2004年12月27日
「緑色の坂の道」vol.2927
沈む寺。
■ 確かそのような題名の曲があった。
ドビッシーだったか、覚えていない。
夕方になると、ピアノの音が聴こえることがある。近くに住むひとが薄く窓を開けているからだが、同じ曲を何度も何度もくりかえしている。
私はといえば、あれとこれがまだだったと思いながら、壊れたソファに横になり、カーテンの向こうへの空を眺めている。
髭が伸びた。
ピアノはたどたどしい。
■ お釈迦様は自分だけよくなろうとしたカンダダのこころをいましめ。
とかいう台詞を覚えている。うろ覚えである。
「蜘蛛の糸」の中の一節だったろうか。
つげ義春さんの「リアリズムの宿」の中にも使われていた。
北の町は、既に雪だ。
若い夫婦がやっている土産物屋があって、地場の干物などを売っていた。
明るい色の防寒具を着た奥さんが店番をしている。
少し太った眼鏡をかけたご主人が、その町の青年団のまとめ役をしているらしい。
町の便りが、店先に置いてあった。
「緑色の坂の道」vol.2925
静まる月。
■ 昨日、丸い月が出ていた。
皇居を左に日比谷方面へ抜けると、広い空の上に見事に丸くある。
雲はなく、ビルの上の方だかが赤い。
■ それにしてもさ、一年色々なことがあったさ。
たいしてできなかったけれども、そのたいしてにゆくまでに時間がかかる。
最近、そんな風に思うようになっている。
横ばいが長く続いて、一定の量に達した時に質的な変化が起こる。
社会学か何かのひとつの流儀だけれども、おおむねそのようであるかと思われた。
■ けれども、無限に拡張はしない。
ひとにも周期があって、どう歳をとるかということも考える。
そろそろいいかな。
なにがだろう。
2004年12月26日
「緑色の坂の道」vol.2924
程のよさ。
■ ひとつの技術を追求することがその人間の成長を促し、社会的にも成功してゆくというジャンルの物語があった。これは教養小説と呼ばれている。
「宮本武蔵」などがその代表なのだが、この作品は戦時中、軍人の精神修養のモデルとして人気を博した。
実際に、武蔵が社会的に成功したかどうかは別にしてである。
一方で、技術を極めることが人間的には破滅の道に繋がるという世界もあって、これは「麻雀放浪記」などに代表される。
なぜなら、博打というのは勝ち続けることができないからで、その世界を続けてゆくことは、ある意味で負けることに麻痺してゆくという側面があるからだ。
何かを削ることで成立する世界というものもある。
■ 表現をする際、時々そういうことを考える。
細かな技を売っているのではなく、特性は別のなにものかであるという自覚だろうか。
それを支えるものが、水面下の技術なのだが、いいところまで見たら後は忘れることにしている。
「緑色の坂の道」vol.2915
薔薇の原価 3.
■ クラシック音楽にそう強い訳ではないが、フルベンのじいさんの指揮したものは好きだ。
東京の冬のような音がする。
■ 例えば随分と前のクリスマスの夜、確か細かな雨が降っていた。
今のように青と白の電飾になる前、点滅の回数が緩やかだった頃、表参道の少し先に車を停めた。
指先が絡まる訳だが、そんなことをするのは、やはり時期だったからだとしか言いようがない。
■ 東京は今、埠頭の傍まで車で入ることができない。
埋立地の鍵のかかっていない柵をこえ、遠く羽田の灯かりなどを眺めて漠然とする。
捨ててある車の中を覗き、まだ使えるのに、と思っていたこともあった。
弾奏が落ちていたことがあって、恐らくモデルガンだろうと思うことにした。
2004年12月25日
「緑色の坂の道」vol.2914
薔薇の原価 2.
