2004年07月31日
2004年07月30日
「緑色の坂の道」vol.2658
「緑色の坂の道」vol.2657
家へ帰らないか。
■ ジャック・ニコルソンが主演した「チャイナタウン」という映画が好きだった。
特にその予告編がよかった。
ポランスキー監督の作品だったと思うが、予告編は別の人の手になるものだろう。
■「当時、まだこんな男が生きていた」
確かこんなテロップが入って、1930年代という時代を教える。
戦争前、男達は太いスーツのズボンを履いて、髪が薄くてもソフトを被っている。
暴力というものがまだ個人の手にあった頃、小さなリボルバーや鉄拳、それから飛び出しナイフというものは、ある種愚かなプライドのための道具だった。
2004年07月28日
「緑色の坂の道」vol.2655
「緑色の坂の道」vol.2654
ブルックリンで、真夜中には色があった。
■ 月が移動した。
私のいるところが変わったのか、窓からは見えにくくなっている。
仕方なく、一杯を嘗めることにする。
どこにでもある、バーボンの一種だ。
■ ピート・ハミルという作家は、ブルックリン出身である。
そのことが記されているのだから、いわゆるNYの下町育ちであるということが特色になっていたのだろう。
「ニューヨーク・スケッチブック」(高見浩訳:河出文庫)は、若い頃、東横線沿線の女のアパートで読んだ覚えがある。そこには風呂がなかった。
それから何度か本を売り、また買いなおしている。
■ ハミルの短編は、孤独と喪失がテーマであると言われている。
否応なく自分で責任をとらなければならない場所というのがもしあったとして、それを承知で相手と向き合えるかというと、相手が言葉を喋る以上、なかなか難しいところもある。
ぱらぱらと再読しては、まだ「マンハッタン・ブルース」(創元推理文庫)にとりかかれないでいた。
「緑色の坂の道」vol.2653
速度について。
■ 最近、「緑坂」への来訪者が一日三桁になっている。
どこでどう探したのか、不思議なことだなあ、と思う反面、「それがどうしたボクどらえもん」という気分もあって、微妙である。
この「ビミョー」という言い方は、なかなか味があるというか、含みがあって、口にしていても実際には漢字が書けないだろうという気もする。
ま、それはそれでいいのだけれども。
■ 部数とかアクセス数を誇ることは、こうした性質のサイトの場合無意味に近い。
こうした性質とは何ぞや。と問うことは、若い男にとってエロ本とはナンダと詰め寄ることに近いものがあり、やめていただきたいものだが、あの横についているキャプションとリードは、コピーというもののある種原型であるという気もする。
熟読すると、書き手が案外にロマンチックだったりして、面はゆい。
■ かつて緑坂は一日に5~10程掲載していた。
ひとつを書くのに5~15分。
テーマのあるものや調べなければならないものはその限りではない。
一方で別のPCを動かしながら、エディタを開いて題名を決める。
この題名はほとんどキャッチである。
ネットの特性に、ひとつには速度というものがあるが、いずれにしても一定の量をこなさないことには文章も写真も、質の変化は生まれない。
生まれなくてもいい、という考え方も、もちろんある。
2004年07月27日
「緑色の坂の道」vol.2647
「緑色の坂の道」vol.2645
緑坂的免税中心 2.
