2004年10月31日
2004年10月30日
「緑色の坂の道」vol.2817
2004年10月28日
「緑色の坂の道」vol.2813
10 MINI CIGARILLOS.
■ あるフィルムメーカーの仕事で、アートフォト・ポストカードを販売する。
デザインが4種類。画像が暫定で70枚ほど。
先日、工場の若い担当者が見本刷りを持参した。
雛型のデザインは私が担当し、それ以外は監修という具合になるのだが、見本刷りはぎりぎり許容範囲か、というデザインの仕上がりであった。
とりあえずブウブウ言う訳だが、この場合見ての通りカタカナである。
■ 今手元に、ダビドフのシガリロのケースがある。
白い箱に金色でロゴが入っているが、このフォントはデザイナならばご存知、件のヨーロッパ製のものに近い。細めのアバンギャルドも使われている。
タイポだけでこれだけの緊張感を出すのだから、普通の煙草ワンカートン分の価格でも、つい買ってしまうということになる。
デザインは商品そのものの質を示唆しているのだ。
■ 一般に次の段階の仕事というのは、手間暇がかかる。
何度も企画を練りなおし、修正し、社内的に筋が通るようなものに持ってゆく。
ここで大事なことは、組織というものの理解で、後ろに下がるべきときには大胆に下がる。これは契約内容その他にもいえることで、譲れない部分とそうでないところを峻別する。相手の立場というものも考える。
以前、どうしてそういうことができるようになったのですか、と若者らしい質問を受けたが、何度も負けたことがあるからだよと答えた。
どちらも、相対的なものなのだけれども。
「緑色の坂の道」vol.2811
ギャバジンの袖。
■ いつだったか銀座で時間が空き、男性物の洋品屋に入った。
イタリア製のブランドがあるが、鞄の値段を聞いて成程と思う。
ナイロンのものはないのかと尋ねると、そこの店員は横を向いた。
君は韓国の俳優を意識した眼鏡をかけているのだね。
どこでもそうだけれども、ショップの門番と説明をする人たちはすこし品がない。
私も柄が悪いので、そういうことはすぐ分かる。
■ 綿のコートの袖口はすこし長くなっている。
これは時計ですれたりした場合、折り返して使うからで、その頃にはそのコートもいいよれ具合になってきている。
色はキャメルか玉虫色、せめて紺だけで、ここ数年はやっている黒色は綿だけの場合には色が出ない。
ハリス・ツィードがぶら下がっている店で、詰んだ綿のコートを見かけた。普通のものよりも倍くらいの重さがある。
羽織ってみると欲しくなるので、ハンガーを目の前にぶら下げるだけにした。
スコットランドの中年の郵便配達と変わりがないようにも見える。
「緑色の坂の道」vol.2808
生も一時の位なり。
■ これは、敦盛の謡の一節だと記憶している。
信長が好んで舞ったのだと、十代の頃、安吾の作品で読んだ。
一度生を受け、滅せぬもののあるべきか。
■ 数日前の緑坂に私は「廃墟論」という題を用いた。
観念でそれを言うことと、実際に体験することとは違っていて、何かを表現する際にはその断層に注意しなければならないと考えている。
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2004年10月26日
「緑色の坂の道」vol.2807
2004年10月23日
「緑色の坂の道」vol.2806
2004年10月22日
「緑色の坂の道」vol.2805
無限都市、ニューヨーク 3.
