2005年01月31日

「緑色の坂の道」vol.3001

 
       ところが騎馬民族。
 
 
 
 
■ 先日風呂の中で「騎馬民族国家」という名著を再読していた。
 古本屋で買ったものだから、誰かの鉛筆によるラインが引いてある。
 結語だけを旨くまとめてあるので、多分レポート用だったのかも知れない。
 
 
 
 
■ 前に、ある大学と国際交流基金が主催するシンポジウムのためにポスターを作った。 電車の中吊り広告にしたのであるから、かなり力の入ったもので、内容は日韓交流がベースになっている。
 制作にあたり、私は考古学と歴史の本を読みふけった。紙袋でふたつみっつになったろうか。
 朝鮮史もさることながら、神社と靖国、あるいは陰陽道などの話にも流れてゆく。
 デザインをするのに、何故歴史の本を読まなければならないのか不明である。
 不明ではあるが、写真もデザインも、実は背後に理論的な裏づけがなければならないという気はいささかしていて、後はそれをどう省いていくかにかかっているとも思う。
 
 
 
■「騎馬民族国家」をぱらぱらとめくっていて、「ところが」の使い方がとても面白かった。逆説ではなく薄い順接にも堂々とお使いになられている。
 面倒なので例文を出すことはしないが、成程、日本語というのは粋な部分も多少ある。 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3000

 
       右手は音速を超える。
 
 
 
 
■ 周囲から、緑坂が3000回だと言われていた。
 それがどうしたボクどらえもん。という気分もややある。
 途中、「夜の魚」も入っていて、しかもyominet の当時には番号を間違えて掲載したりしたもので、こんなものは目安でしかない。
 ところが何をはかる目安だというのか。
 
 
 
■ 十代の頃、やむにやまれぬ若者の衝動がつきあげてきて、青春をしていた。
 青春というのは数をこなさなければ仕方のないもので、当時誰でも音速を超えていたものと思われる。
 衝撃波は後からきて、ワープしたのかと思うと遥か遠くにあったりした。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2999

 
       水を盗んだ。
 
 
 
 
■ 先日なんというかの彼らが集まって酒を飲んだ。
 その後、大使館傍にあるホテルへゆき、ボトルが入っていたよなと思ったが店は満員だった。仕方なく本館の方へと歩く。
 一番安いの、と力説して一本を入れてもらうのだが、スコッチのフェアはいい背広一着分の値段がする。最近ではドーメルもいけますな。
 黒服が近づいてきて説明をしてくれる。
 なんとかしてくれて、そうでもないものになって助かった。
 
 
 
■ 昨日は確か牛丼を食べていたのだが、本日は無駄のようなことをする。
 かつて山口瞳さんが、連日の酒で腹を壊し、下着が汚れるということを書いていた。
 酒が好きな人ならお分かりだろうが、ガスのつもりでいてそうではないことがまま起こる。
 ゆるやかに冷ややかなものが広がる。
 山口さんは深夜、その下着を洗う。
 銀座で飲んでいた一杯の、数分の一の値段なんだがなと思いながら、家人に始末をさせる訳にもゆかない。
 
 
 
■ 仕事を持っている妙齢の方ならお分かりだと思うが、人生は横モレするものである。 何故かは知らぬがそのような月の按配には、意識が薄くなってしまう。
 と、どうでもいいことに話が流れた。
 私はホテルのバーから、小さな水のボトルを二本貰い、一本を若いものに渡している。 何本飲んでもお勘定は一緒だからという、牛丼紅生姜の延長でもあった。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2998

 
       ペルノォもう一杯。
 
 
 
 
■ 若い頃、高輪にある古いビルに住んでいた。
 棚があって、そこに酒の瓶を並べる。
 いたしかたなく飲むものがなくなると、ぺルノーという深緑色の酒を嘗めていた。
 どういう代物かとは、検索でもしてください。
 
 
 
■ ストレートで嘗めると、軽く舌先が痺れる。
 そのまま女と寝ることもあったが、それによってなにかをごまかそうとした訳でもなかった。
 雨の日、しかも手持ちも銀行も乏しい夜、やや粘るかのような薬草の酒を嘗めて三十代半ばが過ぎる。
 
 
 

2005年01月29日

「緑色の坂の道」vol.2997

 
       百舌鳥。
 
 
 
 
■ 静かそうにみえるけれど、わたしは百舌鳥なのだ。
 けれどそれは、わかってくれないから。
 ちがう巣のなかでちがう言葉を話してゆく。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2996

 
       口をきく沼。
 
 
 
 
■ の中に俺はいた。
 薄笑いを浮かべて出来をはかられた。
 俺はいつも比べられている。
 いつも俺がそうしているように。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2995

 
       水に月 2.
 
