2005年02月28日

「緑色の坂の道」vol.3031

 
       羽田脇。
 
 
 
 
■ モノレールが走っている下を通っていると、左右に広い川がみえている。
 ここはオレ、好きなんだ。
 と、自分の息子であってもおかしくはない若者に言う。
 ほんの少し車を停められる場所があって、そこで彼に運転を替わった。
 やってみたいだろ。
 はい。
 次の斜線を右。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3030

 
       桜まで。
 
 
 
 
■ どのセーターを着ようか迷う。
 PCのパーツを誂えに、有楽町まで出かける。
 後部座席にハンガーを吊るした3シリーズがいて、せかせかとガード下に停めていた。
 銀色の眼鏡をかけた若い男が降りてくる。
 
 
 

2005年02月26日

「緑色の坂の道」vol.3029

 
       みなが同じ世界に住む日 3.
 
 
 
 
■ 世界をどう認識しているかという問題は、ある種感受性のかたちとその後に付与された知識と体験の裏付けに左右される。
 これを昔の人は単純に育ちとその弟子と言ったものだが(ホンキにしないように)、自分の中に流れている薄い血のようなものを認めるには時間がかかる。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3028

 
       みなが同じ世界に住む日 2.
 
 
 
 
■ 青瓶に「切取線15」が掲載されている。
 こう書くとあちこちが厄介なのだが、どうもITに関わっている方々のごく一部は相変わらず声が高く、あたかもバブル全盛期の頃の不動産か証券関係のひとたちと相通じる気配があるような気がして数年が過ぎた。
 特徴は、妙に攻撃的なことだろうか。
 乗遅れるとか、これからどうしますかとか。
 ○○(ここに君の好きな単語を入れよう)を知らないとこれからは生き延びてゆけないぜ。それで君今どんな仕事してんの。
 あるとき会合でM&Aの会社にいる先輩に説教された。
 はあ、とうつむいた時に座敷だったもので見えたのだが、先輩の靴下には穴が空いていて、これは困ったものだなと僅かに辛かった。
 
 
 
■ 私は電話番号を一部分公開しているので、時々勧誘の電話がかかってくる。
 大体は墓石いらんかね、というものと絶対儲かるこの株は、というものが多い。
 あるとき、その仕事の妙齢と話していて、君それ言えってマニュアルに書いてあるんだろう、と聞くと、そうですと答えていた。
 いいかげん辞めたいと思っているんじゃないのかしら。
 んん、実はそうです。
 じゃ、そういうことで。
 と言って電話を切ったのだが、何がそういうことだったのか自分でも分からない。
 
 
 
■「カジノ資本主義」という言葉が出てきたのが1988年。確か岩波だったと思う。
 斉藤貴男さんが「カルト資本主義」を書かれたのが1997年。文春文庫。
 グローバリズムは帝国への一極集中を生んでいるが、一方で世界はもう少し複雑であるという認識も生まれている。ギボンの「ローマ帝国興亡史」とその顛末は似ているという指摘もまんざらではない。
 反体制の旗手であった団塊世代はそろそろ定年で、独り、島コーサクだけが水のように流れ取締役になった。だが不思議に登りつめたという雰囲気は希薄である。
 新自由主義という幻想は、無限の偏差を生もうとしている。
 最上階は12億だという高層マンションが今私の仕事場から見える。
 もうじき完成するのだろう。
 すこし離れたコンビニの前では、携帯のメールを打ちながら、くわえ煙草で誰かを待つ少女もいた。
 
 
 

2005年02月25日

「緑色の坂の道」vol.3027

 
       水菜。
 
 
 
 
■ 薄口の醤油で食べる。
 蛤の味噌汁と春先。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3026

 
       春の薄い雨。
 
 
 
 
■ するすると二月が終わる。
 一山こえた、とも言えるが、これからのことを考えるとそうばかりでもない。
 いつも目の前に厄介が待っていて、なんということかしらとおもう。
 植え込みの処に赤いものがあって、まだ椿だ。
 