■ という按配で、やや旧いDVDの機器を交換していた。
かつて5万ほどしたものが、今では1万円ほどで買える。
秋葉原の店員は、相変わらず人によって言うことが違っていた。
路上禁煙になったものの、路面は整理されているとは言いがたい。
■ 一通のところに逆方向に車を停め、短時間で目的のものを捜す。
領収書は雛型を用意しないと、なかなか漢字が書けないでもいる。
短いスカートを履いた女性がビラを渡す。ありがとう、と言ってふたつに折る。
■ 停めてあった車の傍に、リヤカーに凭れた男が立っている。
彼はさっきもいた筈なのだ。
帽子の下から廻りを眺め、何かを待っているのだろうと思われた。
2004年07月26日
「緑色の坂の道」vol.2642
2004年07月25日
「緑色の坂の道」vol.2639
冬でも半袖サイバ君。
○青瓶がMovabletypeとして復活している。
http://WWW.kitazawa-office.com/ao/
コピーあるいは、ブックマークをどうぞ。
■ 昔、秋葉には(秋葉原の略)、冬でも半袖サイバ君という奴がいて、PCのパーツを売ることが心の底から楽しそうであった。
当時、23歳くらいだったろうか。
真冬でもTシャツ一枚なので、寒くないのかというと、クロック・アップしているから発熱量がすごいんですと答えていた。つまり気合いである。
当時私は、デュアルCPUのPCを自作し、NT.4.0を入れ、300A(これで分かる人には分かる)を450で動作させていた。450×2ですから、900と言いたいところだが、実際は1.4倍程度、単発機から双発に乗り換えたみたいなものである。
当時、yominet のシステムを見ていた小森さん(仮名)は、同じマシンで家庭内サーバを組んでおり、彼は安定性重視でクロック・アップには慎重であった。
オンラインで情報交換と、自慢をしあったことを覚えている。
小森さんは、まだかなり高価だったデジタルカメラでPCを撮っていた。娘さんも写っている。
一年ほど経ってまた秋葉の当該店にゆく。
サイバ君はどうした、と尋ねると、なんだか勉強したいんでアメリカへゆくとか言ってましたけど、と別の店員が答えた。
半袖でか。半袖でです。
彼は千葉からアメリカにいった。ことになっている。
それから数年して、その店は倒産してしまう。
■ どんな世界でも、技に走る一定の時期というものがある。
ゼンギや体位に凝るようなものである。
ある程度極めると、ま、こんなものかと飽きてくるのだが、その過程で覚えた技というのは忘れない。技というよりも、失敗の蓄積である。
いわくメモリの増設はバルクを使ってはならない。
HDDはいずれ壊れる。一部でも壊れた場合、データは皆読めなくなる。復旧は理論的には可能だが、試みにそれがいくらするかを調べると泣けてくる。
RAIDは、小さなファイルサイズには適するが、一定の大きさ以上のファイルの場合、旨くゆかない。
同様に、ダイナミック・ディスクは、煩雑にHDDを交換する場合には使わない。
例えばこのダイナミック・ディスクという形式は、読者諸氏のPCでもかなりの確率で入っているもので、簡易RAIDのことなんです。
■ だからどうした、ということはないけれども。
パソコンが安価になり、誰でも使える携帯電話に近いものになってゆく。
それはネットがライフライン化してゆく過程とも重なるのだが、受け手と作り手は本質的にはどこかで立場が異なっている。
作り手は、往々にしてマニアです。
隠しているけれども、道具には凝っているもんなんですね。
2004年07月24日
「緑色の坂の道」vol.2638
「緑色の坂の道」vol.2636
御休息。
■ くだらない話を書く。
下北沢の線路沿い、大きなスーパーの裏あたりに、昔ながらの同伴旅館があった。たしか「かたばみ」とか「うわばみ」とか言う名で、マサコというジャズ喫茶にゆく途中、そこを通る。先日久しぶりに通り掛かると、そこが今風のシティ・ホテルに替わっていた。シティ・ホテルとは言っても、することは同じで、外側が変わったに過ぎない。渋谷あたりの流行が下北にも押し寄せてきたといった按配である。
■ ところで、その手のホテルでの勘定支払いの時、電話で、「済みました」
とうっかり言って、恥をかいた男がいる(私ではない)。
もっと酷いのになると、車のエンジンがどうにも掛からず、JAFを呼んだという奴がいる。その間、ふたりで待っていたらしい。
ま、先の場合、何と言えばいいかというと、「帰ります」とか「会計を頼みます」と言うのが妥当か。
