2005年06月23日

「緑色の坂の道」vol.3172

 
       港町十三番地。
 
 
 
 
■ 深夜の湾岸線を、美空ひばりさんの歌を聴きながら走った。
 普段は横羽に流れるのだが、疲れているのか、曲がりそこねた。
 
 
 
■ ひばりさんにはマドロス物という歌のジャンルがある。
 船乗りというのが、どこかいなせでモダンに思えていた時代の産物だが、同時にそれは進駐軍がこの国にいた時期とも重なる。
 
 長い旅路の航海終えて(作詞:石本美由紀)
 
 
■ 私は友人から挨拶状のデザインを頼まれた。
 彼が撮ってきた写真を「列島いにしえ探訪」や、コニカミノルタのADカードで使った雛形に流し込む。
 彼が短文を書く。半分は詩のようなものだ。
 おい、おまえ頼むと高いんだろう。
 まあなあ、でもおめーだから、○ひとつ減らすよ。
 わーい。
 と、いう按配で、なんともいえないものなんである。
 羽田のトンネル辺りで曲が終わる。
 成程、奴も長い旅路だったんだなと思いながら、黄色い照明の流れる海の底を下ってゆく。
 
 
 

2005年06月22日

「緑色の坂の道」vol.3172

 
       これから、どこへゆこう。
 
 
 
 
■ NYの画像を使った作品に、このコピーを使ったものがある。
 建国200年の祭が盛大に繰り広げられていた頃の写真である。
 ブロード・ウェイの看板の中で、少年が笛を吹いている。
 背後には国旗が飾られて、つまりは騎兵隊のようでもあった。
 
 
 
■ 立ち位置、という言い方が比較的普通なものになって久しい。
 自分の立ち位置を考える、などと使う。
 セルフ・ブランディングとしゃらくさく言うこともあるが、外側からもう一度自らを省みるということを指している。
 その上での志向性であったり願望だったりもするのだが、決定的なことはそこに年齢という要素が加わることかも知れない。
 先日、地方の国立大学病院の医局長をしていた友人と会った。
 奴はストレスから喘息が出たり、脱毛症に悩まされていた。独立法人化への過程の中で、一番気を使う立場だったからである。表も裏も彼の仕事だ。
 彼は大学という組織を出た訳だが、それはかなり大きな決断だったのだろう。
 残った時間をどう使うかを考えた、と言っていた。
 そろそろ大したことはできないのだな、ということが分かってくる。
 指折り数えながら、例えば50歳というものを待つ。
 無理が利いたのは、40くらいまでだったよな。
 おまえもそうか。いずれ検査してやるからこいよ。ああ。
 
 
 
■ そのときそのときに、腹をくくるような処があって、結構集中して無茶をする。
 喧嘩に近いものであったり、ホフク前進で一向に先に進めない数ヶ月があったりもした。
 同じところを廻っているだけじゃないか。
 と、夜更けに思い出す。
 そういう時期には、たいてい分かったようなことをいう女が傍にいるもので、それが溝になって決定的な結果が出る場合もある。
 彼女は自分の何処を見ていたんだろうか。またその逆もだ。
 私たちは、東京駅から湾岸線を通り、横浜、港の見える丘公園にいた。
 急な坂道を登って車を停める。
 一階のラウンジで茶を飲みながら、眼の前にある結婚式場の鐘を眺めている。
 遅れてきた狐のような横顔をした若い女が、耳にピアスをした男と式場の下見をしていた。野バラは既に終わっている。
 梅雨の晴れ間とはいえ、長袖では暑い午後だった。
 
 
 

2005年06月21日

「緑色の坂の道」vol.3171

 
       外灘(バンド)。
 
 
 
 
■ 仕事で上海に再びゆくことになった。
 いわゆる撮影が主ではない。
 拙作「夜の魚」は全部で三部あって、三部はまだ未完である。
 二部の舞台が、上海。「夜の魚 外灘」という題名だった。
 1990年代の前半。電子塔ができたかできないかという頃合、我が国では臨海副都心がまだ建設中だった時代を背景にしている。執筆もその当時だ。
 
 
 
■ その二部を緑坂に掲載すべきかどうか、すこしだけ迷っている。
 一部とはまた異なり、どちらかといえば軽ハードボイルドというジャンルの作品だからだ。
 作家・小嵐先生は「戦車が出てくるのがなあ」とか葉書に書かれてきた。
 どうもすいません、楽しんで書いたもので。
 
 
 
■ いずれにしても、物語というのはフィクションである。
 今、もう一度書けと言われれば、もうすこし小説らしいものは書けるのだろうが、例えば「夜の魚 一部」のような文体はできそうにない。
 テーマそれ自体も、少しずつ変わるのだろうと思っている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3170

 
       なにもの。
 
 
 
 
■ であるか、などはどうでもいいことである。
 しかし、オモワセブリな姿勢というのがいくつかあって、そういうのが続くとしゃらくさいと思う。
 
 
 
■ オモワセブルのは、安い映画にまかせておいて、貴方はりっぱなうんこをしなさい。
 と、こころの中に思ったことを今書いている。
 
 
○昔坂 vol.169 93年
 
 

「緑色の坂の道」vol.3169

 
       流行 5.
 
