2004年09月25日

「緑色の坂の道」vol.2772

 
       影ある女と桑原坂 2.
 
 
 
■ せんだって車のオイルを換えている間、恵比寿・代官山の界隈を歩いた。
 どうということはない、若い女のための街だが、ある店でドイツ製だというショット・グラスをひとつだけ買う。ワイン・グラスを小さくして脚を取ったような形をしていた。 もちろん、酒は嘗めにくい。
 
 
 
■ それにウィスキィを垂らし、カメラ・バックの点検をしていた。
 正確には中身の機材である。
 バックには大小何種類もあるものだが、他人に自分はカメラマンであると示唆したいと望まない限り、国産のものでも、とりあえずの問題はない。アルミのバックにあちこちのステッカーを貼ったままにしておくのも、道の駅のスタンプ集めと同じことである。
 何台かカメラを使ってきて、その特質のようなものが視えてくる。被写体深度を利用してピント合わせをせずに撮る場合には、当然マニュアル・フォーカスの方がやりやすい。 暗くなってからのピント合わせも、同じようにMFである。
 が、ここぞという時の連写機能が、すこし古いカメラにはついていないことが多く、後付けができるとしてもそれでは大分重くなる。普通に売られている今のAFカメラをマニュアルに戻し、秒数コマを撮るのが無難だろうか。
 カメラ雑誌にプロの方々が、絶大なる信頼感などということを書いているが、それも時と場合であろう。砂漠など電池が手に入らないところでは機械式シャッターのMFだし、スポーツのそれでは一々巻き上げてもいられない。つまり道具の評価とは、使用される環境と目的の中で、相対的なものなのだ。
 
 
 
■ そんなことを考えていたら、笛の音がした。
 誰かが黒く沈んだ庭の中で吹いたのだろうか。
 口笛の聞こえる街角。なんてフレーズは、昭和三十年代の日活映画の世界ではあるが、気持ちよく口笛を吹くこともなくなっている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2771

 
       影ある女と桑原坂。
 
 
 
■ 雨になった。
 台風が近いのだという。
 どうりで気圧が上下して、眠りが浅いのだろうと思われた。
 
 
 
■ 深夜、地下の駐車場に降りてトランクを開ける。
 数本の三脚が入っているのだが、一本を残して空間をつくった。
 私が今いるところは、一階の廊下が古い御影石のようなものが敷いてあって、誰が炊くのだろう決まったお香の匂いがする。始めは違和感があったけれども、通路の飾り障子と共に、何時の間にか慣れた。
 初老の男性が入り口から入ってくる。エレベーターを待つ間、私は低く夜の挨拶をする。彼はやや酔っているのか、同じようにこんばんわとすこし大きな声で答えた。
 どうも、廊下ですれ違う人に声をかけるのが不文律になっているようで、それはある種の身分保障のようなものだと一月経った辺りで理解した。
 
 
 
■ 傘を指した人影が歩いている。
 水銀灯が黒い塀の辺りを照らし、私は作業の姿のまま坂道を登った。
 まだ本降りにはならない。
 
 

2004年09月24日

「緑色の坂の道」vol.2770

 
       退屈な大人の遊び。
 
 
 
■ 社会的な影響というものがあるので、ここで具体的なことは書かない。
 昔坂には、あれこれが載っているが、いずれにしてもそれは昔のお話である。
 六本木のホテルで、ロースト・ビーフを大量に頬張った。
 大きな皿に盛られると、ありがたい感じがしないが、これは結構お高いものである。
 昔の不摂生と喧嘩などのために、私の奥歯は片方が欠けている。
 それでも喰えるのだから、どうにかなるものだと思う。
 
 
 
■ 青年期の一時、ロースト・ビーフをしげしげと眺めていて、厭世的な気分になることがあった。これに似たようなもののために、愛だの恋だのとなにものかを無駄にしている。トマト・ジュースと並べられたら神経に堪える。にがりを垂らしたとしてもだ。
 と、そう思うのは、既にして中年に傾いていたからで、それまでに何度か愛は世界を滅ぼしていた。
 
 

2004年09月23日

「緑色の坂の道」vol.2769

 
       恋に似たもの。
 
 
 
■ 愛のヨコモレ。
 
 
 

2004年09月22日

「緑色の坂の道」vol.2768

 
       月の音。
 
 
 
■ マイルスの小品に「Quiet Night」というものがある。
 ギルが絡んでいたように覚えているが、それを調べようとはしない。
 夜になって、PCの上で何度か線を引きなおしながらそれを聴いていた。
 この時代のマイルスは、胃袋が黒くなるような音をしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2767

 
       月が隠れる。
 
 
 
 
■ なにか意味のある仕事の場合、ゆきつもどりつをする。
 焦る気分もあるのだが、最近では慣れた。
 簡単に手に入るようなものは簡単に掌からも零れてゆく。
 
 
 
