがあって、それは作風というか個性なのだが、作風のないデザイナも作家もいないものである。
 
 
 
■ 冬の魚じゃね、さなか、埼玉に向かう国道を走っていた。
 女の友人と一緒で、そうなると妙齢本格派であるが、向こう側に工事中の建物が見える。都心とは異なり、周囲を念入りに囲っていないものだから、その構造が透けていた。
 私はトランクから三脚を取り出し、多分それは中くらいのジッツォだと思うが、200ミリで狙った。
 女の友人、本格派は車の中で煙草を吸っている。
 99年の作であるから、既に6年も前のことになる。
 
 
 

2005年08月24日

「緑色の坂の道」vol.3289

 
       PARTAGAS.
 
 
 
 
■ 並木通りを出てから、中央通りにある煙草専門の店に入る。
 普段使っているライターがそろそろ寿命だからで、同じものを買いにいったのである。「同じものでいいんですか」
「いいんです」
 などと言い合い、ついでに五本入りのシガリロを求めた。
 
 
 
■ 5本と書くか、5とするか、上のように五と記載するかは結構厄介な問題で、どういうことかというと縦書きにする場合、全てを直さなければならないからである。DTP時代の癖なのだが、最近はあまりこうしたことに拘らない風潮でもあるようだ。
 
 
 
■ やや細い、ハバナ産の葉巻なのだが、セロファンに入っているので多くのミニシガリロのように乾いてしまうことはない。
 乾いた葉巻は、例えば蝉がアスファルトの上で粉になるのを見るようで、触ると脆くも崩れてゆく。
 と、こう書いていて、こうした感性というのはどうにかならないものかと考える。
 いずれにしても、普段持ち歩いているカメラバックに入れ、汐留方面へと曲がった。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3288

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「緑色の坂の道」vol.3287

 
       上着を肩に。
 
 
 
 
■ この夏に買った服といえば、なんとかNYというところのプルオーバーがひとつ。
 セールだったからで、半額以下になっていた。
 腕をまくって着る。それでMTGにいったりもする。
 残りは出先で買った綿のパンツとシャツ数枚。
 なんとなく、服はどうでもいいような気がして長い。
 
 
 
■ あることで友人に礼を贈らねばならず、銀座、並木通りにあるブランドショップにいった。昔から男達の定番とか言われているところである。
 そこのライターは「死刑台のエレベーター」の中で使われていた。
 こう書くと、緑坂読者の中で映画好きな数割の方には理解されるだろうか。
 奴は煙草も酒もやらない男なので、好きだろう車の小物ということにした。
 銀のキーホルダーである。普段私が使っているものの、8倍程の価格がする。
 銀のアクセサリーというのは、使わないと黒くなってくるものだが、掌に入れておくものだからそうでもないだろうと考えた。
 
 
 
■ 男同士の場合、自分が使っていいだろうというものを贈ることにしている。
 グラスであったり、ライターや机の上の小物。
 あってもなくてもいい品物で、そのジャンルの中ではそこそこの質をしているものを選ぶ。あまりやりすぎると野暮になるし、自分では冷静な判断から、決して買わないだろうということもその基準にはなる。つまりは無駄だということだ。
 そういえば、まだ私が若造の頃、この通りにある店で綿のシャツを一枚作った。
 丸がひとつ多いくらいの価格だったが、十年程着て、襟と袖口が透けて見えるようになって捨てた覚えがある。決して太ったからではない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3286

 
       虹の楽園。
 
 
 
 
■ ある世代の、ある階層の、その中の余所者の方にはお分かりだろう。
 ジョー・サンプルの定番である。
 
 
 
■ 暫く前に緑坂に書いた医者の友人が、サンプルのファンだった。
 知性的な黒色という、JAZZの世界には面白い階層分化があり、白くなりたがる黒色や、白いものよりも明晰な彼らがいた。
 その反面、白くて中産階級であることを恥じた彼らは、路地裏の文化に溺れてゆく。
 それはコミューンであったり、その先のドラッグであったりもした。
 ここで思い出すのが、ヘンリー・フォンダの娘と息子なのだが、果たして彼らは父を超えられたのだろうか。
 分かりはしないが、つまらないことに今の大統領もそれに似ていた。
 それでいて、帰依するものが原理主義だったりもする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3285

 
       暖簾について。
 
 
 
 
■ 誰にでも、お世話になったという方々はいて、勿論私も例外ではない。
 指折り数えると、どうしようもない。
 随分旧聞になるのだが、読売新聞社主催、yominet の責任者であった槲氏(仮名)もその一人である。
 いきさつは様々にあるが、大体のところ、一回は喧嘩をする。
 あのクソジジィとか言って、ことある毎に突っかっていた。
 