 
 
 
■ オクターブ高いものの言い方というのが苦手である。
 そして、ネットというのはそういった言説が比較的まかり通るかのように見える、ところでもあった。
 それについて書くことはしないが、生理的な拒絶反応というものがあって、それは自分が作品を作ってゆく時のある種の核になっているのだという気がしている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3168

 
       流行 4.
 
 
 
 
■ 新自由主義経済が世界の一部潮流になってから、そういったある種古風な仁義というのは廃れた。
 身を守るためには、監視カメラも小型の録音機も必要悪だ、と自らを納得させないとならなくもなる。
 背中と腹を見せながらセクハラを言う女性たち。
 わるいけど、見せないでくれないか。
 脱臭剤をプレゼントすると、多分刺される。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3167

 
       流行 3.
 
 
 
 
■ そういう話をするつもりはなかった。
 同じところに似たような学生がいて、誰かから聞いたのだろう、私の事務所が白金台にあるということで寄ってくる。
 シロガーネゼですね。事務所に遊びにいっていいですか。
 んー、こなくていい。男は入れないんだ。
 女連れてゆきます。
 なおさらこなくていい。
 
 
 
■ 君、地下の駐車場で車を洗いたまえ。
 と、言いたいところを抑えていた。
 昔、朝潮君は飯を食わせてもらう代わりに私の車を洗った。
 駄目じゃないか、ここ残っているじゃんか。
 など、エラそげに言う。その後で定食屋にゆく。
 だからどうしたということはないが、私も餌の恩は忘れない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3166

 
       流行 2.
 
 
 
 
■ 何時だったか若い学生と酒を飲む機会があった。
 おい、この焼酎のボトル、もってかえれよ。
 と、彼に渡す。
 え、いいんですか。
 いいんだよ、飲み放題なんだから。
 と、彼のシャツの下に入れたりしているんだから私も酔っている。
 
 
 
■ 北澤さん、女はいいですよね。
 と、彼は言う。
 彼は理系のいわゆる名の通ったガッコの学生で、おそらくは千葉辺りに下宿をしている。
 廻りには同じ歳の女子学生がいて、まだ拙い化粧にも関わらず胸を出したりしてもいた。
 
 
 
■ 男は30からだから。気にするな。
 30になるとモテルんすかねえ。
 それは君次第だよ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3165

 
       流行。
 
 
 
 
■ 吉行さんの短編にそういうものがある。
 戦後まもない頃、女の友人がその時々に流行った思想やファッションを身につけ、主人公の前に顕れる。
 始めは颯爽と。次第に疲れながら。
 吉行さん本人だと思われる主人公は、その話を定点観測のように聞く。
 
 
 
■ 若い頃、といっても三十代だったとは思うが、その短編をみつけ繰り返し読んだ。
 世の中はバブルの最中で、証券や銀行にいった友人たちは空を見上げて笑っていた。
 建築の世界では、若くして独立した彼らが巨大なモニュメントを手がけてもいる。
 私は取り残されていたのかというと、半ばはそうだったのだろう。
 どちらかに行ってしまえば楽なのだが、その狭間で綱渡りをする。
 そんなことを考えながら、この奥の虫歯はもう駄目なんだろうと思っていた。
 
 
 
■ 自分を支えるものが、誰かの作品だったりフレーズだったりすることはある。
 とりわけ男の場合には、その存在自体が必要のないものだから、じたばたをくりかえす。その方向と質が、彼の資質と個性であるともいえる。
 あるときその作品の中で、女の友人がまだ稚拙な段階の整形を施し、主人公の前に顔を出す。
 オクターブ高い、これからの時代はこうよ、という口調は変わらない。
 主人公は醒めたコーヒーを前にして、彼女と会うことはもうないかも知れないと思う。
 手術のために、鼻の部分の色が変わって見えることは口にしない。
 
 
 

2005年06月20日

「緑色の坂の道」vol.3164

 
       湿度ある土地で。
 
 
 
 
■ 水溜りを眺めるとする。
 その匂いを思い出す。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3163

 
       高い月。
 
 
 
 
■ 電話をしているあいだ、月が動いていた。
 雲に隠れる。
 雲というのは、ゆるやかに実態のないもので、ここが砂漠だったらどうしたかという本を思い出した。
 
 
 

2005年06月17日

「緑色の坂の道」vol.3162

 
       ふたつのタイピン。
 
 
 
 
■ 普段、ネクタイをぶらぶらさせていることが多い。
 とはいっても、年に数回しか締めることはない。
 何時までもそうも言っていられないという声もあって、時々はピンを挿したりもしている。銀がいいのだが、問題は落とすことだ。
 あ、あった。
 とか、クロークの女性に見つけてもらったこともある。
 それで、ハードボイルドのつもりで戻ってゆく。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3161

 
       前題、パートツー。
 
 
 
 
■ 大体のひとたちが愛に生きている訳だが、さておき。
 途方にくれるしかない時というのはあるもので、
「そういうわたしをほっといて」
 とか、誰もいないのに言う。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3161

 
       愛にいきる。
 
 
 
 
■「なんでなんでナンデ」
「どーしてどーして、ドーシテ」
 と低く歌いながら画面に向かっていた。
 MOを初期化するつもりが、まちがえてHDの方をそうしてしまった。
 動機はよかったんだけどな、腰が重い。
 
 
○昔坂 vol.863 94年
 
 

「緑色の坂の道」vol.3160 

 
       ブルーラベル 5.
 