 
 
 
■ 万遍なく漠然とする能力というのがあって、仕事をする前、そういう時間を持とうとする。実際にデザインに入ってしまうと、理論的な部分も大きいのだが、ここにこの色を置くなどということは、究極的には感覚である。
 その感覚がどこからくるか、ということを考えていると、西麻布で飲んだ一杯のペルノォのストレートだったり、バーの癖に焼酎のボトルを並べているのが嫌だなと思うこころであったり、男だけでのろのろと歩く冬のアスファルトに含まれる石英だったりする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2994

 
       水に月。
 
 
 
 
■ 枯れ枝の隙間から、夜の水がみえる。
 決して透明ではなく、触れば硬いのだろう。
 首の長い女が振り向く。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2993

 
       即物的な坂。
 
 
 
 
■ 緑坂はロマンチックであると言われる。
 何処を読んでそう言っているのか、この方はジャーナリストだったこともあるのにな、と、僅かにいぶかしく思ったこともある。
 緑坂は男性的ですよね。
 そういう声もある。キレかかっても、向こうには決してゆかないと。
 
 
 
■ さておき、坂というのは即物的である。
 なにかの集団が壊れるのは、大抵金か女が背後にあって、わたしだけの物語をつくろうとするからだし、セミナーは広義の洗脳に近いものがある。
 文化や文芸、あるいは魂のなんとかという台詞をやや声高に口にする方々は、多くは都市の周辺部にいて、そこから幻想の都会を眺めている。
 こう書くとあちこちがあれこれであるけれども、最近それでもいいのかなという気はしている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2992

 
       月。
 
 
 
 
■ 彼は十分に背伸びをしていた。
 あなどられまいと、わざと横柄な言葉を使った。
 加速する。
 車線を変え、すばやい動作でハンドルを切る。
 
 
 
■ 横顔が若かった。
 肌の張りが、自分のとは違っていた。
 夢のようだけれど、それでいいのだと思っていた。
 
 
 
■ わたしは自分が女であるということが好きではない。
 白くて柔らかな脚を昼間見ると、そこには薄く血管が浮いている。
 そのようなものがあるのだということが、納得がゆかない。
 世界の中で、それを支えているものがあったとして、自らの腹の中の月に確信を持つことがわたしには出来ない。
 
 
○昔坂 93年 vol 425
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2991

 
       年下。
 
 
 
 
■「だって楽なんだもん」
 と、彼女は言った。
「でも、何時捨てられるか分からないし」
 とも付け加える。
 
 
 
■ そこには失われた若さがあって、そのことを半ば自覚していても認めてはいなかった。
 若い男にとって年上の女が魅力的に視えるのは、少年と青年の境くらいまでであって、男が成熟してゆくにつれ、まぶしさは減じてゆく。
 そういう話を何処かで読んだ。
 
 
○昔坂 93年
 
 
 

2005年01月28日

「緑色の坂の道」vol.2990

 
       冬ホテル。
 
 
 
 
■ いいなと思うホテルは、つまり隠れ家に似ている。
 今はもうない、原宿同潤会アパートの、今から25年前の風情を思い出す。
 
 
 
■ 横浜界隈で、逃げ隠れしたことが何度かあった。
 訳は忘れたが、湿ったベットに独りで潜り込んだ。
 灰色の低い屋根が続く。
 これ以上、どうにもならないよなと思っている男達が昼間から通りをうろうろし、次は何の飯を喰おうかなとも考えている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2989

 
       水仙に 4.
 
 
 
 
■ 冬の白い花。
 柔らかなカシミア。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2988

 
       水仙に 3.
 
 
 
 
■ 大人が読める詩集というものはないものか。
 時々、そんなことを考える。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2987

 
       水仙に 2.
 