すると、フロントは「冷蔵庫は何をお使いになりましたか」と聞いてくる。
この場合、「赤まむし一本」と答えるのが、どうにも恥ずかしい。
かといって、「二本」という訳にもゆかない。
ホテルによっても違うが、冷蔵庫には大抵、ビール、ウイスキイのミニボトル、赤まむしドリンクやら、カップラーメンなどが置いてある。
カップラーメンというのも渋いが、時には、鮭缶が入っていることもあって、
「コレハ、ナンダ」
と考えたことがある。
■ すこし前まで、浅草や鴬谷周辺にゆくと、昔ながらのそうした旅館があった。大抵は和室である。畳の部屋と、襖を隔てて赤い布団を引いた部屋がある。窓を開けると、隣の家の台所や屋根瓦が見えたりする。
雨のシトシト降って何もやる気のしない午後など、そういう処へシケ込んで、一日中ぐずらぐずらとしていられたらいいだろうなあ、と思うことがあるが、そこまで出かけるのが億劫でこまる。
■ 以前、……以下自粛……
■ ともあれ、この手のホテルですることと言えば、人間のイトナミの最たるものである。イトナミの中にはグロテスクなもの、なんだか滑稽なものが混じっている。
私の友人に、その手のところに、風呂に入りにゆくという奴がいて、その際、ビールと温泉の入浴剤を買ってゆく。草津の湯とか別府の湯とかいう奴である。
ビデオを眺め、ゆっくりと広い風呂に入り、あとはぐうぐう寝てしまうのだそうだ。
連れがどうしているのか、それは聞きそびれた。
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・ま、とてもクダラナイ、緑坂のvol.2 である。
93年だったかしら。
2004年07月23日
「緑色の坂の道」vol.2635
「緑色の坂の道」vol.2634
プラネット。
■ 夜が近づいてくるような気がする。
もういちど、深い闇のなかに入ってゆく予感がある。
それは空っぽの空洞とも違う、焼跡や廃虚の街とも異なる、人間が人間としてばらばらに解体された新しい世界である。
かつて、大人も子どもも、互いに隣に居ることすら気づかないまま地平に立ち尽くしている姿を想像したことがあった。
地平の向こうには新しいビルが建ち、視界の隅の方からゆっくりと暗闇がひろがってゆく。
■ 開高さんは「ベトナム戦記」の中で、ベトナム兵はどんなに傷を負っても泣き言やうめき声を出さず、バッタか何かのように無表情に死んでゆく、と書かれていた。
その黒い瞳を眺めていて、いつかそれにも慣れた、と。
■ 曲がり角の水銀灯のあたりで低い声がする。
それは長く続き、外は小雨になった。
じゃあね、という声だけがはっきりしている。
携帯電話をしまい部屋に戻ってゆく。
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■ 97年の6月。
インターネット化なった頃のyominet に載せていた。
これには画像がついていて、臨海副都心に向かう車の中から、格子状に囲まれたトンネルがこちらに向かってくるのを撮っている。
2004年07月22日
「緑色の坂の道」vol.2630
「緑色の坂の道」vol.2629
青瓶の頃。
■ 影の青瓶軍団が、緑坂と青瓶を峻別してくれたのだが、私の昼間の厄介が遅々として進まず、対応しきれていない。
今、HDDの中を眺めていたら、こんな青瓶をみつけた。
確か、96年の12月の頃合い。
後半、なかなか面白いことが書いてあるので転載してみる。
厳密には緑坂ではないが、ま、そこは流れで。
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やどなし。
■ さてまあ、そういった按配で、青瓶はこちらに書くことになった。
いずれ収まるところもできるだろうが、それまでの宿なしということか。まるでラブホテルを転々とする逃亡者のようである。ちがう。
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■ 旧yomiの文芸は、今なかなか面白い状態になっている。
長谷川さんの、真摯に自分の居場所を求める書き込みもあり、仕事をがんばっている若いもんの、溜まっていたものを掃き出すかのような一連のものもあり、一時期に比べるとすこしだけ密度が濃くなった。
けれども全体としては、何処へゆくべきかが今だ定まらない状態が続いているような印象も薄く残っている。ま、人生とはそんなもんだ。
江戸さんが面白いことを書いていた。
何故書くのだろう。
書けばいいってもんじゃないだろう。