■ 黒ビールを嘗めながらこれを書いている。
緩やかに戦争が近い訳だが、威勢のいいことを言う方々は直接戦場にはゆかない。
若者が死ぬのである。
■ 先ほど、ヒルズの傍にある店に所用あって出かけた。
これでもかという程に人が歩いている。
今日のために磨かれたメルセデスや、バスほどもあるアメリカのトラックがヒルズ参りをしている。
少しずつ小金を巻き上げるためにはカラクリのようなものが必要で、そのカラクリをブランド戦略と呼ぶ場合もあるが、つまりは、ほぼその実態は問われない。
バブル以後、私たちの国はそれに慣れてしまっているのだろう。
■ 愛国心をどう構築するか、というのは広告屋の仕事である。
どんな世界であれ、片足を深く突っ込みながら片方で醒めている自分がいたとして、だからどうしたという気にもなっている。
「緑色の坂の道」vol.2913
薔薇の原価。
■ というコピーを書いたことがある。
「甘く苦い島」の中にも再掲した。
この言葉にひっかかるひとがいれば、そのひとは多分緑坂の読者に近い。
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■ 外に出ることにした。葉子はそれ程飲んでいない。
葉子は皮のコートを羽織った。口紅が赤い。地下の駐車場にゆきBMWを出した。葉子に運転をさせる。山手通りに曲がってゆく。
私は鞄からカセットを出し機械に入れた。
「なに」
「フルベンというじいさんが指揮するオペラだよ」
「芝浦にゆこう」
イブの夜の山手通りは混んでいた。千葉や多摩ナンバーが並び、渋谷からの坂を下るのに一時間かかった。
拍手の音が入っている。バス・バリトンの声が低く響いている。彼は悪役で、幽閉された囚人を謀殺することを命ずる。
「訳がわからないわね」
葉子は薄い不満を口にした。しかし、ボリュウムを絞ることはない。
私は何か別のことを考えていた。酔いは鈍いものに変わった。
私は葉子に心を読みとる能力があるのではないかと思っている。
今、ワイダをもってくるのは何故か。
葉子を眺めていると、切断された鮮やかな断片が印象に残る。そうしたシーンはいくつも思い出すことができる。しかし、それらは分断されていてひとつのものとして統合されることがない。
借りてきたビデオの中に鑑別診断をする場面があって、それは人間かそうでないのかを曖昧に区別する技術だった。友人から送られた文献のリストには、いくつもの質問形式が例文として載っていた。「ボーダーライン・スケール」と呼ばれるもので、該当するものが多い程疑わしいということになる。
「私は周囲の人や物事からいつも見放されているかんじがする」
「最初にあった時はその人はとても立派にみえるが、やがてガッカリすることが多い」
「他人は私を物のように扱う」
「残酷な考えが浮かんできて苦しむことがある」
「私の内面は空虚だとおもう」
確か、そのような質問が五十程度並んでいた。試みにテストしてみれば、恐らく私も該当の範囲だろう。
ポーランドには沢山の強制収容所があって、そこでは何十万というユダヤ人やジプシーが殺された。人種、民族という曖昧な境界であったが、線を引き、ひとつの民族を地球上から根絶しようとする思想は何処から出てきたのだろう。
ベートーベンの、「フィデリオ」は難解で一般受けしないと言われる。確かにロマンチックでもないし、誇張されてもいない。暗く、聴いていると辛くなるかのようだ。
車が流れ出した。葉子がセカンドで引っ張った。舌先を伸ばしていた時の表情は微塵もない。葉子は自分を物のように扱っているのだと気付いた。
「緑色の坂の道」vol.2912
イブのフルベン。
■ 昨日今日と、何処へいっても混んでいて、それはとてもうんざりするものだが、日本はそういう成り立ちなのだからやむを得ない。
隣のホテルで打ち合わせをすませ、成程、夜になるとJAZZの演奏にチャージがついていた。
ウェスとケニーを足して二で割ったようなギターで、そう嫌いじゃないです。
十年近く前、小説を何本か書いた。
三作、枚数が一定までまとまれば単行本に近くなると指摘され、三部まで進めたが未刊になっている。
他の仕事が忙しくなったからだが、果たしてどう考えるべきか。
■ 適宜、再掲してみる。
これは恵比寿に例のビルが出来たばかりの頃で、今なら六本木ヒルズというべき按配だろうか。
