2004年08月30日

「緑色の坂の道」vol.2746

 
       低い雲と夕暮れ。
 
 
 
■ 唐木順三の日本文化に関する本を、ぱらぱらと眺めていた。
 実存的と言われるが、日本浪漫主義との関係について、なにかひっかかるものがあった。かといって、調べてみようというところまでは至らない。
 
 
 
■ 写真を撮ることよりも、対象を調べている時間の方が長い。
 今手元に「アメリカの建築とアーバニズム」(V・スカーリ著:香山寿夫訳:鹿島出版会刊)という本があって、これはいつ買ったものか。
 中にフラット・アイアンビルの画像があったので、ウィスキィ数本分の対価を払った。
 別に資料を調べなくても写真は撮れる。
 デザインもコピーも施すことは可能だけれども、さてではその次の段階へと進んだ場合、包括的な考えが浮かばない。
 つまりコンテンツがばらばらになってしまう。
 
 
 
■ いつだったか、読売新聞大阪本社で講演会を行った。
 そのときの原稿を拙サイトに載せているけれども、検索なのだろうか、毎月根強いアクセスがある。ブランディングとか、ブランド・マネジメントの世界に興味のある方が少なからずおられるのだろう。ある種概念が独り歩きしている側面もあるのだが。
 あそこには具体的な事例や作業の顛末は書いていない。
 が、今やっていることの多くは、その延長線上にあるもので、ひとつの世界観を具体的な商品に結実してゆく作業を含んでいるのだと思う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2745

 
       なんのせいか、スリー。
 
 
 
■ 1,2 は、青瓶を参照。
 昨日、赤坂のホテルで飯を食った。
 お代わりが可能だったので、ここぞとばかりに暴食をしたのだが、少なし仁。
 台風が近い雨の中、十番の方面へと歩いた。
 
 
 
■ 次の段階に入り込んでゆこうとする時、得体の知れない弾力ある層に阻まれる。
 自家中毒を起こすかのように煩悶する。
 夢の中に、様々なものが出てくるのは茶飯事で、夜半鏡を眺めると、眼の下に隈を作った妙に老けた男が漠然と立っている。
 私だと。
 
 
 
■ こういった作業は、ほとんど無意識の部分で行われるもので、そこから意味を掬いあげてくるには時間がかかる。
 私はユングを全面的に信用している訳ではないが、表現とは向こう岸とこちらへ側への細くて頼りない橋のようなものだと思うこともあった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2744

 
       胸に溺れる。
 
 
 
■ そう美しいものでもなく、ありふれた、横になればそれなりに広がる胸の色をしている。
 両手でつかむと、頼りないような中に重さがあって、痛がるが、どうにでもしてくれといった按配でもある。
 胸の下には腹があって、若いくせにかなり豊かだ。
 精神のかたちは、躯に顕れているのではないか。
 これは何を意味しているのか。
 溺れるということは、最中に考えないことなのだ。
 
 
_____________________________________________

・昔坂。
94年6月。
 

2004年08月26日

「緑色の坂の道」vol.2743

 
       ほんと。
 
 
 
■ 疲れが溜まったのか、この処シッシンが再発している。
 髭を剃った後などに、片頬が赤くただれてしまう。
 かゆいのも困るが、どうも見た目がワルイ。
「なんだか、毛を毟られた鶏みたいね」
「セイシン的なものなんだよ」
「じゃ、仕方ないわね」
 
 
 
■ どうして仕方ないのか、私は聞かなかった。
 たとえ毛を毟られても、鶏は生きてゆかねばならない。
 やだなあ。
 
_____________________________________________
 
・93年11月。
昔坂。
 

2004年08月25日

「緑色の坂の道」vol.2742

 
       秋口の雨。
 
 
 
■ まだ明るい。
 ぱらぱらっときては、暫くするととまる。
 驟雨のあいだ、蝙蝠傘をどうしようか迷う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2741

 
       東京の印象 2.
 
