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2004年08月03日

「緑色の坂の道」vol.2661

 
       赤い扉。
 
 
 
■ 女が眠っている。
 疲れて。すこし口をあけて。
 私はドアを開け、外に出る。
 夏は峠を過ぎた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2662

 
       翳ある坂道と満月。
 
 
 
■ ほんの少しのあいだ、文章を書くのが嫌になっていた。
 〆切もあるのだが、いまひとつ考えがまとまらない。
 きっかけは普段乗っている車の故障などからなのだが、それを遡り、では自分は何を選択すればいいのか、ともう一度迷った。
 
 
 
■ 緑坂も青瓶も、それからこのサイトに載っている写真もデザインも、そのベースにあるものは、自分の自意識と世界との関わりである。
 そのように世界を視ている、ということが例えば写真であって、そのトーンは「いにしえ探訪」も「甘く苦い島」も、何処か通底しているものがある。
 あまり自覚することはなかったのだが、何事かの方向を漠然と決めようとする時、さて、じたじたと頭をもたげてくる。
 個性というものはしつこい。
 半ばうんざりしながらこれを書いている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2663

 
       夜の蝉。
 
 
 
■ 常夜灯にぶつかっている。
 じぃー、ばたばた、と騒いでいる。
 君もそのうち粉になってしまうのだな、と思いながら、駐車場を下ってゆく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2664

 
       ウェイト・ティル・ユゥ・シー・ハー。
 
 
 
■ 誰かの曲名だろうか、時々私は口にする。
 そのとき何を考えているのか、覚えていない。
 今、冷房を強くした。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2665

 
       ウェイト・ティル・ユゥ・シー・ハー 2.
 
 
 
■ ボッサとJAZZが合わさると、どうせ憂鬱なんだという按配になる。
 アカルガナシイ。
 とでも言うべきか。
 ウエスト・コーストの連中は伊達男ばかりだったが、大体は不良の末路で、女にもてなくなった頃合いに音もまた、その精彩を欠いてゆく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2666

 
       眠りながら飛ぶ鳥。
 
 
 
■ いくつか夢をみる。
 覚えていないのだけれども、そのときに怒ろうとする。
 夜ははらはらしていて、生理が近いのかとも後から気がつく。
 
 

2004年08月04日

「緑色の坂の道」vol.2667

 
       つまらないことだぜ。
 
 
 
■ 月が流れている。
 のではなく、雲と自分なのだが。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2668

 
      水鳥たち。
 
 
 
■ 水平線を暫くみていない。
 薄い雲が湧きあがってきて、その色が変わる。
 水鳥が、急いで走る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2669

 
      そこにいるだけのあいだ。
 
 
 
■ データのベリファイをしながら漠然としている。
 夜になって所要があったのだが、出かけるのは無理のようだった。
 建築中の高層マンションのクレーンの先端が、赤く点滅している。
 背後に夏の雲があった。みるみる空は黒くなる。
 
 
 
■ このコピーは「甘く苦い島」のひとつのジャンルである。
 通勤途中のNYの街角に立ち、ビルの横に背中をつけて通行人を撮った。
 唇のセクシーなスペイン系の女性がフレームに入って、なるほどとシャッターを押した。
 入っていたフィルムがポジではなかったので、色が出ていない。
 モノクロに変換し、すこし色を被せ、作品とする。
 
 
 
■ 画像を眺めていると、様々なことが浮かぶ。
 それは半ば深夜の妄想のようなものなのだが、彼女が来年、同じ仕事場に通っているとは限らない。
 交差点を急ぎ足で渡ってゆく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2670

  
      そこにいるだけのあいだ 2.
 
 
 
■ なんについてもそうなのだろう。
 今、その作品は再構築されていず、このサイトの中にはない。
 急いで出そうかと思うことも時にはあるが、このコピーだけが残っていてもいいような気もしている。
 
 
 

2004年08月05日

「緑色の坂の道」vol.2671

 
      そこにいるだけのあいだ 3.
 
 
 
■ 仕事場からは月がよくみえる。
 カーテンを半分ほどはしていないので、空を眺めて暮らしているようなものだ。
 メールを何本か書き、画像を選択しなおす。
 作業途中でエラーがみつかり、破棄したDVD10枚ほどをカッターで切る。
 やりなおしなのだ。
 
 
 
■ デザイナやコピーライターなどという仕事は、あるいは写真家もそうだけれども、一見派手に見られやすい。
 だが実際はきわめて地味な日常であって、「日々すれすれ」というべきロクデモナイ夜と昼を過ごしている。
 依頼された仕事であっても作品でも、胸の中に小さな針のようなものがあって、それが細かく揺れている。
 その揺れをいかに飼いならすかに神経を尖らす。
 例えば風呂に入ることで、流れが停まってしまう。溜まっている水瓶がこぼれる。
 だから終わるまでは入らない。
 ここで笑う緑坂の読者は、三分の一程度はいるのではないか。
 あなたにも覚えがあるでしょう。
 せめて床に眠るのはやめよう。
 
 
 
■ それにしても、毎日ここを眺めにくるひとが相変わらず三桁であることに、すこしばかり呆れてもいる。
 そういえば、メールマガジンはどうしたんだっけな。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2672

 
      薔薇の原価。
 
 
 
■ 現行のメルセデスが停まった。
 交差点の真ん中である。
 さわやかバカが女を降ろし、女はコンビニに入ってゆく。
 部屋まではまだよ。ということらしい。
 男はナビを操作していた。
 トラックにクラクションを鳴らされる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2673

 
      青い瓶の話。
 
 
 
■ 青いジンの瓶が目の前にある。
 これをストレートで嘗めると、旨いのだが後が困る。
 と、思いながら切り子のショットに垂らしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2674

 
      青い瓶の話 2.
 
 
 
■ ショットとチェイサー。
 灰皿と暗がり。
 
 
 
■ そういうことが言えるカウンターは少ない。
 流れている音にしても、もうすこしボリュウムを絞ったらいかがなものか。
 ラップ聴きながら、何を嘗めろというのだろう。
 ショットで、ハウス・ウイスキー、もしくはジンを前にしているのだから、一皿数千円の中華オードブルのメニューを目の前で開かないでいただければ幸いである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2675

 
      青い瓶の話 3.
 