 
 

2005年02月24日

「緑色の坂の道」vol.3025

 
       みなが同じ世界に住む日。
 
 
 
 
■ ネットの世界にいると、ついそのように錯覚してしまうことがままある。
 少し前の掲示板もそうであるし、ソーシャル・コミュニケーションサイト(だったか)も、実を言うと実態は緩やかな出会い系に近い。
 出会い系はといえば、メールレディという匿名と幻想の存在がいて、これを芸風として楽しめれば良いのだが、それにしても自分ではない何ものかになることが、誰もが旨くなった。
 

 
■ 私は六本木ヒルズ近くの24時間スーパーに買い物にゆくことがある。
 当初はやや高価なものばかりを並べていたのだが、一年もするとそうもゆかず、注意深く眺めると青物横丁と同じものが並んでいたりする。
 外側のデザインが洒落ていて比較的安価なトイレット・ペーパーがあって、前に並んでいた妙齢が買っていた。
 私もと思い、使ってみたのだが、かなり痛い。
 あれこれ考え、唸ってしまっていた。
 
 
 
■ ヒルズ近くの煙草の吸えないコーヒー屋では、長いことノートPCを持って忙しそうにすることが流行った。単にメル友にメールを書いているだけなのだが、廻りからは何か難しいことをしているかのようにも見える。
 これを編集者ごっこと呼ぶのだが、彼や彼女はノートPCをどうやって持ってきたのだろう。
 先端であることを誰かに見せたい時期というのはあるもので、ここはIT関係の、夜の大黒埠頭みたいなものかとも思った。
 ネットの世界では誰もが平等である。低金利で金を借りることもできるし、いざとなれば編集なんかも学べる。
 皆が同じ世界に住む、という現象は20世紀後半からのグローバリズムのひとつの結果である。グローバリゼーションはICT革命とシンクロして進行してきた。
 が、実は同じように見えるだけなのであって、細かな差異がそこでは決定的な意味を持っていることを、我々は知っているのだが口にしない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3024

 
       花曇 2.
 
 
 
 
■ いそいだところで。
 そう思いながら作業をしていた。
 まだ風は冷たいのよ。
 という声を聞いた。
 男とは妄想する生き物だが、その妄想には質も方向もある。
 昔、誰だかが書いていた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3023

 
       花曇
 
 
 
 
■ こころいそぐ。
 花はまだだが。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3022

 
       崩れ 2.
 
 
 
 
■ 崩れた山肌を眺める、という描写がどこかにあった。
 そこから何か教訓的なことを導こうということでもない。
 美しいものは割れてもそうである、と書いた作家もいたが、果たしてどうかという気にもなっている。
 割れることと崩れることは違ってもいる。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3021

 
       崩れ。
 
 
 
 
■ すこし散歩をしながら、頼まれ仕事のコピーの出来を反芻していた。
 車を点検に出したので、いたしかたなく歩く。
 私は酒を飲むと、二時間でも三時間でも歩く癖があるのだが、普段は地下鉄の階段も億劫である。大手町や六本木一丁目の駅などは、ほぼ途方にくれながら歩くことになる。
 この世に地獄というものがもしあるとすれば、冬の山手線の新宿-池袋間だ、と書いていたのは「ほんま りう」さんの絵による「真夜中の犬」であった。原作は関川夏央。
 この漫画は、後に奥田瑛二氏の主演で映画になっている。
 原作では西巣鴨のガスタンク傍のビリヤード屋の二階に探偵が棲んでいて、妙に官能的な女性が厄介な依頼に訪れる。訳ありの女。
 
 
 
■ 胸の大きな、妙に男心をそそる女優が濡れ場のシーンを演じていた。
 それが誰だったか覚えていない。
 上等なスーツを着ていても、最後のところで崩れが滲むというような、湿った粉の匂いのする女がいるものだが、大井競馬場の帰り、そんな女と口を利いたら最後である。
 