 
 
■ あるとき、私のIDがネット上で受け付けないことがあった。
 過激なことを書いていたから、とうとうIDを削除されてしまったのかとビビッた。
「けっ、キンタマの陰干しでもしていた方がマシだよなあ」
 とか、数日前に書いていたからである。
 屋上か何処かで、皺の各部分を日光にあててやるという風情か。
 だが、IDを削除されるのはなんとなく困る。
 致し方なく、数日悩んだ末、読売新聞社の当該部署に電話をかけた。
 
 
 
■ いつもお世話になっております。
 問題発言があったものですからIDがハクダツされてしまったのですか。
 おずおずと尋ねる。
 電話口で槲氏は声をあげて笑い、いやいや、そんなことをする訳はないですよ。
 でもですね、こーいちさん、陰干しはその通りですが、公の場ではいかがなものか。
 誠にごもっともなお話で、私は汗をかきながら電話口に向かって頭を上下していた。
 当時、私は、こーいちさんと呼ばれていたのだ。
 平仮名で。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3284

 
       魔法をかけてちょうだい 2.
 
 
 
 
■ この作品は、緑坂的というか、私らしいものかも知れない。
 witchcraft というのは、確かドリス・ディのナンバーで、秋口になるとよく聴いていた。「魅せられて」と訳されていたように覚えている。
 
 
 
■ 本作品もEPSONの連作広告のひとつである。
 対案はいくつかあったが、これが選ばれ、担当者もなかなかだったなと思い出す。
 どこか地方へとまではゆかず、その辺りで撮った月の画像である。
 三脚は立てず、手持ちでいっている。
 夏であったのか、本当に秋だったのかは忘れた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3283

 
       魔法をかけてちょうだい。
 
 
 
 
■ 遠くから雷が近づいてゆっくりと去った。
 水銀灯のスポットの中を、雨の筋が走る。
 誰かにそんなことを言われた覚えもあるが、それは自分の中のもうひとりの言葉だった。
 
 
 

2005年08月23日

「緑色の坂の道」vol.3282

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「緑色の坂の道」vol.3281

 
        ランドセルは新しい。
 
 
 
 
■ 緑坂 3277 の下半分余白のところ。
 商品と会社のロゴ、それでいて担当事業所の所在地と連絡先などを付与する。
 そんな風にしてある種広告ができてゆく。
 これも、EPSON の連作で使用した作品であった。
 
 
 
■ 撮影のエピソードは沢山あるのだが、全てを書くわけにもゆかない。
 今、小学校のグラウンドに入ることや、そこでカメラを構えること自体、なかなか許されることではないからだ。
 私は少年の顔も数枚撮っている。それは公開はせず、この後グラウンドに居た体操服姿の女性教員にとりあえずの説明をした。
 彼女は40に近い髪の短いひとで、もうすこし若い男性教員と共に放課後のグラウンドを管理していた。
 私は教頭に会い、名刺を渡し、それから校長室に招かれて口の広い湯飲みでお茶をいただいた。
 勿論出来上がった作品は、校長先生宛にお送りしている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3280

 
        わたしはうまれてゆくだろう。
 
 
 
 
■ 砂漠の地で女というのは泉にも似ていたが、力だけでどうにでもなったのだという。
 そのオアシスを確保しなければ、部族全体が死に絶えてしまったからだ。
 だが後からの知恵かも知れず、砂に月経の血をまぶしても、砂は砂だという哲学者が東欧にいたという。
 東欧というのが嘘くさくは思えるが、わかりはしない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3279

 
        理論的な骨。
 
 
 
 
■ 文字コードに含まれていないということから、漢字が使えないでいる。
 びていこつ、と平仮名で書いてニュアンスが伝わるだろうか。
 かなり広いだろうと思われるものの中に指が入っていって、そうでもないことに気付き、かといってそれを口にせず、浮かんでくる汗の密度を確かめる。
 声だけは一人前の場合、君は手入れをしていない。
 終わった後に文学とか人生の話をしたりする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3278

 
        いい女とはなんだ。
 
 
 
 
■ と、いう命題が古今東西にある。
 この答えは、その男性のタテヨコ立居地に関わってきていて、なかなかに興味深い。
 ここで私は自説を開陳するほどのお人よしではないのだから、概ねゆるやかに言いますと、毛はぼうぼうでもいいが、尾てい骨が伸びているのはどうもなあ、という気分でいる。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3277

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