水平に動く歩道が今も話している。
「立ち止まらないでください」
大型のレンタル屋の隣にはホテルがあって、最上階のレストランでは各種パーティもできるのだが、大理石の柱はハリボテだった。
私は指ではじいたりして、狐に似た担当女性に嫌がられた記憶がある。
彼女はブルガリの腕時計をしていた。
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十八 渇く
■「松明のごと、なれの身より火花の飛び散るとき」
葉子がベットの上で低い声を出した。
「なれ知らずや、わが身をこがしつつ自由の身となれるを
持てるものは失われるべき定めにあるを」
どこかに記憶がある。埃を払うと鈍い金属版が覗ける。
「銀座で映画をやっててね、観たのよ」
「灰とダイヤモンドか」
「ワイダってひとが書いたのかとおもってたわ。本を読んだら難しくて最後まで読めなかった」
「でも、はじめのところだけは覚えたの」
アンジェイェフスキだったと思う。小説の扉に、ノルビックの書いた詩が引用されている。
「灰の底ふかく、燦然と輝くダイヤモンドの残らんことを」
私は、「自由」という言葉につまづいている。葉子が口にすると、何か意味があるかのように思えた。
「自由になりたいのか」
私は葉子に尋ねた。
「ずっと、そう思っていたような気もするけど」
空調の音が低くしている。部屋は乾き、窓からは隣にあるビルの灯りがみえている。葉子が予約したのは、恵比須にある人工的な街のホテルだった。
駅から続く水平のエスカレーターがあり、それはいつも警告の声を流している。少しだけ開いた土の中に痩せた樹木が埋まっていて、そこには小さな電球が無数に纏わりついている。照明を浴びた建物の前で、若い男女が写真を撮っている。座り込んでいる若者もいる。
人工的な街の中にあるデパートで酒とグラスを買い、部屋に潜り込むことにしたのだ。
「でも、自由って何かしらね」
私は葉子が撃った中国女のことを考えていた。
火花はトカレフの銃口から短い間、白く出ていた。
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2004年12月24日
「緑色の坂の道」vol.2911
「緑色の坂の道」vol.2910
みんな歌いながら通り過ぎる 2.
■ いつもいる呼び込みはいない。
角に立つ、花売りのおばさんや、お兄さんは健在である。
この季節、銀座は周辺からこられた市民の方々で溢れる。
いわゆる、日本の近代と、そこから生成した中産階級と呼ばれる方々が折にふれそぞろ歩きをする場所とも言えるのだろうか。
■ 神戸で生まれたというバーに連れてゆかれた。
銀座駐車場の界隈で、地下に降りてゆく。
擦り切れた絨毯の階段を降りると、典型的なドアがあり、その中はスタンドである。
いくつかスツールがあるのだが、背広と上着姿の男たちで一杯だった。
自腹で酒が飲めるという場所は、勤め人や自営の立場の人間にとって貴重だと私は思っている。経費で飲む酒とは味が違うのだ。
いやいや、時期が悪かったですね。
と、言いながら先輩に従う。
暫く、ロクデモないことを言いながら歩く。
■ この場合の先輩とは、学校や会社のことではない。
折に触れお世話になって、いわゆる同じ釜の飯を喰い、割に合わないことをやったという、占領下フランス、レジスタンスの同窓会みたいなものだ。
あれから何年も経ち、研究者だった方が助教授になり、私が写真家やデザイナと名乗っている。
なんだよ、助教授になったのかよ、よかったなあ。まだ床で寝てるのか。
彼の部屋は本に埋もれ、時々靴を履いたまま寝ていた。
2004年12月23日
「緑色の坂の道」vol.2907
銀色の鱗。
■ それから何年か経ち、私も大人になった。
泣きはしないが、気配は分かるようになった。
その彼女は幸せになったけれども、相手の気持ちは知らない。
■ 若かろうが、そうでもなかろうが、ある時にそういうことは起こる。
体調と空白と、それから具体的な場所の問題だと思う。
シーツに〈きらきら〉したものが残っている。
時間が経つと、それは虹色に変わったりする。
ややほとぼりの醒めた、接していた部分に、結晶のような細かな断片が残っている。