 
 
 
■ シングル・モルトを薦めるバーは二流である。
 という偏見を私は持っている。
 ほぼこれは、今の焼酎ブームに近いところがあって、大体そういうバーでは棚に焼酎の瓶が並んでいる。
 たかが焼酎にプレミアムかという気分もあるが、何が堪えるのかというと、ラベルのデザインではないかと気がついた。
 額にバンダナを巻いた特製ラーメン屋のメニュー文字にも似て、中途半端な禅の書に似せているからだと思われる。
 
 
 
■ いつぞや、赤坂のそういった場所のカウンターにいた。
 三十になっただろうか、バーテンが氷を削っている。
 何時から定番になったのか、グラスに合わせて氷を丸く削るというものである。
 暫くはしゃらくさい感じがして私は好きではなかった。
 最近は、仕方のないことなのだなと考えるようにしている。
 普通になってしまったからだろう。
 
 
 
■ バーテンダーが、薄いゴム手袋をしながら氷を削っている。
 暫くたって、おいおい、それだと手術しているみたいだなあ、と声をかけた。
 店長がそうしろと言うんですよ。
 なるほど、でも、削るところは見せないほうがいいかも。
 バブル以後、基準が変わっていることも頭の片隅で思い出している。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3159

 
       ブルーラベル 4.
 
 
 
 
■ 先日酒屋で、復刻版のカクをみつけた。
 度数が43であるという。
 40という数字の前後のいくつかというのは、結構酔い方の速度に差があるもので、例えばカクテルを安いジン、37.5度で作るとどうしても水っぽい。
 ボトル半分かな、と自慢しても、39度であれば割合に簡単である。
 大体今の時代、酒の量を自慢してはいけないことになっている。
 
 
 
■ 43度のカクは、やや高かったのでとりあえずやめにした。
 高いといっても、カウンターで嘗める、ジョニー・ウォーカーの青ラベル、シングル一杯で二本買えるのだから雰囲気である。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3158

 
       ブルーラベル 3.
 
 
 
 
■ 明日の準備をしながらこれを書いている。
 かつてyominetの文芸で助手だった甘木君は、短めの随筆を書くのに三時間かかり、親方である私に叱られていた。
 そういう彼は、悪口を書かせると膨大に、しかも十五分で仕上げてくる。
 それが旨い。適材適所と言うんですかねえ。
 
 
 
■ ひとのことは言えないが。
 というのが、当時必ず付随する常套句であった。
 これは、昨今の「モナー」に相通じるところもある。
 ま、そこは流れで。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3157

 
       ブルーラベル 2.
 
 
 
 
■ NYの市民はシナトラが好きだ。
 若かった頃の裕次郎が、未だ語られているように。
 歌そのものを比べるのは無理があるが、どちらも投げ出すようにして歌っていた。
 歳を経てからボスになり、ある種戯画化された父性を演じたことも似ている。
 
 
 
■ ところで、先日私は池部良さんの随筆を再読していた。
 高倉健さんと競演した東映のシリーズのおかげで、確か新宿だったかでチンピラに車が囲まれた時、役柄そのままにドスを利かせる。
 あ、兄貴でしたか。
 と、チンピラはさっと道を開ける。
 冷や汗ものだったと、池部さんは書かれていた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3156

 
       ブルーラベル。
 
 
 
 
■ シナトラの1947年録音「バット・ビューティフル」を聴いている。
 ジゴロが女を口説くときの声であって、男に聴かせたくて歌っているのではないという覚悟がある。
 眼に星。舌先にセネカではない哲学者。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3155

 
       To The End Of The World.
 
 
 
 
■「夜の魚」一部の掲載が終わった。
 一部に関しては、多分、95年の界隈、その辺りに脱稿した覚えがある。
 調べればいいのだが、億劫なのでやめにする。
 95年界隈、というのは、vol.105 に出てくる「パット・メセニーの曲」というのが、95年のアルバム「WE LIVE HERE」の3曲目を想定していたからである。
 いかにもの曲名なのだが、出だしの暗さから次第に曲想が高まってゆくあいだ、私は旧型のドイツ車で、何度か湾岸を意味なく行き来していた。
 
 
 
■ その時の、確かDOHCのエンジン音はなんとなく覚えている。
 当時の私は、自分や周囲が一応信用していたものがそうではなく、内側から崩壊してゆく過程の真ん中にいた。自分自身も追い込まれていたが、それよりも一歩外に出る勇気のようなものを試されていた。
 当たり前のことだが、外は寒く、この先どうなるか分からず、それでいて妙に明るい昼と夜であったように覚えている。
 どこか、人を喰ったかのように意地を通さねばやっていられない。
 女が、これからどうするの、と尋ねても、知るかと答えている。
 別の女を作ったりもした。
 
 
 
■ 毛を毟られた鶏のようになっていた時期というのは何度もある。
 俄かには信じられないことだが、例えば当時の私は、銀座通りを歩くことができないでいた。
 ここは自分などが来る場所ではない、と考えていたのである。
 単に眩しかったのだろう。
 書けなくなると、夜中の埠頭などに忍び込んだ。
 まだ、トラック相手のラーメン屋などが残っていた頃で、屈強な体躯の男たちの間に混じり、明け方近く、細い麺をすすっていた。
 馴染みにまではならない。
 