 
 
■ 振り返ると、今ここでえらそげにあれこれ書いていられるのは、ほぼ先輩の方々の背中を眺めてきたからだろうと分かる。
 ここはこれが旨いんだ。
 せめて靴下だけは新しいものを履け。
 
 
 
■ 板前さんに生意気な口をきいてはいけない。
 客は客だけれども、金を払えばいいというものでもないのだと。
 かといって卑屈になることもなく、黙って一杯か二杯を飲み、あるいは本日一番旨いものをさっと食べ、現金で払って戻りなさい。
 旨いもので腹を一杯にする必要はないのだ。
 
 
 
■ 先輩のいた時代というのは、いわゆるその分野のプロがいた頃合いである。
 彼らはプライドを持っていた。
 であるから若造に、これをやってみろよ、と分からない程度に投げ出してくれた訳である。
 つまり、それは機会であった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2740

 
       オーシャン・バー 2.
 
 
 
■ トリス・バーと、ニッカ・バーというのは案外に知られている。
 オーシャンの場合は、すこしマニアなところがあって、それだから今でも残っていたのかも知れない。
 例えば自分の親父の世代があれこれ騒いでいた頃。
 そういった近代化の匂いがしている。
 
 
 
■ バーテンダーのひとたちは、揃いのチョッキを着ていた。
 蝶ネクタイなども、後ろ側で留めていたりする。
 みゆき通り すずらん通り 二人の銀座。
 と、私は新橋方面に歩いた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2739

 
       オーシャン・バー。
 
 
 
■ 銀座裏にそのままの店が残っていて、いつだったか迷い込んだ。
 妙齢本格派の先輩と一緒である。
 先輩はほとんど宝塚の男役なので、黒ずくめでパンツを履いている。髪も短い。
 ストレトなどを嘗めたりする。
 二杯目の頃合い、北さん、何故わたしが今こうしているか分かるっ、と、詰問されたりした。
 
 
 
■ 私たちはテーブルに居たのであるが、私は先輩の話を聞いていた。
 手を伸ばすと届くようなところに、丸いスツール上の尻がある。
 気がつくと、カウンターで飲んでいる方々の半分は、妙齢中ほどばかりである。
 私はその尻を眺めながら、彼女スカートのチャックが少し下りているよ、と言いたかったが黙っていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2738

 
       バーで値段を聞く 3.
 
 
 
■ 畢竟、これは屈折したダンディズムの一部なんだろう。
 酒場というのはおかしな見栄を張るところだからである。
 それが酒の蘊蓄であったり、値段であったり、あるいはグラスの質であったりもする。
 タンカレーで作ったギブスンが本当に旨いかというとかなり怪しく、オニオンの甘さが分からなくなってはただのジンストでしかない。
 ただ、ストレートでジンを売っている店のくせに、ジンが冷えてないのは興ざめであった。グラスも鈍い。
 基本をおさえるようにね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2737

 
       バーで値段を聞く 2.
 
 
 
■ 独り、あるいは男同士の場合にはそれでいいのであるが、万が一妙齢が側にいた場合には、そうもゆかない。
 今、そうもゆかないの手前に句読点を打ったけれども、この場合一呼吸を置いて戴きたいという趣旨である。
 甘いのか辛いのか。
 カクテルの名前で判断するような場合であるならば、バーテンさんに何で作るのかを尋ねる。
 時々、七色のカクテルなどという、ファミレスのパフェみたいなものが出てくるので、それを注意する。
 この場合には値段を尋ねてはいけない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2736

 
       バーで値段を聞く。
 
 
 
■ という緑坂を昔書いたことがある。
 酒場のメニューというのは、新聞を読むようにして眺めていいものだが、つまりコストと味とを反芻して判断することになる。
 最近私は、12年とか18年のウィスキィを好まなくなった。
 確かに深い味もするのだが、その深さが僅かに鼻につく、と言えばお分かりだろうか。 
 
 
■ 内田百閒は、いい酒を出されると不機嫌になったそうである。
 なぜなら、普段飲んでいるものが仕方なくなるからだと。
 ま、「一等車の車掌はボイである」と名言を書かれた作家なので、偏屈は素敵だ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2735

 
       赤い波止場。
 
 
 