■ 随分と前、マゾの気配が強い女を連れ、千葉の遊園地の裏手にいった。
多分朝方に近かっただろうと思う。
高速を降り、遊園地の脇道をまっすぐ下り、海に近づいてゆく。
路面には焼かれたガソリンの跡が残る。
捨てられた車の窓ガラスの破片が綺麗だった。
ゆるゆると車を走らせ、暫く経つと停める。朝日を浴びているガスタンクが原っぱの真中にある。
私はトランクから三脚を出して、一枚を撮った。
女は脇に立ち、今いったような顔をして風景を眺めている。
■ 1911年5月、ドリームランドは焼失する。
「世界の終末」ファザードに出演する悪魔達を照らすライトの配線がショートしたからだが、観客はこれもまた演出のひとつだろうと疑わなかった。
消防士の活躍を芝居仕立てで見せる、雇われ俳優たちが真っ先に逃げ出す。
ポンプの水量は追いつかない。
動物たちは、調教が旨くいっていたおかげで全滅する。象、カバ、キリン、ライオン。炎の中でどうすればいいのかは、鞭と餌は教えなかったのだ。
三時間後、ドリームランドはその姿を消す。
「DELIRIOUS NEW YORK」(前掲)この39頁の写真は圧巻である。
くすぶりながら、なおも何処かで美しい。
これは、マンハッタンの原型が焼け落ちた姿であった。
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青瓶 2506 再掲。
「緑色の坂の道」vol.2804
無限都市、ニューヨーク 2.
■ 音のしない夜だ。
仕方なくアンプのスイッチを入れ、誰のだか分からないカクテル・ピアノをかけている。
「DELIRIOUS NEW YORK」(「錯乱のニューヨーク」鈴木圭介訳:ちくま学芸文庫)という本がある。レム・コールハースという建築家が書いたものだ。
冬になろうとする頃合い、明け方近い六本木の書店で背中を丸めながら求めた。
第一部は「コニーアイランド」
マンハッタン島と向かい合うこの地域は、19世紀末からの橋の開通と輸送手段の進展によって、大衆にとって身近な場所となる。
できたばかりのブルックリン・ブリッジ。
ルナ・パークという一大遊園地がその向こうには広がっている。人工の砂浜。
■ コニー・アイランドがどんな場所であったのか、それを仔細に語るのは煩雑なので省く。
毎日が万博というような、そこにいつしか、写真家のダイアン・アーバスが撮った異形のひとたちが笑いながら集まり、食事をし、イルミネーションを見上げていた場所。
近代化への小児的な夢と、人間が持っている根源的ないかがわしさが並立していたところ。とでも想像するしかないのだろうか。
アーバスは、「ハノイ爆撃」のバッチをつけて戦争賛成のパレードに参加する少年の姿を撮った。少年は笑っているのだが、その笑いの向こうに彼のプア・ホワイトの生活が透けて見える。退職した年金者パーティでの、社交ダンスの王様と女王。
これらは風景としてどこか切断され、見るものに内的な違和を与える。
彼らにとっては普通のことなのだが、やはりどこかでグロテスクなのだ。
アーバスの写真というのはおそらく、こちらの市民社会性、あるいは中産階級の自惚れのようなものを内側から崩そうとするものなのかも知れない。
■ いつだったか、大阪に取材にいったことがある。
地下鉄で南下して、動物公園駅前で降りる。
そこから通天閣界隈を撮影し、いつのまにか西成地区、職安の二階に入り込んだ。そこには浮浪者が簡易ベットを並べ雨零をしのいでいた。
私はカメラバックを持っていた。ニコンをぶら下げてもいた。ただし、ファインダーを覗いてフレーミングすることはできない。腰の位置で広角レンズによる置きピンを試す。
交番の窓ガラスには金網が張ってある。職安前には、市役所の職員が青テントを強制撤去する作業が進んでいる。廻りに集まる人垣。時折低く入る罵声の声色が、まだ動きはしないだろうことを教えている。つまりは日常なのだろう。
二時間ほど歩き、フィルムを三本消費し、露天で売っているグンゼの白いブリーフを一枚買い、LじゃないんだMはないのかと言い張った。質屋で売っているようなブリーフだった。
それからエロビデオの露天販売を数本ひやかし、学園紛争の時にみかけたフォントで描かれた縦看板の横に座り込んで通りを眺めた。
ここが多分支援団体の事務所であり、最も敏感にカメラを拒絶する場所であろうか。
取材なのだ、という気分を自分で持たないようにしている。
隣に男がいて、多分私よりも若い。
膝を立て、肘の中に顔を埋めている。薄く唸ってもいるようだが、こちらには聴こえない。数日青カンを続けた気配がある。
私は煙草をアスファルトで消し、二口飲んだペット・ボトルのお茶を男の傍に押しやって、いるかい、と低く尋ねた。断られたら別に無視をするつもりでいた。