 
 
 
■ 微熱が薄く続く。
 これは風邪であろうかと思われる。
 風邪薬と酒は良くないと言われるのだが、叱られても直らない。
 それよりも、旨い味噌汁が飲みたいとおもう。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2986

 
       水仙に。
 
 
 
 
■ 気になる仕事があったので、夜半もそもそとPCに向かっていた。
 どちらかと言えば赤字に近いそれなのだが、頼まれてやるといった以上、イタシカタなく調べたりメールを書いたり、何種類もデザインをしていたりした。
 こういう性格はどうにかならないのかと、いつも思うのだが、結局は自分のprideがそうさせている。
 寝癖とprideでは、緑坂にもならねー。
 
 
 
 
■ 仕事場は六階にあって、大きな窓が開いている。
 今はもう明るくなったので、ガラスの汚れが目立つ。
 外にベランダがある訳ではないから、窓を拭くのは命がけだ。
 他の方々はどうしているのかと管理人に聞いたが、確かな答えは返ってこなかった。
 寝癖を立てながら地下に降りてゆこうとすると、妙齢のご婦人とエレベータで一緒になる。
 失礼します。と互いに声をかける。
 彼女はB1で降りたが、駐車場のシャッターが開いていた。
 私が車でそのままゆくと、紺色のBMWが出口で待っている。
 フィルムを張らない5シリーズをご婦人が転がすというのもなかなかなのだが、別に車のことはいいのだ。
 
 
 

2005年01月27日

「緑色の坂の道」vol.2985

 
       蝋梅 3.
 
 
 
 
■ 一月も後半になると、冬であることが習いになる。
 廻るべき仕事がいくつもあって、かといって先が視えている訳でもない。
 つまり、日常が始まったということなのだが、そろそろ髪も伸びていた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2984

 
       蝋梅 2.
 
 
 
 
■ そうは言ったくせに、玄関先の手入れをしていなかった。
 つまり、暮らしに余白がないということで、私は日に追われる。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2983

 
       蝋梅。
 
 
 
 
■ 広尾にある古くからの花屋で、蝋梅があるだろうかと尋ねた。
 化粧気の少ない妙齢が、電話をかける。
 残念ながらすぐにはない訳だが、花の流通であるから仕方がない。
 玄関先に置いておきたいんだよ。
 別に茶色の薔薇でもいいのだが。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2982

 
       ネットの愛。
 
 
 
 
■ 古くからパソコン通信をされてきた方にはお分かりだろうが、いわゆるネットの世界では、あらゆることが起きる。
 新聞沙汰になるようなこともあれば、他では得られない有益な情報やその他が入手できることもある。
 男は寝てみなければ分からない。
 という声が、80年代半ばくらいからあった。
 そうは言うけどさ、女は古くなってみないと分からないものだぜ。
 と、最近は思っている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2981

 
       レオン。
 
 
 
 
■ 全身を黒づくめで、髪を短く切り、赤色のワックスなどを塗って高そうに見える時計をはめる。
 無精髭を生やしたり、やや適当な風情を意識する。
 車を選ぶのは一大事で、ある程度分かりやすくないとならない。
 
 
 
■ で、コンビニで毎号買う。
 リストラとレオン。
 
 
 

2005年01月25日

「緑色の坂の道」vol.2980

 
       ロッカーズ。
 
 
 
 
■ だが、私はアキバの店員と口論するのが好きだ。
 口論という程のことはなく、パーツとその相性と性能と、この仕事にはどれがいいだろうかという意見を聞くのである。
 こちらが素人だと思うと、向こうもそれなりの対応をする。
 それなりの質問をしたりすると、カタギじゃねえなと店員の顔色が変わる。
 でもですね、最近はそういうマニアな店員も少なく、マニュアルに書いてあることしか口にしない。
 
 
 
■ 彼らは何処へゆくのだろう。
 店は残っていたとしても、暫くぶりだと店員の顔ぶれが違う。
 石がこれでマザーがこれで、と言っても、わかりませんねとか言われたりもした。
 つまりは世代交代ということで、ガンダム初代を作っているのが既にシテ30代半ばというのに近い。
 当時のOL今はいずこ、と似たようなものだなと感慨を抱いたりしたが、男と女ではその先が違っている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2979

 
       人生が竜飛岬。
 
 
 
