2004年06月30日

「緑色の坂の道」vol.2580

 
       白南風。
 
 
 
■ 蝉の声がする。
 せっかちだとは、いえない気分だ。
 出窓から外を覗くと、緑の色が濃くて濁っている。
 
 
 
■ 人生に正面からぶつかるべき時期というのがあって、男の場合、それは四十歳前ではなかったかという気がする。
 これでいいのだと根拠もなく思いながら、何日も徹夜をくりかえす。
 もういちどやれ、と言われれば勘弁してくださいと言いたくもなるが、なんのためにそれをやっていたかも、半ばは忘れてしまっている。
 南から風が入ってきた。
 
 

2004年06月28日

「緑色の坂の道」vol.2579

 
       半月。
 
 
 
■ ここから、かつての緑坂の話にもってゆこうかとしたが、やめにした。
 このところ、PCというかWSのメンテナンスをしなければならず、それに忙殺されていた。
 今見上げると、高いところにやや太った月がいる。
 月も無精髭を生やしているのか。
 まあね、そんなことはないです。
 あなたと夜とタウリンと。
 

「緑色の坂の道」vol.2578

 
       同質の声。
 
 
 
■ 緑坂というのは、93年の3月の頃合いに始まっている。
 かなり恥ずかしいところもあるが、第一作目を書き写してみる。
 
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「緑色の坂の道」vol.1
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       同質の声。
 
 
 

■ とある日本の写真家が、肖像写真を撮っていて、「気力は眼に出る」ということを、何処かに書いていた。
 それに答えたのか、ある小説家が「知性は声に出る」などと書いていて、そういうものか、と記憶に残った。
 見知らぬひとと電話で話していて、ああ、この人は自分と同じような感覚をしているのではないかと思うことがある。
 高かろうが低かろうが、そして時折ひび割れることがあっても、その背後にある漠然とした気配のようなものを感じることもある。
 
 
 
■ もともと、個性というのは実に厄介な人間のさまざまな要素の複合体である。
人間が成長するにつれて、ある部分を抑制し、ある部分を育成することによって、微妙なバランスが生まれる。
 その前提として、自分を点検する作業があるのだが、となると、年齢によって、抑制する部分や育成しようとする部分が少しずつ異なってくることになる。
 人の声というのも、そうした微妙なバランスの上に成り立っているような気がする。
 もともとあったものに、何が付け加えられ何が削られたのか。そしてそれは、その人の裡でどのように均衡を保っているのか。
 見知らぬひとからの電話の後で、そのように思うこともある。
 
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「
 
 
■ このかぎ括弧モドキというか半角の記号は、当時使っていたものである。
 なくても別にいいのだが、ひとつのデザインとして入れていた。
 MS-DOSの時代だったから、一画面のテキストの長さは大体全角で40文字程度。
 そこから必要なあれこれを引いて、おおむね全角36文字くらいになる。
 もちろん画面は背景が黒色で、文字の色が白色。他の選択はほぼできない。
 この辺り、「媒体と文章の関係性」ということで思うところもあるのだが、煩雑なので割愛する。
 

2004年06月22日

「緑色の坂の道」vol.2577

 
       夏服とニガリ。
 
 
 
■ せんだって同級の友人と飲んだ。
 〆切と二日酔でタクシーを飛ばしてゆくと、彼は既にホテルの喫茶室で待っていた。
「もうダメ、トマトジュース」
「それなら、これいれろ」
 と、彼はバックから石垣島産の「にがり」を取り出した。
 
 
 
■「あいつが持ち歩けっていっていたんだ」
 あいつとは、地元で病院を経営している友人である。
「医者が言っているんだからいいんだろう」
「それは信用ならないなあ」
 と言いつつ、やや多めに入れてもらう。
 その日、私は彼ともう一人と夜更けまで一緒だった。
 グラスを持つ度に「にがり」を分けてもらった。
 最後のウーロン・ハイまで、15回くらいはそうだったかも知れない。
 途中から「にがり」のボトルは、奴の上着のポケットに入っていた。
 友達が良いというものは、とりあえずいいのだ。
 

「緑色の坂の道」vol.2576

 
       浅い夢。
 
 
 
■ 吉行さんの作品にそういう題のものがある。
 週刊誌に連載されていたもので、いわゆるエンターティメント、時代の風俗を切り取りながら読者サービスを試みたものだった。
 意図的に薄められているとはいえ、注意深く読んでゆくとどこかに反骨の気配は漂っている。
 昭和30年代後半、あるいは40年代初め。
 いわゆる高度成長と呼ばれた時代の、大人のための物語である。
 その当時、例えば女性にモテルとはなんぞや、というテーマで読者の興味を惹きながら、次第に精神のありかたにニジりよってゆく。
 
 
 
■ 同じく吉行さんの短編に「流行」というものがある。
 昨日まで国体護持を叫んでいた知識人(ええと、学士とか修士にあらず)が、一夜にして民主主義を語る。赤旗を振る。
 それに対しての拒絶反応を示したのが、例えば坂口安吾であり、文藝春秋の池島さんであった。これはほぼ生理的なものに近い。
 吉行さんの「流行」という短編は、その時その時に主流を占めている思想やファッションや新しい生き方などに、ただ乗ってゆくことで自分を飾っていた女性との付き合いを、すこし遠くから眺めたものであった。
 彼女も次第に老いてゆく。
 