 
 

2005年06月16日

「夜の魚」一部 vol.106

 
 
 
 
 主要参考文献
▼「新フィリピン事情 崩壊と再生」 西田令一著 日中出版 1989
 
▼「フィリピン新人民軍従軍記」 野村進著 晩聲社 1981
 
▼「日本赤軍派 その社会学的物語」 パトリシア・スタインホフ著 木村由美子訳 河出書房新社 1991
 
▼「対談 革命的左翼運動の総括 いま語っておくべきこと」 川島豪・塩見孝也著 新泉社 1990
 
▼「灰とダイアモンド」 イェジイ・アンジェイェフスキ著 川上洸訳 旺文社文庫 1978
 
▼「青年期境界例」成田義弘著 金剛出版 1989
 
▼「ボーダーラインの心の病理ー不確実性に悩む人々ー」 町沢静夫著 創元社 1990
 
 
 

「夜の魚」一部 vol.105

 
 
 
 
■ ラジオからパット・メセニーの曲が流れている。
 車は今にも分解しそうな音をさせ、一四〇で走っている。
 この小さな車ではこの辺りが限界だ。
 高速の繋ぎ目を乗り越える時の収まりが、フランスの味を残している。
 空港に向かう道は空いていた。空が赤くなってゆく。
 葉子は上海にいった。
 先日、何枚もの写真が送られてきたのだ。
 大きな川に沿っている公園で、沢山の人が沈む太陽を眺めていた。
 街の中心部には建設中のビルがいくつもあり、竹を組んで職人がその上を歩いていた。
 葉子は伸びた髪を上でまとめ、中国服を着て脚を組んでいる。
 随分大人びてみえる。
 私は事務所をやめた。
 入院していたことと、何かがはっきりしたような気がしたからだ。
 葉子の父は、「上海貿易公司」という会社をやっている。
 どんな男なのか知ってみたいという気分がある。
 彼の紹介で向こうの代理店に嘱託として暫く席を置くことにした。いつまでになるのかはわからない。主にドイツの企業相手の仕事になるのだと聞いている。細かい打ち合わせもあって、一度向こうに渡ることにしたのだ。
 自由化政策の影響で、上海は往年の活気を取り戻している。
 狭い部屋に大家族が住んでいて、早朝の公園は子供と老人達で一杯になるという。若夫婦のために、朝の時間を空けるのだ。
 
 私は車の速度をゆるめ、途中のパーキングに入った。
 自動販売機で煙草を買い、腰を屈めた。
 思いだしたこともあったが、かたちにならなかった。
 
 
「夜の魚」 完
 

「夜の魚」一部 vol.104

 
 
 
 
■ 北沢は捕まらなかった。
 ポルシェの中には上着だけがあり奴の姿はなかった。
 夜の海を泳いだのだろう。
 葉子が持ち出したフロッピーには、人名と販売経路の一部が残されていた。
 北沢が口を滑らせたように、現役の閣僚に連なる名前もあった。勿論、捜査はその段階まで及ばなかった。北沢を捕らえることができない以上、情況証拠だけでは無理なのだ。
 中国本土とロシアの辺境から香港を通る麻薬ルートは、その一部が休眠状態となっただけで今も健在である。
「公洋貿易」という会社は一年も前に登記が抹消されていた。
 事務所も空であり、机と外された電話だけが残っていた。
 現在、日本に残るCPPのメンバーは宗教団体の非課税の部分に眼をつけているという。背後に仕掛人がいるのだろう。科学や超心理などの名目をつけ、終末論と来世の繁栄をうたう幾つかの新・新宗教は人間の受動性の部分を巧妙にくすぐっている。本部の指導を離れ、一層過激となったスパロー・ユニットの一部はまだ日本に潜伏したままである。 
 ともあれ、何かが終わったとも思えない。
 始まったという訳でもない。
 吉川は相変わらず晃子を口説いてはフラれている。
 怒られることを楽しんでいるようでもある。
「とうとう官憲の手におちたな」
 と、警察病院のベットに寝ている私を見下ろしていた。
「俺は自由な個人として協力しているまでだ」
 奴が奥山を連れてきたのだが、何処まで知っていたのか今となってはどうでもいいのだ。
 
 
 

「夜の魚」一部 vol.103

 
       二八 エピローグ
 
 
 
 
■ 秋がきた。
 空が高くなり、上着を手に持つことがなくなった。
 私は煙草を軽いものに変えた。すこしだけ髪を伸ばし、古くて安いフランスの車を買った。煩くてドアもよく閉まらない。暫くはそれでも良いのだと思っている。
 あの後、私と葉子は警察病院に運ばれた。
 私は大部屋だったが、葉子だけは個室だった。
 真冬の横浜港に見事な亀甲縛りのまま裸で飛び込んだのだから、熱を出しても不思議ではない。葉子は軽い肺炎になったのだ。
 水上警察の船の上ですぐに毛布を被ったが、縄を解くのに時間がかかった。乗組員が遠慮したのか、結び目を捜して手間どったのだという。縄は股の間にも廻されていたのだ。
 私は踵と肋骨にヒビが入っていた。肩甲骨の上が割れ、止めてある金属が歪んだ。銃弾はそこで向きを変えたらしい。金属を取り替えたが、肉が盛り上がるにはまだ暫くかかる。
 葉子は薬を抜くために特別の治療を受けていた。
 治療自体どんなものかは知らないが、薄い耐性が出来ていたのだという。覚醒剤も含まれているのだろう。
 奥山が見舞いにきた。
「黙っていて、申し訳ありません」
 