つまりはそういうことを言外に匂わせていた。
■ 一体に恋愛というものはそんなに綺麗なものではない。
大人、つまりは妙齢半ば、具体的には三十歳前後からの恋愛というものはどんなに美辞麗句で飾ってみたところで、背後には生臭さがびっしりと貼り付いているものである。
その点に無自覚な個人の書いたものは、たとえ習作の段階であっても他人から一定の評価を受ける。
無言のこともあり、言外に匂わすこともあり、直裁に別のことを指摘されることもある。つまりそれが世間というもので、その個人の幻想の反芻に誰もつきあいはしない。
さて、ここで振り出しにもどる。
何故書くのだろう。
どうして誰かに読んで貰いたくてボードに掲載するのだろう。
一度書いたものを翌日見直してみて、どうにもアップできなかった経験が誰にもあると思う。
書くことは誰でもできる。掲載することも。
しかし、その両者の間には細いけれども深い溝のようなものがあって、それが文章を作品たらしめている大きな要因のひとつであるように今は思えている。
「緑色の坂の道」vol.2628
村祭り。
■ 先日、甘木君と恵比寿界隈を歩いた。
若いカメラマンが、天井から吊るされたモニュメントを撮影している。
背後に液晶がついているから、これはデジタル一眼レフである。
三脚もやや細いものの、一応立ててあった。
私はすこし声をかけた。
液晶をみせてもらい、あ、このカットいいね。などと言う。
■ 彼はどこからきたのだろう。
背中に大きなバックを背負い、数十万はするカメラにレンズが一本。
廻りは休日の恋人達ばかりである。
これ、セルフタイマーで撮っているの。
いや、こうやって押しているだけです。
あ、そうなの。
名も知らぬ彼よ、次はレリーズを買いなよ。夜で三脚立てているのなら、レリーズは必需品だよ。と、思ったがもちろん言わなかった。
「これ、結構いいカメラなんで、写りがいいんですよ」
正直な奴だなあ。
「そっか、がんばれよ」
私と甘木君は、通りすがりのおじさん二人という按配で彼と別れた。
■ どの業界でもそうだが、どこかに仕掛けるひとがいて、それを助けるメディアがあって、煽ったり遅れるよと言ってみたりするモノカキがいる。
私もその一人なのだが、明白にこれは本当のことではないと思いながら書く場合もある。
言わないのはウソをついたことにならない。
確か「夜の魚」にもそんなことを書いたが、この兼ね合いはその時代とともに変わってきていて、言った方が信用を得るという場合もある。
「緑色の坂の道」vol.2627
祇園にて 3.
■ 祇園から八坂神社の脇道に入る。
車を止め、歩いてゆくと沢山の提灯が並んでいた。
人は誰もいない。
■ 私は先の50mm、F1.2 につけかえ、提灯の傍による。
絞りは開放ではなく、いくつかクリックを廻している。
梵字のようなものが見え、ややアンダー目に撮った。
■ 撮影しているときというのは不思議なもので、後からその情景を思い出すことができる。妙齢と遊ぶときはそんなこともないのに、その時の空気の湿り気や、遠くから聞こえてきた音なども確かに覚えているものだ。
ここはコダクロームの色ではないだろうと、フィルムを取り替え、というよりもボディを換えるのだが、レンズを落とさないよう境内にしゃがんでいると、向こう側に人影が通った。
人の影は軽く頭を下げ、それから消えていった。
「緑色の坂の道」vol.2626
祇園にて 2.
■ 祇園には何度か撮影にいった。
一度は借り物のスクータに乗っていた。
京都の街中を撮るには、車よりも機動性がいいからである。
カメラバックを背負い、三脚を立てながら交差点で待っていると、岡持ちを持ったおじさんに声をかけられる。隣に並んだカブからである。
「えらいお荷物でんな」
へえ。
■ 二言三言、言葉を交わし、「おきばりやす」と言われて別れる。
なんの商売と思われたんだろうな。サングラスをかけた仕事師。
その後は小型車を借りたり、あるいは徒歩だったりした。
私の場合、夜に撮影をすることが多いので、三脚は欠かせない。
かといって、仕上がったものを眺めると、半分程度は手持ちで撮ってもいる。
三脚を立てられない場合も多いからだろう。
■ 今、祇園は伝手を頼むと内部に入れる。
厳密な、一見さんお断りではなくなっているとも聞く。
かといって、芸子の写真を撮りたいともあまり思わず、今はそのままになっている。
撮るのならば、しばらく京都に住まないとならない。
戻ってきたときには、東京にいるところがなくなってたりもする。
「緑色の坂の道」vol.2625
祇園にて。