 
 
■ 今であればなんであるか。
 ネットの世界ではどうなのか。
 勝った犬も負けた犬も、あるいはやや負けつつある犬も。
 どうでもいいという気はしている。
 

「緑色の坂の道」vol.2575

 
       風のいたらなさ。
 
 
 
■ 除湿機が唸っている。
 一台はまだ新しく、もう一台はすこしだけ。
 私は仕事場から暗い庭を眺めていた。
 カーテンを空けている窓がある。机に誰かの影がみえる。
 ここは確か、開高健さんが常宿にしていた部屋ではなかったか。
 葉山から出てきて、このホテルの同じ部屋に泊まっていた。
 あの方も、ひとつの時代と舞台というものの中で、綱渡りをされていたのだと分かる。 作家の家族の顛末をどこかで知ると、何故だろう、胸が痛むことが多い。
 
 
 
■ 書くということは、どこかで毒を含んでいる。
 書くだけではなく、全ての表現にはそういう側面があると私は考えている。
 一方で戦争をしながら、こちらではCSSのことなどを考え、コンビニで釣銭を募金したりもする。どう使われているのか、概要すら知らない。
 そういった時代の表現とは何か、ということを考えるのが一方で現代美術のひとつの流れでもあったのだけれども、それも余裕があるからできるのだと言われた。
 

「緑色の坂の道」vol.2574

 
       常緑樹がゆれる。
 
 
 
■ 夜に鳥が飛び立った。
 厚い雲が広がってきている。
 そうこうしていると雨になった。
 
 
 
■ いくつものものを捨ててもいいのではないかという気がしている。
 そうした段階は過ぎたのだと、誰だかがいう。
 浅く繋がること。すこしばかりは心配をすること。
 世間はもうすこし広く、決して一部だけのものではないということ。
 

2004年06月21日

「緑色の坂の道」vol.2573

 
       濾過の程度。
 
 
 
■ 物語というのは、世界と自分との関係を規定したものだ。
 と、誰だかが言っていた。
 
 
 
■ パーティの後ですこし歩いた。
 どこにも電話はしなかった。
 戻ってきて仕事をする。一本の線と色を決める。
 これが長く使う原型の一部になるからだが、普遍的なものを捜すのは難しい。
 それは自分の色でもあるからだ。
 

「緑色の坂の道」vol.2572

 
       いつかの湿り気。
 
 
 
■ 上着を洗う。
 ビニールから取り出す。
 新しい靴下を履く。
 ネクタイピンがここ半年みあたらない。
 夜になって風が吹いてきた。
 台風が近いのだという。
 すこし揺れる背の高い樹の影。
 

2004年06月16日

「緑色の坂の道」vol.2571

 
       お局とオボツネ。
 
 
 
■ の違いを述べよ。
 ああたね、月夜の晩ばかりではないのよ。
 へい。
 

「緑色の坂の道」vol.2570

 
       群雲 2.
 
 
 
■ それは都会というものの怖さだ。
 美しく見えるその下で、時給二割増で朝まで働く若い女性がいる。
 いつかはそうしてやろうと、コンビニでレジを打つ若者もいる。
 私はどうかというと、たかだかは誤差だ。
 誤差が全てなのだろうという気もどこかでする。
 どちらかに傾けば楽なのだろうということも、十六の時から分かってもいる。
 

「緑色の坂の道」vol.2569

 
       群雲。
 
 
 
■ 湾岸から都心へ入り込む首都高のパーキングに、時々でかける。
 何をすることもなく、缶コーヒーを飲むためだ。
 
 
 
■ 梅雨の晴間のことだった。
 半袖ではまだ寒く、東京タワーが玩具のように小さい。
 その上に、斑になった雲が薄くかかっていた。
 

「緑色の坂の道」vol.2568

 
       大人になると誰もいってくれない。
 
 
 
■ 食事中に携帯のメールを打っている若者がいた。
 彼は25である。
 私は何も言わなかった。
 
 
 
■ 詳しい趣旨の説明も電話もなしに、公の場ですこし話せというメールがきたことがある。
 公であれば、原稿を用意するのが常である。
 原稿を書くと、私の場合対価が発生する。
 彼は、メールというのは万能であるかと思っている。
 ただのインフラでしかないのだが。
 
 
 
■ 大人になると誰も言ってくれない。
 イヤハヤナルホド、サヨデッカ。
 そこは流れで、次ゆこう。
 

「緑色の坂の道」vol.2567

 
       犬の心得 2.
 