 彼は厚生省管轄の麻薬取締捜査官だったのだ。神奈川分室に属している。
 桟橋近く、水上警察署の四階にある小さな部屋で私は何度か事情聴取を受けた。
 組織は別だが捜査は合同でなされたらしい。警視庁と神奈川県警との仲がそうであるように、厚生省と警察庁が協同で事件の解決を図ろうとすることは、通常ほとんどあり得ない。
 役人特有の縄張り意識のおかげで、各種の広域捜査の場合には円滑にゆくことの方が珍しいと言われている。今回のようなことは極めて異例であり、背後に何か別の力が働いていたのかも知れない。
 覚醒剤に関しては、コントロールド・デリバリー、いわゆる、「泳がせ捜査」ということが特例として認められている。私は囮として使われていた訳だが、不思議に腹も立たなかった。
 松葉杖をつきながら入り口の階段を昇る時、彼は眼鏡のツルを何度も持ち上げて眺めていた。決して手を貸そうとはせず、それが流儀なのだろう。
 窓に格子のある部屋で私は何度かカツ丼を食べた。
 
 
 

「夜の魚」一部 vol.102

 
       二七 魚
 
 
 
 
■ 頭から入ったのか、よく覚えていない。
 尖った水が染み込んでくる。冬の海は案外明るい。
 すこし上のところに大きく開かれた葉子の脚がみえた。
 コートが脱げている。黒い部分とそうでないところとが奇麗だった。
 葉子は夜の魚のようにゆっくりと泳いでいる。
 左手でヘルメットを取った。
 葉子の胸で見事に交差している縄を掴んだ。
 皮ジャンの上に着た救命ジャケットの紐をひっぱり、空気を充填した。
 浮かんでゆく。水が白くなってゆく。
 顔を出した。
 息をする。
 葉子が傍にいた。
 口を開けている。
 空は黒い。細かな破片のようなものが降ってくる。
 雪だ。
 私と葉子は真冬の横浜港に浮かんでいた。
 冷えると思ったら雪になっている。
 振り返ると、C突堤のマーカーが見えた。
 岸壁は並んだ警察車両のライトで一杯だった。赤い筋が交差している。
 後ろから一本の光が近づいた。
 浮き輪が投げられ、私たちは引き揚げられた。
「水上警察です」
 と、奥山が言った。
 
 
 

2005年06月15日

「緑色の坂の道」vol.3154

 
       鞄のなかみ 2.
 
 
 
 
■ 若造だった頃、元町の洋品屋に入るのが怖かった。
 ポロシャツ一枚が数万円、などということが俄かには信じられなかったからである。
 
 
 
■ 実際はそういうこともなく、ある種の文化に圧倒されていたのだと思う。
 港であるとか、舶来とか、ここにしかないのだといういくつものカラクリにである。
 当時、中華街の外れに車を駐めておくと、必ずアンテナかタイアをやられた。
 地元ナンバー以外は、ここに駐めるなという意思表示である。
 
 
 
■ それは確かにそうなので、仕方のないことだと諦めた。
 不良は警察を呼ばない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3153

 
       鞄のなかみ。
 
 
 
 
■ 先日銀座の写真用品の店で、ナイロン製のカメラバックを求めた。
 始めはドンケとかタムラックにしようと思っていたのだが、それではいかにもである。
 いかにもという撮影のときは良いのだが、東京の街を歩いている時にそれでは浮いてしまう。
 浮くというのは、時と場合によるものだから、今回は目立たないものにした。
 
 
 
■ 目立たせないフリをして裏地にこだわる。
 などというやり方がある。
 江戸趣味から来ているのだが、このバック、中身のスポンジが赤色をしている。
 車で言えば、エンジンのシリンダー・ヘッドを赤や紫に塗っているかのようで、そうなると世界共通の「通ごっこ」ということにもなる。
 などということを考えていたら、同じメーカーのそれは、化粧品を入れるポーチとして一部で有名なんだそうだ。
 一部、というところがまた泣かせる。
 覚えたての年頃用ではなさそうだ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3152

 
       待っている。vol.2
 
 
 
 
■ 93年くらいの緑坂をひっぱってきた。
 たいして変わりのないことを書いている。
 変わったのはこちらの歳と、廻りの環境。
 それからと指を折ると、途中で分からなくもなる。
 
 
 
■「待っている」という題は、チャンドラーの短編の中にある。
「人生は一度きりなのに、あやまちは何度でも繰り返せるものなのね」
 という台詞があって、今ここで空で言えるのだから、何度も読んだということだ。
 本来それは男の台詞なのだが、妙齢に言わせるところに甘さがあって、そしてそれは悪いことではない。
 
 
 