■ 駐車場のシャッターが昇ってゆくあいだ、ベルトを絞めていた。
 黒塗りのハイヤーが停まっていて、運転席にテレビ局の旗が置いてある。
 運転手が誰かを待っていた。
 
 
 
■ 車が戻ってきたのだが、特別感動はない。
 20年近く使っていたナルディのウッドに換えれば、鈍いハンドリングもましになるのかとも思うが、Eクラスよりも長い車体で尻を振っても仕方がない。
 結局この都心では、個人のタクシーやハイヤーに使われているような車が一番速いのである。
 
 
 
■ 裕次郎のモノクロ映画に「赤い波止場」というものがあった。
 神戸の港、そこへ流れ着いたチンピラが次第に更生してゆく物語なのだが、港が見える屋上で、裕次郎が女に言う。
「飽きたんだ」
 
 

「緑色の坂の道」vol.2734

 
       秋の波止場で。
 
 
 
■ 雲だけをみていることってあるだろう。
 あるわ。
 ボトルの水を飲んだ。
 海の色が映る。
 
 

2004年08月24日

「緑色の坂の道」vol.2733

 
       東京の印象。
 
 
 
■ 〆切前の作業をしながら、うつらうつらとしている。
 薄い風邪が躯に入ったようで、熱っぽいのだ。
 こう書くとあちこちから「虚弱なんだからっ」と暗に批判する声が届くのだが、この場合は二日酔いではないのでご寛恕願いたい。
 
 
 
■ せんだって、甘木君とその弟分「仮面の忍者、屈折」氏と酒を嘗めた。
 二軒目くらいで、青山の地下に降りたバーへ入る。
 甘木君は、ワイングラスにやや高いウィスキーを垂らしてもらって、チェイサーと共に嘗めていた。
 黒服が氷を入れますかと尋ねる。ワイングラスに氷入れるかよ、と彼は呆れていた。
 
 
 
■ 都会とはこういうもんなんすね、と屈折氏が言う。
 別にそういうことはなくて、ただそこにあるものに乗っかっているだけである。
 地名は記号のようなもので、酒の名前もそれに近い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2732

 
       スタンド・バイ・ユア・マン。
 
 
 
■ ジャック・ニコルソンが若い頃の映画に「ファイブ・イージー・ピーセス」というものがある。
「イージー・ライダー」の後に撮られたもので、ニコルソンは押さえた演技をしていた。
 映画のラストで、確かタミー・ウィニットのこの曲が流れる。
 68年に大ヒットしたカントリーである。
 せんだってそれを繰り返し聴いていた。
 
 
 
■「ブルース・ブラザース」の始めの奴で、南部の酒場でこの曲が流れる。
 今は太った当時の若者の果てが、うっとりと夫婦で肩を並べ歌う。
 つまり、定番になっている訳で、彼地にカラオケがあれば入っているものだろう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2731

 
       虫。
 
 
 
■ 夕方になると、庭で虫が鳴きはじめる。
 庭はビルの中ほどにもあって、敷石がひいてあるが、誰も姿を現さない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2730

 
       BASIN STREET BLUES 6.
 
 
 
■ 男の格好悪さというのは、つまり精神からくるもので、金があるとかないとか。
 名前が出ているか出ていないかとか。
 これは俺が紹介したんだ、と、言ってみたいことであるとか。
 
 
 
■ ただ思うのは、確かにそういう側面はあるけれども、社会というのはそういったことを抜きにしては考えられないものだけれども、その枠の中にだけいるとつまらない。
 自分がいいと思うことをやってみればいい。それを世の中に問う。
 そして、そのツケは自分で払うことになる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2729

 
       BASIN STREET BLUES 5.
 
 
 
■ 画像作品をつくる仕事は、真夜中である。
 光線の具合があるからで、キャリブレーションしていても、なかなか旨くはゆかない。
 ただ厳密に紙にする場合であっても、最近は印刷そのもののシステムがやや不安定なのか、色校正を繰り返さないとそうはゆかないようである。
 つまり、技術は進んだものの、従来その基盤となっていた職人の方々が少なくなっているのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2728

 
       男の数はあらえば落ちる。
 
 
 
■ と、言われておりますが、さておき。
 女の数は未練に残る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2727

 
       格好わるいのよ。
 
 
 
■ 男が。
 と、お嘆きの貴女に。
 
 
 
■ ま、それは随分前から言われていたことだけれども。
 最近やっぱりそう思いますね。
 廻り見ていて。自ずから。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2726

 
       BASIN STREET BLUES 4.
 