 
 
■ 暫く、枕もとに鬱の熊が座り込んでいた。
 あるいは、土豚にヘソを嘗められる夢を視た。
 
 
 
■ 理由はいくつもあるが、おおむねうんざりとしていた。
 何がといえば、放っておくと入り込んでくる一定の方々の神経の在り方と、その背後に見え隠れするある種サモシイ心根にでもある。
 
 
 
■ 世代論を口にするのは下品なことであるが、いわゆるダンカイと呼ばれる方々との付き合いはとても難しい。
 オレのことを知らないのはモグリだ。
 と、ご本人が真面目に考えている節がある。
 ご本人はその当時、真面目に反体制を貫いていたかというとそうでもない。
 そういった方々は地に潜り、長く苦しい青年後期と中年期を過ごした。
 周辺にいた方々。
 何もリスクを負わず、そのときそのときのものになびいてゆく。
 定年後のことをお考えになっておられる。
 

2004年06月14日

「緑色の坂の道」vol.2566

 
       犬の心得。
 
 
 
■ 最近、野良犬をみない。
 みるのは、服を着せられた座敷犬か、メルセデスのワゴンの後部から顔を出している大きな灰色の塊である。
 隣にあるホテルのテラスには、犬用の水飲み場があって、ロココ調の偽大理石に蛇口がついている。
 
 
 
■ 人間よりいいものを喰ってやがる。
 そう思ったのはバブル中頃。
 こちらは、週に一二度は紅生姜を山盛りにした牛丼を常食にしていた。
 
 
 
■ 昨夜、ふと思いついて港の方角へ車を走らせた。
 駐車場のシャッターがゆっくり上がる。
 ベルトをロックし、豚のようなセダンのアイドルが安定するのを待った。
 ここは川崎か鶴見か。
 見知った通りを曲がってゆくと、すこしばかりの埋立地がある。
 時々、海鳥がその先の突堤に休んでいる。
 彼らを起こさないように、離れたところに車を停め、煙草一本だけを吸う。
 地べたは湿っていて、ところどころ油のようなものが浮いている。
 

「緑色の坂の道」vol.2565

 
      シナトラのカツラ。
 
 
 
■ シカゴ・トリビューン誌のコラムニスト、マイク・ロイコの作品集「男のコラム」(河出文庫)を一気に読んだ。
 ロイコは、1932年シカゴに生まれる。高校中退。
 
 
 
■「男のコラム」という題名がなんとも、ではあるのだが、この毒舌とユーモアのセンスは、アメリカの最も良質な庶民の目線である。
 NYに対する子供じみた憎悪。それはシカゴのひとたちは皆同じだと。
 社会運動を熱心にやっていた頃のジェーン・フォンダへの揶揄。
 そして、シナトラがロイコのコラムに対して圧力をかけてきたことへの返答が、例えば以下の如し。

○もし君が自分のまわりにはチンピラがひとりもいないというのであれば私はその言葉を素直に信じて遺憾の意を表明したい。もちろんあの手紙を運んできたチンピラにも同じように遺憾の意を表明する。
(「男のコラム」マイク・ロイコ:井上一馬訳:河出文庫:83頁)

 つまりまあ、シナトラがロイコに対して記事の訂正を求め、カツラじゃないよ訂正したまえと言ってきた訳である。もし髪をひっぱっても動かなかったら、10万ドル出せよな、コラ。
 それに対してロイコは、問題はもし髪が動いてしまったらどうするかと提案する。
 
○10万ドルのことは忘れてもらって構わない。その代わりに君の蝶ネクタイをひとつと「ブルースの誕生」のレコード原版を貰いたい。いまでも私は、あれが君の最高の曲だと思っている。
(前掲:85頁)
 
 
 
■ エバァ・ガードナーとの恋に疲れていた頃のシナトラは、男の色気があった。ロイコはそれを言っているのである。当時、皆シナトラの格好を真似していた。
 一派をなし、ある意味でボスになってしまったシナトラに対し、一歩も引かないで自分の分野で勝負をかけている。
 シカゴという街。そこで生まれたひとつの文化。
 これは、雑誌「ニューヨーカー」と並べて眺めるとまた違った味がでてくる。
 

2004年06月13日

「緑色の坂の道」vol.2564

 
      32のR。
 
 
 
■ 第三京浜を流していると、追い越し車線を100キロ代の後半で飛んでゆく車があった。
 いわゆるドイツのそれで、嬉しくてインチ・アップしたホイルの感触を確かめていたのだろう。
 路肩から黒い影が出る。
 三車線を一気にパスし、暫く追尾し、それから赤灯をつける。
 神奈川県警の交通機動隊、32のRだ。
 
 
 
■ 窓を閉め、メセニーを聴いていたので、その時のタイヤの音は聞こえなかった。
 現役を離れた走り屋がスカウトされるというのは、どの県も同じ。
 私はなんとはなしに、笑ってしまう。
 当時、450psは出ていたという話を聴いたこともある。

「緑色の坂の道」vol.2563

 
      ホテル・ニュー京浜。
 
 
 
■ 横浜新道を下ってゆくと、いつもの看板がみえる。
 以前より、すこし派手になったかも知れない。
「夜の魚」一部で、主人公のコピーライターが、四つ目だった頃のランクルに追われる道である。
 下り坂。
 ディーゼルでも速度は乗る。
 
 
 
■ 私は眺めるだけで、まだ入ったことはなかった。
 入るには到達していないというべきか、もうすこし先を急ごうという気配の頃だからだ。
 かつては料金所がとぎれていた横浜新道も、いくつかに分かれたETCの看板が目立つ。
 

「緑色の坂の道」vol.2562

 
      縦に降る雨。
 
 
 
■ あたりまえのことだが、雨は空から落ちてくる。
 一面に灰色が広がり、緑はすこしくすんでみえる。
 20階以上のビルでは、雨の音がしない。
 という話を誰かから聞いた。
 低く、冷房が唸っている。
 

「緑色の坂の道」vol.2561

  
      菜種梅雨 4.
 