 
■ 500の石が載った古いノートPCがあるのだが、これに2000を入れると重くて仕方がない。では98Me辺りでどうかと思うが、16bitが残っているOSには何度も痛い目にあっているので避けたい。見た目はいいが、性格に不安定なところが残る妙齢本格派のようである。
 メモリが安く買えれば限界まで増設し、HDDも入れ替えてやればいいのかと、すこし試算をしてみたが、問題はこれを何に使うかである。
 こういうことを考えること自体、何か間違っているのだが、考えてみるといい年をしてそんなことばかりしてきた。
 
 
 
■ アキバの裏道を半日、こちらが安いだろうかとほっつき歩いていた時代というのが誰にでもあって、であるからアキバでは安い飯屋しか流行らない。
 安く買ったのに、食事で贅沢してどうするという按配である。
 この電源まだ使えるな、とか言ってPCケースから外し、ベランダの雨の入らない箱にしまってあったこともあった。
 ごらんあれが竜飛岬。
 って、東京でイウ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2978

 
       壊れかけたソファで少女漫画を読んでいた。
 
 
 
 
■ 薄い頭痛がする。
 昨日は夜になってはらはらと雪が降った。
 積もる程ではないが、その分冷える。
 雪国とは程度が違うとはいえ、寒さへの覚悟がない。支度も少ない。
 部屋に戻るとつけっぱなしでいったセントラルの故か、空気が乾いている。花が硬くなっていた。
 
 
 
■ 半年に一度くらい、PCの梃子入れをする。
 部品であったりソフトであったり、OSの入れ替えだったりしてツボにはまる。
 ノートのPCに2000のProを入れようとしていたのだが、ドライバが噛んでいて、旨くゆかなかった。XPを買ってきて入れる。メモリもひとつを外し512と256に替える。
 ソフトのアップデートをすると、ひとつのdllファイルが消失し、それを捜して入れたりしていた。バグが残っているんですな。
 部品を外しながら作業できるワークステーションではないのだから、初めからXPにしておけばいいものを、こうして寄り道をしてしまう。
 狭い箱庭に盆栽を並べているようなものである。
 
 
 
■ 無駄といえば無駄なのだが、こうした作業を億劫がっているといずれ酷い目に会う。 いざという時に動かなくなってしまう。〆切の前などに。
 私は何度もそれで徹夜した。
 道具というのは大体そういうもので、なんとなくその構造を把握していないと充分には使えない。
 メインのワークステーションのCドライブに、微かな論理矛盾があって、七回チェックディスクの/F をかけたが直らなかった。つまり、テンポラリーにゴミのようなファイルが溜まり、それがワルサをしていると知るまでに半日かかっている。
 灰皿が山になり、コーヒーを馬のように飲む。
 こういうこと、ずっとしていくのかねえ。
 デフラグが終わるまで、うんざりして、壊れかけたソファで少女漫画を読んでいた。
 
 
 

2005年01月24日

「緑色の坂の道」vol.2977

 
       冬の枯れかけた薔薇 2.
 
 
 
■ だってそうだわ。
 あなたはいつもそうだった。
 誰に言われたのか覚えていない.
 そういう君も随分と我侭だった。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2976

 
       冬の枯れかけた薔薇。
 
 
 
 
■ 手に一本の花を持って、甲州街道の長い歩道橋を渡る。
 ここで待ち合わせたのだ。
 くるかどうか分からない、髪の短い女を待って。
 
 
 

2005年01月21日

「緑色の坂の道」vol.2975

 
       北へ帰るブタの群れは誰も無口で ツー。
 
 
 
 
■ 海鳴りだけを聴いていた。
 
 
 
■ しかしまあ、なんと申しましょうか。
 凍えそうな子豚みつめ泣いていました。
 とか続くと、泣けてきますなご同輩。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2974

 
       年取るデジタル。
 
 
 
 
■ 今更デジタルもアナログもないとは思うのだが、そこは流れで。
 緑坂の読者層というのは、昔からつかみどころがなく、案外に若い妙齢前半などが読んでいた。
 読みつづけるとロクデモないことになるのだが、それは自己責任なので関知しない。
 ある種の匂いのようなものがあって、やればできるんだけどねえ、と言われつづけた少年少女時代を過ごした人たちに親和性が高いという説もある。
 けっ、やってらんねえや。という按配で脇道に逸れる。
 リアルタイムに坂を読んできた妙齢も、今は大人になった。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2973