薄い灯りの下で、銀色の鱗のように見える。
コントラストが奇麗だとも言えるが、厳密には単なる生理現象なのだろう。
そこから、愛が生まれることもあるけれど。
○昔坂 93年 坂28
「緑色の坂の道」vol.2906
吹く女。
■ どんな女か。
と、言えば、口紅を二度重ねて塗る女である。勿論異なった色合いの奴を。
「どうして」
と、聞くと、
「なんとなく」
と、答える。
そうだろうな。
と、私は思い、奇麗な女というのは、何処かでそれを自覚しているのだなと続けた。
■ 深い処にいる途中、突然に熱いものが噴出する。丁度、温泉を掘り当てたような按配である。何処までも深くなり、耳の傍で高い声がする。
■ 「そうだったのか」
と、煙草を吸っている。
「久し振り。でも、こんなものじゃないの。二度も三度も」
こういう時、男は泣いてもいいんだろうか。
「妊娠したことがあるだろう」
と、言いそうになってやめた。
「騙されやすいね」
「んん」
シーツを挟んで目を閉じている。
○昔坂 93年 坂 27
「緑色の坂の道」vol.2905
粋と野暮のあいだ。
■ 吉行さんの初期の対談集に「変わった種族研究」(角川文庫)というものがある。
スマイリー小原、野坂昭如、岡田真澄、青島幸雄、畠山みどり、殿山奉司。
さらっと目次の一頁から拾ってくるとこんな按配である。
■「明日は東京に出てゆくからは なにがなんでも勝たねばナラヌ」
と、歌ったのは巫女スタイルで舞台に立った、当時女村田英雄と呼ばれた畠山みどりさんである。
吉行さんは、絶世期の畠山さんと対談する。
「最後にひとつ聞きますが、歌謡曲の歌詞には、霧とか涙とか星とか恋とかが矢鱈に出てくるけれど、そういう歌詞を本気で歌う気になりますか」
「ええ、すうーっと歌詞の中に入ってゆけます。悲しい歌だと、何度うたっても泣けてきますね」
と言うと、彼女はにっこりと笑って、私を見て言った。
「ああ、やっと見抜いてくれましたね」
(「変わった種族研究」吉行淳之介著:角川文庫:84頁)
この後、吉行さんはA4サイズくらいの畠山さんの顔写真にサインをしたものを渡され、ありがたく頂戴する。この後の文章がいかにも吉行さんらしい、ある意味で優しい、それでいて何枚もの膜があるかのような、簡潔な名文なのだが割愛。
場数を踏んでいないとこうした文章は書けない。
■ ところで何が言いたいかというと、場数のことではなかった。
山口瞳さんは「男性自身」の中で、昨日上野駅に立って、さあこれから東京を征服してやるぞと身構えている若い男が鬱陶しいということを書いている。
その後で、そういうもんでもないのだよ、まずは肩の力を抜けよ。とも続けていた。
上野駅(ないしは東京駅)に降り立った彼は、世の中を睥睨し、鼻の穴を広げている。
東海林さだおさんの漫画に出てくる彼らもまた、そういった按配である。
東海林さんは真面目な顔をして、豚のまるかじりなどを語っておられる。
ま、いいんですけれども、つまりITの世界もなんというか梶原一騎氏の描く分かりやすい立身出世みたいなところがあるのだな、という素朴な感想を私は抱いている。
「緑色の坂の道」vol.2904
ロマンについて。
■ 何時だったか霞町の交差点の辺りで渋滞に入った。
六本木トンネルが出来てから、この辺りは一キロばかり混む。
そこで思い出したことがあった。
「麻雀放浪記」の角川文庫版の解説の最後に、どなたかが面白いことを書いている。
「技を極めることが成長に繋がるという、教養小説の一環ではある。ただ注意しなければならないのは、この小説は、技を極めることがそのまま滅亡への道に繋がっているという世界を描いたということである」(概要:文責北澤)
■ 緑坂の読者には説明は不要かも知れないが、「教養小説」とは、主人公が艱難辛苦に遭遇しながらそれを乗り越え、次第に人間的に成長してゆくという定型を踏むものである。
古くは「次郎物語」「人生劇場」あるいは「青春の門」などがそうだろうか。
「宮本武蔵」なども典型的な教養小説の一環である。
漫画の世界でも、「ナニワ金融伝」「金と銀」などが同一の文脈で語られるだろう。
未熟だった者があれこれし、最後には成功を収めるというパターンだと考えれば大筋でブレは少ない。
■ 古くからネットの世界に棲んでいると、いわゆる「日記」と呼ばれているものの多くが、その文脈で語られていることに気がつく。