 
 
■ 東京という街は、部分的にはある種NYのようなものだ。
 シカゴともLAとも違っている。
 それでいて、その成り立ちはNYとはまるきり違っている。
 それは日本という国の近代化の過程が、そのようなものだったからだと解釈をしている。
 
 
 
■ 日吉坂の辺りをうろうろしていると、妙にガンを飛ばされる。
 寝癖を立て、折り目のない綿パンで煙草を買いにゆこうとしているからだろうが、そう睨まなくたっていいじゃないか、と時折は思う。
 多分、あなたはこの辺りに相応しくない、ということを暗黙に示唆しているのだろう。
 安い狐のような顔をして、歩きながら携帯を頬にあてていた。
 

「緑色の坂の道」vol.2560

 
      菜種梅雨 3.
 
 
 
■ もちろん、被写体にはならなかった。
 とりあえずプロなので、これがどう使われるかという出口を考えてシャッターを押す。
 もちろん、それだけではツマラナイのであるが。
 
 
 
■ 東京から何をしにきたかということを、地元の言葉で聞かれる。
 いや、ま、なんとなく。
 取材などと答えるのはしゃらくさい。
 五分ばかり話しただろうか。
 私は道を聞いて、車に戻った。
 

「緑色の坂の道」vol.2559

 
      菜種梅雨 2.
 
 
 
■ どこからきたのか、ということを地元の言葉で聞かれた。
 いや、東の都です。
 と私は答えた。
 そうかい、都のひとかい。
 トラクタの脇にいる奥さんが言う。
 お茶のんでくか。
 いや、ま、そういう訳にもゆかないでしょう。
 と、そこで数人が笑う。
 

「緑色の坂の道」vol.2558

 
      菜種梅雨。
 
 
 
■ しばらく東京を離れていない。
 広い場所を眺めていない。
 脇道にそれて、カメラを持っていた。
 農作業をしているおじさんにレンズを向けると、彼は帽子を被りなおした。
 私はそういう人が好きである。
 

2004年06月11日

「緑色の坂の道」vol.2557

 
      赤い傘。
 
 
 
■ 坂の上の交差点で、蛇の目をさしているカワウソと並んだ。
 長いスカートをはいている。
 側溝に雨が注がれてゆく。
 水の匂い。
 

「緑色の坂の道」vol.2556

 
      湿度と緑。
 
 
 
■ 杉並の方にある大きな公園で、夜になると制服の警官がその入り口に待っている。
 自転車に乗った少年をつかまえるためだ。
 
 
 
■ 少年の腕はまだ細い。
 始めて自分の才覚で木綿のシャツを買ったのだと思われる。
 Tシャツよりは、ここはバスケのそれだ。
 
 
 
■ 私はすこし音のするエアコンの温度調節をいじりながら信号を待っていた。
 そんなことでめげるな。
 今降っている雨の向こうに、ただの重たい夏が待っている。
 

「緑色の坂の道」vol.2555

 
       メンフィス。
 
 
 
■ テールフィンを立てた58年あたりのキャデラック。
 今の大統領は、エルビスを聴かない。
 

「緑色の坂の道」vol.2554

 
       夜の寝覚。
 
 
 
■ 緑坂というのはどこか性格の悪さが滲んでいるところがある。
 これは、そうしたくて書いているのではなく、自ずとそうなってしまうものであるからイタシカタがない。
 文章であっても、そうでなくても、某かの表現を試みることを課したひとというのは、おそらくはどこかでシニカルに対象と自らを眺めている部分があるような気もする。
 
 
 
■ すこし斜に構えることが格好いいと思われていた時代があった。
 多くは60年代後半からの流れを汲んでいる訳だが、反体制のポーズをとりながら、その影で大きなものに擦り寄る。
 擦り寄るのは、処世術として一向に構わない。
 一定の場なり立場がなければどうにもならないのが世の常だからである。
 問題はそれをどこまで自覚というか対象化しているかということで、例えばここを読んでいる方々というのは、少なくともネットに繋いでいる時間は、先ほど入ったコンビニのレジのおねーさんよりも幾ばくかは長い。
 もしくは、その使い方が異なっているだろうとも推察される。
 

「緑色の坂の道」vol.2553

 
       愛と勇気の二日酔。
 
 
 
■ 偉そうなことを言うと全て自分に還ってくる。
 これは世の常でして、酒を朝まで飲むのが続くとその後がチンボツである。
 男のチンボツというのは結構みっともないもので、胃薬とタウリンと今の季節であれば麦茶の一リットルくらいが人生の友だったりした。
 小学生の女の子には見せられないよなあ。
 
 
 
■ ま、いいんですけれども。
 緑坂Movabletypeの、デザインが一新された。
 これは影の青瓶デスク軍団が完全に仕切っている。
 私は、言うとおりにしますダ、と完全にお任せをしている。
 ここがこの色、でもまあいいか。
 ゆるやかに柳青める 北上の河の岸辺に。
 

2004年06月09日

「緑色の坂の道」vol.2552

 
       愚痴っぽい文章 2.
 