 
 
■ 昔、甘木君と電話で話していて、耳元でグラスの音がする。
 なんだよそれ、いいグラスだな、ホヤかササキか。
 ちっちっち。こーいちさん、バカラですよ。
 バカラだって、てめ、十年はええんだよ。
 
 
 
■ などと言うことをノベあっていたのがほぼ十年前である。
 私もあぶく銭でバカラのグラスを買ったが、酔っ払って足に落として痛かった。
 そしていつの間にか、日々の泡および屈折の中で尖った破片に変わっていった。
 あたかも青春後期の憧れのようである。
 捨てきれず、その破片をダンヒルの箱に閉まっておいたこともある。
 
 
 
■ 十年の後、甘木君は出世して、いつでもバカラを買える立場になった。
 私にしても、棚に飾ろうと思えばできないこともない。
 時間の推移というものは大変なものなのだが、それで飲む酒はというと、なんとなく普通のものがいいような気がする。
 
 

2004年08月06日

「緑色の坂の道」vol.2676

 
      夏雲。
 
 
 
■ まだ仕事が終わらない。
 鳥が飛んでいる。
 雲は油絵であるかのように、海の方からかたちを変える。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2677

 
      何処にありや去年の腹。
 
 
 
■ 上村一夫さんの代表作は、「同棲時代」であると言われる。
 今読み返すと林静一さんの「赤色エレジー」と並列で眺めるべきものであるかと、林さんの連載が載っていた「ガロ」を思い出している。
 七十年代の文化やその他については、思うことは多々あるのだけれども、残念ながら綺麗に歳をとられた先輩が思いの他少なく、ご高説を承るという按配になることが多い。
 
 
 
■ 関川夏央さん原作で、絵師が上村さんの作品に「ヘイ、マスター」というものがあった。
 私は初版で持っている。
 西巣鴨のガスタンク傍に住む、ゲイの中年マスターが主人公の探偵ものである。
 関川さんの原点、「事件屋稼業」の変奏曲のようなものだった。
 たまにぱらぱらと読み返すのだが、そこにある部分的に硬いユーモアのセンスは、偏差値とは関係なく、無駄な時間をうんざりしながら過ごさないと分からないものであるなと考えた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2678

 
      鰯雲。
 
 
 
■ 過ぎた恋のつめたさ。
 
 
 

2004年08月09日

「緑色の坂の道」vol.2679

 
       緑坂センセ。
 
 
 
■ 躯がだるくて仕事がしたくない。
 と、書いていたのは「日の移ろい」の島尾敏雄さんであった。
 私も今、気が進まないまま、とりあえず画面に向かっている。
 蝉の声がうるさいが、既にして秋の風が含まれてもいる。
 
 
 
■ 先日、とあるフィルムメーカーの担当の方と打ち合わせをした。
 私はそこで「先生」と呼ばれている。
 カタカナの「センセ」であれば、社長サンじぇんじぇん問題ないアルヨ、の世界なのだが、この場合漢字であった。
 ま、いろいろある訳なんだけれども、社会というのはそういうものであるから、それに倣うことにしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2680

 
       野火。
 
 
 
■ 99年の夏、読売の文芸フォーラムに載せた青瓶vol 2141 である。
 再掲。
 ここでお分かりのように、緑坂と青瓶とでは本質的な区別は少ない。
 
_____________________________________________
 
       野火。
 
 
 
■ 週末、大岡昇平氏の「野火」(新潮文庫版)を再読する。
 敗北が決定的になったフィリピン戦線での「人肉食い」を主軸とした小説であり、戦後戦争文学のひとつの金字塔であると評されている。
 圧倒的で抑制の効いた描写。神とはなんであるか。
 解説は、吉田健一氏。
 初出は、昭和27年。手元にあるものは平成7年度で77刷を数えている。
 
 
 
■ 一体に小説というのは読みにくいものである。誰にでも読める小説というものがもしあったとして、実をいうとそれは「文学」ではないという気がしないでもない。
 この小説の解説で吉田氏は次のように触れていた。
 
「彼が知識人であることを指摘するものがあるかも知れない。併し知識人であるということは、現代人であるということであって、人間が知識人であることを強いられるのが現代人というものの定義である」(前掲:181頁)
 
 誰かが、大岡氏の「俘虜記」だったかに触れ、「あの戦争という愚かな集団的狂信の中において、これだけの冷静な分析をしていた男がいたという事実に驚いた」というようなことを書かれていた。
 私は大岡さんの全集を読んだことがないので、これ以上のことは書けない。
 
 
 
■ やや長いが引用させていただく。
 
「私が静かに銃をさし上げるのが見える。菊の紋章が十時で消された銃を下から支えるのは、美しい私の左手である。私の肉体の中で、私が一番自負している部分である」(前掲:174頁)
 
 一旦、軍事教練に出された三八歩兵銃はその遊底部分にある菊印にバッテンが加えられた。銃と人間の不足から、それらがもう一度回収され前線に送られる。主人公はそのようにして徴収された平凡な中年男である。
 今の時代、「菊の紋章」をバッテンで消すなどという表現が、たとえそれが小説の中の必然であったとしても、果たしてどれだけの作家に可能だろう。
 作中、銃を捨て、銃を拾う。十字架があり菊の紋章がある。
 背後の水脈として大岡さんは象徴主義の手法を小説の中に結実させている。
 
__
 
「これが猿であった。私はそれを予期していた(略)。
 足首ばかりではなかった。その他人間の肢体の中で、食用の見地から不用な、あらゆる部分が切って棄てられていた。陽にあぶられ、雨に浸されて、思う存分変形した物体の累積を、叙述する筆を私は持たない」(前掲:155頁)
 

「後で炸裂音が起こった。破片が遅れた私の肩から、一片の肉をもぎ取った。私は地に落ちたその肉の泥を払い、すぐに口に入れた。
 私の肉を私が食べるのは、明らかに私の自由であった」(前掲:159頁)
 
「現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に欺されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の山中で遇ったような目に遇うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である」(前掲:165頁)
 
__
 

■ 暗闇の中で、山の稜線にちらちらと野火が見える。
 そこは人の住むところであり、ある種観念の、あるいはその反対物の幻のようなものである。
 平凡な主人公は戦後狂人として扱われる。些か長いこのフェイド・アウトが作品の構造を静かで確かなものにしていた。
 文学作品から教訓めいたことを導くのは愚かなことであるが、近代の終焉などというわかったようなことを言うのは、まだ相当に早いという気がする。
 
 
 

2004年08月10日

「緑色の坂の道」vol.2681

 
       わが復員。
 
 
 
■ 先の「野火」は、青瓶MM No.48 号(2003年9月26日号)に掲載したものである。
 この後、「わが復員」と題した青瓶が続く。
 バックナンバーを辿ってみてください。
 
 
 
■ 先の青瓶に「文学や小説はある程度難解である」と書いたが、これについて、青瓶の常連投稿者の方から異論が出たことを覚えている。
 氏のいわんとすることもモットモなので、そうだよねと答えたが、ここで考えが遠方に及ぶ。
 つまり、吉田健一氏が指摘するように、知識人というものが果たして現代、その言葉通りに定義されるものだろうかということである。
 この辺り、書き始めると長くなるので割愛。
 
 
 