■ 緑坂の上部の写真について質問があった。
全部に答えるのは長くなるので、例えばその提灯のものについて書いてみる。
■ これは、ニコンのMF、50mm F1.2 というレンズを使った。
新橋界隈の中古カメラ屋で、衝動的に買ってしまう。
新品では手に入らないからだ。
通常、50mmレンズは明るさが1.4というものが普通である。
ライカのLマウントであれば、F2というものも常用される。
これが1.2になると、つまりは暗いところでもシャッターが速く落ちる。
ぶれない、というのが利点であるが、その代わりに、被写体深度がとても浅く、つまりピントを合わせるのがとても難しい。レンズ自体、AFは効かないからだ。
そして、ピントの合っている範囲がかなり狭くなってしまう。
大原の寂光院でツクバイを撮ったものもそれで、寂光院と彫られた文字が、ある部分だけしか読めなくなってしまっている。
でも、それはそれでいいのであって、背後の柔らかいボケを作品化することになる。
■ 確かカメラボディはF100であった。風景ではF5までは要らないな、というのが私のスタンスで、F5に比べると特定の条件のときに明るく写るという露出の癖は、補正をかけることで解消される。
また、デジタル化の過程で多少の露出はいかようにもなってしまう。
AFのボディにMFのレンズをつける。
中央部重点測光しか使えなくなるのが難だが、なにMFのボディの頃は皆中央部であって、補正の按配が違うだけである。
いつだったか、人物を中心に撮るプロカメラマンと酒を飲んでいて、カメラの機種の話になった。
私が伝えると、とても信じられないというような顔をしている。
それでいいんですか、ともいう。
「緑色の坂の道」vol.2624
夏の闇について。
■ 蝉の声がする。
ほぼ一日中していて、背の高い銀杏の樹が影になっている。
HDDにエラーがみつかり、再び chkdsk /r をかけていた。
データのサイズが大きいもので、これはこれでやむを得ない。
待つ間に緑坂を書く。
■ 先月、まだ梅雨の最中「ニューヨーカー短編集」を読んでいた。
確か三冊あるというが、手に入ったのは一番最初のものである。
アーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」(常盤新平訳)が、もっともそれらしく、タバコ・ロードの作者の小品などは、少しばかり異質にもみえてしまう。
これから80年代だという不定形なその頃、NYの短編集はよく売れた。
ブルックリン出身の作家などが、いずれその列に加わった。
村上春樹によって、フィッツジェラルドなどが紹介されたのも確かそんな頃合いで、定かには覚えていないのだが、「僕達はもうこれ以上のところはないんだ」というような台詞が記憶に残っている。
そして、見事にそのとおりになった。
2004年07月21日
「緑色の坂の道」vol.2623
「緑色の坂の道」vol.2622
ずみくろんの夜。
■ 友人にクラシックカメラに凝っていた男がいた。
奴の仕事場にゆくと、うず高く詰まれた資料の影で、蛇腹式のカメラに触りながら電話をかけていた。
お、これはなになにだな。と、ひとしきり話が弾む。
で、写るか。
たまにな。
■ 夜になって一席を設け、そこでもカメラの話である。
「ライカのレンズって、どうしてこう、そそる名前がついているんだろうな」
「ユンカースの爆撃機みたいなもんじゃないか」
「力を入れてレンズの名を呼ぶと、こう、岩波文庫を読み終わったみたいな気がしないか」
「しない」
「おまえは昔からそういう奴だったよ」
そこからこんどはコンタックスの話に飛ぶ。
「緑色の坂の道」vol.2621
昨日の新月。
■ 画像の選択とHDDのメンテのために、WSの電源を入れっぱなしにしている。
数十枚あるDVDからHDDに戻し、chkdsk /r をかけ、再度デフラグをかける。
かけたところで、もう一度DVDに焼き、以下略。
ということを延々とくりかえしていた。
書いていても、うんざりするんですけどね。
■ 昨日、日吉坂界隈でタクシーがボンネットを開けていた。
オーバー・ヒートであるらしい。
50をだいぶ過ぎたらしい運転手さんが、ペットボトルの水をラジエターに足している。 彼は汗をかいた河馬のように、ワイシャツで頭をぬぐっていた。
「欧州車でもないのに、理不尽なことだと思っているだろうな」
「大手町、39度あったらしいぜ」
私は友人の運転するワンボックスに乗っていた。
海風が入らない。
2004年07月20日
「緑色の坂の道」vol.2620
ライカのお作法 3.