 
 
■ 何故こういうことを書いているかというと、最近ネットで散見する大人の文章の多くが、吉田拓郎の名曲、「今日までそして明日から」とそっくりの念仏式になっていることが多いからである。
 
 
 
■ これでよかったんだということを誰も言ってくれない。だから自分で言う。
 あの時はこうした夢はあったけれども、やむを得ない事情があってこのように選択をした。
 けれども、別の生き方があったのではないかと、独りPCの前に座っているときだけは、ふと思える。
 思うのは自由なのだが、現実は極めて明白である。
 一定の組織の中にいて、その中で護られ、そしてその制約を受けてもいる。
 決して列の外側にはみ出ることはない。
 
 
 
■ ギャンブルに限らず、一定のリスクがあるのが、世の常だが、暫く前、タクシーに乗っていると英語のナレーションの入ったJAZZ演奏が聴こえたことがあった。
 聞いてみると、インターネットラジオを録音したものだという。彼はMBAを持っていて、二年前まで米国IBMに勤めてもいた。白髪が混じっていたから、私よりも少し上の世代なのかも知れない。
「辞めたわけですね」
「ええ、辞めたわけです」
 ネットの安い時間帯を使って、テープに録音をしているのだという。
 私は、釣銭を渡すべきかと少し迷ったが、そうはせず、領収書を貰って車を降りた。
 

「緑色の坂の道」vol.2551

 
       愚痴っぽい文章。
 
 
 
■ かつて、吉行さんが山口さんの小説について、やや愚痴っぽい部分があると評したことがある。
 どの作品を指したのか、今すぐに手元にないので判然とはしないが、例えば代表作「人殺し」などを今再読すると、そういう気配はない訳でもない。
 
「人殺し」という作品は、中年にさしかかった主人公が銀座の女給との間で恋愛のようなものをする粗筋になっている。
 仕事、家庭、そして恋愛との間で板ばさみになり、身動きができなくなるという、誰もが通るべき道筋を、端正で勢いのある文章で長編にまとめた。
 
 
 
■ 私にも覚えがあるが、男が一定の年齢になると、妙に精神的になり、ある特定の女の中に某か無垢なものを捜そうとする傾向がある。
 ロマンチックを無理して捜すような按配である。
 たいていは裏切られ、ムゴーイ目に合うのが常だが、男というものは懲りない部分もあって、反射的に言えばそれだから女は救われているという側面もある。
 
 
 
■ 例えばそう評した吉行さん自身も、実生活の上ではそう明白に割り切れないまま、没後にある意味での暴露本を出されてしまったりもした。
 作家の私生活というのは、一部マニア以外にはそれほど意味のあるものではない。
 それを踏まえた上で、作家がどう自分の情報をコントロールするかということは、世間に対するひとつの姿勢、もうすこし突っ込んで言えば、営業方針であることには変りがない。
 

「緑色の坂の道」vol.2550

 
       傘をもたない。
 
 
 
■ 昔、蝙蝠傘が嫌いだった。
 なるべく、手になにものかを持ちたくはなかった。
 多分、ポケットに手を突っ込むことができなくなるからだったのかも知れない。
 
 
 
■ 一定の年齢になり、そうもゆかないということに気がつく。
 雨の日の単車乗りを私は尊敬しているが、自分だけならばともかく、誰かのことを考えるとただのセダンになる。できれば運転などしたくはない、という風にも思う。
 これが堕落なのかどうなのか。
 自分が決めることでもないような気もしている。
 

「緑色の坂の道」vol.2549

 
       彼女の硬い椅子。
 
 
 
■ 屋根のついたバス停に、ビニールを束ねた車が置いてある。
 誰かが座りながら頭を下にして眠っている。
 梅雨時期だというのに、キャメル色のセーターを着ていた。
 白髪を束ねていて、多分女性であろうかと思われた。
 
 
 
■ 特別な感慨はなく、どうしてもその横を通り過ぎる。
 昔は綺麗だったという家のないひとを何人かみたことがあった。
 

「緑色の坂の道」vol.2548

 
       夜の使い方。
 
 
 
■ 都市を歩くように、例えば夜の中を歩く。
 街が安全だからだが、ここで何をしているのだろうという気は僅かに残る。
 

「緑色の坂の道」vol.2547

 
       コモエスタ、アカサカ。
 
 
 
■ 小雨降る赤坂を歩いた。
 舗道が濡れていて、ビニールキャップを被った警官が立っている。信号が赤。
「おまわりさん」
 と呼ぶと、彼はふりかえる。
 
 
 
■ 彼はまだ若い。
 ここが首相官邸ですね、と尋ねると、そうですと答える。故郷はどこだろうか。いくつになったのだろうか。
 個人タクシーが並ぶ時間になっている。
 
―――――――――――――――――――――――
04_06_09_01

2004年06月08日

「緑色の坂の道」vol.2546

 
       Once Upon A Summertime 2.
 