■ 最強伝説「黒岩」という漫画がある。
「アカギ」とか「天」を描いた方の手になる。
 黒岩の第一巻、そのイントロを読んだとき、これは優れた小説の出だしではないかと、少なからず驚いたことを覚えている。
 何ものを生み出すこともなく、ただ歳を重ねた中年独身男。
 土木建設作業員。
 黙々と安全棒を振る「太郎」という人形。
 漫画というメディアの故か、読者層を想定してのことか、かなりモノローグがくどいことが気になるものの、主人公は過剰とも言える自意識を持ち、廻りと自分とを相対化しようとしていた。
 その間での「齟齬と脱出の物語」がおそらくはテーマになっている。
 ここで何が言いたいかというと、つまり上に書いたことのネガであろうか。
 
 

2004年08月11日

「緑色の坂の道」vol.2682

 
       汐留アジアの日。
 
 
 
■ 車を車検に出したもので、代わりの車を借りている。
 国産の、バブル後期に作られたものだろう。
 車種は知っているがここでは割愛。
 12万キロ程度でオイルが下がっているのはいただけないが、ともかく走るので、都内を這いずり廻っていた。
 さすがに夜の首都高速だけは使わない。
 
 
 
■ 汐留界隈で人を待っていると、廻りに黒塗り二台が近寄ってきた。
 一台は新しいセンチュリー。一台は後ろの長いマジェスタである。
 運転手は二人とも若い。紳士服のハルヤマで買ったような、ぴらぴらした背広を着て、車道の上で胸を張り、煙草を吹かしている。誰か写真を撮ってくれという顔をして。
 彼らも誰かを待っているのであろう。だが妙齢ではなさそうだ。
 
 
 
■ 私は白煙をはきながら、新橋方面へと左折した。
 ここもアジアであろうかと思われる。
 時々、白煙が室内に篭もっている。
 カセットは陽水にしてみた。
 

2004年08月12日

「緑色の坂の道」vol.2683

 
       マイナースィング。
 
 
 
■ ジャンゴ・ラインハルトという、ジプシーのギター弾きがいる。
 秋になると、LPから録音したそのカセットを持って車に乗る。
 テープはそれほど伸びてもいない。
 
 
■ このままどこかへゆければいいのだが。
 深夜の東名が二車線になる頃、次第に霧が出てきた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2684

 
       ジャンゴロジー。
 
 
 
■ アラン・ドロンの映画に「ル・ジタン」というものがあった。
 ジプシーに匿ってもらうアウトローを英雄視した映画であるが、BMWの水平対向と、カワサキの三気筒の750が出てくる。もちろん2ストだ。
 十代の頃か、私はその時の皮ジャケットに憧れ、それに似たものを買った。
 オフクロの財布から、いくばくかを盗んだ。
 
 
 
■ 若い友人に津軽三味線を演奏するプロがいる。
 京都の私大を出て大手企業に勤める。数年して、どうしても会社にゆくのが苦痛になり、母親が三味のお師匠さんだった流れから、なんとはなしに三味を手に取る。
 そこから没頭して、数枚のCDを出した。
 腕は旨い。
 
 
 
■ 私は彼に聞いたことがある。
 どうして津軽なんだろうか。彼は漠然とした答えだった。
 辺境からの音楽が、もてはやされすぎているような気がしてならない。
 そこには差別もあり、恨みもあり、それでしか生きてこれなかったひとが持つ、屈託もコクというものもある。
 すぐに売れるのは、すぐに忘れられる。中央に顔を向けるのはやめようぜ。
 と、彼に私は言ってみた。
 いい気なものだと思われはしないかと、二日ばかり後悔していた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2685

 
       新しい石鹸。
 
 
 
■ NYのマンホールから、白い蒸気の出ている画像である。
 今、〆切のために再度作り直していた。
 
 
 
■ この画像とコピーは、数年前、いくつかのイベントのポスターとして使われた。
 会場にゆくと、受付があり、プロ写真家と一般用とに別れている。
 一般用であると、少なからずの入場料が必要であるらしい。
 私はどちらにいったらいいのか分からず、受付の妙齢に尋ねる。
 そこのブースの、あの写真撮った者なんですけれども。
 
 
 
■ 若い方の妙齢がやや先輩妙齢に問い合わせ、一分ほど待たされ、それから二人に案内をしてもらった。
 胸に「プロ写真家」というタグをつけられる。
 確か池袋の背の高いビルだったと思うのだが、この世の中、あまり遠慮していても分かりにくいことになるのかとも考えた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2686

 
       新しい石鹸 2.
 
 
 
■ いや、遠慮と節度というのは、没落する中産階級の師弟には欠かせない特質であろうか。
 それはさておき、その仕事の際に私は接待を受けている。
 営業畑の真面目な部長さんなのだが、その時も私は先生と呼ばれた。
 
 
 
■ 二軒目だったろうか。
 北澤先生、いい店があるんです。と、タクシーに押し込まれ、部長はさっさと前の席に乗る。ついたところは、地方都市によくあるような女の子が数人、カラオケがあってボックスが並んでいるスナックである。
 女の子は昼間眺めると美人ではないが、二軒目だからまあよしとすべきだ。
 ボトルを出してくれ、と私達は水割りを飲んでいる。
 
 
 
■ この写真を見ていてですね、どうしてマンホールが「新しい石鹸」なんだろうと悩んだですよ。
 そして、写真が泣いている。と思った訳です。
 酔いのせいだろうか、普段朴訥な部長がそのように言う。
 私はとてもありがたいと思った。
 理由は言わなくても分かるだろう。
 私は「錆びたナイフ」を歌い、部長は高倉健さんの「唐獅子牡丹」を怒鳴った。
 不忍池へ、歩いて五分の路地であった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2687

 
       新しい石鹸 3.
 
 
 
■「唐獅子牡丹」という歌は、ほぼトイレで力むようにして歌う。
 それでいいのであって、その店はウリナラの方々が多かったように記憶しているが、何処からも文句は出なかった。
 兄ちゃん、裕次郎これ歌え。
 と、指導を受けたりもした。
 私はサングラスを夜でもかけている軟弱な不良で、分かりましたと「赤いハンカチ」に流れた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2688

 
       新しい石鹸 4.
 
 
 
■ その後、部長は本来籍のある社に戻られた。
 年賀などのやりとりをしているが、近くを通っても、あえて遊びにゆこうという気にはならない。どう対応されるか、恐縮するからである。
 まだお若いのであるが、メールが苦手で、何を書いたらいいのか分からないのだと言われる。
 部下の某氏はJAZZが好きで、自前で楽器の学校に通ったりしていた。
 叱られるのは、可愛がられているからなのだろうと分かる。
 

「緑色の坂の道」vol.2689

 
       新しい石鹸 5.
 