 
 
■ 幸田文さんには「崩れ」というエッセイがあるが、幸田さんの作品の愁眉といえば、実際に芸者置屋にお手伝いとして入った体験を描いた「流れる」だろうか。
 中に、これはと思う描写がいくつもあるのだが、今書棚を捜すのも野暮なのでやめておく。
 緑坂読者で、三十を過ぎた妙齢中ほどの方がおられたら、ご一読を。
 若い頃には分からない、女の始末が事細かに描かれている。
 
 
 

2005年02月23日

「緑色の坂の道」vol.3020

 
       春めくと何かいいこと。
 
 
 
 
■ 午前中、強い風が吹いた。
 春一番かとも思うが、確かめようという気はおきなかった。
 春めいているということなのだろう。
 二月も終わる。
 
 
 
■ 私はといえば、PCの設定に追われている。ワークステーションはばらばらに解体され、OSとシステムの再構築を何度かくりかえしていた。
 別のPCがあるので、それで日々の業務をすませる。
 マルチブートのソフトで躓いたり、MBRで泣いたりしている。最後の最後で、起動しなくなったりもするからである。
 誰か代わりにやってくれ、と言いながら、夜半坂道を昇ってドリンクバーと一番安いラーメンを食べにいったりした。餃子をお土産にする。
 ワビシイ。
 それにしても、中国戦線で戦った皇軍兵士はこんな気分だったのかも知れない。
 どこまで続くぬかるみぞ。
 
 
 
■ PCを使った仕事では、必然的にマニアにならざるを得ない部分がある。
 それはハードから始まっていて、解説書籍が必ずしも本当のことを書いている訳ではないことに気がついたりする。そういえば暫く買っていない。
 やってみて駄目ならやりなおし、仮に動けばまたよし、というような極めて原始的で乱暴な世界なのだ。その中で相対的に安定したものを選択する。
 世間ではPCを買ってくるとすぐにどうにかなるものと思っているものだけれども、はい、半年もするとあれこれ不具合が出るでしょう。極めて不安定なものの上に成り立っている世界なんですね。
 ともあれ、OSのハードコピー用ソフトで同じものを複数台作る。
 万が一壊れても、そのHDDに取り替えれば済むからであるが、作業の進行状態に応じてコピーを何度か繰り返す。
 山に登る時、例えば冬の絶壁に挑む際、一度足場を作ってからまたビバークし、それを繰り返すようなものである。
 今、-FDSZというコマンドラインスイッチを付け忘れ、もう一度繰り返しているところ。
 知らない私が悪いのよ。
 みんなあんたのせいだかんね。
 といって暮らしたいもんだよなあ、諸君。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3019

 
       トリック・スター 2.
 
 
 
 
■ しかし、ここで大事なことは、トリックスターというものは必ず最後に滅びることになっているという点である。
 僅かな例外が童話の世界にあったかも知れないが、どの神話や寓話を読んでも、変化のプロセスが終わりに近づいた段階で、彼らはやや悲劇的な最後をとげる。
 それだけ突出していたからだが、彼らの犠牲によって、例えば集団はその後ゆっくりと別の道を探してゆく。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3018

 
       トリック・スター。
 
 
 
 
■ という心理学や精神医学の分野での用語がある。
 あまり無意識だの集合的なんとかとかを言い出すと、結局は民族意識とか天皇制とかに流れてゆきやすくなるので避けるが、つまりは変化の触媒になるための存在である。
 社会的なトリックスターというものが仮にあるのだとして、例えば敗戦直後の「光クラブ」という事件を、私はここ数年時々思い出している。
 面倒なので解説はしない。
 価値観が混乱している時代に、鬱積した心情を抱いた多くの人たちからは、ある種英雄に視えてゆくのである。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3017

 
       坂の盛衰。
 
 
 