■ 暫く無駄のようなことをしていなかったので、何かが煮詰まる。
 無駄とは、例えば浅草の連れ込み宿などの風呂に入り、することもなく現実逃避をしているようなことである。女がいてもいなくても良い。
 仕事も私生活も、なかなかそうもゆかなくなっているのだが、緑坂の基本は列の外からの眺めであって、そのために片足を列の中に入れている。全部入るとこんどは視えなくもなるからだし、大体躯のどこかがそれを拒絶してしまう。
 
 
 
■ 細い虫が鳴いていて、雨はあがった。
 暑いのか涼しいのか判然としない一日だった。
 私は何本か電話を済ませながら、山間で月の写真を撮っている自分を夢想した。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2766

 
       半月と雲。
 
 
 
■ 仕事場から月がみえる。
 幾層もの雲があって、月は隠れたり光ったりする。
 せんだって人を待つあいだ、鈴木大拙の「禅と日本文化」という本を読み返していた。 茶であるとか歌であるとか、その根本にあるなにか欠けた感じ。
 うつろうものへの偏愛ともいうべき感情。
 大拙の言葉をそのまま鵜呑みにするには歳を取りすぎたが、ガラス窓に斜めに雨の筋が入るのを眺めている。
 
 
 

■ ところで、青瓶デスク仮面の忍者屈折氏が、動画の新作を作っている。
 しばし楽しんでいただきたい。

「緑色の坂の道」vol.2765

 
       溜池。
 
 
 
■ 横断歩道を渡るとき、青地に白の地名の看板が目に入る。
 この下には長い長い地下道があって、男たちや女たちがメトロを指さす。
 誰も助けてはくれない。
 そういった甘えた気分で、冬の地下道を歩いたことを思い出した。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2764

 
       溜池。
 
 
 
■ 議事堂が見える階層のバーで酒を飲んでいた。
 二軒目、三軒目。
 歩いているとこみあげてくる。
 私は警察のマークがついた信号の制御機の側で吐いた。
 ふりかえると、首相官邸がある。
 なんというか、それでもいいかとは思っている。
 
 

2004年09月19日

「緑色の坂の道」vol.2763

 
       ラルゴ。
 
 
 
■ 作品をつくるときというのは向こう側にゆく訳だが、それを眺めるのはこちら側のひとたちである。私もその中にいる。
 こうした考えは保守的だとも言われるが、実は紙一重で、ゆきつもどりつのバランスを取ろうとしている。
 ビルの隙間、三日月の姿がある。
 
 

2004年09月16日

「緑色の坂の道」vol.2762

 
       長い湯。
 
 
 
■ 女の腹とその希望。
 などということを、ぼんやり思い出していた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2761

 
       十六夜。
 
 
 
 
■ いさよい、と読む。名月の翌夜の月を言う。満月よりも出がすこし遅れるので、ためらうの意「猶予」(いさよふ)を当てる。
 
 
■ 電話をしようと思いながら何時も果たさない。
 余計な心配を掛けるかも知れないといぶかるのが一番の理由だ。
 とりとめのない話をしながら、相手の思惑を探るのは楽しい。
 
 
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2004年09月13日

「緑色の坂の道」vol.2760

 
        風の日 3.
 
 
 
■ 遠くのマンションの灯りがくっきりと見える。
 秋になったからだ。
 私はといえば、私生活の変化のため、じたばたと日を過ごす。
 なにかを纏め上げるというのは、結構に時間がかかるもので、泡立つ水面を眺めているような気がすることもあった。
 
 

2004年09月08日

「緑色の坂の道」vol.2759

 
        風の日 2.
 
 
 
■ 虎ノ門にあるホテルで所要を済ませていた。
 最近どうもここに縁があるようで、大使館の脇の坂道を昇り降りしている。
 和風の建築と内部のデザインが「列島いにしえ探訪」に通じるところがあって、そんなことも要因のひとつであるかとも思う。
 
 
 
■ 新古典主義という美術の分類があるが、その厚い本をベットサイドでぱらぱら捲っていた。自分の作るデザインや写真が、遠いところから影響を受けていると知るのは、これが始めてではない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2758

 
        風の日。
 
 
 
■ 背の高い銀杏の樹が揺れている。
 向こうでは暗がりで、樫の木も同じようだ。
 森は全体に身もだえをして、その空には夜の雲が速い。
 
 

2004年09月07日

「緑色の坂の道」vol.2757

 
       青テント。
 
 
 
■「ここから、青テントのひとたちが見えます。寒くなってきました」
 と書いてきた、新聞社の方がいた。
 それだけで、充分に言いたいことは伝わる。
 
 
 
■ 人生に様々な可能性があると思っているうちは、まだ良いのだろう。
 次第に碁盤の目は詰まってきて、後を打つべきところが少ない。
 とりかえしのつかないこと、というのは今まで何度もやっているが、社会の掟というのは厳然としてあった。
 
 

2004年09月05日

「緑色の坂の道」vol.2756

 
       雨あがりの背中。
 
 
 
■ 彼は去ってゆく。
 夏のあいだ、抱いたことも忘れて。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2755

 
       あらかじめの価値。
 
 
 
■ 市民社会と文化、という捉え方がある。
 それは相対立するもので、芸術家はいわゆる市民社会から迫害を受ける、という二元論を基礎にしている。これは厳格な意味では今でも正しい。
 だが、社会はもうすこし複雑になっている。
 