■ 長いこと私は、トイレの壁にキングコングの絵葉書を貼っていた。
 用を足す度にそれを眺め、何事かを思うのが常だった。
 高輪にある古いビルで、向こうに東京タワーの朱色を置きながら、愚かな、そして今考えるとやや無頼な30代を過ごした。
 ほぼ明日などは知れず、日々吐き気がしそうな仕事に通い、休日には旧型のドイツ車で男や女の部屋に出かけた。
「夜の魚」は主にその時代に書かれたものだったが、思うところあって単行本にはしなかった。なんだか虚しいと思えたからだろう。
 それが何故だったのか、はっきりとは言えないが、そちらの道から逸れた結果、今はこの辺りにうろついてもいる。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3151

 
       待っている。vol.1
 
 
 
 
■ コーヒーを入れようとすると、紙がない。
 仕方ないので、昨夜使った奴を洗うことにした。
 
 
 
■ キングコングの絵葉書を手元で見ている。
 ひとりの女の為に、エンパイア・ステート・ビルによじ登り、全世界の非難を浴びながら、空しく地上に引き戻された、カワサキのW1みたいな愚かな猿の物語である。
 ジャズメンがネクタイをしていた頃の黒人のように、あんぐりと口を開けた一匹のゴリラが虚空を睨み、何事かを叫んでいる。
 その掌の中には、護るべきヒロインが横たわっている筈なのだが、ここからは見ることは出来ない。
 斜めになったN・Yの空を、二枚羽の飛行機が旋回している。
 じきに軍の攻撃が始まるのだ。
 
 
○昔坂 93年 vol.128
 
 

「夜の魚」一部 vol.101

 
 
 
 
■ シフト・ダウンしながらブレーキを握った。
 後輪がロックして車体が振れた。
 メーターは八○から下がらない。
 丸い尻が眼の前にある。
 脇はコンクリのブロックだ。
「飛ぶのよ」
 葉子が耳もとで叫ぶ。
 アクセルを開いた。
 鈍いショックがあった。
 ポルシェのなだらかなテールに乗り上げた。
 そこで立ち上がり、ハンドルを手前に引いた。
 軽くなる。
 空だ。
 ベイ・ブリッジが低いところにみえた気がした。
 何台もの車のライトを浴びている。
 W1Sは大恐慌の時、エンパイア・ステートビルによじ登った愚かな猿のように吠えていた。
 落下した。
 
 
 

「夜の魚」一部 vol.100

 
 
 
 
■ 視界に赤い光が入った。いくつもある。
 警察車両だ。包囲するように、突堤の一番先をめざしている。
 サイレンを鳴らしている筈だが、風と古いエンジンの騒音で耳に入らない。
 ポルシェを追う。
 突堤の外れが近づく。
 角のところ、点滅する岸壁のマーカーのあたりに北沢は向かっている。
 まっすぐだ。そのままゆくと海だ。
 奴は落ちるつもりか。
 距離が縮まった。
 ポルシェの丸い尻がみえる。
 カレラ、と書かれたエンブレムすら読めそうだ。
 北沢がブレーキをかけている。また横になるつもりか。
 ハンドルは切らない。
 ポルシェのブレーキは信じられないくらい効く。助手席の者が鞭打ちになるくらいだ。
 ガクン、と速度が落ちて突堤の外れで止まった。
 葉子が何かを叫んでいる。
 間に合わない。
 そうだ、前は海なのだ。
 
 
 

「夜の魚」一部 vol.99

 
      二六 空
 
 
 
 
■ 左手でもう一本の瓶を取り出した。
 葉子に握らせる。
 オイルライターに着火し、運転席に投げるよう大きな声を出した。
 葉子が投げる。届かない。
 ダブルタイアの辺りが燃えた。トレーラーは止まらない。
 その時、列車が停まる時のような音がした。
 コンテナの真上に貨物船の錨のようなものが落ちて揺れた。
 ビル程の高さの、オレンジ色に塗られたクレーンが動いている。
 歩くような速度で近づいている。
 錨と思ったのは伸びている重い滑車だ。
 滑車はゆっくり揺れ、トレーラーの窓を叩き割った。
 ガラスが飛び散る。避けなければ即死だろう。トレーラーはそこで止まった。
 自走式クレーンの運転席は比較的低い部分についていた。中程、ちらりと人影が見えた。
 吉川だ。
 白いトレンチを着込んだ吉川が歯をむき出して笑っている。
 北沢のポルシェと交差した。奴は額から薄い血を流している。
 ライトの中で大きく口を開け、何事かを叫んでいる。聞いてはいられない。
 北沢のポルシェと並んだ。
 セカンドで六千まで引っ張った。サードに入れ右手を持ち換えた。
 震動が酷い。分解しそうな音をさせながら、古い直立二気筒は回転を上げる。葉子が腹を掴んでいる。太股がはだけている。鈍い加速だ。
 レンチを左手で掴んだ。古い単車にはシート・ベルトがあって、その脇に挟んであったのだ。
 ポルシェがすぐ脇にきている。丸いフェンダーをレンチで叩こうとした。
 外れた。ミラーが飛んだ。
 北沢のポルシェがあっさりと抜く。
 金属の擦れ合う音をさせ、みるみる遠ざかった。
 
 
 

「夜の魚」一部 vol.98

 
 
 
 