 
■ かつて私が居た仕事場は、坂の途中にあった。
 斜め向かいには国営放送の交響楽団があり、前には小さなホテルがあった。
 時々そのバーで酒を嘗めていたのだが、国産のジンをボトル・キープしていたのだから仕方がない。洒落でやってくれていたのだろうと思っている。
 バーテンダーは確か四国の出身で、薄い髪をしていた。
 大井町に旨いイクラ丼を食わせる店があると教えてもらい、食べにいったこともある。 それほどでもなかった訳だが。
 
 
 
■ バブル終わりの頃、ホテル前には何時もBMWや小さなベンツが並ぶようになった。
 連日パーティのようなものが催され、黒い服に着替えた証券マンと思しき男がワンレンの女を迎えにくる光景が見られた。
 交響楽団の演奏家や指揮者だろう方が乗っていた、古いアルファのスパイダーなどは見かけなくなってゆく。マニュアルで、エアコンなどはつかない、かすれた赤色をしていた。
 そうこうしているうちにホテルそのものが無くなる。地上げにあったのだ。
 数年放置されていたのだが、とある新興宗教が本殿を作る。
 沢山本を読めばそれだけ階層が上がるという仕組みの、偏差値に拘りのある方々に親和性の高い教義である。
 私も周囲からその本を何度も薦められた。ダンボールで送ってくれた、客室添乗員のおねえさんもおられた。悪気はないのでとても扱いに困る。電話で感想を尋ねないでくれ。
 
 
 
■ どこか無駄のある、のんびりした風情は次第に薄くなってゆく。
 ワンルームマンションがいくつも出来て、一方で古くからのそれは廃屋のようにもなる。
 坂の上の元々武家屋敷の跡だった駐車場には、シトロエンのSMなどがしれっと駐まっていて、小雨降る六月の夜などに暫く眺めていたこともあったが、そこも中堅のゼネコンがマンションにした。代理店や大手出版社に勤める方々がぱらぱらと住んでいる。
 道端でカップラーメンを食べる若者達が増えるようになった頃から、ここはそろそろいいのかなと思うことが指折りになる。
 そればかりではないが、時代の変化の中で坂にもその寿命のようなものがあるのかとも思えた。ひとつにあるものが集約されれば、その周囲は荒んでゆく。
 決して窓から東京タワーが見えなくなってしまったからではない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3016

 
       春の目刺。
 
 
 
 
■ 空が薄くなる。
 飯を食って酒を飲んで、寝た。
 遠くで子供たちが遊んでいる。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3015

 
       マルサの女。
 
 
 
 
■ 結局一時間ばかり横になっただけで、そのまま車を出した。
 後部座席に放ってある布の鞄の中から適当にカセットを取り出し、目黒から首都高に乗る。東名に入ると、廻りに白いものが残っている。
 昨日降ったみぞれは、こちらでは雪になっていたのだ。
 
 
 
■ 伊丹監督の出世作「マルサの女」は1987年に公開された。
 音楽は本多俊之さん。元々はJAZZの血が濃い。
 私はどういう訳か、首都高に乗って気合を入れねばならない時、この映画の音楽をかける。つまり、マルサが踏み込む時その背後に流れていたような按配で、この場合かたちから入る仕事モードと言っていい。
 本来は夏の重い空気の中でサックスが鳴り、ドラムが響くみたいなものなのであるが、二月の遅い雪の中をゆるゆる移動するのにも、そう捨てたものではないと勝手に思っていた。
 
 
 
■ 87年というと、バブル真っ盛りの頃合である。
 伊丹監督はその後「あげまん」「ミンボーの女」など、社会性ある題材をどこかユーモラスにシニカルに表現し、途中実際に暴漢に切りつけられたりした。
 最後の姿はやや謎であるが、掘り返しても仕方のないこともあるだろう。
 もし監督が今の時代に何を撮っていただろうと考えるに、まさしくIT企業の盛衰を描いていたかも知れないと私は思うことがある。
 全てはネットと技術に集約されると考える、ある種戯画化された登場人物がいて、それに憧れる若者や自分は先端であると自負する勤め人が廻りをとりまく。
 当時は株と土地だったが、今はそれが何に変わったのか。
 
 
 

2005年02月18日

「緑色の坂の道」vol.3014

 
      見切千両 2.
 