 
 
■ こうした仕事をしていると、誰かに作品を誉められるということが、かなりの励みになっている。
 同業者ではなく、編集者でもなく、ごく普通の方々。
 いわゆる市民社会というものが仮にあったとして、そこに根を降ろしている方々。
 その人たちに、個人としての感想を漏らされるのが一番心に残るものである。
 
 
 
■ ああ、でもやっぱり「新しい石鹸」なんだな。
 と、思った訳ですよ。
 と、部長(当時)は言っていた。
 男だけに分かる文法というものがあるのだとして、それは斜に構えたハード・ボイルドもどきとは異なっている。
 背後には厄介で面妖な、組織というものがあるからだ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2690

 
       俺たちだけがしょんぼりみてた。
 
 
 
■ 北国の春の泥というのは、今、想像しがたい。
 その青い空に雲がぽっかり浮かんでいて、向かいの山々は白紫の霞のようなものに覆われている。
 裕次郎の歌には不思議なローカリズムがあって、それはオリンピックを契機として何かが本格的に曲がろうとしていた時代の不安と懐かしさに通じている。
 本人にその自覚がないところが天恵なのだが、「しょんぼり」しながら遠い浮雲を眺めているという構図は、なかなか良いものだと私は思う。
 しょんぼりしている。
 などということを歌えるだけで、当時の彼はスターであった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2691

 
       水をくるむもの。
 
 
 
■ 指先の色。
 
 
 

2004年08月14日

「緑色の坂の道」vol.2692

 
       ill wind.
 
 
 
■ 薄い風邪が躯に入った。
 夜はべったり汗ばんで、風が止んでいる。

 

「緑色の坂の道」vol.2693

 
       ill wind 2.
 
 
 
■ コール・ポーターの曲を聴きながら、ジプシーについて書かれた本を読んでいた。
 定住と放浪ということを考える。
 だが今の日本では、放浪も安全なお遊びでしかない。
 
 

2004年08月16日

「緑色の坂の道」vol.2694

 
       文化銀座。
 
 
 
 
■ 随分と前、島にでかけたことがある。
 そこは周辺と比べ、文化的程度が高いと自称される土地で、確かに土着の薪能や太鼓など、夏になると沢山のイベントが行われていた。私はそのときはカメラを持たず、半ばオブザーバーのような形で出入りした。
 芸術家村のような一団に会ったこともある。
 彼らの多くは美術関係の学校出身で、配偶者なのか、環境問題に詳しい低血圧の巫女のような女性を連れていた。潮風に吹かれ、見事に錆びたホンダに乗っていた。
 廃屋のような一軒家を借りる。
 当時、確か一年で五万円程度ではなかったかという記憶がある。
 電気はきているの、と聞いたが、電信柱はある、という返事しか覚えていない。
 実際はもう少し高いのだろうとも思われる。
 
 
 
■ 彼らが一様に言うには、ここから文化を発信するのだということであった。
 どこそこから世界へ。
 というのがある種のスローガンでもあり、我々はアジアやヨーロッパに眼を向けると声を揃えた。確かにそれは、一定の時期成功していたかのようでもある。
 ただつまり聴いていると、京都の流れもあり、シルクロードの接点でもあり、要は暖流と寒流の適当な位置にある地勢的な条件とそれに基づく歴史を根拠にしている。
 地方紙の記者は、木戸御免で何処にでも入ってゆく。
 同行のアナウンサーは、裏返った声でおばあちゃんと呼びかけていた。
 
 
 
■ 夏になると、あちこちでイベントが行われる。
 JAZZであったりレゲエであったり、最近はヒップ・ホップであったりもする。
 町ぐるみでそれを取り上げるのは、次の選挙に有利なときだけだが、多くは中央から芸人を呼んでくる。中央とは、大抵は東京であるけれども、それが逆輸入されてゆく。
 これは明治以後の近代化の流れでもあって、いたしかたのないものでもあろうか。
 彼らは今どうしているかというと、元々地元に生まれたひとだけが残っている。
 あの時の記者も、女性アナウンサーも、あるいは髪を伸ばして自然を語っていた芸術家の方々も、今その町には住んではいない。通ってもいない。
 文化を語りつくすと、違うところにいってしまったかのようである。
 ただ私が思うのは、あのときの海岸で、流された巫女のような顔をしていた眼の細い女性の一群は、今どこにいるのだろうかということであった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2695

 
       南国土佐を後にして。
 
 
 
■ と、歌ったのはペギー・葉山さんだったが、鯨の腹からでるような歌声には希望があった。
 時は高度成長手前。
 集団就職で都会に出てくるひとたちが、上野であれどこであれ、方言を仲間内だけで話していた頃合いである。
 上野はノガミと呼ばれていた。
 今も徒町界隈を歩いていると、ここのタンメンは美味しかったのよと教えてくれたおばさんのことを思い出す。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2696

 
       脱力、ラスタマン。
 
 
 
■ 私は簡単に「文化」という人たちをあまり信用していない。
 町おこしであれ、デジタルの平面であれ、いわゆるかぎ括弧のついた文化というのは、何処かに嘘があるような気がしてならない。
 山口瞳さんだったと思うが、「自分は即物的な人間なので、例えば人が自殺したりする場合には、畢竟金か女の問題ではないかと疑う癖がついている」という趣旨のことを言われていたように記憶している。三島氏が自決した時のことだ。
 
 
 
■ 民俗学や社会学をすこしかじった方々にはお分かりだと思うが、例えば「未開の地」という概念は既にして差別であると言われる。
 手塚治虫さんなどはその辺りで一部から批判を浴びているけれども、歴史的にはそのようなものであって、後から批判することは容易い。
 例えば台湾の、日本人の集落を襲った事件などというものもあって、現実問題として首を狩る生活や文化というものは存在していた。
 
 
 
■ 今は夏であるから、例えば「まったりと」「脱力して」、その場をしのいでゆくというような店があちこちに散見する。
 都心で言えば恵比寿や代官山、あるいは六本木にあるアジアン・テイストのクラブみたいなものだろうか。
 そういう店はビールが高い。
 加えて、接客がトモダチに接するような姿勢である。
 トモダチから金を取るのは仁義に反するので、私は友達ごっこだと思うのだが、そこにいるラスタマン達は、脱力しながら避妊もしていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2697

 
       夏のすこし重い雨。
 
 
 
■ 借りものの車のエアコンが匂った。
 ちょっとばかりアクセルを踏んで、タイアを鳴らした。
 つまらない。
 雨あがり、窓を開けた腕の辺りが寒い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2698

 
       戻る日。
 
 
 
■ 七月に送り火をする土地がある。
 それから、今自分、花を買う土地もあった。
 私はといえば、女の下腹を眺め、素性の知れぬご先祖のことを思って片付けた。
 
 

2004年08月17日

「緑色の坂の道」vol.2699

 
        bluesleeves.
 