■ 葉子をみた。
 裸足で走っている。コートの裾が翻って、白い肌に綿のロープが念入りに巻き付いている。縄の下は裸だった。
 炎の中を突っ切った。熱くはない。
 ポルシェのドアに前輪をぶつけた。
 挟まれた北沢がよろめく。
 そのまま左に逸れ、コンテナの影まで加速した。
 追い付いた葉子を拾う。
 W1Sの小さなシートに、縄を食い込ませた葉子がまたがった。倉庫の裏側、B突堤が見える広い船着き場を加速してゆく。
 前が塞がった。
 後ろにコンテナを積んだ大型のトレーラーが、動く壁となってゆっくりバックしてくる。仲間がいたのだ。
 赤く塗られたコンテナには、「公洋貿易C&C」とある。
 いつだったか晃子が言っていた。
 毛沢東思想はいくつもの形をとって日本に残った。あからさまな例が、親中共派系の過激派集団だったが、重信率いるJRAに関しては、発足当時の、「連合赤軍」とは明らかな断層があると言われている。親中共系の団体のいくつかは合法的な会社を作った。今となってはそのほとんどがただ利潤を追うだけのものになっている。税関の傍にあったこの会社も、いくつかの企業の窓口になって莫大な利鞘を稼いでいるのだろう。
 
 大きく車体を傾け、私は逃げ道を捜した。浅いバンク角にキャプトン・マフラーが火花を散らした。
 北沢のポルシェが近づいてくる。右肩が熱を持っている。
 
 
 

「夜の魚」一部 vol.97

 
       二五 縄目
 
 
 
 
■ 銃はトカレフではなかった。
 艶消しの塗装で、サブノート型パソコンのような色をしている。
「そう、あんなもの自分では使わないんですよ。これはグロックという銃です」
「麻薬の密売ってのは儲かるんだな」
「ええ、人並みにね」
 この男が新人民軍の窓口であるとはとても思えなかった。
 淡い色合いの軽そうな上着を着ている。カシミアだろう。北沢は注意深く、開けられたドアの後ろに立っている。ロブの靴だ。
「革命の手助けをしているつもりなのか」
「ふん、もうじき世紀末ですよ。田舎の革命なんてどうでもいいでしょう」
「JRAはどうした」
「ええ、重信さんとは何度かお会いしました。日本赤軍の名前は便利でしてね、あちこちのマフィアも一目置いてくれるんですよ」
「NPA、スパロー・ユニットは仲間じゃないのか」
「彼らはテロリズムだけの職人です。なんでもそうでしょう、手段それ自体が目的になってゆきます。私は彼らの技術を買っているだけでね、仲間だと思っている訳ではない。この仕事には金を出す日本の閣僚もいるんですよ」
「そのデーターが入っていると」
「そう、だから漏れると困るんです」
 
 北沢は退屈そうな表情で比較的長く話している。NPAもJRAも、北沢には直接の関係がない。彼にとっては、利用できるただの取引相手であり、出入りの業者のようなものなのだ。
 閣僚というのは何のことだろう。だとすればフロッピーの回収だけで済む筈がない。北沢は確実に私たちを殺す気でいる。
 私は葉子をみた。口を聞かず、車の横に立っていた。死んだ魚のような顔色をしている。薬を使われたのだろう。
 
「随分仕込んだもんですね。以前は後ろも使えたのに」
 そこで頭が白くなった。
 ジャケットからビール瓶を取り出した。貼ってあるライターに火をつける。
 ポルシェのドアにむかって放り投げた。
 銃声がした。
 瓶は手前で割れ、ガソリンに引火した。
 炎が背丈ほどになる。北沢の顔が歪んでみえた。
 単車にまたがり、エンジンをかける。
「走れ」
 私は叫んだ。
 ローで引っ張ると、短い銃声が頬の横を横切った。
 右肩にもそれは弾け、肉が削げたのがわかった。
 痛みはまだない。
 
 
 

2005年06月14日

「緑色の坂の道」vol.3150

 
       以前のはなし。
 
 
 
 
■ 女にフラレルのは簡単である。
 まず、惚れればいいのだ。
 見当違いでもなんでも、道ゆく階段の後ろの尻などに成程とカンシンする処から全ては始まる。
 
 
 
■ 時が経つと、ああオレハ何に惚れていたのだろうと自問することとなる。
 もしかして尻だったのだろうか。
 ではなくて、背が低くて可愛らしく見えたからだろうか。
 化粧が薄くて、声が高いからだろうか。
 あまり食わないからだろうか。
 よくワカラナイ。
 そうした時に香港の映画などを見ると、美人でもなかなかエゲツナイのでそういうものかなと思う。
 
 
○昔坂 vol.858
 
 

「緑色の坂の道」vol.3149

 
        水の夜 2.
 
 
 
 
■ びっしりと寝汗をかく。
 別れた男がもういちどすりよる。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3148

 
        水の夜。
 
 
 
 
■ パレス・ホテルのローストビーフは旨いという話を聞いた。
 確かにその通りで、ガラス越しに権田原の嫁さんとの記念公園の噴水が見える。
 脂身だけは残した。
 
 
 
■ 若い頃、横浜の古いホテルの一番上のところで、僅かにパサついたローストビーフを食べた。
 氷川丸も見えたが、大体がビーフというだけで高級に思えていた。
 いつまでも夜がこない、確か六月の午後だったと思う。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3147

 
        なんのせいか 7.
 