 
 
 
■ 見切というと言葉がきついかも知れない。
 が、つまりこれは「程のよしあし」ということではないかと思っている。
 おかしなバランス感覚のようなもので、突っ込み過ぎてはいけない。
 かといって、それを恐れていても仕方がない。
 
 
 
■ せんだって古本屋で、麻雀漫画と言われるものを買った。
 下北沢にあるという伝説の雀師の言行録のようなものなのだが、亡くなったヤクザを美化して描く一連の小説や漫画と同じ系列である。
 若者がいて、その人を師と仰ぐ。
 勝負処の見極めとそれから、についてが、あたかも禅問答のように描かれてもいた。
 
 
 
■ こういう漫画は笑いながら読むものであって、麻雀で人生が語れると思ったら大間違いである。ただし若者達にとっては、その過程で何事かを得たような錯覚に陥ったりする、擬似人生劇場の役割も果たしてもいるのだろう。
 ツマラナイと知るために没頭してゆくということもあるからだ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3013

 
      見切千両。
 
 
 
 
■ 2001年だったか、こんな青瓶を書いた
 
 
       日没閉門、翌日開門。
 
 
 
 ■ ネットの世界には、「見切千両」という言葉があります。
 突っ込んでみて、このあたりだろうな、というときには、某かのものを捨てて次にゆかねばならない。
 この辺りが、ネットが実社会の投影でもありながら、現実の世界とは大きく異なっているところです。つまりとても変化が速いということ。
 
 
 現実の世界では、たとえ不合理だと承知していても、守らなければならないところは守らねばならない。仮に損をしてもです。
 これは極めて日本的な心根でありますが、私はそういう心情は好きです。
 基本はそこにあるでしょうね。
 
(以下略)
 
 

「緑色の坂の道」vol.3012

 
       二月の味気なさ。
 
 
 
 
■ 二月は毎年味気ない。
 春を待つあいだ、地を這うような地味な日常が続く。
 それはほぼ冬の朝までの仕事だったり、複数台のPCの再構築だったりもする。
 仕事場にブラインドかスクリーンを入れようと、昨年の秋、銀座のショールームにいった。実際の色と素材を確かめるためである。
 名刺を渡すと、倉庫の奥から分厚い見本をもってきてくれた。
 それを分けてもらい、礼を言って外に出る。
 すぐ近くの資生堂パーラーの下で、お世話になった方へ送る小物を買ってから戻った。 確か雨が降っていて、車を洗わないでよかったなと思った記憶がある。
 
 
 
■ とあるポータル・サイトで、ネットショップ、つまりECの構築とデザインを担当していた。CGIのカラクリに制約があり、通常の作り方はできない。
 初心者向けであるというWebオーサリングツールを用い、HTMLの簡単なタグを書く。
 いわゆるプロ用のツールを使わないのは、クライアントがこれから、そう予算をかけないで更新できるようにするためである。クライアントのシステムの再構築も行う。
 デザインの要は、ロゴなどの部品の精度であるが、それについては印刷に用いられているフォントなどを使うことにしていた。
 
 
 
■ デザインというのは、あまり好きな言葉ではないがコンサルティングの要素を含んでいる。ここ数年、技術の敷居が一見低くなったように見える。
 それは時代の流れであって、これからも加速するものだけれども、では世の中をどう眺めてゆくかというような問いは、一層難しくもなっているように思う。
 プロは道具を使うけれども、同時にその道具を相対化して、社会の中に位置付けてもいるのではなかろうか。
 
 
 

2005年02月17日

「緑色の坂の道」vol.3011

 
       比叡おろし。
 
 
 