儲けたこと。これから流行るもののこと。
でもしくじって東京に負けたりしたこと。
新しい技術はこれで、これを知らなければこれから生きてはゆけないこと。
それを導入したのは自分で、胸を張って顔写真も出すこと。
つまり、浮き沈みはあるにしても、結果として故郷に錦を飾ることを夢見る。
あるいはそれまでがんばる、ということを記す場合が多い。
現在進行形の物語なのだ。
2004年12月22日
「緑色の坂の道」vol.2903
夜のアメ横。
■ 写真家の故・秋山庄太郎さんは若い頃、黒いシャツばかり着ていた。
と、何処かで読んだ覚えがある。汚れが目立たないからだ。
昭和30年代の初めまで、皆そのようだった。
ここで思い出すのは、阿佐田哲也さんの「麻雀放浪記」である。
この主人公、坊や哲も何時も黒シャツを着ていた。半年も風呂に入らない。
前述、放浪記には上野界隈が出てくる。
ノガミの健が根城にしている暴力バーがあった一帯である。
■ 何時だったかの暮れ、女を連れてアメ横界隈を歩いた。
店のシャッターが閉まっている。
ふと眺めると、魚屋のゴミ箱の前に男たちが群がり、さっきまでマグロだったものだろう骨をしゃぶっている。まだ肉が残っているのだ。
黒い姿に、赤身の肉が目立った。
それは唇についた血の色だったかも知れない。
私はちらりと眺め、そっちを見るなと女に命じた。
■ 負けた者には何もやるな。というのが博打の世界の鉄則だという。
博打に限らず、この社会にはそんな掟が生きていて、明白に口にしないだけだともいう。
果たして、ベンチャー企業の経営者は博打打ちだったのだろうか。
エンジェルからの資金を、彼が何に使っていたのか風の噂で聞いた。
正月は帰るのかい。
いや、故郷に錦を飾れるようになるまでは帰りませんよ。
そういって別れた、商学部出の男を私は思い出している。
確か二年前のことだ。
2004年12月21日
「緑色の坂の道」vol.2902
五反田ダンディ。
■ 昔、五反田にあった映画館の傍で、男色趣味のひとに声をかけられたことがある。
私も若かったものだから、暫くトイレにいくたびにうんざりした。
上野界隈にはそうした映画館があって、間違えて路地に入るとたいへんなことになった。
カモがジーンズを履いてきたというような、おかしな緊張感が狭い路地裏にみなぎるのである。
■ 都会で暮らしていて、深夜のサウナに泊まったことのない勤め人は少ないと思う。
なんともいえないものだが、完全にチンボツしている全裸の男が仰向けに寝ている姿というのは滅多に見ることができない。
見てどうだということもない。一夜干しみたいなものである。
リー・マービンとリノ・バンチュラが化粧をして煙草を吹かしているような店に何度かいったことがあった。
いつも酒は学割待遇で、時々説教をされるのがたまに疵だった以外には、夜の街とは凄いものであるなという記憶が残る。暫くして、別の線で遊ぶようになってから足が遠のいた。
いわゆる場末の酒場には、前にいろいろあっただろうなという風情の男や女がタムロしている。何をして生計を立てているのか、実際はヒモだったり博打打ちだったりもするのだろう。
昼間からビールを飲んでいる男がタクシーの運転手だったりすることはごく普通で、彼は演歌の歌手のような色男ではあるが、どこか崩れた横顔をしていたりした。腕時計だけが金色である。
■ 博打打ちは負けることに慣れた人種である。
と、書いていたのは山口瞳さんだった。
長いことその意味が分からなかったのだが、この歳になると実感をもって腹に響いてくる。
例えば浴槽でもトイレでもいい、そこの水垢。
そういった風情が躯全体に染み込んできて、なかなか抜けきらない。
あるときそういうものは、全て捨てるなり漂白してゆかねばならないのだが、なんのためかというと、例えば何かを書こうとする場合である。
無頼派作家という言葉があるけれども、彼らは作品をつくるときだけは、生活の向こう側に立っていた。
この水垢のような匂いは、時々自分の躯から立ち上る。
いわゆる、写真家っぽいとかデザイナ臭さというもので、最近はここにIT業界臭さというものが濃厚に加わってくる。
この題目、表題を変えてつづく。
「緑色の坂の道」vol.2901
冬の雀 3.