 
 
 
■ 元町に黒猫が住んでいた。
 裏通りに入ると、私の廻りをゆききする。
 私は神社に入って煙草を一本吸う。
 鞄で有名な店が、そこに百万円を寄付したと書いてある。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3146

 
        なんのせいか 6.
 
 
 
 
■ 〆切があるのだが、なんにもしたくない。
 山に篭って、あるいは自然を賛美していたい。
 だが山にはコンビニがなく、エロ本も買えないのでぐずぐずして十余年が過ぎた。
 
 
 
■ しかしまあ、なんと申しましょうか、人生というのはツマラナイものである。
 これをやったからといって、どうなるのか。
 と、思いながら、一字一句にこだわったり、0.01ミリの基準線のずれを修正していたりする。
 デザインも文芸も、とりあえず世の中に必要不可欠のものではないだろう。
 そうよ、あなたは一体何をしているの。
 と、冷たい視線を浴びながら、君だって夏までに後三キロと毎年言っていたではないかと考える。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3145

 
        なんのせいか 5.
 
 
 
 
■ で、待っている訳か。
 そう、眼鏡かけて真面目そうなおねーちゃんだった。
 でも、ケッコンしているって言ったんだろ。
 つい、口に出てしまったっすよ。
 男の見栄だよね。
 
 
 
■ ツボでも英会話教材でもなんでも買ってやらあ、と朝潮君は言っていた。
 旨く買い逃げするように、と私は答えてその日は終わった。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3144

 
        なんのせいか 4.
 
 
 
 
■ 朝潮君は、緑坂の常連である。
 かつて「青い瓶の話MM」で「本日のウダツ」という企画をやったものだが、それは彼の発案であった。
 もしもし、ウダツのあがらない男っすけどどうも。
 とか言って、電話がかかってくる。
 
 
 
■ ウダツ尋ねて三千里。
 このサイズより下の君は平均ではナイ。
 下腹を押してみると、一センチは伸びる。
 
 
 

2005年06月13日

「緑色の坂の道」vol.3143

 
        なんのせいか 3.
 
 
 
 
■ 先日、朝潮君から電話があった。
 どうしてんだ。どうもしてないっす。
 こないだ「独身者の会に入りませんか」って部屋に女がきたんだよ。
 ほおそれで。
 ぼ、ぼ、ぼかあ、けっけっ、ケッコンしてます。
 と言って帰したんだけど、また来ないかなあ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3142

 
        なんのせいか 2.
 
 
 
 
■ どうせ死ぬんだ。
 イッパツやらせろ。
 
 
 
■ といって口説いて、旨くいったという話を聞いたことがある。
 嘘だろ、と思ったらまだ修行が足りない。
 翌朝、死ぬまでにはまだ間があるのだな、と気がついてうんざりする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3141

 
        なんのせいか。
 
 
 
 
■ 暫く前まで、私は「ブラック日課」という酒を多用していた。
 夜遅く、コンビニで買うことができたからだが、大体が安い。
 日課であるから、そういうことであろうかと思われる。
 
 
 
■ 最近はやや出世して、別の銘柄にしているのだが、ボトルを半分ほど嘗めると次の日が使い物にならなくなる。
 若い時分は、午前中死んでいたものの、最近ともすると夕方近くまでチンボツしていることもあって、寄る年波。
 また、普段滅多に歩かないのであるが、酔うと不思議に散歩したくなって、銀座から白金台近くまで黙々と歩くこともある。
 坂道があると、そちらに入り込んだりする。
 途中にバーを見つけると、そこで休む。
 
 
 
■ かつて、田中小実昌さんが、新宿でチンボツする風情を書いていた。
 あっちいってチンボツ。こっちいってチンボツ。
 みっともない大人だよなあ、と思っていたのだが、何時の間にかそれに近いことをしている。
 それでいて仕事もしなければならないのであるから、大人というのは厄介である。
 女どころじゃねえや。
 ということにしておかねばならない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3140

 
        ひとり次ゆく道たち。
 
 
 
 
■ ひとり、と書いていること自体が思い上がりなのだ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3139

 
        PARTAGAS 2.
 
 
 
 
■ 身体という文字のかたちは、本来「トルソ」という文字が良いと思っている。
 これは吉行さんの真似なのだが、その意図するところは生理的に分かる。
「体」でも「身体」でも収まりが悪い。
 であるが、PCで表記する場合には見当たらないので、適宜なものに変えていた。
 
 
 
■ ここから日本語の表記、という論に持ってゆくことはいささか品がない。
 活字で組む場合と、PCで、横文字で表記する場合には、読む速度もその文体も異なる。 今使っているブログという道具の表記が最上かといえばそんなことはなく、例えばこの背景の色も、私が設定した色そのままで見ているひとは少ないだろう。
 事務所にある複数台の液晶モニターでも、皆違って見えるからだ。
 
 
 
■ 今、棚から安い国産のウィスキィを取り出して一口嘗めた。
 身体がだるいので、半ば気付のつもりである。
 梅雨の手前か、珍しく湿度のない夕方に、私は何をシテイルンダロウ。
 遊んで暮らしたいなあ。
 そう旨くはゆかないガ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3138