 
 
■ ショットでウィスキィを嘗め、タウリンをチェイサーにしている。
 〆切が近いからだが、なかなか大局的に眺めることができないでいた。
 キャッチコピーは例えば五秒で書ける。
 それ以前の時間が膨大で、全体が有機的に繋がるのを待っているのがほぼ全てでもある。
 これって愚痴だよね。
 ま、そこは流れで。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2670

 
        bluesleeves 2.
 
 
 
■ 中途半端に都会、というのはあると思う。
 これが一番手におえない。
 優越感とその裏返しとに揺れているからでもある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2701

 
        bluesleeves 3.
 
 
 
■ 赤坂の界隈で、有名な文化人の秘書の方と酒を飲んだことがある。
 有名と書いたのは、例えば国営放送などに出演されているからでもあるが、その方はそれを志向されてもいるのだから、余所者が口を挟むことはない。
 その時は、複雑に絡まった案件の事後処理のような按配で、一席を設けて戴いた。
 最近赤坂はどうですか。
 終わってますよ、この街は。
 彼女は自らの社がある土地をそのように言う。
 子供のような横顔に、すこしだけソバカスがある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2702

 
        bluesleeves 4.
 
 
 
■ こういった仕事の集約は、ベタに言葉や画像を並べてゆくことではなく、あるときにフワリと浮かぶ一節を捜してくることである。
 ベタということで思い出す。
 五反田にある大手電気メーカーのインダストリアル・デザイナーの方と一緒に仕事をして、メールのやりとりがあった。
 北澤さん、それってベタじゃないですか。
 
 
 
■ とはいっても、用意されたものがこれだけで、しかもその中にあれもこれも入れてくれと彼の上司は言う。
 そうなるとさあ、事例を羅列するしかないじゃん。
 と、私は心の中で叫んだりもしたのだが、当時メールは記録として残されていたものだから、書くことはできなかった。
 
 
 
■ 先端をゆかれている立場の方であったが、一連の仕事の後、何回か私信のやりとりをした。
 カメラ談義になって、コニカのヘキサーというレンジ・ファインダーを買ったんですよと嬉しそうでもあった。
 交換レンズ高いよね。
 そうなんですよね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2703

 
        恋の終わりと青い袖。
 
 
 
 
■ 夏が過ぎる。
 雲のように。
 あのひとはあのとき、青いシャツを着ていた。
 
 

2004年08月18日

「緑色の坂の道」vol.2704

 
        夏の去る音。
 
 
 
■ 明け方、蝉が鳴いている。
 雲は低いところにある。
 誰かが砂利道を歩いていて、壁に反射している。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2705

 
       雲みる日。
 
 
 
■ 海沿いの土地では、ことあるごとに空を眺める。
 そこに雲があれば、少年の日を思う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2706

 
       ghost of a chance.
 
 
 
■ 午後のためのデータを焼きながら、これを書いている。
 昨日は床で寝ていた。
 寝室のベットの横に、なんとなくゴザをひいているのだが、顔に跡が残っていた。
 唸りながら洗面所へ入る。
 インスタント・コーヒーを入れてから、煙草を買いに外に出た。
 寝癖があるので、一番近いホテルの売店にはゆかないでいる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2707

 
       ghost of a chance 2.
 
 
 
■ 〆切の後のクール・ダウンは厄介である。
 かつては女が欲しくなったものだが、後が更に厄介になって、ムゴーイ目にあうことがくれぐれも分かったので自粛している。
 ま、いいんですけどね。
 
 
 
■ ようやく決まった「甘く苦い島」の分類が以下。
 これは、一定の枚数を元に、編集を加えたものである。
 
_____________________________________________
 
01
 ブルックリンで、真夜中には色があった。
 
02
 あなたなしで。
 
03
 甘く苦い島。
 
04
 新しい石鹸。
 
05
 きのう、夢をみたよ。
 
06
 いつもあたり。
 
07
 そこにいるだけのあいだ。
 
08 縦
 bluesleeves.
 
09 縦
 Heaven.
 
_____________________________________________

 さて、画像が想像できるだろうか。
 と、無理なことを言ってはいけない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2708

 
       今年恋をしたかい。
 
 
 
 
■ 寝る訳じゃなくて、そうでもなくて。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2709

 
       夢にでてやる。
 
 
 
■ 幽体離脱。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2710

 
       西からの風。
 
 
 
■ 脳が煮えることをノーニエというが、最近あちこちがそのようである。
 甘木君は、時折「駄洒落はやめてください」と指摘する。
 だってオヤジなんだから仕方ないじゃないか。
 と、わたくしは、ぼそぼそ言う。
 高齢化社会なんだ。
 
 
 
■ しかし、緑坂というのは一体何なのであろうか。
 こういうことを書いていて、仕事の上では損をしないのだろうか。
 損をしていることもあり、そうでないこともあり、詳しくは訳がわからない。
 MTGが終わり、いくつか電話をかけ、それから安いスコッチを嘗め始めた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2711

 
       鶏頭。
 
 
 
■ 夏が終わるというのに、向日葵も鶏頭も見ていないことに気づいた。
 神社の境内で、汗をぬぐう。
 首からタオルをぶら下げて、携帯灰皿を持って一服をした。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2712

 
       物語について。
 
 
 
■ 結構いい短歌も書いている、青瓶影の軍団「仮面の忍者屈折」が、いつぞやメールをよこした。
 短い緑坂は素敵だ。
 じゃ、長いのは何なんだよ。
 と、今度会ったら苛めるつもりだが、実は読売時代から世間の評価というのはそのようである。
 
 
 
■「短いのがいいのよっ」
 と、言っていたのは喫茶店の名前のような妙齢本格派であり、私は彼女に新宿二丁目で奢ってもらった。
 手持ちが少なくて、電車がなくなる。
 彼女はフィルムのケースに入った五百円玉の数センチを私によこし、これをやるからもう少し飲めという。
 で、飲んだ訳ですが、そういえば私は返したんだったかしら。
 お礼に緑色のまくわうり、じゃね、枕カバーをお送りしたことは覚えている。
 もうひとかた、ゴージャスな妙齢、BALLさんともども、大変お世話になりました。
「あいつさ、缶蹴りながら港区方面に帰ったんだぜ」
 みてきたような、そのとおりのことを言う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2713

 
       物語について 2.
 