 
       枯れたOSと人魚。
 
 
 
 
■ ノートPCをあれこれしていて、久しぶりに分解などしていた。
 エアでファンの辺りを吹く。
 積年の埃が部屋に舞う。
 PCそのものに凝る時期というのは誰にでもあるが、私も例外ではなく、いい年をしてクロック・アップなどをして遊んでいた。NT4.0の時代である。
 一通りやると大体は飽きるもので、安定性の方向に向かう。CPUよりもメモリの量。
 お金をかける部分がすこし変わってくる。
 この辺り性技にも似て、普段よく使うのは数種である。
 なるべくなんにもしたくない。
 
 
 
■ それにしても、一回は凝る時期を過ぎないとダメなようで、PCの世界には簡単に言えばツボのようなものがあると思う。キーボードを水で洗ったりアルコールで拭いたり。
 手間はかかるけれども、チェックディスクを毎回かけ、クラスタの履修をしてから起動する。結局はDOSの時代からの延長線上にあるからで、ある日突然デジタルになってきた訳でもない。今でもパーティションを切るのに、古いフロッピーを引っ張り出すこともあったりする。
 昔の名前で出ています、という風情であった。
 
 
 

2005年01月20日

「緑色の坂の道」vol.2972

 
       女の背中。
 
 
 
 
■ に耳をあてていると、かすかに海のような音がすることがある。
 
 
 
■ 勿論錯覚なのだが、肩と肩甲骨。胃の辺りのツボ。
 簡単に背中には触れられないのであって、これは表向きの化粧とは違う隠せない生活が滲み出ている部分があるからだろう。
 服の上からでも、指が沈みこむところがあったら。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2971

 
       背中三年。
 
 
 
 
■ が元々だったという説もある。
 語呂が悪いからモモ膝に代えたのだというが、まあどちらでもいいんではないでしょうか。
 今時分のクラブというかバーでは、地引網みたいな模様をしたストッキングを履いていることが多く、隣にそういうものがあったりすると、どうしても眼がゆく。
 眼がゆくように履いているのだからいいのだが、これってさあ、破れたら補修の糸とかあるのかと尋ねる。
 ないですよお、とか言いながら、破れるとあちゃーとか思うんですよね。
 高いからな。
 
 
 
■ 地引網の値段を言い合いながら酒を作ってもらって、たいしたことはないソファに座っているのだから、そのような店というのはほとんど女に金を払っている。
 店の中でモテテいるように視える客というのが、案外に違っていたりして、まあなんでもいいやという気分が最近は濃い。
 ま、これ、あっちに付けておいてよ。
 そうねえ、と言いながら、目配せは仕事です。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2970

 
       モモ膝三年。
 
 
 
 
■ 尻八年。
 という名言があるが、ま、出典は吉行さんである。
 今でいえば、セクハラにならずしてクラブで女の子の尻を撫でられるようになるためには、八年の修行が要る、という意味であろうか。
 
 
 
■ ここでそういった場所の話をしてもいいのだが、最近は風俗営業との区別が付き難く、それはそれ、また奥の深いところもある。
 モテヨーと思っているうちはモテナイ
 というのが、男女の機微と言いますかあれこれであって、知らない間にもそもそと布団の中に入っていた、という具合が望ましい。
 そこは流れで。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2969

 
       追浜のZ。
 
 
 
 
■ 第三京浜を流していると、そのパーキングで、L型ばかりの集団に会うことがある。
 L型というのは日産の直列六気筒で、長くいくつもの主力車種に詰まれていた。
 スカGもローレルもフェアレディも、重く眠たいLを元に70年代から80年代を生き延びてきた訳である。
 コンロッドを取り替え、3200まで排気量をアップする。
 ソレックス、タコ足、デュアルマフラー。
 これが定番のチューンだったが、メカではせいぜいが250PS程度が実用だった。
 今の計測値にすると、200まではないだろうと思う。
 
 
 
■ ツナギを着た若者が私に説明をする。背は160くらいだろう。
 イチロクにぶち抜かれるんですけどね、コーナーで尻振って。
 いやいや、現実には彼のS30だとシャーシがそこまで保たない。
 でも、音がいいんですよ、聴いてください。
 カブってないか。
 カブったかな。
 私は彼に缶コーヒーを奢り、ちょっとハンドルをと薦められるのを辞退した。
 わりいよ、君の彼女みたいなもんじゃん。
 何処から来たのかと尋ねると、彼はダッツンの工場に勤めていた。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2968