■ ズミルックス、1.4/50mm というレンズは、開放で撮るとかなり線が細い。
そして独特のボケ方をする。
これはサービス版でも分かるくらいで、描写としてはキャノンのFD、一時期レンズの標準機と呼ばれたそれの50mmと比べても、その違いは明白である。
■ と、薀蓄を書いてしまったが、一体にライカのM6というカメラはほぼ停まっているものしか撮れないと考えていた方がよさそうだ。
ピントを合わせ、露出に気を配っている間に被写体が何処かへいってしまう。
広角レンズであれば、被写体深度を利用してのスナップにも応用が利き、ピントを合わせずとも可能なのだが、ではLマウントの名レンズ、リコーのGR28だったかを買おうと思うとそれだけで25万ほどする。
そのレンズの元になったリコーのGR-1、あるいはSの新品同様が何台買えるか。
両者、写りは同じであります。
■ だいたいプロというものは道具にあまり過剰な思い入れをしない。
結果を出すためにもっとも合理的で安定した道具を選択する。
極端なことを言えば、レンズとフィルムさえきちんとしていれば、どんなカメラであっても作品は撮れる。風景写真に、連写機能などは重いばかりである。
とはいっても、人からどのように見られるか、または見られたいかという欲望は、人間が社会的動物である証しのようなものであるから、これもまた無視はできない。
合理性ばかりで作品はできない、と言いたい部分も残るのである。
「これ、ライカで撮ったんですけどね」
と、いつか言ってやるもんね。
などということを、使い込むうちに艶が出るという、馬の皮、コードバンのストラップに触れながら夢想していた。
これナイロンだったら300円なのである。
「緑色の坂の道」vol.2619
ライカのお作法 2.
■ ロビーでカメラを取り出していたから見咎められたのかも知れず、私にはよくわからないのだが、ともあれバスがきた。
バスに乗ると高い位置から見えるので、隣に並んだ車の運転席がよく分かる。
トヨタの、小さな高級車というべき車種であった。
50代後半だろうか、ご婦人がルームミラーを眺め、髪を何度か直している。
それから思い立ってベルトをしていた。
サイドミラーが畳まれたままになっている。
あのですね、ミラーが。と指さしてみたところでご婦人が私を見上げる筈もない。
信号が変わり、先にいってしまわれた。
■ ライカに入れるくらいだから、特殊な電池なのだろうか。
と、私は入手先を心配した。
そういうものでもなく、ごく普通のコンビニに常備してあるものが二つである。
フィルムも国産。
持っているひとも国産で、ズボンは中国製を履いていた。
「緑色の坂の道」vol.2618
ライカのお作法。
■ 桑原坂のあたりを、多分結婚式帰りなのだろう、数人が歩いている。
髪の長い若い男が、赤い皮を張ったM6限定板を持っていた。
なるほど、皆を撮るためにもってきたんだな、と思いながら私は交差点を右折した。
■ カメラというのは誰にということもなく、見栄のための道具である。
ほぼ、茶器というかなんというか。
江戸時代のご隠居が、離れを作って詫び寂びごっこをするのとあまり変わらない。
ライカのシャッター音は、確かに心休まるものではあるが、かといって枕もとに置いて眠る前に聞いてみる、というのは三日で飽きた。
■ 昨日、ホテルのバスを待つためにロビーで涼んでいた。
革張りのソファがあって、そこに座る。
私は500円で買ったニコンのカメラバックに、ズミルックスをつけたM6を入れ、本日は自慢してやろうと紫の絹の布、つまり呉服の端布から取り出していた。
向かいに30手前だろう妙齢が座り、このサングラス男は何をするんだろうという具合にちらちらと眺めている。
デジカメであればこうはゆかない。
フィルムを入れてなかったので、空シャッターを何度か切る。
露出とピントを合わせるのに、あれこれをする。
で、電池が切れているのに気づいた。
「緑色の坂の道」vol.2617
街灯の下あたりで。
■ 男の連れと暫く歩いた。
別れてから、カメラバックのライカにフィルムを通す。
裏蓋を落とさないよう、指にはさみながら。街灯の下あたりで。
露出計を持たないので、ポジは使えない。
使ったとしても、この暗さでは息をとめるのがむつかしい。
■ 若者の街と言われるところを歩くと、私は既に現役ではないのだという気がした。
だが、それが寂しいとは感じない。
交差点で警官が、無線で応援を呼んでいた。
その隣で、国産の大型ワンボックスが、TVをつけていた。
青山で地下に降り、一杯を嘗める。
バーテンは若い。酒の薀蓄を語ろうとする。
2004年07月18日
「緑色の坂の道」vol.2615
2004年07月16日