2005年12月04日

「緑色の坂の道」vol.3541

 
      - BREAKFAST AT TIFFANY'S -
       融ける雪のように。
 
 
 
■ と、ここまで書いて、私はすこしうんざりしているようだった。
 十二月だからからも知れない。
 もっと軽く触れておけばよかった、という気もしないでもない。
 東京は銀杏が色づいている。
 神宮の辺りには、まだ、日のある時間に近寄ってはいなかった。
 外苑西通りの外れ、プラチナ通りと呼ばれるその辺りを広尾方面に下った。趣味のいい名前ではない。午後の日差しは金色であり、銀杏の背が思ったよりも高いことに気がつく。ビルの影になっている樹だけが、まだ緑色のままだったりした。
 一本違うだけなのにこうして差がつくのだ。と思いながら、車のガラスは汚れている。 
 
 
■ こうなったのも、ただ悲しみが原因なんですよ。
 と、ブラジル人の外交官、ホセは言う。ホリーは彼と同居しそのうちに妊娠する。
 小説で「私」ことポールとホリーは、決して恋人同士にはならなかった。寝なかったのである。
 一般に、今付き合っている男のことをいちいち報告してくる女性というのはいるものだ。過去の男の数をホリーのように正直に告げる。だがそれも、数え方次第である。
 聞いている男友達は、大抵、彼女に一定の部分で振り回される。
 それを半分は楽しんでいるようなところもあって、手のかかる猫の相手をしているような気分にもなる。
 何故一歩を踏み出さないのかと自問しても、はっきりした答えは出てこない。
 まだ自分が何者でもないとき、つまりはやや長い青春の終わりなどにそうした女友達は際立つ。
 ホリーは自らの性格から事件に巻き込まれる。新聞沙汰になり取調べを受ける。
 そして遊園地で落馬し、流産してしまう。
 体面を気にするホセはブラジルに去っていった。実は本国に家族もあったのだ。
 NYには雑多な人種が住んでいるが、アメリカ社会におけるブラジルなど中南米の人々の位置づけは微妙であり、場合によると黒人よりも屈折した立場にあるものだという指摘を、80年代にNYに住んでいた大学の教員が書いていた。
 
 
 
■ 女は口紅をさしてからでないと、こういう手紙は読まないことにしているのよ。
(前掲:139頁)
 
 ホセからの手紙を預かってきたポールの前で、ホリーは強がりをいう。
 それから拳を口の中に入れて泣くのをこらえる。
 女性の会話の旨い作家というのがいて、その理不尽さ、感情の脈絡のなさ、可愛さ、愚かさなどを端的に書き留める。
 ヘミングウェイやフィッツジェラルド、あるいはチャンドラーなどもそうだろうか。
 今いくつか覚えている台詞を書き写そうとも思ったが、それも野暮なことだろう。
 
 車はスパニッシュ・ハーレムの路傍にとまった(略)。歩道には果物の皮だの新聞紙の屑などがいっぱい散らかっていて、それが風に舞っていた。雨はやんだが、風はまだ強く、ところどころ雲の切れ目から青空がのぞいていた。
(前掲:152頁)
 
 この場面の短い風景描写は美しい。
 小説の終わり近く、ホリーが飼っていた猫を放そうとする。
 映画ではこの後、ホリーとポールは雨の中でキスをするのだが、小説はよりリアルに何事も起こらない。彼女はひとりブラジルへ旅立つ。
 それから10数年を経て、こんどはアフリカで彼女をみかけたという噂を耳にする。