 
■ 顎の尖った、どちらかと言えば狐の顔をしたシンガーがいた。
 あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
 という按配で歌った。
 
 
 
■ 私はそのLPを、違うガッコにいった中学の時の友人から借りて聴く。
 何故かというと、その頃「都」は遠かったのである。
 鍵括弧つけると下品だなあ。
 
 冬の地下道にクレヨンで絵を描く。
 卒業の間際、教室の壁に海の絵を描き、職員室に呼び出された。
 
 
 

2005年02月16日

「緑色の坂の道」vol.3010

 
       自意識あるものの群れ。
 
 
 
 
■ 金子光晴の詩に、うしろ向きのおっとせい、というものがあった。
 なんとはなく思い出している。
 金子さんは詩もさることながら「どくろ杯」などの三部作が優れ、こうした二月の夜などに漠然と読み返したりする。
 金だらいの中にする女の小便の音は、今なら鶯谷に立っている街娼の夜食喰う姿だろうか。敗戦直後の闇市は遠いものだとしても、今は違う闇の部分が広がっている。
 
 
 

2005年02月15日

「緑色の坂の道」vol.3009

 
       もういいよ。
 
 
 
 
■ あたし、もういいですよね。
 というメールが来た。
 うん、もういいんでないかい。
 
 
 
 
■ まあだだよ、という声も聞こえている筈だ。
 廻りからであったり、自分の中で最後まで筋を通そうという声であったりする。
 それは相手によるものだ。
 というのが、いくつかの軽い修羅場をくぐったつもりの私の立場で、とことんまでいくと復活に時間がかかる。
 今のいい時期を、それで数年費やすのはあまりにもったいない。
 
 
 
■ いわゆる妙齢の中には、何か別のところに連れていってくれるかも知れないというものに、腰の辺りから引き寄せられる性癖があるような気がする。
 自分でない何者か。
 であるから、懸命に尽くしたりその他のことをしたりもするのだが、それを結果的に利用する男も女も、社会的な勢力もあることは言を待たない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3008

 
       星より秘そかに。
 
 
 
 
■ 密かという字であったか、確認していないので不分明である。
 地下駐車場から車を出し、シャッターが上がるまでにその曲になった。
 川口の鋳物工場で働く若者達が題材になった映画である。
 小百合さんはややふっくらしていた。
 
 
 
■ 日本が高度成長にさしかかる頃合、私などは少年期を過ごしている。
 国産3リッターのセダンに乗って、これから煙草を買いにゆこうとする。
 200とか250PSとかいうのは、要は過剰な訳だが、その過剰さに慣れて次にゆこうともする。
 ローマクラブの「成長の限界」が出たのは今から30年近く前だが、人はそれを回避する術を覚えた。有体に言えば、南の世界を切り捨てることによってである。
 それと似たことが、今日本の社会の中で起こっている。
 毎日が戦争であるかのような、明日は私も君も不要とされる時代。
 壮大な消耗戦を生き延びるのは誰なのかというと、今のところなんとも言えないというのが正直な感想になるだろうか。
 と、ここで感傷的になると、島コーサクを描いている方の漫画の裏返しになるだけなのでそれは避けたい。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3007

 
       なんのせいか 2.
 
 
 
 
■ 不良セクタのおかげで苦労していた。
 僅か4kbでしかなく、OS全体の動作にはなんら問題はないのだが、特定のソフトが最後まで動作しない。しなくてもよいソフトではあるが、どうにも気持が悪いような気がする。
 と、こう考えること自体がマニアなのであるが、あらゆる履修の技を使ってみた。
 OSのクローン、複製もHDDを三台使って行う。
 念のためローレベルでフォーマットを行ってからである。
 でもですね、不良セクタまでコピーするのであるからイタシカタがない。
 
 
 