 
       北へ帰るブタの群れは誰も無口で。
 
 
 
 
■ ぶう。
 津軽海峡を渡る船の上で、帽子とコートを羽織ったそれらしきものが海を眺めているという按配である。
 寂しいだろうなあ。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2967

 
       港町十三番地。
 
 
 
 
■ 冬になると美空ひばりさんの曲を聴くことが多い。
 ま、冬に限ったことではないのだが、いわゆる小麦粉の沢山入ったカレーライスか、カツ丼とビールを頼みたくなるような気分の時。と言えば分かりやすいだろうか。
 ライスカレーでもいい。
 
 
 
■ ナーガイ旅路のコーオカイ終えて
 と、朝方にPCの前で低く歌う中年男というのは、誰かが見ていれば気持悪いだろうが、今この部屋には誰もいない。
 楕円形のショット・グラスでサントリーを嘗めている。
 ひばりさんは、この歌の出だしを、薄く笑うようにして歌っていた。
「佐渡情話」とはある種対極にあるようで、海峡の底の流れは繋がっているというような歌い方である。
 
 
 
■ 当時、船乗りというのは粋な仕事の代表だった。
 日活映画に何度本牧埠頭が出てきているか、彼らは香港へゆき、上海へと廻る。
 ドルが360円で、沖縄のひとたちはパスポートが必要だった。
 どういう訳か知らないが、私はひばりさんを聴いていると川崎から横浜の外れ、そしてその先の国道へ車を流したくなる。
 時には山口百恵さんに代わることもあるが、まだ川崎の界隈だとそうでもない。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2966

 
       午後の寝癖。
 
 
 
 
■ デザインの核になる部分ができて、暫く放置することにした。
 文章と同じく、すこし時間を置いて冷まさないと旨くゆかないものである。
 今回、文様というか家紋をモチーフにしてみたのだが、できあがってみるとベントレーの紋章のように薄く洋風な感じがしないでもない。
 私の個性なのかどうなのか、暫く答えは出さないことにする。
 
 
 
■ 原美術館の学芸員の方に案内をいただいて、ゆきたいと思っているのだが果たせないでいた。浅葉さんの個展である。
 浅葉さんには何度かお目にかかったことがあるが、どちらかというとその風貌に視線がゆきがちで、密度あるデザインや発想の自由さには後から気がつく。
 世の中ってそういうことが多いので、うーんにゃ、うかうかできねえ。
 つげ義春さんの漫画の中のおいちゃんは、そのように言う。
 
 
 

2005年01月19日

「緑色の坂の道」vol.2965

 
       千鳥 2.
 
 
 
 
■ 友人というのは、その最低の時に呆れながら傍にいた奴のことを言う。
 
 だからまあ、男は男だけの話になるのであって、これが男女であると頭をなでてもらったり、たまには布団をかけてもらったりという間柄になってしまう。
 ま、それもいいんですけれども。
 そろそろ現役を引退しようと思っているので、隣に座っても背中に手を廻したりはしない。
 膝頭を、人差し指で触ったりしている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2964

 
       千鳥。
 
 
 
 
■ 雪にはならなかった。
 日本の文様を調べていて、そのいくつかをデジタルに保存し資料化していた。
 こうしたものというのは、何もすることがなく特に酒も女も欲しくない午後などにその本文をゆっくりと読むべきものだが、なかなかそれまでに至らない。
 国立大学の医学部で医局部長をしている友人が、いつだったかメールをよこした。
 夜勤明けにサンルーフを開けて空を見たら、雲が綺麗だったんだよ。
 おいおい、高速だろう。
 おっと、そうだっけ。
 
 
 
■ 馬鹿だねえ、と思いながら彼の風情を思い出す。
 給料安くてな、バイト時々してんだ。
 とはいうものの、独身時代にはJAZZには凝る車はアバルトの112だったりの、本質的にはお坊っちゃんが大学にいって羽目を外したという側面もあった。
 私は彼に内視鏡を二回飲まされた覚えがある。
 練習させろ。ほら、じたばたすると痛いだろ。にこにこしながら言う。
 奴とは互いに痔になったことのある戦友なのだが、今もまだ保っているかと必ず初めに言いあう。
 
 
 

2005年01月17日

「緑色の坂の道」vol.2963

 
       冬の人魚 4.
 