 
 
■ マイルスのトランペットは、例えばシナトラのそれに似ている。
 投げ出すように、ほとんどぶっきらぼうに吹いているのだが、その本質は極めて男性的な音色であろうかと思っている。
 
 
 
■ 例えば孤独というのが仮にあるのだとして、それは全て自分の責任である。
 みっともないことも、時折はそうではないことも、誰のせいでもありゃしない、みんなオイラが悪いのさ、という前提の元での、一息、二息にもみえる。
 
 
 
■ 歯切れの悪さ、脇道への入り方。
 自分を捜すなどという、いい歳をしての甘ったれた言い分。誠実でありたいと真顔でいうJAZZメンがいたら、グラスに煙草の吸殻を捨て、そのまま席を立たれても文句は言えまい。
 
―――――――――――――――――――――――
04_06_08_03

「緑色の坂の道」vol.2545

 
       Once Upon A Summertime.
 
 
 
■ マイルス、と書くと、英国人作家、キングスレー・エイミスに叱られる。
 気安く呼ぶなよ、ということなのだが、それはそれ。
 ディヴィスと正しく言うには、舌の根が和風なのだ。
 
―――――――――――――――――――――――
04_06_08_02

「緑色の坂の道」vol.2544

 
        群雲。
 
 
 
■ 空が明るくなったり、暗くなったりした。
 月が隠れているからだ。
 雲の速度がはやい。
 私はマイルスの「Quiet Nights」を繰り返しかけていた。
 
 
 
■ 加虐がすなわち被虐の構造になる。
 というカラクリは多分よく分かる。
 自分にもそういう時期が永いことあったからだが、一歩間違えるとそれは安易な劣等感に繋がっていることもあって、その処理に苦労した。
 だとすれば、ツマラナイからでもある。
 
 
 
■ それにしても、この月の動きを長いレンズで捉えていれば面白いものができるだろうに。
 と、考えて、そういえば私は写真家だったのだと思い出してもいる。
 
―――――――――――――――――――――――
04_06_08_01

2004年06月07日

「緑色の坂の道」vol.2543

 
       暗闇坂 4.
 
 
 
■ 吉行さんが、柴田錬三郎氏の「眠狂四郎無頼控」を始めとする作品群を評したものから引用してみる。
 
 これらの作品の主人公に共通していることは、彼らは全て社会のワクに入りきれぬ、世間と馴れ合ってゆけぬ性状の持ち主であることだ。彼らは潔癖でデリケートでやさしい魂の持主である。それがあまりに過度であるために、生きてゆくうちにそれらの美徳は一層彼らを傷つける因となってしまう。彼らは、自分を傷つける存在に対して、絶えず復讐の念を招き始める。復讐の相手は、彼らの外部の人間でもあり、同時に彼らの内部にある美徳でもある。そのような方法によらなければ、彼らは生き続けてゆくことができないわけだ。そういう操作の結果、主人公は冷酷なサディスティックな外貌を示しはじめる。
- 略 -
 加虐すなわち被虐という主人公の姿勢がはっきり読み取れる作品である。
(吉行淳之介「年齢について」潮出版社:54頁)
 
 
 
■ この初稿は昭和三十三年、日本読書新聞の書評として書かれている。
 いささか青春の香りもする書き方であって、吉行さんも確かに若いのだが、大筋のところで今も当てはまる部分もある、という気はする。
 柴田氏が創出した「眠狂四郎」という異端児は、当時一世を風靡した。
 転びバテレンの子、という設定がまずは絶妙である。
 それは、ついこの間まで八紘一宇を唱えていた知識階級が、一夜にして思想的礼節を喪い、民主主義を声高に語り始めるという「流行」への、生理的な拒絶反応が根底にはある。
 例えば学生時代に読んだマルクスを捨て、背広に細いネクタイを締めて、満員の電車に揺られ通勤をしていた当時のホワイトカラー層に、些かの自嘲をこめて受け入れられた。
 
 
 
■ 吉行さんは、柴田氏から眠狂四郎のモチーフを聞いた時、その成功を少しも疑わなかったと書いている。
 柴田氏の心情が狂四郎にあざやかに乗り移っていたからだが、その作業は柴田氏にとって「アクロバット」と自称するべきものでもあった。
 逆立ちをしてみせる胸を病んだ娼婦が登場する「さかだち」という作品は、もちろん虚構ではあるのだけれども、その辺りの事情を伝え哀切である。
 
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04_06_07_03

「緑色の坂の道」vol.2542

 
       少年と筋雲。
 
 
 
■ 遠くのビルのガラスが銀色に光っている。
 低いところを、固まった雲が海の方角へ流れる。
 自転車のスポークがきらりとした。
 
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04_06_07_02

「緑色の坂の道」vol.2541

 
       暗闇坂 3.
 