男は顔を上げ、うなづく。
それも、どうでもいいことだと思う。
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青瓶 2505 再掲。
「緑色の坂の道」vol.2803
無限都市、ニューヨーク。
■ 薄暖かい気もするが、それはセントラルヒーターのせいで、窓からは角のとれた冷気が入りこんでくる。
昨日からずっと頭痛が続いていて、錠剤の薬を何度かかじった。
今、「MAXIMUM CITY.THE BIOGRAPHY OF NEW YORK」という本が手元にある。
マイケル・パイ著。安岡 真 訳。文藝春秋社刊。
そのカバーのモノクロ写真は、組み立てている最中の摩天楼の鉄骨の上に男たちが並び、シルエットとなっているものである。エンパイアかクライスラーか。
いずれにせよ大恐慌の直前、男たちが安全帽の代わりにハンチングを被っていた時代である。背後には、中低層のビルの群れが低く広がる。
元になっている写真を、どこかで見た覚えがあると書棚を捜したが見つからなかった。
■ 写真には鎮静の効果がある、と書いたのは確かスーザン・ソンタグだった。
彼女の論と用語は難解で、何度か読み返してもまっすぐに胸には落ちてはこない。断片に光るものがあって、それだけは覚えている。
「写真に撮られたものはたいがい、写真に撮られたということで哀愁を帯びる。
(略)朽ちて、いまは存在しないがために、哀愁の対象となるのである」
(「写真論」スーザン・ソンタグ:近藤耕人 訳:昌文社:23頁)
つまり「写真は全て死を連想させるものである」からだが、ひとはそのことをなかなか意識しようとはしない。
ソンタグより後年、ロラン・バルトは「明るい部屋」の中で、母を題材としながら独特の甘美ともいえる文体でその立証を試みた。
■ 今日は風が強かったが、夕方から降り始めた。
仕事場の窓ガラスに水滴がたまっている。
向かいに広がる庭園には、数本の満開の桜が水銀灯に照らされ、その手前には影になった大きな銀杏の樹がある。
縦に落ちる水の音。
私はといえば、自分が撮った写真について、漠然と考えている。
仮にNYのものだったとしよう。始めはその全てを公開していなかった。
広告に転用するという要請もあるが、ポジからの選択の際に自然に編集、省いてしまうのだ。ある種自主規制にも似た、分かりやすさとテーマを意識していたのかも知れない。
ブレッソンや木村伊兵衛は、何枚も撮ったものの中からこれだという一枚を選んだという。写真の姿勢としてその対極にあったと言われる土門拳も、膨大なフィルムを消費した。だがそれは、写真が絵画に対してその芸術性をいささか背伸びして主張しなければならない時代の要請ではなかったかという気もする。
写真が芸術か、という問いかけが今日妥当かどうか。
問いかけるまでもなく、写真は万人に開かれてもいるだろう。それはその他の芸術も同じだ。
いわゆる「グラウンド・ゼロ」以降、私はNYにゆく機会があった。
ゆくことが可能だったという意味でである。
仕事絡みでもそうでなくても、ゆくだけならばただの移動だろう。何故かはわからないが私はその機会を見送っていた。
今も、まだそうではないと感じている部分がある。
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青瓶 2504 再掲。
「緑色の坂の道」vol.2801
廃墟論 3.
■ ウッドワードは「廃墟論」の後記に、以下のように書いている。
私は本書を、ひとりの真面目な建築史家として書きはじめた。しかしやがて、建築家はその考え方において、画家のあとを二○年ほど遅れて歩いていることに気がついた。そした画家はまた画家で、彼らのアイディアを作家から得ているのではないかと思った。
(「廃墟論」青土社:クリストファー・ウッドワード著:森夏樹訳:364頁)
この指摘が、当を得たものであるかはともかく、いくつかのジャンルがいずれ符合してゆくということは、人間の歴史やその上澄みである意識が緩やかに流れるものである以上、ある意味で当たり前のことかも知れない。
■ 私は、拙作「甘く苦い島」をもう一度眺めてみた。
9.11 以前の、まだ世界の構造が変わらなかった時代のNYではあるのだが、薄い予兆のようなものを感じていたことを覚えている。それは微妙な違和感に似ていた。
分かりやすく言えば、華やかだと言われている都会の、もうひとつの部分だろうか。
被写体として掘り下げるまでもなく、そこには薄っすらとした哀しみのようなものがある。
そしてそれは、今東京の都心にいて、毎日眺めているものへの視線と、そう変わりがないものだという気もしている。
2004年10月21日
「緑色の坂の道」vol.2800
廃墟論 2.