 
 
■ ルイ・アームストロングの曲は、車の中で聴くには鈍い。
 光の落ちた庭を眺めながら、江戸切り子のグラスにウィスキィを垂らしている。
 
 
 
■ 何故漠然とするのか、考えてみたことがある。
 つまらないからだが、それを潰すために本を読んだり音を聴いたりする。
 今回、オリンピックは見ていない。
 夕方私は、ガラス張りに囲まれたカフェの喫煙室で、煙草を吸っていた。
 外の灰皿の廻りには、OL達が腕を組みながら煙草に火を点けている。
 その仕草は、なに、年季の入ったものだった。
 
 
 
■ おそらく、一部のOL達の間では、煙草はアクセサリーの段階を過ぎてもいるのだろう。それがいいのか悪いのか。
 爪先だって歩かなくてもいいのなら、化粧なんてしなくなる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2725

 
       BASIN STREET BLUES 3.
 
 
 
■ アメリカの歴史の本と、上海について書かれたそれを読んでいた。
 大恐慌の後、アメリカでは一人のファシスト・デマゴーグが大統領の座を狙っていた。
 南部のルイジアナで絶大な人気を得る。ヒューイ・ロング。彼は知事に就任した。
 ローズヴェルトが一番恐れたのは彼であった。
 KKKの扱いをめぐって、プロテスタントと間で二枚舌を用いる。
 
 
 
■ ロングは暗殺されたが、その後継者は反ユダヤ主義を唱える。
 1950年代まで、全国で絶大な人気があったのだという。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2724

 
       BASIN STREET BLUES 2.
 
 
 
■ 夏の終わりは突然きて、少しばかり肌寒い。
 が、しばらくしてまた、ぶり返しもするだろう。
 幅が狭まる度、空の色が濃くなってゆく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2723

 
       BASIN STREET BLUES.
 
 
 
■ 秋刀魚が出ていた。
 まだ痩せている。
 七面鳥を焼くような大きなオーブンしかないので、これからどうしようかと考えている。
 屋上に上がれればね。
 
 

2004年08月23日

「緑色の坂の道」vol.2722

 
       かつて不良だった市民 3.
 
 
 
■ 中華街の傍のマンションに住んでいたことが自慢の先輩のことを覚えている。
 先輩といっても車方面のそれで、当時彼は白いBMWの2002 AT に乗っていた。
 車屋などに昼日中、顔を出す。
 150から車体が沈んでゆくんだぜ。
 安定性はやっぱりドイツ車だよな。
 と、ダンヒルのライターで洋モクに火を点けていた。
 
 
 
■ 背が高いので、英国調のスーツが様になる。
 そのマルニイを買わないか、という話もあったのだが、相場より少し高いので躊躇っているうちに夏が過ぎた。
 暫くしてまた顔を会わす。彼は外側ヒンジのミニ1000に乗っていた。
 定番と言われるマフラーが白い。
 キャブを載せかえる。ミニの場合にはSUである。
 奥様が乗るからだと言って、仕方なくATなのだとぼやいてもいた。
 奥様は何をしているかというと、とある病院の保険の点数付けである。
 彼は、レントゲン検診の車を運転するのが仕事だった。
 
 
 
■ バブルの頃、リゾート・マンションを買ったという話を聞いた。
 そこへ、BMWの6シリーズで出かける。
 おまえもこいよ、と二度ほど誘われたが、当時私は旧いドイツ車に乗っていたのでどうしたものか迷った。
 数年たって消息を聞く。
 理由は定かではないが、運転手を辞め、彼はリゾート・マンションに引きこもっているのだという。
 教えてくれたのは、セドリックの黒塗りにセットで80万円ほどするタイヤとホイルを付けていた宅急便の若者で、私が自動販売機の前に立っているとトラックが停まったのだ。 
 

「緑色の坂の道」vol.2721

 
       かつて不良だった市民 2.
 