 
 
 
■ 男達を笑う。
 なにをしているの、そこで。
 髪と乳房を波間から覗かせて、白い波頭の上にある。
 
 
 
■ そうはいうなよ、きみだって。
 男と寝る股を持たない。
 笑い声が高くなる。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2962

 
       冬の人魚 3.
 
 
 
 
■ いつだったか、氷雨の頃、港に入っていった。
 夕方近くになった頃で、黄色い水銀灯が何本か立っている。
 私は安物の雨避けを羽織り、カメラを手に持っている。
 
 
 
■ 港を警備している。
 彼は漁師で、自転車に乗って小屋にきている。
 なにしてんだ、おまえは。
 のような顔をしてこちらを眺めている。
 
 
 
■ なにしているって訳でもないんですけどね。
 雨で写真撮れるの。
 撮れないでしょうね。
 何処からきたのよ。
 煙草を吸い、茶を貰う。
 それで食えるのけ。
 いや、なかなかどうして。
 あの親父は元気か。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2961

 
       冬の人魚 2.
 
 
 
 
■ 指。
 近づけるとわたしの移り香。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2960

 
       冬の人魚。
 
 
 
 
■ 昔、そういうコピーを書いたことがある。
 写真はどんなものか、恐らくは古いキャノンのFD28ミリで撮った今頃の海だろう。
 モノクロ処理にした覚えもある。
 
 
 
■ 我が国の伝承によれば、人魚というのは案外に生臭い生き物で、共食いをしたりもするという。その肉を喰えば不老不死になると言われ、猿の頭を合体させたようなミイラもなにかの本で見た覚えがある。見世物小屋で出していたものかも知れない。
 なにそうしたいかがわしさというのは、テレビの世界には馴染んだものだし、ネットの世界はまだ成熟に至らないがため、言うに及ばない。
 嘘つきは広告屋のハジマリ。
 とは業界でよく言う冗談だが、誠実ぶるのはセミナー屋の始まりという声もある。
 そこも流れで。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2959

 
       海に降る雪 2.
 
 
 
 
■ 車の手袋。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2958

 
       海に降る雪。
 
 
 
 
■ コートの女。
 
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2957

 
       今宵出船かお名残惜しや。
 
 
 
 
■ 暗い波間に雪が降る
(「出船」勝田香月作詞、杉山長谷夫作曲)
 と、歌っているのは、我等がテナーこと藤原義江さんである。
 私はといえば、半日熱で唸っていたのだが、窓ガラスの雨をちらりと眺め、黒ビールを嘗めはじめた。
 
 
 
■ 昨日は東京も雪になると言われた。
 幸い都心部ではそうならなかったが、細かい雨が一日降り続いた。
 私は矩形のスペースから一歩も出られず、断続的に浅い夢をいくつかみる。
 そうした後に口をついて出るのは古い日本の歌で、それは白秋であったり野口雨情、時雨音羽の作詞になるものが多い。
 明治末期から大正へと、空疎という批判はあっても、デモクラシーの華が僅かに咲いた時代の文芸や絵画の色と、当時の歌というのは相似ている。
 雨ふりお月さん じゅうさんななつ。
 
 
 

2005年01月15日

「緑色の坂の道」vol.2956

 
       夢の日 3.
 
 
 
 
■ 随分と前のことだ。
 昼間適当に繁華街を歩いていると、声をかけられる。
 髪のやや赤い女が手を振り、大きな声でこちらに向かってくる。
 
 
 
■ 彼女は駅前に小さな店を出した。
 半年前くらいだったろうか、私は友人と奮発してボトルを入れた。
 友人は真面目な公務員で、ただ酒が好きな奴だった。
 お世話になったから、開店にはゆかないとな。
 そこでサントリーを入れた訳である。
 何度も閉店後、ラーメンを奢ってもらった。
 
 
 
■ 昼日中、やや赤い髪をした年上の女が自分の名を呼んでこちらに迫ってくる事態は、近くにあるバス停の市民の方々には違う世界に視えたのかも知れない。
 私はどぎまぎして、充分な受け答えができなかった。
 またきてね、というだけなのだが。
 彼女の店があるのかどうか、子供は卒業できたのか。
 男の未熟さというのは、救いがないような気がしている。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2955

 
       夢の日 2.
 