■ 村田珠光の言葉にこんなものがある。
月も雲間になきは いやに候。
珠光は茶人である。秋の月は綺麗なものだけれども、空になんの翳りもなく月だけが煌々と光っているのはすこし困る。時折雲に遮られているような頃合いのものが美しいと。
これは何処か不完全なところに美を感じる、という意識であるが、果たしてそれが何処からきているかについては別の機会に。
■ 昨日の野分の後、空には雲がない。
そこに半月が傾いているが、これがもし満月だったとすれば、どうもやり過ぎの感じがする。
これからでも、この後でも。
全て傾いているものが美しいのではないかと私は時々考えている。
「緑色の坂の道」vol.2799
廃墟論。
■ 太いなるものが過ぎ行く野分かな (虚子)
と、こんな俳句を思い出したりしていた。
いかにも虚子らしい句である。
空は、今は半月になっている。
■ 比較的長い時間がかかった仕事がひと段落して、後は廻すだけになっている。
私とその作品についての紹介文を書けという依頼がきて、数日すこし悩んだ。
なるべくあっさりと、媒体の特性なども考える。
■ クリストファー・ウッドワードの「廃墟論」(青土社:森夏樹訳)をぱらぱらと捲っていた。題名に惹かれて手にとった訳だが、なかなか難解で、精読は難しい。
原題を「IN RUINS」という。訳者の森氏のあとがきが優れていて、西洋における廃墟というのはつまり「裁きの日」に向かって一直線に向かう過程にある幻視なのだという指摘はその通りである。ただしこれはキリスト教以後の価値観であるが。
ひるがえって日本はどうかというと、そう簡単なものではない。
ここで鈴木大拙などの禅や、あるいは茶の本などをごそごそひっぱりだしたくなるのだが、不完全なものに美を見出す心理が私たちにあるのだとすれば、そこまでするのは野暮だということにもなる。
2004年10月20日
「緑色の坂の道」vol.2798
2004年10月19日
「緑色の坂の道」vol.2796
「緑色の坂の道」vol.2794
雨ふたたび 4.
■ 日本でのJAZZメンは喰えない。
僅かな例外もあるけれども、ライブが終わって駐車代を払うと、手元にはビールの請求書しか残らないという話を何度も聞いた。
カクテル・ピアノというジャンルがある。
ホテルやラウンジで、一杯を嘗めながら背後に流れているというような音を指す。
BGMじゃないか、と言われればその通りだが、軽く流して聴くに耐えるピアノ弾きというのもまた少ないんですね。
■ 仕事場から隣接したホテルでは、時々軽いライブをやっているという。
夜になって、ライトアップされた庭園を背後に、妙齢を口説くには捨てたものでもない。首尾よく成就した翌朝、彼女が窓を開けると、徹夜明けの私と眼があったりする。
「緑色の坂の道」vol.2792
雨ふたたび 2.