 
 
■ 孫文の顔が配置されたポスターを眺めながら、排骨炒飯を食べていた。
 野菜スープが旨いのだが、これは一人では多すぎる。
 見知った顔の女主人が、適宜な距離で挨拶をする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2720

 
       かつて不良だった市民。
 
 
 
■ というのは手ごわいものである。
 それは行政を含めた組織というものを知っているからで、実社会であれネット上であれ、ひとたびバトルがあった場合には腹をククル。
 谷口ジローさんの漫画には、やや小太りの上着を着た男たちが、その配偶者と犬とともに出てくるが、それはいかにも東京よりも西の方角の町並みと意識であった。
 
 
 
■「行動は過激に、生活は堅実に。が、あたしのモットーよ」
 とか深町に言ったのは横浜に住む歯科医の女医さんである。
 活動家、インド、密教、ハッパ体験。更生して市会議員候補、自然食品。
 パターンを踏むのが好きなひとというのはいるもんである。
 
 

2004年08月22日

「緑色の坂の道」vol.2719

 
       概念をまとめる 2.
 
 
 
 
■ 先に書いたことは、実を言うと文章の世界だけではなく、デザインであれ写真であれ、本質的には同じことだろうと思っている。
 場合によっては、アートの世界にも近いことが言えなくもない。
「スロー・ライフ」という言葉があるが、これは高度に発展した情報資本主義社会の果てにおけるインドごっこであり、本当にスローならば媒体に発表したりはしない。
 
 
 
■ つまり、自分の生き方が心ならずもであったとして、それを裏返して評価して貰いたいという下心が見え隠れしている。
 無理した価値の逆転でもあるのだが、私はというと、すこし前の頃合「ウッディ・ライフ」という店(仮名)に心酔していた友人を思い出す。
 彼は自然保護観察員の資格を取って、スバルにしようかホンダのワゴンにするべきかを悩んでいた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2718

 
       ナロー。
 
 
 
■ 暫く前、フェンダーの張り出していない911が流行った。
 今も時々週末には見かける。
 知らない人が聴けば、これはディーゼルかというような音をさせ、追い越し車線に細い尻をさらしている。
 乗り手がすぐ5速に入れるからであって、この程度の速度であればもう二つギアを落とすといい音もする。
 スティーブ・マックイーンが、映画「栄光のルマン」のオープニングで乗り付けたのが、緑色の911Sだった。
 確か2リッター程で、シンクロはまだポルシェ・タイプと呼ばれていた。
 
 
 
■ ナロー・ポルシェを、ただの国産3ナンバーが抜いてゆく。
 走るワンルームのような、3.5リッターのワン・ボックスがその脇を流す。
 絶壁のようなその尻を見ていると、子供の頃、カラーテレビに木目が貼ってあったことを思い出した。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2717

 
       ヒッピーとハンバーガー。
 
 
 
■ 元町に入った。
 停めるところを捜そうとした。
 空車のタクシーが、ぴったりとはりつく。ちょっとだけうるさい。
 カツンとブレーキを踏む。
 彼はクラクションを鳴らす根性はない。
 
 
 
■ 例えば時計であるとか宝石であるとか。
 夜になるとショー・ウィンドウから片付けられている。
 そういうものか。
 そういうものだろうな。
 あの店にあったローファーを買って、その後とても困った覚えがある。
 昼飯代に。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2716

 
       概念をまとめる。
 
 
 
■ ことが、例えばライターの仕事である。
 まとめ方にも色々あって、様々なところから演繹してこようとする訳だが、冷静に考えると、そこに随分の無理がある場合もある。
 それは練れてないからであって、ということは畢竟、自己規定が不足している場合が多い、と私は思っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2715

 
       鰯雲流れる。
 
 
 
■ 夜、ビルの影から雲が横切る。
 おまえはこの夏、なにをした。
 風のヤローがいいやがる。
 
 

2004年08月20日

「緑色の坂の道」vol.2714

 
       風のあとで。
 
 
 
■ 夜半、風が吹いた。
 悩みごとがぶりかえされる。
 どうしてこんな風になるのだと、ことのほか思いつめる。
 あれは台風だったのだろう。
 埃が飛ばされ、空の色が遠い。
 
 

2004年08月18日

「緑色の坂の道」vol.2713

 
       物語について 2.
 