 
 
 
■ 銀座へ自腹でゆくことはできないが、それでも何度か連れてゆかれた。
 ママが前に新橋で永くやっていたというようなところで、ほぼ同窓会である。
 私はお供というか鞄持ちなのだが、初めからここはご馳走になるということが分かっている場で、その所作は厄介である。
 左右に肩の辺りが寒いだろうドレスを着たお姐さん方が座る。
 実は彼女達は昼間のお勤めもある。
 
 
 
■ 歌え、と言われ、ボカアいいですとは言えない。
 仕方なく「錆びたナイフ」など、高度成長期前夜の歌を選ぶのだが、この辺り北千住と変わらない。
 一応私は写真家なので、偉いさんが歌っているところなどをネガで撮る。
 後からその扱いには困った。
 
 
 
■ 烏森口から先はまた別。
 というのが新橋の掟であったという。
 一理はあるので、ゆるゆる歩いて金春通を過ぎる。
 風呂屋があって、カリントウ屋もある。
 角の寿司屋は最近本を出した。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2954

 
       夢の日。
 
 
 
 
■ 地方都市の飲み屋で友人と一杯をやる。
 そこは元は芸者だった女将が経営しているところであり、例えば祇園に並ぶ置屋の奥座敷と二階がないような造りになっている。
 数年前ここで、荷風好きの若い芸者と蘊蓄を傾けたことがあった。
 髭文字の、御札のような名刺を貰ったのだが散在した。
 
 
 
■ 酒の席というのは怖いもので、所作が問われる。
 上座下座、その辺りはいいが、酔いながら廻りに気を配っている男は大抵は経営者である。頭を下げながら、箸で河豚の干物などを七輪の上で転がす。
 声が高いのは、日頃あれこれある友人で、聞いていると娘の話と最後は家系図に辿り付いたりしてなかなかであった。
 ウリナラの方々は大体キムさんになるのだというが、我が国では分かれる(ホンキにしないように)。
 
 
 
■ 酒場の話になると、私は山口瞳さんと吉行さんを思い出す。
 お互いに表向きは対極にあるのだが、根は同じようなところがあって、つまり何処かヤケクソであって柄が悪い。
 かといって、店の隅にいる黒子にしっかりと目配せをしているようなところもあり、要は玄人受けをする。
 山口さんの「ぽち袋」の話は有名であるし、吉行さんの近場へゆこうとする時に乗る、タクシーの運転手への気の使いようも尋常ではない。
 それだけいい時代だったとも言えるのだが、つまりは文士というものが名士などではなく、仕方ないわねえと学割で飲ませて貰っていた時代の水平思考であろうか。
 こういう匂いというのは、玄人筋はすぐに見抜くものだった。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2953

 
       一月の薄い恋 7.
 
 
 
 
■ 作家の小嵐先生に賀状をいただいた。
 毎年、沁みることを書かれてくるのだが、半ばご自分に言われているようなところもある。作家とはそういうものだが。
 私は勝手に先生と書かせて戴いているが、実を言うとお目にかかったことはない。
 拙作「夜の魚」の件で、見たこともない若造(当時)に親身になって戴いたからである。辛辣な批評もして戴いた。爾来、十年近い。
 
 
 
■ 誰であれ、会っておいて損はない、という考え方を今ではするようになっている。
 正確には、するように心がけている。
 この仕事は比較的そういった部分があって、呼ばれる会合やパーティというのは半ば営業の場という側面もあるのだが、それはそれ、名刺を交換してその後は流れである。
 例えば文芸とか写真・デザインの世界で、極端なことを言えば誰かの弟子になるということが、最後のところでどうも馴染まないところが私にはあるようで、自分でも困ったものだなと思って長い。
 小嵐先生はその辺りも見透かされてもいるのだろう。
 
 
 
■ 今はどうであるかは知らない。
 少なくとも文壇の世界というのは世間よりは遥かに公平で、才能のある者を可愛がる。可愛がるとは、突き放して眺めるということでもあり、これをやってみろよと比較的長い眼で見ているのではないかと思うところがあ