■ バブル盛りの頃「ボーダー」という漫画が流行った。
私も好きでまだ全巻を持っているが、原作者の描くその後の作品世界は、その後急速に失速してしまった。
深層心理や集合的無意識、いわば神秘主義の方向に流れてしまったからだろうと私は踏んでいる。名前は控えるが、ラジカルな言説で売っていた作家の何人かも、そのように穴の中から世界を呪ったり語ったりするようになり、こちらの胸に言葉は届かなくなってしまった。
■ 無理したカリスマというのがもし居るのだとして、彼は自分の人生を演技化する。
物語に擬する訳だが、物語に飢えた一部の女性達には受けがいい。
人生も歴史も、あるいは文化そのものも、決して物語の世界に収束できるものではないと知った中年男たちは、たいしたものだよねと言いながら、旨い焼き鳥で一杯の方を選んでいる。
「緑色の坂の道」vol.2791
雨ふたたび。
■ 薄い風邪が躯に入り、熱っぽい。
昨日は銀座から虎ノ門に移り、シガレロとスコッチでいい気なものだを演じた。
数人で動く場合、長い地下鉄の階段を降りるよりも車の方が早い。
時間にもよるのだが。
■ バーでシガレロを買う訳だが、今ふと考えると私の履いている黒いパンツよりも高い。最近私の格好は、よくあるチェーンの店で一本を買い、それが白くなった頃に捨て、また出かけていって求める、ということを繰り返していた。
ガスの乾燥機をかけると、そう何本も要らないのである。
仕事上の会合などを除けば、それでどこへでも行っているのだが、果たしてこれでいいのかなという気もしないでもない。
「緑色の坂の道」vol.2789
浮動クラス。
■ 日曜の夜、ひとり車を走らせて所用から戻った。
交差点で停まると、空が狭くなっている。何時の間にかここに高層マンションが建つのだ。
多摩ナンバーのランチア・ワゴンが目の前にいた。窓から出ている腕にはブルガリの時計がはめてあり、そこまでやるのかと少し白けた。その紳士は、一足六万はする靴を履いていることだろう。日系おとなのおふ。連れがよろこぶ露天風呂。
■ 青瓶のところに甘木君が、階級について考えることが多いと書いていた。
全くその通りで、麻布にあるスタジオの前にはメルセデスのSLKの大きなものが停まっていて、その横で男が弁当を食べていた。夜の八時過ぎであるから、彼の夕食なのだろう。
それにしても、最近車の名前はどうでもいい。とりわけメルセデスはだ。
かつて、世の中がまだここまで進む以前、といってもほんの数年前だが、私は「夜の魚」の三部に階級のことを書いた。階級と言えば、階層というよりも更にえげつない響きがある。
いわゆる戦後の民主主義社会を支えてきた中産階級が次第に崩壊し、浮動的な二極分化が急速に進んできている。
つい昨日までWeb制作やサーバー屋だった会社が社会の表舞台で一時は踊り、その代表者はNYスタイルのブランド物を身につけ、有名人が集まるというスポーツ・ジムに通う。そのすぐ隣のスーパーに、私は時々酒を買いにゆく。
いくらでも取り替えの効く周囲の信奉者たちは、あたかも100円で本を売るチェーン店の店員のように、暇さえあれば気合いを入れていた。
それは擬似体育会系か宗教系であって、彼らは潜在的に洗脳を望んでいる。
見方を変えれば、文化大革命の際の上海のようでもあった。
2004年10月16日
「緑色の坂の道」vol.2787
2004年10月15日
「緑色の坂の道」vol.2785
2004年10月13日
「緑色の坂の道」vol.2784
2004年10月12日
「緑色の坂の道」vol.2779
2004年10月09日
「緑色の坂の道」vol.2778
2004年10月05日
「緑色の坂の道」vol.2777
「緑色の坂の道」vol.2776
東京雨あがり。
■ 革の底の靴を、雨の日に履くというのは無駄である。
水を吸って削れてゆくからだ。
昨日の会合は、文化人や大臣がきていた。
大臣が若い頃、馴染んだという置き屋の女将と並ぶ。
何も無かったからこうしていられるんだよ、と酔いながら笑う。
今の芸者は踊りも何も。と、昔から繰り返された言葉を聞いた。
私は小型のデジカメでそれを撮ったが、ここに載せる野暮はしない。
■ 一日経って、靴をしまう。
木製のシューズ・キーパーを入れ、かたちを整える。
昨日の受賞作家さんの話はつまらなかったな。
文化文化と、結局は自分のことを言っているんだな。
こういうところで繋がって、広義の営業を試みている訳だが、なにそれはデザイナも同じである。
やっと雨があがった。
2004年10月03日