 
 
■「泣けるものを書いてよ」
 と言われたことがある。
 小柄で綺麗な奥様で、若いときは横浜方面で随分と遊んだ。
 随分というのは、一定のセンスを意味していて、恋も男も、少しだけプライドがある。
 
 
 
■ どうやったら書けるんだろうな、と思いながら、あれから十数年経ってしまった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2712

 
       物語について。
 
 
 
■ 結構いい短歌も書いている、青瓶影の軍団「仮面の忍者屈折」が、いつぞやメールをよこした。
 短い緑坂は素敵だ。
 じゃ、長いのは何なんだよ。
 と、今度会ったら苛めるつもりだが、実は読売時代から世間の評価というのはそのようである。
 
 
 
■「短いのがいいのよっ」
 と、言っていたのは喫茶店の名前のような妙齢本格派であり、私は彼女に新宿二丁目で奢ってもらった。
 手持ちが少なくて、電車がなくなる。
 彼女はフィルムのケースに入った五百円玉の数センチを私によこし、これをやるからもう少し飲めという。
 で、飲んだ訳ですが、そういえば私は返したんだったかしら。
 お礼に緑色のまくわうり、じゃね、枕カバーをお送りしたことは覚えている。
 もうひとかた、ゴージャスな妙齢、BALLさんともども、大変お世話になりました。
「あいつさ、缶蹴りながら港区方面に帰ったんだぜ」
 みてきたような、そのとおりのことを言う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2711

 
       鶏頭。
 
 
 
■ 夏が終わるというのに、向日葵も鶏頭も見ていないことに気づいた。
 神社の境内で、汗をぬぐう。
 首からタオルをぶら下げて、携帯灰皿を持って一服をした。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2710

 
       西からの風。
 
 
 
■ 脳が煮えることをノーニエというが、最近あちこちがそのようである。
 甘木君は、時折「駄洒落はやめてください」と指摘する。
 だってオヤジなんだから仕方ないじゃないか。
 と、わたくしは、ぼそぼそ言う。
 高齢化社会なんだ。
 
 
 
■ しかし、緑坂というのは一体何なのであろうか。
 こういうことを書いていて、仕事の上では損をしないのだろうか。
 損をしていることもあり、そうでないこともあり、詳しくは訳がわからない。
 MTGが終わり、いくつか電話をかけ、それから安いスコッチを嘗め始めた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2709

 
       夢にでてやる。
 
 
 
■ 幽体離脱。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2708

 
       今年恋をしたかい。
 
 
 
 
■ 寝る訳じゃなくて、そうでもなくて。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2707

 
       ghost of a chance 2.
 
 
 
■ 〆切の後のクール・ダウンは厄介である。
 かつては女が欲しくなったものだが、後が更に厄介になって、ムゴーイ目にあうことがくれぐれも分かったので自粛している。
 ま、いいんですけどね。
 
 
 
■ ようやく決まった「甘く苦い島」の分類が以下。
 これは、一定の枚数を元に、編集を加えたものである。
 
_____________________________________________
 
01
 ブルックリンで、真夜中には色があった。
 
02
 あなたなしで。
 
03
 甘く苦い島。
 
04
 新しい石鹸。
 
05
 きのう、夢をみたよ。
 
06
 いつもあたり。
 
07
 そこにいるだけのあいだ。
 
08 縦
 bluesleeves.
 
09 縦
 Heaven.
 
_____________________________________________

 さて、画像が想像できるだろうか。
 と、無理なことを言ってはいけない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2706

 
       ghost of a chance.
 