 
 
■「泣けるものを書いてよ」
 と言われたことがある。
 小柄で綺麗な奥様で、若いときは横浜方面で随分と遊んだ。
 随分というのは、一定のセンスを意味していて、恋も男も、少しだけプライドがある。
 
 
 
■ どうやったら書けるんだろうな、と思いながら、あれから十数年経ってしまった。
 
 

2004年08月20日

「緑色の坂の道」vol.2714

 
       風のあとで。
 
 
 
■ 夜半、風が吹いた。
 悩みごとがぶりかえされる。
 どうしてこんな風になるのだと、ことのほか思いつめる。
 あれは台風だったのだろう。
 埃が飛ばされ、空の色が遠い。
 
 

2004年08月22日

「緑色の坂の道」vol.2715

 
       鰯雲流れる。
 
 
 
■ 夜、ビルの影から雲が横切る。
 おまえはこの夏、なにをした。
 風のヤローがいいやがる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2716

 
       概念をまとめる。
 
 
 
■ ことが、例えばライターの仕事である。
 まとめ方にも色々あって、様々なところから演繹してこようとする訳だが、冷静に考えると、そこに随分の無理がある場合もある。
 それは練れてないからであって、ということは畢竟、自己規定が不足している場合が多い、と私は思っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2717

 
       ヒッピーとハンバーガー。
 
 
 
■ 元町に入った。
 停めるところを捜そうとした。
 空車のタクシーが、ぴったりとはりつく。ちょっとだけうるさい。
 カツンとブレーキを踏む。
 彼はクラクションを鳴らす根性はない。
 
 
 
■ 例えば時計であるとか宝石であるとか。
 夜になるとショー・ウィンドウから片付けられている。
 そういうものか。
 そういうものだろうな。
 あの店にあったローファーを買って、その後とても困った覚えがある。
 昼飯代に。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2718

 
       ナロー。
 
 
 
■ 暫く前、フェンダーの張り出していない911が流行った。
 今も時々週末には見かける。
 知らない人が聴けば、これはディーゼルかというような音をさせ、追い越し車線に細い尻をさらしている。
 乗り手がすぐ5速に入れるからであって、この程度の速度であればもう二つギアを落とすといい音もする。
 スティーブ・マックイーンが、映画「栄光のルマン」のオープニングで乗り付けたのが、緑色の911Sだった。
 確か2リッター程で、シンクロはまだポルシェ・タイプと呼ばれていた。
 
 
 
■ ナロー・ポルシェを、ただの国産3ナンバーが抜いてゆく。
 走るワンルームのような、3.5リッターのワン・ボックスがその脇を流す。
 絶壁のようなその尻を見ていると、子供の頃、カラーテレビに木目が貼ってあったことを思い出した。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2719

 
       概念をまとめる 2.
 
 
 
 
■ 先に書いたことは、実を言うと文章の世界だけではなく、デザインであれ写真であれ、本質的には同じことだろうと思っている。
 場合によっては、アートの世界にも近いことが言えなくもない。
「スロー・ライフ」という言葉があるが、これは高度に発展した情報資本主義社会の果てにおけるインドごっこであり、本当にスローならば媒体に発表したりはしない。
 
 
 
■ つまり、自分の生き方が心ならずもであったとして、それを裏返して評価して貰いたいという下心が見え隠れしている。
 無理した価値の逆転でもあるのだが、私はというと、すこし前の頃合「ウッディ・ライフ」という店(仮名)に心酔していた友人を思い出す。
 彼は自然保護観察員の資格を取って、スバルにしようかホンダのワゴンにするべきかを悩んでいた。
 
 

2004年08月23日

「緑色の坂の道」vol.2720

 
       かつて不良だった市民。
 
 
 
■ というのは手ごわいものである。
 それは行政を含めた組織というものを知っているからで、実社会であれネット上であれ、ひとたびバトルがあった場合には腹をククル。
 谷口ジローさんの漫画には、やや小太りの上着を着た男たちが、その配偶者と犬とともに出てくるが、それはいかにも東京よりも西の方角の町並みと意識であった。
 
 
 
■「行動は過激に、生活は堅実に。が、あたしのモットーよ」
 とか深町に言ったのは横浜に住む歯科医の女医さんである。
 活動家、インド、密教、ハッパ体験。更生して市会議員候補、自然食品。
 パターンを踏むのが好きなひとというのはいるもんである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2721

 
       かつて不良だった市民 2.
 
 
 
■ 孫文の顔が配置されたポスターを眺めながら、排骨炒飯を食べていた。
 野菜スープが旨いのだが、これは一人では多すぎる。
 見知った顔の女主人が、適宜な距離で挨拶をする。
 
 
 

「緑色の坂の道」vol.2722

 
       かつて不良だった市民 3.
 
 
 
■ 中華街の傍のマンションに住んでいたことが自慢の先輩のことを覚えている。
 先輩といっても車方面のそれで、当時彼は白いBMWの2002 AT に乗っていた。
 車屋などに昼日中、顔を出す。
 150から車体が沈んでゆくんだぜ。
 安定性はやっぱりドイツ車だよな。
 と、ダンヒルのライターで洋モクに火を点けていた。
 
 
 
■ 背が高いので、英国調のスーツが様になる。
 そのマルニイを買わないか、という話もあったのだが、相場より少し高いので躊躇っているうちに夏が過ぎた。
 暫くしてまた顔を会わす。彼は外側ヒンジのミニ1000に乗っていた。
 定番と言われるマフラーが白い。
 キャブを載せかえる。ミニの場合にはSUである。
 奥様が乗るからだと言って、仕方なくATなのだとぼやいてもいた。
 奥様は何をしているかというと、とある病院の保険の点数付けである。
 彼は、レントゲン検診の車を運転するのが仕事だった。
 
 
 
■ バブルの頃、リゾート・マンションを買ったという話を聞いた。
 そこへ、BMWの6シリーズで出かける。
 おまえもこいよ、と二度ほど誘われたが、当時私は旧いドイツ車に乗っていたのでどうしたものか迷った。
 数年たって消息を聞く。
 理由は定かではないが、運転手を辞め、彼はリゾート・マンションに引きこもっているのだという。
 教えてくれたのは、セドリックの黒塗りにセットで80万円ほどするタイヤとホイルを付けていた宅急便の若者で、私が自動販売機の前に立っているとトラックが停まったのだ。 
 

2004年08月24日

「緑色の坂の道」vol.2723

 
       BASIN STREET BLUES.
 
 
 
■ 秋刀魚が出ていた。
 まだ痩せている。
 七面鳥を焼くような大きなオーブンしかないので、これからどうしようかと考えている。
 屋上に上がれればね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2724

 
       BASIN STREET BLUES 2.
 
 
 
■ 夏の終わりは突然きて、少しばかり肌寒い。
 が、しばらくしてまた、ぶり返しもするだろう。
 幅が狭まる度、空の色が濃くなってゆく。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2725

 
       BASIN STREET BLUES 3.
 
 
 
■ アメリカの歴史の本と、上海について書かれたそれを読んでいた。
 大恐慌の後、アメリカでは一人のファシスト・デマゴーグが大統領の座を狙っていた。
 南部のルイジアナで絶大な人気を得る。ヒューイ・ロング。彼は知事に就任した。
 ローズヴェルトが一番恐れたのは彼であった。
 KKKの扱いをめぐって、プロテスタントと間で二枚舌を用いる。
 
 
 
■ ロングは暗殺されたが、その後継者は反ユダヤ主義を唱える。
 1950年代まで、全国で絶大な人気があったのだという。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2726

 
       BASIN STREET BLUES 4.
 