■ OSの再構築をされた方にはお分かりだろう。
 これは膨大に時間がかかり、うんざりが束になって襲いかかってくる。
 やせ我慢ではあるのだが、こうした無駄を繰り返して男は歳を取ってゆく。
 女はそれを自分の仕事ではないと横目でみている。
 進歩しているのかという素朴な疑問は脇におく。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3006

 
       なんのせいか。
 
 
 
 
■ 横浜 タガソレ
 ホテルのコベヤ
 
 などと歌いながら、青物横丁に飯を喰いにいった。
 薄物を着た大陸の妙齢が受け答えする。
 やや日本語。
 爪には色がついている。
 テレビでは、日本人よりも日本を知っているドイツ人なんとかさんが撮影した、などと言っている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3005

 
       とりまく。
 
 
 
 
■ こともその逆も。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3004

 
       二月。
 
 
 
 
■ 文章を書くということが、どこか下品なものに思えていた。
 文章に限らず、どの表現もそうなのだが、内在的に持っているある種いかがわしさにすこし食傷気味だったのかも知れない。
 そうこうしていると、70年代のヒーロー、萩原健一が逮捕される。
「傷だらけの天使」の真似をして、ヘッドホンをかけながら飯を食べていた10代を思い出す。
 男が歳を取るというのは、これでいて結構難しい。
 
 
 
■「知の二枚目」とでもいうべき方が主催する編集の学校が、あるIT企業の子会社になった。私もその黎明期、そこのセンセだったものだから、なんとも言えない気分でいた。
 誤解を恐れずに言えば、編集というキーワードで世の中や今までの歴史そのものを再構築しようとするのは、試みとしては分かるのだが、どこか無理があったような気がしている。
 ある種衒学的な表現が、一定の階層の女性達に受けた。
 旦那は社食、奥様は美術館というような、やんごとなき高学歴の方々である。
 会合の仕切り、撮影、それをまた再利用など、アウトプットの仕方には学ぶべきものも多かったのだが、そういうものが一定部分ショッキングだったのはやはり70年代から80年代初めにかけてであろうかという気もする。
 すれっからしの男どもからすると、やや手の内が見えてしまってもいて、あざとさの手前にも見えることも、ままあった。
 さわやかに笑う姿だけではなく、原稿の山の中で憮然とした顔をしたその人の姿が一枚でもあれば、と何度か廻りに口にしたこともあるが、渦中にいると声は遠い。
 
 
 

2005年02月09日

「緑色の坂の道」vol.3003

 
       坂の途中で。
 
 
 
 
■ 暫く緑坂を放置していた。
 何をしていたかというと、忙しいのであるが、忙しくても書いていたのであるからそれは正確ではない。
 時折、離れて眺めるというようなこともあっていいのではないか。
 というような気分が薄くあった。
 
 
 
■ 肩をすぼめるようにして、二月に入る。
 二月は冬のどん詰まりのようなところがある。
 赤坂の交差点脇にあるラウンジで、休日の空いた車の流れを見下ろしていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3002

 
       ダビドフ・シルバー。
 
 
 
 
■ 秋葉原にゆくと、かつて銀行だったところに煙草を吸うスペースがある。
 それ以外の場所では吸ってはいけないということなのだが、最近の男や女達の煙草の扱い方を眺めていると、それもそうだろうという気もする。
 くわえ煙草の女たち。
 という、緑坂があったかどうか。
 どちらかというと、コンビニの前の風情であって、妙齢が煙草を咥えながら日吉坂を降りてくるのはそれが夜更けだとやや困る。
 
 
 
■ さておき、煙草というのは躯に悪いものである。
 酒についても同じようなことが言え、少なくともウィスキーをストレトで嘗めるのは胃袋に宜しくもない。
 五分で立ち食い饂飩というのも、似たようなものなのだが、注意書きは見当たらない。 安いハンバーガー屋で、携帯のメールを打っている妙齢を見ることがあるが、これは既にして都会の風俗である。
 私たちはバリューのセットになって、それから求人誌を持って帰るのだ。