 
 
■ 午後のためのデータを焼きながら、これを書いている。
 昨日は床で寝ていた。
 寝室のベットの横に、なんとなくゴザをひいているのだが、顔に跡が残っていた。
 唸りながら洗面所へ入る。
 インスタント・コーヒーを入れてから、煙草を買いに外に出た。
 寝癖があるので、一番近いホテルの売店にはゆかないでいる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2705

 
       雲みる日。
 
 
 
■ 海沿いの土地では、ことあるごとに空を眺める。
 そこに雲があれば、少年の日を思う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2704

 
        夏の去る音。
 
 
 
■ 明け方、蝉が鳴いている。
 雲は低いところにある。
 誰かが砂利道を歩いていて、壁に反射している。
 
 

2004年08月17日

「緑色の坂の道」vol.2703

 
        恋の終わりと青い袖。
 
 
 
 
■ 夏が過ぎる。
 雲のように。
 あのひとはあのとき、青いシャツを着ていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2702

 
        bluesleeves 4.
 
 
 
■ こういった仕事の集約は、ベタに言葉や画像を並べてゆくことではなく、あるときにフワリと浮かぶ一節を捜してくることである。
 ベタということで思い出す。
 五反田にある大手電気メーカーのインダストリアル・デザイナーの方と一緒に仕事をして、メールのやりとりがあった。
 北澤さん、それってベタじゃないですか。
 
 
 
■ とはいっても、用意されたものがこれだけで、しかもその中にあれもこれも入れてくれと彼の上司は言う。
 そうなるとさあ、事例を羅列するしかないじゃん。
 と、私は心の中で叫んだりもしたのだが、当時メールは記録として残されていたものだから、書くことはできなかった。
 
 
 
■ 先端をゆかれている立場の方であったが、一連の仕事の後、何回か私信のやりとりをした。
 カメラ談義になって、コニカのヘキサーというレンジ・ファインダーを買ったんですよと嬉しそうでもあった。
 交換レンズ高いよね。
 そうなんですよね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2701

 
        bluesleeves 3.
 
 
 
■ 赤坂の界隈で、有名な文化人の秘書の方と酒を飲んだことがある。
 有名と書いたのは、例えば国営放送などに出演されているからでもあるが、その方はそれを志向されてもいるのだから、余所者が口を挟むことはない。
 その時は、複雑に絡まった案件の事後処理のような按配で、一席を設けて戴いた。
 最近赤坂はどうですか。
 終わってますよ、この街は。
 彼女は自らの社がある土地をそのように言う。
 子供のような横顔に、すこしだけソバカスがある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2670

 
        bluesleeves 2.
 
 
 
■ 中途半端に都会、というのはあると思う。
 これが一番手におえない。
 優越感とその裏返しとに揺れているからでもある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2699

 
        bluesleeves.
 
 
 
■ ショットでウィスキィを嘗め、タウリンをチェイサーにしている。
 〆切が近いからだが、なかなか大局的に眺めることができないでいた。
 キャッチコピーは例えば五秒で書ける。
 それ以前の時間が膨大で、全体が有機的に繋がるのを待っているのがほぼ全てでもある。
 これって愚痴だよね。
 ま、そこは流れで。
 
 

2004年08月16日

「緑色の坂の道」vol.2698

 
       戻る日。
 
 
 
■ 七月に送り火をする土地がある。
 それから、今自分、花を買う土地もあった。
 私はといえば、女の下腹を眺め、素性の知れぬご先祖のことを思って片付けた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2697

 
       夏のすこし重い雨。
 
 
 
■ 借りものの車のエアコンが匂った。
 ちょっとばかりアクセルを踏んで、タイアを鳴らした。
 つまらない。
 雨あがり、窓を開けた腕の辺りが寒い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2696

 
       脱力、ラスタマン。
 
 
 
■ 私は簡単に「文化」という人たちをあまり信用していない。
 町おこしであれ、デジタルの平面であれ、いわゆるかぎ括弧のついた文化というのは、何処かに嘘があるような気がしてならない。
 山口瞳さんだったと思うが、「自分は即物的な人間なので、例えば人が自殺したりする場合には、畢竟金か女の問題ではないかと疑う癖がついている」という趣旨のことを言われていたように記憶している。三島氏が自決した時のことだ。
 
 
 