 
 
■ ルイ・アームストロングの曲は、車の中で聴くには鈍い。
 光の落ちた庭を眺めながら、江戸切り子のグラスにウィスキィを垂らしている。
 
 
 
■ 何故漠然とするのか、考えてみたことがある。
 つまらないからだが、それを潰すために本を読んだり音を聴いたりする。
 今回、オリンピックは見ていない。
 夕方私は、ガラス張りに囲まれたカフェの喫煙室で、煙草を吸っていた。
 外の灰皿の廻りには、OL達が腕を組みながら煙草に火を点けている。
 その仕草は、なに、年季の入ったものだった。
 
 
 
■ おそらく、一部のOL達の間では、煙草はアクセサリーの段階を過ぎてもいるのだろう。それがいいのか悪いのか。
 爪先だって歩かなくてもいいのなら、化粧なんてしなくなる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2727

 
       格好わるいのよ。
 
 
 
■ 男が。
 と、お嘆きの貴女に。
 
 
 
■ ま、それは随分前から言われていたことだけれども。
 最近やっぱりそう思いますね。
 廻り見ていて。自ずから。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2728

 
       男の数はあらえば落ちる。
 
 
 
■ と、言われておりますが、さておき。
 女の数は未練に残る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2729

 
       BASIN STREET BLUES 5.
 
 
 
■ 画像作品をつくる仕事は、真夜中である。
 光線の具合があるからで、キャリブレーションしていても、なかなか旨くはゆかない。
 ただ厳密に紙にする場合であっても、最近は印刷そのもののシステムがやや不安定なのか、色校正を繰り返さないとそうはゆかないようである。
 つまり、技術は進んだものの、従来その基盤となっていた職人の方々が少なくなっているのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2730

 
       BASIN STREET BLUES 6.
 
 
 
■ 男の格好悪さというのは、つまり精神からくるもので、金があるとかないとか。
 名前が出ているか出ていないかとか。
 これは俺が紹介したんだ、と、言ってみたいことであるとか。
 
 
 
■ ただ思うのは、確かにそういう側面はあるけれども、社会というのはそういったことを抜きにしては考えられないものだけれども、その枠の中にだけいるとつまらない。
 自分がいいと思うことをやってみればいい。それを世の中に問う。
 そして、そのツケは自分で払うことになる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2731

 
       虫。
 
 
 
■ 夕方になると、庭で虫が鳴きはじめる。
 庭はビルの中ほどにもあって、敷石がひいてあるが、誰も姿を現さない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2732

 
       スタンド・バイ・ユア・マン。
 
 
 
■ ジャック・ニコルソンが若い頃の映画に「ファイブ・イージー・ピーセス」というものがある。
「イージー・ライダー」の後に撮られたもので、ニコルソンは押さえた演技をしていた。
 映画のラストで、確かタミー・ウィニットのこの曲が流れる。
 68年に大ヒットしたカントリーである。
 せんだってそれを繰り返し聴いていた。
 
 
 
■「ブルース・ブラザース」の始めの奴で、南部の酒場でこの曲が流れる。
 今は太った当時の若者の果てが、うっとりと夫婦で肩を並べ歌う。
 つまり、定番になっている訳で、彼地にカラオケがあれば入っているものだろう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2733

 
       東京の印象。
 
 
 
■ 〆切前の作業をしながら、うつらうつらとしている。
 薄い風邪が躯に入ったようで、熱っぽいのだ。
 こう書くとあちこちから「虚弱なんだからっ」と暗に批判する声が届くのだが、この場合は二日酔いではないのでご寛恕願いたい。
 
 
 
■ せんだって、甘木君とその弟分「仮面の忍者、屈折」氏と酒を嘗めた。
 二軒目くらいで、青山の地下に降りたバーへ入る。
 甘木君は、ワイングラスにやや高いウィスキーを垂らしてもらって、チェイサーと共に嘗めていた。
 黒服が氷を入れますかと尋ねる。ワイングラスに氷入れるかよ、と彼は呆れていた。
 
 
 
■ 都会とはこういうもんなんすね、と屈折氏が言う。
 別にそういうことはなくて、ただそこにあるものに乗っかっているだけである。
 地名は記号のようなもので、酒の名前もそれに近い。
 
 

2004年08月25日

「緑色の坂の道」vol.2734

 
       秋の波止場で。
 
 
 
■ 雲だけをみていることってあるだろう。
 あるわ。
 ボトルの水を飲んだ。
 海の色が映る。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2735

 
       赤い波止場。
 
 
 
■ 駐車場のシャッターが昇ってゆくあいだ、ベルトを絞めていた。
 黒塗りのハイヤーが停まっていて、運転席にテレビ局の旗が置いてある。
 運転手が誰かを待っていた。
 
 
 
■ 車が戻ってきたのだが、特別感動はない。
 20年近く使っていたナルディのウッドに換えれば、鈍いハンドリングもましになるのかとも思うが、Eクラスよりも長い車体で尻を振っても仕方がない。
 結局この都心では、個人のタクシーやハイヤーに使われているような車が一番速いのである。
 
 
 
■ 裕次郎のモノクロ映画に「赤い波止場」というものがあった。
 神戸の港、そこへ流れ着いたチンピラが次第に更生してゆく物語なのだが、港が見える屋上で、裕次郎が女に言う。
「飽きたんだ」
 
 

「緑色の坂の道」vol.2736

 
       バーで値段を聞く。
 
 
 
■ という緑坂を昔書いたことがある。
 酒場のメニューというのは、新聞を読むようにして眺めていいものだが、つまりコストと味とを反芻して判断することになる。
 最近私は、12年とか18年のウィスキィを好まなくなった。
 確かに深い味もするのだが、その深さが僅かに鼻につく、と言えばお分かりだろうか。 
 
 
■ 内田百閒は、いい酒を出されると不機嫌になったそうである。
 なぜなら、普段飲んでいるものが仕方なくなるからだと。
 ま、「一等車の車掌はボイである」と名言を書かれた作家なので、偏屈は素敵だ。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2737

 
       バーで値段を聞く 2.
 
 
 
■ 独り、あるいは男同士の場合にはそれでいいのであるが、万が一妙齢が側にいた場合には、そうもゆかない。
 今、そうもゆかないの手前に句読点を打ったけれども、この場合一呼吸を置いて戴きたいという趣旨である。
 甘いのか辛いのか。
 カクテルの名前で判断するような場合であるならば、バーテンさんに何で作るのかを尋ねる。
 時々、七色のカクテルなどという、ファミレスのパフェみたいなものが出てくるので、それを注意する。
 この場合には値段を尋ねてはいけない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2738

 
       バーで値段を聞く 3.
 