■ なんとなく憮然としているので、車を出して氷川丸の辺りへゆこうかと考えた。
やるべきことからの現実逃避である。
この場合、ニコンのF2フォトミックあたりに50ミリF1.2をつけ、フードなしで助手席に置けばいいのだろう。
完全機械式のカメラが、遮断機のようなシャッター音をさせる。
冬だからね。
途中、工業地帯を抜けるからね。
■ F2のシャッターは、川崎のバーチカル・ツイン、W1Sのキックみたいなものである。
クランクが戻るときに出す音。
露出計の指示は角度によっては見えにくいのだが、重たいものだから手ぶれしにくい。 と、クーダラナイ蘊蓄をあれこれ並べ、かろうじて日々すれすれ。
「緑色の坂の道」vol.2900
冬の雀 2.
■ 久しぶりにライカM6を引っ張り出してきて、数枚を撮った。
コト。
と、横走りのシャッターが下りる。
ええ、静かに生きていくんです。という音なのだが、ちょっと慇懃無礼なところもあるだろうか。
レンズはズミルックスである。
昔、地方の病院を経営している友人と酒を飲んで、ライカのレンズの名前をいくつ言えるかを競った。そういう下らないことしか話さない。
スーパー・アンギュロン。
とか口にするとなんか、いいような気がすると思わないか。
んんー、錯覚だが思う。
幻の銘酒ってなもんか。
すいません、チューハイください。
■ 生きてゆくのがメンドクサイから、脇道を捜す。
つまりそれが趣味というものなのだろうが、脇道が仕事になっている場合にはドウシタラヨカロ。
教会の屋根に積もる、黄色の銀杏の葉を眺めていて考えた。
小さな雀もいる。
「緑色の坂の道」vol.2899
冬の雀。
■ 灰色の空に鳥が飛んでいる。
私はつかれて、使い物にならなかった。
「もう若くはないのよ」
と、別れた妻に言われるのが深町丈太郎であるが、その頃深町はまだ30代半ばであった。
今深町がもし勤め人なら、定年が近い頃合いである。
古本屋で買った「部長・島コーサク」を眺めていると、団塊世代のネガとポジの関係にあるのが「事件屋稼業」であったと思われる。
一方は大企業の取締役になってゆき、他方は横浜で恐らくは今も探偵を続ける。
共通点は、別れた妻と娘がいることだ。
■ インテリヤクザ、黒崎を演じるには、やや枯れた原田芳雄さんがいいのかな、などと漠然と考えていた。河豚の立ち泳ぎの情報屋は、宍戸丈さんであろうか。
ま、そうもゆかないだろうが、この季節、横浜というのは灰色である。
街全体がモルタルでできているのではないかと思われる。
私は本牧の辺りから脇道に入り、クリークの傍にある中華屋で不味いラーメンを食べるのが趣味だった。
黄金町の辺りには近づかない。
2004年12月19日
「緑色の坂の道」vol.2898
「緑色の坂の道」vol.2895
旅先のトリス。
■ 厭になったので、酒を嘗め始めた。
洗いにくい、楕円のショット・グラスでである。
酒は札一枚で買えたVAT69で、今裏のラベルを眺めると宮城県塩釜市が輸入元になっている。
URLも載っていて、つまり海は繋がっているということなのだろう。
■ 大戦末期、伊58号(不確か)などで、ジェット戦闘機の設計図を運ぼうとした男達がいた。ことごとく沈められた訳だが、桜花や秋水などの原型は、そこからきているともいう。
全てがFTPできてしまう時代には考えられないことでもあるが、かといって、合理性に耐え切れないひとたちは風水に凝る。