■ 民俗学や社会学をすこしかじった方々にはお分かりだと思うが、例えば「未開の地」という概念は既にして差別であると言われる。
 手塚治虫さんなどはその辺りで一部から批判を浴びているけれども、歴史的にはそのようなものであって、後から批判することは容易い。
 例えば台湾の、日本人の集落を襲った事件などというものもあって、現実問題として首を狩る生活や文化というものは存在していた。
 
 
 
■ 今は夏であるから、例えば「まったりと」「脱力して」、その場をしのいでゆくというような店があちこちに散見する。
 都心で言えば恵比寿や代官山、あるいは六本木にあるアジアン・テイストのクラブみたいなものだろうか。
 そういう店はビールが高い。
 加えて、接客がトモダチに接するような姿勢である。
 トモダチから金を取るのは仁義に反するので、私は友達ごっこだと思うのだが、そこにいるラスタマン達は、脱力しながら避妊もしていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2695

 
       南国土佐を後にして。
 
 
 
■ と、歌ったのはペギー・葉山さんだったが、鯨の腹からでるような歌声には希望があった。
 時は高度成長手前。
 集団就職で都会に出てくるひとたちが、上野であれどこであれ、方言を仲間内だけで話していた頃合いである。
 上野はノガミと呼ばれていた。
 今も徒町界隈を歩いていると、ここのタンメンは美味しかったのよと教えてくれたおばさんのことを思い出す。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2694

 
       文化銀座。
 
 
 
 
■ 随分と前、島にでかけたことがある。
 そこは周辺と比べ、文化的程度が高いと自称される土地で、確かに土着の薪能や太鼓など、夏になると沢山のイベントが行われていた。私はそのときはカメラを持たず、半ばオブザーバーのような形で出入りした。
 芸術家村のような一団に会ったこともある。
 彼らの多くは美術関係の学校出身で、配偶者なのか、環境問題に詳しい低血圧の巫女のような女性を連れていた。潮風に吹かれ、見事に錆びたホンダに乗っていた。
 廃屋のような一軒家を借りる。
 当時、確か一年で五万円程度ではなかったかという記憶がある。
 電気はきているの、と聞いたが、電信柱はある、という返事しか覚えていない。
 実際はもう少し高いのだろうとも思われる。
 
 
 
■ 彼らが一様に言うには、ここから文化を発信するのだということであった。
 どこそこから世界へ。
 というのがある種のスローガンでもあり、我々はアジアやヨーロッパに眼を向けると声を揃えた。確かにそれは、一定の時期成功していたかのようでもある。
 ただつまり聴いていると、京都の流れもあり、シルクロードの接点でもあり、要は暖流と寒流の適当な位置にある地勢的な条件とそれに基づく歴史を根拠にしている。
 地方紙の記者は、木戸御免で何処にでも入ってゆく。
 同行のアナウンサーは、裏返った声でおばあちゃんと呼びかけていた。
 
 
 
■ 夏になると、あちこちでイベントが行われる。
 JAZZであったりレゲエであったり、最近はヒップ・ホップであったりもする。
 町ぐるみでそれを取り上げるのは、次の選挙に有利なときだけだが、多くは中央から芸人を呼んでくる。中央とは、大抵は東京であるけれども、それが逆輸入されてゆく。
 これは明治以後の近代化の流れでもあって、いたしかたのないものでもあろうか。
 彼らは今どうしているかというと、元々地元に生まれたひとだけが残っている。
 あの時の記者も、女性アナウンサーも、あるいは髪を伸ばして自然を語っていた芸術家の方々も、今その町には住んではいない。通ってもいない。
 文化を語りつくすと、違うところにいってしまったかのようである。
 ただ私が思うのは、あのときの海岸で、流された巫女のような顔をしていた眼の細い女性の一群は、今どこにいるのだろうかということであった。
 
 

2004年08月14日

「緑色の坂の道」vol.2693

 
       ill wind 2.
 
 
 
■ コール・ポーターの曲を聴きながら、ジプシーについて書かれた本を読んでいた。
 定住と放浪ということを考える。
 だが今の日本では、放浪も安全なお遊びでしかない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2692

 
       ill wind.
 
 
 
■ 薄い風邪が躯に入った。
 夜はべったり汗ばんで、風が止んでいる。