 
 
■ 夜の散歩をこころがけた。
 白金台から広尾まで、有栖川公園に住むカモは暗くなると石垣の上に寝ていた。
 猫の尻は太かった。
 時々、中年女性にガンを飛ばされるのだが、それはいたしかたのないことである。
 
 
 
■ 元麻布界隈は、静かな住宅街が続く。
 坂の上と下とではこれほど風情が違うものか、と驚くのが世の常だが、例えば横浜の山手から坂道を下ってゆくときなどもそのようである。洗濯干場が見えるからなのかも知れない。
 昔、文学館の隣には車が停められて、夜中に煙草を吹かしにいったことがあったが、今はそうもゆかなくなっている。
 
 
 
■ 元麻布の教会の脇を通ってゆくと、いわゆるタワー型の高級マンションが建っている。ここはホテルのようにして使うところなのだけれども、その前の植え込みで一休みをした。
 ボトルの水を飲んだりする。
 東京は梅雨になりかかる手前、低いところにすこし欠けた月が赤かった。
 タワーを見上げていると、蛍光灯と白熱灯の灯りが混在している。おかしな生活感が滲んでいて、普段食べているものは誰もがそう変りはないのだろうと思われた。
 昨年秋頃、この奥の不動産を夜中に見にきて、花束を左手に持った若い女性が、すこし踊るように歩いているのを見かけた。肩を出したまま、ふくらはぎが綺麗だった。

 その先、古い狐の尾のように分岐した道があり、その中のひとつが暗闇坂である。街灯の届かぬところに、木の案内が立っている。
 かなり急な勾配と、片方が石垣。
 まだ夜は遅くなかったので、一組の老夫婦とすれ違った。下ると駐車場があり、馴染んだ麻布十番温泉の看板もみえる。
 
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04_06_07_01

2004年06月06日

「緑色の坂の道」vol.2540

 
       お局坂。
 
 
 
■ えー、坂の由来は割愛。
 ドーナッテモ知らないよ。
 
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2004年06月04日

「緑色の坂の道」vol.2539

 
       暗闇坂 2.
 
 
 
■ 若い頃、柴田錬三郎氏の「眠狂四郎」のシリーズを暫くのあいだ読んだ。
 することもなく、もてあましていたからだが、今思い出すとその内容のほとんどは忘れてしまっている。
 円月殺法という定番の技があるのだが、原文ではただの二行程度。
 狂四郎の剣が丸く円を描き終わらないうちに相手方の侍は地に倒れていた。
 その後に月が出ていたり、風が吹いていたりする。
 
 
 
■ 柴田さんという方は、もちろん会ったことはないが、どこか古典的なボードレリアンの系譜だったという気がする。作家にとって、何処で産まれ育ったのかという要因は案外に大事なものだけれども、つまりそれは柄とか品とかに繋がるもので、こればかりはいかんともし難い。
 若い頃の柴田さんの作品を眺めていると、相当に貧乏もしていた。
 貧乏をしながらそうでもないと痩せ我慢をすることは某かの作品を作る際の最低限度の資質ではあるが、問題はその方向である。
 
 
 
■ 私は比較的永い間、高輪界隈に住んでいた。
 建築の分野で、割と有名だという高輪消防署に昇ってゆく坂道があり、その途中に柴田さんのお屋敷がある。
 そこへ集まることを、「高輪詣」と、吉行さんが書いていたこともあった。
 吉行さんが、初めて週刊誌の連載を持ったとき、柴田さんのご指導を仰いだというかたちになっている。
 この辺りは説明をすると長くなるのだが、いわゆる新しいメディアである週刊誌が続々と発刊されたのが昭和三十年代前半。
 朝鮮戦争が終わり、世の中が次第に片付いてきたかという頃合いであった。
 柴田さんの「眠狂四郎」シリーズは、その頃に生まれてもいる。
 
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04_06_04_03

「緑色の坂の道」vol.2538

 
       都市の梟。
 
 
 
■ このどこかに、眼をおおきく見開いた梟がいるような気がする。
 例えば、コンクリで固められた小学校の屋上に。
 
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04_06_04_02

「緑色の坂の道」vol.2537

 
       動く満月。
 
 
 
■ カーテンの隙間から月がみえる。
 どうも満月であるのか、曖昧なところも残る。
 その割に、夜は明るくもない。
 
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04_06_04_01

2004年06月03日

「緑色の坂の道」vol.2536

 
       暗闇坂。
 
 
 
■ 所用の電話をいくつか済ませ、漠然としている。
 〆切もあるのだが、なかなか最初の一文にとりかかれないでいた。
 東京という街は案外に坂が多い。
 港区界隈には、坂の途中に表札のようなものが立っていて、坂の名前とその由来が記してある。
 設置されてから暫く時間が経ったのだろう。毛筆で書かれた文字は木の色に溶け込んでしまっているところもあった。
 
 
 
■ 横関さんの前掲書を眺めると、「暗闇坂」というのはまずは新宿にある。後は文京区、元の教育大の傍の
坂をそういう。大田区山王にもあるし、本郷七丁目界隈、つまりは東大の脇の道をもそう呼ぶ。
 元麻布界隈、オーストリア大使館前の坂も「暗闇坂」と呼ばれた。
 いくつかには別名もあって、芥坂、乞食坂、宮村坂など、ところどころでその呼び方は異なっている。
 
 
 