明日が分からない、デザイナや美容師関係の方々も、腕に半透明の数珠を巻く。
「緑色の坂の道」vol.2893
真夜中の色。
■ カードのデザインをしていたらくたびれた。
NY「甘く苦い島」から一枚。
これを6色印刷で出力する。
技術的なことは省くが、つまりは画面で眺めているものとほぼ同じ色合いに出ることになっている。
■ 電卓を叩きながら、0.001ミリまでの位置合わせをしていた。
ここを読まれている読者には直接関係がないことだが、デザインというのは構造的な部分があって、全ては基準になる線がバランスを取っている。
永く眺めていて飽きないものというのは、大体が端正なつくりをしている。
余分なものが少ない訳だが、良質のコピーも同じことなのだ。
■ 何度も印刷をする。
とあるプリンター・メーカーから貰ったインクジェットと、インクがダースであるのだが、こういう場合は使う気になれない。
せんだって借りていたカラー・レーザー・プリンターがあると便利だとは思う。
いずれにしても、出力の機器は一年に二回程変わる訳だし、いちいちそれに合わせてはいられないというのが私の立場である。
液晶モニターで、写真の加工をしている写真館があったら、それは嘘だというように。
2004年12月17日
「緑色の坂の道」vol.2892
2004年12月16日
「緑色の坂の道」vol.2888
「緑色の坂の道」vol.2887
セブン・ステップス 6.
■ 何か具体的に仕事をするとき、サイトというのは名刺代わりになる。
その目的に応じた作りが必要になってくるものだが、例えば写真を見せるのにMovabletypeでは魅力的にはならないことが多い。
CSSの技もやや同じことで、ベースは膨大なテキストであろうか。
■ かつて、大日本スクリーンと共同で、XMLをベースにしたコンテンツを作ったことがあった。題材は「夜の魚」一部である。
小説そのものを構造化していって、紙にもデジタル上でも閲覧可能な電子書籍を作ろうとしたものだった。
面白いことに、画像を入れてくれと頼まれる。魅力的な画像がないと、商品としてはなかなか厳しいという要請からである。
私はその辺りに、ある種普遍的な意味合いが滲んでいたように思う。
■ 例えばこの文章は、本来であれば「青い瓶の話」の中の文脈である。
かつて yominet の文芸では、作品性の高い短文を緑坂、批評に近いものを青瓶と大別していた。だがそれは、書くフォーラム、「場」の問題であって、厳密に内容から峻別されるものではなかった。
MT(Movabletype)によくあるカテゴリー分け。
これが仔細に行われていることもよくあるが、多分書き手は箱庭を作っているようなものかもしれない。
賢い収納、賢いオクサン。
ひとつの文章が、多面的に分類できたりする場合には、ドウシタラヨカロ。
「緑色の坂の道」vol.2885
セブン・ステップス 5.
■ チンボツが続く。
タウリンの日々。
■ やるべきことが溜まっているのだが、どうにも手がつけられないでいる。
宿題は一番最後に、というのが常だったからかも知れない。
誰もが、自分の居場所を確認しながら進む訳だが、こうした仕事の場合、おかしな勘のようなものがあって、果たして前がどちらかということも考える。
考えていると分からなくなるのだが、私は即物的なところもあるので、飯を喰い酒を嘗め、憮然としながら壊れたソファの上で本を眺めていたりする。
備前の赤色は、時代の変化の中で求められてきたものなのだそうだ。