 
 
■ こういった古典的な芸術観というのは、例えば「トニオ・クレーゲル」などに最良の形で残っていた。
 それは、そうしなければ自らの生理や感覚がこの社会で維持できない、という切羽詰まった段階でのお話で、青年期における社会への適応の過程を示唆してもいる。
 金子光晴さんの詩に「おいら、後ろ向きのおっとせい」というものがあった。
 いい歳をして、俺は芸術家だからいいんだもんね、と強がっているのはお馬鹿である。
 あらかじめの価値を、一回裏返しにしたに過ぎない。
 実の母親が亡くなった時、それを原稿のネタにするのは構わないが、君はその時に泣いたのかということを知りたい。
 他人に対する共感性を欠いたまま、適応だけは見事にうまい人格の状態というのは確かにあって、「自己愛型境界性人格障害」とアメリカでは名付けられている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2754

 
       ゆるやかな川沿い。
 
 
 
■ 深夜、漠然としている。
 夏はどこへもゆけなかった。
 アジアへ、誘われてもいたのだが、パスポートの確認だけをしてそれも流した。
 仕事はすこし詰めに入る。
 
 
 
■ 比較的大きな組織と付き合うことが多いのだが、その組織の体質や沿革、組織図のようなものが案外に大事になることがある。
 向いている方向であるとか、逆流であるとか。
 どうすれば個人がその組織の中で生き延びてゆけるのかということを、遠くから想像したりもする。
 だが結局は、私は独りなのだから、その立場は崩せない。
 そんなことを、川を眺めながら考えていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2753

 
       遠雷 2.
 
 
 
 
■ 気圧が変わると薄い頭痛がする。
 単車の事故での後遺症なのだが、そればかりでもない。
 誰もいないリビングで、寝そべっていた。
 
 
 
■ 空が何度か光り、雨足が強くなる。
 私は海に降る雨のことを思った。
 そこに住む、不器用なひとりの男のことを思い出した。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2752

 
       遠雷。
 
 
 
■ 少年の怖れ。
 
 
 

2004年09月03日

「緑色の坂の道」vol.2751

 
       夢の日。
 
 
 
■ 海から風がふく。
 なにもしないで、君とそこにもいる。
 
 

2004年09月02日

「緑色の坂の道」vol.2750

 
      とんぼ。
 
 
 
■ 窓を開けていると、トンボが入ってきた。
 くるりと仕事場を二周して、また出てゆく。
 水のあるところは遠いのにね。
 随分高く飛ぶんだね。
 私はと言えば、昨日寝違えた肩が痛く、秋がくるのを待っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2749

 
       現場にて 2.
 
 
 
■ どの業界でもそうだけれども、実際の生産の現場におられる方々の協力なしでは、商品はできない。
 できるにしても、一通りのものであって、ある種の気持というものは入らない。
 気持とは、自分がこれを作っているんだという気合いとプライドだろうか。
 最後の質っていうのは、案外この辺りで決まったりもする。
 戻りながら、私はやや観念的であったかと思われた。
 そして、自分の役目というのは、何処からくるのだろうと考えた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2748

 
       現場にて。
 
 
 
■ とあるフィルム・メーカーの工場を拝見する機会があった。
 もちろんMTG(打ち合わせ)のためである。
 その後、生産管理の責任者の方に、数百人が働く場所と機械を説明していただいた。
 彼らは皆、青い上着を着ておられた。
 
 
 
■ 守秘義務ということもないのだが、何処であったかなどは省く。
 首都高速で延々と、私の車にはナビなどというものは付いていないので、印刷した地図をダッシュに置き、霞ヶ関トンネルの辺りで最初の確認をした。
 近くへ着き、迷う。
 そこは工場地帯である。赤錆びた椅子の上で煙草を吸っている工員の人二人に道を尋ねた。
 ええとな、確かそこは。と、隣の相棒に確認をしながら教えてくれる。
 それでもよく分からなく、ガソリンスタンドでもう一度聞いた。
 スタンドのオヤジは皺だらけの顔で、そこは絶対ここだと断言した。
 そしてその通りでもあった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2747

 
       九月。
 
 
 
■ 書くべきことがあるような気もするし、まだ早いという気もする。
 いつもそんな気分が残っている。
 台風の後、東京では温度があがった。
 私は深夜、プラチナ通りを下り広尾界隈へと歩いた。
 小洒落たカフェのようなところで、温いギムレットと牛スジのお好み焼きを食べた。
 正直言ってうまくはない。
 
 
 
■ 店には代理店の人間がいる。
 あるいは制作会社の奴らもいる。
 すこし今風の妙齢を連れていて、自分の仕事の自慢をしている。
 表に停まっているのは、中規模な数年落ちの外車である。
 この界隈、こうした風情は少しも変わらない。
 流行っている酒が違うだけで、背の高い黒服は何処から通ってきているのか。
 横断歩道のところで、お年を召したご婦人が、暑いわねと自分の犬に話しかけていた。
 もう九月ですね。