■ 真っ暗な坂道であったから「暗闇坂」と呼ばれたのだけれども、なんとはなしにここで発想は飛ぶ。
 まず紋が大きく現れる。それが黒い着流しの背中であることに気づいて、これが映画のオープニングであった。
 確か「眠狂四郎」の何作目だったか。
 眠とは、転びバテレンの子、虚無的な浪人者である。
 大映映画では、市川雷蔵が演じた。
 あまり映画をビデオに収録しておくという趣味のない私だが、年に数度、ぼんやりと見返したりしている。
 
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04_06_03_04

「緑色の坂の道」vol.2535

 
       神楽坂下。
 
 
 
■ 確か救世軍のアパートがあって、感心して眺めているとむこうからひとが歩いてくる。
 私は所用あってこの路地に紛れ込んでいた。
 タオルとビニールの鞄をもったその若い娘は、娘というには訳がありそうで、すこしこちらを向いている。
 夏のなかほど七月の午後。
 白いTシャツの下は薄い胸が透けている。
 八重歯。
 
 
 
■ 目的の場所を尋ねてみると、人なつっこい顔つきでわからないと首を振る。
「洗濯してから稽古なんです。きたばかりで」
 関西なのか何処なのか、言葉も肌もこちらでもない。
 礼を言って暫く歩いた。
 振り返ると、その半玉は踊るように急な坂道を降りてゆく。
 
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04_06_03_03

「緑色の坂の道」vol.2534

 
       化粧坂。
 
 
 
■ 再掲する。
 
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化粧坂(けわいさか)と呼ぶ坂があった。江戸に少なく地方に多い坂名である。江戸では、浅草の千束町から吉原土手に上る坂を化粧坂と言った。これひとつだけである。しかも、吉原土手がなくなったとき、同時にこの坂も消えてしまった。
 
(横関英一:「江戸の坂 東京の坂」中公文庫 163頁)
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■ 横関さんのこの本は、昭和四十五年一月に有峰書店から刊行されている。
 なかに随分と写真が載っていて、ご本人の撮影による。
 昭和三十五年から数年間の東京の町と坂の写真をぱらぱら捲っていると、時間がとまっているかのような錯覚に襲われる。
 坂のむこうにトラックが駐まっている。
 確か、裕次郎がでていた日活映画の喧嘩のシーンで、こうしたボンネット型のトラックが背景としてあったことを覚えている。
 坂に人通りはすくない。
 
 
 
■ 化粧坂というのはなんとも粉っぽい呼び方で、祭りの日の小さな女の子の紅の色や女郎衆のそれ、または旅役者の壁のような白色までを思い出す。
「化粧師」「帯師」などという職業が確かにあったと描いていたのは上村一夫さんだった。
 歳末の頃、私は東京の下町の繁華街にいって、高いんだか安いんだかよくわからない瀬戸茶碗を手に取っていた。
 せめて新年には新しい味噌汁の椀を使おうと思ったのだ。
 花魁の格好をしたすこし太ったおんなのひとのポスターが貼ってある。
 よくみると男性なのだが、スタンプを集めるとその公演にゆけるという。
「夢芝居」とはいつもそうなんだろう。
 その日は寒かったけれども、歳末のゆるやかな坂を降りて戻った。
 
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04_06_03_02

「緑色の坂の道」vol.2533

 
       江戸の坂東京の坂。
 
 
 
■ 特別湿度がある訳でもないが、空気が重い。
 いたしかたなく、仕事を続けていたりする。
 せんだって、私は銀座から有楽町、東京駅の界隈をひとり歩いた。
 夜もしばらく更けた頃合い、薄い雨が降っていた。
 かつて丸ビルがあった辺りに入る。
 入り口に案内のようなものがあり、そこに「暗闇坂・店名」と書いてあった。
 
 
 
■ なるほど、坂の名前がひとつのブランドになっているのだな、とプロデュースした方のセンスに感心したのだが、暗闇坂というのは何処にあるのか。
 実は、東京には十数個の「暗闇坂」があるという。
 というのは、「江戸の坂東京の坂」からの受け売りである。
 
 かつて、yominet の緑坂で、私はこんなことを書いていた。97年の頃合い。
 
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坂とは、山や岡に上ったり下ったりする道のことで、言い換えれば、低いところから高いところに上って行く道路、または、反対に高いところから低いところへ下る道路のことをいうのである。
しかし、いまここにとり上げているのは、その坂が名前を持っている場合であって、無名の坂、またはまだその名前がわかっていないものについては、それに触れることはしない。
 
(横関英一:「江戸の坂 東京の坂」中公文庫:9頁)
 
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■ 実を言うと、「祝」の画像の代わりに文庫本の表紙をスキャンさせていただこうと思っていた。
 白井晟一さんによる表紙扉には、尾形月耕「江戸見坂」の絵が使われている。
 出版社に問い合わせ、その許可を貰えば良いのだろうが、忙しさにかまけ今日まで果たせなかった。暫くしたらお願いをしてみようと思っている。
 本のデザインというのはそれ自体が既に作品で、本の内容をニョジツに顕わしていることもあるようだ。
 
 
 
■ ところで、引用した文はこの本の冒頭にある。
 声を出して読んでみると、なかなか味があるような気がする。
 あたりまえのことを真面目に書いてゆくところから全ては始まって、著者の語り口は次第に歯切れの良いものになってゆく
 
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