 
 
■ 畢竟、これは屈折したダンディズムの一部なんだろう。
 酒場というのはおかしな見栄を張るところだからである。
 それが酒の蘊蓄であったり、値段であったり、あるいはグラスの質であったりもする。
 タンカレーで作ったギブスンが本当に旨いかというとかなり怪しく、オニオンの甘さが分からなくなってはただのジンストでしかない。
 ただ、ストレートでジンを売っている店のくせに、ジンが冷えてないのは興ざめであった。グラスも鈍い。
 基本をおさえるようにね。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2739

 
       オーシャン・バー。
 
 
 
■ 銀座裏にそのままの店が残っていて、いつだったか迷い込んだ。
 妙齢本格派の先輩と一緒である。
 先輩はほとんど宝塚の男役なので、黒ずくめでパンツを履いている。髪も短い。
 ストレトなどを嘗めたりする。
 二杯目の頃合い、北さん、何故わたしが今こうしているか分かるっ、と、詰問されたりした。
 
 
 
■ 私たちはテーブルに居たのであるが、私は先輩の話を聞いていた。
 手を伸ばすと届くようなところに、丸いスツール上の尻がある。
 気がつくと、カウンターで飲んでいる方々の半分は、妙齢中ほどばかりである。
 私はその尻を眺めながら、彼女スカートのチャックが少し下りているよ、と言いたかったが黙っていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2740

 
       オーシャン・バー 2.
 
 
 
■ トリス・バーと、ニッカ・バーというのは案外に知られている。
 オーシャンの場合は、すこしマニアなところがあって、それだから今でも残っていたのかも知れない。
 例えば自分の親父の世代があれこれ騒いでいた頃。
 そういった近代化の匂いがしている。
 
 
 
■ バーテンダーのひとたちは、揃いのチョッキを着ていた。
 蝶ネクタイなども、後ろ側で留めていたりする。
 みゆき通り すずらん通り 二人の銀座。
 と、私は新橋方面に歩いた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2741

 
       東京の印象 2.
 
 
 
■ 振り返ると、今ここでえらそげにあれこれ書いていられるのは、ほぼ先輩の方々の背中を眺めてきたからだろうと分かる。
 ここはこれが旨いんだ。
 せめて靴下だけは新しいものを履け。
 
 
 
■ 板前さんに生意気な口をきいてはいけない。
 客は客だけれども、金を払えばいいというものでもないのだと。
 かといって卑屈になることもなく、黙って一杯か二杯を飲み、あるいは本日一番旨いものをさっと食べ、現金で払って戻りなさい。
 旨いもので腹を一杯にする必要はないのだ。
 
 
 
■ 先輩のいた時代というのは、いわゆるその分野のプロがいた頃合いである。
 彼らはプライドを持っていた。
 であるから若造に、これをやってみろよ、と分からない程度に投げ出してくれた訳である。
 つまり、それは機会であった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2742

 
       秋口の雨。
 
 
 
■ まだ明るい。
 ぱらぱらっときては、暫くするととまる。
 驟雨のあいだ、蝙蝠傘をどうしようか迷う。
 
 

2004年08月26日

「緑色の坂の道」vol.2743

 
       ほんと。
 
 
 
■ 疲れが溜まったのか、この処シッシンが再発している。
 髭を剃った後などに、片頬が赤くただれてしまう。
 かゆいのも困るが、どうも見た目がワルイ。
「なんだか、毛を毟られた鶏みたいね」
「セイシン的なものなんだよ」
「じゃ、仕方ないわね」
 
 
 
■ どうして仕方ないのか、私は聞かなかった。
 たとえ毛を毟られても、鶏は生きてゆかねばならない。
 やだなあ。
 
_____________________________________________
 
・93年11月。
昔坂。
 

2004年08月30日

「緑色の坂の道」vol.2744

 
       胸に溺れる。
 
 
 
■ そう美しいものでもなく、ありふれた、横になればそれなりに広がる胸の色をしている。
 両手でつかむと、頼りないような中に重さがあって、痛がるが、どうにでもしてくれといった按配でもある。
 胸の下には腹があって、若いくせにかなり豊かだ。
 精神のかたちは、躯に顕れているのではないか。
 これは何を意味しているのか。
 溺れるということは、最中に考えないことなのだ。
 
 
_____________________________________________

・昔坂。
94年6月。
 

「緑色の坂の道」vol.2745

 
       なんのせいか、スリー。
 
 
 
■ 1,2 は、青瓶を参照。
 昨日、赤坂のホテルで飯を食った。
 お代わりが可能だったので、ここぞとばかりに暴食をしたのだが、少なし仁。
 台風が近い雨の中、十番の方面へと歩いた。
 
 
 
■ 次の段階に入り込んでゆこうとする時、得体の知れない弾力ある層に阻まれる。
 自家中毒を起こすかのように煩悶する。
 夢の中に、様々なものが出てくるのは茶飯事で、夜半鏡を眺めると、眼の下に隈を作った妙に老けた男が漠然と立っている。
 私だと。
 
 
 
■ こういった作業は、ほとんど無意識の部分で行われるもので、そこから意味を掬いあげてくるには時間がかかる。
 私はユングを全面的に信用している訳ではないが、表現とは向こう岸とこちらへ側への細くて頼りない橋のようなものだと思うこともあった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.2746

 
       低い雲と夕暮れ。
 
 
 
■ 唐木順三の日本文化に関する本を、ぱらぱらと眺めていた。
 実存的と言われるが、日本浪漫主義との関係について、なにかひっかかるものがあった。かといって、調べてみようというところまでは至らない。
 
 
 
■ 写真を撮ることよりも、対象を調べている時間の方が長い。
 今手元に「アメリカの建築とアーバニズム」(V・スカーリ著:香山寿夫訳:鹿島出版会刊)という本があって、これはいつ買ったものか。
 中にフラット・アイアンビルの画像があったので、ウィスキィ数本分の対価を払った。
 別に資料を調べなくても写真は撮れる。
 デザインもコピーも施すことは可能だけれども、さてではその次の段階へと進んだ場合、包括的な考えが浮かばない。
 つまりコンテンツがばらばらになってしまう。
 
 
 
■ いつだったか、読売新聞大阪本社で講演会を行った。
 そのときの原稿を拙サイトに載せているけれども、検索なのだろうか、毎月根強いアクセスがある。ブランディングとか、ブランド・マネジメントの世界に興味のある方が少なからずおられるのだろう。ある種概念が独り歩きしている側面もあるのだが。
 あそこには具体的な事例や作業の顛末は書いていない。
 が、今やっていることの多くは、その延長線上にあるもので、ひとつの世界観を具体的な商品に結実してゆく作業を含んでいるのだと思う。